daily

2018年9月 3日 (月)

日ごろ、自然

早めに仕事を終えて読書をしていると、いつもお世話になっている山岳ガイドさんから電話。
「面白い人たちが集まっているから、出てきてくださいよ」と。

スノースポーツのオリンピアンや山岳ガイド達が大勢暮らすこの土地で、そんな集まりに行くと、私以外全員が、スキーやスノーボードの選手、元選手、山岳ガイドなんてことは、よくある話。昨晩もそんな顔ぶれだった。

店に着くなり、「今日は釣りの話は禁止だから」と言われた。
おそらく、釣りだけでなく、山菜もキノコの話も禁止であろう、その理由には、思わず笑ってしまう。釣りの話をし始めると、みなが自分の釣りについて語ることに熱血して、収拾がつかなくなるからだ。
そういえば、数日前の夜、わざわざアオリイカを釣ってから、夕食の場に来てくれた方がいて、それは皆の口に入ると、小さな一切れだったけれど、とっても嬉しく美味しかったことを思い出した。けれどそんなほのぼのした話も、厳禁。

初めてお会いしたその方は、かつてモーグル選手として華々しい活動をしたと聞いている。「結局、俺たちみたいに釣りが好きで、キノコや山菜を採りに山に入るヤツが、その後もスキーを続けているんだよね」と。エリートスキーヤー達を多く輩出しているこの村で、小さい頃からスキー板を履いていて、その中からさらに能力の高い人は地元の高校スキー部に入る。その後、大学でもスキー部に入り、選手活動を続ける。
けれど、選手を引退したあと、スキーを続ける人は少ないそうだ。
選手にならなかった人たちで、スキーに親しむ人も少ないという。

山を滑ろうが、ゲレンデで競技をしようが、天から降る雪と積もり積もった雪からのメッセージを受け取り滑っている。自然にどれほど自分自身が露出されるか、その度合いはそれぞれであるけれど。
そうなれば、彼が言うように、釣りやキノコや山菜採りが好きだというのと、自然とふれあって滑ることが好きなのには共通点があり、そんな人たちこそ、長くスキーが続けたいと思うのかもしれない。

「スキーは生活のすべてではなくて、生活の一部だから」とも言っていた。
長く続けたからこそ、人生のすべてがスキーなのではなく、人生を形作ってきたワンピースがスキーと実感するのかもしれない。

店を出て、夜道を歩いているとうすら寒く、薄手のフリースを着込んだ。
そろそろ山にはキノコも出てくる。次の飲み会では、キノコの話は禁止となり、そしてキノコの話をするんだろうなあ。

Fb_dsc0160_2

2018年8月16日 (木)

鉄道の旅

「移動が多くて、たいへんでしょう」「どこでもドアが欲しくならない?」とは、よく言われること。
たしかに「移動」が疲れないと言えば嘘になる。歳とともに疲れやすくもなっている。けれど、どこでもドアが欲しいと思ったことはない。それじゃあ、「移動」にならない。旅をすることは、好きだ。

北海道には、飛行機で行く。羽田や成田から、千歳、旭川、女満別などに飛ぶ。
けれど、先日は違った。
2泊3日の予定で、ニセコを訪れた。打ち合わせやインタビューのためだ。
台風の動きは気になっていたけれど、2日目の昼のブレイクのときには、まだ情報は入っていなかった。夕方、仕事に一区切りがつき、メールボックスを開くと、翌日搭乗予定のフライトがキャンセルになっていた。今回使う航空会社については、今日も明日も全便キャンセル。
これはちょっと厄介だな、と思い、帰京する手立てを取り直すことにした。

ほかのおふたりは、「集中して、チケット取りしたほうがいいよ」「大手のフライトの早い便から順にブッキングしたほうがいい」など、実に旅慣れた人らしい発言を残し、夕ご飯用のワインを買いに出た。

調べてみると、その時点では、ANAもJALも(つまり、大手)、弱気な発言をしていた。LCCは全滅。台風の歩みは遅くなる傾向にあった。たとえ、夕刻にフライトが復活しても、「機体がまわらない」など言いだしそうだ。
比して、JR北海道はもちろん、東日本も通常運転を予定しているという案内。ちなみに、高速バスには断りの案内があった。

どうしても翌日には帰宅しなければならなかったので、すぐにノートパソコンをオフにして、20分後には、倶知安の駅から在来線に乗った。これに乗車さえすれば、その日のうちに本州に渡れるので、あとはどうにでもなると考えた。ワインを買いに行ってくれたふたりには、電話を入れて。

倶知安駅から長万部駅まで、函館本線を往く。
あっという間に日が暮れて、外は漆黒の森であったが、尻別川が流れている様子が分かり、峠からぐいぐい標高を下げていった。

長万部駅での待ち時間は20分強。ココで夕食を済ませないと、食いっぱぐれるな、と思ったけれど、駅前は閑散。唯一開いていたのがホルモン焼きの店。この暖簾の向こうには、どんな店が広がっているのだろうと好奇心もあったけれど、20分では食べられないと諦めた。

特急スーパー北斗に乗り、新函館北斗駅へ。ここから北海道新幹線「はやて」で青函トンネルを渡って、本州へ。
ここまでは、まったく初めて乗車する路線だった。

新青森駅近くにはホテルはないので、青森駅まで戻って、投宿。
ここに来るまでの間に電話予約したのだが、当日夜に女性一人宿泊というのは、嫌がられるようで、10軒目でやっと予約が取れた。
コンビニで腹の足しになるものを買って、宿についたときには、12時を回っており、受付のいまどき珍しいほど場末感たっぷりな様相に、我ながら、笑った。

翌朝5時半前には宿を出て、再び新青森駅へ。そこからは勝手知ったる路線。午前中のうちに、東京の自宅に帰宅。
翌日からの仕事の準備をすることができた。

倶知安駅を出たのが夕方の6時過ぎ、自宅到着が翌日10時過ぎ。途中宿泊したことを含めて、16時間の旅。
年に何度かは訪れる北海道というのは、それぐらいの遠さだったのかと、旅の疲れと共に実感した。

初めて乗る列車は楽しく、車窓の風景は真っ暗でも、ワクワクした。
初めて降りる長万部の町は、夜でなにも観られなかったけれど、それでも新鮮で楽しかった。
やっぱり、鉄道の旅は楽しい。そしてやっぱり、どこでもドアが欲しいとは、ちっとも思わない。

Fb_dsc0350_2



2018年7月19日 (木)

山と山のはざまで

白馬岳周辺でのガイド登山を終え、翌日の大菩薩でのロケに備えて。

北アルプス山麓で、一晩過ごす。
のんびりするわけにもいかず、ガイド仕事の後片付けと、翌日の仕事の準備をする合間に、焼きそばととれたての夏野菜という贅沢なご飯を作ってもらって、共に食べながら、互いの話を。

病床にあるそれぞれの母親のことなど。時間はどんどん流れ、いまは過去になっていく。
難しいこともたくさんあるけれど、迷っていても仕方がなく、次へ次へとステップを踏み出す。
そんな友人の姿をみて、清々しいなあと思ったり。

デッキに出て、夜風に当たっていると、空に三日月が浮かんでいた。
昨晩まで、テントサイトで参加者のみんなと仰いだ月。
ガイド中のあれこれを、思い起こした。

参加のある一人が、「私にとっては、誰(←ガイド)と登るのかが、重要なんです」と言うのを聞いて、ハッとした。

登山ガイドの仕事をしているなかで、いただいたよろこびのひとつは、顧客に恵まれ、彼らからたくさんのことを教わったり、いい思いをさせてもらったり、色んなことを分けてもらうことだ。
けれど、考えてみると、友達を作りたくて山に登るのではなく、山が好きで山に登りたく続けてきたなかで、仲間ができた、というのと同じように、ガイドの仕事をしたくガイドを続けるなかで、結果的に顧客に恵まれ、彼らといい関係を築けるようなった、ということなのかと思う。

「私にとって、どのガイドと登るのかが重要」、ハッとさせられた一言だった。
37280619_10215016152050931_32845806

2018年7月 2日 (月)

テレビに映ったゲラから

ツィッターのタイムラインに、セブンルールというテレビ番組に校正・校閲者が取り上げられるという情報があった。テレビを持っていないので、オンデマンドで観ると、牟田郁子さんという校正・校閲者の仕事ぶりが紹介されていた。

書く仕事をしているため、校正・校閲の仕事は日常にあり、それほど珍しいものではない。
書き手にとってはなくてはならない存在であり、会う機会こそほとんどないけれど、ゲラに書き込まれた赤字に、校正・校閲者の顔が見えてくることすらある、身近な存在だ。

番組のなかで牟田さんが、大沢敏郎さんの『いきなおす、言葉』を手に取った。校正・校閲作業のなかで、参考となる書籍は片っ端から読むだろうから、なにが出てきてもおかしくはない。けれど、よりによって、大沢さんの本だ。
いったい彼女はいま、どんなゲラを校正・校閲しているのだろう、と画面に映し出されるゲラに目をやった。
すると、「寿識字学校」とか「長岡長一」という単語を見てとることができた。
これはいよいよ、このゲラが書籍になったときには、読まなければならない、と思った。

運のよいことに、牟田さんの連絡先を知ることができ、尋ねた。すると丁寧に教えてくださった。それが、『猫はしっぽでしゃべる』だった。
熊本にある橙書店の店主である方の書籍だと聞き、いったいどんな本なのだろう、と思った。須賀敦子の『コルシカ書店の仲間たち』のような本なのか、大沢さんのことは、どんな風に書いてあるのか、手に取り、ページをめくり、読み進め、たどり着くまでドキドキした。

故・大沢敏郎さんは、横浜の石川町駅近くにある大きなドヤ街真ん中で、寿識字学校というのをやっていた。
私はいまの仕事をする前、ユネスコの仕事をしており、識字教育の関係で大沢さんと知り合うようになった。私のいた職場の識字教育は、インドやネパール、バングラデシュ、タイ、カンボジア、アフリカなど識字率が低い国の教育支援であったが、日本国内にも存在する識字問題に触れる機会があったのだ。

寿識字学校に通ってきていた、長岡長一さんや梅沢小一さんの文章は、いまでもよく覚えている。圧倒されるものだった。ほかの人達の文章にも、いつも圧倒されていた。
彼らは、教育の機会を逸し、文字の読み書きに不便している大人たちだ。その彼らが書くつたない文章には、ものすごい力があった。
その力がどこから来るかは、ものすごく端的に言ってしまうと、書きたくても、書けなかった時間にためこんだ力であり、ほんとうに人に伝えたい気持ちなのだと思う。それは、並大抵の力ではなく、ほんとうに彼らの文章は、息をのむものだった。

そんな人たちの文章と、大沢さんはいつも丁寧に、そして真向から付き合っていた。
私のような者が、ときどき寿識字学校へ行き、彼らと一緒になって、作文をし、それこそくだらない、中味がなく薄っぺらい文章を書いても、それについても真剣に付き合ってくれた。

文章を書く動機付けとか、その根底に流れるものについて考えるとき、私は、寿識字学校のみんなと大沢さんのことを思い出す。
そして、彼らが書く文章を越えることは、一生できないのではないか、と思う。
書く仕事につまずいたとき、寿識字学校の文集『いきるちから』や、大沢さんの本を読み直そうと、いつも思っている。
Fb_dsc0069

2018年7月 1日 (日)

山麓で迎える夏の始まり

毎年、ああ、夏になった。空気が入れ替わって、まさに今日から夏だ、と感じる日がある。
それをいつどこで感じたか、だいたい覚えているものだ。

あちこち出かけることが多いので、定点観測にはならず、だからその土地に住む人にとっては、「いいえ違う、この日よりも前に、季節が変わったんだ」「確実に空気が入れ替わったのは、その数日後」などあるかもしれない。
けれど、感覚は自分自身にしかなく、自分にとって、今年の夏が始まるのが、このとき、ということだ。

去年は、7月下旬、安曇野で過ごした日の明け方に、「いよいよ夏だ」と思った。
一昨年は、夏至のシャモニーの夜に思ったけれど、その数日後、イタリアに向けて移動する朝、「今日こそ」と思い直した。
その前の年は、小暑の朝の通勤路で「ああ、夏だ」と思った。

夜、夕食後に庭先に出ると、白馬三山は雲のなかだったけれど、満月から少しかけた月の周りに彩雲があり、日中よりもほんの少しだけ空気が乾き、「ああ、夏がやってくる」と思った。
短い山歩きだったけれど、久しぶりに北アルプスの尾根を登り、雪渓を渡りあがってくる風に、夏山の匂いがあった。
夕暮れ時、デッキのベンチに座り、山を眺めると、山にはまだ雪が残っていて、けれど緑も潤っていて、1年ぶりに夏の山に帰ってきたことが、とっても嬉しくなった。
田んぼからカエルの鳴き声が続き、涼しい風が部屋を通り、夏掛けの布団で眠る心地よさ。
36465755_10214896214372564_71549067

2018年6月25日 (月)

夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

Fb_dsc0336

便り

もう少しでよいからうまく伝えたかったと思った、記事。
美しい文章でありたい、人を感動させたいとは考えないけれど、思いが伝わるように書きたいのに、うまく書けなかった思いが残った。
「もう1回でよいから、ゲラを出してもらいたかった」「そうすれば、もう少しうまく書けた」とか、言い訳はしたくない。
だから記事になるまでの過程を振り返って、あの時点でこうすれば、いい方向へいったのかもしれない。あの段階でもっと突っ込めば、もう一段階進めたのかもしれない、と考える。

原稿を書くのはライターだけれど、編集者や校閲者の作業が加わって、記事になる。
だから、自分の思い通りにだけ進めることもできない。
けれど、自分の思ったことを書きたいわけで、そのためにはどうしたらよいか。
毎日書き続けるために、振り返る。

おそるおそる開けた便りには、「よい内容だった」と書いてあり、少しだけホッとした。
いちばん読んでもらいたく、あるいはいちばん読んでもらうのが怖かった方から届いた便り。

少しだけ安心して、朝ご飯の準備。
味噌汁を作るとき、琺瑯の入れ物から味噌をすくい出す木べらは、北欧土産。これは、バターかチーズのナイフだよな、きっと。

さて、まったくどうしてよいかわからない、次の原稿に取り組もう。
前途多難。

Fb_dsc0577

2018年6月15日 (金)

おにぎり五題

ひとつ。
真冬の朝、友人宅にて。
「今朝は、スミちゃんの好きそうな朝ご飯にしたよ」と。

愛知出身の彼ら夫婦のところに届いた知多半島赤味噌を使った味噌汁。
鰹と昆布出汁に、オホーツクの素干し海苔と三つ葉。
「味噌がいい仕事をしてくれただけだよ」なんて言うけれど、ものすごく美味しかった。
ふた口ほどいただいたあと、海苔が巻かれたおにぎりへ。
これがまた、ふっくらとして、びっくりするほど美味しくて、「すっごい美味しい」と言ったら、「手のひらに少しゴマ油を馴染ませたからかしら」と。
何気ない美味しさ。

ふたつ。
晩夏、友人の山小屋を手伝いにいき、ひとり下山する日。
入れ替わりに登ってくる小屋番の友人が「クマにあったよ」と連絡してきたので、気が進まなくなり、けれどそのアシで次の山に登りたかったから、いよいよタイムリミットで下りようと決めたとき。
「お昼食べていく? 時間ないよね。残り飯があるから、おにぎり握っていって」と。
下りたアシで登る次の山の行程も考え、思わず大きなおにぎりひとつ。
膝の上に載せてみたら、我ながらその大きさにびっくり。

甲斐の国自慢の武川米と、篠沢からくみ上げた美味しい水で炊いたご飯。
塩むすびは、美味しかった。

みっつ。
春の終わりのある夜。
同じ業界で働く同性の仲間とワイン食堂のカウンター。
フランスの塩をくださった。

中学でサッカー部に入る息子を持つ彼女は、毎日、昼ご飯と練習後に食べるおにぎりを握るそう。「ウチの塩の消費量は半端ないよ」と。そうか、米もだけれど、塩もか。朝練と放課後の練習で大汗かくだろうしな。
粒子の粗いこの塩でも、おにぎりを作ってみたくなった。

よっつ。
先日の日曜日。
小ぶりのおにぎりを3つもって山へ。
全部食べられるつもりだったけれど、お昼をとったところで、出汁巻き卵や夕べの残り物だという海老のおかずなど、周囲から差し出されるがままにあれこれいただいていると、お腹がいっぱいになった。

すると目の前のFさん、「柏さんは、どんなおにぎり作るの? ひとつ頂戴よ」と。
うっかり、どうぞと差し出してからちょっぴり慌てた。お料理上手の彼女に、こんなおにぎりでよかったのか。
玄米ご飯を、仕事仲間からもらった粗塩と、フレンチシェフの友達も使っていたから安心して「これは美味しいモノだ」と使い続けているゴマ油を手のひらにぬり、握って、それからいただきもののとろろ昆布をぐちゃって載せただけ。

いつつ。
週末にかけてアドベンチャーレースが行われる村にて。
友人が「花おにぎり」というエディブルフラワーをつかったおにぎりを、3回にわけて180個作らなければならないと。むろん、私が出る幕はない。
冬に赤味噌の味噌汁と一緒に私に出してくれた、あの絶品おにぎりの彼女。それはきっと、みんな大喜びだよ。

23519071_10213109326741490_78143086

2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

Fb_dsc0021

2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
Fb_dsc0010

より以前の記事一覧

2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

Information

  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

Magazines