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2018年7月

2018年7月28日 (土)

平出和也「第二の登山人生に向けて、まっさらな状態に立ちかえる」@ドイター

ドイター・アンバサダーの平出和也さん インタビュー後編
「第二の登山人生に向けて、まっさらな状態に立ちかえる」


「まっさらな状態に立ちかえる」というのは、とても勇気のいることだと思います。これまで平出さんは、ことあるごとに、自分をリセットしてきたのだということがうかがい知れました。シスパーレはもちろん、たとえば、アマダブラムの救助のあと。
今夏、K2西壁の偵察に行ってきましたが、インタビューは出発前。偵察やその後のことについて話してくれました。
そして、冬の引きこもりの話もお聞きしました(笑)!


前編と合わせて、どうぞ。
・後編 → こちら
・前編 → こちら


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photo by Shispare Exp. 2017

2018年7月27日 (金)

祝いの便り

誕生日になると、必ず便りをくれる人がいる。
そのなかのひとりは、外国の友人。

もう10数年前のことだが、私はその年の誕生日を、長江の源流で迎えた。
友人と、その仲間たちでラフトを使って、川を下り、キャンプをしながら1週間ほどを過ごしていた。そこはチベット文化圏。とてもではないけれど、川を旅しなければ立ち寄れないだろう小さな集落やゴンパもあり、とても心に残る旅だった。
誕生日の夜は、なにがあったわけではないけれど、小さなたき火をして、心穏やかに過ごしたことを覚えている。

旅から成都に戻ったとき、一緒に旅した友人の弟であり、私の親友が出迎えてくれ、「スミコの誕生日は、どうやって過ごしたんだ?」と私たちに言った。私は、自分の誕生日のことをとくに言ってはおらず、友人も気づかなかったし、他の誰も知りもしなかったので、とくに何もなかった。
友人は、弟の言葉を聞いてハッとした顔をし、ものすごくすまなそうに、私に何度も謝った。
謝ることはないし、自分でも言わなかったのだし、だいいち、そんなコトだったら弟が教えておいてあげればいいじゃん、ぐらいのことを言って笑い飛ばした。

しかし、友人はそのことをずっと気にしていた。
せっかく、いい旅を一緒にしたのに、その時に祝えなかったことが、ほんとうに申し訳なかったと。
以来、必ず毎年欠かさず、便りをくれる。
親友であるはずの弟の方からは梨の礫だろうが。夏は彼らはとくに仕事が忙しく、旅に出ることも多いが、電波の届かない山奥へ出かける場合は、前もって、「この先、留守になるから、早いけれどメッセージを送るよ」と、律義に。

それは、電話だったり、メールだったり、最近はfacebookのウォールへの書き込みだったり。今年は、WeChatで届いた。
いまのようにfacebookやGoogleが誕生日を知らせてくれるもっと前の頃からのことで、こちらが恐縮するぐらい、それは欠かさない。
それを、素直に受けとることが友情であり、そしてなによりも嬉しく思う。

彼からメッセージを貰うたびに、私はあの夏の旅を思い出すし、友人の優しさに触れる。

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2018年7月26日 (木)

テントむし2年目の白馬岳

7/14~15は、テントむし山旅プロジェクト(Adventure Divas)で、白馬大池に2泊して白馬岳へ。入山は栂池から、3日目に蓮華温泉に下山して、温泉を楽しむというプラン。

昨夏も、同じ内容のもので実施したけれど、肝心の2日目の天候がすぐれず、三国境で引き返し。
ある程度の心づもりをして出発するわけだけれど、いざ、「ここまで。引き返します」と言ったとき、参加のみんなは何て言うかなあ、と思った。けれど、「無理する必要なし」「次が楽しみ」と言ってくれた。次が楽しみ、というのは嬉しかった。山は逃げないというのはウソで、山は逃げると思うけれど、でも無事帰れば、次はある。
無理ない範囲での、雨の稜線歩きは、ぜったいに濡らしてはならないものを守ることなど、いい経験にもなったようだ。

今年は、昨年参加の方々が早々に申し込んでくれ、キャンセル待ちになっていたし、これで晴れなったらどうしようと、思い悩む日々……いや、悩んでもどうにもならないことは、悩まない。
結果的には、これ以上ないというほどの快晴に恵まれ、夕立や雷もなく、3日間が終わった。
無事、元気に白馬岳に登れたし、展望も抜群。剱岳はカッコよく、笠ヶ岳は美しかった。鹿島槍を眺めては、ああ、雪がついたらさぞカッコいい姿になるのだなあと思ったり。昨冬滑った、山々をの眺めたり。

参加の皆さんも、それぞれの思いが山頂にあったようだ。
かつて縦走した山並みをずっと眺めていた方や、私よりもはるかに登山歴の長い方に、これまでの白馬岳について伺ったり。

3日間を終えた後、大池のテント場で仰ぎ見ていた上弦の月を、山麓から眺めた。ちょっと遠くに白馬三山も見えて、お月さまは、変わりなかった。
たった3日間の山の旅で、その後はそれぞれの日常に戻り、参加のみんなは、今晩、月夜を見上げるときはあったのかなあと思ったり、あんがい、登れなかった山登りも心に残るものだと、昨年を振り返ったり。


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2018年7月21日 (土)

ポートレート

ご一緒するのは、二度目。
前回は、30代前半のクライマーのポートレートを撮って下さった。
9月終わり、暑さが残るボルダーでのインタビュー。
本人は、インタビュー中に「いつまでも20代の気分」と語っていた。
彼が学生の頃から面識があるけれど、たしかに初対面の頃と変わらないフレッシュさがある。
けれど、インタビューを終えた日の夜、写真家から送られてきたアタリを100枚近く見ると、そこには、確実に歳を重ねた33歳の素顔があり、ハッとさせられた。

今回は、25年来の親友をインタビューした。
インタビューの場は騒がしく、人通りも多く、さぞ撮りにくかっただろうと思ったけれど、編集者がDorpboxに入れてきた写真は、そんなことは、まったくなく、鮮やかな作品ばかりだった。
それどころか、次々と写真を見るにつれて、なぜだか、泣けてきた。
ほんとうに、泣けてきた。

インタビューの内容は、友人のモノづくりについて。最後の言葉が心に残った。
もはや、彼らが作るものは「老舗」のそれだろうが、老舗だとか、ロングセラーだからとか、考えて作っているわけではない。日々、ただただ、よりよいものにしていこうと作っているだけ。毎日のその積み重ねが、ロングセラーとなる。

知り合ったのは、友人が学校を卒業し、いまの会社に入社したとき。四半世紀以上前。
その間、毎日毎日積み重ねてきたのだということを、インタビューで知り、そしてすっかり「おじさん」になった彼の顔に、その積み重ねがあらわれていて、それをリアルに写してくれた写真ばかりが、並んでいた。
だから、泣けてきた。

親友が親友をインタビューし、普段知らない彼の仕事ぶりに触れ、岩場でも山でも酒場でも見せない顔を見せた。初対面の写真家は、見たことなかったであろう、彼が積み重ねてきたものを写しとる。
だから、泣けてくる。

いったい、どんな感性で私のつたないインタビューを聞き、インタビュイーの表情を見ていたのだろう。すごい写真家さんだなあ、と思った。
感謝。
下の写真は、撮影いただいたものをパソコンの画面に映したときのもの。
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2018年7月20日 (金)

平出和也「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」@ドイター

ドイターの輸入代理店である、イワタニ・プリムスのwebサイトに平出和也さんインタビューを書きました。タイトルは、「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」。

ドイターとの出会いなど、バックパックのことを中心にお話いただいています。


本音を言うと、日ごろ、ガイドや執筆の仕事で、装備について尋ねられ、飽きてしまうことがあります。適した道具を選ぶことは大切であり当然だけれど、道具で山を登るわけではなく、道具は道具、それ以上でも以下でもない。そんなことを常々思うのですが、同じようなことを、平出さんも語ってくれました。
さらには、道具に宿る魂や、道具開発と自分自身の登山の関わりあいについても。

ミュンヘン郊外にあるドイター本社と密なるコミュニケーションをし、道具をもって登山家をサポートし続けてきた加茂卓也さんも登場します。

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photo by Shispare Exp. 2017

2018年7月19日 (木)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.3

連載「雨の山を楽しむ」。第3回は、ザ・ノース・フェイス(TNF)の大坪岳人さんをインタビューし、TNFの主軸アイテムである「クライムライトジャケット」の開発についてお聞きしました。

2015年に日本で開発された、GORE-TEXのC-KNIT™。これを搭載したウエアは、TNFとmont-bellが先駆けで開発・販売しました。その記者会見でお会いしたのが初めてでしたが、昨夏は、雪倉岳が望める登山道でも行き交いました。

登山のウエア開発に関わり続け12年。テストを重ね、現場からのフィードバックを吸い上げ、試行錯誤を繰り返しながら作っていく、その過程、周囲の方々とのコミュニケーションの話が、興味深かったです。

インタビュー記事は、コチラからどうぞ。

*クライムライトジャケットは、マイクログリッドパッカー搭載です*

バックナンバー

Vol.2  GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼性 → コチラ
Vol.1 横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ


Vol.4は、約2週間後、どうぞお楽しみに。

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山と山のはざまで

白馬岳周辺でのガイド登山を終え、翌日の大菩薩でのロケに備えて。

北アルプス山麓で、一晩過ごす。
のんびりするわけにもいかず、ガイド仕事の後片付けと、翌日の仕事の準備をする合間に、焼きそばととれたての夏野菜という贅沢なご飯を作ってもらって、共に食べながら、互いの話を。

病床にあるそれぞれの母親のことなど。時間はどんどん流れ、いまは過去になっていく。
難しいこともたくさんあるけれど、迷っていても仕方がなく、次へ次へとステップを踏み出す。
そんな友人の姿をみて、清々しいなあと思ったり。

デッキに出て、夜風に当たっていると、空に三日月が浮かんでいた。
昨晩まで、テントサイトで参加者のみんなと仰いだ月。
ガイド中のあれこれを、思い起こした。

参加のある一人が、「私にとっては、誰(←ガイド)と登るのかが、重要なんです」と言うのを聞いて、ハッとした。

登山ガイドの仕事をしているなかで、いただいたよろこびのひとつは、顧客に恵まれ、彼らからたくさんのことを教わったり、いい思いをさせてもらったり、色んなことを分けてもらうことだ。
けれど、考えてみると、友達を作りたくて山に登るのではなく、山が好きで山に登りたく続けてきたなかで、仲間ができた、というのと同じように、ガイドの仕事をしたくガイドを続けるなかで、結果的に顧客に恵まれ、彼らといい関係を築けるようなった、ということなのかと思う。

「私にとって、どのガイドと登るのかが重要」、ハッとさせられた一言だった。
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2018年7月 4日 (水)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol2

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.2
GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼

 
山に登る人であれば誰もが知っているGORE-TEX。防水・透湿・防風性を兼ね備えたメンブレンとして、パイオニアでありそしてフロントランナー。揺るぎない信頼を得てきた理由、そのひとつは厳格なテストやアスリートたちからの細かなフィードバックにある、という話です。どうぞ。
 
Vol.2 → コチラ
Vol.1 横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ

Vol.3は、ふたたびインタビューを予定しています。
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2018年7月 2日 (月)

テレビに映ったゲラから

ツィッターのタイムラインに、セブンルールというテレビ番組に校正・校閲者が取り上げられるという情報があった。テレビを持っていないので、オンデマンドで観ると、牟田郁子さんという校正・校閲者の仕事ぶりが紹介されていた。

書く仕事をしているため、校正・校閲の仕事は日常にあり、それほど珍しいものではない。
書き手にとってはなくてはならない存在であり、会う機会こそほとんどないけれど、ゲラに書き込まれた赤字に、校正・校閲者の顔が見えてくることすらある、身近な存在だ。

番組のなかで牟田さんが、大沢敏郎さんの『いきなおす、言葉』を手に取った。校正・校閲作業のなかで、参考となる書籍は片っ端から読むだろうから、なにが出てきてもおかしくはない。けれど、よりによって、大沢さんの本だ。
いったい彼女はいま、どんなゲラを校正・校閲しているのだろう、と画面に映し出されるゲラに目をやった。
すると、「寿識字学校」とか「長岡長一」という単語を見てとることができた。
これはいよいよ、このゲラが書籍になったときには、読まなければならない、と思った。

運のよいことに、牟田さんの連絡先を知ることができ、尋ねた。すると丁寧に教えてくださった。それが、『猫はしっぽでしゃべる』だった。
熊本にある橙書店の店主である方の書籍だと聞き、いったいどんな本なのだろう、と思った。須賀敦子の『コルシカ書店の仲間たち』のような本なのか、大沢さんのことは、どんな風に書いてあるのか、手に取り、ページをめくり、読み進め、たどり着くまでドキドキした。

故・大沢敏郎さんは、横浜の石川町駅近くにある大きなドヤ街真ん中で、寿識字学校というのをやっていた。
私はいまの仕事をする前、ユネスコの仕事をしており、識字教育の関係で大沢さんと知り合うようになった。私のいた職場の識字教育は、インドやネパール、バングラデシュ、タイ、カンボジア、アフリカなど識字率が低い国の教育支援であったが、日本国内にも存在する識字問題に触れる機会があったのだ。

寿識字学校に通ってきていた、長岡長一さんや梅沢小一さんの文章は、いまでもよく覚えている。圧倒されるものだった。ほかの人達の文章にも、いつも圧倒されていた。
彼らは、教育の機会を逸し、文字の読み書きに不便している大人たちだ。その彼らが書くつたない文章には、ものすごい力があった。
その力がどこから来るかは、ものすごく端的に言ってしまうと、書きたくても、書けなかった時間にためこんだ力であり、ほんとうに人に伝えたい気持ちなのだと思う。それは、並大抵の力ではなく、ほんとうに彼らの文章は、息をのむものだった。

そんな人たちの文章と、大沢さんはいつも丁寧に、そして真向から付き合っていた。
私のような者が、ときどき寿識字学校へ行き、彼らと一緒になって、作文をし、それこそくだらない、中味がなく薄っぺらい文章を書いても、それについても真剣に付き合ってくれた。

文章を書く動機付けとか、その根底に流れるものについて考えるとき、私は、寿識字学校のみんなと大沢さんのことを思い出す。
そして、彼らが書く文章を越えることは、一生できないのではないか、と思う。
書く仕事につまずいたとき、寿識字学校の文集『いきるちから』や、大沢さんの本を読み直そうと、いつも思っている。
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2018年7月 1日 (日)

山麓で迎える夏の始まり

毎年、ああ、夏になった。空気が入れ替わって、まさに今日から夏だ、と感じる日がある。
それをいつどこで感じたか、だいたい覚えているものだ。

あちこち出かけることが多いので、定点観測にはならず、だからその土地に住む人にとっては、「いいえ違う、この日よりも前に、季節が変わったんだ」「確実に空気が入れ替わったのは、その数日後」などあるかもしれない。
けれど、感覚は自分自身にしかなく、自分にとって、今年の夏が始まるのが、このとき、ということだ。

去年は、7月下旬、安曇野で過ごした日の明け方に、「いよいよ夏だ」と思った。
一昨年は、夏至のシャモニーの夜に思ったけれど、その数日後、イタリアに向けて移動する朝、「今日こそ」と思い直した。
その前の年は、小暑の朝の通勤路で「ああ、夏だ」と思った。

夜、夕食後に庭先に出ると、白馬三山は雲のなかだったけれど、満月から少しかけた月の周りに彩雲があり、日中よりもほんの少しだけ空気が乾き、「ああ、夏がやってくる」と思った。
短い山歩きだったけれど、久しぶりに北アルプスの尾根を登り、雪渓を渡りあがってくる風に、夏山の匂いがあった。
夕暮れ時、デッキのベンチに座り、山を眺めると、山にはまだ雪が残っていて、けれど緑も潤っていて、1年ぶりに夏の山に帰ってきたことが、とっても嬉しくなった。
田んぼからカエルの鳴き声が続き、涼しい風が部屋を通り、夏掛けの布団で眠る心地よさ。
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  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

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