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2018年6月25日 (月)

夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

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2018年6月15日 (金)

おにぎり五題

ひとつ。
真冬の朝、友人宅にて。
「今朝は、スミちゃんの好きそうな朝ご飯にしたよ」と。

愛知出身の彼ら夫婦のところに届いた知多半島赤味噌を使った味噌汁。
鰹と昆布出汁に、オホーツクの素干し海苔と三つ葉。
「味噌がいい仕事をしてくれただけだよ」なんて言うけれど、ものすごく美味しかった。
ふた口ほどいただいたあと、海苔が巻かれたおにぎりへ。
これがまた、ふっくらとして、びっくりするほど美味しくて、「すっごい美味しい」と言ったら、「手のひらに少しゴマ油を馴染ませたからかしら」と。
何気ない美味しさ。

ふたつ。
晩夏、友人の山小屋を手伝いにいき、ひとり下山する日。
入れ替わりに登ってくる小屋番の友人が「クマにあったよ」と連絡してきたので、気が進まなくなり、けれどそのアシで次の山に登りたかったから、いよいよタイムリミットで下りようと決めたとき。
「お昼食べていく? 時間ないよね。残り飯があるから、おにぎり握っていって」と。
下りたアシで登る次の山の行程も考え、思わず大きなおにぎりひとつ。
膝の上に載せてみたら、我ながらその大きさにびっくり。

甲斐の国自慢の武川米と、篠沢からくみ上げた美味しい水で炊いたご飯。
塩むすびは、美味しかった。

みっつ。
春の終わりのある夜。
同じ業界で働く同性の仲間とワイン食堂のカウンター。
フランスの塩をくださった。

中学でサッカー部に入る息子を持つ彼女は、毎日、昼ご飯と練習後に食べるおにぎりを握るそう。「ウチの塩の消費量は半端ないよ」と。そうか、米もだけれど、塩もか。朝練と放課後の練習で大汗かくだろうしな。
粒子の粗いこの塩でも、おにぎりを作ってみたくなった。

よっつ。
先日の日曜日。
小ぶりのおにぎりを3つもって山へ。
全部食べられるつもりだったけれど、お昼をとったところで、出汁巻き卵や夕べの残り物だという海老のおかずなど、周囲から差し出されるがままにあれこれいただいていると、お腹がいっぱいになった。

すると目の前のFさん、「柏さんは、どんなおにぎり作るの? ひとつ頂戴よ」と。
うっかり、どうぞと差し出してからちょっぴり慌てた。お料理上手の彼女に、こんなおにぎりでよかったのか。
玄米ご飯を、仕事仲間からもらった粗塩と、フレンチシェフの友達も使っていたから安心して「これは美味しいモノだ」と使い続けているゴマ油を手のひらにぬり、握って、それからいただきもののとろろ昆布をぐちゃって載せただけ。

いつつ。
週末にかけてアドベンチャーレースが行われる村にて。
友人が「花おにぎり」というエディブルフラワーをつかったおにぎりを、3回にわけて180個作らなければならないと。むろん、私が出る幕はない。
冬に赤味噌の味噌汁と一緒に私に出してくれた、あの絶品おにぎりの彼女。それはきっと、みんな大喜びだよ。

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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
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2018年6月 8日 (金)

先輩の山小屋へ

久しぶりに、大学山岳部時代の先輩である山田直さんが経営する横尾山荘にお世話になった。
同じ山岳部の先輩といえども、直さんは、在学時代から社会人山岳会で登っていたし、私が入学した頃には、既に卒業していたので、多くの接点があったわけではない。

けれど、私が大学山岳部に入った頃には、既に登攀から軸足を山小屋生活に移しつつある頃で、山小屋の仕事もしていた。
年に数回は、この山小屋を通過したり、またテントを張らせてもらうこともあったので、お目にかかることは多かった。

正直に言うと、恐れ多くて話をすることもできない雰囲気があった。
怖い先輩というのとは、少し違ったが、クライマーの厳格な雰囲気があり、おいそれと話しかけられなかったし、叱られたこともあった。
そんな彼と、色んな話ができるようになったのは、卒業して数年経ってからであり、この仕事を始めた頃からだろうか。

人生のなかのいっときであれ、クライマーとして真剣に濃密に山と対峙したことがある人が、山小屋を営むと、こういう風になるのだなあと、いつも考えさせられることがある。
山への向き合い方、取り組み方、接し方は、登山者それぞれであるが、山は人を分け隔てしないし、だからこそ、魅力があり、厳しい。

こと幅広い登山者を迎える、この地にあって、先輩はやっぱり変わらず、自分自身が厳しく山に対峙されているのだなあと、今回もまた、色んなことを学び、気づかされた。
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2018年6月 4日 (月)

ヌタプカウシペ、最初の出会い

旭岳山麓のヌタプカウシペへ。
春菜さんにお別れし、真理子さんと話をしてきた。

最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、旭岳における最初の出会いは、ヌタプカウシペの春菜夫妻だった。
初めて東川町を訪れ、冬の旭岳に登ったのは、15年以上近く前のことだ。
なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。
モンベルの昔のカタログにあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。

けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせず、ただ泊まらせてもらっていた。
毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るのは知っていたが、それがどういうことかもわかっていなかった。
だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。
それから何年も経って、クロカンをやるようになり、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。
手作りで始めた旭岳のクロカンコースは、いまやクロカン選手は誰もがお世話になる土地だ。
けれどわかったことは、クロカンに関わる者としてもだけでなく、登山や自然に関わる者としても、生活者としても、すっごい人だということだった。

初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
つきることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した景色を、私も見せてもらっていたからだと思う。

東川町のある祝賀会に招待いただいたときのことだった。
この時何が嬉しかったかって、席順が春菜さんの隣だったことだ。
春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々が遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。

大雪山を指すアイヌ語のカムイミンタラは、直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだと思った。
旭岳連峰、大雪山をちょっと離れたところから望むと、ほんとうに神様が舞い降りてきて、遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。

この祝賀会の晩は、ヌタプに泊めてもらった。客は私しかいなく、春菜さんと遅くまで話をした思い出がある。

たくさん話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。
いっぺんに相手(人とか自然とか、山とか)と親しくなったり、いちどきにたくさん知らなくてもいいんだと思う。少しずつ相手のことを知っていく、近づいていく。

けれど、そういうことにも限りがある。

空港に迎えに来てくださったのは、長年東川町に住み、新聞記者退職後は町の歴史書の編纂などをしていらっしゃる西原さんだった。
車中、色んな話をするなか、この世に永遠はなく、生きる者も死にゆく者も留まることなく、流れゆく、というような話になった。

ヌタプに着くと、春菜さんは、私がいつも転寝をする日当たりのよい位置で、眠っていた。
お疲れであろう真理子さんが、春菜さんの最期を話してくださり、春の若葉とエゾヤマザクラの開花をみて、ヌタプで逝ったんだと知った。

帰路は、若者ふたりが空港に見送ってくれた。若者といっても、もう中堅どころか。
春菜さんの亡きあと、本格的にクロカンコースの整備を担当する方でもある。
やがて彼らの家族も空港に来てくれた。
みなに見送られ搭乗した、夜7時過ぎの機窓からは、薄花桜色に染まる空に、カムイミンタラが見渡せた。
もう、春菜さんは、あそこで遊んでいるのかもしれない。
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2018年6月 1日 (金)

山麓

ふとやっぱり、山間の土地に住みたくなるときがある。
いい風が吹いたとき、山が見えたとき、

今日は寒気の通過で、大気が安定せず。けれど、私が到着した頃には、五竜も白馬三山も見えた。残雪の山は躍動感があっていい。

友人達が集まるところへ行くと、雷の話で持ち切りだった。
あっという間に山が見えなくなり、雷が轟き始めたからだ。
標高700mほどあるこの村は、下界といえども、いわゆる都市とは違う。
北アルプスから吹き降ろす風の通り道は、ものすごい突風が吹くときがある。
雷も、電線や電柱に落ちるときもあり、家のなかに「熱」が入り、家電が壊れることも。

そんな話をしながら、薄手のウールのカーディガンがちょうどよい気温を、心地よく思う。

2018年5月27日 (日)

よん連荘の記憶

23日
同じ業界で働く数少ない同性の仲間と。
かれこれ、仕事をご一緒するようになって7.8年経つけれど、ふたりだけで会うのは初めて。テーマは「刻(とき)」。美大時代の課題がいかに面白くなかったか、その理由を聞いて、大学生の年齢でそんなことを考えているとは、なんて早熟なんだろうと、感服。

ワインバーのカウンターで、ロゼスパークリングとソーヴェニオンブラン。
サラダに、豚肩ロース、山椒と雑魚のリゾット。


24日
山に登り、ちょうど渓谷が望めるいい位置にあるベンチに座り、おにぎり食べていたら、LINE。「今日、何しているの?」、と友人から。
下山後、かいじに乗って帰京したアシで、かいじに乗って自宅に帰る前の友人と落ち合う。
オイスターバー、立ち食い寿司屋、珈琲屋のハシゴ。
生ガキは、あっさりしすぎず、濃厚過ぎない石川産がいちばん美味しかったという結論。
ヒマラヤの話を聞き、昨今のあれこれの意見を聞く。

振り返ると、40代はものすごくたくさん仕事をした。今では考えられないようなスケジュールをこなした。そのペースをずっと続けようとは思わたなかったけれど、あの猛スピードで駆け抜けた40代があってこそ、50代が始まるのかも、と年若い友人をみて思う。


25日
前職の女友だち4人と。
キーワードは「turn the page」。
かつてのこの職場は、ゼロから自分で作り上げていかなかなければならない場面が多く、ワイルドだった。同世代も多く、賑やかであり、熱い職場だった。
あるとき誰かが、「この職場は、クラスイチ勝気な女子と、学年にひとりいるすっげえ変わった男子の集まりだね」と言ったことを、ミョーによく覚えている。

ひとりが、あるリゾートへ行こうと誘う。そこはオールインクルージングで、なにも考えなくてよい、脳みそをコインロッカーに預けて3.4日を過ごそうと。毎日が判断の連続で、それにものすごく疲れ果てた私たちにはちょうど良いはずだ、というのが彼女のアイディア。
その彼女は、50代になって、ものすごく楽になった。
いまがいちばん楽しい、とも。

職場のあった恵比寿の和食屋にて、ワインと煮物や焼き魚。


26日
すーちゃんと、幼馴染のハマチョの寿司屋へ。
3歳で幼稚園に入ったとき、園庭ですーちゃんは私に、「同じスミコだから、仲良くしよう」と言った。一番古い友達。
浜寿司のカウンタークィーンは私だったはずだけれど、あっという間に地元に住むすーちゃんに持っていかれた。

夏仕様の暖簾をくぐって、「はい、1日遅れ~」って誕生日ケーキを手渡そうとしたその直前に、ハマチョの誕生日を1ヶ月勘違いしてたことに気づいたw 
「俺たち、誕生日が一ヵ月違いだろ。来月だよ。いいよフライングでもらっておくから」と言われ……時期外れのケーキを手渡す。
寿司屋の大将にケーキはどうかと思ったが、酒は飲まないし、甘いものが好きなので。
「終電は気にするな、送っていくから」と言われながら……、いちばん古い友人と話をすると、自分の源のようなものを認識する。
また、来月行かねば、ホントの誕生日に。

さすがに、よん連荘となると、このあとは大人しくしようと思う。
月末の真打までは。
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2018年5月16日 (水)

短い時間のおしゃべり

シャモニーを発つとき、クルマで中央駅まで送ってくれた方がいた。
宿から中央駅に行くには、バス停まで歩き、バスに乗り、そしてまたバス停から歩かなければならない。大した距離ではないが、荷物が重くて大変だろうからと。
この先、何度も乗り換えを繰り返して、グリンデルまで行くのだし、大丈夫だと重ねたのだが、「大丈夫、大丈夫」と、あちらが大丈夫、と。
実際のところ、これにはほんとうに助けられた。

車中、短い時間だったけれど、いろんな話をした。
それぞれの近況とか。家族のこととか。
頻繁に会う間柄なわけではなく、一昨年夏に初めてお会いして以来、2度目だけれど、この間の夏も、今回も、ちょっとした時に、プライベートなことを話すようになった。
こういうのは、会った回数とか、一緒に過ごした時間の長さにだけ比例するのではない。相性とかタイミングとかだろうか。
また、プライベートなことを話さないからといって、近しく思っていないわけでもない。

互いに似たような年齢で、「若く見られるのがイヤだ」というのも、同じだった。
たんに顔の作りが幼いだけかもしれない。私の母がそうだった。
それにヨーロッパでは、ことアジア人は幼く見える。

「だからもう、諦めた」、と笑っていた。私も最近になってようやく、「お若いですね」と言われると、「ありがとうございます」とすぐに言えるようになった。若く見られることが苦痛でならなかたのは、この10年ぐらいだろうか。

大人になるには、たくさんのことを飲み込まないといけないという。幼稚に開き直るのでもなければ、成長できないと諦め、放棄するのでもないなにかで、相手の言葉を素直に受け取り、お礼を言えるようになる。

車中のお喋りも、それぞれが飲み込んできた、色んなことに触れるような、そんな心に残る時間だった。


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【味噌汁日記143】

独活、蕪の茎、蕪の葉っぱ。鰹出汁に尾白味噌。

贅沢なはなしだけれど、春の山菜、だんだん持て余してきた。
とくに独活。きんぴらも天婦羅ももういいや。
最後は、水にさらしてあく抜きしたあとに、味噌汁に入れた。
アタマの部分は小麦粉をはたいて、お魚と一緒にソテー。付け合わせに。

「永遠なんて、ないほうがいい」と言い放ったのは、親しい友人。
春の山菜にも、サヨナラ。次の季節にいこう。

そんなことを考えていた日、20代の頃からの別の友人が、facebookに息子とのやりとりについて書いていた。

幼稚園生の息子が、「ちきゅうもしんじゃうの?」と、友人である父に尋ねたそうだ。
友人は、約50億年後には、太陽が膨張して地球は呑み込まれて死滅するという学説があることを説明したと。
幼稚園生を相手に、すごいわと思い、読み進めると。
息子が好きな風船のなかにあるヘリウムにも触れながら、太陽の核融合の機序から解き始め、なぜ死滅するかという説明をしたそうだ。

翻訳家であり、臨床心理士の彼が、そんな宇宙の話を、理路整然としかもおそらく平易な言葉を使って、子どもに説明できるなんて、すごい。私には到底できそうにないけれど、子をもつ親は、そういうことにも必要迫られ、できるようになるのだろうか。

けれど、そういう説明をしたところ、息子は、死んでしまう地球に思いをはせ、涙を流して泣いたそうだ。
「これ、どないしましょ」というのが、友人のfacebookのメッセージ。

いかなる生命にも、いかなるものごとにも限りがあるということを、幼い心で理解するときがくるのだろうか、と思いながらコメントすると、幼子には、万能感のあるベタな夢も大切で素敵だと思うので、折り合いが難しい、と友人。
友人がいうところの「ベタな夢」というのはキラキラしていて、それを描けるのは、人生のなかでもきわめて限られた時間だろうし、だからこそ、親としては子どもにそういう夢も抱いてほしいと思うのだろうな、とそんなことも考えた。

「永遠なんて、ないほうがいい」、そう思えるのは大人であり、大人であっても思えなかったり。
毎日の味噌汁を作って記録するたわいもない行為のなかで、実にグダグダうだうだと、色んなことを考える。
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    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

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