tibet

2023年4月23日 (日)

3days to 彼女たちの山_谷口けいさん

【3days to 彼女たちの山】
谷口けいさんです。
けいさんの親友でありクライミングパートナーでもある大石明弘さんの『太陽のかけら』は、ずっと手元にありながら読まずにいました。大石くんのような一冊の本ではないけれど、書き終わってから読もうと、先々月、脱稿したあとにやっと手に取りました。そして大石くんにゲラを送って、報告しました。

以前、日本山岳会会報「山」から依頼を受けて、けいさんの一生を書いたときの原稿をベースに、まずは当時取材できなかった平出和也さんにインタビュー。「山」はけいさんが亡くなった2ヶ月後発行であり、私としても平出くんにはとてもインタビューができませんでした。
鈴木啓紀さんは、「山」に続いて再インタビュー。高校からの親友水上由貴さんはじめ学生時代の友人達、和田淳二さんは「山」でインタビューしたものを基に書きました。

けいさんの話からはそれますが、鈴木くんのインタビューはいつも興味深いのです。誠実に言語化しようと努め、何度も言葉を選びなおし、言い直すのです。こんな人、ほかに出会ったことありません。言葉の重みを知っているのだと思うし、言葉に対して誠実なのだと思います。そんな鈴木くんのある言葉を、今回も最後に使わせてもらいました。

生前、平出くんと登った山はほとんどインタビューしているけれど、どうしても平出くん寄りになっていました。平出くんが計画立案したもので、登山は計画立案にこそ面白さがあるとも思っていたから。けれど、その計画にひょいと乗るけいさんのことを、今回は書きました。
けいさんは筆まめ、連絡まめであり、旅先から送ってくれる絵葉書や、隙間時間にくれるメッセにほろりと本音が書いてあり、文章にはしなかったけれど、そんなけいさんの人柄を思い出しながら書きました。

執筆中に、ふと黒田誠さんが見せてくれた写真を2枚、SNS用にお借りしました。大学生対象の登山研修所の講習中のものですね。けいさんらしい顔をしているなあ。写真って、何が写っているかとか、そこに写っている人の表情が大切なんだと思います。この写真は、けいさんやここに写っている加藤さん、ジャンボさん達と撮り手の黒田さんみんなの関係をよく表しているなって思います。

瑞穂ちゃんとゆっきーと4人で写っている写真を撮ったのはふっしーです。けいさんが、あの北海道へと旅立つ前夜、私たち、けいさんちに泊まっていましたね。最後に会った時の写真です。
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『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)

https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html
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2020年9月20日 (日)

アルピニズムを継ぐ人々-ラインホルト・メスナー@YAMAHACK

「アルピニズムを継ぐ人々」、第3回はラインホルト・メスナーです。
毎回、ハンコを使ったイラストを添えてくれるのは、あまのさくやさん。今回の原稿をどんな話で締めくくるか、彼女に話していなかったのですが、メスナーの首元には、チベット由来のメノウのネックレスを描いてくれました。写真などを集め、彼が好んで身に着けていることを知ったのだと思います。
原稿の最後に、後年のメスナーがチベットを旅している話を書くことは決めてあったので、あまのさんからハンコが出来上がったと連絡をもらったときは、嬉しかったです。
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四川省の西部を旅していると、たびたび、メスナーの話に出会いました。
リータンのゴンパではラマが、「メスナーがここに、これを見に来た」と雪男の毛皮(とされているもの)を奥から出してきて、話したことを憶えています。
峠を越えると一気に草原が広がり、リータンに入っていきます。標高4000m余りのとても美しい町。
ゴンパは、裏に山をかかえていて、まさにここにお寺を建てるでしょうというような納得いく場所でした。
ダライ・ラマ3世が建てたこのゴンパは、5世の代に大きくなります。またリータンは、7世や10世が生まれた土地。6世が「「私は遠くへは行かない、リタンを回って戻ってくるから」と言ったとされており、7世が誕生。
そんな神々しい土地でした。
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このリータンから、南下してダオチェンに入っていくと、6000m峰が多数あり、その山々を回るように峠越えをして歩くだけでも面白かったです(写真)。
このあたりには、幾つも、メスナーの足跡がありました。
最後に旅したのは、2003年。いまはどうなっているのかなあと、時々思います。
https://yamahack.com/book/m04_03
https://twitter.com/sakuhanjyo?s=20

Yahamack

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2019年6月26日 (水)

旅に連れて行きたい本3冊@『ランドネ』

現在発売中の『ランドネ』(枻出版)に、一人旅に携えたい本を3冊紹介しました。

 

『風の瞑想ヒマラヤ』(根深誠)
書くことを生業にする意味と覚悟、書くという行為について、最初に教えてもらった根深誠さんの著作。
旅先で友人を見送るのは難しい……そんなとき、いつもこの本のあるシーンを思い出します。
雑誌には、入手しやすく旅に携帯しやすい中公文庫の書影を載せましたが、立風書房の単行本(↓)を見つけることができたら、ぜひ手に取ってみてください。故・田村義也氏の装丁が味わい深いです。

*「旅立ちの見送り」

 

『日の名残り』(カズオ・イシグロ)
私にとってカズオ・イシグロの一冊目、15年以上前にチョ・オユーABCで読みました。
ラサを出るとき、親しくなった中国人の友人が、「記念になにか欲しい」と言い出し、汗まみれになった毛糸の帽子を指すので、それだけでは忍びないと思い、日本語は読まないだろうに、この本を差し出しました。
良質な小説が、旅には必要だと思います。
私がなぜ、カズオ・イシグロを好きか、書いてみました。

 

『ゴリラの森に暮らす』(山極寿一)
山極寿一・京都大学学長が40代で書いた本です。
山極さんの生き方や研究者としての姿勢に大いに感化され、それは旅へのインスピレーションにもなりました。
ご本人に失礼承知で、率直なこと、書かせてもらいました。
最近は電子書籍で持ち歩く人も増え、それは便利だけれど、最大の弱みは旅先で友人と本の交換ができないこと、旅先に本を置いてくることができないこと。ちょっと、楽しみが減ります。

 

ランドネの読者の平均年齢は34歳、男女比は4:6程度だそうですが、今回の文章、それ以外の方々にも読んでもらいたいです。
50代男性とか、10代女性とか、どなたにでも。

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2017年11月20日 (月)

人間の品格と知性、『ラモツォ亡命ノート』

毎夏キャンプでご一緒する在日チベット人たちは、日本の山を一緒に歩くと、「故郷の山を思い出す」と言ってくれる。それは、草原に弁当を持っていき食べて歌って踊る、あのチベット人が大好きな時間や、夏のピクニック、川で遊ぶこと……だけでなく、「ヒマラヤを越えた」あの日を思い出すと。そんなことを言ってくれる度に、私は返す言葉が見つからず、いつも黙り込んでしまう。
 
今日、私が向かった山は、雲はちょっと多かったけれど晴れた空で、樹木を抜けると冷たい風が強かった。しかし下の方は紅葉は見事で、穏やかだった。ちょっとだけ重たい荷物を背負いながら、そんな道のりをアプローチしているとき、毎夏を共有するチベット人たちのことを思い出していた。
それは、夜、映画『ラモツォの亡命ノート』を見に行こうと予定していたこともある。
 
映画が終わり、ラモツォと監督の小川真利枝さんがトークをした。ラモツォのアムド語を通訳してくれたのは、同郷のソナム・ツェリン。久しぶりに会えた。
そのラモツォの話すことを聞き、彼女がもつ品格や知性というものが、どこに由来するのか思い知った。
 
私はかねてから、いつも考えていることがふたつあった。
ひとつは、人間のもつ品格や知性についてだ。これまで多く接してきたチベット人やネパール人のなかには、境遇や経済的に恵まれず教育も受けられず、けっしていい環境とはいいがたいところに育ちながらも、気高い品格と、そして豊かな知性を持ち合わせている人たちと多く出会ってきたことだ。
そういったものは、生まれながらにしてもった性質だけでなく、後天的な環境にも影響を受けると思っていたが、いったい彼らはどうやってそういったものを養ってきたのか、と。
 
もうひとつは、チベット人たちの信じる心の強さだ。
9月に日本にやってきたインド人の知り合いから言われたある一言を、私は友人に話した。すると彼女は、「そのことを、柏さんが強く信じることができれば、それは現実となるんだろうね」と言った。そういえば、彼女は姿勢が美しく、強くものを信じることができる人だ。
チベット人の、ときとして涙が出そうになるほどの信じる心の強さは、いったいどこからやってくるのだろう、ということだ。
そして、そんなしなやかに強い心を持っているためか、逆境にあってもよく笑い、よく冗談を言う。そんな場面は、今回の映画にも出てきた。政治犯にされ投獄されるラモツォの夫が、笑い飛ばすように話す数々を、泣きながら笑った。
 
ラモツォは、1972年、アムドに生まれた。
このことを聞けば、彼女の半生がどんなであったか、想像する手助けになるだろうか。
 
知人でもある真利枝さんが撮った『ラモツォの亡命ノート』も素晴らしかったが、このことに関心があり、そしてもし都合がつくのであれば、彼女の肉声をぜったいに聞くべきだ。
映画上映後、来日中のラモツォが出演するアフタートークは、20日(月)20時が最後。東京・ポレポレ東中野にて。
 
そして、私の今晩の寝床の音楽は浜田真理子さんの「Hallelujah」
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