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2020年9月20日 (日)

平出+中島ペア、ピオレドール受賞@ヤマケイと、ピオレドールイベントへ

同じく本日発売『山と溪谷』10月号トップニュース。
平出和也さんと中島健郎さんのピオレドール受賞について。
昨年夏ラカポシ南壁初登攀。登攀の内容は、中島さんがロクスノ85号に書いています。
今回は一人ずつの短いインタビューでしたが、それでもふたりに対して新鮮な発見が幾つもありました。
15年以上にもわたって、ふたりが変容していく様子を見せてもらい、繰り返し書かせてもらえることには、感謝しかありません。
まだまだ書かせてもらいたいこと、見せてもらいたいものがあります。
これまで築いてきた関係を大切に、書き手も精進します。
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さて、今回のピオレドール、チャムラン北西壁初登攀(マルク・ホレチュク+ズデニュク・ハーク)、テンギラギタウ西壁初登攀、リンクサール初登頂と、日本人と縁のある山が並びました。
チャムランは、今井健司さん、一村文隆さんの魂がある山。受賞のふたりは、平出+中島ペアもよく知るクライマーです。
テンギラギタウ西壁は、各国のクライマーが挑んだと思いますが、日本からも、花谷泰広さん+鈴木啓紀さん、そして高柳傑さんら。
リンクサールは1979年、なんと40年前に立正大学チームが初めて試登した山です。
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そして昨日、新しくオープンした石井スポーツ宇都宮駅前店のイベントへ行ってきました。
中島さんと、かつてカランカ北壁でピオレドールを受賞し、今回でピオレドールの審査員をつとめるのが2度目の天野和明さんのトークイベント。
ふたりそれぞれから、リアルな声を聞くことができ、とっても面白かったです。
ふたりとも、ふり幅のあるクライマーであり、山岳カメラマンであり、山岳ガイド。

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2020年8月26日 (水)

兄貴/近藤謙司さん

コチラの方のことを、「兄貴」と呼ぶ人は多い。
けれど、私はとても呼べなかったなあ。
いまの仕事をする以前から、高校生の頃から、名前は知っていた。
お会いして、話をするようになったのは、18年前の今ごろ。
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以来、いいときもそうでないときも、たくさん書かせてもらってきた。
それでも昨日、初めて聞いた話があった。
カンチェンジュンガのこと、知らなかったよ。
そして、まだまだ書きたいことがある。
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書くだけでなく、ものすごくたくさんのめんどうもみてもらってきた。
下山後、土砂降りのなか傘もささずに、グルンドからグリンデルまで坂道を登り歩いたこと、覚えていないというけれど。
私が土のう袋に座って、毎日ご飯を食べていたことを、いつも笑い転げて話す。ちょっとデフォルメされていると思う、その記憶。
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生意気承知で言わせてもらえば、けっして順風満帆のときばかりではなかっただろうけれど、20歳あたりからこの業界に身を置き40年近く。
その間ずっと、こんなにも周囲が愛し、信頼するのは、謙司さんの人柄そのものなんだと、つくづく思う。
職業は「山岳ガイド」。けれど、登山者や顧客にとっても、そして同業の私達にとっても、「山岳ガイド」という言葉ではくくれない存在。
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写真は、真昼間のアドベンチャーガイズ事務所近くにて。

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2020年8月17日 (月)

柳沢太貴さんインタビュー@PEAKS web

赤岳鉱泉・行者小屋の当主、柳沢太貴さんのインタビューを、PEAKS webに前編・後編に分けて書きました。
山歩みちwebに続き、2本目です。

 

7月、何度か太貴さんに会いましたが、会うたびに表情が引き締まっていくのを間近でみました。
また、記事に書きましたが、下旬には再開に向けた最終調整で、太貴さんと一緒に入山する機会に恵まれました。
時間にすれば短い道のりですが、山小屋の当主と、その方が経営する山小屋に入山するというのは、なんとも贅沢なんだと、学びや気づきがたくさんありました。

 

今回の記事には、支配人の佐藤至さんのことも書きました。
これには、きっかけがあります。
会社経営する仕事仲間が、「起業したとき、一人目の社員をこと大切に考えた」と話したことに由来します。最初のその人と、どれだけ向き合い大切にできるかは、その後の経営に関わってくるというような話でしたが、太貴さんにとっては、佐藤さんだったわけです。

 

8月からの宿泊営業再開は、結果的には再開を後押しするタイミングではありませんでした。けれど、この先何度も押し寄せるだろう波に、柔軟に慎重に、一本の筋をもって向かっていくのだろうなあと、太貴さんの姿勢は信頼できるものでした。それは、チーム「赤岳鉱泉・行者小屋」の皆さんも同じです。

 

写真は、赤岳鉱泉・行者小屋の従業員、中野淳平さんです。
2本の記事、よかったら読んでください。

 

[前編] https://funq.jp/peaks/article/616712/ [後編] https://funq.jp/peaks/article/616736/

 

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2020年7月21日 (火)

柳沢太貴さんインタビュー@山歩みちweb

トップアスリートが記者会見で、伏し目がちにまばたきひとつせず応えるさまを、ときどきみる。まさにそんな感じのインタビューだった。集中し思慮深く応える。
心が揺さぶられたときに、知らず知らずのうちにつつつっと涙が流れ出て、いつの間にかそれが乾く。まるで最初から乾いた涙だったのではないか、と錯覚するような涙のあとが残る。
そんな経験をした、私自身も心に残る貴重なインタビューだった。

8月の宿泊営業再開を決めた赤岳鉱泉4代目主人・柳沢太貴さん。
私にとっては大切なチームメイトであり、4月半ばからは毎日のように連絡を取っていて、果たしてフラットな視線で書けるのか、書いてよいのか悩んだけれど、ふたつの編集部から依頼いただき、インタビューを続けている。
私の心配は、まさに太貴さんには失礼なことだったことは、インタビューを始めてすぐにわかった。人間関係はもちろん、物事にけじめをつける人。
そして、コロナの話を聞きにいったはずが、まったくそれを超えた話を聞かせてもらった。

このあと、記事は3本続きます。

赤岳鉱泉・行者小屋の営業状況については、webサイト、Facebookをご確認ください。状況に応じて臨機応変に対応していくとのこと。

https://3pomichi.com/6435

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2020年6月18日 (木)

竹内洋岳さんインタビュー@山歩みち

はじめて『山歩みち』に書きました。

竹内洋岳さんを、2月下旬にインタビュー。
プロ登山家が取り組む野外教育についてです。登山学校をやりたかったのではない、野外教育に取り組みたかった、その考えや実践している内容をお聞きしました。
インタビュー最後の「新型コロナウイルス」については、4月12日にお聞きしました。
その後、想定外に発行が延びに延びたけれど、竹内さんが述べていることは普遍であり、今のこの日に読んでも、読者の皆さん、それぞれが感じることがあると思います。

木村和也編集長からの「編集ウラ話」には、熱い思いが語られています。「日本のこれからの山登りは今置かれているこの状況がすべての出発点であり、それは奇跡的と思えるほどすばらしい状況で、その基盤作りには多くの人が関わり、不断の努力で紡ぎ上げてきた……」と。ちょっと引用が長すぎましたね、実際のこのペーパーを読んでいただきたいです。

そして、私からの「インタビューウラ話」は、インタビュー当日の木村さんの存在にとても助けられました。編集者らしい介入でインタビューに立ち会ってくれました。長年の仕事仲間だけれど、じつは一緒に仕事をする機会は、数えるほどしかなく。また、あの苦しい4月の時期に、竹内さんのことを書くことができたのは、私にとっても救いでした。

特集「親子で山さんぽ。」、JMGA監修の山登りの心得、三宅島クライミングガイドの紹介、カナダの山岳ガイド谷剛士さんの記事など、満載です。

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2020年5月16日 (土)

平成を登った女性たち/田部井淳子さん@山と溪谷6月号

現在発売中の『山と溪谷』6月号「平成を登った女性たち」(隔月連載)は、田部井淳子さんについて書きました。
(なお、この記事はアマゾンプライムでも読むことができます)平成元年、田部井さんは50歳です。
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田部井さんを喪ったあとの吉田三菜子さん(秘書役)の一言が、天晴れです。
私自身はまだそんな気持ちになれてないどうしようもなく中途半端な人間なんだなと思いました。
だから、いまでも田部井さんの取材をしたりインタビューをされると、涙が止まらなくなるときがある。
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ただ最近思うのは、田部井さんが育ててくださった世界中に散らばっている私たちが、めぐり逢い、有機的な結びつきを作っていることです。それを天から眺めて、喜んでくれたり、笑い転げたりしていることと、思います。

田部井さんのリーダーシップを語りたく、昭和女子大理事長・総長の坂東眞理子さんと山田淳さんにインタビューしました。
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もっとも大切な女性をひとり、インタビューできないまま記事を書きました。書籍にするときに、お願いすることになっています。
後半に、夫・政伸さんの言葉を長く紹介しました。

 

今日は、田部井淳子さんがエベレストに登頂した日です。

 

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2020年4月16日 (木)

渡邊直子さん14座目指してインタビュー@『山と溪谷』5月号

『山と溪谷』5月号(4/15発売)のヘッドラインで渡邊直子さんをインタビュー。
これまで8000m峰7座に登頂。来年一気に残りの7座を目指すという。
いずれも、現地エージェントの商業登山隊に参加。

昨年のニムス・ダイの6ヶ月14座といい、おのおのの価値観やタクティクスには、驚くこと多々。
山の楽しみ方、歓びは、まったく人それぞれ。

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2020年3月23日 (月)

三日月山(福岡)@毎日新聞、そして竹内洋岳さんによる日下田實さん追悼

今朝のわくわく山歩き@毎日新聞朝刊は、福岡市の郊外にある三日月山です。
webはコチラ https://mainichi.jp/articles/20200323/ddm/014/070/052000c(有料)
タイトルは、「里山でアラスカ思う」。

敬愛する登山家・栗秋正寿さんと、黒田誠さん(国際山岳ガイド・写真家)、増本亮さん(クライマー)らと登ったときのこと。栗秋さんが単身通い続ける厳冬のアラスカ、そして黒田さんや増本さんが経験してきた国内外の各地の厳しい登攀、それらが、日常の里山と結びつく瞬間。
先日インタビューした、あるクライマーの話にも共通します。自然のなかで激しいまでの経験をした人が、穏やかな自然も知っており、そのふり幅が、そのままその人の人柄だったり人生に表れるように思います。こんな風にふり幅が大きな人は、生涯を通じて、山を楽しむことができるのです。


三日月山は、栗秋さんのお宅からもよく見えます。台所にある窓から毎朝三日月山を見るのが習慣。そんなエピソードは、『山と溪谷』1月号の「100人で選ぶ名山100」に、ご本人が寄せていました。

さて。
同紙の「悼む」に、日下田實さんがあります。日本隊がマナスル初登頂したときのサミッター。書き手は、プロ登山家の竹内洋岳さん。竹内さんは、生前の彼との交流のなかから幾つかの思い出を書いています。おふたりが座談会をしたとき、書き手として同席しましたが、あのとき一番心に残った日下田さんの言葉を、竹内さんも紙面に紹介しています。
ぜひ、キオスクかコンビニへ走り、毎日新聞を。

 

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2020年3月15日 (日)

山野井妙子さんインタビュー@『山と溪谷』4月号

発売中の『山と溪谷』4月号から、隔月連載「平成を登った女性たち」を始めます。
昨年1月号で平成期の日本人女性の登山について書いたのがきっかけであり、それ以前の歴史は大先輩の板倉登喜子さんと梅野淑子さんが『日本人女性登山史』にまとめているからです。
担当編集者のかねてからの思いで始まりましたが、いったい平成がどんな時代だったのか、いま女性を取り上げる意味をどこに求めるのか考えながら連載することになりそうです。

 

平成元年(1989年)、ブッシュ大統領就任、手塚治虫、美空ひばりが死去、週休二日制、土井たか子社会党が第一党、ベルリンの壁崩壊、ヒットはプリプリのDiamonds、魔女の宅急便、ばななのTSUGUMI、Hanako創刊。

 

初回は、そんな時代性と全く無縁の山野井妙子さんです。彼女が登攀対象をヨーロッパからヒマラヤへと移行し始めたころ。
たった4ページで、妙子さんの平成期のクライミングを語ることはできません。超駆け足ですが、この先もっとじっくり書いていきますので、お許しください。ひとつ先とそのまたひとつ先を見据えて、今回はさわりのように記事を書きました。

ふたつ先までたどり着くには時間を要しますが、どうかまずは、今回の記事を読んでいただきたいと思います。
また、もし読者の方々から感想をいただける機会があれば、とても嬉しいです。
タイトルは「世界レベルに達したアルパインクライマー。心の赴くままに登り続けた。」
少しでも、妙子さんのクライミングや人となりを感じてもらいたいです。

 

ほとんど記録を残してこなかったどころか、記憶にも留めない彼女を、横で支えインタビューに応えてくれたのは泰史さん。
それと彼女の山の仲間たち。
録音は10時間近く回していますが、「うーん、思い出せない」が続くので、正味7時間ぐらいか。

 

写真のギアは、よくご覧いただくとどんな細工がされているかわかると思います。一時期、ウチのカムにも同じ細工が……(笑)。
ボルダリングの写真は「ひよこ岩」。福岡銘菓のひよこに似ているから、私が名付けました。場所は四川省ダオチェン。リータンよりもさらに奥のあたりです。ボルダリングマットは、旅の途次に買ったチベタン布団。ギャチュンカンからの生還の翌年。

 

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2020年3月13日 (金)

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんインタビュー@イワタニプリムス

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんをインタビューしました。
ご自身の原点、ガイディング、そして日本の登山社会を見渡して。

 

初めてお会いしたのは、彼が20そこそこのころ。ビッグマウンテンスキーヤーとして世界を転戦していたとき。首が太い人だなあと思ったのを覚えています。その理由は、すぐに理解するのですが。
30代、軸足をガイドに移し、国際山岳ガイドにもなります。この間も仕事のこと、なまら癖-Xの登山やスキーの旅、デナリ南西壁大滑降など、何度かインタビューする機会に恵まれました。
42歳になり、何を見据えているのかという問いに、予想と違う答えが返ってきました。

 

ところで。ご自身を「ラッキーボーイ」と言い、挫折知らずだと。挫折しそうなぐらい困難なことがあっても、それを静かに乗り越える能力と精神力を備えているのだと私は思いますが、ひとつだけ痛恨の出来事がある、というので聞かせてもらいました。
それは笑っちゃうぐらいのことで、「それ、大輔さんがダメだね」って笑い返しました。札幌市内でのこと。一緒だった国際山岳ガイドの皆さんは、思い当たる節があるのでは。

 

そんな話をするのも大輔さんのチャーミングなところ。
持論ですが、トップアスリートは、強い信念(自分の才能を信じる力)、飛びぬけた集中力、抜群のバランス能力などと合わせて、繊細でチャーミングな面も持ち合わせています。
もちろん、佐々木大輔さんも。

 

1月下旬の雷電海岸の写真は、二木亜矢子さん。ポートレートは中垣美沙さん。女性3人で、お届けする記事です。
https://www.iwatani-primus.co.jp/realvoice/5.html
*ブログの写真は、私がパチリと撮ったものです*

 

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