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2025年10月29日 (水)

『山と溪谷』8月号-第5回「凪の人 山野井妙子」

『山と溪谷』8月号(2024/7/15発売)「凪の人 山野井妙子」は、1981年夏~1983年正月のこと。
夏に笠松美和子さんとのグランドジョラス・ウォーカー稜。8月6日~なので、いまとどれほど気候や氷河や壁の状態が異なるかわかります。
厳冬には鈴木惠滋さんと再びウォーカー稜(冬季女性初)、さらに惠滋さんと木村辰夫さんとボナッティ・ゴビルート(冬季女性初)。
そして思いがけないシャモニー生活延長とマジックバスや列車なども使った陸路帰国の旅。

登攀内容も素晴らしいけれど、イタリア側に下山したあとのことや、シャモニー生活、帰国の旅にのびのびとした様子に時代性を感じます。
通貨はユーロではなくフランにリラに……国境を越えるごとに両替。国や谷ごとに吹く風に今よりももっと個性があった時代。ああいう時空は、私も好きです。

シャモニーに2度、夏と春に行って小さな経験しかない私には、妙子さんが厳冬のアルプスを登ることを、想像しきれませんでした。なぜジョラスを目指すのか、当時のクライマー達にとってシャモニーの山々はどんな存在だったのか。
それを教えてくれたのは、二度のシャモニーを共に登って滑ってくれた友人達と、故鈴木惠滋さんの妻、節子さん、80年代終わりから90年代にかけてシャモニーを登っていたクライマー達。それと近年ジョラスを登った若いクライマー達や、キャンモアに住むクライマー達にも話を聞き、いろんなヒントをいただきました。キャンモアの友人に話を聞いたのは(しかもオンラインで繋いだら、大ケガをしてベッドの上だった!)、まるで当時のシャモニーのようにいま若いクライマー達が集まるからです。

苦心したヨーロッパアルプスでのクライミングも今号で終わり。少し寂しさを感じます。
「泰史さんはいつ出でくるのか?」というお便りを幾つかいただいていますが、次号にはなんとか顔を出すか。
誌面の写真、冬のウォーカー稜を登る妙子さんを大きめに載せましたが、果たして壁のどこに彼女がいるか。ウォーリーを探せ状態です。旅の写真を提供してくださったのは鈴木節子さん。

先月の山野井邸訪問は、豪雨の日。吹雪の雪道運転のように時速30キロしか出せないような荒天。翌朝は見事に晴れ渡り、日の出とともに庭がかがやました。

 

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