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2022年6月19日 (日)

甲斐駒ヶ岳登拝@『山と溪谷』7月号

『山と溪谷』7月号(6/15発売)に、甲斐駒ヶ岳登拝の記事を書きました。

北杜市白州町横手にある駒ヶ嶽神社から黒戸尾根を登り、本社のある御山頂(東峰)を経て、登山者が山頂と呼ぶ西峰、さらには摩利支天への道。
山岳信仰は、登るという行為で信仰を重ねるわけですが、今回の記事では、甲斐駒ヶ岳の登拝はどんな様子なのか、どうやって続いてきたのか、ほんの少しですが書きました。

かつて七丈小屋の手伝いで幾度となく往復した黒戸尾根に、昨年夏の登拝に同行する機会を得て登ってみると、それはまったく初めて登る山のようでした。その新鮮さに、ともかく驚きました。心が救われるような出来事でした。
なにをおいても、こんな貴重な経験に誘い出してくれた友人の堀内美津子さんに感謝です。
七丈小屋が現在の体制になった当初から、勤務している方です。
堀内さんは私に、「山小屋も登山者も時代と共に変わっていく。けれど唯一変わらないのが登拝。それを見てほしい」と言いました。その彼女、登拝でびっくりする潔い姿を見せたのですが、それは、次の機会の記事に書きます。

夏の次は、秋の登拝をし、毎月1日の月次祭と鳴動護摩、閉山祭、大祓、正月の神事と武芸奉納、筒粥神事、例大祭に参列。
先日は、五合目の石碑の整理作業をしました(2019年の台風19号で流出したものもあり、とりもなおさず置いてあったため、あるものを確認し、並べ直し整理する作業)。
たった1年、駒ヶ嶽神社に関わっただけでは、とても書けない内容。最初は自分史上最悪の原稿になり、編集担当の辻拓朗さんのおかげで、そこからなんとか1ミリ程度這い上がっただけです。

けれど、写真が素晴らしいので、ぜひご覧ください。
秋の登拝に、国際山岳ガイドであり写真家の黒田誠さんに同行してもらいました。
今日、メッセージの履歴をさかのぼったら、夏の登拝の直後(しかも、自分の誕生日!)に、黒田さんに依頼し、まずは日程だけ空けてもらいました。
宮司から明確な承諾を得る前、媒体は全く決まっていなかったのだから、我ながらいい度胸をしています。けれど、撮ってもらうとしたら黒田さん以外考えられなかったのです。
いざご一緒したら、私が知っていたよりも、想像していたよりもずっとずっと、黒戸尾根と縁の深い方でした。

1年間ご一緒いただいた、今橋武宮司、小百合さん、堀内さん、大野正一さん、津島隆雄さん、伊与久大吾さん、敦子さん、真澄さん、三好妙心さん、林多映子さん、春日玄さん、それとお世話になった七丈小屋に、特別な感謝の気持ちを表したいと思います。

そして、開山から始まり200余年、これまで登拝を支えてきた遠藤先達をはじめとした多くの方々があってこその、いまであることを実感しています。
トビラの写真は、摩利支天に向かう登拝の一行が写っています。赤石沢から湧き上がる雲が、稜線で止まり、太陽が摩利支天を照らしていました。
さて、今年の夏も始まります。
その前に、横手道の草刈りや整備に行ってきます。

**********
痛恨の誤字があります。
小見出しの「横尾道」は「横手道」です。
お詫びして、訂正いたします。
blogの写真は私が撮ったもの。
登拝メンバーの皆さん、撮影中の黒田さんです。

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2022年6月12日 (日)

カンチュンナップ北西壁初登攀@ロクスノ

6月6日に発売された『Rock & Snow』に、山田利行さん+谷剛士さんのカンチュンナップ北西壁初登攀を載せました。
山田さんの珠玉の原稿とふたりの写真で構成。

タイトル通り、彼らの日常であるカナディアンロッキーからヒマラヤ6000m峰の壁へとたどった道のりと、今回の登攀について書いてあります。ふたりの考え方や有益な情報も載っています。

ほとんど編集仕事はしないのですが、今回超久しぶりにこのような仕事がやってきて、昨年12月の山田さん、谷さん登壇のウェビナーから始まり、素晴らしいクライマーでありとっても魅力的なふたりとご一緒できたことが、すっごく嬉しく楽しく、宝物になりました。
ウェビナーの打ち合わせのときも、カナダから久しぶりに日本に戻ってきてお会いしたときも、下山後にネパールで原稿を書いてもらいながらやり取りをしているときも、いざネパールから日本に帰ってきて記事の最後の仕上げをしているときも、とても気持ちよいふたりであり、そしてたくさん勉強もさせてもらいました。

そんなタニ+トシがカナダに帰国して、なんだか寂しくなった感すらある今日この頃ですが、これからのふたりのそれぞれの活動に心からの敬意を表して!再会を楽しみにします。

カンチュンナップのひとつ前の記事は、上田幸雄さんと山本太貴さん、伊藤勇介さんの黒部横断です。ご縁あって(笑)、3人の出発前に話をして、明日は下山できるっていう日と馬場島に下山してすぐに連絡をくれたこともあり、私にとっても思い出深い時間でした。
揺れ動く18日間を勇介くんが書いています。
ひとつ後ろは、東北の和田淳二さんと千葉栄一さん、須田誠さんによる鳥海山の白糸の滝。これも読みごたえがありました。

ぜひご一読くださいませ。

https://www.yamakei.co.jp/products/2822907520.html

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2022年2月16日 (水)

平出和也+三戸呂拓也、厳冬のサミサール(パキスタン6000m峰)北壁初登頂

昨年12月17日にパキスタン北部にある未踏峰に登頂した平出和也さんと三戸呂拓也さんの登山について、発売中の『山と溪谷』3月号に書きました。
このたった1ページのために、ふたりそれぞれが2時間ものインタビュー時間をくれたことに感謝。
書き手である私自身は、こういった時間の積み重ねが、次の執筆につながります。

平出さんのInstagramにも詳細があり、いずれ平出さん達から色んな形で発信があることを、期待しています。

シスパーレから眺めていた山を登りたいと考えた平出さん。
過去、この山に2度トライした福岡山の会の方に連絡を取り、色んな話を聞いてから出発します。
未踏峰を見つける方法はいまや色々あり、エージェント経由でめぼしい山のリストをもらうこともできます。けれど、一畳大の地図を広げながら、この付近を登り続けてきた平出さんにとっては、未踏峰を見つけ思い焦がれ、登るというその気持ちや行為を尊重したいという思いが強く、福岡山の会の方ともお付き合いをされたようです。

三戸呂さんは、平出さんの撮影も担当。
初めてインタビューしましたが、きちんとご自身の言葉で語るのが印象的でした。事実をありのまま話す点にも共感しましたが、もうひとつ心に残ったのは、サミットプッシュの朝早くに出発したときの月と太陽のことを語ったときの表現。ご本人が覚えているかわかりませんが、それがリアルで美しい描写だったので、そのまま本文に使わせてもらいました。

サミ・サールと名付けられたこの山は、三戸呂さんの高度計は6380mを指していました。

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2022年2月 8日 (火)

『日本人とエベレスト』出版

『日本人とエベレスト 植村直己から栗城史多まで』、書店に並び始めました。
Amazonは12日発送ですが、Kindleはお読みいただけます。

世界最高峰ゆえのドラマと呪縛。
江本嘉伸さん、大石明弘さん、神長幹雄さん、谷山宏典さん、柏澄子が執筆。

10章「日本人の公募隊」と終章「これからのエベレスト」を執筆しました。
10章では、日本のエベレストガイド登山を牽引してきた倉岡裕之さんと近藤謙司さん、謙司隊で登頂した川崎久美子さんをインタビュー。倉岡さんと謙司さんが築いてきたヒマラヤのガイディングがとても大きく、どうやって次世代に継承されていくのかが気がかりです。なかでも他国のガイド達との信頼関係。これは一朝一夕で作れるものではなく。
終章は、『山と溪谷』に書いたふたつの記事に加筆。
ニルマル・プルジャの登山にも触れました。本書テーマから外れますが、彼らのK2冬季初登頂がピオレドール委員会でどのように評価されたかも数行書きました。欧米の登山社会での評価を掘り下げていくと、色んな歴史や側面が見えてくるはずです。決して単純構造ではないと、思っています。

重廣恒夫さん、川村晴一さん、貫田宗男さん、山田淳さん、倉岡裕之さんのインタビューは山本修二さん。人選が秀逸。なかでも、川村晴一さんについて、再び読むことができる日が来るとは。

けっしてスラスラ読める本ではありませんが、かみしめていただけると幸いです。
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172100.html

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2022年1月16日 (日)

舟生大悟 厳冬期北アルプス27日間単独縦走という静かなる偉業@web

『WILDERNESS No.7』に掲載した「舟生大悟 厳冬期北アルプス27日間単独縦走という静かなる偉業」という記事が、webに公開されました。
2016年12月~翌年1月の記録であり、きっと大悟さんは「昔のことですよ」って言うのではないかなあと思います。

厳冬期に無補給・デポなし+単独で、日本海親不知から入山し、西穂高岳をゴールに上高地まで縦走した記録。
日本の山の縦走でいうと、4月の日高山脈全山単独無補給縦走を経て、北アルプスは3度目のトライでした。

自宅や装備の写真は、佐藤雅彦さん撮影。街で雅彦さんに会うのは新鮮でした。スキーやカヤックの写真のほか、古墳から出土品なども撮ってきたカメラマンで、このときも装備を丁寧に撮影してくださいました。
私のお気に入りは、大悟・未雪夫妻のツーショット。こちらまで温かな心になる愛らしいカップルです。
雪がべっとりとついた犬ヶ岳からの眺めも静かで美しいです。

当時、船窪小屋の松澤ご夫妻宅に遊びに行ったとき、大悟さんの記録の話をし、船窪岳付近をどんな風に通過したか話したところ、昨年お亡くなりになった岳人であり船窪小屋ご主人の宗洋さんが、眩しそうに眼を細めて、「そんな若者がいるのか」と喜んだことを覚えています。
私も大悟さんの下山を聞いたときに、「これはインタビューしたい!」って思い、『山と溪谷』に2ページ書いたのち、『WILDERNESS』に書きました。

紙媒体の記事をそのままwebにすると、読みづらいことを再認識しました。できるだけ整えようと試みましたが、初出優先なので、この程度でお許しください。
時を経ても色あせない登山、記録、ぜひご覧ください。

Part1 →コチラ
Part2 →コチラ
使用ギア・ウエア →コチラ

過去ブログ
舟生大悟さんの「親不知~西穂、厳冬期単独縦走記録」@『山と溪谷』4月号 →コチラ
厳冬期北アルプス27日間縦走という静かなる偉業 舟生大悟@『WILDERNESS』 →コチラ

写真は、今日。高瀬川に霧が立ち込める朝。

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2021年12月17日 (金)

山野井泰史さん記者会見@日本記者クラブ

今年はじめのインタビューで「俺は、40数年間、山に発狂し続けている」と応えてくれた、山野井泰史さんの記者会見に行ってきました。
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日本記者クラブで会見する登山家は3人目だそうです(関係者に聞いたところでは)。
植村直己さんと、野口健さんが3回。
毎日新聞の元村有希子記者の采配が、素晴らしかったです。
素人質問しかできないとおっしゃっていたけれど、本質をついた内容や、興味深い質問がありました。
個人的にはインタビューの際のツッコミや粘り具合が勉強になりました。
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「最高の思い出がココに刻まれるんだから、いいんじゃないですか」-登山に名誉や報酬を求めない理由は?の答え。胸をトントンと叩いて。
「子どもが、ジャングルジムでヘンな動きして落ちそうになって登っていても、それを止めないでほしいな、その本能を大切にしてあげて欲しい」-朝日の子供新聞記者への答え。
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うっかりいちばんに到着してしまい……一瞬怯みましたが、心を強くもっていちばん前ど真ん中に座りました。
その席からの写真です。

 

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2021年11月14日 (日)

ルクラフライトを心穏やかにやり過ごすコツ

キャンセルの多い山岳路線・ルクラフライトを心穏やかにやり過ごすコツは、焦らないこと。どーにでもなれって思うコト。そのためには、暇つぶしの本も必要だし、昼寝もよし。けれど、情報収集やコネづくり、ネゴも重要です。

 

帰路は1日予備日あり、それもダメだったら3日目のファーストフライトをねらって、カトマンズに到着次第、デポ品をともかくそのまま空港に持ってきてもらい、国際線に乗り継ぐというハットトリックしかない状態だった。あるいは、どこかのヘリを拝み倒すか。
ギリギリの予定は立てるな、これもコツか。

 

朝はカトマンズ盆地霧のため、マウンテンフライトがオールキャンセルという絶望的なスタートだった。
ライ族と結婚したという日本人女性がやっているお土産物屋でおしゃべりをしていると、10時頃、タラの1便が飛んだというニュースを、空港の整備士が持ってきてくれた。地元密着ポイントにいるといい情報もすぐに入るものだ。
しかしその後は鳴かず飛ばず。スタバ風カフェでひたすら読書。
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15時頃になって、なんとなく知った顔のダイがふたり、「ディディ、フライトだ」とやってきた。
誰だかわからなかったけれど、小さな村だからオオゴトにはなるまいと思って店を出た。

 

宿の主人であるパサンは、空港に通じていて、私達のエージェントからもフライトのケアを依頼されている信頼できる方だ。
そのパサンが空港にいて、シミティックの搭乗券を出してきた。もちろん手書き。
私が持っていたタラの3便は飛ばないだろうという彼の予想によるもの。
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結果的には、シミティックもキャンセルになり、次にパサンが出したゴマに乗ることになった。シミテックをぐちゃぐちゃに丸めてポケットにしまいこみ、ゴマのチケットを手書きしたのだ。
KTMからカーゴ便でやってきたゴマが帰路、乗客を乗せて帰ると言いだしたらしい。
まさかカーゴ便にひとを載せるとはだれも思ってもおらず、小さな空港は混乱状態だった。
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しかし、これで乗れると思ったところ、最後にもうひと山。
そのゴマがオーバーブッキングをしており、控えめにいちばん後ろに並んだ私が乗れなそうになったのだ。
そこをまた、パサンが交渉。早口のネパール語が飛び交い、もはや彼が何を言っているのか聞き取れなくなったが、30キロ近い登山道具も一緒に載せられることになった。
最後に、「うちに泊まってくれた、大事なお客様だからね」と言ってくれたが、ゆうべのうちにパサンといろいろおしゃべりをしておいてよかった。

 

ルクラのみんなに「ラッキーガール」と叫ばれながら、ラストフライトの最後の1席に乗って、無事予定の日のうちに帰ってきた。
20年以上の付き合いになるアヌーの息子がゴマに就職し、パイロットのトレーニングを始めたと言っていたから、私がゴマで帰るのも最初から決まっていた縁だったのかもしれない。
17時過ぎに飛び立ち、有視界飛行ギリギリ。夕陽を浴びたヒマラヤの山々が本当に神々しかった。
山のなかで別れてきた花ちゃんとすずぴーのことを思い出した。時間がギリギリだったので仕方ないとしても、自分がちっとも山に登れず、スパンティークの出番もないまま帰ってきたことも、実はものすごく心の残りだった。
ふたりが、峠の途次で座り込んで書いただろう手紙は、無事シェルパの手で私のところに届けられ、機内で繰り返し読んだ。
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空港ターミナルに到着したときには、日も暮れていた。
ホテルに着くと偶然同じに日BCから戻ってきたヒロタカさんとタケさんが、「九回裏起死回生だね」と言って待っていてくれて、またもや……二人が大好きなサムギョプサルへ。
KTMはティハール(お祭り)の名残りがあり、街の灯りが何となく綺麗だった。

昨日に続いて、facebookの思い出機能に出てきたものを再掲。旅がしたいな。

2021年11月13日 (土)

ティンポの家族

ターメの奥、テシラプチャの手前にティンポ(4230m)という場所がある。春から秋の間だけヤクやゾプキョを放牧しており、バッティが1軒。そこが私たちのベースだった。
このバッティの家族がものすごく素敵で、私は花+鈴と別れたあと、バックキャラバンの日数を縮めてここに延泊した。
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お父さんがアドベンチャー・コンサルタンツのキャップをかぶっていたので、これはなにやら?と思ったところ、案の定、ガイ・コッターと多くの仕事をし、エベレスト10回、K2などの登頂経験のあるシェルパだった。けれど、本人はそんなことをなんとも思っていない。
ある時、スコットランド人男性二人組が通りかかり、私に「ここは泊まれるのか?」「この宿をやっているのはどんな人か?」など聞くので簡単に説明したところ、立ち去るときに、わざわざ台所へ入ってきて、「エベレストのクライミングシェルパであるというご主人はどちらに?」と尋ね、握手をしていった。お父さんはきょとんとしていた。
かのアパ・シェルパの親戚筋であり、お父さんとお母さんのなれそめやこれまでのこと、3人の子供たちをどうやって育てているか、山以外の仕事についても具体的に聞いてみた。彼らの1日も見せてもらった。
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そんなことに1日を費やそうと思い立ったのには、きっかけがあった。
当初、お父さんの経歴に興味があり簡単なインタビューを始めたところ、子どもの話題になった時にお母さんから強い視線が注がれたのだ。そうか、やっぱりこの家庭でも、子どもたちの将来について考え込んでいるのだと。それでお父さんだけでなく、お母さんの話も聞いてみようと思ったのだ。
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とにもかくにも、お父さんがものすごく働き者だ。山の仕事から帰ってきたら、酒ばかりの人も見てきたが、ここまでの働き者のシェルパはそういない。そして、お母さんへの気遣いがとても優しい。そんな両親のもとで育ったから、二人の小さな息子もお母さんをとても大切にし、お父さんの仕事をしっかりと手伝うのだ(お姉ちゃんはカトマンズ在住)。
結婚を考えている女性は、こういう男性を選ぶべきだと、つくづく思うほど、心温かい人だったし、心温まる家族だった。
この家族のことは近いうちに、書くつもりで、本人達にも了承をとってきた。現代のシェルパたちが抱える問題も見え隠れしていた。
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ところで、このバッティにあった藤沢周平の文庫本。6年前に日本人チームの彼らが置いていったものでしょうか。
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*Facebookの思い出機能に、今日は旅情そそる投稿がふたつ出てきたので、ブログに載せました。
こちらのティンポの家族のことは、その後、WILDAEARNAESSという雑誌に書く機会がありました。

2021年10月18日 (月)

旅の記憶

朝窓を開けると、きりっと冷えた秋の空気。
友人からのメールには、「夏→冬、バルトロみたい」って書いてあった。
数日前に書いた天気図では、モンゴル上空に1050ミリへストパスカルの高気圧があった。
これがいずれ、今シーズン初の西高東低の気圧配置を作りだすんだなと、おこたつに潜りながら話したもんだ。

 

記憶を強く想起させるのは、匂いだったり空気の肌触りだったりする。
匂いも空気も不可視なものであるが、視床の奥の奥の脳みそにピンとあたり、記憶が蘇ってくる。
今朝は空気だった。空気の冷たさと乾き具合で、思い出したのはネパールの山と旅。

 

facebookの思い出機能によると、ボーディングパスは出たものの油断できず、ルクラフライトがキャンセルになった日だった。
ポカラ、ジョムソン、ビラトゥナガールへのフライトキャンセルは何度も経験したが、最難関のルクラはそれまで10割打者だった。
長年ネパールに通いつづけるとなかなかないことだったけれど、7年前のこの日にて打ち止め。
空港では、お猿と一緒になり、待合室での昼寝と読書で1日が過ぎ、夕方にラジンパットの宿に戻った。
翌朝のフライトをブッキングしてもらったが、空高く発達した入道雲が気がかりだった。
よかったことは、そのおかげで登山の大先輩と夕ご飯を共にできたこと。

 

翌朝は無事フライトした。
この年のバックキャラバンは、二人と別れひとりになり、フライトは夕暮れの有視界飛行ギリギリ、ラストひとりの席に潜り込み「ラッキーガール」と見送られながらKTMに戻ることができた。ルクラフライトのキャンセルの憂き目にはあっていない。
だから友よ、明日の旅立ちは大丈夫だ💪

 

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2021年10月11日 (月)

執筆を続けて

ライターの先輩である寺倉力さんにインタビューを受けるのは、2度目だった。
前回は、『PEAKS』に寺倉さんが連載している「Because it is there」。

その依頼を、Messengerで受けたのは、友人達が働く七丈小屋を手伝っているときだった。
朝のひと仕事を終えて、厨房の片隅でお茶を飲んでいるとき、依頼を読み思わず、「既読スルーしたいわ」と呟いた。
「何かを成し遂げたでもない、中途半端な人間をインタビューしても、どうにもならないよね……」と言うと、隣でヅメさんが、「インタビューしたいかどうかは、相手の問題。そういうのは受けて、ただ聞かれたことを答えればいいんだよ」と。

なるほど、確かにそういうものかもしれない。
自分のことはさておき、私とて、何かを成し遂げた人をインタビューしたいわけではない。

それから2年あまり。今度は、『PEAKS』の妹分である『ランドネ』の連載「だから、私は山へ行く」だった。
初めてご一緒する編集者からの依頼であり、寺倉さんがライティングを担当することになった。
夏の頃。掲載誌はとうに書店から姿を消していますが、webで読むことができます。
コチラ→

インタビューの数日後、この仕事を続けてきてよかったと思ったことがあった。
13年前の冬、富士山で亡くなったカメラマンの宇佐美栄一さんの妻である直子さんと、お話する機会がもてた。

私は、宇佐美さんのことを今でも時どき思い出す。
春の北穂高岳、厳冬の赤岳、最後の仕事になった葉山の里山の帰りによったイチゴ畑、打ち合わせのために初めて会った新宿の喫茶店。正月の八ヶ岳から下山して食べた焼肉。
そうだ、そのあとに中央線に電気系統のトラブルが発生し、私たちは長時間、特急あずさに閉じ込められたんだった。
暖房が効かなくなり、湿った山の防寒着を着こんだ。おにぎりが配られたけれど腹は減り、あまった行動食をボリボリ食べていた。
宇佐美さんは、カメラマン根性を出し、彼方此方歩き回って、トラブルの模様を写真に撮っていた。当時は、フィルムの時代。編集部から渡されたロールに余りがあったのか、自分の手持ちがあったのかわからないが、いったい何枚撮ったのだろう。

現場で、意見が食い違い言い争いになったこともあった。
けれど、いま考えれば、ぜんぶ宇佐美さんが正しかった。

遭難を聞き、祭壇に会いに行ったとき、まさか自分が泣き崩れると思っていなかった。
隣にいたある登山家に、「柏さんは、うさちゃんといちばん親しかったからね」と言われ、そうかなあ?とも思った。
同世代であるけれど、10代後半から山やクライミングの写真を撮り続けてきた宇佐美さんは、先輩のように思っていたし、彼には仲間が大勢いた。

直子さんは、宇佐美さんが私のことをどんなふうに話していたか、教えてくださった。
まったく意外で、泣けてきた。
もっと私は、がんばれなかったのか、もっとできたんじゃないかとも思った。
そんな折、神長幹雄さんが書いた『未完の巡礼』に、宇佐美さんが撮った、登山家・小西政継さんのポートレートが載っていて、目に留まった。
晩年の小西さんが、哀しいほどせつない表情をして写っていた。計算するに、宇佐美さんが30そこそこで撮ったもの。その若さで、こんな表情をとらえるなんて、と驚いた。
もっと、宇佐美さんと仕事がしたかったよ。

最近の仕事は、けっこうしんどく、孤独な時間が続くけれど、宇佐美さんに愛想を尽かされないように踏ん張らないと。

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