祝いの便り
誕生日になると、必ず便りをくれる人がいる。
そのなかのひとりは、外国の友人。
もう10数年前のことだが、私はその年の誕生日を、長江の源流で迎えた。
友人と、その仲間たちでラフトを使って、川を下り、キャンプをしながら1週間ほどを過ごしていた。そこはチベット文化圏。とてもではないけれど、川を旅しなければ立ち寄れないだろう小さな集落やゴンパもあり、とても心に残る旅だった。
誕生日の夜は、なにがあったわけではないけれど、小さなたき火をして、心穏やかに過ごしたことを覚えている。
旅から成都に戻ったとき、一緒に旅した友人の弟であり、私の親友が出迎えてくれ、「スミコの誕生日は、どうやって過ごしたんだ?」と私たちに言った。私は、自分の誕生日のことをとくに言ってはおらず、友人も気づかなかったし、他の誰も知りもしなかったので、とくに何もなかった。
友人は、弟の言葉を聞いてハッとした顔をし、ものすごくすまなそうに、私に何度も謝った。
謝ることはないし、自分でも言わなかったのだし、だいいち、そんなコトだったら弟が教えておいてあげればいいじゃん、ぐらいのことを言って笑い飛ばした。
しかし、友人はそのことをずっと気にしていた。
せっかく、いい旅を一緒にしたのに、その時に祝えなかったことが、ほんとうに申し訳なかったと。
以来、必ず毎年欠かさず、便りをくれる。親友であるはずの弟の方からは梨の礫だろうが。夏は彼らはとくに仕事が忙しく、旅に出ることも多いが、電波の届かない山奥へ出かける場合は、前もって、「この先、留守になるから、早いけれどメッセージを送るよ」と、律義に。
それは、電話だったり、メールだったり、最近はfacebookのウォールへの書き込みだったり。今年は、WeChatで届いた。
いまのようにfacebookやGoogleが誕生日を知らせてくれるもっと前の頃からのことで、こちらが恐縮するぐらい、それは欠かさない。
それを、素直に受けとることが友情であり、そしてなによりも嬉しく思う。
彼からメッセージを貰うたびに、私はあの夏の旅を思い出すし、友人の優しさに触れる。
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