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2019年6月26日 (水)

旅に連れて行きたい本3冊@『ランドネ』

現在発売中の『ランドネ』(枻出版)に、一人旅に携えたい本を3冊紹介しました。

 

『風の瞑想ヒマラヤ』(根深誠)
書くことを生業にする意味と覚悟、書くという行為について、最初に教えてもらった根深誠さんの著作。
旅先で友人を見送るのは難しい……そんなとき、いつもこの本のあるシーンを思い出します。
雑誌には、入手しやすく旅に携帯しやすい中公文庫の書影を載せましたが、立風書房の単行本(↓)を見つけることができたら、ぜひ手に取ってみてください。故・田村義也氏の装丁が味わい深いです。

*「旅立ちの見送り」

 

『日の名残り』(カズオ・イシグロ)
私にとってカズオ・イシグロの一冊目、15年以上前にチョ・オユーABCで読みました。
ラサを出るとき、親しくなった中国人の友人が、「記念になにか欲しい」と言い出し、汗まみれになった毛糸の帽子を指すので、それだけでは忍びないと思い、日本語は読まないだろうに、この本を差し出しました。
良質な小説が、旅には必要だと思います。
私がなぜ、カズオ・イシグロを好きか、書いてみました。

 

『ゴリラの森に暮らす』(山極寿一)
山極寿一・京都大学学長が40代で書いた本です。
山極さんの生き方や研究者としての姿勢に大いに感化され、それは旅へのインスピレーションにもなりました。
ご本人に失礼承知で、率直なこと、書かせてもらいました。
最近は電子書籍で持ち歩く人も増え、それは便利だけれど、最大の弱みは旅先で友人と本の交換ができないこと、旅先に本を置いてくることができないこと。ちょっと、楽しみが減ります。

 

ランドネの読者の平均年齢は34歳、男女比は4:6程度だそうですが、今回の文章、それ以外の方々にも読んでもらいたいです。
50代男性とか、10代女性とか、どなたにでも。

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2019年5月17日 (金)

会津駒ケ岳@5/13毎日新聞

5月13日の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、会津駒ケ岳でした。
webでもご覧いただけます(有料)。
https://mainichi.jp/articles/20190513/ddm/014/070/019000c

 

繰り返し登りたいと思う山に出会えるというのは、「仕合せ」です。何度も通って、少しずつ見えてくるものがあり、それがしあわせです。

 

新聞は、多くの方々が読んでいるので、思いがけないところから、「読んでます」と声をかけてもらいます。
親戚や13年前に亡くなった山仲間の義父母さま、ありがたいことだな、と思います。

 

ところで、来月の会津駒ケ岳ガイドツアー、山小屋の事情などあり急きょ日程を変更しました。そのため、満員御礼から残席多に。
6/29-30 滝野登山口→会津駒ケ岳(駒の小屋素泊まり)→縦走してキリンテへ下山。残雪と新緑が山に躍動感をもたらせてくれる、美しい季節です。
ご興味のある方、ご一報を!

 

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2019年1月19日 (土)

昔の絵葉書、家でじっくり

2年前の正月は、少しの事情もあって、じっくりと自宅にいる時間が長かった。

仕事柄もあり、また山登りや旅が好きなこともあり、アチコチ出かける機会が多いが、たとえ短い時間でも、自宅にいるときに、静かにじっくりと過ごしたいと思うものだ。
facebookの「思い出」機能によると、2年前の今日、部屋で手紙の整理をしていたようだ。

昔から、それこそ小学生の頃から、「晴」という文字が名前に着く人には、深い縁ができることが多い。

黒川晴介さんは、お兄ちゃんのような存在の大好きな山の仲間だった。
その、晴ちゃんのことを、ブログに書き、そしてfacebookにも書いていた。

こんな風に、静かに自宅で過ごす時間をもちたいなあ、と半分憧れのように思う。

***2年の前のfacebookより***

天国にいっちゃった晴ちゃんからのエアメールが出てきたのは先日のこと。

今日は、とんでもない絵葉書の大きな束が出てきた。みんな、ここぞとばかりにお喋りと近況報告と情報を詰め込んでくるから、文字が小さい。よくこんな小さな字を書けたね。老後に読み返して楽しもうと思っていたけれど、現時点ですでにツライ。


いちばん小さな文字は、まぎれもなくアライだよ。世界一周旅行に行くんだとか言いだして、あちこち周っていたときの便りを覚えているか。
「○○子の住所が手元にないからこの葉書を投函しておいてくれ」「来週は◇◇の誕生日だから、俺からだって言って電話しておいてくれ」「帰国日を決めたいから、ついては都合を教えてくれ。成田への迎えを頼む、一泊は泊めてくれ」など依頼事項も多い。


今年は、久しぶりに旅の空から葉書を書こうかと思った、これだけみんなからの便りを読むと。そして、大きめの文字で書くことにします。

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2018年11月29日 (木)

「写真の記録性」@Stuben

いままで墨色だった題字がシルバーに。それって、そういう意味?
4冊目の『
Stuben』は、Photo Issue。
被写体であるスキーヤーは山木匡浩、撮り手は立本明広黒田誠廣田勇介中田寛也
ここに、「写真の記録性」という文章を添えました。

ほか、雪の世界にまつわる写真、写真に関する文章が綴られた一冊。
お手にとって、ゆっくりご覧ください。

11/30東京(小谷明×山田博之×渡辺洋一)、12/14札幌(山木匡浩×渡辺洋一)にて、刊行トークイベント開催です。

→ 東京

→ 札幌

webサイトの「Dealer」をクリックすると、取り扱い店舗のリストがあります。 

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2018年11月28日 (水)

1985年2月号の『山と溪谷』

仕事場の本棚から、『山と溪谷』の84年85年の号を一冊ずつ手に取りページをめくった。
84年は6号、85年は11号ある。きっかけは、沖縄在住の登山家、雨宮節さんがfacebookにコメントをくれたことにある。

84年に雨宮さんは風間深志さんらと、トライアル・バイクでエベレスト街道をいき、その様子をヤマケイや本田技研の広報誌に載せたと。掲載号がわからないからということだったので、84年から手に取ってみた。85年2月号に載っていた。
トライアル・バイクの記事も興味深かったのだが、ほかの記事も読みごたえがある。
長谷川恒男さんのナンガパルバット、岡田昇さんの厳冬の穂高のグラビアなど。
第一特集は山スキーで、三浦敬三さんの誌上指導から始まる。
編集後記のページを開くと、編集長は伊藤文博さんだった。なるほど……!
特集だけでなく、1色ページにも読み応えのある記事が並んでいるのは、この時代が豊かだったからなのか。
地域研究は丹沢。筆は、渡辺千昭さんと寺田政晴さんだ。まちがいないふたり。
つぎの週末、丹沢へ行く予定があるので、読んでみた。

いまどき入手しやすい書籍や雑誌、ネットの情報では得られないものが書かれていて、この時代の雑誌は、こんなにも丁寧な作り方をしていたのかと思う。
その丁寧な仕事が、ライターを育て、カメラマンを育て、編集者を育て、ひいては登山者を育てていたのではないかと。
日曜日に丹沢を歩くときには、ここに書かれていたことを気にしてみようと思う。

2018年11月 7日 (水)

水辺の夕陽

ふだん、山で沈む夕陽や日の出を見ることが多い。
刻が大きく動くその瞬間が、好きだ。

ブルーモーメントは、夕焼け後や日が出る直前のわずかな時間にやってくる。空が青い光で照らされる。雲がなく澄んだ空模様のときが、綺麗だ。
グリーンフラッシュは、もっと一瞬の出来事。陽が沈んだ直後、日が出る直前に、緑色の光で空が瞬く。
シルバーモーメントというのは、日本では言わないのだろうか。
ヒマラヤでは、よく使う言葉だ。日没後か日出前、漆黒の世界になる直前、あるいは漆黒の世界から抜け出た直後、ほんの少しだけ空に白み、山々が硬質な色で浮かび上がってくる。
この瞬間が、私はいちばん好きだ。

日の入りも日の出も、太陽のある空も美しいが、太陽が照らした山肌は、ことさら美しい。

久しぶりに、水辺の夕陽を見た。
水面がとろんとした色になり、とても美しかった。
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2018年8月16日 (木)

鉄道の旅

「移動が多くて、たいへんでしょう」「どこでもドアが欲しくならない?」とは、よく言われること。
たしかに「移動」が疲れないと言えば嘘になる。歳とともに疲れやすくもなっている。けれど、どこでもドアが欲しいと思ったことはない。それじゃあ、「移動」にならない。旅をすることは、好きだ。

北海道には、飛行機で行く。羽田や成田から、千歳、旭川、女満別などに飛ぶ。
けれど、先日は違った。
2泊3日の予定で、ニセコを訪れた。打ち合わせやインタビューのためだ。
台風の動きは気になっていたけれど、2日目の昼のブレイクのときには、まだ情報は入っていなかった。夕方、仕事に一区切りがつき、メールボックスを開くと、翌日搭乗予定のフライトがキャンセルになっていた。今回使う航空会社については、今日も明日も全便キャンセル。
これはちょっと厄介だな、と思い、帰京する手立てを取り直すことにした。

ほかのおふたりは、「集中して、チケット取りしたほうがいいよ」「大手のフライトの早い便から順にブッキングしたほうがいい」など、実に旅慣れた人らしい発言を残し、夕ご飯用のワインを買いに出た。

調べてみると、その時点では、ANAもJALも(つまり、大手)、弱気な発言をしていた。LCCは全滅。台風の歩みは遅くなる傾向にあった。たとえ、夕刻にフライトが復活しても、「機体がまわらない」など言いだしそうだ。
比して、JR北海道はもちろん、東日本も通常運転を予定しているという案内。ちなみに、高速バスには断りの案内があった。

どうしても翌日には帰宅しなければならなかったので、すぐにノートパソコンをオフにして、20分後には、倶知安の駅から在来線に乗った。これに乗車さえすれば、その日のうちに本州に渡れるので、あとはどうにでもなると考えた。ワインを買いに行ってくれたふたりには、電話を入れて。

倶知安駅から長万部駅まで、函館本線を往く。
あっという間に日が暮れて、外は漆黒の森であったが、尻別川が流れている様子が分かり、峠からぐいぐい標高を下げていった。

長万部駅での待ち時間は20分強。ココで夕食を済ませないと、食いっぱぐれるな、と思ったけれど、駅前は閑散。唯一開いていたのがホルモン焼きの店。この暖簾の向こうには、どんな店が広がっているのだろうと好奇心もあったけれど、20分では食べられないと諦めた。

特急スーパー北斗に乗り、新函館北斗駅へ。ここから北海道新幹線「はやて」で青函トンネルを渡って、本州へ。
ここまでは、まったく初めて乗車する路線だった。

新青森駅近くにはホテルはないので、青森駅まで戻って、投宿。
ここに来るまでの間に電話予約したのだが、当日夜に女性一人宿泊というのは、嫌がられるようで、10軒目でやっと予約が取れた。
コンビニで腹の足しになるものを買って、宿についたときには、12時を回っており、受付のいまどき珍しいほど場末感たっぷりな様相に、我ながら、笑った。

翌朝5時半前には宿を出て、再び新青森駅へ。そこからは勝手知ったる路線。午前中のうちに、東京の自宅に帰宅。
翌日からの仕事の準備をすることができた。

倶知安駅を出たのが夕方の6時過ぎ、自宅到着が翌日10時過ぎ。途中宿泊したことを含めて、16時間の旅。
年に何度かは訪れる北海道というのは、それぐらいの遠さだったのかと、旅の疲れと共に実感した。

初めて乗る列車は楽しく、車窓の風景は真っ暗でも、ワクワクした。
初めて降りる長万部の町は、夜でなにも観られなかったけれど、それでも新鮮で楽しかった。
やっぱり、鉄道の旅は楽しい。そしてやっぱり、どこでもドアが欲しいとは、ちっとも思わない。

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2018年7月27日 (金)

祝いの便り

誕生日になると、必ず便りをくれる人がいる。
そのなかのひとりは、外国の友人。

もう10数年前のことだが、私はその年の誕生日を、長江の源流で迎えた。
友人と、その仲間たちでラフトを使って、川を下り、キャンプをしながら1週間ほどを過ごしていた。そこはチベット文化圏。とてもではないけれど、川を旅しなければ立ち寄れないだろう小さな集落やゴンパもあり、とても心に残る旅だった。
誕生日の夜は、なにがあったわけではないけれど、小さなたき火をして、心穏やかに過ごしたことを覚えている。

旅から成都に戻ったとき、一緒に旅した友人の弟であり、私の親友が出迎えてくれ、「スミコの誕生日は、どうやって過ごしたんだ?」と私たちに言った。私は、自分の誕生日のことをとくに言ってはおらず、友人も気づかなかったし、他の誰も知りもしなかったので、とくに何もなかった。
友人は、弟の言葉を聞いてハッとした顔をし、ものすごくすまなそうに、私に何度も謝った。
謝ることはないし、自分でも言わなかったのだし、だいいち、そんなコトだったら弟が教えておいてあげればいいじゃん、ぐらいのことを言って笑い飛ばした。

しかし、友人はそのことをずっと気にしていた。
せっかく、いい旅を一緒にしたのに、その時に祝えなかったことが、ほんとうに申し訳なかったと。
以来、必ず毎年欠かさず、便りをくれる。
親友であるはずの弟の方からは梨の礫だろうが。夏は彼らはとくに仕事が忙しく、旅に出ることも多いが、電波の届かない山奥へ出かける場合は、前もって、「この先、留守になるから、早いけれどメッセージを送るよ」と、律義に。

それは、電話だったり、メールだったり、最近はfacebookのウォールへの書き込みだったり。今年は、WeChatで届いた。
いまのようにfacebookやGoogleが誕生日を知らせてくれるもっと前の頃からのことで、こちらが恐縮するぐらい、それは欠かさない。
それを、素直に受けとることが友情であり、そしてなによりも嬉しく思う。

彼からメッセージを貰うたびに、私はあの夏の旅を思い出すし、友人の優しさに触れる。

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2018年6月25日 (月)

夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

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2018年6月 4日 (月)

ヌタプカウシペ、最初の出会い

旭岳山麓のヌタプカウシペへ。
春菜さんにお別れし、真理子さんと話をしてきた。

最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、旭岳における最初の出会いは、ヌタプカウシペの春菜夫妻だった。
初めて東川町を訪れ、冬の旭岳に登ったのは、15年以上近く前のことだ。
なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。
モンベルの昔のカタログにあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。

けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせず、ただ泊まらせてもらっていた。
毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るのは知っていたが、それがどういうことかもわかっていなかった。
だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。
それから何年も経って、クロカンをやるようになり、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。
手作りで始めた旭岳のクロカンコースは、いまやクロカン選手は誰もがお世話になる土地だ。
けれどわかったことは、クロカンに関わる者としてもだけでなく、登山や自然に関わる者としても、生活者としても、すっごい人だということだった。

初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
つきることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した景色を、私も見せてもらっていたからだと思う。

東川町のある祝賀会に招待いただいたときのことだった。
この時何が嬉しかったかって、席順が春菜さんの隣だったことだ。
春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々が遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。

大雪山を指すアイヌ語のカムイミンタラは、直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだと思った。
旭岳連峰、大雪山をちょっと離れたところから望むと、ほんとうに神様が舞い降りてきて、遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。

この祝賀会の晩は、ヌタプに泊めてもらった。客は私しかいなく、春菜さんと遅くまで話をした思い出がある。

たくさん話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。
いっぺんに相手(人とか自然とか、山とか)と親しくなったり、いちどきにたくさん知らなくてもいいんだと思う。少しずつ相手のことを知っていく、近づいていく。

けれど、そういうことにも限りがある。

空港に迎えに来てくださったのは、長年東川町に住み、新聞記者退職後は町の歴史書の編纂などをしていらっしゃる西原さんだった。
車中、色んな話をするなか、この世に永遠はなく、生きる者も死にゆく者も留まることなく、流れゆく、というような話になった。

ヌタプに着くと、春菜さんは、私がいつも転寝をする日当たりのよい位置で、眠っていた。
お疲れであろう真理子さんが、春菜さんの最期を話してくださり、春の若葉とエゾヤマザクラの開花をみて、ヌタプで逝ったんだと知った。

帰路は、若者ふたりが空港に見送ってくれた。若者といっても、もう中堅どころか。
春菜さんの亡きあと、本格的にクロカンコースの整備を担当する方でもある。
やがて彼らの家族も空港に来てくれた。
みなに見送られ搭乗した、夜7時過ぎの機窓からは、薄花桜色に染まる空に、カムイミンタラが見渡せた。
もう、春菜さんは、あそこで遊んでいるのかもしれない。
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