mountaineering

2020年6月18日 (木)

竹内洋岳さんインタビュー@山歩みち

はじめて『山歩みち』に書きました。

竹内洋岳さんを、2月下旬にインタビュー。
プロ登山家が取り組む野外教育についてです。登山学校をやりたかったのではない、野外教育に取り組みたかった、その考えや実践している内容をお聞きしました。
インタビュー最後の「新型コロナウイルス」については、4月12日にお聞きしました。
その後、想定外に発行が延びに延びたけれど、竹内さんが述べていることは普遍であり、今のこの日に読んでも、読者の皆さん、それぞれが感じることがあると思います。

木村和也編集長からの「編集ウラ話」には、熱い思いが語られています。「日本のこれからの山登りは今置かれているこの状況がすべての出発点であり、それは奇跡的と思えるほどすばらしい状況で、その基盤作りには多くの人が関わり、不断の努力で紡ぎ上げてきた……」と。ちょっと引用が長すぎましたね、実際のこのペーパーを読んでいただきたいです。

そして、私からの「インタビューウラ話」は、インタビュー当日の木村さんの存在にとても助けられました。編集者らしい介入でインタビューに立ち会ってくれました。長年の仕事仲間だけれど、じつは一緒に仕事をする機会は、数えるほどしかなく。また、あの苦しい4月の時期に、竹内さんのことを書くことができたのは、私にとっても救いでした。

特集「親子で山さんぽ。」、JMGA監修の山登りの心得、三宅島クライミングガイドの紹介、カナダの山岳ガイド谷剛士さんの記事など、満載です。

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2020年5月16日 (土)

平成を登った女性たち/田部井淳子さん@山と溪谷6月号

現在発売中の『山と溪谷』6月号「平成を登った女性たち」(隔月連載)は、田部井淳子さんについて書きました。
(なお、この記事はアマゾンプライムでも読むことができます)平成元年、田部井さんは50歳です。
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田部井さんを喪ったあとの吉田三菜子さん(秘書役)の一言が、天晴れです。
私自身はまだそんな気持ちになれてないどうしようもなく中途半端な人間なんだなと思いました。
だから、いまでも田部井さんの取材をしたりインタビューをされると、涙が止まらなくなるときがある。
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ただ最近思うのは、田部井さんが育ててくださった世界中に散らばっている私たちが、めぐり逢い、有機的な結びつきを作っていることです。それを天から眺めて、喜んでくれたり、笑い転げたりしていることと、思います。

田部井さんのリーダーシップを語りたく、昭和女子大理事長・総長の坂東眞理子さんと山田淳さんにインタビューしました。
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もっとも大切な女性をひとり、インタビューできないまま記事を書きました。書籍にするときに、お願いすることになっています。
後半に、夫・政伸さんの言葉を長く紹介しました。

 

今日は、田部井淳子さんがエベレストに登頂した日です。

 

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2020年4月21日 (火)

4月21日

これは、日本中にある山小屋のほんの一例です。
いいえ、山小屋に限らず、いろんな商いの、ほんの一例です。
ほんの一例だけれど、とても近しく思っている山小屋のことなので、書きます。

 

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4月21日
今日の上高地、雲は多いけれど、穏やかな朝だろうか。

 

写真は、昨夏久しぶりに登った水晶岳手前から撮ったもの。
槍ヶ岳の奥に滝谷を従えた穂高連峰。この方角から眺めるのが久しぶりだった。
全日の豪雨があがり、朝日をあびた岩肌が美しく輝いていた。
何度も振り返りながら、登った。

 

しばらく登山はお預けで、山は静かだけれど、山小屋や登山道を維持するために働いている方々は、今日もいる。
穂高連峰の山小屋の方々も、同様。
今日は、北穂高小屋も小屋開け作業のために入山する日だ。
毎年この日、上高地のヘリポートを飛び立つ。奥穂前穂と越えて、滝谷を見下ろしながら、北穂山頂でホバリング。
山頂で大きく手を広げて誘導してくれるのは、大概ナベさん。涸沢からひとり、上がってくるのだ。まっさらな雪の斜面を。
雪がべっとりとついた山頂に降りるとき、緊張する。

 

けれどその緊張はまったくの始まりであり、これから1週間強かけて、10人ほどで山小屋を掘り起こす。
屋根の片隅が出ていればよいほうで、前穂北尾根と槍ヶ岳の角度から、掘り始める位置を決め、玄関にたどり着き、最初のひとりが入ることができるまで数時間。
ともかくその日は、全員が小屋に入ることが目標だ。
思い起こしても、山頂直下の切れ立った雪の斜面での、その作業は、毎日が本気であり、緊張の糸はピンと張ったままだった。

 

ほかの穂高連峰の山小屋も、またほかの地域の山小屋も同様だろうけれど、今年は営業の見通しが立っていないため、わずかな人数で入山し、作業をしている。
先日、北穂の主人である小山義秀さんと話をするなかで、いくらGWの営業がないとはいえ、その人数で掘り起こすのかと、電話中にスマホを落としそうになった。

 

どうかどうか、安全に、無事で。

 

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2020年4月16日 (木)

渡邊直子さん14座目指してインタビュー@『山と溪谷』5月号

『山と溪谷』5月号(4/15発売)のヘッドラインで渡邊直子さんをインタビュー。
これまで8000m峰7座に登頂。来年一気に残りの7座を目指すという。
いずれも、現地エージェントの商業登山隊に参加。

昨年のニムス・ダイの6ヶ月14座といい、おのおのの価値観やタクティクスには、驚くこと多々。
山の楽しみ方、歓びは、まったく人それぞれ。

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2020年3月24日 (火)

わたしの旅の相棒@ランドネ5月号

先日発売になった、ランドネ5月号。
「わたしの旅の相棒」に4人がエッセイを寄稿しています。
旅に心強い、自分のお気に入りの持ち物について、旅のエピソードと絡めながら紹介するもの。

 

私は、カンチェンジュンガの眺めが素晴らしいダージリンに通った日々のこと、ふたつの川の流れがティスタ川というひとつの流れになるのを見下ろす高台、そしてベンガル平原へとぐいぐいと標高を下げていく、そんな旅の途次にストールと出会ったことを書きました。
それはまさに、ヒマラヤの氷雪嶺に端をはっした川の流れが、大地をかけ流れ、ベンガル平原を肥沃な土地へとしていくのを眺めたどる、ダイナミックな道のりです。行きはこの道をのぼり、帰りはくだる、そんなダージリンやシッキム通いが続いた時代たありました。
だから、遠くから眺めたことしかないカンチェンジュンガが好きなのかもしれません。

 

ランドネでは、エッセイや少し落ち着いたインタビューを書かせてもらう機会が多いです。
以前、携えたい本を3冊紹介するエッセイを書いた時も同様でしたが、ランドネの主たる読者層だけでなく、そこから外れた10代の女性や50代の男性にも読んでいただけたら嬉しい、そんな気持ちになります、いつも。
それは、10代の女性はいずれ、ランドネ読者のボリュームゾーンの年齢になるだろうし、また50代まで歳を重ねた男性にも、20代、30代の女性のことを、理解してもらいたいと思うからかもしれません。

 

ちょっと離れたページに釣り師+写真家である仕事仲間の杉本航さんが、登山道整備について書いていています。
「理想の登山道」について。こちらも、ぜひどうぞ。

 

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2020年3月23日 (月)

三日月山(福岡)@毎日新聞、そして竹内洋岳さんによる日下田實さん追悼

今朝のわくわく山歩き@毎日新聞朝刊は、福岡市の郊外にある三日月山です。
webはコチラ https://mainichi.jp/articles/20200323/ddm/014/070/052000c(有料)
タイトルは、「里山でアラスカ思う」。

敬愛する登山家・栗秋正寿さんと、黒田誠さん(国際山岳ガイド・写真家)、増本亮さん(クライマー)らと登ったときのこと。栗秋さんが単身通い続ける厳冬のアラスカ、そして黒田さんや増本さんが経験してきた国内外の各地の厳しい登攀、それらが、日常の里山と結びつく瞬間。
先日インタビューした、あるクライマーの話にも共通します。自然のなかで激しいまでの経験をした人が、穏やかな自然も知っており、そのふり幅が、そのままその人の人柄だったり人生に表れるように思います。こんな風にふり幅が大きな人は、生涯を通じて、山を楽しむことができるのです。


三日月山は、栗秋さんのお宅からもよく見えます。台所にある窓から毎朝三日月山を見るのが習慣。そんなエピソードは、『山と溪谷』1月号の「100人で選ぶ名山100」に、ご本人が寄せていました。

さて。
同紙の「悼む」に、日下田實さんがあります。日本隊がマナスル初登頂したときのサミッター。書き手は、プロ登山家の竹内洋岳さん。竹内さんは、生前の彼との交流のなかから幾つかの思い出を書いています。おふたりが座談会をしたとき、書き手として同席しましたが、あのとき一番心に残った日下田さんの言葉を、竹内さんも紙面に紹介しています。
ぜひ、キオスクかコンビニへ走り、毎日新聞を。

 

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2020年3月15日 (日)

山野井妙子さんインタビュー@『山と溪谷』4月号

発売中の『山と溪谷』4月号から、隔月連載「平成を登った女性たち」を始めます。
昨年1月号で平成期の日本人女性の登山について書いたのがきっかけであり、それ以前の歴史は大先輩の板倉登喜子さんと梅野淑子さんが『日本人女性登山史』にまとめているからです。
担当編集者のかねてからの思いで始まりましたが、いったい平成がどんな時代だったのか、いま女性を取り上げる意味をどこに求めるのか考えながら連載することになりそうです。

 

平成元年(1989年)、ブッシュ大統領就任、手塚治虫、美空ひばりが死去、週休二日制、土井たか子社会党が第一党、ベルリンの壁崩壊、ヒットはプリプリのDiamonds、魔女の宅急便、ばななのTSUGUMI、Hanako創刊。

 

初回は、そんな時代性と全く無縁の山野井妙子さんです。彼女が登攀対象をヨーロッパからヒマラヤへと移行し始めたころ。
たった4ページで、妙子さんの平成期のクライミングを語ることはできません。超駆け足ですが、この先もっとじっくり書いていきますので、お許しください。ひとつ先とそのまたひとつ先を見据えて、今回はさわりのように記事を書きました。

ふたつ先までたどり着くには時間を要しますが、どうかまずは、今回の記事を読んでいただきたいと思います。
また、もし読者の方々から感想をいただける機会があれば、とても嬉しいです。
タイトルは「世界レベルに達したアルパインクライマー。心の赴くままに登り続けた。」
少しでも、妙子さんのクライミングや人となりを感じてもらいたいです。

 

ほとんど記録を残してこなかったどころか、記憶にも留めない彼女を、横で支えインタビューに応えてくれたのは泰史さん。
それと彼女の山の仲間たち。
録音は10時間近く回していますが、「うーん、思い出せない」が続くので、正味7時間ぐらいか。

 

写真のギアは、よくご覧いただくとどんな細工がされているかわかると思います。一時期、ウチのカムにも同じ細工が……(笑)。
ボルダリングの写真は「ひよこ岩」。福岡銘菓のひよこに似ているから、私が名付けました。場所は四川省ダオチェン。リータンよりもさらに奥のあたりです。ボルダリングマットは、旅の途次に買ったチベタン布団。ギャチュンカンからの生還の翌年。

 

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2020年3月13日 (金)

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんインタビュー@イワタニプリムス

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんをインタビューしました。
ご自身の原点、ガイディング、そして日本の登山社会を見渡して。

 

初めてお会いしたのは、彼が20そこそこのころ。ビッグマウンテンスキーヤーとして世界を転戦していたとき。首が太い人だなあと思ったのを覚えています。その理由は、すぐに理解するのですが。
30代、軸足をガイドに移し、国際山岳ガイドにもなります。この間も仕事のこと、なまら癖-Xの登山やスキーの旅、デナリ南西壁大滑降など、何度かインタビューする機会に恵まれました。
42歳になり、何を見据えているのかという問いに、予想と違う答えが返ってきました。

 

ところで。ご自身を「ラッキーボーイ」と言い、挫折知らずだと。挫折しそうなぐらい困難なことがあっても、それを静かに乗り越える能力と精神力を備えているのだと私は思いますが、ひとつだけ痛恨の出来事がある、というので聞かせてもらいました。
それは笑っちゃうぐらいのことで、「それ、大輔さんがダメだね」って笑い返しました。札幌市内でのこと。一緒だった国際山岳ガイドの皆さんは、思い当たる節があるのでは。

 

そんな話をするのも大輔さんのチャーミングなところ。
持論ですが、トップアスリートは、強い信念(自分の才能を信じる力)、飛びぬけた集中力、抜群のバランス能力などと合わせて、繊細でチャーミングな面も持ち合わせています。
もちろん、佐々木大輔さんも。

 

1月下旬の雷電海岸の写真は、二木亜矢子さん。ポートレートは中垣美沙さん。女性3人で、お届けする記事です。
https://www.iwatani-primus.co.jp/realvoice/5.html
*ブログの写真は、私がパチリと撮ったものです*

 

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2020年2月29日 (土)

校了、責了

下旬に4本締め切りが重なり、2月はずっと苦しかった。

1本は週末に下版。久しぶりに記事を読んでくれた者が、「いいんじゃない」といつもの返事。

もう1本は、昨日校了。

2年に1度ぐらい褒めてくれる編集者が、原稿を読むなり「もっと書きましょう」と言い出した。

ありがたい。次の単行本のその先を考えよう。

長年親しくしてきた友人であるクライマーの物語。親しいけれど、人間誰だって色んな顔があるわけで、私の知らない素顔もたくさんあるはず。

唯一無二のクライミングのパートナーに読んでもらい、少しは、書けたのかなあと自惚れた。次はもっと書こう。

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次の1本は、日中のガイディングを終えた身で、ついさきほど夜遅くまで最後の仕上げに付き合ってもらい、なんとか責了に持ち込めそう。チャーミングで器がどデカいクライマーの胸を借りて書かせてもらった。

最後の1本、初めて、カンチェンジュンガのことを書いた。編集者に預けた、あとはどーにでも料理してください。

.

こう考えると、全部周囲の人たちに書かせてもらっている。

3月も書き続けます。

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2020年2月24日 (月)

旭岳@わくわく山歩き/毎日新聞

今朝の「わくわく山歩き」@毎日新聞は北海道の旭岳です。
webでも読むことができますが、「世界のどこかで乾杯」など他の記事もおもしろいので、ぜひキオスクかコンビニへどうぞ!

 

山のコースガイドや紹介ではなく、個人的な思い入れも交えながら綴るエッセイ連載です。
厳冬の旭岳は近づくことすら難しいこともあるし、新聞という媒体の性質を考えると、夏に書くのがよいかなと思っていました。
ロープウェイがあり遊歩道もあり、広く多くの方々に楽しんでもらえる季節になるから。
けれど改めて考えたら、私は雪の旭岳しか知りませんでした。

 

雪のない季節は、義父母を連れて、文中にもある春菜夫妻の宿「ヌタプカウシペ」に1泊したのが最初。
初夏の躍動的な旭岳を目の前にしたのは、皮肉にも2年前の6月のことです。
白馬に向けてクルマを走らせている最中、電話が入りとんぼ返り。羽田から旭川空港にとび、春菜さんのお別れに行ったときでした。
この2回だけ、山麓から旭岳を仰ぎました。

 

旭岳との最初の出会いからずっと私の中にいる春菜夫妻のことは、これまでも少しだけ書いたことがありましたが、新聞に書くのは初めてです。
今回の文章は、故・春菜秀則さんに捧げます。
そして、東川町の皆さん、ありがとうございます。

 

web(有料)→ コチラ

 

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