凍てついた窓
山小屋で、同業の同性の数少ない先輩が、「12月は辛いね。去年も一昨年も辛かったね」と言った。そうだった、たしかにそうだった。私自身も辛くて、やっと年を越した思いだった。
そして彼女は、もう一言、8年前の12月の話も始めた。
ある方が、河口湖の夜景の写真をfacebookに載せていたので、思い出したと。
山で喪った友人のことは、なにかの折に思い出すことはあるけれど、だんだんとその悲しみは、悲しいかな薄れていく。いまでもどこかで生きているような気さえしてくるときもある。
それが常なのに、昨日はなんだかものすごく悲しくなった。
8年前の12月に仕事仲間が、河口湖の夜景は見えなかっただろう吹雪の日に、富士山で死亡した。
その彼とは、八ヶ岳で年越しをしたこともあった。こんな風に山小屋の窓ガラスが凍てついた日で、なぜか私は窓ガラスにコツンと顔をぶつけて、眼鏡のフレームを折ってしまった。稜線は厳しい風が吹ていたなあとか、雪と岩の冷たい壁を登ったなあとか、思い出した。帰路のあずさが電気系統の故障で何時間も止まり、車内に閉じ込められたなあというようなことも、思い出した。私たちは、行動食のあまりも、ちょっと湿った防寒着も持っていたから、平気だったけれど、ほか乗客たちは空腹と寒さに苦情を訴えていた。
GWの穂高の稜線ではケンカもしたなあ。
いまごろ、どこで何をしているのか。
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