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2017年12月 3日 (日)

チョコレート三粒

いただきもののアドベントカレンダー。
今朝、「3」を開いてみたら、アーモンドチョコレートが三粒、ぽろりんと。
昨日と一昨日は、トリュフがひとつずつ入っていたのに。
一気に三倍で、なんだかオトク。

こんな嬉しいさも、日々のたのしみ。
 
「このアドベントカレンダーにも制作予算があり、一日あたり幾らと決められているなかで、お高いトリュフを一粒入れたり、価格抑えたチョコ粒を三つ入れたりしているのかなあ」など、つまらん考えが浮かぼうものなら、それらは払しょくして。
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2017年11月24日 (金)

レトロ喫茶

編集者と打ち合わせるとき、喫茶店を使うことも多い。
 
先日彼女が、「前に待ち合わせた、あそこにしましょう」と言った。
2年前の秋先、このビルにある病院に頻繁に通っていた私は、1階にある喫茶店で打ち合わせようと提案したのだ。時間がなかったこともあるけれど、雰囲気がよいようにうかがわれたからだ。
 
ビル1階にはハイカラなタイルが施してある。これをみて、「プリンみたい」と思い、以来「プリンビル」と呼んでいる。カラメル色があるのもプリンらしさをいっそう際立てている。
そして今回、タイルの壁を見上げて初めて気づいたのだが、なんと天井近くにはストロベリー色のタイルもある。ストロベリー味のプリンもあるのかな。
 
なんでも、ビルオーナーが石材屋さんなのだとか。私たちが好んで訪れる喫茶店は、いっとき閉店の危機もあったようだけれど、ビルのシンボルでもあり再開したようだ。スタバができても、このビルのその名も「ストーン」という喫茶店はなくならない。喫茶店の床に敷き詰められたタイルと、壁の石材が、ストーンの味を出している。
 
彼女と打ち合わせるときは、次回もココかな。
編集者との間にそんな喫茶店があるのは、なんだかいい感じ。
少し前にお世話になった、年上の女性編集者とよく待ち合わせた神保町の紅茶の美味しい喫茶店以来、ふたつめだな。
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2017年11月22日 (水)

そして、みたび

こんな短期間に3回も通うとは思ってもいなかったが、タイミングが合った。
そう際立って、アンセル・アダムスのファンというわけではないのだが。
色んな方々から教えてもらったことを心のなかで繰り返しながら、見入ったり。
極僅かだけれど、ヨセミテ・バレーやトォルミ・メドウに身を置いたときの、その場と時を想起したり。

写真展は通うものなのだと、つくづく思った。
わざわざ訪ねるだけでなく、なにかの折にふらっと立ち寄って、繰り返し見つめ入るもの。
美術館も映画館も、ほんとうはそんな存在なんだろうな。
 
オーケストラの友人が、「カーネギーホールで、マーラー6番の開演直前に「Obstructed Viewのチケットくれ」と言ったら10ドルだったけれど、サントリーホールで母校大学オケが演奏するマーラー5番は10ドル以下、お得だね」と言っていたが、きっと音楽も同じ。日常にあるもの、日常にありたいもの。

 

2017年11月10日 (金)

セーラー服と機関銃

以来、ときどき聴くのが『セーラー服と機関銃』。
原稿を書くときは、音楽はなにも聴かないけれど、事務作業をしているときや運転のとき。
 
YouTubeを使っていると、色んな年代のものが聴けて、薬師丸ひろ子の歌声の透明感はずっと変わらない。けれどやっぱり少女の時の無垢と、歳を重ねた色味帯びた声や表現には、ちがいがある。
 
「下世話な言い方だけれど、セーラー服と機関銃みたいな人生だった」というのは、随分と説明を端折った言い方だったから、ちっとも理解してもらえなかっただろう。それは、映画のことではなく、来生えつこが書いた歌詞のこと。
ドキっとするような歌詞もあるけれど、そうではなくて、もっとピュアな意味で。
 
そんな歌詞を原稿の片隅にそっと散らしても、それはあんまりわからないかなあ。
そんな言葉遊びのような軽々しい行為を、してはいけないのかなあ。
など考えながら、推敲中。

2017年11月 7日 (火)

日常の眺め

白く雪のついた北アルプスの絶景。
山梨県の仕事仲間の家を出るときには、槍穂高連峰を望むことができ、どんどんドライブしていくと、常念岳が現れ、やがて後立山連峰が始まる。
こんな眺めのいい日は、山の上にいるのがいちばんだけれど、中央道から長野道など山の眺めのよいドライブもまた、気持ちがいい。

山麓の村で、友人が登ったヒマラヤの小さな仲間内の報告会。
モモ200個を作るミッションなど厨房のお手伝いに行ってきた。
ずっと厨房にいたので、報告は聞けずに残念だったけれど、それはまた今度本人から。
頻繁に訪れる村だけれど、この村のガイドや登山愛好者たちはこんなコミュニティを形作っているのかと、初めて接する色合いも。
村に住むガイドや登山が好きな人たちが大勢集まり、日付が変わるころまで。

会場を出ると、立待月に星空。
雪のついた白馬連山が闇夜にくっきりと浮かび上がいた。
朝昼晩、春夏秋冬眺めた山並みであるが、夜に浮かび上がる姿がいちばん好き。
今日、観光客に「毎日こんな展望が眺められるなんて、いいですね」と友人は言われ、「毎日ではないんだけれどなあ」って心のなかで思ったそう。
ちょうど私も同じようなことを考えていた。今年、ラッキーなことに闇夜に浮かぶこの山並みを私は何度か眺めることができたけれど、ここに住んでいたって、それはそう数多くないこと。
天気の悪い日は、まったく眺めもないものだ。

今朝は紅色に焼け、私ももう少しこの眺めを味わうつもり。

2017年11月 3日 (金)

今日はいい日だった

今日はいい日だった。
 
朝起きてメールボックスを開けると、大好きな人からメールが届いていた。
先だっての会で、顔を合わさず声も聞けなかったので、どうしているかなあと気になっていたが、元気そうな便りをもらえて嬉しかった。
 
友人が、久しぶりに大好きな人から電話がきたと喜んでいた。
しばらく音沙汰がないことを、ずっと気にしていた。お元気であることや、書き続けていることを知って、ほんとうによかったと言っていた。
 
便りがこないこないと嘆くよりも、日々起こる出来事に目を向けた方が、心は穏やかだ。
えてして、待ち人はなかなか来ないもの。その時間は長く感じられる。
 
2011年の暮れに書いた手帳が出てきた。
いまになって振り返ると、どん底だった年だというのに、この1年であった「よかったこと」を、私は30も書き連ねていた。
「母の老化が進んだけれど、とりあえず大病しなかった」、これが30個目だ。
色んなコトがあっても、その中に小さな喜びや幸せを見つけている自分を、エライって思った。
 
次のページをめくると、2012年にやりたいことを100個も挙げている。内容からして、とても1年で出来るものではないこともたくさん。
「旅先でヨガをする」「スキー板を走らせる」「国東半島へ行く」「春の明るい雪稜を登る」「ちゃんと手紙を書く」「西チベットを旅する」「庭の筍を有効利用する」「雛人形の救出」「スキーで国境を越える」「スキーの源をたどる旅をする」「クラックをもっと登る」「オケにのる」「渡辺斉さんみたいな文章を書く」あんまりに多岐にわたっていて、笑える。
最後は「品格を失わない」であるが、そのひとつ前に書いてあるのが「ネコと仲良くなる」。果たして、私は当時、ネコとなにかあったのだろうか。忘れてしまった。
 
夜になってようやく、「スマホ、水没させた。代替えで何とか復旧」って連絡が来て、ひとしきり電話で話も出来た。夕方からずっと音信不通になり、どうしたものかと思っていたが、これでこちらもまずは安心。
 
今日はいい日だったし、最後までいい日であってほしい。
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2017年11月 2日 (木)

「彼女の文章が好きなんだよ」

晴れ渡る八ヶ岳山麓、もう少し居残ろうかと思ったが、お世話になった山岳写真家である高橋良行さんの訃報を聞き、朝ごはん後、東京に向けてクルマを走らせた。
 
同じく山岳写真家の渡辺幸雄さんが、通夜に参列するために北穂高岳から下りてくるという。
そうであれば、私も通夜へ行こうと予定したのだが、どうにも疲れがたまってダウンしてしまった。せっかく間に合う時間に、東京に戻ったのに。
通夜後、ナベさんが連絡をくれ、良行さんと一緒に進めていた仕事の話や、彼が残した宿題について話してくれた。まったく気持ちの整理もつかない、別れもさんざん、ぐちゃぐちゃだったというようなことを言っていた。
ベッドから起き上がるのも辛かったけれど、そんなだったら体に鞭打ってでも通夜に参列すべきだったと悔いた。
かつて、磯貝さんが滑落死したとき、磯貝さんへのお別れだけでなく、周囲にいる足立さんやナベさんを支えたいと思って、通夜に駆け付けたことを思い出した。葬儀って、生き残った人たちのためでもある。
 
良行さんと仕事を一緒にしたことはなかった。けれど、山岳写真家集団の展覧会に行くと、いつも会場にいらっしゃったので、自然と話をするようになった。
ここ数年はお会いする機会を逸していたが、あるとき、「キミは柏さんの旦那さんなんでしょう。僕は彼女の文章が大好きなんだ」と、当時夫が話しかけられたと、帰宅し報告してくれた。そんな会話は、翌年もまたその翌年も続いた。
 
「君の文章が好きだ」。そういうことを面と向かって言ってもらえたら、それだけでライター冥利に尽きる。そんな経験は少ないが、でも数の多さではないかもしれない。たとえひとりであろうと、言ってもらえただけで、幸せであり、心の支えとなる。
 
小春日和、心の支えであったひとりの先輩とお別れ。

 
追記*
こんなことを書いた矢先、ある雑誌の文章を読んで、「柏さんの文章、好きです」というメッセージが先ほど届いた。私もこれから、本人に向かって、「あなたの写真が好きです」「あなたの文章が好きです」ってちゃんと言おうと思った。
  
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2017年11月 1日 (水)

渋谷の雑踏にて二題

打ち合わせに向かおうと、地下鉄の渋谷駅から地上にあがる階段を上がっていると、友人のクライマーの姿を見つけた。私は上って、彼は下っているところ。声をかけると、「あれー、すっごい偶然」と。今日彼が渋谷で仕事をすることは知っていたけれど、駅だけで幾つもあり、ものすごい人込み。まさか会うことなんて考えもしていなかった。
でも、大都市である東京で、こういう偶然ってときどきある。
「ちょうど連絡しようと思っていたんですよ」、と次の仕事の打ち合わせを、軽く立ち話。
 
数年前のことになるが、棺を前にして、「彼女、俺のコトなんて言っていた?」と聞かれ、「そうだねえ、ゴミ出しの日にゴミを出さないと言っていたよ」と、なんと身も蓋もないことが思い浮かんで、そう言ってしまった。ほんとうはもっとあったのに、まったく気がきかない自分が嫌になった。
 
 
そんなことを、彼に会う度に思い出す。
 
その後、今日の打ち合わせの相手であるもうひとりのクライマーと待ち合わせているカフェへ向かった。
ひとしきり、仕事の話が終わった頃、彼の妻が2月に生まれた娘を連れて現れた。
夫婦ともども友人。そうなると、話はもっとフランクになる。「柏さん、いったい元気だったの」とダイレクトに聞かれたり。
 
さすがカメラマン、私が彼らの娘を抱く姿を、たとえiPhoneであっても上手く撮ってくれる。
昨晩、写真をLINEで送ってくれ、たまげた。ホント、上手い。
さっそく友達に見せたが、どうみても、おばさんが甥や姪を抱くというよりも、もはや孫を抱く姿に、我ながら見えてきた。
そういえば、友人のカメラマンも、「スミコおばちゃんに抱っこしてもらいな~」と言っていたし、それを私もフツーに聞いていた。もうちょっと若ければ、「お姉さんでしょ」とツッコむかもしれないけれど。
そんな歳なんだと思ったり。でも、孫には早いな。孫と姪のあいだ。

2017年10月25日 (水)

神楽坂の夜のあとに

インドの登山から帰ってきた友人と会った。
登山の話以外にも、ダラムサラでの、まさに「仕合せ」のような出来事なども聞いた。
メンツィンカンで買い求めてくれたというプジャ用のお香を手渡された。
帰り際、「今度、お母さんのお見舞いに行くよ」と言ってくれたことには、ちょっとびっくりした。びっくりしたというと好意に対して失礼であるのだが、なかなか言えることではないと思ったのだ。
 
最近思い出すことがふたつある。
 
ひとつは父の死に際。15年以上前のこと。
その日、母と私は口喧嘩していた。そうひどいものではないが、母がちょっとクダラナイことを言ったので、そんなことはいまはどうでもよい、と私が反論したのだ。さすがに父の枕元でそんな会話をするのは忍びなく、ベッドの足元の方で。
その間、夫は父の口に水を含ませたり、看病してくれていた。
そして、言い合いをしている私たちに向かって、「呼吸が止まった」と言った。
枕元に歩み寄ると、まったく息をしていなかった。念のために首に3本の指をあてて、総頚動脈のあたりを探ったが、なにも触れなかった。
漫画のような出来事であるが、振り返るに、これはけっこうしあわせなことだったのではないかと思う。もともと少ない家族が、全員そろっていたのだから。
 
もうひとつは、物書きの師匠が、母親の病床に通っていたときのことを書いた文章。いまはもう手元にない文章であるが、忘れられない。
死に際にあってもなお、親はその姿をもって、生き様とか人生というものを教えてくれるというようなことが書いてあったと記憶している。
 
先日、知人である装丁家の方が紹介していたある文章を読んでみた。
老人ホームで死期を迎えた男性が残した手紙だ。
この文章にあるように、老いというは残酷であり、ときに外側だけを見ると、人間の尊厳さえ失わせてしまうようなこともある。
けれど、物書きの師匠が書いていたように、まさに親というのはそんな残酷な姿をみせながらも、人の一生とか、人生がどんなものであるのかということを、教えてくれるのだなあと、やっと親の尊厳がわかり、感謝できるようになった。
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取材ノート

山など野外で取材する場合は、コクヨの測量野帳を使う。登山者で利用している人も多いと思うが、表紙がしっかりしているので、立ったママでもどこでもメモできる点も便利。SKECTCH BOOKという方眼のものが、いかようにメモしても方眼がジャマにならないので好き。
 
街での取材や打ち合わせで使うノートは、とくに決めていないけれど、一冊にしている。複数の仕事が並行して進んでいるが、どんな内容の取材も打ち合わせも、すべて同じ一冊に書く。アタマから順にメモしていく。だから、Aの取材の次にページにBの打ち合わせが入り、その次にまたAの取材に戻ったりもする。
けれど、ページのアタマに、メモする内容を書くのであまり混乱しない。たとえば、「ヤマケイ/船窪小屋」とか色ペンを使って大きくタイトルのように書く。ときには付箋もつけてインディックスのようにするので、複数の内容が一冊に収まっていても、なにがどこにあるかは、だいたいわかる。
一冊にしておいた方が、整理しやすい点もあるし、どんな時もその一冊をもっていけばよいという点も簡単でよい。
 
長い取材や、ひとつの取材について大人数の方にインタビューする場合は、専用の一冊を作ることもある。それ以外にも、ちょっと気が向いたときや、とくに理由がなくとも、専用を作ることもある。
 
去年使っていた”須弥山”取材の一冊。レナン・オズタークのイラストを表紙に貼ってみた。もちろん、レナンたちが登ったメルーが描かれているもの。
ちょうど半分ぐらい使用したまま、机のいちばん上の引き出しに眠っていたが、今月からまったく別の山の取材に使っている。
Mr. Meruと私が呼んでいたクライマーは、12
年目4度目の登山で登頂する。
いま取材中のべつのクライマーに2月の雪山で会ったとき、今回の計画を聞き、「彼は12年目4度目だったけれど、10年目の4度目になりそうだね」って話したら、笑っていた。
裏表紙に、もうひとつの山の写真でも貼ろうかな、この取材手帳。
 
思いがけず時間ができて、もう少しじっくり取材したり、読んだり、書いたりできることは、ほんとうによかった。
けれど、今週は1度ぐらい山に行きたい。晴れの日をつかめるか。平日休みの人をつかめれば秋のクライミング、いなければちょっと雪の載った高い山へ。
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