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2020年2月

2020年2月29日 (土)

校了、責了

下旬に4本締め切りが重なり、2月はずっと苦しかった。

1本は週末に下版。久しぶりに記事を読んでくれた者が、「いいんじゃない」といつもの返事。

もう1本は、昨日校了。

2年に1度ぐらい褒めてくれる編集者が、原稿を読むなり「もっと書きましょう」と言い出した。

ありがたい。次の単行本のその先を考えよう。

長年親しくしてきた友人であるクライマーの物語。親しいけれど、人間誰だって色んな顔があるわけで、私の知らない素顔もたくさんあるはず。

唯一無二のクライミングのパートナーに読んでもらい、少しは、書けたのかなあと自惚れた。次はもっと書こう。

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次の1本は、日中のガイディングを終えた身で、ついさきほど夜遅くまで最後の仕上げに付き合ってもらい、なんとか責了に持ち込めそう。チャーミングで器がどデカいクライマーの胸を借りて書かせてもらった。

最後の1本、初めて、カンチェンジュンガのことを書いた。編集者に預けた、あとはどーにでも料理してください。

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こう考えると、全部周囲の人たちに書かせてもらっている。

3月も書き続けます。

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2020年2月24日 (月)

旭岳@わくわく山歩き/毎日新聞

今朝の「わくわく山歩き」@毎日新聞は北海道の旭岳です。
webでも読むことができますが、「世界のどこかで乾杯」など他の記事もおもしろいので、ぜひキオスクかコンビニへどうぞ!

 

山のコースガイドや紹介ではなく、個人的な思い入れも交えながら綴るエッセイ連載です。
厳冬の旭岳は近づくことすら難しいこともあるし、新聞という媒体の性質を考えると、夏に書くのがよいかなと思っていました。
ロープウェイがあり遊歩道もあり、広く多くの方々に楽しんでもらえる季節になるから。
けれど改めて考えたら、私は雪の旭岳しか知りませんでした。

 

雪のない季節は、義父母を連れて、文中にもある春菜夫妻の宿「ヌタプカウシペ」に1泊したのが最初。
初夏の躍動的な旭岳を目の前にしたのは、皮肉にも2年前の6月のことです。
白馬に向けてクルマを走らせている最中、電話が入りとんぼ返り。羽田から旭川空港にとび、春菜さんのお別れに行ったときでした。
この2回だけ、山麓から旭岳を仰ぎました。

 

旭岳との最初の出会いからずっと私の中にいる春菜夫妻のことは、これまでも少しだけ書いたことがありましたが、新聞に書くのは初めてです。
今回の文章は、故・春菜秀則さんに捧げます。
そして、東川町の皆さん、ありがとうございます。

 

web(有料)→ コチラ

 

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2020年2月23日 (日)

「登山中の事故、傷病のその後」@『山と溪谷』3月号

現在発売中の『山と溪谷』3月号の「登山中の事故、傷病のその後」を執筆しました。
ライター3人で担当している不定期連載です。
事故のこと、傷病者へのファーストコンタクト、プレホスピタルで何が起きて、どう対処されたか。
医療機関での治療やその後のリハビリ、社会復帰へのことを述べています。
事故を検証する記事は多いけれど、どんな道のりを経るのか、登山者の皆さんと共有したいと意図し、続けている連載です。

今回は主に、現場での処置を報告しています。
シャモニー谷にあるパピヨンというロッククライミングのルートを登っている最中の滑落事故です。
ジャンダルム(フランスの山岳警備隊)が来て、どんな手当をしたか。その多くは、医療に従事しない者であっても一定のトレーニングを経れば身に着けられることです。
救助隊員の処置と、一般向けの野外救急法を対比させながら、紹介しました。
野外救急法の重要性を、読み取っていただければさいわいです。

ご協力いただいたのは、事故者とコンタクトのあった医師たち(診察や相談)のほか、救急救命医の稲垣泰斗さんです。
野外救急法、野外医療に挺身し、ウィルダネス メディカルアソシエイツ ジャパンのメディカルアドバイザーであり、複数のトレイルランニングレースでの救急体制の構築や現場での指揮にもあたっている方です。
記事中の助言のほか、事故者のカルテやCTを読み解いていただきました。
ご一読ください。

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***
本誌を手に取って、写真家の中村成勝さんがお亡くなりになったことを知りました。
とても悲しいです。
駆け出しのころ、夏の山も雪の山もご一緒させていただきました。お住まいが隣の駅なので、打ち合わせやポジの受け渡しは、近所の喫茶店待ち合わせでした。
こんな大切なことを、雑誌で知るしかなかったことも無念です。
P180の坂戸山の案内記事が最後。六日町の城山、成勝さんらしいです。青い若葉と魚野川の向こうに雪の残る谷川連峰、明るくのびのびとした写真です。
クレジットから察するに、打田鍈一さんのお力添えで、最後に記事になったのでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。

2020年2月16日 (日)

レッカー車のお兄さん、最後の雪、パプリカのぬか漬け

先日、運転中のクルマにトラブルがあった。

リコール対象だったトランスミッションの検査を終えたばかりだったけれど、夜9時の北陸道トンネル内で突然止まった。
ホントに止まって、1mmも動かなくなった。
不幸中の幸いだったのは、カーブではなく直線だったことと左車線を走っていたこと、だと思う。
ハザードを出しながら、こんなとき、どうしたらいいんだろう、保険会社へ電話か?と思いながらも、高速のトンネル内にかなりのキケンを感じて……電話した先は、もう泣きつける先はここしかないってところ。「110番でしょ」ってあっさり言われて、110番。
クルマから降りたけれど、歩道域が細いので、壁側に四角くくり抜いたスペースがあり、そこによじ登って身を寄せた。

パトカーに乗った警察官ふたりと道路公団の方ふたりがやってきたのは20分後ぐらいだったか。
発煙筒やパイロンで後部を保護しながら、交通整理を始めてくれたけれど、それでも危ないので600m先の避難帯にクルマを動かしたいと。
エンジンはかかったので、ニュートラルポジションにし、警察官たちにクルマを押してもらい、ハンドルを握った。
けれどそれも、100mぐらいで終わった。完全に前輪がロックしまったく動かなくなった。
みなが、息を切らしながらクルマを押してくれていたことがわかり、なんだか申し訳なかった。
パイロンも発煙筒も、彼らの人件費も全部税金なのかと思うと、ありがたかった。

仕方なくそのままクルマを放置し、再び四角いスペースによじ登り。
今後のことを考え、クルマのなかに散らばっている荷物をパッキングをしたく、四角いスペースに荷物を運びパッキングもした。
待ち合わせていた友人に電話したら、「ピックアップにいくよ」と言ってくれたけれど、レッカー車の目途が立ってないので、先に共通の友人宅に向かって、寝て待っててもらうことにした。

結局レッカー車が来たのは4時間後。降雪でどのレッカー会社も出払っていて、黒部から来てくれた。
仕事といえども、申し訳ないし、ありがたい。
レッカー車のお兄さんと話しながら移動し、この先のことをあれこれ教えてもらった。
親不知のカーブなど、対向のトラックは容赦ないし、さぞ緊張したことと思う。
しばらく沈黙が続いたあと、お兄さんが「もうこの雪が、今年は最後だろう」ってぽつりと言った。
慣れ親しんだ富山弁と見慣れた日本海の夜の黒い海原のおかげで、心細くなることはなかったけれど、そうだな、この後雪が降ることがあっても、積雪が増えることはないだろうなあ……と、寂しく思った。

タクシーに乗り継ぎ、友人宅に着いたのは3時半。炬燵の脇に敷いておいてくれた布団に潜り込んだ。
翌日は事後処理があったので、山は諦めて、留守番することにした。

山を取りやめたことや、連絡をくれている最中だった友人など、必要最小限の人達に事情説明の連絡をしたら、みんな、ケガや事故にならなかったことが、本当によかったと言ってくれた。キケンな状態だったことは自覚していたので、心配かけたなって思った。
けれどその数日後、親しい友人に話したら、最終的には他人事だって言われて、はっとした。ものすごく悲しくなって涙があふれたけれど、自分のことは自分でやるしかないのだから、その通り。電話だったので、涙も気づかれずに済んだ。

自宅に戻ったあと、ラリーをやっていたクルマに詳しい友人に相談した。
何度も私のクルマも運転してくれているし、様子もわかっている。
トランスミッションの構造や最近の評判、今後の見通しなど、幾つか説明してくれた。
自分の乗っているクルマのことを、なんにもわかっていなかったんだな、とも思った。

出発前にぬか床に入れておいたパプリカ、今日まで忘れていた。
パプリカのぬか漬け、思いつきだったけれど、美味しかった。

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2020年2月15日 (土)

記録、登攀記録

同業者がfacebookに、記録について書いていた。
村の会合にて。議事録を細かく残す必要があるのか誰かが問うたそうだ。面倒だし、こんなの誰が読むんだと。
同業の彼が思ったのは、記録は本人たちではなく他者が読むもの、その本質を忘れがちだということ。
これには、目からうろこだった。
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「写真の記録性」という難しい原稿を書いたことがあった。
樹木希林が「PHOTO IS......」というテレビCMで語ったように、明日のことはわからない、だからいまを撮る。
その写真の記録性の意味について書いた。
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ひるがえって、いま執筆中のクライマー。ほとんど記録を残していない。ネットにはもちろんない。当人、あまり覚えていない。
周囲に尋ねるしかない。なぜ記録しないのか、記憶にとどめないのか、その本質が興味深い。
自分の手で記録を残そうとしなかったクライマーの記録を、私が残すことになる。大きな山です。

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2020年2月 7日 (金)

水平の取れていない写真

水平がまったく取れてないダメダメ写真。
北海道の雷電海岸で撮影とインタビューをしていた。
インタビュイーたちがドライのルートを登り始め、その撮影に入った中盤。
落石が多くなってきた。フォロアーがふたり同時に登っていてクライマーたちの位置も違うため、フォールラインも一定ではない。あちこちに降ってくる。
これは危ないなと思い、唯一よけられるだろうくぼんだところに身を寄せた。
岩壁を見上げることは諦め、しばし心がからっぽになり、海を眺めていた。
海がある風景、海がある土地が好き。海には広がりがあって、清々しい気持ちになる。

 

翌日東京に帰ったら、会う約束をしている友人がいた。
焼肉が食べたいと言い出し、雪に覆われた高峰で撮影の仕事をしているとき、テントのなかで、焼肉屋をリサーチしまくったという。
ぜったいに美味しい店を見つけたから、そこにしようと。
しんどい話をしなければならず、気が重たかったけれど、お腹がすくのは心がすさむので、焼肉屋に行くことにした。
けれど、海を眺めていたら、なにもかも、どーでもよくなった。
相手が自分の見えていない側で何を考え、作為していようと、それはどうでもよい。
いまはいまでしかない。目の前の人を信じる、目の前の出来事や自分を信じる。
けれど、いましか見ていないわけじゃない。ずっと先もみつめているんだから、だから目の前のこと以外はどーでもよくなった。

 

その視座は、人と人との関係だけでなく、仕事も同じ。
自分だけでなく社会全体のその先を見据えて進めるけれど、それはいまの積み重ねでもあるから、いまを大切にする。
案外、長い髪をかき上げながら荒川の河川敷で歌っていた人の歌と、同じかもしれない。

 

そんなに強く心を持ち続けられるかわからないけれど、海に救われることは多い。

 

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