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2018年9月27日 (木)

篠突く雨

先日、篠突く雨のなか、下山した。
4日間におよぶ、友人達が小屋番をする山小屋の手伝いを終えた日のこと。

入れ替わりに、ヅメさんが歩荷しながら上がってくることは、知っていたので、遠くに彼が見えたとき、「ヅメさーん」と叫んで手を振った。「おお」という感じで、顔を挙げて手を振り返してくれた。

重たい荷物を背負っているのだから、足を止めさせたくないし、ペースを乱すようなことを、こちらがしてはならぬ、と思いながらも、やっぱりすれ違うときは、足を止めて、ひと話。

「これは、まあホントにいい天気だよねー」とヅメさん。
「ホントだね、音もする天気だよ」と私。

つぎに出た彼の一言が、ちょっと心にひっかかった。
うつむき加減で話をするので、長いまつ毛に雨がしたたって、切なくなった。

けれどすぐに顔をあげて、「こんな天気だから、スミ姉、もう1泊してくれるかと思ったよ」と。
「遊びに行っているのだったらいざ知らず、仕事ないのにい続けるのはよくないからさあ」と返すと、彼もうなづいた。長年山小屋の仕事をしてきた者は、仕事が終わればさっさと下山することの、大切さをよく知っている。だらだらいては、いけない。

「つぎ、10月の三連休なんだよね」というと、「うん、でもその時も、こんな感じで入れ違いでしょう。でもまあ、それは仕方ないこと。それがそれぞれのポジションだからさあ」と。
こんどは、下界でゆっくり会おうと約束して、別れた。

後ろ姿を見送りながら、この人は、いろんなことを飲み込んできたんだなあと、勝手な想像かもしれないが、思った。
どれだけのものを飲み込むか、それが大人なのかもしれないし、そんな人は、他者に優しく、温かい。
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2018年9月 3日 (月)

日ごろ、自然

早めに仕事を終えて読書をしていると、いつもお世話になっている山岳ガイドさんから電話。
「面白い人たちが集まっているから、出てきてくださいよ」と。

スノースポーツのオリンピアンや山岳ガイド達が大勢暮らすこの土地で、そんな集まりに行くと、私以外全員が、スキーやスノーボードの選手、元選手、山岳ガイドなんてことは、よくある話。昨晩もそんな顔ぶれだった。

店に着くなり、「今日は釣りの話は禁止だから」と言われた。
おそらく、釣りだけでなく、山菜もキノコの話も禁止であろう、その理由には、思わず笑ってしまう。釣りの話をし始めると、みなが自分の釣りについて語ることに熱血して、収拾がつかなくなるからだ。
そういえば、数日前の夜、わざわざアオリイカを釣ってから、夕食の場に来てくれた方がいて、それは皆の口に入ると、小さな一切れだったけれど、とっても嬉しく美味しかったことを思い出した。けれどそんなほのぼのした話も、厳禁。

初めてお会いしたその方は、かつてモーグル選手として華々しい活動をしたと聞いている。「結局、俺たちみたいに釣りが好きで、キノコや山菜を採りに山に入るヤツが、その後もスキーを続けているんだよね」と。エリートスキーヤー達を多く輩出しているこの村で、小さい頃からスキー板を履いていて、その中からさらに能力の高い人は地元の高校スキー部に入る。その後、大学でもスキー部に入り、選手活動を続ける。
けれど、選手を引退したあと、スキーを続ける人は少ないそうだ。
選手にならなかった人たちで、スキーに親しむ人も少ないという。

山を滑ろうが、ゲレンデで競技をしようが、天から降る雪と積もり積もった雪からのメッセージを受け取り滑っている。自然にどれほど自分自身が露出されるか、その度合いはそれぞれであるけれど。
そうなれば、彼が言うように、釣りやキノコや山菜採りが好きだというのと、自然とふれあって滑ることが好きなのには共通点があり、そんな人たちこそ、長くスキーが続けたいと思うのかもしれない。

「スキーは生活のすべてではなくて、生活の一部だから」とも言っていた。
長く続けたからこそ、人生のすべてがスキーなのではなく、人生を形作ってきたワンピースがスキーと実感するのかもしれない。

店を出て、夜道を歩いているとうすら寒く、薄手のフリースを着込んだ。
そろそろ山にはキノコも出てくる。次の飲み会では、キノコの話は禁止となり、そしてキノコの話をするんだろうなあ。

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2018年7月27日 (金)

祝いの便り

誕生日になると、必ず便りをくれる人がいる。
そのなかのひとりは、外国の友人。

もう10数年前のことだが、私はその年の誕生日を、長江の源流で迎えた。
友人と、その仲間たちでラフトを使って、川を下り、キャンプをしながら1週間ほどを過ごしていた。そこはチベット文化圏。とてもではないけれど、川を旅しなければ立ち寄れないだろう小さな集落やゴンパもあり、とても心に残る旅だった。
誕生日の夜は、なにがあったわけではないけれど、小さなたき火をして、心穏やかに過ごしたことを覚えている。

旅から成都に戻ったとき、一緒に旅した友人の弟であり、私の親友が出迎えてくれ、「スミコの誕生日は、どうやって過ごしたんだ?」と私たちに言った。私は、自分の誕生日のことをとくに言ってはおらず、友人も気づかなかったし、他の誰も知りもしなかったので、とくに何もなかった。
友人は、弟の言葉を聞いてハッとした顔をし、ものすごくすまなそうに、私に何度も謝った。
謝ることはないし、自分でも言わなかったのだし、だいいち、そんなコトだったら弟が教えておいてあげればいいじゃん、ぐらいのことを言って笑い飛ばした。

しかし、友人はそのことをずっと気にしていた。
せっかく、いい旅を一緒にしたのに、その時に祝えなかったことが、ほんとうに申し訳なかったと。
以来、必ず毎年欠かさず、便りをくれる。
親友であるはずの弟の方からは梨の礫だろうが。夏は彼らはとくに仕事が忙しく、旅に出ることも多いが、電波の届かない山奥へ出かける場合は、前もって、「この先、留守になるから、早いけれどメッセージを送るよ」と、律義に。

それは、電話だったり、メールだったり、最近はfacebookのウォールへの書き込みだったり。今年は、WeChatで届いた。
いまのようにfacebookやGoogleが誕生日を知らせてくれるもっと前の頃からのことで、こちらが恐縮するぐらい、それは欠かさない。
それを、素直に受けとることが友情であり、そしてなによりも嬉しく思う。

彼からメッセージを貰うたびに、私はあの夏の旅を思い出すし、友人の優しさに触れる。

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2018年7月21日 (土)

ポートレート

ご一緒するのは、二度目。
前回は、30代前半のクライマーのポートレートを撮って下さった。
9月終わり、暑さが残るボルダーでのインタビュー。
本人は、インタビュー中に「いつまでも20代の気分」と語っていた。
彼が学生の頃から面識があるけれど、たしかに初対面の頃と変わらないフレッシュさがある。
けれど、インタビューを終えた日の夜、写真家から送られてきたアタリを100枚近く見ると、そこには、確実に歳を重ねた33歳の素顔があり、ハッとさせられた。

今回は、25年来の親友をインタビューした。
インタビューの場は騒がしく、人通りも多く、さぞ撮りにくかっただろうと思ったけれど、編集者がDorpboxに入れてきた写真は、そんなことは、まったくなく、鮮やかな作品ばかりだった。
それどころか、次々と写真を見るにつれて、なぜだか、泣けてきた。
ほんとうに、泣けてきた。

インタビューの内容は、友人のモノづくりについて。最後の言葉が心に残った。
もはや、彼らが作るものは「老舗」のそれだろうが、老舗だとか、ロングセラーだからとか、考えて作っているわけではない。日々、ただただ、よりよいものにしていこうと作っているだけ。毎日のその積み重ねが、ロングセラーとなる。

知り合ったのは、友人が学校を卒業し、いまの会社に入社したとき。四半世紀以上前。
その間、毎日毎日積み重ねてきたのだということを、インタビューで知り、そしてすっかり「おじさん」になった彼の顔に、その積み重ねがあらわれていて、それをリアルに写してくれた写真ばかりが、並んでいた。
だから、泣けてきた。

親友が親友をインタビューし、普段知らない彼の仕事ぶりに触れ、岩場でも山でも酒場でも見せない顔を見せた。初対面の写真家は、見たことなかったであろう、彼が積み重ねてきたものを写しとる。
だから、泣けてくる。

いったい、どんな感性で私のつたないインタビューを聞き、インタビュイーの表情を見ていたのだろう。すごい写真家さんだなあ、と思った。
感謝。
下の写真は、撮影いただいたものをパソコンの画面に映したときのもの。
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2018年7月19日 (木)

山と山のはざまで

白馬岳周辺でのガイド登山を終え、翌日の大菩薩でのロケに備えて。

北アルプス山麓で、一晩過ごす。
のんびりするわけにもいかず、ガイド仕事の後片付けと、翌日の仕事の準備をする合間に、焼きそばととれたての夏野菜という贅沢なご飯を作ってもらって、共に食べながら、互いの話を。

病床にあるそれぞれの母親のことなど。時間はどんどん流れ、いまは過去になっていく。
難しいこともたくさんあるけれど、迷っていても仕方がなく、次へ次へとステップを踏み出す。
そんな友人の姿をみて、清々しいなあと思ったり。

デッキに出て、夜風に当たっていると、空に三日月が浮かんでいた。
昨晩まで、テントサイトで参加者のみんなと仰いだ月。
ガイド中のあれこれを、思い起こした。

参加のある一人が、「私にとっては、誰(←ガイド)と登るのかが、重要なんです」と言うのを聞いて、ハッとした。

登山ガイドの仕事をしているなかで、いただいたよろこびのひとつは、顧客に恵まれ、彼らからたくさんのことを教わったり、いい思いをさせてもらったり、色んなことを分けてもらうことだ。
けれど、考えてみると、友達を作りたくて山に登るのではなく、山が好きで山に登りたく続けてきたなかで、仲間ができた、というのと同じように、ガイドの仕事をしたくガイドを続けるなかで、結果的に顧客に恵まれ、彼らといい関係を築けるようなった、ということなのかと思う。

「私にとって、どのガイドと登るのかが重要」、ハッとさせられた一言だった。
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2018年6月25日 (月)

「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」(花谷泰広)

10日ほど前のこと。

patagoniaアンバサダーが順繰りに繰り広げるスピーカーシリーズ、花谷泰広さんの「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」へ行ってきた。


ヒマラヤキャンプ、七丈小屋経営、これらをツールとして今後、どのような「山」を登っていきたいか、という話。ここ数年ずっとぶれることなく、彼が突き進んでいる道について。

ポジティブな性格ゆえ、いつも明るく、順風満帆に見えるかもしれないが、本人は必死なのだと思う。あるいは、死にもの狂いとでも、言うか。


ヒマラヤキャンプの写真に、冬虫夏草採りが通ったカルカに向かう道中のものがあった。潤う緑の向こうに白いヒマルチュリとピーク29が連なる景色。メンバー達がヒマラヤの氷雪嶺を眺めている後姿が、シルエットになって写っていた。

BCを撤収し、アプローチする氷河を変えて、ハイキャンプに向かう途中の写真だそう。


この日は、ヒマラヤキャンプの次なるステージとして、老若男女誰もに向けたものを示していたが、その話の通り、一番若い聴衆はみどりちゃんだった。友人のお子さんで、小学生。

春にネパールのトレイルを歩いたばかりだから、「ネパール、おもしろかった?」と聞いたら、シェルパ語で1から10まで数えてくれた。お父さんが「ネパール語じゃなくてシェルパ語覚えちゃったんだ」と笑っていたけれど、シェルパ語は彼女になにか響くものがあったのかなあ、と想像。


色んな人に色んなインスピ―レーションがわきおこり、色んなきっかけになるのかなあと、そんな夜。

めったに弱音ははかないし、言い訳は絶対にしない。行動者は、いつでも潔い。


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夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

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2018年6月15日 (金)

おにぎり五題

ひとつ。
真冬の朝、友人宅にて。
「今朝は、スミちゃんの好きそうな朝ご飯にしたよ」と。

愛知出身の彼ら夫婦のところに届いた知多半島赤味噌を使った味噌汁。
鰹と昆布出汁に、オホーツクの素干し海苔と三つ葉。
「味噌がいい仕事をしてくれただけだよ」なんて言うけれど、ものすごく美味しかった。
ふた口ほどいただいたあと、海苔が巻かれたおにぎりへ。
これがまた、ふっくらとして、びっくりするほど美味しくて、「すっごい美味しい」と言ったら、「手のひらに少しゴマ油を馴染ませたからかしら」と。
何気ない美味しさ。

ふたつ。
晩夏、友人の山小屋を手伝いにいき、ひとり下山する日。
入れ替わりに登ってくる小屋番の友人が「クマにあったよ」と連絡してきたので、気が進まなくなり、けれどそのアシで次の山に登りたかったから、いよいよタイムリミットで下りようと決めたとき。
「お昼食べていく? 時間ないよね。残り飯があるから、おにぎり握っていって」と。
下りたアシで登る次の山の行程も考え、思わず大きなおにぎりひとつ。
膝の上に載せてみたら、我ながらその大きさにびっくり。

甲斐の国自慢の武川米と、篠沢からくみ上げた美味しい水で炊いたご飯。
塩むすびは、美味しかった。

みっつ。
春の終わりのある夜。
同じ業界で働く同性の仲間とワイン食堂のカウンター。
フランスの塩をくださった。

中学でサッカー部に入る息子を持つ彼女は、毎日、昼ご飯と練習後に食べるおにぎりを握るそう。「ウチの塩の消費量は半端ないよ」と。そうか、米もだけれど、塩もか。朝練と放課後の練習で大汗かくだろうしな。
粒子の粗いこの塩でも、おにぎりを作ってみたくなった。

よっつ。
先日の日曜日。
小ぶりのおにぎりを3つもって山へ。
全部食べられるつもりだったけれど、お昼をとったところで、出汁巻き卵や夕べの残り物だという海老のおかずなど、周囲から差し出されるがままにあれこれいただいていると、お腹がいっぱいになった。

すると目の前のFさん、「柏さんは、どんなおにぎり作るの? ひとつ頂戴よ」と。
うっかり、どうぞと差し出してからちょっぴり慌てた。お料理上手の彼女に、こんなおにぎりでよかったのか。
玄米ご飯を、仕事仲間からもらった粗塩と、フレンチシェフの友達も使っていたから安心して「これは美味しいモノだ」と使い続けているゴマ油を手のひらにぬり、握って、それからいただきもののとろろ昆布をぐちゃって載せただけ。

いつつ。
週末にかけてアドベンチャーレースが行われる村にて。
友人が「花おにぎり」というエディブルフラワーをつかったおにぎりを、3回にわけて180個作らなければならないと。むろん、私が出る幕はない。
冬に赤味噌の味噌汁と一緒に私に出してくれた、あの絶品おにぎりの彼女。それはきっと、みんな大喜びだよ。

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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
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    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

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