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2018年6月

2018年6月28日 (木)

テントむし山旅@硫黄岳(6/23-24)

6/23-24は、テントむし@硫黄岳でした。
スタッフは、ハリーさん+柏。参加者は13人。
ばっちこと樺澤秀近さんがオブザーバー参加。

夕方からは冷え込み、調理中のガスボンベに霜がついたり、翌日稜線に出ると霜が降りていましたが、見事な晴れ、最高の展望。雪解けも花期も早いけれど、ダケカンバの芽がまだ柔らかかったり、ナナカマドの白い花が始まったばかりだったり、春の気配も残っていました。

テントむしがチカラを入れている山のご飯、夕食はポーリンのリクエストで(本人はアドベンチャーレース参戦中で不参加)、参鶏湯風ポトフ。

これは、私がテキトーに考えたレシピですが、あくまで参鶏湯「風」。
鶏肉、じゃが芋、人参などの野菜、もち米が入って、にんにく、ナツメ、クコの実、松の実も入れたお鍋。それぞれの出汁や風味に加えて、塩コショウ、鶏ガラスープで味付け。

朝食は、ハリーズベーカリーとドライフール本舗ハリーによる、ベーグルと手作りドライフルーツ。なかでもメロンは、感激の味だった。

かばっちは、Adventure Divasのトレランを担当していて、世界各地の砂漠や秘境と呼ばれる地域のトレランやアドベンチャーレースを巡っているひと。

忘年会の頃から、テントむしなどほかの種目のイベントにも参加したいと意思表示していたことを実現してくれて感謝。そして、大した話はできなかったけれど、彼の感想を読むなかで、色んな気づきや今後のことを考える機会を貰いました。異文化交流、いいね。

山登りにはたいへんなコト、慣れてもらうコトも多いけれど、テントむしでは、登る楽しさや歓びも共有していけたら、いいなと思います。

今回もまた、講習会場など、赤岳鉱泉にたいへんお世話になりました。大賑わいの週末に、ご丁寧に対応いただいて、ありがとうございます。

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『Family』(FUJITUSファミリ会)インタビュー連載

FUJITSUファミリ会の機関誌『Family』のインタビュー連載、1月から始まりこれにて終了。
富士通製情報通信システムのユーザー団体に配布されるもので、富士通の情報通信システムを使っている会社経営者が主な読者だそう。
「HUMAN HUMAN」という、人生が豊かに彩られるような趣味や文化、芸術、スポーツについて紹介するコーナーで、登山について。
 
経営者のなかには、日ごろのストレスや都会生活とは真逆にある山のなかで寛ぎたい人や、USでは以前から流行のセブンサミッツをコレクトする登山など、なにかと話題のよう。
どうであれ、また経営者に限らず、それが趣味と言えるものではなくても、なんでも、人生のうちで山に接する機会があったら、それはいいコトだと思う。

難しい条件もあり迷った仕事だったけれど、富士通と聞いてお引き受けした。前職のとき、故山本卓眞会長に、とてもとてもお世話になったからだ。

年に数回お会するだけだったけれど、釣り好きの彼が語る渓流の話は、いつも面白かった。道志の山間の流れを釣り上げたときのことや、鮎宿の話……清々しい風が吹いているような、そんな印象が残っている。
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ヒマラヤキャンプ報告会(杉本龍郎)

それから、約1週間後、今度は、杉本龍郎さんによるヒマラヤキャンプ報告会へ。
参加者のひとりだ。

彼の人柄がでた誠実な内容だった。
また、会場や聴衆の雰囲気が、主宰の花谷さんのときと、また一味ちがったものになるのも、それぞれの個性なのかと思う。

印象的だったのは、BCを撤収しアプローチする氷河を変えたときのこと。
チーム内で話し合い、いくつかのアイディアから選択していくのだけれど、「(それぞれについて)単純な選択肢ではなかった」と話していた。
もうひとつは、バックキャラバンのときの心情を想像しながら、自分がどんな山登りにしたいのか考えたという話。
最後には、どんなことが自分にとって、チームにとって核心となったか、また今後自分自身はどんな山登りをしたいのか、誠実に話をしていた。
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2018年6月25日 (月)

「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」(花谷泰広)

10日ほど前のこと。

patagoniaアンバサダーが順繰りに繰り広げるスピーカーシリーズ、花谷泰広さんの「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」へ行ってきた。


ヒマラヤキャンプ、七丈小屋経営、これらをツールとして今後、どのような「山」を登っていきたいか、という話。ここ数年ずっとぶれることなく、彼が突き進んでいる道について。

ポジティブな性格ゆえ、いつも明るく、順風満帆に見えるかもしれないが、本人は必死なのだと思う。あるいは、死にもの狂いとでも、言うか。


ヒマラヤキャンプの写真に、冬虫夏草採りが通ったカルカに向かう道中のものがあった。潤う緑の向こうに白いヒマルチュリとピーク29が連なる景色。メンバー達がヒマラヤの氷雪嶺を眺めている後姿が、シルエットになって写っていた。

BCを撤収し、アプローチする氷河を変えて、ハイキャンプに向かう途中の写真だそう。


この日は、ヒマラヤキャンプの次なるステージとして、老若男女誰もに向けたものを示していたが、その話の通り、一番若い聴衆はみどりちゃんだった。友人のお子さんで、小学生。

春にネパールのトレイルを歩いたばかりだから、「ネパール、おもしろかった?」と聞いたら、シェルパ語で1から10まで数えてくれた。お父さんが「ネパール語じゃなくてシェルパ語覚えちゃったんだ」と笑っていたけれど、シェルパ語は彼女になにか響くものがあったのかなあ、と想像。


色んな人に色んなインスピ―レーションがわきおこり、色んなきっかけになるのかなあと、そんな夜。

めったに弱音ははかないし、言い訳は絶対にしない。行動者は、いつでも潔い。


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夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

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便り

もう少しでよいからうまく伝えたかったと思った、記事。
美しい文章でありたい、人を感動させたいとは考えないけれど、思いが伝わるように書きたいのに、うまく書けなかった思いが残った。
「もう1回でよいから、ゲラを出してもらいたかった」「そうすれば、もう少しうまく書けた」とか、言い訳はしたくない。
だから記事になるまでの過程を振り返って、あの時点でこうすれば、いい方向へいったのかもしれない。あの段階でもっと突っ込めば、もう一段階進めたのかもしれない、と考える。

原稿を書くのはライターだけれど、編集者や校閲者の作業が加わって、記事になる。
だから、自分の思い通りにだけ進めることもできない。
けれど、自分の思ったことを書きたいわけで、そのためにはどうしたらよいか。
毎日書き続けるために、振り返る。

おそるおそる開けた便りには、「よい内容だった」と書いてあり、少しだけホッとした。
いちばん読んでもらいたく、あるいはいちばん読んでもらうのが怖かった方から届いた便り。

少しだけ安心して、朝ご飯の準備。
味噌汁を作るとき、琺瑯の入れ物から味噌をすくい出す木べらは、北欧土産。これは、バターかチーズのナイフだよな、きっと。

さて、まったくどうしてよいかわからない、次の原稿に取り組もう。
前途多難。

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2018年6月23日 (土)

「雨の山を楽しむ」Vol.1 横尾山荘・山田直さん

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.1
横尾山荘・山田直さん


リードより。

「若き頃、登攀に憧れ穂高岳に通った青年は、やがて穂高山麓の山小屋の主人になった。人生のなかのいっときであれ、真剣に山と対峙した経験をもつ者は、いまや山小屋経営者として、まっこうから山に向き合う。そんな山田直さんにとって、登山のパートナーであり山に暮らす必需品でもあるGORE-TEXプロダクトとの出会いや思い出についてうかがった。」


webサイト、ぜひご覧ください。

ココ


以下の写真は私がパチパチ撮ったもの。サイトはカメラマンさんによるものです。連載の趣旨通り、雨の日のインタビューになりました。

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2018年6月18日 (月)

書評『バッグをザックに持ち替えて』

『バッグをザックに持ち替えて』(唯川恵著、光文社)の書評を、『山と溪谷』7月号に書いた。

「恋愛小説の騎手」と呼ばれる彼女が、登山について書いた3冊目の本であるエッセイ集。
ほかの2冊は、いずれも新聞小説を収録したもので、『一瞬でいい』と田部井淳子さんがモデルの『淳子のてっぺん』。

数年前にご縁をいただき(ということを編集部は知らずに、原稿依頼がきたのだけれど)、書き手としては雲の上の方。
私も、もう少しでよいから、上手に書きたかった。

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2018年6月15日 (金)

おにぎり五題

ひとつ。
真冬の朝、友人宅にて。
「今朝は、スミちゃんの好きそうな朝ご飯にしたよ」と。

愛知出身の彼ら夫婦のところに届いた知多半島赤味噌を使った味噌汁。
鰹と昆布出汁に、オホーツクの素干し海苔と三つ葉。
「味噌がいい仕事をしてくれただけだよ」なんて言うけれど、ものすごく美味しかった。
ふた口ほどいただいたあと、海苔が巻かれたおにぎりへ。
これがまた、ふっくらとして、びっくりするほど美味しくて、「すっごい美味しい」と言ったら、「手のひらに少しゴマ油を馴染ませたからかしら」と。
何気ない美味しさ。

ふたつ。
晩夏、友人の山小屋を手伝いにいき、ひとり下山する日。
入れ替わりに登ってくる小屋番の友人が「クマにあったよ」と連絡してきたので、気が進まなくなり、けれどそのアシで次の山に登りたかったから、いよいよタイムリミットで下りようと決めたとき。
「お昼食べていく? 時間ないよね。残り飯があるから、おにぎり握っていって」と。
下りたアシで登る次の山の行程も考え、思わず大きなおにぎりひとつ。
膝の上に載せてみたら、我ながらその大きさにびっくり。

甲斐の国自慢の武川米と、篠沢からくみ上げた美味しい水で炊いたご飯。
塩むすびは、美味しかった。

みっつ。
春の終わりのある夜。
同じ業界で働く同性の仲間とワイン食堂のカウンター。
フランスの塩をくださった。

中学でサッカー部に入る息子を持つ彼女は、毎日、昼ご飯と練習後に食べるおにぎりを握るそう。「ウチの塩の消費量は半端ないよ」と。そうか、米もだけれど、塩もか。朝練と放課後の練習で大汗かくだろうしな。
粒子の粗いこの塩でも、おにぎりを作ってみたくなった。

よっつ。
先日の日曜日。
小ぶりのおにぎりを3つもって山へ。
全部食べられるつもりだったけれど、お昼をとったところで、出汁巻き卵や夕べの残り物だという海老のおかずなど、周囲から差し出されるがままにあれこれいただいていると、お腹がいっぱいになった。

すると目の前のFさん、「柏さんは、どんなおにぎり作るの? ひとつ頂戴よ」と。
うっかり、どうぞと差し出してからちょっぴり慌てた。お料理上手の彼女に、こんなおにぎりでよかったのか。
玄米ご飯を、仕事仲間からもらった粗塩と、フレンチシェフの友達も使っていたから安心して「これは美味しいモノだ」と使い続けているゴマ油を手のひらにぬり、握って、それからいただきもののとろろ昆布をぐちゃって載せただけ。

いつつ。
週末にかけてアドベンチャーレースが行われる村にて。
友人が「花おにぎり」というエディブルフラワーをつかったおにぎりを、3回にわけて180個作らなければならないと。むろん、私が出る幕はない。
冬に赤味噌の味噌汁と一緒に私に出してくれた、あの絶品おにぎりの彼女。それはきっと、みんな大喜びだよ。

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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
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梅雨の晴れ間の打ち合わせ

晴れた日こそ、山に登りたいのだけれど、うまく周期を合わせられず、気持ちよい天気の日に東京で仕事。
暑いけれど、朝夕は涼しい風が吹いたり、真夏よりは少しだけ空気が乾いていて、気持ちよい。

編集者と写真家さんにお会いした。
「山をテーマにした写真家で、好きな人は?」と聞かれ、即答したのは、展覧会があれば必ず足を運ぶようにしている方。「好き」とはとても言えないほど、惹かれる。

「どんな滑りの人が好きなの?」とも聞かれ、スキーについてまったく素人であることと、昨シーズン一緒に滑った人のなかで、という断りをつけて、でも即答したのは、半世紀も滑っているという方。
そういえば、先日、ある友人と話していたとき、彼も、「俺も好きだな」と言っていた。

好きに理由はなく、ただカッコいいと思ったり、惹かれたりするのだと思う。

でも、一見、「なんだろう? 不思議」と思うような滑りだったり、きっと上手な類には入らない滑りであっても、だんだんとよく見えてきたり、こっそり後をついていくと、気持ちよく滑れるときもあったりする。
そういう味わい方もあるのかもなあと、思ったり。

スキーや雪の写真にも詳しいおふたりと話すなかで、自然のなかで、山のなかで、色んな意味でその環境に見合った、調和した滑りをしている人は、やっぱりいいなあと思うのかもしれない。
23区にも、緑を通り抜けた風が吹く場所が、ときどきある。
そんなところで、夕方、少し涼しくなってきてからの、会話。
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2018年6月 8日 (金)

先輩の山小屋へ

久しぶりに、大学山岳部時代の先輩である山田直さんが経営する横尾山荘にお世話になった。
同じ山岳部の先輩といえども、直さんは、在学時代から社会人山岳会で登っていたし、私が入学した頃には、既に卒業していたので、多くの接点があったわけではない。

けれど、私が大学山岳部に入った頃には、既に登攀から軸足を山小屋生活に移しつつある頃で、山小屋の仕事もしていた。
年に数回は、この山小屋を通過したり、またテントを張らせてもらうこともあったので、お目にかかることは多かった。

正直に言うと、恐れ多くて話をすることもできない雰囲気があった。
怖い先輩というのとは、少し違ったが、クライマーの厳格な雰囲気があり、おいそれと話しかけられなかったし、叱られたこともあった。
そんな彼と、色んな話ができるようになったのは、卒業して数年経ってからであり、この仕事を始めた頃からだろうか。

人生のなかのいっときであれ、クライマーとして真剣に濃密に山と対峙したことがある人が、山小屋を営むと、こういう風になるのだなあと、いつも考えさせられることがある。
山への向き合い方、取り組み方、接し方は、登山者それぞれであるが、山は人を分け隔てしないし、だからこそ、魅力があり、厳しい。

こと幅広い登山者を迎える、この地にあって、先輩はやっぱり変わらず、自分自身が厳しく山に対峙されているのだなあと、今回もまた、色んなことを学び、気づかされた。
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2018年6月 4日 (月)

ヌタプカウシペ、最初の出会い

旭岳山麓のヌタプカウシペへ。
春菜さんにお別れし、真理子さんと話をしてきた。

最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、旭岳における最初の出会いは、ヌタプカウシペの春菜夫妻だった。
初めて東川町を訪れ、冬の旭岳に登ったのは、15年以上近く前のことだ。
なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。
モンベルの昔のカタログにあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。

けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせず、ただ泊まらせてもらっていた。
毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るのは知っていたが、それがどういうことかもわかっていなかった。
だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。
それから何年も経って、クロカンをやるようになり、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。
手作りで始めた旭岳のクロカンコースは、いまやクロカン選手は誰もがお世話になる土地だ。
けれどわかったことは、クロカンに関わる者としてもだけでなく、登山や自然に関わる者としても、生活者としても、すっごい人だということだった。

初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
つきることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した景色を、私も見せてもらっていたからだと思う。

東川町のある祝賀会に招待いただいたときのことだった。
この時何が嬉しかったかって、席順が春菜さんの隣だったことだ。
春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々が遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。

大雪山を指すアイヌ語のカムイミンタラは、直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだと思った。
旭岳連峰、大雪山をちょっと離れたところから望むと、ほんとうに神様が舞い降りてきて、遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。

この祝賀会の晩は、ヌタプに泊めてもらった。客は私しかいなく、春菜さんと遅くまで話をした思い出がある。

たくさん話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。
いっぺんに相手(人とか自然とか、山とか)と親しくなったり、いちどきにたくさん知らなくてもいいんだと思う。少しずつ相手のことを知っていく、近づいていく。

けれど、そういうことにも限りがある。

空港に迎えに来てくださったのは、長年東川町に住み、新聞記者退職後は町の歴史書の編纂などをしていらっしゃる西原さんだった。
車中、色んな話をするなか、この世に永遠はなく、生きる者も死にゆく者も留まることなく、流れゆく、というような話になった。

ヌタプに着くと、春菜さんは、私がいつも転寝をする日当たりのよい位置で、眠っていた。
お疲れであろう真理子さんが、春菜さんの最期を話してくださり、春の若葉とエゾヤマザクラの開花をみて、ヌタプで逝ったんだと知った。

帰路は、若者ふたりが空港に見送ってくれた。若者といっても、もう中堅どころか。
春菜さんの亡きあと、本格的にクロカンコースの整備を担当する方でもある。
やがて彼らの家族も空港に来てくれた。
みなに見送られ搭乗した、夜7時過ぎの機窓からは、薄花桜色に染まる空に、カムイミンタラが見渡せた。
もう、春菜さんは、あそこで遊んでいるのかもしれない。
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2018年6月 1日 (金)

山麓

ふとやっぱり、山間の土地に住みたくなるときがある。
いい風が吹いたとき、山が見えたとき、

今日は寒気の通過で、大気が安定せず。けれど、私が到着した頃には、五竜も白馬三山も見えた。残雪の山は躍動感があっていい。

友人達が集まるところへ行くと、雷の話で持ち切りだった。
あっという間に山が見えなくなり、雷が轟き始めたからだ。
標高700mほどあるこの村は、下界といえども、いわゆる都市とは違う。
北アルプスから吹き降ろす風の通り道は、ものすごい突風が吹くときがある。
雷も、電線や電柱に落ちるときもあり、家のなかに「熱」が入り、家電が壊れることも。

そんな話をしながら、薄手のウールのカーディガンがちょうどよい気温を、心地よく思う。

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