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2020年3月23日 (月)

三日月山(福岡)@毎日新聞、そして竹内洋岳さんによる日下田實さん追悼

今朝のわくわく山歩き@毎日新聞朝刊は、福岡市の郊外にある三日月山です。
webはコチラ https://mainichi.jp/articles/20200323/ddm/014/070/052000c(有料)
タイトルは、「里山でアラスカ思う」。

敬愛する登山家・栗秋正寿さんと、黒田誠さん(国際山岳ガイド・写真家)、増本亮さん(クライマー)らと登ったときのこと。栗秋さんが単身通い続ける厳冬のアラスカ、そして黒田さんや増本さんが経験してきた国内外の各地の厳しい登攀、それらが、日常の里山と結びつく瞬間。
先日インタビューした、あるクライマーの話にも共通します。自然のなかで激しいまでの経験をした人が、穏やかな自然も知っており、そのふり幅が、そのままその人の人柄だったり人生に表れるように思います。こんな風にふり幅が大きな人は、生涯を通じて、山を楽しむことができるのです。


三日月山は、栗秋さんのお宅からもよく見えます。台所にある窓から毎朝三日月山を見るのが習慣。そんなエピソードは、『山と溪谷』1月号の「100人で選ぶ名山100」に、ご本人が寄せていました。

さて。
同紙の「悼む」に、日下田實さんがあります。日本隊がマナスル初登頂したときのサミッター。書き手は、プロ登山家の竹内洋岳さん。竹内さんは、生前の彼との交流のなかから幾つかの思い出を書いています。おふたりが座談会をしたとき、書き手として同席しましたが、あのとき一番心に残った日下田さんの言葉を、竹内さんも紙面に紹介しています。
ぜひ、キオスクかコンビニへ走り、毎日新聞を。

 

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2020年3月15日 (日)

山野井妙子さんインタビュー@『山と溪谷』4月号

発売中の『山と溪谷』4月号から、隔月連載「平成を登った女性たち」を始めます。
昨年1月号で平成期の日本人女性の登山について書いたのがきっかけであり、それ以前の歴史は大先輩の板倉登喜子さんと梅野淑子さんが『日本人女性登山史』にまとめているからです。
担当編集者のかねてからの思いで始まりましたが、いったい平成がどんな時代だったのか、いま女性を取り上げる意味をどこに求めるのか考えながら連載することになりそうです。

 

平成元年(1989年)、ブッシュ大統領就任、手塚治虫、美空ひばりが死去、週休二日制、土井たか子社会党が第一党、ベルリンの壁崩壊、ヒットはプリプリのDiamonds、魔女の宅急便、ばななのTSUGUMI、Hanako創刊。

 

初回は、そんな時代性と全く無縁の山野井妙子さんです。彼女が登攀対象をヨーロッパからヒマラヤへと移行し始めたころ。
たった4ページで、妙子さんの平成期のクライミングを語ることはできません。超駆け足ですが、この先もっとじっくり書いていきますので、お許しください。ひとつ先とそのまたひとつ先を見据えて、今回はさわりのように記事を書きました。

ふたつ先までたどり着くには時間を要しますが、どうかまずは、今回の記事を読んでいただきたいと思います。
また、もし読者の方々から感想をいただける機会があれば、とても嬉しいです。
タイトルは「世界レベルに達したアルパインクライマー。心の赴くままに登り続けた。」
少しでも、妙子さんのクライミングや人となりを感じてもらいたいです。

 

ほとんど記録を残してこなかったどころか、記憶にも留めない彼女を、横で支えインタビューに応えてくれたのは泰史さん。
それと彼女の山の仲間たち。
録音は10時間近く回していますが、「うーん、思い出せない」が続くので、正味7時間ぐらいか。

 

写真のギアは、よくご覧いただくとどんな細工がされているかわかると思います。一時期、ウチのカムにも同じ細工が……(笑)。
ボルダリングの写真は「ひよこ岩」。福岡銘菓のひよこに似ているから、私が名付けました。場所は四川省ダオチェン。リータンよりもさらに奥のあたりです。ボルダリングマットは、旅の途次に買ったチベタン布団。ギャチュンカンからの生還の翌年。

 

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2020年3月13日 (金)

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんインタビュー@イワタニプリムス

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんをインタビューしました。
ご自身の原点、ガイディング、そして日本の登山社会を見渡して。

 

初めてお会いしたのは、彼が20そこそこのころ。ビッグマウンテンスキーヤーとして世界を転戦していたとき。首が太い人だなあと思ったのを覚えています。その理由は、すぐに理解するのですが。
30代、軸足をガイドに移し、国際山岳ガイドにもなります。この間も仕事のこと、なまら癖-Xの登山やスキーの旅、デナリ南西壁大滑降など、何度かインタビューする機会に恵まれました。
42歳になり、何を見据えているのかという問いに、予想と違う答えが返ってきました。

 

ところで。ご自身を「ラッキーボーイ」と言い、挫折知らずだと。挫折しそうなぐらい困難なことがあっても、それを静かに乗り越える能力と精神力を備えているのだと私は思いますが、ひとつだけ痛恨の出来事がある、というので聞かせてもらいました。
それは笑っちゃうぐらいのことで、「それ、大輔さんがダメだね」って笑い返しました。札幌市内でのこと。一緒だった国際山岳ガイドの皆さんは、思い当たる節があるのでは。

 

そんな話をするのも大輔さんのチャーミングなところ。
持論ですが、トップアスリートは、強い信念(自分の才能を信じる力)、飛びぬけた集中力、抜群のバランス能力などと合わせて、繊細でチャーミングな面も持ち合わせています。
もちろん、佐々木大輔さんも。

 

1月下旬の雷電海岸の写真は、二木亜矢子さん。ポートレートは中垣美沙さん。女性3人で、お届けする記事です。
https://www.iwatani-primus.co.jp/realvoice/5.html
*ブログの写真は、私がパチリと撮ったものです*

 

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2020年2月29日 (土)

校了、責了

下旬に4本締め切りが重なり、2月はずっと苦しかった。

1本は週末に下版。久しぶりに記事を読んでくれた者が、「いいんじゃない」といつもの返事。

もう1本は、昨日校了。

2年に1度ぐらい褒めてくれる編集者が、原稿を読むなり「もっと書きましょう」と言い出した。

ありがたい。次の単行本のその先を考えよう。

長年親しくしてきた友人であるクライマーの物語。親しいけれど、人間誰だって色んな顔があるわけで、私の知らない素顔もたくさんあるはず。

唯一無二のクライミングのパートナーに読んでもらい、少しは、書けたのかなあと自惚れた。次はもっと書こう。

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次の1本は、日中のガイディングを終えた身で、ついさきほど夜遅くまで最後の仕上げに付き合ってもらい、なんとか責了に持ち込めそう。チャーミングで器がどデカいクライマーの胸を借りて書かせてもらった。

最後の1本、初めて、カンチェンジュンガのことを書いた。編集者に預けた、あとはどーにでも料理してください。

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こう考えると、全部周囲の人たちに書かせてもらっている。

3月も書き続けます。

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2020年2月23日 (日)

「登山中の事故、傷病のその後」@『山と溪谷』3月号

現在発売中の『山と溪谷』3月号の「登山中の事故、傷病のその後」を執筆しました。
ライター3人で担当している不定期連載です。
事故のこと、傷病者へのファーストコンタクト、プレホスピタルで何が起きて、どう対処されたか。
医療機関での治療やその後のリハビリ、社会復帰へのことを述べています。
事故を検証する記事は多いけれど、どんな道のりを経るのか、登山者の皆さんと共有したいと意図し、続けている連載です。

今回は主に、現場での処置を報告しています。
シャモニー谷にあるパピヨンというロッククライミングのルートを登っている最中の滑落事故です。
ジャンダルム(フランスの山岳警備隊)が来て、どんな手当をしたか。その多くは、医療に従事しない者であっても一定のトレーニングを経れば身に着けられることです。
救助隊員の処置と、一般向けの野外救急法を対比させながら、紹介しました。
野外救急法の重要性を、読み取っていただければさいわいです。

ご協力いただいたのは、事故者とコンタクトのあった医師たち(診察や相談)のほか、救急救命医の稲垣泰斗さんです。
野外救急法、野外医療に挺身し、ウィルダネス メディカルアソシエイツ ジャパンのメディカルアドバイザーであり、複数のトレイルランニングレースでの救急体制の構築や現場での指揮にもあたっている方です。
記事中の助言のほか、事故者のカルテやCTを読み解いていただきました。
ご一読ください。

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***
本誌を手に取って、写真家の中村成勝さんがお亡くなりになったことを知りました。
とても悲しいです。
駆け出しのころ、夏の山も雪の山もご一緒させていただきました。お住まいが隣の駅なので、打ち合わせやポジの受け渡しは、近所の喫茶店待ち合わせでした。
こんな大切なことを、雑誌で知るしかなかったことも無念です。
P180の坂戸山の案内記事が最後。六日町の城山、成勝さんらしいです。青い若葉と魚野川の向こうに雪の残る谷川連峰、明るくのびのびとした写真です。
クレジットから察するに、打田鍈一さんのお力添えで、最後に記事になったのでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。

2020年2月15日 (土)

記録、登攀記録

同業者がfacebookに、記録について書いていた。
村の会合にて。議事録を細かく残す必要があるのか誰かが問うたそうだ。面倒だし、こんなの誰が読むんだと。
同業の彼が思ったのは、記録は本人たちではなく他者が読むもの、その本質を忘れがちだということ。
これには、目からうろこだった。
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「写真の記録性」という難しい原稿を書いたことがあった。
樹木希林が「PHOTO IS......」というテレビCMで語ったように、明日のことはわからない、だからいまを撮る。
その写真の記録性の意味について書いた。
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ひるがえって、いま執筆中のクライマー。ほとんど記録を残していない。ネットにはもちろんない。当人、あまり覚えていない。
周囲に尋ねるしかない。なぜ記録しないのか、記憶にとどめないのか、その本質が興味深い。
自分の手で記録を残そうとしなかったクライマーの記録を、私が残すことになる。大きな山です。

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2020年2月 7日 (金)

水平の取れていない写真

水平がまったく取れてないダメダメ写真。
北海道の雷電海岸で撮影とインタビューをしていた。
インタビュイーたちがドライのルートを登り始め、その撮影に入った中盤。
落石が多くなってきた。フォロアーがふたり同時に登っていてクライマーたちの位置も違うため、フォールラインも一定ではない。あちこちに降ってくる。
これは危ないなと思い、唯一よけられるだろうくぼんだところに身を寄せた。
岩壁を見上げることは諦め、しばし心がからっぽになり、海を眺めていた。
海がある風景、海がある土地が好き。海には広がりがあって、清々しい気持ちになる。

 

翌日東京に帰ったら、会う約束をしている友人がいた。
焼肉が食べたいと言い出し、雪に覆われた高峰で撮影の仕事をしているとき、テントのなかで、焼肉屋をリサーチしまくったという。
ぜったいに美味しい店を見つけたから、そこにしようと。
しんどい話をしなければならず、気が重たかったけれど、お腹がすくのは心がすさむので、焼肉屋に行くことにした。
けれど、海を眺めていたら、なにもかも、どーでもよくなった。
相手が自分の見えていない側で何を考え、作為していようと、それはどうでもよい。
いまはいまでしかない。目の前の人を信じる、目の前の出来事や自分を信じる。
けれど、いましか見ていないわけじゃない。ずっと先もみつめているんだから、だから目の前のこと以外はどーでもよくなった。

 

その視座は、人と人との関係だけでなく、仕事も同じ。
自分だけでなく社会全体のその先を見据えて進めるけれど、それはいまの積み重ねでもあるから、いまを大切にする。
案外、長い髪をかき上げながら荒川の河川敷で歌っていた人の歌と、同じかもしれない。

 

そんなに強く心を持ち続けられるかわからないけれど、海に救われることは多い。

 

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2019年11月21日 (木)

竹内洋岳さん、アンカーとスポンサー契約記者会見

昨日は、プロ登山家竹内洋岳さんが、アンカージャパンの記者会見に登壇。スポンサー契約を締結。
今後、ヒマラヤという過酷な条件下でのアンカー製品使用のフィードバック、新製品開発へのアドバイスを担うなどの話がありました。
そして、「プロ登山家」として今後も歩んでいく所存を、私たちに示してくれた機会でもありました。

 

写真の最後の1枚は、同日夜、御徒町で行われた花谷泰広さん企画の会に竹内さんが登壇したもの。20年近く毎年途切れることなくインタビューし続けた先にある、慣れ親しんだ声。何度聞いても、彼の話は心にすっと入ってきて、そして心地よいのです。
そんな竹内さんの魅力については、近いうちに幾つか書かせてもらう予定です。

 

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2019年11月 6日 (水)

荒木健太郎さんインタビュー/雲を愛することが防災につながる

気象庁気象研究所研究官であり、雲研究者の荒木健太郎さんをインタビューしました。
『アウトドアで防災BOOK』(枻出版)に収録したものに加筆し、webにあります。

雲に関心をもつ、空を見上げることを、ひいては防災につなげたいというストーリー。
印象的だったのは、荒木さんが、雲を研究対象としてではなく、ほんとうに好きになった過程。山の世界でも、自分自身が本当に好きで登り続けている方は、面白い仕事をするなあと思います。
それと、シチズンサイエンス周辺の話。若い頃から自分の専門性を一般社会に還元することを考え続けてきた方。

インタビュー中に話が挙がった、2015年9月の鬼怒川決壊や2013年2月の関東の大雪のとき、自分がどこで何をしていたのか思い出した。
防災というのは、リキが入って敷居が高い。けれど、他人事ではない(というのを、台風15号で私も経験した)。
荒木さんのアイディアは、空を見上げる、空模様に興味をもつ、それはとても面白いこと、そしてやがて理解が深まり、防災・減災につなげて欲しいと。

インタビューは、8月末に筑波の研究所にて。研究室の窓から、筑波山が見え、空が大きく広がっていました。
荒木さんが気象監修した映画、『天気の子』に出てきたような雲もありました。

インタビュー記事は、コチラでご覧いただけます。

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2019年10月24日 (木)

白馬岳@わくわく山歩き

9/30の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、白馬岳でした。
web版(有料)はこちら→ https://mainichi.jp/articles/20190930/ddm/014/070/018000c

白馬岳、白馬との関わり合いは、数知れず。
初めて登った北アルプスの山、高校1年生のとき。
稜線のテンバで台風をやり過ごすハメになり、気合入れて張り綱張ったけれど、夜、小屋の方に避難してほしいと言われ、気づくと周囲のテントはすべて撤収されていたこと。
春に夏に秋に、北から南から縦走したこと。
残雪の主稜、スキー。
テレビ撮影だったけれど、その後大切な友人になる萩原智子さん達と登ったときのこと。

今回は、栗原すずちゃんが作った「白馬岳新聞」の話を書いた。
誰に教わったのか、「白馬岳」の読み方、「ハクバダケ」とルビがふってある。
そして最後の「すずちゃんの登山アドバイス」が、まっこと感心する。

すずのお父さんとも、何度も登った。
ある年の9月、1週間ぐらい剱周辺でクライミングしたあと、仙人などを経由して、清水尾根を登ったこともあった。
二人とも若かったせいか、それほど長いとは感じず、疲れもせず大池へ向かった。

秋の白馬岳では、既に冬支度が始まっています。
この先、なかなか簡単には登らせてもらえなくなるけれど、白馬村から見上げる白馬三山のどんな姿が好きかも、書きました。
何度か眺めたことがある瞬間、とても硬質に輝くそのときどきのことは、とてもよく覚えています。

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