interview

2023年3月16日 (木)

12days to 彼女たちの山_遠藤由加さん

【12days to 彼女たちの山】
1章に登場いただいたのは、クライマーの遠藤由加さんです。
今日は、由加さんの自著を紹介したくご本人ではなく本の写真を載せます。

由加さんは「SNSには好きなように書いて」と言ってくれたけれど、言葉になりません。
初めてお会いしたのは、三つ峠での取材。1990年代後半だったか?
由加さんが懇意にしていた木村東吉さんと三つ峠の岩場を登るのを、編集とカメラを兼任したのが故敷島悦朗さん(私の大好きな先輩でした)、私がふたりのやり取りを文章で収録。
随分経ってから由加さんが、「あのときキュロット履いてきたでしょー。女の子やなー」みたいなコトを言っていたのですが、私……キュロットって持っていないし、膝丈短パンというヤツでしょうか?由加さんが思うほど、オトメではなく。

四川の山を一緒に登りに行く機会もありました。
言葉にならないのは、私が由加さんを好きすぎて、強い憧れがあり、彼女からもらったものを私はまだ自分の血肉にしきれていないからという結論に至りました。

最近も由加さんをインタビューしました。
国立登山研修の年報「登山研修vpl.33」(2018)の研修所50周年特集に「女性の登山指導者にまつわること」に登場いただいたとき。
→ココで読んでいただけます!
https://www.jpnsport.go.jp/Portals/0/tozan_vol33.pdf
ちなみにこの時も今回もインタビュー場所は同じ、パン2の休憩室です。

今回は、由加さんが妙子さんと登ったチョ・オユー南西壁スイス・ポーランドルートのあと、ヒマラヤには区切りをつけフリークライミングへ没頭していくことを書きました。
けれど、とても由加さんのことを書ききれなかったなあと思っています。それで本人の著書を出すのは、書き手として卑怯な気もします。でも、やっぱり描き切れませんでした。
繰返し原稿のやり取りをするなかで、由加さんはいつも自分のことを「変人だ」と言うのですが、変人なのでしょうか……至極まっとうな人間のように思うのです。
それはクライマーとしてもまっとう、社会人としてもまっとうということです。
自分の描くクライミングを目指して進む姿勢はクライマーとしてまっとう、社会で働き自立心のある生活をしている姿は社会人としてまっとう。
これ以上のまっとうはあるのだろうか?とすら思います。
そして、本書の帯に由加さんの言葉を載せました。
「ここまで好きなものがある私の人生は、幸せだと思っています」(遠藤由加)

由加さんの著書はこちら。古本屋さんやネットにもありますよ!
『青春のヒマラヤ―ナンガパルバットへの道 』(1989)
『きっと、また登る』(1998)
『ロッククライミング・タクティクス50』(1998)
遠藤由加クライミングスクール→ http://yukajira.com/

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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13days to 彼女たちの山_木崎乃理恵さん

【13days to 彼女たちの山】
山岳ガイド3人目は、国際山岳ガイドの木崎乃理恵さん(写真右)です。
コロラド在住ですが、この冬は日本にいる時間も長いので、どこかでお会いになった方もいるのではないでしょうか。

一昨年秋、アメリカンアルパインクラブのInstagramに、国際山岳ガイドになった人たちにガイドの証であるバッジを授け、仲間がお祝いしている様子が載っていました。よく見ると、日本人女性が一人写っていて、タグ付けの先に飛ぶと、木崎さんのアカウントがありました。その時の雰囲気がとっても温かくて、いい仲間に囲まれているのだなという印象を持ちました。それが木崎さんにインタビューしようと思い立った理由です(国際山岳ガイドというタイトルよりも、仲間達との様子です)。

コロラドの木崎さんとzoomでつなぎインタビューしました。彼女のガイド生活のキーは、やっぱり仲間でした。とくに彼女のメンターであるアンジェラ・ワイス(写真左)との話が興味深かったです。アンジェラといえば、アメリカの名ガイド。AMGA(アメリカ山岳ガイド協会)の会長であり、IFMGA(国際山岳ガイド連盟)の理事でもある方。
木崎さんから聞く話は、目から鱗、悩める日本の女性のガイド達にも一緒に聞いてほしいという内容ばかりでした。
女性は、身体的に考えると必ずしもガイド業に有利ではありません。けれど、それをどう克服していくか。アンジェラから木崎さんが教わった話、木崎さんとアンジェラで考えた話は、とても参考になりました。

昨年末、国際山岳ガイドの加藤直之さんがIFMGAの総会から帰国したとき、アンジェラのほかにも、ジュリアナ(エクアドルの会長でもある)もIFMGAの理事であり、シルビア(カナダ)などガイド協会の会長が女性である国は多いと教えてくれました。ガイドとしての実力も、また人間的にも尊敬できる人達だと。

木崎さんは、国際山岳ガイドを受験中にママになります。そんな話も、もっとたくさん書きたかったです。
いずれ彼女の物語の続きを書きたいと思っています。
norie kizaki→ http://www.noriekizaki.com/

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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14days to 彼女たちの山_高月弘子さん

【14days to 彼女たちの山】
山岳ガイド二人目は、ガイドカンパニー「冒険小屋」を率いて、自分自身もガイドし、さらにはゲストハウスも営む高月弘子さん。
http://www.boukengoya.com/

弘ちゃんと初めて会ったのは、17年前。
スイスのグルンドの駐車場でした。私は2ヶ月ほどグリンデルワルトに滞在しており、近藤謙司さんのガイドツアーに混ぜてもらいメンヒに向かう日。弘ちゃんは夫の故高月泰治くんと登りに来ていて、抜きつ抜かれつしながら1日を共にしました。

弘ちゃんは、遊ぶことが大好きです。
探検部出身で、陸だけではありません。ラフティング、パックラフトも。宿の女将業とガイド、カンパニーのマネジメント、さぞ大変なことだと思います。
冬になると大きなゲストハウスの除雪作業だけでもひと苦労です。
それらを一人で背負ってやっているのだから、すごいです。
そんな多忙な生活だけれど、「遊ぶ」ことは忘れません。

滑りにしても、アルペン、テレマーク、スノーボードと器用にこなしますが、それも雪の上で長い時間を過ごした証だと思います。

ガイドはどれだけ自分の山を登っているか、というのが重要だと思いますが、その理由はいろいろ。
自分のスタイルや喜びを持っていることは、お客様にも伝えるものが幅広くあります。
遊びを通じて自分の限界や実力を知っているのも重要。

1枚目の写真は、秋の鉱山道(北アルプス北部)へ入る手前。この後、錦色の木々がまっていて、綺麗、綺麗を連呼してまったく前に進みませんでした。

初めて出会った頃は互いに30代。それから歳を重ねて、弘ちゃんが変容してきたことも少しは書けたかな……と思います。
弘ちゃんはガイドをしているときも、遊びで山に登っているときも、とても楽しそうです!

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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2023年3月 1日 (水)

15days to 彼女たちの山_加藤美樹さん

【15days to 彼女たちの山】
山岳ガイドの項に登場いただいたひとり、加藤美樹さん。
http://mikiyatsu.jp/ インタビューしたのは、彼女が住む北杜市の里山である中山にて。旧知の仲だけれど、久しぶりに会うタイミングだったし、コロナ真っただ中で息抜きをしたい気もあり、美樹さんから「どこか歩きながら話さない?」と提案いただきました。

堤山、斑山、横尾山の案も出たけれど、テッパンのココになりました。甲斐駒ヶ岳は姿を隠していましたね。
すぐに山頂に着いちゃったので、登ったり下りたり登ったりを繰り返して3本のルートを歩いてみました。互いの近況報告や雑談をしながら歩き、最後は山頂に腰を下ろしてインタビュー。
フツーに考えると、私がおにぎりや飲み物を持っていくべきなのですが、心優しい美樹さんが、テルモスにお湯を入れて、飲み物もたくさん持ってきてくれました。お代わりもしました。

美樹さんをインタビューしたのは、おそらく2回目。10年ほど前のその記事のタイトルは「努力の塊はしなやかに、たゆまず道を歩む」。美樹さんは、努力の塊だと思っています。その印象は今回も変わらず。
現行のシステムで、国際山岳ガイドにトライした最初の日本人女性は美樹さんと菊池泰子さん。お二人とも国際山岳ガイドになることはなかったけれど、道を切り拓いた方だと思っています。先頭を往くものは、ときには傷だらけになります。

最後、美樹さんに「今回の書き手が、柏さんで、本当に良かった」と言ってもらったときは、泣きました。
このURLには、前回のインタビューの頃の美樹さんと飼い犬のケイティー、それと泰子さんの写真があります。誌面には載せなかった笑顔(誌面はもう少しキリリってした表情だったので)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10203358809584655&type=3 今回の写真は、彼女のガイド仲間が撮ったもので、こちらもとびきりの笑顔でした。きっとものすごく楽しいクライミングだったのだろうな。

 

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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2023年2月26日 (日)

16days to 彼女たちの山_野口啓代さん

【16days to 彼女たちの山】
1章には5人の登山家、クライマーに登場いただいています。
そのうちのひとり、野口啓代さんはヤマケイ連載の時にも書きました。
連載は、2020年4~12月号の隔月です。
写真は連載の時のページで、啓代さんがグアムで初めてクライミングをしたときのもの。ご自身の著書にも載っている有名な写真ですね。

連載時はオリンピック前で、啓代さんはトレーニングに集中していたので、なかなか取材の時間が取れませんでした。気持ちを改めて、周囲の方々の取材から始めました。
実家にご両親をお訪ねし、啓代さんのプライベートウォールを見せてもらったり、話を聞いたり。そのプライベートウォールが立ち上がった当初、ルートセットをしていた立木孝明さんに会いに行ったり。日本人初の国際ルートセッターである東秀機さんには啓代さんのことだけでなく、平成のフリークライミング、スポーツクライミングのシーンについて教えてもらいました。
平山ユージさんも快くインタビューに応じてくれました。啓代さんを慕う後輩の伊藤ふたばさんとも話すことができ、だんだんと啓代像が見えてきた頃、ようやく40分の電話インタビューの約束をすることができました。

けれど、その日は私が北アルプス・朝日小屋にいて、電波が弱いうえに、天気が悪い日で頭を悩ませました。管理人の清水ゆかりさんに「どこがいちばん、電波がよいか?」と尋ね、幾つもの場所をロケハンしました。結局、山小屋の外にある階段の踊り場で電話をかけました。一度途切れたりもしたけれど、啓代さんは持ち前の集中力で、短時間ながらもしっかりとコメントしてくれました。

書籍にする際には、改めてインタビューをしたけれど、オリンピック後もお忙しく、なにかの受賞式に出席する前の控室で応じてもらいました。艶やかなドレス姿だったことを覚えています。

平成元年に生まれ、まさに平成を登り続けた啓代さん。不動の女王であり続けることができたのはどうしてか、連載時から大幅に加筆しています。
『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

 

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17days to 彼女たちの山‗小山さやかさん

【17days to 彼女たちの山】
もうひとり「大学山岳部」の項でインタビューしたのは、小山(現:増本)さやかさんです。
さやかちゃんは、平成の中盤に立教大学山岳部で活動していました。インタビューしたのは、まださやかちゃんのお腹が大きかった頃。コロナもあったのでインタビューに行くことを相談したら、「大丈夫」と。お宅にお邪魔しました。

夫の増本亮さんは、生まれてくる子のために家を増改築中でした。そんな大工仕事の音を聞きながら、さやかちゃんをインタビューしました。
増本邸は時々遊びに行くことがあり、その前は「コロナで出かけられなくなったから、鶏を飼うことにした」と卵をもらいました。私はどうも鶏が苦手なんですが、増本邸の鶏小屋には入ることができて、少し楽しかったです。

さやかちゃんの話のなかに、学生の時に同世代で山で命を落とした方々の名前が幾人か出てきました。一方で、「好美」と彼女が繰り返し話に出す加藤(現:浦部)好美さんについては、好美さんと好美さんが産んだ命のことなど話してくれました。

さやかちゃんは、学生時代の写真は全部実家ということで、Facebookのこちらは、好美さんがリーダーでさやかちゃんがサブリーダーで登ったパンバリ・ヒマール(6887m)の写真を、JAC年報『山岳』から接写したものです。色んな大学山岳部から集まったメンバーでの遠征。先輩たちから見守られることはあっても、強靭な先輩リーダーがいるわけではなく、同じような力と経験の者同士が自分たちの力だけで登った経験は、かけがえのないものだと思います。彼らの初めてのヒマラヤが、そんな形だったことは、とっても仕合せな経験だと思いました。「初めて」は、その人にとってたった1回しかないことだから。
→パンバリ・ヒマールのレポートはコチラで読んでいただけます。
http://jac.or.jp/sangakuhensyuu/2007optimisation.pdf#page=79
さやかちゃんの最近のクライミングについては、別の項でも触れています。
大学山岳部での話は、「命」の話だったと思います。そして、大学山岳部で始まった登山の経験が、いまの生活の根幹にあるということ。
本書は、平成期の日本人女性の登山の記録を記したものというよりも、ひとりひとりの物語を書いた本になりました。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社 3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html...

 

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18days to t彼女たちの山_高井野乃子さん

【18days to 彼女たちの山】
「大学山岳部」の項では、アンケートから幾つかエピソードや言葉を紹介したほか、5人にインタビューしています。3人目(順不同)は、平成の終わりに信州大学山岳会で活動した、高井野乃子さんです。
高井さんのことは、数年前の冬に森光さんと富士山に登った時、避難小屋の中で聞きました。森さんは山の業界きっての敏腕で、いまはザ・ノース・フェイス/ゴールドウインの役員ですが、信大山岳会のOBです。
下山後さっそく、友人のシオ(塩谷晃司さん)に相談したら、「後輩です」と紹介してくれました。

高井さんのインタビューが実現したのは、彼女が大学を卒業し岡山で働くようになって少し経ってから。麻衣ちゃんと佳苗ちゃんが平成前半(の少し後ろの方)の山岳部員、もうひとりが平成中盤、高井さんは終盤。
時代に合わせた話が出てくるかな、と思ったのですが、高井さんはとことん平成でした、なんなら昭和。
スマホというバックアップはあるけれど、電源は切っている。ザックはガッシャのまま。冬靴がベガでした……私だって履いていたよ、ベガ。初代プラはコフラックだけれどね。まだ製造販売していたのかという驚き。ただその選択理由は想像の通りで、納得しました。

このエピソードはモノによることですが、モノだけでなく魂や感性の部分でも、平成も昭和も令和も、ひょっとしたら大正や明治も変わらないんじゃないかなと思うことが、この本の取材を通してありました。
高井さんとは初対面だし、親子ほどの年が離れていますが、普通に「わかりますよね、この感覚」「わかりますよね、このときのこと」という感じで、大学山岳部のシーンを話してくれ、私も手に取るようにわかったので、ある意味、大学山岳部は、ひいては登山というのは普遍的なのかもしれません。

高井さんは5年かけて大学を卒業しますが、その理由が潔いです。4年の時にはリーダーを務めます。
とても聡明で美しい人ですが、送られてくる写真がどれも……傷だらけや虫刺されの顔や、むくんだ顔ばかりで。
またまたシオに助けを求めたところ、「映える写真はありませんねー」と送ってくれました。
人生に映えは不要。
『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社 3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

 

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19days to 彼女たちの山_内野麻衣子さん+渡邉佳苗さん

【19days to 彼女たちの山】
テーマ別に書いた第2章には、「大学山岳部」があります。「わざわざ大学山岳部を取材?」って思う方もいるかもしれませんが、大学山岳部というのは色んな意味でひとつの文化だと思っています(話すと長くなるので割愛💦)。

今回、平成期に大学山岳部で過ごした女性たち40人がアンケートにご協力くださいました。ありがとうございます。
私自身、昭和の終わりに大学山岳部に入り、平成初期に卒業しました。アンケートの声は、「わかる、わかる」って首がちぎれそうなぐらいうなづいて共感するものもあれば、そんなことを考え感じていたのかと、切なくなるものもありました。

写真は、内野(現:𦚰坂)麻衣子さん(学習院山岳部主将)と、渡邉(現:柴崎)佳苗さん(早稲田大学山岳部主将)。
同じ時期に大学山岳部で過ごしたふたりは、大親友でありソウルメイト。
私が、ふたりと初めて会ったのは、四半世紀ほどは前。彼女たちが学生の頃です。以来、ずっとお付き合いが続いています。
麻衣ちゃんは、山岳雑誌や書籍の編集者だった時代もあり、そんなお付き合いもあり。佳苗ちゃんとも色々あったなー。MJリンクのサポーターに誘ったら、快く引き受けてくれて。赤岳鉱泉手前の台地で佳苗ちゃんチームが休んでいるところで、田部井さんが「いい人を紹介してくれて、ありがとう」と耳打ちしてくれました。

今回の取材は、最初は3人でzoom。まるで飲み会のように和気あいあい進みました。その後にもう一度一人ずつ取材をお願いしました。
あらためて二人の話を聞き、私は彼女たちと友人であることをとても誇りに思いました。
わずか20歳ほどのときに、とても聡明な判断と行動をします。部員たちを率いる中で(学習院は女性部員だけになり、早稲田は佳苗ちゃんのほかは全員男性)、強がらず、自分を大きく見せず、ありのままを受け入れ、そして立派にリーダーシップをとっていきます。

SNS投稿には、「どんな写真を載せてもいいよー」と言ってくれた太っ腹で寛容なふたり。当時も今もめんこいふたりを見てください。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社 3/14発売)
コチラをご覧ください。

 

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2023年2月22日 (水)

20Days to 彼女たちの山_柿崎サラさん

【20Days to 彼女たちの山】
昨日、校了しました。
来月14日のホワイトデーに『彼女たちの山 平成の時代、女性は同山を登ったか』を出版します。
今日から14日まで、SNSを使って本の紹介をしていきます。
取材のあれこれ、本書には描き切れなかったことなど。
.
初回は表紙の絵を紹介します。
描いてくださったのは柿崎サラさん。
https://sarakakizaki.jimdofree.com/ 最初は編集者のスマホ画面でしか見ていなかったのですが、今月に入って、ゲラを送ってもらいました。
歓喜の声と共に、柿崎さんの絵にふさわしい内容にできるよう、残りの時間をがんばらなければと思いました。
本書は、2020年のヤマケイの連載後から新たな取材を繰返し大幅加筆したもので、出版までに3年以上かかってしまいました。実力不足を痛感しておりますが、いまは開き直って「ジャケ買いしてください」と言っています。

1章と2章から構成されています。
1章は山野井妙子さん、田部井淳子さん、谷口けいさん、野口啓代さん、遠藤由加さんについて書きました。
2章はテーマ別になっており、山ガール、山小屋で働く女性たち、山岳ガイド、大学山岳部に情熱をつぎ込んだ彼女たちのこと、スポーツクライミング、アルパインクライミングです。

柿崎さんの絵は、よく見ると雪渓や岩や紅葉した草などの山肌や、樹木や山小屋、それと登山している人たちがものすごく細かなタッチで描かれているんです。それが浮かび上がって目に飛び込んできます。躍動感があります。
ご本人に聞くと、「書籍に登場する女性達のようにキラキラと輝く絵を描きたい、プリズムのような色をイメージした」と。
じつは、好きなビールのラベル(伊勢角屋麦酒)も柿崎さんが描いていたことをあとで知り……重版できたらそのビールでお祝いしようと思っています。

書籍は色んな人の手にかかって出来上がります。柿崎さんの絵は装丁・デザインをしてくださった朝倉久美子さんや編集の神谷浩之さん、大武美緒子さんの手によってカバーになりました。
ご予約いただけます🙇‍♀️
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

 

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2023年2月19日 (日)

『What’s Next?』平出和也さんサイン会

長年の友人であり仕事仲間でもある平出和也さんの新著『What's Next?』のサイン会に行ってきました!

別れ際に、「辛口のコメント、聞かせてください」と言われ、「すぐに読むね」と応えた通り、帰宅途中のカフェで一気に読み終えました。けれど、辛口コメントが思い浮かばない……。

まるで彼の声が聞こえてきそうな文体でした。あんなに繰り返しインタビューしたのに、私の知らないことも載っていました。
ここ数年本人は、いわゆる「43歳」を気にかけていたけれど、それも越えこうやって第一線で長く登り続けるのは、フィジカルだけでなく、それを支えるメンタルの要素が大きいと以前にも書きました。メンタルというのは、登るという強い意思だけでなく、山や自然、山のある国の人々や家族や周囲の仲間達への思いやりもです。そういったことを、平出くんは若いころからずっと大切にしているんです。本書を読むと、よくわかると思います。

それとかねてから思っていたことです。
平出くんのようにカメラマンと二足の草鞋の登山家-中島健郎さんや三戸呂拓也さんもですが、彼らは自分の登山だけでなく、ファインダーの向こうの人物の人生を見続けています。いつも自分が主人公なわけではない。平出流に言う「特等席から、その人の人生を記録する」という行為が、彼ら自身の登山や人生をより豊かなものにしているのではないかな、と思うことがあります。視野が広く、高座からの視点があるのです。たとえば、デナリでの佐々木大輔さんと平出くんの友情、昨夏のTJARでの望月将悟さんと平出くんの触れあいをみても、そう思います。

「登山家」という存在についても考えます。平出くんは今回の著書で自分自身をアルパインクライマーと名乗っていますが、登山家でもあると思っています。
ことカールン・コーのあと、ヨーロッパを巡り、アルパインクライミングの本場でアルパインクライミングについて語り続けた。多くの聴衆にクライミングの魅了を伝え、勇気を与えてきたと思っています。こういう行為を経て、本当に平出くんは登山家になったんだなあと思いました。すごいな。

私にとって直近のインタビューは、昨年10月のカールン・コー。帰り道、健郎とふたりでご馳走をしてくれました。ワインを飲みながら3人でピザをつついたのですが、ふたりのその気持ちがものすごく嬉しく涙が出そうでした。
結局のところ、私が長く平出くんを書いている、これからも書きたいと思うのは、彼が持つ記録やタイトルではなく、平出くんのハートに触れることができたからなのだと思います。

書籍の脚注にQRコードがあり、平出くんらが撮影したお宝映像が見れるとは聞いていましたが、QRコードはものすごくたくさんあります!「びっくりだよ」というと「出し惜しみしていません」と。

今日のサイン会では、来場者ひとりひとりと丁寧に話をし、一緒に写真を撮り過ごしていました。私もふたりで写真を撮ったことなんてないねと言いながら、撮ってもらいました。
本人はタイトル通り、「次の本のこと、次の山のことを考えている」と話していました。

 

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    現在、MJリンクのサポーターなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。2019年6~11月のガイドカレンダーをお送りします。ほか、オーダーメイドも承っておりますので行き先や内容など、ご相談ください。

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