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2020年3月24日 (火)

わたしの旅の相棒@ランドネ5月号

先日発売になった、ランドネ5月号。
「わたしの旅の相棒」に4人がエッセイを寄稿しています。
旅に心強い、自分のお気に入りの持ち物について、旅のエピソードと絡めながら紹介するもの。

 

私は、カンチェンジュンガの眺めが素晴らしいダージリンに通った日々のこと、ふたつの川の流れがティスタ川というひとつの流れになるのを見下ろす高台、そしてベンガル平原へとぐいぐいと標高を下げていく、そんな旅の途次にストールと出会ったことを書きました。
それはまさに、ヒマラヤの氷雪嶺に端をはっした川の流れが、大地をかけ流れ、ベンガル平原を肥沃な土地へとしていくのを眺めたどる、ダイナミックな道のりです。行きはこの道をのぼり、帰りはくだる、そんなダージリンやシッキム通いが続いた時代たありました。
だから、遠くから眺めたことしかないカンチェンジュンガが好きなのかもしれません。

 

ランドネでは、エッセイや少し落ち着いたインタビューを書かせてもらう機会が多いです。
以前、携えたい本を3冊紹介するエッセイを書いた時も同様でしたが、ランドネの主たる読者層だけでなく、そこから外れた10代の女性や50代の男性にも読んでいただけたら嬉しい、そんな気持ちになります、いつも。
それは、10代の女性はいずれ、ランドネ読者のボリュームゾーンの年齢になるだろうし、また50代まで歳を重ねた男性にも、20代、30代の女性のことを、理解してもらいたいと思うからかもしれません。

 

ちょっと離れたページに釣り師+写真家である仕事仲間の杉本航さんが、登山道整備について書いていています。
「理想の登山道」について。こちらも、ぜひどうぞ。

 

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2020年3月23日 (月)

三日月山(福岡)@毎日新聞、そして竹内洋岳さんによる日下田實さん追悼

今朝のわくわく山歩き@毎日新聞朝刊は、福岡市の郊外にある三日月山です。
webはコチラ https://mainichi.jp/articles/20200323/ddm/014/070/052000c(有料)
タイトルは、「里山でアラスカ思う」。

敬愛する登山家・栗秋正寿さんと、黒田誠さん(国際山岳ガイド・写真家)、増本亮さん(クライマー)らと登ったときのこと。栗秋さんが単身通い続ける厳冬のアラスカ、そして黒田さんや増本さんが経験してきた国内外の各地の厳しい登攀、それらが、日常の里山と結びつく瞬間。
先日インタビューした、あるクライマーの話にも共通します。自然のなかで激しいまでの経験をした人が、穏やかな自然も知っており、そのふり幅が、そのままその人の人柄だったり人生に表れるように思います。こんな風にふり幅が大きな人は、生涯を通じて、山を楽しむことができるのです。


三日月山は、栗秋さんのお宅からもよく見えます。台所にある窓から毎朝三日月山を見るのが習慣。そんなエピソードは、『山と溪谷』1月号の「100人で選ぶ名山100」に、ご本人が寄せていました。

さて。
同紙の「悼む」に、日下田實さんがあります。日本隊がマナスル初登頂したときのサミッター。書き手は、プロ登山家の竹内洋岳さん。竹内さんは、生前の彼との交流のなかから幾つかの思い出を書いています。おふたりが座談会をしたとき、書き手として同席しましたが、あのとき一番心に残った日下田さんの言葉を、竹内さんも紙面に紹介しています。
ぜひ、キオスクかコンビニへ走り、毎日新聞を。

 

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2020年3月15日 (日)

山野井妙子さんインタビュー@『山と溪谷』4月号

発売中の『山と溪谷』4月号から、隔月連載「平成を登った女性たち」を始めます。
昨年1月号で平成期の日本人女性の登山について書いたのがきっかけであり、それ以前の歴史は大先輩の板倉登喜子さんと梅野淑子さんが『日本人女性登山史』にまとめているからです。
担当編集者のかねてからの思いで始まりましたが、いったい平成がどんな時代だったのか、いま女性を取り上げる意味をどこに求めるのか考えながら連載することになりそうです。

 

平成元年(1989年)、ブッシュ大統領就任、手塚治虫、美空ひばりが死去、週休二日制、土井たか子社会党が第一党、ベルリンの壁崩壊、ヒットはプリプリのDiamonds、魔女の宅急便、ばななのTSUGUMI、Hanako創刊。

 

初回は、そんな時代性と全く無縁の山野井妙子さんです。彼女が登攀対象をヨーロッパからヒマラヤへと移行し始めたころ。
たった4ページで、妙子さんの平成期のクライミングを語ることはできません。超駆け足ですが、この先もっとじっくり書いていきますので、お許しください。ひとつ先とそのまたひとつ先を見据えて、今回はさわりのように記事を書きました。

ふたつ先までたどり着くには時間を要しますが、どうかまずは、今回の記事を読んでいただきたいと思います。
また、もし読者の方々から感想をいただける機会があれば、とても嬉しいです。
タイトルは「世界レベルに達したアルパインクライマー。心の赴くままに登り続けた。」
少しでも、妙子さんのクライミングや人となりを感じてもらいたいです。

 

ほとんど記録を残してこなかったどころか、記憶にも留めない彼女を、横で支えインタビューに応えてくれたのは泰史さん。
それと彼女の山の仲間たち。
録音は10時間近く回していますが、「うーん、思い出せない」が続くので、正味7時間ぐらいか。

 

写真のギアは、よくご覧いただくとどんな細工がされているかわかると思います。一時期、ウチのカムにも同じ細工が……(笑)。
ボルダリングの写真は「ひよこ岩」。福岡銘菓のひよこに似ているから、私が名付けました。場所は四川省ダオチェン。リータンよりもさらに奥のあたりです。ボルダリングマットは、旅の途次に買ったチベタン布団。ギャチュンカンからの生還の翌年。

 

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2020年3月14日 (土)

出版社の未払い、昨日は敷島さんの命日、登山に関するマスの報道

昨日、牟田郁子さんという校正者のツィッターで忠地七緒さんという方のnoteが紹介されていた。
コチラ 
フォトグラファーでありライターの忠地さんは、『nice things.』という雑誌に関わっていて、たくさんのページを担当していた。けれど突然、版元の倒産と雑誌の廃刊が決まり、原稿料が回収できないのではないか、というピンチに陥っているのだと。
弁護士に相談したけれど、回収は難しく、そのダメージは決して生易しいものではないから、「仕事が欲しい」と書いている。
そう書くには勇気が要ったけれど、仕事が欲しいと。

 

ずっと前、当時私の収入源の主たる版元の大きく経営が傾いたとき。
あるムック本が完成間近にして発売停止になった。
原因は、版元の資金繰り。私が抱えていたのは30ページぐらいだったか。
先輩の編集者である故敷島悦朗さんが丸ごと1冊請け負っていたもの。
すべて納品したあとに発売停止になったわけで、すべての仕事は終えたけれど、形にできなかったから一銭も払えません、という状況。
すべての仕事を終え、持ち出しだけがある状況で、一円たりともペイされないのは、かなりキツイ。死活問題でさえある。

 

版元と話し合ったけれど、どうにもならず、それに見切りをつけた敷島さんは、早々に行動を始めた。
同じ社の他の雑誌、それだけでなくまったく違う出版社にもかけあい、全部とはいわなくても、ムック本のうちのおよそ70%ぐらいは売れたのではないかと思う。
そのおかげで、私も仕事したうちの半分以上のものが形になり、原稿料を手にすることができた。

 

そんなことを思い出していたら、facebookの「思い出」機能が、昨日は敷島さんの命日が昨日だったことを、思い出させてくれた。
熱血漢で正義感強く、選挙の投票日は絶対に山に行かない人だった(当時は不在者投票が今ほどの制度ではなかったので)。
ともかく山が好きな人だった。

 

訃報を受け取った直後にした講演会について、facebookに記録していた。
登山に関する近年のマスメディアの報道を苦々しく思っていること、マスではない自分はそれに立ち向かいたいことなど、講演で話したようだ……敷島さんの仕事を思い返しながら、敷島さんが乗り移ったかのように話したこと、思い出した。
自分自身が忘れないように、ブログに再掲しておく。

 

 

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2015年3月14日

 

労山の多摩西部地区の総会にお呼ばれし、話をしました。
3年目にして果たせた約束。

 

テーマは、山の突然死。書籍にしたのは2008年とちょいと昔。
それ以前から、同テーマで雑誌には書いていたし、その後もデータ収集はしています。
突然死は、登山中であるとどんな点でリスクが大きくなるのかということと、いくつかの事例を話しました。
事例のほとんどは、書籍やバックナンバーで読んでいただけますが、取材のなかで感じたこと、考えたことなども話しました。
1件の事例を取材するには最低でも1ヶ月以上かかるので、それぞれのストーリーがあります。

 

古い事例ですと10年近く前の取材になりますが、その多くを私は鮮明にそして印象強く覚えてます。
つまり、どこでご遺族や死亡した方の山仲間とお会いし、どんな話をしたか、その時の彼らの表情まで。
取材裏の苦労話を、読者の皆さんに知っていただく必要はありませんが、どんな取材をしたか、どういった手順を踏んだか、取材の事細かなこと、文字にできなかった取材がどれほどあり、それはどういう理由か、それらについてごくわずかでも話すことで、突然死とういのが、また山岳遭難というのがどれほど悲惨で、遺されたものにとってつらいものなのか感じてもらえたかもしれません。

 

先だってのヤマケイの記事(雪崩遭難の捜索救助化とビーコン)も同様ですが、一般社会に生きる我々が、登山者として、あるいは私の場合は書き手としてやるべきことは多々あります。
そういった観点から、登山に関する報道について思うこと、またそれについて私が立ち向かいたいと思っていることについても、蛇足ながら話しました。

 

また今日の仕事は、個人的な思いではありますが、山と仕事の先輩のことを思いながらやりました。敷島悦朗さんは、私にたくさんのことを教えてくれただけでなく、当時私が主としていた出版社が傾いたときに、私と私の仕事を守ってくれたかけがえのない先輩です。登山を文化としてスポーツとして根付かせたいと思っている私にとっては、彼を喪ったことはほんとうに血肉を削られる思いであるし(むろん個人的にも)、またもっとこれから自分が頑張らなければならないとも思っています。

 

話を戻します。
今日会場で、「去年は来てくれると思って、書籍読んで待っていたよ」と言って下さった方もいました。
講演中にも述べましたが、こと近年の登山に関するマスメディアの報道を苦々しく思っています。
だからこそ、マスではない位置にいる私たちが、もっと頑張らねばならない時です。
辛抱強く私のことを待ってくださっていた皆さん、今日はほんとうにありがとうございました。

2020年3月13日 (金)

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんインタビュー@イワタニプリムス

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんをインタビューしました。
ご自身の原点、ガイディング、そして日本の登山社会を見渡して。

 

初めてお会いしたのは、彼が20そこそこのころ。ビッグマウンテンスキーヤーとして世界を転戦していたとき。首が太い人だなあと思ったのを覚えています。その理由は、すぐに理解するのですが。
30代、軸足をガイドに移し、国際山岳ガイドにもなります。この間も仕事のこと、なまら癖-Xの登山やスキーの旅、デナリ南西壁大滑降など、何度かインタビューする機会に恵まれました。
42歳になり、何を見据えているのかという問いに、予想と違う答えが返ってきました。

 

ところで。ご自身を「ラッキーボーイ」と言い、挫折知らずだと。挫折しそうなぐらい困難なことがあっても、それを静かに乗り越える能力と精神力を備えているのだと私は思いますが、ひとつだけ痛恨の出来事がある、というので聞かせてもらいました。
それは笑っちゃうぐらいのことで、「それ、大輔さんがダメだね」って笑い返しました。札幌市内でのこと。一緒だった国際山岳ガイドの皆さんは、思い当たる節があるのでは。

 

そんな話をするのも大輔さんのチャーミングなところ。
持論ですが、トップアスリートは、強い信念(自分の才能を信じる力)、飛びぬけた集中力、抜群のバランス能力などと合わせて、繊細でチャーミングな面も持ち合わせています。
もちろん、佐々木大輔さんも。

 

1月下旬の雷電海岸の写真は、二木亜矢子さん。ポートレートは中垣美沙さん。女性3人で、お届けする記事です。
https://www.iwatani-primus.co.jp/realvoice/5.html
*ブログの写真は、私がパチリと撮ったものです*

 

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2020年2月29日 (土)

校了、責了

下旬に4本締め切りが重なり、2月はずっと苦しかった。

1本は週末に下版。久しぶりに記事を読んでくれた者が、「いいんじゃない」といつもの返事。

もう1本は、昨日校了。

2年に1度ぐらい褒めてくれる編集者が、原稿を読むなり「もっと書きましょう」と言い出した。

ありがたい。次の単行本のその先を考えよう。

長年親しくしてきた友人であるクライマーの物語。親しいけれど、人間誰だって色んな顔があるわけで、私の知らない素顔もたくさんあるはず。

唯一無二のクライミングのパートナーに読んでもらい、少しは、書けたのかなあと自惚れた。次はもっと書こう。

.

次の1本は、日中のガイディングを終えた身で、ついさきほど夜遅くまで最後の仕上げに付き合ってもらい、なんとか責了に持ち込めそう。チャーミングで器がどデカいクライマーの胸を借りて書かせてもらった。

最後の1本、初めて、カンチェンジュンガのことを書いた。編集者に預けた、あとはどーにでも料理してください。

.

こう考えると、全部周囲の人たちに書かせてもらっている。

3月も書き続けます。

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2020年2月24日 (月)

旭岳@わくわく山歩き/毎日新聞

今朝の「わくわく山歩き」@毎日新聞は北海道の旭岳です。
webでも読むことができますが、「世界のどこかで乾杯」など他の記事もおもしろいので、ぜひキオスクかコンビニへどうぞ!

 

山のコースガイドや紹介ではなく、個人的な思い入れも交えながら綴るエッセイ連載です。
厳冬の旭岳は近づくことすら難しいこともあるし、新聞という媒体の性質を考えると、夏に書くのがよいかなと思っていました。
ロープウェイがあり遊歩道もあり、広く多くの方々に楽しんでもらえる季節になるから。
けれど改めて考えたら、私は雪の旭岳しか知りませんでした。

 

雪のない季節は、義父母を連れて、文中にもある春菜夫妻の宿「ヌタプカウシペ」に1泊したのが最初。
初夏の躍動的な旭岳を目の前にしたのは、皮肉にも2年前の6月のことです。
白馬に向けてクルマを走らせている最中、電話が入りとんぼ返り。羽田から旭川空港にとび、春菜さんのお別れに行ったときでした。
この2回だけ、山麓から旭岳を仰ぎました。

 

旭岳との最初の出会いからずっと私の中にいる春菜夫妻のことは、これまでも少しだけ書いたことがありましたが、新聞に書くのは初めてです。
今回の文章は、故・春菜秀則さんに捧げます。
そして、東川町の皆さん、ありがとうございます。

 

web(有料)→ コチラ

 

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2020年2月23日 (日)

「登山中の事故、傷病のその後」@『山と溪谷』3月号

現在発売中の『山と溪谷』3月号の「登山中の事故、傷病のその後」を執筆しました。
ライター3人で担当している不定期連載です。
事故のこと、傷病者へのファーストコンタクト、プレホスピタルで何が起きて、どう対処されたか。
医療機関での治療やその後のリハビリ、社会復帰へのことを述べています。
事故を検証する記事は多いけれど、どんな道のりを経るのか、登山者の皆さんと共有したいと意図し、続けている連載です。

今回は主に、現場での処置を報告しています。
シャモニー谷にあるパピヨンというロッククライミングのルートを登っている最中の滑落事故です。
ジャンダルム(フランスの山岳警備隊)が来て、どんな手当をしたか。その多くは、医療に従事しない者であっても一定のトレーニングを経れば身に着けられることです。
救助隊員の処置と、一般向けの野外救急法を対比させながら、紹介しました。
野外救急法の重要性を、読み取っていただければさいわいです。

ご協力いただいたのは、事故者とコンタクトのあった医師たち(診察や相談)のほか、救急救命医の稲垣泰斗さんです。
野外救急法、野外医療に挺身し、ウィルダネス メディカルアソシエイツ ジャパンのメディカルアドバイザーであり、複数のトレイルランニングレースでの救急体制の構築や現場での指揮にもあたっている方です。
記事中の助言のほか、事故者のカルテやCTを読み解いていただきました。
ご一読ください。

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本誌を手に取って、写真家の中村成勝さんがお亡くなりになったことを知りました。
とても悲しいです。
駆け出しのころ、夏の山も雪の山もご一緒させていただきました。お住まいが隣の駅なので、打ち合わせやポジの受け渡しは、近所の喫茶店待ち合わせでした。
こんな大切なことを、雑誌で知るしかなかったことも無念です。
P180の坂戸山の案内記事が最後。六日町の城山、成勝さんらしいです。青い若葉と魚野川の向こうに雪の残る谷川連峰、明るくのびのびとした写真です。
クレジットから察するに、打田鍈一さんのお力添えで、最後に記事になったのでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。

2020年2月15日 (土)

記録、登攀記録

同業者がfacebookに、記録について書いていた。
村の会合にて。議事録を細かく残す必要があるのか誰かが問うたそうだ。面倒だし、こんなの誰が読むんだと。
同業の彼が思ったのは、記録は本人たちではなく他者が読むもの、その本質を忘れがちだということ。
これには、目からうろこだった。
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「写真の記録性」という難しい原稿を書いたことがあった。
樹木希林が「PHOTO IS......」というテレビCMで語ったように、明日のことはわからない、だからいまを撮る。
その写真の記録性の意味について書いた。
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ひるがえって、いま執筆中のクライマー。ほとんど記録を残していない。ネットにはもちろんない。当人、あまり覚えていない。
周囲に尋ねるしかない。なぜ記録しないのか、記憶にとどめないのか、その本質が興味深い。
自分の手で記録を残そうとしなかったクライマーの記録を、私が残すことになる。大きな山です。

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2020年1月27日 (月)

摩耶山@わくわく山歩き/毎日新聞

本日の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、神戸の摩耶山です。
webはこちら  (有料)

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摩耶山の市民登山、六甲山地へと視点を広げ、日本の近代登山発祥の地など奥深い顔をもつ山ですが、今回は、たった2回登ったその時のことと、山頂からの眺めについて書きました。
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初めては、神戸育ちの友人、花谷泰広くんと。2度目は、山がきっかけで知り合った新妻和重・美樹夫婦と。
阪神・淡路大震災についても、触れました。そのことを話すと、「勇気あるね」と言われました。大震災を経験したわけでもなく、たしかにそうかもしれません。
けれど、摩耶山のてっぺんから神戸の街を見渡したとき、最初に思ったのは阪神・淡路大震災のことでした。
それは、神戸の街を眺めたからだけでなく、摩耶山が神戸の方々にとって「おらが山」だからだと思います。
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書くことは、いつでも勇気のいることかもしれません。勇気という言葉があっているのか、わからないけれど。
書くだけでなく、人に自分の考えや心のうちを述べるには、いつだって相応の気持ちが伴っているのだと思います。
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最後の写真にある本棚は、山頂のカフェの奥にあるもの。
ワタシ的にドストライクだった『恋ソマ』の隣に『雪の下の炎』、後世に残したい名著中野融さんのネパールトレッキングガイドの隣に『やまはじ』、オーストリアのグラーツから六甲山麓を経て運ばれた『極限への挑戦者』。新聞では紹介できませんでしたが、古今東西、硬軟ふり幅でっかい本棚。

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