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2023年2月

2023年2月26日 (日)

16days to 彼女たちの山_野口啓代さん

【16days to 彼女たちの山】
1章には5人の登山家、クライマーに登場いただいています。
そのうちのひとり、野口啓代さんはヤマケイ連載の時にも書きました。
連載は、2020年4~12月号の隔月です。
写真は連載の時のページで、啓代さんがグアムで初めてクライミングをしたときのもの。ご自身の著書にも載っている有名な写真ですね。

連載時はオリンピック前で、啓代さんはトレーニングに集中していたので、なかなか取材の時間が取れませんでした。気持ちを改めて、周囲の方々の取材から始めました。
実家にご両親をお訪ねし、啓代さんのプライベートウォールを見せてもらったり、話を聞いたり。そのプライベートウォールが立ち上がった当初、ルートセットをしていた立木孝明さんに会いに行ったり。日本人初の国際ルートセッターである東秀機さんには啓代さんのことだけでなく、平成のフリークライミング、スポーツクライミングのシーンについて教えてもらいました。
平山ユージさんも快くインタビューに応じてくれました。啓代さんを慕う後輩の伊藤ふたばさんとも話すことができ、だんだんと啓代像が見えてきた頃、ようやく40分の電話インタビューの約束をすることができました。

けれど、その日は私が北アルプス・朝日小屋にいて、電波が弱いうえに、天気が悪い日で頭を悩ませました。管理人の清水ゆかりさんに「どこがいちばん、電波がよいか?」と尋ね、幾つもの場所をロケハンしました。結局、山小屋の外にある階段の踊り場で電話をかけました。一度途切れたりもしたけれど、啓代さんは持ち前の集中力で、短時間ながらもしっかりとコメントしてくれました。

書籍にする際には、改めてインタビューをしたけれど、オリンピック後もお忙しく、なにかの受賞式に出席する前の控室で応じてもらいました。艶やかなドレス姿だったことを覚えています。

平成元年に生まれ、まさに平成を登り続けた啓代さん。不動の女王であり続けることができたのはどうしてか、連載時から大幅に加筆しています。
『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

 

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17days to 彼女たちの山‗小山さやかさん

【17days to 彼女たちの山】
もうひとり「大学山岳部」の項でインタビューしたのは、小山(現:増本)さやかさんです。
さやかちゃんは、平成の中盤に立教大学山岳部で活動していました。インタビューしたのは、まださやかちゃんのお腹が大きかった頃。コロナもあったのでインタビューに行くことを相談したら、「大丈夫」と。お宅にお邪魔しました。

夫の増本亮さんは、生まれてくる子のために家を増改築中でした。そんな大工仕事の音を聞きながら、さやかちゃんをインタビューしました。
増本邸は時々遊びに行くことがあり、その前は「コロナで出かけられなくなったから、鶏を飼うことにした」と卵をもらいました。私はどうも鶏が苦手なんですが、増本邸の鶏小屋には入ることができて、少し楽しかったです。

さやかちゃんの話のなかに、学生の時に同世代で山で命を落とした方々の名前が幾人か出てきました。一方で、「好美」と彼女が繰り返し話に出す加藤(現:浦部)好美さんについては、好美さんと好美さんが産んだ命のことなど話してくれました。

さやかちゃんは、学生時代の写真は全部実家ということで、Facebookのこちらは、好美さんがリーダーでさやかちゃんがサブリーダーで登ったパンバリ・ヒマール(6887m)の写真を、JAC年報『山岳』から接写したものです。色んな大学山岳部から集まったメンバーでの遠征。先輩たちから見守られることはあっても、強靭な先輩リーダーがいるわけではなく、同じような力と経験の者同士が自分たちの力だけで登った経験は、かけがえのないものだと思います。彼らの初めてのヒマラヤが、そんな形だったことは、とっても仕合せな経験だと思いました。「初めて」は、その人にとってたった1回しかないことだから。
→パンバリ・ヒマールのレポートはコチラで読んでいただけます。
http://jac.or.jp/sangakuhensyuu/2007optimisation.pdf#page=79
さやかちゃんの最近のクライミングについては、別の項でも触れています。
大学山岳部での話は、「命」の話だったと思います。そして、大学山岳部で始まった登山の経験が、いまの生活の根幹にあるということ。
本書は、平成期の日本人女性の登山の記録を記したものというよりも、ひとりひとりの物語を書いた本になりました。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社 3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html...

 

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18days to t彼女たちの山_高井野乃子さん

【18days to 彼女たちの山】
「大学山岳部」の項では、アンケートから幾つかエピソードや言葉を紹介したほか、5人にインタビューしています。3人目(順不同)は、平成の終わりに信州大学山岳会で活動した、高井野乃子さんです。
高井さんのことは、数年前の冬に森光さんと富士山に登った時、避難小屋の中で聞きました。森さんは山の業界きっての敏腕で、いまはザ・ノース・フェイス/ゴールドウインの役員ですが、信大山岳会のOBです。
下山後さっそく、友人のシオ(塩谷晃司さん)に相談したら、「後輩です」と紹介してくれました。

高井さんのインタビューが実現したのは、彼女が大学を卒業し岡山で働くようになって少し経ってから。麻衣ちゃんと佳苗ちゃんが平成前半(の少し後ろの方)の山岳部員、もうひとりが平成中盤、高井さんは終盤。
時代に合わせた話が出てくるかな、と思ったのですが、高井さんはとことん平成でした、なんなら昭和。
スマホというバックアップはあるけれど、電源は切っている。ザックはガッシャのまま。冬靴がベガでした……私だって履いていたよ、ベガ。初代プラはコフラックだけれどね。まだ製造販売していたのかという驚き。ただその選択理由は想像の通りで、納得しました。

このエピソードはモノによることですが、モノだけでなく魂や感性の部分でも、平成も昭和も令和も、ひょっとしたら大正や明治も変わらないんじゃないかなと思うことが、この本の取材を通してありました。
高井さんとは初対面だし、親子ほどの年が離れていますが、普通に「わかりますよね、この感覚」「わかりますよね、このときのこと」という感じで、大学山岳部のシーンを話してくれ、私も手に取るようにわかったので、ある意味、大学山岳部は、ひいては登山というのは普遍的なのかもしれません。

高井さんは5年かけて大学を卒業しますが、その理由が潔いです。4年の時にはリーダーを務めます。
とても聡明で美しい人ですが、送られてくる写真がどれも……傷だらけや虫刺されの顔や、むくんだ顔ばかりで。
またまたシオに助けを求めたところ、「映える写真はありませんねー」と送ってくれました。
人生に映えは不要。
『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社 3/14発売)
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

 

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19days to 彼女たちの山_内野麻衣子さん+渡邉佳苗さん

【19days to 彼女たちの山】
テーマ別に書いた第2章には、「大学山岳部」があります。「わざわざ大学山岳部を取材?」って思う方もいるかもしれませんが、大学山岳部というのは色んな意味でひとつの文化だと思っています(話すと長くなるので割愛💦)。

今回、平成期に大学山岳部で過ごした女性たち40人がアンケートにご協力くださいました。ありがとうございます。
私自身、昭和の終わりに大学山岳部に入り、平成初期に卒業しました。アンケートの声は、「わかる、わかる」って首がちぎれそうなぐらいうなづいて共感するものもあれば、そんなことを考え感じていたのかと、切なくなるものもありました。

写真は、内野(現:𦚰坂)麻衣子さん(学習院山岳部主将)と、渡邉(現:柴崎)佳苗さん(早稲田大学山岳部主将)。
同じ時期に大学山岳部で過ごしたふたりは、大親友でありソウルメイト。
私が、ふたりと初めて会ったのは、四半世紀ほどは前。彼女たちが学生の頃です。以来、ずっとお付き合いが続いています。
麻衣ちゃんは、山岳雑誌や書籍の編集者だった時代もあり、そんなお付き合いもあり。佳苗ちゃんとも色々あったなー。MJリンクのサポーターに誘ったら、快く引き受けてくれて。赤岳鉱泉手前の台地で佳苗ちゃんチームが休んでいるところで、田部井さんが「いい人を紹介してくれて、ありがとう」と耳打ちしてくれました。

今回の取材は、最初は3人でzoom。まるで飲み会のように和気あいあい進みました。その後にもう一度一人ずつ取材をお願いしました。
あらためて二人の話を聞き、私は彼女たちと友人であることをとても誇りに思いました。
わずか20歳ほどのときに、とても聡明な判断と行動をします。部員たちを率いる中で(学習院は女性部員だけになり、早稲田は佳苗ちゃんのほかは全員男性)、強がらず、自分を大きく見せず、ありのままを受け入れ、そして立派にリーダーシップをとっていきます。

SNS投稿には、「どんな写真を載せてもいいよー」と言ってくれた太っ腹で寛容なふたり。当時も今もめんこいふたりを見てください。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社 3/14発売)
コチラをご覧ください。

 

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2023年2月22日 (水)

20Days to 彼女たちの山_柿崎サラさん

【20Days to 彼女たちの山】
昨日、校了しました。
来月14日のホワイトデーに『彼女たちの山 平成の時代、女性は同山を登ったか』を出版します。
今日から14日まで、SNSを使って本の紹介をしていきます。
取材のあれこれ、本書には描き切れなかったことなど。
.
初回は表紙の絵を紹介します。
描いてくださったのは柿崎サラさん。
https://sarakakizaki.jimdofree.com/ 最初は編集者のスマホ画面でしか見ていなかったのですが、今月に入って、ゲラを送ってもらいました。
歓喜の声と共に、柿崎さんの絵にふさわしい内容にできるよう、残りの時間をがんばらなければと思いました。
本書は、2020年のヤマケイの連載後から新たな取材を繰返し大幅加筆したもので、出版までに3年以上かかってしまいました。実力不足を痛感しておりますが、いまは開き直って「ジャケ買いしてください」と言っています。

1章と2章から構成されています。
1章は山野井妙子さん、田部井淳子さん、谷口けいさん、野口啓代さん、遠藤由加さんについて書きました。
2章はテーマ別になっており、山ガール、山小屋で働く女性たち、山岳ガイド、大学山岳部に情熱をつぎ込んだ彼女たちのこと、スポーツクライミング、アルパインクライミングです。

柿崎さんの絵は、よく見ると雪渓や岩や紅葉した草などの山肌や、樹木や山小屋、それと登山している人たちがものすごく細かなタッチで描かれているんです。それが浮かび上がって目に飛び込んできます。躍動感があります。
ご本人に聞くと、「書籍に登場する女性達のようにキラキラと輝く絵を描きたい、プリズムのような色をイメージした」と。
じつは、好きなビールのラベル(伊勢角屋麦酒)も柿崎さんが描いていたことをあとで知り……重版できたらそのビールでお祝いしようと思っています。

書籍は色んな人の手にかかって出来上がります。柿崎さんの絵は装丁・デザインをしてくださった朝倉久美子さんや編集の神谷浩之さん、大武美緒子さんの手によってカバーになりました。
ご予約いただけます🙇‍♀️
https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

 

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2023年2月19日 (日)

『What’s Next?』平出和也さんサイン会

長年の友人であり仕事仲間でもある平出和也さんの新著『What's Next?』のサイン会に行ってきました!

別れ際に、「辛口のコメント、聞かせてください」と言われ、「すぐに読むね」と応えた通り、帰宅途中のカフェで一気に読み終えました。けれど、辛口コメントが思い浮かばない……。

まるで彼の声が聞こえてきそうな文体でした。あんなに繰り返しインタビューしたのに、私の知らないことも載っていました。
ここ数年本人は、いわゆる「43歳」を気にかけていたけれど、それも越えこうやって第一線で長く登り続けるのは、フィジカルだけでなく、それを支えるメンタルの要素が大きいと以前にも書きました。メンタルというのは、登るという強い意思だけでなく、山や自然、山のある国の人々や家族や周囲の仲間達への思いやりもです。そういったことを、平出くんは若いころからずっと大切にしているんです。本書を読むと、よくわかると思います。

それとかねてから思っていたことです。
平出くんのようにカメラマンと二足の草鞋の登山家-中島健郎さんや三戸呂拓也さんもですが、彼らは自分の登山だけでなく、ファインダーの向こうの人物の人生を見続けています。いつも自分が主人公なわけではない。平出流に言う「特等席から、その人の人生を記録する」という行為が、彼ら自身の登山や人生をより豊かなものにしているのではないかな、と思うことがあります。視野が広く、高座からの視点があるのです。たとえば、デナリでの佐々木大輔さんと平出くんの友情、昨夏のTJARでの望月将悟さんと平出くんの触れあいをみても、そう思います。

「登山家」という存在についても考えます。平出くんは今回の著書で自分自身をアルパインクライマーと名乗っていますが、登山家でもあると思っています。
ことカールン・コーのあと、ヨーロッパを巡り、アルパインクライミングの本場でアルパインクライミングについて語り続けた。多くの聴衆にクライミングの魅了を伝え、勇気を与えてきたと思っています。こういう行為を経て、本当に平出くんは登山家になったんだなあと思いました。すごいな。

私にとって直近のインタビューは、昨年10月のカールン・コー。帰り道、健郎とふたりでご馳走をしてくれました。ワインを飲みながら3人でピザをつついたのですが、ふたりのその気持ちがものすごく嬉しく涙が出そうでした。
結局のところ、私が長く平出くんを書いている、これからも書きたいと思うのは、彼が持つ記録やタイトルではなく、平出くんのハートに触れることができたからなのだと思います。

書籍の脚注にQRコードがあり、平出くんらが撮影したお宝映像が見れるとは聞いていましたが、QRコードはものすごくたくさんあります!「びっくりだよ」というと「出し惜しみしていません」と。

今日のサイン会では、来場者ひとりひとりと丁寧に話をし、一緒に写真を撮り過ごしていました。私もふたりで写真を撮ったことなんてないねと言いながら、撮ってもらいました。
本人はタイトル通り、「次の本のこと、次の山のことを考えている」と話していました。

 

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2023年2月13日 (月)

伊藤ミサさん『山かく人』

切り絵作家/絵描き・伊藤ミサさんのきりえ挿画集『山かく人』。
2ヶ月ほど前から、時々眺めています。

切り絵は、影があるから好きです。
タイトルの「かく」って何だろう?「描く」と「書く」だろうと思っていたけれど、「掻く」もある。田代をかくとか、弦楽器をかき鳴らすとか……直接山に関係なくても、いろんな動作を思い起こすなあと思っていました。

どんな表現手段であっても、その表現に余韻があったり、受け手が想像を広げられる余白がある表現は、とても素敵だなあと思います。
ミサさんの表現には、雰囲気ある余白があります。

岳人の連載や、先日花ちゃんが届けてくれた光岳小屋の手ぬぐいでも、ミサさんの作品はみてきたけれど、こうやって一冊になると、じっくり浸れます。岳人の連載からのページには、古典ともいえる山書からの文章も置かれていて、言葉と絵を行ったり来たりしながら味わうページでした。
私は、寺田寅彦の「雨の上高地」が好きです。

彼女の旧知の山仲間が、若い頃はもっと尖っていて激しい作品を作っていたのだと、幾つか具体的に教えてくれました。ミサさんのそんな「生」への生々しい表現も、いつか拝見したいです。

HPからは本書を購入できます。
https://www.kirieito.com/

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2023年2月10日 (金)

野村良太さん、植村直己冒険賞受賞記者会見

先日、2022「植村直己冒険賞」記者会見がありました。

受賞は、野村良太さんの「北海道分水嶺積雪期単独縦断」(2022/2/26~4/29)
着想は『北の分水嶺を歩く』(工藤英一著)。
これまで、単独・パーティ問わず成功したものはなかった。
山小屋4ヶ所に食糧デポ。前年に続き2度目のトライ。

ライターは基本、おっかけなので、会いたい人、書きたい人がいれば出向きます。野村さんのことは、2021年のトライのころから読んでいたけれど、お会いしたのは初めてでした。
スピーチも質疑応答も明瞭で、聡明な人という印象。
それは、ご自身の意思や行動がシンプルでぶれないことにも由来しているのかも。
偉大な登山家、冒険家は皆賢いと思いますが、野村さんもとてもポテンシャルの高い方でした。身体ががっちりしていて大きいのも、ひとつの資質。

普段このような場であまり質問しないけれど、今日は口火を切ってみました。
1)63日間、670㎞を歩く中で、山域ごとの自然の移り変わり、季節の移り変わりをどのように感じていたか。
→これぞ長い縦走の醍醐味だと思いますので。
2)途中、車道に下りる箇所があるけれど、いかにモチベーションを保ち続けたか。
会えてよかったです。

追記*
受賞前夜に、日本山岳会北海道支部主催の野村さんの講演会@札幌がありました。
録画がYouTubeに載りましたので、ぜひぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=1jvHW68EVWk

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景信山 @ 毎日新聞「わくわく山歩き」

2月6日の毎日新聞朝刊「わくわく山歩き」は景信山でした。

 

web版(有料)でも読んでいただくことができます。

https://mainichi.jp/articles/20230206/ddm/013/070/033000c

 

FRCCというがんの体験者の山岳会に入っており、月1回のハイキングがあります。FRCCの正月山行は景信山で餅つきというのが恒例です(コロナで中断中🥲)。1月の景信山山頂はものすごい賑わいで、月末に登っても、「ここはまだ正月だったか!」と思うほど人々が餅つきをして楽しんでいます。

 

昨年1月中旬に友人3人と登ったときは、平日のものすごい寒い日で、しかも夕方到着だったためか、人っ子一人いませんでした。こんな静かな景信山もあるんだあと印象的でした。
紙面には、静かな山頂にたどり着くまでのことを書きました。
景信山のような存在の山が、日本各地にあるんだと思います。
久美子さん、直子さん、楽しい山をありがとうございました!

 

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2023年2月 3日 (金)

北田啓郎さんを偲ぶ会

2月1日の「北田啓郎さんを偲ぶ会」は、目黒の自由学園明日館で開催されました。講堂の設計は遠藤新の設計と書いてあったけれど、向かいのフランク・ロイド・ライトの設計に合わせたような窓枠でした。

とっても立派なお式でした。
兄の紘一さんのスライドショーや、児玉隆治さんの思い出話、お客様だったという山口哲郎さんのお話、そして最後に北田佳子さんのご挨拶。笑ったり泣いたり、北田さんのことを沢山思いだしました。

式後、カラファテ前の「なるたけ」での偲び語り合う会も、心に残りました。
テレマークスキーの仲間に沢山会って、大先輩たちにも大勢お会いして、次の時代を継ぐ若い方々もいました。参列できないことを歯がゆく思いながら、各地から祈っているのも感じました。偉大な方は人を集め、人を残してくれるのだなあと改めて思いました。

カラファテができたのは、大学3年のときでした。
山岳部OBにカリブーのメンバーである山本淳先輩がいたので、紹介いただいたのか。30歳でいまの仕事を始めるずっと前から、つまり35余年もお世話になり、クライミングやスキーで遊んでもらい、沢山のことを教えて貰いました。

一本でも二本でも、ヒールフリーだろうが踵を留めようが、板に乗って雪山を登り滑る方はみな、直接的・間接的に北田さんの影響や恩恵を受けていると思っています。
山スキーやテレマークスキーの道具、技術、情報の多くを輸入し、日本にあった素地と融合させ、雪山を滑るという文化、心意気、仲間、社会、テレマークスキーそのものを熟成させ、育ててきたお一人なのだから。

去年の1月25日から、休まずカラファテを営業し続けてきた皆さん、この日の会を準備くださったカラファテとパタゴニア、てれまくりの皆さん、ありがとうございました。
ジャック、荒山ちゃん、矢野さん、少しはゆっくりしてください。

カラファテの創業者である坂下直枝さんのメッセージ
https://calafate.co.jp/shop/pages/calafate-concept.aspx

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