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2022年2月21日 (月)

阿蘇の烏帽子岳・杵島岳@わくわく山歩き

2月21日の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、阿蘇の烏帽子岳と杵島岳です。
ふたつの山を書いたのは、ふたついっぺんに登るのがちょうどよいサイズだったから。
登山が目的の旅もあれば、旅の空でひょっこり登る山もいいですね。
今回は後者。蓼科山荘・双子池ヒュッテを、夫の友基さんと営む米川佳子さんとふたりで登りました。

ふたりとも阿蘇の山は初めて。あまりにも雄大な眺めに驚きました。雄大というのは、景色の広がりと時空を超えた広がり。これまでの造山の歴史が手に取るようにわかる眺めでした。
突然の立ち寄りにも快くアドバイスくださったモンベル南阿蘇店さん、道すがら何度かお会いしたマムートを着た女性の方、ありがとうございました。

主役の「いきなり団子」のよい写真がありません。
いきなりの来客にも出せるような、小麦粉の皮とふかしたサツマイモ入りの団子。熊本の郷土菓子だそう。道の駅などには手作りが売っています。

この時の登山の様子は、佳子さんの投稿もご覧ください!
いきなり団子の写真もあります😊
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1979903382195076&id=618207751697986

今回の記事は、コチラでも読めます(有料)https://mainichi.jp/articles/20220221/ddm/013/070/025000c

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2021年12月27日 (月)

御嶽山@わくわく山歩き/毎日新聞

今朝のわくわく山歩き@毎日新聞は、御嶽山です。
なかなか足が向かなかった御嶽山に、この秋やっと登りました。

 

いちど登っただけですが、思いがけない再会があり、新聞に書こうと思いいたりました。
新聞に書いてもよいかお尋ねするために葉書を出しました。返信が届いたのが1週間後で、互いに山にも出かけるので、なかなか連絡が取れず。電話番号もいただいていたのですが、彼女からはいつもお便りをいただくので、今回も葉書にしました。
最後、熊本の空港を発つとき、やっと直接電話で話せました。
Xmas寒波の折に北陸の山に向かうとおっしゃっていたけれど、どうされているか……今日、連絡してみようと思います。

web版はコチラでお読みいただけます(有料)。
→コチラ

 

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2021年12月17日 (金)

山野井泰史さん記者会見@日本記者クラブ

今年はじめのインタビューで「俺は、40数年間、山に発狂し続けている」と応えてくれた、山野井泰史さんの記者会見に行ってきました。
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日本記者クラブで会見する登山家は3人目だそうです(関係者に聞いたところでは)。
植村直己さんと、野口健さんが3回。
毎日新聞の元村有希子記者の采配が、素晴らしかったです。
素人質問しかできないとおっしゃっていたけれど、本質をついた内容や、興味深い質問がありました。
個人的にはインタビューの際のツッコミや粘り具合が勉強になりました。
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「最高の思い出がココに刻まれるんだから、いいんじゃないですか」-登山に名誉や報酬を求めない理由は?の答え。胸をトントンと叩いて。
「子どもが、ジャングルジムでヘンな動きして落ちそうになって登っていても、それを止めないでほしいな、その本能を大切にしてあげて欲しい」-朝日の子供新聞記者への答え。
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うっかりいちばんに到着してしまい……一瞬怯みましたが、心を強くもっていちばん前ど真ん中に座りました。
その席からの写真です。

 

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2021年11月14日 (日)

ルクラフライトを心穏やかにやり過ごすコツ

キャンセルの多い山岳路線・ルクラフライトを心穏やかにやり過ごすコツは、焦らないこと。どーにでもなれって思うコト。そのためには、暇つぶしの本も必要だし、昼寝もよし。けれど、情報収集やコネづくり、ネゴも重要です。

 

帰路は1日予備日あり、それもダメだったら3日目のファーストフライトをねらって、カトマンズに到着次第、デポ品をともかくそのまま空港に持ってきてもらい、国際線に乗り継ぐというハットトリックしかない状態だった。あるいは、どこかのヘリを拝み倒すか。
ギリギリの予定は立てるな、これもコツか。

 

朝はカトマンズ盆地霧のため、マウンテンフライトがオールキャンセルという絶望的なスタートだった。
ライ族と結婚したという日本人女性がやっているお土産物屋でおしゃべりをしていると、10時頃、タラの1便が飛んだというニュースを、空港の整備士が持ってきてくれた。地元密着ポイントにいるといい情報もすぐに入るものだ。
しかしその後は鳴かず飛ばず。スタバ風カフェでひたすら読書。
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15時頃になって、なんとなく知った顔のダイがふたり、「ディディ、フライトだ」とやってきた。
誰だかわからなかったけれど、小さな村だからオオゴトにはなるまいと思って店を出た。

 

宿の主人であるパサンは、空港に通じていて、私達のエージェントからもフライトのケアを依頼されている信頼できる方だ。
そのパサンが空港にいて、シミティックの搭乗券を出してきた。もちろん手書き。
私が持っていたタラの3便は飛ばないだろうという彼の予想によるもの。
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結果的には、シミティックもキャンセルになり、次にパサンが出したゴマに乗ることになった。シミテックをぐちゃぐちゃに丸めてポケットにしまいこみ、ゴマのチケットを手書きしたのだ。
KTMからカーゴ便でやってきたゴマが帰路、乗客を乗せて帰ると言いだしたらしい。
まさかカーゴ便にひとを載せるとはだれも思ってもおらず、小さな空港は混乱状態だった。
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しかし、これで乗れると思ったところ、最後にもうひと山。
そのゴマがオーバーブッキングをしており、控えめにいちばん後ろに並んだ私が乗れなそうになったのだ。
そこをまた、パサンが交渉。早口のネパール語が飛び交い、もはや彼が何を言っているのか聞き取れなくなったが、30キロ近い登山道具も一緒に載せられることになった。
最後に、「うちに泊まってくれた、大事なお客様だからね」と言ってくれたが、ゆうべのうちにパサンといろいろおしゃべりをしておいてよかった。

 

ルクラのみんなに「ラッキーガール」と叫ばれながら、ラストフライトの最後の1席に乗って、無事予定の日のうちに帰ってきた。
20年以上の付き合いになるアヌーの息子がゴマに就職し、パイロットのトレーニングを始めたと言っていたから、私がゴマで帰るのも最初から決まっていた縁だったのかもしれない。
17時過ぎに飛び立ち、有視界飛行ギリギリ。夕陽を浴びたヒマラヤの山々が本当に神々しかった。
山のなかで別れてきた花ちゃんとすずぴーのことを思い出した。時間がギリギリだったので仕方ないとしても、自分がちっとも山に登れず、スパンティークの出番もないまま帰ってきたことも、実はものすごく心の残りだった。
ふたりが、峠の途次で座り込んで書いただろう手紙は、無事シェルパの手で私のところに届けられ、機内で繰り返し読んだ。
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空港ターミナルに到着したときには、日も暮れていた。
ホテルに着くと偶然同じに日BCから戻ってきたヒロタカさんとタケさんが、「九回裏起死回生だね」と言って待っていてくれて、またもや……二人が大好きなサムギョプサルへ。
KTMはティハール(お祭り)の名残りがあり、街の灯りが何となく綺麗だった。

昨日に続いて、facebookの思い出機能に出てきたものを再掲。旅がしたいな。

2021年11月13日 (土)

ティンポの家族

ターメの奥、テシラプチャの手前にティンポ(4230m)という場所がある。春から秋の間だけヤクやゾプキョを放牧しており、バッティが1軒。そこが私たちのベースだった。
このバッティの家族がものすごく素敵で、私は花+鈴と別れたあと、バックキャラバンの日数を縮めてここに延泊した。
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お父さんがアドベンチャー・コンサルタンツのキャップをかぶっていたので、これはなにやら?と思ったところ、案の定、ガイ・コッターと多くの仕事をし、エベレスト10回、K2などの登頂経験のあるシェルパだった。けれど、本人はそんなことをなんとも思っていない。
ある時、スコットランド人男性二人組が通りかかり、私に「ここは泊まれるのか?」「この宿をやっているのはどんな人か?」など聞くので簡単に説明したところ、立ち去るときに、わざわざ台所へ入ってきて、「エベレストのクライミングシェルパであるというご主人はどちらに?」と尋ね、握手をしていった。お父さんはきょとんとしていた。
かのアパ・シェルパの親戚筋であり、お父さんとお母さんのなれそめやこれまでのこと、3人の子供たちをどうやって育てているか、山以外の仕事についても具体的に聞いてみた。彼らの1日も見せてもらった。
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そんなことに1日を費やそうと思い立ったのには、きっかけがあった。
当初、お父さんの経歴に興味があり簡単なインタビューを始めたところ、子どもの話題になった時にお母さんから強い視線が注がれたのだ。そうか、やっぱりこの家庭でも、子どもたちの将来について考え込んでいるのだと。それでお父さんだけでなく、お母さんの話も聞いてみようと思ったのだ。
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とにもかくにも、お父さんがものすごく働き者だ。山の仕事から帰ってきたら、酒ばかりの人も見てきたが、ここまでの働き者のシェルパはそういない。そして、お母さんへの気遣いがとても優しい。そんな両親のもとで育ったから、二人の小さな息子もお母さんをとても大切にし、お父さんの仕事をしっかりと手伝うのだ(お姉ちゃんはカトマンズ在住)。
結婚を考えている女性は、こういう男性を選ぶべきだと、つくづく思うほど、心温かい人だったし、心温まる家族だった。
この家族のことは近いうちに、書くつもりで、本人達にも了承をとってきた。現代のシェルパたちが抱える問題も見え隠れしていた。
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ところで、このバッティにあった藤沢周平の文庫本。6年前に日本人チームの彼らが置いていったものでしょうか。
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*Facebookの思い出機能に、今日は旅情そそる投稿がふたつ出てきたので、ブログに載せました。
こちらのティンポの家族のことは、その後、WILDAEARNAESSという雑誌に書く機会がありました。

2021年10月18日 (月)

旅の記憶

朝窓を開けると、きりっと冷えた秋の空気。
友人からのメールには、「夏→冬、バルトロみたい」って書いてあった。
数日前に書いた天気図では、モンゴル上空に1050ミリへストパスカルの高気圧があった。
これがいずれ、今シーズン初の西高東低の気圧配置を作りだすんだなと、おこたつに潜りながら話したもんだ。

 

記憶を強く想起させるのは、匂いだったり空気の肌触りだったりする。
匂いも空気も不可視なものであるが、視床の奥の奥の脳みそにピンとあたり、記憶が蘇ってくる。
今朝は空気だった。空気の冷たさと乾き具合で、思い出したのはネパールの山と旅。

 

facebookの思い出機能によると、ボーディングパスは出たものの油断できず、ルクラフライトがキャンセルになった日だった。
ポカラ、ジョムソン、ビラトゥナガールへのフライトキャンセルは何度も経験したが、最難関のルクラはそれまで10割打者だった。
長年ネパールに通いつづけるとなかなかないことだったけれど、7年前のこの日にて打ち止め。
空港では、お猿と一緒になり、待合室での昼寝と読書で1日が過ぎ、夕方にラジンパットの宿に戻った。
翌朝のフライトをブッキングしてもらったが、空高く発達した入道雲が気がかりだった。
よかったことは、そのおかげで登山の大先輩と夕ご飯を共にできたこと。

 

翌朝は無事フライトした。
この年のバックキャラバンは、二人と別れひとりになり、フライトは夕暮れの有視界飛行ギリギリ、ラストひとりの席に潜り込み「ラッキーガール」と見送られながらKTMに戻ることができた。ルクラフライトのキャンセルの憂き目にはあっていない。
だから友よ、明日の旅立ちは大丈夫だ💪

 

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2021年10月11日 (月)

執筆を続けて

ライターの先輩である寺倉力さんにインタビューを受けるのは、2度目だった。
前回は、『PEAKS』に寺倉さんが連載している「Because it is there」。

その依頼を、Messengerで受けたのは、友人達が働く七丈小屋を手伝っているときだった。
朝のひと仕事を終えて、厨房の片隅でお茶を飲んでいるとき、依頼を読み思わず、「既読スルーしたいわ」と呟いた。
「何かを成し遂げたでもない、中途半端な人間をインタビューしても、どうにもならないよね……」と言うと、隣でヅメさんが、「インタビューしたいかどうかは、相手の問題。そういうのは受けて、ただ聞かれたことを答えればいいんだよ」と。

なるほど、確かにそういうものかもしれない。
自分のことはさておき、私とて、何かを成し遂げた人をインタビューしたいわけではない。

それから2年あまり。今度は、『PEAKS』の妹分である『ランドネ』の連載「だから、私は山へ行く」だった。
初めてご一緒する編集者からの依頼であり、寺倉さんがライティングを担当することになった。
夏の頃。掲載誌はとうに書店から姿を消していますが、webで読むことができます。
コチラ→

インタビューの数日後、この仕事を続けてきてよかったと思ったことがあった。
13年前の冬、富士山で亡くなったカメラマンの宇佐美栄一さんの妻である直子さんと、お話する機会がもてた。

私は、宇佐美さんのことを今でも時どき思い出す。
春の北穂高岳、厳冬の赤岳、最後の仕事になった葉山の里山の帰りによったイチゴ畑、打ち合わせのために初めて会った新宿の喫茶店。正月の八ヶ岳から下山して食べた焼肉。
そうだ、そのあとに中央線に電気系統のトラブルが発生し、私たちは長時間、特急あずさに閉じ込められたんだった。
暖房が効かなくなり、湿った山の防寒着を着こんだ。おにぎりが配られたけれど腹は減り、あまった行動食をボリボリ食べていた。
宇佐美さんは、カメラマン根性を出し、彼方此方歩き回って、トラブルの模様を写真に撮っていた。当時は、フィルムの時代。編集部から渡されたロールに余りがあったのか、自分の手持ちがあったのかわからないが、いったい何枚撮ったのだろう。

現場で、意見が食い違い言い争いになったこともあった。
けれど、いま考えれば、ぜんぶ宇佐美さんが正しかった。

遭難を聞き、祭壇に会いに行ったとき、まさか自分が泣き崩れると思っていなかった。
隣にいたある登山家に、「柏さんは、うさちゃんといちばん親しかったからね」と言われ、そうかなあ?とも思った。
同世代であるけれど、10代後半から山やクライミングの写真を撮り続けてきた宇佐美さんは、先輩のように思っていたし、彼には仲間が大勢いた。

直子さんは、宇佐美さんが私のことをどんなふうに話していたか、教えてくださった。
まったく意外で、泣けてきた。
もっと私は、がんばれなかったのか、もっとできたんじゃないかとも思った。
そんな折、神長幹雄さんが書いた『未完の巡礼』に、宇佐美さんが撮った、登山家・小西政継さんのポートレートが載っていて、目に留まった。
晩年の小西さんが、哀しいほどせつない表情をして写っていた。計算するに、宇佐美さんが30そこそこで撮ったもの。その若さで、こんな表情をとらえるなんて、と驚いた。
もっと、宇佐美さんと仕事がしたかったよ。

最近の仕事は、けっこうしんどく、孤独な時間が続くけれど、宇佐美さんに愛想を尽かされないように踏ん張らないと。

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2021年6月16日 (水)

『あの人の山道具』

本日発売の『あの人の山道具』(男の隠れ家別冊)で、ご紹介いただきました。
掲載誌が届きページをめくったら、15人全員友人先輩・今日も明日もご一緒する仕事仲間だったという……なんと。SNSでタグ付けしちゃいたくなるような。

 

ほかに、登山SHOPやブランドのスタッフ達の愛用品もありました。
よかったら、どうぞご覧ください。

 

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2021年3月23日 (火)

頚城山塊・焼山@毎日新聞

3/22の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、頚城山塊の焼山でした。
webでもご覧いただけます(有料)。
https://mainichi.jp/articles/20210322/ddm/013/070/029000c

焼山は、冬から春にかけて、スキーを使って登り滑ったことしかありません。
青葉の季節も気持ちよいだろうなあと想像しながらも、今回は、山スキーの話を書きました。

繰り返し焼山に一緒に登った友人が、私たちの山行を「嶽参り」と言った話も。

雪がつくと、麓の糸魚川市街から眺めてもひときわ存在感があり、静けさがあり独特の山容のこのあたりの山が大好きです。

ところで新聞記事なので、ある程度一般の方々向けに書くのですが。スキーを使った登山のこと、なんて表現するか。
・山スキー
・ツアースキー
・バックカントリースキー
など幾つかの言葉がありますが、どれを使うかとfacebookで友人達に尋ねたところ、同業のライター仲間が「スキーツーリング」と。
なるほど!ヨーロッパでよく使われる言葉ですが、彼が使うとしっくりきます。
私が使いこなせるかは、別の問題としても、ツーリングという言葉は一般の方でもイメージしやすいかもしれません。
スキーは走らせてナンボなので、「歩くスキー」という言葉には私自身は違和感があり、軽快さがイメージできるような言葉遣いがよいかもしれません。
前述のライター仲間も、私も、バックカントリースキーという言葉はなかなか使いません。その理由についても、少しお喋りしました。

この連載の大まかな年間予定を立てていますが、この先新型コロナウイルスの感染状況によっては山に行き辛い時期もあるだろうし、どんな山を取り上げるのがよいのか、どんなストーリーに仕立てたらよいのか、今日デスクと少し話をしました。

今日、コロナが原因となり孤立する女性が増えたこと、その支援の内容などが報道されました。
自分自身もけっして楽なわけではないけれど、こういう報道を読むとせつなくなります。
せめて、朝、新聞を広げた人が清々しい気持ちになれるよう、少しでも明るい気持ちになれるような記事を書きたいと思います。

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2021年2月19日 (金)

『山登り基本のステップアップBOOK』

こちらは『山登り基本ステップアップBOOK』。
ランドネ既出記事をリエディットたものを中心に、書下ろしもあります。装備、気象、読図、ご飯のこと、山登りの心の部分など幅広い内容です。

・村越センセイの地図読みSTORY
・猪熊センセイの山岳気象STORY
・withコロナの山で登山者ができること
・『机上登山』の図書紹介
を再掲してもらい、雪山の世界の広がりについて、新たに書きました。

故西丸震也さんの『机上登山』では、去年まで小屋番をしていた友人の北爪清史さんの歌「水割りと地図」について書きました。歌詞に「テーブル登山」という言葉があったから。ヅメさんの最後の勤務の日、七丈に電話して「あのときのライブで聴いた歌について教えて」と尋ねたところ、率直なところを語ってくれました。
机上登山という言葉を知らないままテーブル登山という歌を書いたと。テーブルに地図を広げて、水割りを傾けながら、山に思いを馳せる歌。
そんな話も再掲してもらえるのは、ありがたいことです。

山歩きを始めたその先に一歩踏み出したい方々へ、お勧め。

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