photography

2018年10月 5日 (金)

ピオレドール受賞決定@『山と溪谷』10月号

『山と溪谷』10月号(9/15発売)に、1ページの小さなニュース記事を書きました。
平出和也さんと中島健郎さんが、シスパーレ北東壁初登攀をもって、ピオレドール受賞が決定した話です。

この号の特集は、「山岳写真家と歩く北アルプス紅葉~~~」。
巻頭の三宅岳さんの文章を、真っ先に読みました。写真家の文章を読むのって、好きなので。
岳さんのページには、美しい北アルプスの紅葉の写真も添えられています。
これをみて、「いったいこれは北アルプスのどこの山だろう?」と、一瞬首を傾けました。長年山登りをしていれば、北アルプスの名だたる山は、だいたいすぐにわかるはずなのに。

キャプションにある山名をみつけ、これまた「で……北アルプスのどこにある山だっけ?」と、もう一瞬首を傾けました。

そのあとすぐに、「ああ!」と思い出しましたが、ほんとうに一瞬わかりませんでした。このあたりは、緑が綺麗な時期に一度だけ縦走したことがありました。以来訪れておらず、そうか、ここはこんな美しく色づくのか、と思いました。
筆者の岳さんが、「写真はともかく、(選んだのが)意外な山でしょう」と言いましたが、これだけ山を歩き、たくさんの景色を眺めてきたかたこその、選択だったのだと、深くうなづきました。
山岳雑誌にさんざん特集されている、人だかりの紅葉の山々とはある意味、対局にある山。きっとこの秋も、ここは静かなんだろうなあ、と思いました。

そして、黒部の写真を載せている星野秀樹さんが、後半ページに、佐伯邦夫さんの追悼を書いていました。

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2018年7月21日 (土)

ポートレート

ご一緒するのは、二度目。
前回は、30代前半のクライマーのポートレートを撮って下さった。
9月終わり、暑さが残るボルダーでのインタビュー。
本人は、インタビュー中に「いつまでも20代の気分」と語っていた。
彼が学生の頃から面識があるけれど、たしかに初対面の頃と変わらないフレッシュさがある。
けれど、インタビューを終えた日の夜、写真家から送られてきたアタリを100枚近く見ると、そこには、確実に歳を重ねた33歳の素顔があり、ハッとさせられた。

今回は、25年来の親友をインタビューした。
インタビューの場は騒がしく、人通りも多く、さぞ撮りにくかっただろうと思ったけれど、編集者がDorpboxに入れてきた写真は、そんなことは、まったくなく、鮮やかな作品ばかりだった。
それどころか、次々と写真を見るにつれて、なぜだか、泣けてきた。
ほんとうに、泣けてきた。

インタビューの内容は、友人のモノづくりについて。最後の言葉が心に残った。
もはや、彼らが作るものは「老舗」のそれだろうが、老舗だとか、ロングセラーだからとか、考えて作っているわけではない。日々、ただただ、よりよいものにしていこうと作っているだけ。毎日のその積み重ねが、ロングセラーとなる。

知り合ったのは、友人が学校を卒業し、いまの会社に入社したとき。四半世紀以上前。
その間、毎日毎日積み重ねてきたのだということを、インタビューで知り、そしてすっかり「おじさん」になった彼の顔に、その積み重ねがあらわれていて、それをリアルに写してくれた写真ばかりが、並んでいた。
だから、泣けてきた。

親友が親友をインタビューし、普段知らない彼の仕事ぶりに触れ、岩場でも山でも酒場でも見せない顔を見せた。初対面の写真家は、見たことなかったであろう、彼が積み重ねてきたものを写しとる。
だから、泣けてくる。

いったい、どんな感性で私のつたないインタビューを聞き、インタビュイーの表情を見ていたのだろう。すごい写真家さんだなあ、と思った。
感謝。
下の写真は、撮影いただいたものをパソコンの画面に映したときのもの。
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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
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梅雨の晴れ間の打ち合わせ

晴れた日こそ、山に登りたいのだけれど、うまく周期を合わせられず、気持ちよい天気の日に東京で仕事。
暑いけれど、朝夕は涼しい風が吹いたり、真夏よりは少しだけ空気が乾いていて、気持ちよい。

編集者と写真家さんにお会いした。
「山をテーマにした写真家で、好きな人は?」と聞かれ、即答したのは、展覧会があれば必ず足を運ぶようにしている方。「好き」とはとても言えないほど、惹かれる。

「どんな滑りの人が好きなの?」とも聞かれ、スキーについてまったく素人であることと、昨シーズン一緒に滑った人のなかで、という断りをつけて、でも即答したのは、半世紀も滑っているという方。
そういえば、先日、ある友人と話していたとき、彼も、「俺も好きだな」と言っていた。

好きに理由はなく、ただカッコいいと思ったり、惹かれたりするのだと思う。

でも、一見、「なんだろう? 不思議」と思うような滑りだったり、きっと上手な類には入らない滑りであっても、だんだんとよく見えてきたり、こっそり後をついていくと、気持ちよく滑れるときもあったりする。
そういう味わい方もあるのかもなあと、思ったり。

スキーや雪の写真にも詳しいおふたりと話すなかで、自然のなかで、山のなかで、色んな意味でその環境に見合った、調和した滑りをしている人は、やっぱりいいなあと思うのかもしれない。
23区にも、緑を通り抜けた風が吹く場所が、ときどきある。
そんなところで、夕方、少し涼しくなってきてからの、会話。
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2018年5月27日 (日)

下調べ

次のインタビューの下調べ中。
エベレストの探検時代やアルプスにアルピニズムが芽生えた頃の写真や映像をあらう。
そのなかで出会った、一葉の写真。ずっと前に手伝った書籍の表紙に使ったものだった。
奥付をみると、ちょうど20年前であることに、驚き。
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2018年4月26日 (木)

写真機

ある晩、グリンデルにいる日本人達が集まった。
私が、13年ぶりにグリンデルヴァルドを訪ねたということで、長年グリンデルに住む上西さんが、色んな方々に声をかけてくれた。かつてご一緒した方もいれば、初対面の方も。
 
13年前のひと夏、私が暮らしたのは、グリンデルのひとつ下の村のグルンドだった。
ひと夏滞在したけれど、毎日山に登るか、山を歩くか、それ以外の日は下宿先のお父さんのチーズ小屋へ通っていたし、私が生涯唯一、「主婦業」らしきことをしていたときでもあり、めったにグリンデルの街にあがっていくことはなかった。
街へ行くとしたら、当時モンベルの店長をしていた由美を訪ねるか、コープに買い物に行くときだけ。日々の買い物はグルンドの小さなスーパーで充分だった。
だから、グリンデル住む日本人の方々とは、ほとんど交流がなかった。
 
それであっても、「たまにはグリンデルに遊びにおいでよ」「いつでも帰っておいでよ」と言ってくれる方々が、集まってくれた。
そのうえ、グリンデルに取材に来ているというスキー雑誌の編集者や写真家もご一緒できた。
 
「どんなカメラを使っているの?」と聞かれ、2台見せたけれど、そのうちのひとつは、ちっとも面白いと思えず、好きになれず、けれど山を歩きながらも、どんな天候でも手軽に撮れるから使い続けていた。
以前もそんな話を、ある写真家さんにしたところ、「これは、いいカメラですよ」と言うものだから、そんなに魅力があるのかなあ、と思い探りながら、また使い続けた。
 
「面白いと思えないカメラは、面白くないよね」と、グリンデルの写真家さん。
そのうえ手にとって、のぞき込むと、「随分、レンズがやられているんじゃない」と。
日本からやってきた、もうひとりの写真家さんが手にとり、のぞき込んでくれた。
そして、無言でパンツのポケットから布を出し、レンズを丁寧に拭いてくれた。
「これで、随分よくなったと思いますよ」と。
 
あんまりに恥ずかしかった。
取材後、夜半、コチラの飲み会に顔を出してくれ、カメラを持ってきた様子もないのに、ポケットにはレンズを拭く布切れが。
一方でハンカチの1枚もポケットに入っていない私。
 
もう少し使ってみるかなあと、その面白くなれないカメラで何枚か、テーブルの上のグラスを撮ってみた。
それでもあんまり好きになれずにいたら、こんなカメラはどお、と幾つか教えてくれた。
楽しいと思えるカメラで、やっぱり撮ってみたい。
一眼レフについているレンズが、大好きなように。
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2018年3月10日 (土)

正方形の故郷

編集者の小島一郎さんからいただいた写真展のご案内。
釣りの雑誌から山岳雑誌の編集に移り、一緒に仕事をするご縁ができた。
お名前は釣りの雑誌の頃こそ聞いていたけれど、初めてご一緒するときに思わず、「小島一郎ですか!」と言ってしまった。津軽の小島一郎と同姓同名。
 
仕事をご一緒した方々の展覧会はなるべく足を運びたいと思っている。
彼らが、いつもの仕事の場ではみせない顔、表現をみせてくれる場に。
どんだけ、それに注力したのか。
 
だというのに、小島さんの「正方形の故郷」には行きそびれてしまった。
お詫びのメールを書きながら、あらためてご案内の葉書を見入った。
いったい、「正方形の故郷」ってどういう意味だろう。正方形にしか故郷はないのか。この背景の建物はどこだろう。なぜマスクをかぶっているのか。
そうこうしているうちに、ひょんなことから、舞台が横浜の寿町だということを知った。そして、まったくの後悔をした。
 
前職で通った、故大沢敏郎さんの寿識字学校。私はここで、言葉の意味や文章
を書くことを、大沢さんから、寿町の在日韓国人たちから、教わったと思っている。
自分の仕事において、原点に立ち返るとしたら、ここしかないと。
 
そんな寿町をテーマにした小島さんの写真展は、このあと大阪ニコンへと。
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2017年11月22日 (水)

そして、みたび

こんな短期間に3回も通うとは思ってもいなかったが、タイミングが合った。
そう際立って、アンセル・アダムスのファンというわけではないのだが。
色んな方々から教えてもらったことを心のなかで繰り返しながら、見入ったり。
極僅かだけれど、ヨセミテ・バレーやトォルミ・メドウに身を置いたときの、その場と時を想起したり。

写真展は通うものなのだと、つくづく思った。
わざわざ訪ねるだけでなく、なにかの折にふらっと立ち寄って、繰り返し見つめ入るもの。
美術館も映画館も、ほんとうはそんな存在なんだろうな。
 
オーケストラの友人が、「カーネギーホールで、マーラー6番の開演直前に「Obstructed Viewのチケットくれ」と言ったら10ドルだったけれど、サントリーホールで母校大学オケが演奏するマーラー5番は10ドル以下、お得だね」と言っていたが、きっと音楽も同じ。日常にあるもの、日常にありたいもの。

 

2017年11月21日 (火)

写真展は通うもの

土曜日、長野から東京にやってきていた仕事仲間の写真家さんと待ち合わせ、写真展「二十世紀の巨匠 美と崇高の風景写真家 アンセル・アダムス」へ行った。
高校の写真部のときの話などを聞きながら、どの作品が好きか、あれこれ会話しながら観て回るのは面白かった。
 
「写真として好きなのは”ハーフドーム吹雪”だけれど、部屋に飾りたいのは”アスペンス”」「”アスペンス”はふたつともいいね、ひかりが好き。”網戸の向こうの女性”や”グレッシャーポイントからの月の出”もいいな」とか。
アンセル・アダムスが自分の影を写した写真を前にして、彼が手に掲げているのは「露出計?」と聞くと、「フィルムホルダーでしょう」と教えてくれた。昔の露出計はこんなに大きくないそうだ。だいたいのモノが小型化していくのが世の流れだと思うが、露出計は時代とともに機能が増えて、大きくなったのだと。へええ。
ピントがうしろに来ていることや、影がぼやんとしていることに、あーでもない、こーでもないと。
 
これまで写真展というと、そのほとんどは一人で行った。
けれどこうやって、人と話をしながら回るのも楽しいものだと、知った。
 
そして1日置いて月曜日、また同じくアンセル・アダムスの写真展へ行ってきた。
 
以前、一緒に連載をした写真家さんが、写真展の出口にあったアンセル・アダムスとツーショットが撮れるパネルの前で写真を撮ってあげるよ、と声をかけてくれた。
そんな大の写真家さんにシャッターを押してもらうなんて、とんでもない、と思ったが、私のコンデジを使って、「上手く撮れるかなあ」と言いながら撮ってくれたそれは、どれも面白い写真だった。知らぬまにたくさん撮ってくれていた。
まったく、素人の私とは違う。
(↓撮っていただいた写真を加工したのは、私自身)
 
アンセル・アダムスの写真の数々は学校のテキストにもよく使われていたといい、その内容をひとつひとつ教えてくれた。
 
撮影年は表記されているが、現像された年はどこにも載っていない。けれど、焼き上がりの様子を見ながら、おそらくこれぐらいの年代だろうと教えてくれた。
ポラロイドの仕上がりについても教えてもらうと、その浜辺の砂がより味わい深く見えてくる。
 
大判カメラは後ろに焦点がいきやすいが、手前をどのように表現しているか、静物をどんなに表現しているか、ひかりがどこからあたっているか、全体のバランスを取りながらか明るいところをどこまで表現しているか。
 
ゾーンシステムや、ゾーンセブン、エルナンデスの月の出の作品についても。
 
二度目に見ると、そして色んなことを教えてもらいながら見ると、いっそう奥深く、広く見えてくるものがある。いままで見えていなかったものが、浮かび上がってくる。
それは理論的に写真を見るというよりも、理論やメカニズムを理解したうえで、その上に築かれた感覚や感情の世界を見るような。
 
2時間ちかくかけてひとつひとつ見て回った。
前日は、ある有名写真美術館のキューレーターが来て、写真解説をしていたというが、そんなことはちっとも羨ましいと思わないほど、私も濃密な話を聞きながら、贅沢な時間を過ごした。
そして、思った。彼はまたきっと後日、ここに来るだろうし、私もまた行こうと。
こんどは一人でも行ってみようと思うし、一緒にこの写真を見て回りたいなって思う人もいたり。
写真展は、通い続けて見るものなんだと、思った。
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  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

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