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2019年8月 3日 (土)

古巣の北穂へ

先月中旬のこと。古巣の北穂高小屋へ届け物と、みんなに会いに。
もちろん往復とも、横尾谷にあるナベさんの岩で定点撮影をして。

 

タイミングよく、入下山には降られなかったけれど、滞在中は雨、雨、雨、展望なし。
けれどその分、静かな時間をもて、小屋のみんなと積もる話をたくさんできた。

 

お客様の夕食にお出ししている豚の生姜焼きは、昭和50年頃からと聞く。40年以上変わらないことが、すごい。
来館の皆さんに心地よく過ごしてもらうために、目に触れないところで、従業員がどんなことをしているのか、それを言うのは野暮だけれど、掃除の仕方、食器の扱い、調理のときの心配り、配膳、どれもこれも、ずっと変わらない。いずれもまっとうな配慮。
こういった仕事のひとつひとつを手伝わせてもらうと、こちらの心も整う。

たとえば、春がやってくると桜が咲く。
桜には誰かを励まそうとか責めるとか、咲き誇ろうとかそんなことは全くなく、ただただ毎春花を咲かせ、散っていく。
同じように、北穂高岳も北穂高小屋も、時を超えて、変わらずそこにある。
それに、登山者は安らぎや勇気をもらったり、何かを期待したり、憧れたりするけれど、それを、泰然と受け止めているようにみえる。

最初の取材は編集部からの依頼だった。20年以上前のこと。その後、明文化するのは難しい動機付けで(ほぼ感覚的な理由で)、通い連載させてもらった。
20年経っても、また書きたいと思わせてくれ、20歳としを重ねてたいまだったら、もっと書けると思わせてくれる存在に感謝。
北穂高小屋のシンボルであるイワツメクサをはじめ、高山植物がたくさん咲いていました。

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2019年6月28日 (金)

音読とオーディオブック

去年あたりから、ときどき、オーディオブックを使っている。
いまのところ、内容と使うときを限ってはいるが、相応の量を聴いてきた。
端的にいうと、便利なシロモノだ。


原稿を書くと、ほとんどの場合、音読するようにしている。
文章がスムーズに流れるかどうか、計っている。

オーディオブックでは、聴きやすい文章とそうではない文章に分かれる。その差がどこにあるのか、突き詰めて考えたことはない。
けれど、音読がスムーズなのと、聴きやすい文章なのとは、また違う気がする。
それに、ときに、スムーズではない文章にも名文があるようにも、思う。
恩師は、短文だけがわかりやすいのではない、一文が長い文章を書けるかどうかは、書き手の実力だ、というようなことを言っていた。

今日入稿した原稿。
どうも、音読するとスムーズではない。もっと手を入れた方がよさそうだ。入稿したけれど……。
はたして、この原稿をオーディオブックにしたら、聴き手は、どう感じるのか、そんなコトを考える。
名文にオーディオブック向きのものは、確実にあるが、名文が必ずしもオーディオブックに向いているとも思えないし、書き手としては、そのあたりのことがモヤモヤするばかり。

 

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2019年5月 4日 (土)

春菜夫妻との出会い

4年前の今日、2015年5月4日のfacebookより。
旭岳山麓に住む春菜夫妻のこと。あと1ヶ月で、春菜さんが亡くなってからちょうど1年になります。

 

*****
最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、それがヌタプカウシペの春菜夫妻だった。

 

初めて東川町を訪れ、冬の大雪山に登ったのは10年以上前のことだ。なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。モンベルの昔のカタログ表紙にあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。
けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせずに、ただ泊まらせてもらっていた。毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るけれど、それがどういうことかもわかっていなかった。

 

だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。何年も経ってクロカンをやるようになって、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。それは、クロカンに関わる者としてもだけれど、登山や自然に関わる者としても生活者としても。
初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
褪せることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した旭岳を、私も見せてもらっていたからだと思う。

 

今回の東川町訪問は、『大雪山 神々が遊ぶ庭を読む』出版の集いに出席するためだった。
本著は、2/28に出版されたもので、編者は”写真文化首都「写真の町」東川町”となっている。つまるところ、東川町で作った本だ。町が一冊の本を出版しちゃうなんて、そうない話だ。
近年、いくつかの地方自治体の山岳観光や地域活性化に関わる仕事をいただき、各地を回っているが、東川町はたぐいまれなる町だと思う。
ある方が「ファンキー」と表現したけれど、言いえて妙。町政も町民も、面白いほどファンキーかもしれない。活気ある土地というのは、そこにある自然や文化の本当の価値を自覚していて、本来的長期的視野が保たれている。

 

式の席順が春菜さんの隣だったことは、嬉しかった。沢山話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々の遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。アイヌ語のカムイミンタラは直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだ。ちょっと離れたところから旭岳連峰を望むと、ほんとうに空からこっそりと神々が降りてきて愉しそうに遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。

 

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2019年1月19日 (土)

昔の絵葉書、家でじっくり

2年前の正月は、少しの事情もあって、じっくりと自宅にいる時間が長かった。

仕事柄もあり、また山登りや旅が好きなこともあり、アチコチ出かける機会が多いが、たとえ短い時間でも、自宅にいるときに、静かにじっくりと過ごしたいと思うものだ。
facebookの「思い出」機能によると、2年前の今日、部屋で手紙の整理をしていたようだ。

昔から、それこそ小学生の頃から、「晴」という文字が名前に着く人には、深い縁ができることが多い。

黒川晴介さんは、お兄ちゃんのような存在の大好きな山の仲間だった。
その、晴ちゃんのことを、ブログに書き、そしてfacebookにも書いていた。

こんな風に、静かに自宅で過ごす時間をもちたいなあ、と半分憧れのように思う。

***2年の前のfacebookより***

天国にいっちゃった晴ちゃんからのエアメールが出てきたのは先日のこと。

今日は、とんでもない絵葉書の大きな束が出てきた。みんな、ここぞとばかりにお喋りと近況報告と情報を詰め込んでくるから、文字が小さい。よくこんな小さな字を書けたね。老後に読み返して楽しもうと思っていたけれど、現時点ですでにツライ。


いちばん小さな文字は、まぎれもなくアライだよ。世界一周旅行に行くんだとか言いだして、あちこち周っていたときの便りを覚えているか。
「○○子の住所が手元にないからこの葉書を投函しておいてくれ」「来週は◇◇の誕生日だから、俺からだって言って電話しておいてくれ」「帰国日を決めたいから、ついては都合を教えてくれ。成田への迎えを頼む、一泊は泊めてくれ」など依頼事項も多い。


今年は、久しぶりに旅の空から葉書を書こうかと思った、これだけみんなからの便りを読むと。そして、大きめの文字で書くことにします。

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2018年11月 7日 (水)

水辺の夕陽

ふだん、山で沈む夕陽や日の出を見ることが多い。
刻が大きく動くその瞬間が、好きだ。

ブルーモーメントは、夕焼け後や日が出る直前のわずかな時間にやってくる。空が青い光で照らされる。雲がなく澄んだ空模様のときが、綺麗だ。
グリーンフラッシュは、もっと一瞬の出来事。陽が沈んだ直後、日が出る直前に、緑色の光で空が瞬く。
シルバーモーメントというのは、日本では言わないのだろうか。
ヒマラヤでは、よく使う言葉だ。日没後か日出前、漆黒の世界になる直前、あるいは漆黒の世界から抜け出た直後、ほんの少しだけ空に白み、山々が硬質な色で浮かび上がってくる。
この瞬間が、私はいちばん好きだ。

日の入りも日の出も、太陽のある空も美しいが、太陽が照らした山肌は、ことさら美しい。

久しぶりに、水辺の夕陽を見た。
水面がとろんとした色になり、とても美しかった。
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2018年10月25日 (木)

友人の著書と手紙

ある方に、お礼の手紙を書きたく、数週間前から友人の著書を幾度となく読み返していた。
べつの用事で、昨日から著者であるクライマーの友人に電話をしていたが、今晩になってやっと繋がり、久しぶりにたくさん話をした。
次に、遊びに行く約束もしながら。

一見するだけでは、誤解されそうなこのコラムのなかに、好きな一節が幾つかある。
「世間体を気にせず見栄も張らず」というのは、そのひとつ。
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2018年10月23日 (火)

菊根性

「読んだことない」と言うと、ある山岳漫画を全巻、貸してくれた方がいた。
届いたのは、夏のさなか。
18巻あり、数巻ずつクルマに積んで持ち歩いた。
山から山への仕事が続くなか、その合間に下界にいるときに読んでみようと。

しかし、最初はちっとも読み進まなかった。
なぜ作者は、人が山で死ぬことばかり描き続けるのだろうと、読むのがつらかった。
いやがおうでも、人は山で死んでいく。山は危険なところであり、登山には危険な部分もある。人が山で死んでいく、その現実だけで、私はいっぱいいっぱいだ。

けれど、それから少しずつ読み進め、秋に読み終わった。
色んなことを、少しずつ考えた。漫画のことではないけれど、山のこと。

「菊根性」の菊とは、桜と比べたところにあるという。
ぱっと咲いて、潔く花吹雪となり散っていく桜に比べて、菊は少しずつしおれていく。
なかなか散りもせず、枯れてもなお、花が残っていることもある。
そのため、未練がましいことを「菊根性」という場合もあるけれど、もっと前向きな意味で使うこともあるのではないだろうか、この言葉。
しぶとく、登り続ける。

心底山が好きで、本気で山を登り続けてきた人の死は、ことさら辛い。

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2018年10月19日 (金)

【味噌汁日記200】

土佐の青さに萩の玉葱、朝日町の茗荷。
出汁は土佐の宗田節、味噌は尾白味噌。
山のなかで作った味噌が、青さによって、一気に磯っぽくなった。

青さと宗田節は、サーフトリップのお土産。青さは「天婦羅にせよ」と、送り主から今日メッセージが入ったので、つい控えめの量にしてしまった。
宗田節は、「猫まんまがいちばん」というアドバイスに従っていたが、今日の昼から満を持してお味噌汁の出汁に。

玉葱は、萩の泉ちゃんがお土産に持たせてくれたもの。真っ白で大きな真ん丸玉葱。ステーキにしても、なににしてもヨシと言われ、コチラも満を持しての味噌汁デビュー。とっても甘い。

茗荷はさとちゃんちの隣の畑で採れたもの。秋茗荷も、これにて最後か。

味噌は、いつもの尾白味噌。

こうやってみると、ほとんどが頂きものであり、送り主たちの顔が浮かび、味噌もおばちゃんの顔が浮かぶ。
まだ長モノが3本もあり、書いても書いても終わらない日々。
近くの遠くの、友人達の顔を浮かべながら、みなに支えられなんとか過ごしているんだなあ、と感謝。
ときどき、「味噌汁日記、読んでいます」「参考になる」と、声かけてもらっていますが、かれこれ1年以上続きました。日々のなんてコトない食卓と時間。

*Instagramと写真を替えました。せっかくの200回だったのに、どちらも、いまひとつの写真でした*
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2018年10月18日 (木)

プロフィール、そしてキャプションやタイトル、リードは?

今朝、インタビュイーであるスキーヤーさんから、「柏さんがいままで私をみてきて、思ったように好きなようにプロフィールを書いてください」とメールが来た。
最近の情報(たとえば、彼が被写体の写真展があるか、とか、ツアーやレッスンのお報せがあるか、とか)で、(雑誌に掲載する)プロフィールに載せたいものがないかどうか、問い合わせたメールの返信。
これには嬉しくなり、がぜんやる気が出た。

そして、ずっと前にブログに書いた「プロフィール」というタイトルの文章を探し出し、ツィッターに載せてみた(文末に引用)。プロフィールは本人が書くものではなく、編集者、インタビュアーが書くべきものだという話。
それを同業の仕事仲間がリツィートし、こんなコメントを残した。
「同意。プロフィール文を本人が書くっておかしいよ。なぜおかしいか説明しようとしたら字数が足りなくなってしまったので説明はしないけれど、そこを理解できない人とはあまり仕事したくない。そこはわりと致命的な姿勢が表れているようにも思うから」と。

まちがいない。
プロフィールは、その人となりを読者に知ってもらうのが目的であるが、その人選をしたのは編集者や筆者だからだ。


ところで。キャプションはどうだろう。写真に添える文章だ。
プロフィールの件とは、似て非なる話ではあるが。
ある編集部の女性編集者は以前、ずっとキャプションを自分で書いていた。
なるほど、誌面はライターと編集者の共同作業で作られるものであり、全体を見渡したときに、キャプションやリード、タイトルを編集者がつけるということも、アリだと思った。
タイトルを提案してくる編集者は時々いるし、リードを自分で書いてくる人も、まれにいる。
私自身は、タイトルやリード、キャプションを積極的に書いてくる編集者を歓迎する。ライターが書いたものにどうこう言う人は多いが、そうではなく、自分で書き始める編集者。人が出したものに、なにかを言うのは簡単だ。そうではなく、もう一歩踏み込んだコミットメント。

誌面は編集者とライターが共に作り上げるものなのだから。
結果、どのタイトル、リード、キャプションを掲載するかは、その後の話であり、これらを編集者も共に考える、という姿勢。

もちろんそこに、写真家、イラストレーター、デザイナーも関わってくるわけで、それらの人々を束ねるのが、編集者。その束ねる行為、コーディネート部分をまで、ライターに頼ってくる編集者は、ちょっと違うなって思う。
色んな編集者がいるけれど、編集者の仕事の領域というのは、実に曖昧で、へたするとすべてが編集者の仕事のようにもなる。

だけれども、ライターとして、私がやる仕事はひとつ、どんな編集者が相手であっても、本来的には変わらないはず。

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「プロフィール」 2015年10月4日
    
いつから、著者や筆者(あるいは写真家もかもしれない)のプロフィールを、本人に書かせるようになったのだろう。これは、編集者の怠慢だと思うし、悪しき習慣だとも思う。

書籍に載せる著者のプロフィールは編集者が、雑誌記事に載せる筆者のプロフィールも編集者が、インタビュー記事の場合、インタビュイーのプロフィールはインタビュアーが書くのが、常識ではないだろうか。
というか、それぐらい書かないでどうする。他人(ましてや本人)の手に渡していいのか? とすら思う。

プロフィールは、編集者やインタビュアーから著者や筆者、インタビュイーへの手紙のようなものだ。履歴を並び連ねる場合であっても、そこには取捨選択があるし、言葉遣いもある。だからときには、熱烈ラブレターにもなる。

書くときは、大概、既出のプロフィールを一通り読むだろう。けれど、既出の切り貼りはもってのほか。

随分前になるが、小さな新聞に載せたインタビュー記事のプロフィールについて、悩んだことがあった。「○○の活動に関わる、携わる、○○の活動をリードする」などの表記はすでにあったが、そうではない、と思っていたのだ。そのインタビュイーは、その活動に携わるというようなレベルではなかったのだ。
考えに考えて、「挺身」という言葉を思いついた。「○○の活動に挺身する」だ。

挺身は、類語辞典で引くと、「身を投げ出して一所懸命努力すること」。例文は「社会活動に挺身する」とあった。まさに身を挺して、活動に関わり続けていた彼には合致する言葉だと思った。

こんな風にプロフィールを考える、作文するというのは、作り手の特権、醍醐味のはず。こんな作業をやすやす本人に渡してはならない。

だから、自分の執筆記事に対して「プロフィール、書いてくださいね」と言われると、けっこうがっかりくるし、インタビュイーの方から「プロフィール、書きましょうか」なんて言われてしまうと、それは親切心だろうけれど、ちょっぴり悲しくなったりする。
もちろん、インタビュイーに言われた場合は、丁重にお断りし、自分の手に戻すのだが。

プロフィールを書く時間は、相手に思いを馳せる。これも、大切な時間なのではないかと思う。
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2018年9月 3日 (月)

日ごろ、自然

早めに仕事を終えて読書をしていると、いつもお世話になっている山岳ガイドさんから電話。
「面白い人たちが集まっているから、出てきてくださいよ」と。

スノースポーツのオリンピアンや山岳ガイド達が大勢暮らすこの土地で、そんな集まりに行くと、私以外全員が、スキーやスノーボードの選手、元選手、山岳ガイドなんてことは、よくある話。昨晩もそんな顔ぶれだった。

店に着くなり、「今日は釣りの話は禁止だから」と言われた。
おそらく、釣りだけでなく、山菜もキノコの話も禁止であろう、その理由には、思わず笑ってしまう。釣りの話をし始めると、みなが自分の釣りについて語ることに熱血して、収拾がつかなくなるからだ。
そういえば、数日前の夜、わざわざアオリイカを釣ってから、夕食の場に来てくれた方がいて、それは皆の口に入ると、小さな一切れだったけれど、とっても嬉しく美味しかったことを思い出した。けれどそんなほのぼのした話も、厳禁。

初めてお会いしたその方は、かつてモーグル選手として華々しい活動をしたと聞いている。「結局、俺たちみたいに釣りが好きで、キノコや山菜を採りに山に入るヤツが、その後もスキーを続けているんだよね」と。エリートスキーヤー達を多く輩出しているこの村で、小さい頃からスキー板を履いていて、その中からさらに能力の高い人は地元の高校スキー部に入る。その後、大学でもスキー部に入り、選手活動を続ける。
けれど、選手を引退したあと、スキーを続ける人は少ないそうだ。
選手にならなかった人たちで、スキーに親しむ人も少ないという。

山を滑ろうが、ゲレンデで競技をしようが、天から降る雪と積もり積もった雪からのメッセージを受け取り滑っている。自然にどれほど自分自身が露出されるか、その度合いはそれぞれであるけれど。
そうなれば、彼が言うように、釣りやキノコや山菜採りが好きだというのと、自然とふれあって滑ることが好きなのには共通点があり、そんな人たちこそ、長くスキーが続けたいと思うのかもしれない。

「スキーは生活のすべてではなくて、生活の一部だから」とも言っていた。
長く続けたからこそ、人生のすべてがスキーなのではなく、人生を形作ってきたワンピースがスキーと実感するのかもしれない。

店を出て、夜道を歩いているとうすら寒く、薄手のフリースを着込んだ。
そろそろ山にはキノコも出てくる。次の飲み会では、キノコの話は禁止となり、そしてキノコの話をするんだろうなあ。

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