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2023年4月

2023年4月23日 (日)

Today is 彼女たちの山/本日発売_山野井妙子さん

【Today is 彼女たちの山/本日発売】
『彼女たちの山』は、山野井妙子さんのストーリーから始まります。ヤマケイ連載のときもトップでした(連載時より大幅加筆)。

インタビューは、彼らが伊豆に引っ越す直前、奥多摩の家で。1泊2日をかけて、10時間近く録音を回しています。けれど、妙子さんは過去の登山にそれほどこだわりがなく、忘れていることも多いので、「えー」とか「うー」とか言っている時間も長く、正味はどれほどなのか。
横で泰史さんが、「妙子、あの時のことだよ」と促してくれます。けれどそれでも埒が明かなくなり、とうとうこれまでのパスポートを全部出してもらいました。
パスポートを見ながら、海外登山の履歴を追っていきます。

ふたりともモノにもこだわりがないので、引っ越しの際にあれこれ捨てるのだと言いだし、「〇〇と◇◇、それと▽▽も必ず取っておいて」と言ったものです。

本書の校正のうち最後の2回は、ヤマケイに行き、編集の大武美緒子さんと版元編集の神谷浩之さんと3人で、それぞれ丸一日かけて行いました。神谷さんがゲラを指さし、「わかりづらい」というのです。
妙子さん達がギャチュンカンから命からがら下山し、カトマンズに帰るときの国境越えのシーンです。
チベット側がダム、ネパール側がコダリという町で、友好橋という橋がかかっています。私はココを越えたこともあるし、チベットで登山をするときに国境まで荷物を取りに行ったことがあるので、まざまざと景色が目に浮かびます。
けれど読者の多くは知らないだろうし、神谷さんの疑問は小さいながら、確かに……と思うものでした。
そうなると解決するためには、妙子さんに細部を聴きなおさなければなりません。すぐに電話をかけます。
そんな作業を繰り返していました。

妙子さん夫妻と友人づきあいが始まったのは、ギャチュンカンの少し前からでした。同じタイミングで、私がギャチュンカンの隣の山に登りに行ったのも、きっかけだったかもしれません。ギャチュンカン後は、多くの時間を共に過ごしました。その時のことはほとんど書かなかったけれど、妙子さんの人柄を知った時間でもあります。
友人の人生を本に書こうと思ったことは、これまで一度もなかったけれど、ヤマケイの勧めで連載のトップにし、思いのほか妙子さんが取材を快諾してくれ、とんとんと進みました。

SNSの写真、妙子さんが写っているのはご本人から預かりました。本書に載せられなかった2枚です。それ以外は私が撮ったもの。ひよこ岩の写真自体も私が撮りましたが、テントの中の二人を撮ったのはクルティカだそうです。

チョ・オユー南西壁スイス・ポーランドルート第2登は、まちがいなく世界的な記録です。
けれど読者の皆さんにはそれだけではなく、妙子さんの言動に共感したり身近に感じたり、自分の胸の中に大切にしまうものがあることを、願っています。

本書に登場いただいたのは50人余り。その倍以上の方々に取材にご協力いただきました。ありがとうございました。
小さな本にまとめ、書けなかったこと、人がたくさんです。
そんなまだ見ぬ人たちに出会いに、この先も執筆を続けようと思います。

20日前から始めた連投に、お付き合いいただきありがとうございました。日めくり投稿は、これにて終了です。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

いま気づきました。3年前の今日、妙子さんの記事を書いた(連載)と投稿していました。本にするのに3年もかかってしまいました。
http://kashisumi.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-3d8b4e.html
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1day to 彼女たちの山_仲川希良さん

【1day to 彼女たちの山】
山ガールの項に登場いただいた方は大勢ですが、なかからもうお一人。
モデルでありフィールドナビゲーターの仲川希良さんです。

希良さんとの出会いは、ランドネ登山学校(あ、他社さんの企画だ😅)。雪山登山の始め方、ステップの踏み方を示して、雪山になじんでいくというシリーズをご一緒しました。
赤城山から始まり、黒百合ヒュッテ泊で天狗岳、そして残雪の安達太良山でロケをしました。
希良さんが体験する役で、先生は天野和明さん、カメラは写真に写っている廣田勇介さんら。現場全体の安全を管理してくれたのが山岳ガイドの松原尚之さん、という贅沢な布陣でした。10年ほど前のこと。

希良さんの最初の印象は、理解や状況把握が早く、すぐにその場にふさわしい行動をとる人です。モデルの仕事で培われたものなのだろうと想像していました。
誌面を作る段階になって、改めて希良さんにインタビューをすると、繊細な感性をお持ちだということを知りました。

今回のインタビューでも同じように感じました。
何気なく出会った登山の仕事。けれど仕事の山登りではなく、自分自身の山登りへと変容させていった足取り。
日々の暮らしと登山の繋がり。登山は非日常であり、けれど日々の暮らしの合間にあり繋がっているもの。
そんな話をしてくれました。
高校時代から地図好き、散歩好きだった話も面白いですよ!

山と一言で括っても、色んな山登りがあります。けれどスタイルは異なっても、山や自然から受け取っているものは案外同じかな、と思うことがあります。
クライマーもハイカーも、あるいは山を眺めるだけの人も、かつて登って今は登らない人も、希良さんの山に向かう感性、自然を見つめる感覚は、幅広く色んな方々に響くものだと思っています。若い頃の自分にも、家族や子どもを持った時の自分にも、歳を重ね次なることを考えるようになった自分にも響きます。
だから、希良さんに登場してもらってよかった。

SNSの写真は、安達太良山でのオフショット(天野くんや廣田くんと一緒に)と、希良さんからいただいた山菜採りのシーンです。どれも元気印の希良さんですね。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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2days to 彼女たちの山_佐藤泰那さん

【2days to 彼女たちの山】
平成には、山ガールブームがありました。
当時、女性向けのガイドやイベントが増え、女性誌への執筆もありました。けれど、私が一緒に山に行った彼女たちは、果たして山ガールだったのか?ブームに乗っていたのか。
山ガールは、私のまったく出会ったことのない空間でブームになっていたのかもしれない、と思うこともあります。

『ランドネ』は、ブームのはしりH21(2009)年に創刊されますが、「山ガール」という言葉を一度も使っていません。創刊直後から、いままで、副編集長→編集長(昨年秋退任)とずっと『ランドネ』を世に送り出してきた佐藤泰那さんに登場いただきました。
『ランドネ』だけでなく、彼女が立ち上げたKUKKAという登山コミュニティについても伺いました。
ブームのこと、女性の登山者のことを切れ味よく語ってくれました。この方は、ずっと登山の社会のことを考え続けてきたのだなあと思いました。彼女が出会った大切な人たち、天野和明さんらも登場します。

泰那さんは、私にとっては「同志」です。登山の素晴らしさ、愉しさ、豊かさをメディアを通じて、時にはメディア以外の方法で伝える、同じ感覚や志をもって歩んできたかけがえのない存在です。

最初の3枚の写真は、泰那さんからお借りしました。水色のダウンジャケットを着た後ろ姿は、松本のあがたの森公園で鈴木とも子さんを取材しているときのシーン。手袋は私の手ですが、雪山取材のときに泰那さんからもらったお菓子。
ハカセさんのバーの1日ママは、泰那さんにタスキをつなぎました。いつかツートップで1日ママ、します🤣 店主にはこれから相談ですが……
『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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3days to 彼女たちの山_谷口けいさん

【3days to 彼女たちの山】
谷口けいさんです。
けいさんの親友でありクライミングパートナーでもある大石明弘さんの『太陽のかけら』は、ずっと手元にありながら読まずにいました。大石くんのような一冊の本ではないけれど、書き終わってから読もうと、先々月、脱稿したあとにやっと手に取りました。そして大石くんにゲラを送って、報告しました。

以前、日本山岳会会報「山」から依頼を受けて、けいさんの一生を書いたときの原稿をベースに、まずは当時取材できなかった平出和也さんにインタビュー。「山」はけいさんが亡くなった2ヶ月後発行であり、私としても平出くんにはとてもインタビューができませんでした。
鈴木啓紀さんは、「山」に続いて再インタビュー。高校からの親友水上由貴さんはじめ学生時代の友人達、和田淳二さんは「山」でインタビューしたものを基に書きました。

けいさんの話からはそれますが、鈴木くんのインタビューはいつも興味深いのです。誠実に言語化しようと努め、何度も言葉を選びなおし、言い直すのです。こんな人、ほかに出会ったことありません。言葉の重みを知っているのだと思うし、言葉に対して誠実なのだと思います。そんな鈴木くんのある言葉を、今回も最後に使わせてもらいました。

生前、平出くんと登った山はほとんどインタビューしているけれど、どうしても平出くん寄りになっていました。平出くんが計画立案したもので、登山は計画立案にこそ面白さがあるとも思っていたから。けれど、その計画にひょいと乗るけいさんのことを、今回は書きました。
けいさんは筆まめ、連絡まめであり、旅先から送ってくれる絵葉書や、隙間時間にくれるメッセにほろりと本音が書いてあり、文章にはしなかったけれど、そんなけいさんの人柄を思い出しながら書きました。

執筆中に、ふと黒田誠さんが見せてくれた写真を2枚、SNS用にお借りしました。大学生対象の登山研修所の講習中のものですね。けいさんらしい顔をしているなあ。写真って、何が写っているかとか、そこに写っている人の表情が大切なんだと思います。この写真は、けいさんやここに写っている加藤さん、ジャンボさん達と撮り手の黒田さんみんなの関係をよく表しているなって思います。

瑞穂ちゃんとゆっきーと4人で写っている写真を撮ったのはふっしーです。けいさんが、あの北海道へと旅立つ前夜、私たち、けいさんちに泊まっていましたね。最後に会った時の写真です。
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『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)

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4days to 彼女たちの山_小林由佳さん

【4days to 彼女たちの山】
スポーツクライミングの項に、小林由佳さんに登場いただきました。スポーツクライミングではくくれないクライマーでいらっしゃいますね。
由佳さんをインタビューすると決めたのは、中根穂高さん=ジャックのアドバイスがあったからです。
日頃から原稿に行き詰まったり、方向性が見いだせなくなった時、色んな人に相談します。仕事の仲間、友人。メッセを入れたり、電話したり、電話の挙句「今から、行っていい?」と押しかけたり。
私一人の経験や知識はちっぽけで、こうやって周囲に協力を仰いで、本や記事が出来上がり、おかげ様で私自身の経験も少しずつ積み重なっていきます。

カラファテで接客や営業の訪問の合間、立ち話でジャックに相談し、由佳さんのインタビューを決めました。昭和の終わりから平成へと、由佳さんがクライミングの世界をブリッジしていると感じたからです。
由佳さんの師匠である宮崎秀夫さんにもご登場いただきました。

実は私は、由佳さんの初の小川山のとき、その場に居合わせています。お父さんと真秀さんとやってきて、マラ岩の川上小唄を登りました。小学2年生だったそうです。
あの時も宮崎さんが一緒で、私は宮崎さんやジャックと同じJMCCの木田研さんと登っていたので、小林姉妹に会うことができました。あれ、松浦くんもいたかな。
けっして難しくなく短いルートだけれど、あの時の身長で巧みに登るなあという印象でした。マラ岩のてっぺんから景色を眺めて喜んでいる様子でした。
私が一方的に覚えている出会いですが、以来ずっと由佳さんのクライミングを遠くから眺めていました。由佳さんにとって、小川山との出会いが、クライミングにのめりこむきっかけだったと聞き、嬉しかったです。

今回初めてインタビューをし、とても聡明で、しっかりとした人間性をもつクライマーでいらっしゃるのだと、感服しました。
由佳さんのこれまでの歩みは、時代と符合していくような話でもありました。
由佳さんがいまでも「越えられない」という木村理恵さんや南裏保恵さんの話も出てきました。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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5days to 彼女たちの山_田部井淳子さん

【5days to 彼女たちの山】
1章には、田部井淳子さんにも登場いただいています。
冒頭にある彼女に向けた問い、「その後の生き方は難しくありませんでしたか」は、長年ずっと気になりながら、言いだせずにいたものです。「その後」とは、1975年(昭和50年)のエベレスト女性初登頂のことです。
大きなタイトルを背負い、どう生きてきたのか。

田部井さんを喪ったあと、私は恥ずかしいほど泣いてばかりでした。亡くなった報道があった晩、ある新聞社からの電話インタビューにはなんとか答えたけれど(それは横に友人の編集者がいてくれたから)、その後の取材では涙ぐんでばかり。亡くなった2年後に息子の進也さんに関して、朝日新聞にインタビューを受けた時ですら、涙が出てきて……浜田記者を困らせました。
少人数で集まった追悼の食事会でも、挨拶の時に泣いて話せなくなり、隣の席だった夫の政伸さんになぐさめられるという始末です。
田部井さんと最後に会ったのは、入院先の病室です。
これが最後とわかっていましたが、翌年の正月山行の話をし、「じゃ、また来ます」と手を振って病室を出たことを、涙もろい自分にしてはよくやったと自分で自分を褒めていたのですが、その反動がきたか……。
田部井さんとの出会いと別れを、ちゃんと血肉にできていないのだと思います。

ヤマケイ連載の時は、もっとも大切なひとりをインタビューできないままでしたが、本書の前に話を聞きました。娘の教子さんです。
ほかにも、ご家族はもちろん、田部井さんの親友の北村節子さん、片腕だった吉田三菜子さん、田部井さんの11日後に登頂したパンドゥと通訳の須崎孝子さん、、、母校昭和女子大理事長の坂東眞理子さん、田部井さんがずっとかわいがっていた山田淳さんなど大勢の方々に登場いただきました。

今朝、ある登山家の方から電話がありました。写真提供やインタビューなど大きな協力をいただいており、見本を送ったところ、一晩で読んでくれたそうです。
嬉しい感想、励みになるコメントを沢山聞かせてくれました。田部井さんの項についても、感想を聞かせてくれました。とてもありがたいです。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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6days to 彼女たちの山_銀嶺会

【6days to 彼女たちの山】
アルパインクライミングの項に、銀嶺会という山岳会の皆さんに登場いただきました。平成になってからできた女性が会員の山岳会。
銀嶺会は自分たちの足場、拠り所、帰って来る巣のような場所でした。
代表の宮田実穂子さん、宮田さんと一緒に会を創った笹川淳子さん、それと荻野恭子さんにお話を伺いました。

銀嶺会の皆さんと出会ったきっかけは、尾白のおばちゃんでした。ある年の冬、黒戸尾根から私のほうが先に下山して売店にいたとき、おばちゃんが、駐車場に下りてきた宮田さん達を指して「彼女たち、一生懸命山に登っているから話かけてみな」と言ってくれたから。

書籍が出来上がったいま思うことは、本当に気持ちよい人たちに出会えたということです。お人柄も、山とクライミング好き度・純度も。
今月下旬、笹川さんが春のドラツーフェスティバルをやるそうで、そこに「試し読みのできるブース」を作ると言ってくれたときは、泣きそうなほど嬉しかったです。
おばちゃんが作ってくれた出会いに心から感謝しています。おばちゃんに「銀嶺会のみんなと沢山話したよ、本にも書いたよ」って報告したかったです。

銀嶺会のメンバーにはそれぞれのクライミングの志向があります。それぞれの「好き」と仲間と登る楽しさや喜びを、ぜひ読んでください。
写真は、屏風岩雲稜ルートを登る宮田さんと笹川さん。書籍に載せなかった写真から。
3/25 前夜祭 
3/26 春のドライツーリングフェスティバル
@曙橋・BETA
https://www.instagram.com/dora2fes/
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『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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7days to 彼女たちの山_大和景子さん/薬師沢小屋

【7days to 彼女たちの山】
山小屋の項には、本当に大勢の方々にご登場いただきました。数行の方もいれば、たった一行の方もいます。けれどどうしても、「平成」というタイミグで一行でも書き留めておきたく、一行に愛を込めました💕一方的な愛ですが🤣
そして、書けなかった方々もいますね……

この日めくりシリーズでは、最後にもうひとり。
写真を見ればピンとくる方も多いのではないでしょうか。
水際の女神・大和景子さん、黒部源流・薬師沢小屋の管理人です。
去年夏、久しぶりに通りかかったときに声をかけたら、奥から元気に闊歩して出てきてくれました。

かつて北穂高小屋に2シーズン通って書いたとき、当時の従業員である矢崎(現:早川)恵美さんを私は、「北穂と両想いになった女性」と書いたけれど、そんな方が時々いらっしゃいます。その山と両想い、その土地に溶け込んでいる人。大和さんもそんな一人ですよね。
山小屋で働くというのはどういうことか、日々眺める自然の機微、気持ちよく山小屋で暮らすことなど、話してくれました。

ほかにも大勢の女性たちが、山小屋の項に登場します。ぜひ、本書をお読みください。
薬師沢小屋 https://ltaro.com/lodge/yakushizawa-goya/
山小屋ストーリーズ/大和景子さん
前編 https://audee.jp/voice/show/44303
後編 https://audee.jp/voice/show/44803
やまとけいこ https://www.yamatokeiko.com/
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『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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8days to 彼女たちの山_星美知子さん/両俣小屋

【8days to 彼女たちの山】
南アルプス両俣小屋の星美知子さん。
昔から通りかかったり、キャンプしたことはあったけれど、泊まったのは2021年が初めて。星さんとしっかりと向き合って話をする機会を得たのはコロナ真っただ中。緊急事態宣言が解ける直前でした。
以来、芦安にお邪魔したり、両俣小屋へ行ったり。今回のインタビューは主に、芦安のご自宅で。

定点観測の極み。
むろん、旅から得るものもあるし、異文化に触れて見聞を深めることも大切であるが、星さんはあの場所に居ながらにして、精神は自由に旅をし、高い視座と広い視野をお持ちの方。その不思議を、解いてみました。
先日の山カフェで話したけれど、彼女が語ったのは、「生き抜く覚悟」でした。
生き抜いてきたからこそ、自然の素晴らしさと残酷さを知っているのだなあと思いました。

星さんに南アルプスでがんばる女性を紹介してほしいと頼むと、熊ノ平小屋の早川徳美さんの話をしてくれました。あの青々とした瑞々しい熊ノ平は、私も大好きな場所。星さんは、歳の離れた徳ちゃんにも「生き抜く覚悟」を感じ、同志のように思っているのかもしれません。
徳ちゃんにも、短いながらご登場いただきました。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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2023年4月 8日 (土)

9days to 彼女たちの山_堀井よし子さん/薬師岳山荘

【9days to 彼女たちの山】
今回も山小屋で働く女性をご紹介です。
残念ながら山小屋の写真、彼女の写真が手元になく、山小屋近くからの眺めを。
どこの山小屋かピンとくるでしょうか……?
この角度から見る槍・穂高連峰、好きです。

薬師岳山荘の堀井よし子さんです。
山に登ったことは(もちろん)ある。学生の頃、剱御前小屋でアルバイトしたこともある。という経歴ですが、前任の方から薬師岳山荘を引き継ぎ、女将になった当時はピアノの先生でした。山小屋に関しては、およそ素人だったはずです。
そのよし子さんが、どうやって薬師岳山荘を営んできたか、ほんの一部ではありますが、ご紹介しました。

取材は、富山市のお宅にお邪魔して。お部屋にはグランドピアノがありました。
印象的だったのは、「薬師小屋」の話になったことです。
コロナのさなかで、取材中に何度も問い合わせの電話が入っていました。「今年は営業するのか」「泊まりたいけれどどんなコロナ対策をしたらよいのか」。まだ山小屋も登山者もコロナに慣れていなかった頃、よし子さんはひとつひとつ丁寧に説明していました。
以前、山小屋のコロナ対策で、南アルプス鳳凰三山にある薬師小屋を訪ねたとき、薬師岳山荘と間違えて電話する人が多いという話を聞きました。問い合わせ電話の件数が多く、1件に長い時間がかかっていた頃なので、間違い電話を受ける側も大変だったと思います。
そのことをよし子さんに話すと、朗らかに笑いながら「そうなのよ~。それで、薬師小屋がどこにあるか調べたわ。よろしく伝えて」と。私は、伝書鳩になった気分です😊

よし子さんを取材するきっかけは、朝日小屋の清水ゆかりさんにあります。彼女が山小屋の仕事を始めた頃、会議は男性ばかり。唯一よし子さんがいた話を聞かせてもらいました。ゆかりさんにとって初めての同性の先輩。
一方でよし子さんも素人同然で山小屋を始めたとき、沢山の人が手を差し伸べてくれたと。そのひとりが穂高岳山荘の今田英雄さん。よし子さんは英雄さんの話だけでなく、「娘の恵ちゃんは、聡明な子よ。元気にやっている?」と。
既に恵さんにはインタビューしていたので、帰宅後恵さんにこの日の取材の報告をしました。

山小屋に従事する方々はこうやって繋がっていて、「次は〇〇へ取材に行けば?」と紹介してくれる時もありました。
薬師岳山荘、食堂の一面ガラス張りの窓からの眺めが絶景です。ここに泊まり、夜を越え朝を迎えるのはものすごい贅沢です。
薬師岳山荘→http://www.yakushidake-sansou.com/

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
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10days to 彼女たちの山_松澤寿子さん/船窪小屋

【10days to 彼女たちの山】
山小屋の章に、船窪小屋の「おかあさん」、松澤寿子(としこ)さんに登場いただきました。
古い写真は、MJサロン(MJリンク主催の先輩女性の話を聞く会)のときにいただいたものです。あのときは、おとうさんと一緒に来てくださいました。

船窪小屋のこと、おとうさんとおかあさんのことは、これまでも何度か書かせてもらいました。最初は日経新聞でした。20年位前のことです。私のことを紹介するときに、いつまでもこの時のことを、おかあさんは紹介する相手に話してくれます。
その後はヤマケイに針ノ木谷の古道のことを、毎日新聞の連載にも書かせてもらいました。まだ書きたいことがありますので、この先も考えていきます。

本書では、寿子さんが山小屋に戻ったきっかけ、寿子さんたちが用意してくださる文字通りのご馳走のことなどを書いています。おかあさんが娘のように思うという、船窪小屋で働いていた中村しのぶさん(当時:伊藤)にも登場いただきました(ヤマケイ連載のときにも、登場してくれましたね)。
みんなのおかあさん、いつまでもお元気でいてください!
船窪小屋→ https://funakubogoya.net/ 

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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11days to 彼女たちの山_清水ゆかりさん

【11days to 彼女たちの山】
山小屋の章にはたくさんの女性に登場してもらいました。
冒頭は連載同様、北アルプス・朝日小屋管理人の清水ゆかりさん。
小屋にいるゆかりさんの写真が、どうしても見つけられず、冬のゆかりさん(下界)と、小屋の風景の写真になりました。

連載のインタビュー時にゆかりさんは重ねて、「平日女子のこと書いてよ」と言うのです。「平日女子スキー部」、部長はゆかりさんです。「どこの秘密結社かと思われますよー」って笑って返したのですが。
ゆかりさんはスキーが大好きで、ものすごい向上心をもって上達しているんです。その仲間達が通称「平日女子」(「平日男子」もありますねー、元気かなあ~?)。
仕事を離れた(といっても同業者も多い)、気の置けない仲間の存在が、ゆかりさんを支えているのだと、言います。
小屋の主として、様々な決断をして窮地を乗り越えてきたのだと思うと、私たち仲間が支えになっているのだったらとても嬉しいです。お互いさまだけれど。

さて、ゆかりさんの記事には、辛い話を書かせてもらいました。お客様からいただいた手紙のくだりです。言う側(お客様)がどれだけ辛いか、知っています。言われる側の気持ちも想像します。このエピソードを聞いて、ゆかりさんはいいお客様に恵まれたんだなあと思いました。
そしてゆかりさんは、やっぱり山小屋の主らしい方でした。潔く覚悟があり、ご自身を律する方です。
人に助けられ、人を助け。人に支えられ、人を支え。人があってのゆかりさんの人生。私たちもどれだけ、ゆかりさんに支えてもらったことか。輪の真ん中で、いつも笑っています。
もちろん、「恋の花咲く朝日小屋」のことも書きました😇

朝日小屋、来期のアルバイト急募!
ゆかりさんに山の仕事を教わり、恋の花咲く朝日小屋で働いてみませんか。日本海の漁火が見え、静かなひろびろとした展望のあるとてもよいところです。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid035PgDKh7cJmfQJJeTuFpATUL8HtL9WYJnEUda5os1r8cKgDUrkYZBkdj3dp7bkSdel&id=100009439099477
朝日小屋→ https://asahigoya.net/

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

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