春菜夫妻との出会い
4年前の今日、2015年5月4日のfacebookより。
旭岳山麓に住む春菜夫妻のこと。あと1ヶ月で、春菜さんが亡くなってからちょうど1年になります。
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最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、それがヌタプカウシペの春菜夫妻だった。
初めて東川町を訪れ、冬の大雪山に登ったのは10年以上前のことだ。なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。モンベルの昔のカタログ表紙にあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。
けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせずに、ただ泊まらせてもらっていた。毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るけれど、それがどういうことかもわかっていなかった。
だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。何年も経ってクロカンをやるようになって、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。それは、クロカンに関わる者としてもだけれど、登山や自然に関わる者としても生活者としても。
初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
褪せることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した旭岳を、私も見せてもらっていたからだと思う。
今回の東川町訪問は、『大雪山 神々が遊ぶ庭を読む』出版の集いに出席するためだった。
本著は、2/28に出版されたもので、編者は”写真文化首都「写真の町」東川町”となっている。つまるところ、東川町で作った本だ。町が一冊の本を出版しちゃうなんて、そうない話だ。
近年、いくつかの地方自治体の山岳観光や地域活性化に関わる仕事をいただき、各地を回っているが、東川町はたぐいまれなる町だと思う。
ある方が「ファンキー」と表現したけれど、言いえて妙。町政も町民も、面白いほどファンキーかもしれない。活気ある土地というのは、そこにある自然や文化の本当の価値を自覚していて、本来的長期的視野が保たれている。
式の席順が春菜さんの隣だったことは、嬉しかった。沢山話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々の遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。アイヌ語のカムイミンタラは直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだ。ちょっと離れたところから旭岳連峰を望むと、ほんとうに空からこっそりと神々が降りてきて愉しそうに遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。
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