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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年5月27日 (日)

下調べ

次のインタビューの下調べ中。
エベレストの探検時代やアルプスにアルピニズムが芽生えた頃の写真や映像をあらう。
そのなかで出会った、一葉の写真。ずっと前に手伝った書籍の表紙に使ったものだった。
奥付をみると、ちょうど20年前であることに、驚き。
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2018年5月25日 (金)

佐々木大輔×平出和也対談、デナリ+シスパーレ ブルーレイ本日発売

デナリ(完全版)とシスパーレ(ディレクターズカット版、未公開映像あり)のブルーレイが、平出くんの誕生日でもある本日、同時発売になった。

これを記念し、佐々木大輔×平出和也ふたりの対談を、NHKのwebサイトに書きました。

大学山岳部からひたすら山を登り続けてきた平出和也さん。

近年は山岳カメラマンとして、エベレストなどのヒマラヤやヨーロッパアルプス、国内の山々を舞台に、登る人たち、その人の横顔や人生を撮影しています。

「なまら癖-X」という名前で仲間たちとワイワイあちこちに出かけ、山を登っては滑ってきた佐々木大輔さん。

20代の頃はエキストリームスキーヤーとして世界を転戦。30代になり、山岳ガイドに軸足を移し、今日にいたる。

山岳スキーヤー、ビッグマウンテンスキーヤー、エキストリームスキーヤーなどと呼ばれてきたけれど、彼の根っこにあるのは「山登り」、だと私は思っています。

そんなふたりの対談は、デナリでの撮影のあれこれ、そして平出くんにとってはそれがシスパーレへとつながっていった話、その姿にエールを送る大輔さんに、触れています。


撮影のとき、「ちょっと離れていない? 距離感がヘン。もっと近づいたら」と言ったら、以来、「この距離感はどお?」とシャッターの度に気にしていたふたりです。
その様子、手元のiPhoneで写してみました。


同じ山に対峙しながらも、バックグラウンドがまったく違い、被写体と撮影者という立ち位置でもあったふたりの「距離感」、対談記事から伝わるでしょうか。ぜひ、ご一読ください。

大輔さんと平出さんからのプレゼントキャンペーンも実施中です。


対談 
ブルーレイ購入 

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2017年11月20日 (月)

人間の品格と知性、『ラモツォ亡命ノート』

毎夏キャンプでご一緒する在日チベット人たちは、日本の山を一緒に歩くと、「故郷の山を思い出す」と言ってくれる。それは、草原に弁当を持っていき食べて歌って踊る、あのチベット人が大好きな時間や、夏のピクニック、川で遊ぶこと……だけでなく、「ヒマラヤを越えた」あの日を思い出すと。そんなことを言ってくれる度に、私は返す言葉が見つからず、いつも黙り込んでしまう。
 
今日、私が向かった山は、雲はちょっと多かったけれど晴れた空で、樹木を抜けると冷たい風が強かった。しかし下の方は紅葉は見事で、穏やかだった。ちょっとだけ重たい荷物を背負いながら、そんな道のりをアプローチしているとき、毎夏を共有するチベット人たちのことを思い出していた。
それは、夜、映画『ラモツォの亡命ノート』を見に行こうと予定していたこともある。
 
映画が終わり、ラモツォと監督の小川真利枝さんがトークをした。ラモツォのアムド語を通訳してくれたのは、同郷のソナム・ツェリン。久しぶりに会えた。
そのラモツォの話すことを聞き、彼女がもつ品格や知性というものが、どこに由来するのか思い知った。
 
私はかねてから、いつも考えていることがふたつあった。
ひとつは、人間のもつ品格や知性についてだ。これまで多く接してきたチベット人やネパール人のなかには、境遇や経済的に恵まれず教育も受けられず、けっしていい環境とはいいがたいところに育ちながらも、気高い品格と、そして豊かな知性を持ち合わせている人たちと多く出会ってきたことだ。
そういったものは、生まれながらにしてもった性質だけでなく、後天的な環境にも影響を受けると思っていたが、いったい彼らはどうやってそういったものを養ってきたのか、と。
 
もうひとつは、チベット人たちの信じる心の強さだ。
9月に日本にやってきたインド人の知り合いから言われたある一言を、私は友人に話した。すると彼女は、「そのことを、柏さんが強く信じることができれば、それは現実となるんだろうね」と言った。そういえば、彼女は姿勢が美しく、強くものを信じることができる人だ。
チベット人の、ときとして涙が出そうになるほどの信じる心の強さは、いったいどこからやってくるのだろう、ということだ。
そして、そんなしなやかに強い心を持っているためか、逆境にあってもよく笑い、よく冗談を言う。そんな場面は、今回の映画にも出てきた。政治犯にされ投獄されるラモツォの夫が、笑い飛ばすように話す数々を、泣きながら笑った。
 
ラモツォは、1972年、アムドに生まれた。
このことを聞けば、彼女の半生がどんなであったか、想像する手助けになるだろうか。
 
知人でもある真利枝さんが撮った『ラモツォの亡命ノート』も素晴らしかったが、このことに関心があり、そしてもし都合がつくのであれば、彼女の肉声をぜったいに聞くべきだ。
映画上映後、来日中のラモツォが出演するアフタートークは、20日(月)20時が最後。東京・ポレポレ東中野にて。
 
そして、私の今晩の寝床の音楽は浜田真理子さんの「Hallelujah」
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