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2019年11月10日 (日)

ボランティアという名の見学

10月の日曜日、予定していた登山がリスケになり、ひょんと空いた時間。
大学山岳部の1年後輩のアライが、山岳部の学生たちを連れて、ボランティアへ行くという。
それじゃあ私も、と4人で飯山へ向かった。
mont-bellがやっているアウトドア義援隊の活動に参加。
ほかの参加者たちと幾つかの地域に分かれて、作業へ向かった。
長野市赤沼地区の担当は我々4人と、全体を取り仕切ってくれるmont-bell社員の方。
途中、辰野会長も作業にやってきた。

4人が一緒に活動するのかと思いきや、二手に分かれるようにと。
我々おじさんとおばさんが、自分の子どもぐらいの年齢の学生それぞれと組むのがよいのではないかと、アライも私も内心思っていたが、昔からよく知るmont-bell社員のイマイさんが、「じゃ、スミコさんとアライさん、こっちね」と。
その後、作業をしながらふたり、「学生たち、大丈夫かね?」とひそひそ話をしたが、なるようになったらしい。

私たちの役目は、軽トラで災害ゴミを仮置き場へ運び、分別するという作業。
千曲川が決壊して床上浸水した地域であるため、どの災害ゴミも水を含み重いし、汚れている。使い物にならないから、ゴミとなっていくのだ。軽トラに積むのも、仮置き場で下ろすのも、運ぶのもぜんぶ力仕事。だから、女性は男性と組んで、ムリせず息を合わせてやっていくのがよさそうだ。

被災したお宅から仮置き場までの道も、水害にあっているため、泥だらけ。道は混んでいてスタックしたり、そのたびにGoogleマップで新しい道を探す。公園はどんどんとゴミで埋まっていく。アライの運転が絶妙で、泥の丘をぐいぐい上がっていった。ときにはごみの中にあった戸板などを敷いて、クルマを上げていく。
現場を取り仕切る人がいるわけではないし、ルールも状況もどんどん変わっていくなか、隣の人とうまくやりながら、ことを納めていく。

あとでアライから聞くに、けっこう緊張していたそうだ。だから、私が行くと手を挙げてくれてホッとしたと。
彼のfacebookに「まあ、長い付き合い。一言では語れないぐらい心強い仲間」と書いてくれたのは、うれしかった。私の方が1学年上だけれど、頼りない姉さんとその世話を焼く弟のような関係、なのにそんな風に思ってくれるのか、と。
それに、物理的にも心理的にも混沌としていたゴミ置き場で、一緒だったことが心強かったとも。
そうか……たしかに、ほんとうに物理的なゴミもそこに集まる人たちの心理も、混沌としていた。そこで、私がめげることなくいられたのはアライのおかげなのかもしらない。

アライの同期も、私の同期も、災害と同時に、仕事で被災地へ入った。
それはそれはたいへんそうで、アライの同期のクリと電話で話したところ、「布団で寝かせてもらえるだけで、ありがたいや」と言っていた。
私たちは、たった1日ボランティアという名の見学のようなことをさせてもらっただけだった。
これからまた、機会を作っていこうと思う。

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2019年10月24日 (木)

ヤッホーリー

山を眺めて、そこに暮らす人たちを思い浮かべるのは、私の場合ふたつだけ。
ひとつは、言わずもがなの北穂高岳。
北穂高小屋は山頂直下に張り付くように建っているので、北穂の山頂を見定めることができたら、小屋を眺めているのも同然。
横尾から本谷へと向かう途中で、最初に小屋の赤い屋根が見えるポイントを、見落としはしない。
北穂高岳は遠くから眺めると、どっしりとした山容で、大キレットと並ぶことが多いので、見極めやすい。
今夏は、水晶小屋を出て、水晶岳までの間から眺める北穂高岳が、ほんとうに素晴らしかった。飛騨側の山肌が美しかった。

北穂高小屋に通ったのは、たった2年だけれど、小屋開けから小屋閉めまで毎月通い、濃密な時間を過ごした。
けれど、その後、彼方此方から北穂を眺めた時間も小屋に滞在したときと同じように、私のなかに北穂の時間として存在するのだと、最近わかった。
小屋で経験したこと、小屋のみんなからいただいたたくさんの温かみが、遠くから北穂を眺めるときに、私の中にあるからだ。
「北穂」と言うと、私の場合、北穂高岳と北穂高小屋の両方を指し、このふたつはいっしょくたになっている。

写真は、9月中旬の白馬岳山頂。毎日新聞の記事に掲載した写真だ。
目を凝らさないとわかりづらいが、遠くに、富士山、八ヶ岳と並んで南アルプスが確認できる。
甲斐駒ヶ岳もわかる。

一昨年、友人が七丈小屋の管理人を始め、友人達がそこで働くようになって以来、彼方此方から甲斐駒を見つけると、Instagramに投稿して「ヤッホーリー」とつぶやいていた。
スタッフのひとりが、ホーリーという愛称の女性だから。
けれど、インスタに載せても本人が見ることは少なく、周囲が「いま下りた」とか「今日はおらん」とかコメントするだけだった。
しかも、最近はホーリーは麓の仕事を担当することが多くなったので、小屋にいる日数も少ない。
そこで今シーズンから、ツートップの小屋番ふたりにMessengerで写真を送るようにした。
反応は、「キャー、見られている」とか「山がたくさんあり過ぎて、どれだかわからん」など。

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ヅメさんの歌-テーブル登山

友人と、ヅメさんの歌を聴きに、山籟@裏高尾へ。
松籟のなか高校生活を送った身としては、「山籟」という店名に親しみあり。

「水割りと地図」をライブで聴くのは初めて。
「テーブル登山」という歌詞が気になったので、ライブ後、本人に尋ねてみた。
「机上登山」という言葉は、昔からある。机の上に地形図を広げ、登山を計画したり、夢描いたり、妄想したり。
故・西丸震哉さんは、明野にある緑に囲まれた家に住んでいた。著書『机上登山』を基にインタビューに伺ったことがある。
本著のなかに南会津の「黒谷川源流、丸山岳」があり、地形図を見るに、この源流に広がる土地は、秘境の別天地であり、昔の上高地のようなのではないか、というストーリー。
これを読んで、敷島さんと文ちゃんと、黒谷川を遡行した。リトル上高地のようなところに出て、そこで一晩を越した。別天地だった。

ヅメさんは、「机上登山」という言葉を知っていたわけではないけれど、同じことを「テーブル登山」とあらわしたのだ。
もちろん、彼が作った言葉。うーん、なかなかのセンスです。

ライブ後の宴では、久しぶりの色んな方々とたくさん話もできた。
北海道のエゾシカを使ったというジビエ料理はとても美味しく、一升瓶に入った日本のワイン(赤も白)は、しぼちゃんがお酌してくれるがままに、どんどん飲んだ。日本のグラッパというのもあって、いずれもとっても美味しかった!

高尾駅北口から小仏に向かうバスに乗って、蛇滝口バス停下車。高尾山の帰りに立ち寄れる素敵なカフェ「山籟」。
Instagram @sanrai.uratakao

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遅い夏休み

遅い夏休みは、黒部源流を見下ろしながら、ぐるりと秋の山。
途中、風雨に打たれたけれど、水晶岳付近から眺めた、穂高連峰の飛騨側の山肌が、ものすごくきれいだった。
お月さまと夕焼けの笠ヶ岳もきれいだった。屏風のような薬師岳がかっこよかった。
ありがとう。

9/9  折立→太郎平→薬師峠キャンプ場
9/10  →黒部五郎岳→黒部五郎小舎キャンプ場
9/11   →三俣蓮華岳→鷲羽岳→水晶小屋
9/12  →水晶岳→赤牛岳→奥黒部ヒュッテキャンプ場
9/13  →平ノ渡し→黒部ダム


これは、9月に登山ガイドの仲間を中心とした友人達と過ごした夏休みのメモ。
それほど詰め込んだ行程ではなく、余裕もって歩けると言えども、下山翌日から3日間のガイド仕事が入っていたこともあり、参加しようかどうしようか迷ったりもした。天候不順で予定通り進めなくなったら、チームから離脱して一人下山も考えていた。
けれど、ほんとうにいってよかった。夏のあいだ、個人的に登った山はひとつもなかったからだ。

太郎平に着くと、偶然にも先輩ガイドの顔が見えた。みんなが慕っている岩雄さん。
歓びいさんで、全員が「いわおさーん」と駆け寄っていくと、「ずいぶん、元気やなあ。なんだ今日は、仕事じゃないんか」と笑い顔。
それから5日間の縦走は、心底山登りを楽しめる時間だった。

以前、山岳ガイドのインタビュー連載をしたことがある。
多くのガイドが、山岳ガイドの仕事、自身をプッシュする登山、日常(家族と向き合う時間を含めた日々の暮らし)をどう両立させるか、そのバランスのとり方に苦心していたと思う。
自身をプッシュする登山を続けているガイドは、それだけ魅力がある。

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一糸乱れぬ

この町の盆踊りを知って4年目、3回目の晩夏。
櫓の上の男性が朗々と歌うのに合わせて、踊る。
この踊りが、はてしなく難しい。町民たちも「難しいよね」「3年かけてやっと覚えた」と言うのだから。

昨夏、ザンザ隊のカシラであるSさんの娘たち-町一番の美人さんの双子ちゃんに、「ピョンピョン跳ねていて、可愛かったです」と言われたのは、ビミョーだった。
跳ねちゃいかんのだよ、跳ねるといってもピョンピョンは違う。
けれど、今年は少し違った。始まりと終わりがわかったし、掛け声を入れることもできた。回る方向を間違えるのも少なくなった。ときどきは歌うこともできる。
諏訪神社の日はひどかったかもしれないが、2週目のなないろKANでかなり挽回したつもり。

ちょっと言葉では説明し難い。
いよいよっていうときに2段階ギアで、アップテンポし、ステップがさらに激しくなっていき、クライマックスを迎えるのだから。
百聞は一見にしかず、どころか、百見は一踊にしかず。

男性の踊り手の憧れは、Sさん。双子ちゃんのお父さんは、色っぽい。
女性は、T鮮魚店の女将さん。日舞もやっていらっしゃるそうで、最後まで一糸乱れぬ。
私の浴衣は汗だくになり、下駄や裾は泥だらけになるというのに。
どうしたら、あのようにはらりはらりと艶っぽく踊れるようになるのか。

ひとつは、ザンザの前にはビールを飲まないことだ。女将さんはおそらく、素面でいらっしゃっている。
合間には、かき氷しか食していない。私も真似て、桃のかき氷で水分補給してみたが、それ以前に、友人3人で散々飲んでから、神社にやってきている。
浴衣の下には、しっかりとした襦袢を着ていて、足元は足袋も。これも違う。私は、半襦袢に素足だ。村の子どもみたい。

もうこうなったら、茶道を再開し、所作を改めるか。
来年まで公民館の踊り稽古に通って、ステップを確実に覚えるか。

など、先日ご一緒した方にワインを飲みながら話したところ、「それはポイント外しているね。ステップを覚えるんじゃない。盆踊りの本来の目的は……」と、彼女。
たしかにそうだ、それは中学生でもわかる。
それでもやっぱり、ラジオ体操ではないそぶりでザンザを踊れるようになりたい。

目標高く掲げるが、T鮮魚店の女将さんのように。

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2019年8月 3日 (土)

古巣の北穂へ

先月中旬のこと。古巣の北穂高小屋へ届け物と、みんなに会いに。
もちろん往復とも、横尾谷にあるナベさんの岩で定点撮影をして。

 

タイミングよく、入下山には降られなかったけれど、滞在中は雨、雨、雨、展望なし。
けれどその分、静かな時間をもて、小屋のみんなと積もる話をたくさんできた。

 

お客様の夕食にお出ししている豚の生姜焼きは、昭和50年頃からと聞く。40年以上変わらないことが、すごい。
来館の皆さんに心地よく過ごしてもらうために、目に触れないところで、従業員がどんなことをしているのか、それを言うのは野暮だけれど、掃除の仕方、食器の扱い、調理のときの心配り、配膳、どれもこれも、ずっと変わらない。いずれもまっとうな配慮。
こういった仕事のひとつひとつを手伝わせてもらうと、こちらの心も整う。

たとえば、春がやってくると桜が咲く。
桜には誰かを励まそうとか責めるとか、咲き誇ろうとかそんなことは全くなく、ただただ毎春花を咲かせ、散っていく。
同じように、北穂高岳も北穂高小屋も、時を超えて、変わらずそこにある。
それに、登山者は安らぎや勇気をもらったり、何かを期待したり、憧れたりするけれど、それを、泰然と受け止めているようにみえる。

最初の取材は編集部からの依頼だった。20年以上前のこと。その後、明文化するのは難しい動機付けで(ほぼ感覚的な理由で)、通い連載させてもらった。
20年経っても、また書きたいと思わせてくれ、20歳としを重ねてたいまだったら、もっと書けると思わせてくれる存在に感謝。
北穂高小屋のシンボルであるイワツメクサをはじめ、高山植物がたくさん咲いていました。

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2019年3月18日 (月)

安達太良山@毎日新聞「わくわく山歩き」

本日の毎日新聞「わくわく山歩き」は、福島県の安達太良山です。
私が、初めて登った雪山。高校2年の1月末のことでした。
安達太良山には、幾つかの思い出があります。

 


初めて登った35年前の冬は、千葉県内の高校山岳部が集まった講習会でした。

 

このとき、たくさんの新鮮な経験をしましたが、一緒に参加した真里は、一生の大切な友人であり、安達太良山で出会った、隣の高校山岳部だった面々は、同い年ながら、何歩も先を行っていました。彼らが雪洞を掘ることに驚いたし、その後、藪漕ぎや沢登りって何ぞやとか、白神山地(いまの白神山地ではありません、35年前の原始的環境です)を教わったのも、彼らからでした。

 

大学山岳部に入ってきた、女子部員たちと登った冬もありました。

 

冬以外に初めて登ったのは数年前の秋、田部井政伸・淳子夫妻とでした。
その後、こんどは春先に登りました。2日目、雪面がフィルムクラストになったことを、とてもよく覚えています。
フィルムクラストについて思うたびに思い起こすのは、こちらの文章。紙面では詳細まで触れることができなかったので、ここにリンクを。


映像作家の関口雅樹さんの文章には、スキーを走らせると白波が押し寄せるようであったり、桜吹雪が舞うようであると書いてあり、三浦敬三さんの『黒いシュプール』についても触れています。
私が、フィルムクラストの雪を思い出すたびに、それがモノクロームの絵であることは、この文章の影響かなと思っています。

 

 

 

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2019年3月16日 (土)

フィッツロイ報告会へ

今井晋さん舟生大悟さんが、札幌で「Patagonia遠征報告」をやるというので、マイルもあったし、弾丸行ってきた。

昨年12月のFitz Roy Supercanaletaほか3本のクライミングについて、写真を交えたトーク。
脂がのっていてイケイケの33歳・大悟くんと、酸いも甘いも嚙み分けたベテラン47歳・晋さん。

 

この遠征がどうやって始まったか、それぞれから聞いていた話と、この日のふたりの話が符合し、とてもよかった。大の大人たちがこうやって自分をプッシュするから、カッコいいんだなあって思う。
ふたりのホームでの開催でもあり、会場は和気藹々としていて温かい雰囲気だった。

 

ほんとうに、 行ってよかった。

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2019年1月19日 (土)

昔の絵葉書、家でじっくり

2年前の正月は、少しの事情もあって、じっくりと自宅にいる時間が長かった。

仕事柄もあり、また山登りや旅が好きなこともあり、アチコチ出かける機会が多いが、たとえ短い時間でも、自宅にいるときに、静かにじっくりと過ごしたいと思うものだ。
facebookの「思い出」機能によると、2年前の今日、部屋で手紙の整理をしていたようだ。

昔から、それこそ小学生の頃から、「晴」という文字が名前に着く人には、深い縁ができることが多い。

黒川晴介さんは、お兄ちゃんのような存在の大好きな山の仲間だった。
その、晴ちゃんのことを、ブログに書き、そしてfacebookにも書いていた。

こんな風に、静かに自宅で過ごす時間をもちたいなあ、と半分憧れのように思う。

***2年の前のfacebookより***

天国にいっちゃった晴ちゃんからのエアメールが出てきたのは先日のこと。

今日は、とんでもない絵葉書の大きな束が出てきた。みんな、ここぞとばかりにお喋りと近況報告と情報を詰め込んでくるから、文字が小さい。よくこんな小さな字を書けたね。老後に読み返して楽しもうと思っていたけれど、現時点ですでにツライ。


いちばん小さな文字は、まぎれもなくアライだよ。世界一周旅行に行くんだとか言いだして、あちこち周っていたときの便りを覚えているか。
「○○子の住所が手元にないからこの葉書を投函しておいてくれ」「来週は◇◇の誕生日だから、俺からだって言って電話しておいてくれ」「帰国日を決めたいから、ついては都合を教えてくれ。成田への迎えを頼む、一泊は泊めてくれ」など依頼事項も多い。


今年は、久しぶりに旅の空から葉書を書こうかと思った、これだけみんなからの便りを読むと。そして、大きめの文字で書くことにします。

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2019年1月10日 (木)

お供え

長年続けたツアーの仕事を辞めたためか、最近、これまでに参加してくださった方々が、代わる代わる、遊びに来てくれる。
昨晩、単身でやってきた彼女は、普段は料理をしないという。
私の仕事が長引いたこともあり、彼女が来宅してから夕ご飯を作り始めるというしまつ。さらに、急な電話が続き、台所から離れることに。
「人参、どうやって切ったらよいか、教えてください」というので、少量だけ切って見せると、電話が終わった頃には、とてもきれいな千切りが出来上がっていた。ほんとうに、普段料理をしないのだろうか? というような出来栄え。
ある先輩ガイドが、ガイドの言うことを忠実に聞けて、その通りに実行できる人はポテンシャルが高いという話をしていた。彼女のことである。
たしかに、と思い当たる節は、私にもある。こちらが言ったことを、なんの迷いもなく忠実に行動に移せる人というのは、すごい。登山中のそれに比べたら、人参の千切りなんて、簡単なのかもしれない。やったことがなくても。

急な電話が続いたのは、山岳部の後輩の訃報だった。
あれは社会人2年目のGWだったか。赤石岳から滑落したという連絡が入って、北アルプスに向けていたパッキングをやり直し、南アルプス山麓へと向かった。タイミングよくヘリが飛んでくれて、彼とは病院で面会することになる。登山口近くのヘリポートからヘリが飛び立った時のことを、よく覚えている。

ちょうどこの夏、赤石岳周辺を歩く予定を作っていたのは、偶然だったのか、なんであったのか。当時の滑落現場に行って、お参りしてこよう、と考えた。
彼女が千切りにしてくれた人参は、竹輪と一緒にきんぴらに。ふたりで沢山食べたあとになるけれど、お供え。
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    現在、MJリンクのサポーターなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。2019年6~11月のガイドカレンダーをお送りします。ほか、オーダーメイドも承っておりますので行き先や内容など、ご相談ください。

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