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2017年10月

2017年10月20日 (金)

一年後に

「一年後に、またここで会おう」、というのはテレビドラマの世界に思うが、ちょうど一年後、「またあそこの店に行ってみない」と、友人を誘ってみた。
 
去年のいま頃、土曜の夜、初台のワインが並ぶ店で待ち合わせをしていた。私は山から下りてきた格好のままだったけれど、友人が山で出会った女性がやっているというので、ま、許されるだろうと。
待ち合わせの店に行く途中、幾つもの知らない番号から携帯が鳴り続けた。ほとんどが、マスコミからのもので、それによって、恩師の死を知った。
のちに友人が、「あれは天からの采配としか思えない」と言ったが、まさにそう。
彼女と一緒だったがために、私は足元がグラグラと崩れることなく、一夜を越すことができた。あの夜、ほかに誰と一緒にいたかったかと考えると、なにも浮かばない。
 
けっきょく、ひとつだけインタビューに答え、その原稿を読み、顔写真がほしいと言われそれを撮ってくれた方に使ってよいかと尋ね、そんな連絡をしたことしか思い出せない。
あとは、編集者でもある友人がインタビューのゲラを読んでくれたり。
私たちふたりは、なにを話していたのだろう。
とうぜん、電車はなくなり、店の閉店時間は過ぎ、どうやって帰ったのだったか。
 
一年後、同じ店を訪ねると、経営者の方針だということで、ワインではなく日本酒の旨い店になっていた。
自分の山登りについて、いったいいつまで話続けるんだろうっていうぐらい雄弁な彼女は、今日は休みだということだったが、閉店間際、店にやってきた。
そして、一年前のことを話すと、よく覚えていてくれた。
 
また来年、こんな夜をどこで過ごすのか。
どこかの山奥でもいいな。
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2017年10月19日 (木)

季節の変わり目

山の帰り、どうしても眠たくて、美味しいコーヒーをテイクアウトしてドライブに備えようと、友人夫妻が営むコーヒーの店に立ち寄り。北アルプスの山並みがクリアに見えて、これはご褒美だわ!って思いながら、カウンターでコーヒーを1杯、テイクアウト用のコーヒーを容器に1杯、淹れてもらい、飲んでいると。
「ほんとうに、帰るの?」コールがあちこちから起こり……ついうっかりの沈殿。
みんなで美味しい秋の味覚を楽しんで、翌早朝、自宅に向けて早起きをすると、山はガスの中だった。昨日、眺めた稜線をまざまざと思い出した。
 
途次、そういえば去年の今ごろ、ここに滞在しながら体調を崩し、あちこちの友人達に病院に連れて行ってもらったり、看病してもらったりしたんだと思い出した。
つぎの滞在のときは、必ずお礼を言おう。
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2017年10月18日 (水)

Air port MTGs

空港や東京駅、新宿駅、あるいはちょっとところ変えて松本駅、大阪駅のような移動のハブとなるようなところは、双方のタイミングさえ合えば、仕事の打ち合わせや友人とのお喋りタイムに便利。
先日も、出国や帰国が重なって、二日にわたって成田と羽田へ向かった。
成田には、repackingのエリアがあり、なんて便利なんだろうと、ココで出国前の大作業。

日帰り出張から羽田に戻り、ちょうどフライト待ちの友達と会いお茶をしたら、「すげえ疲れた顔しているね。歳をとると、こうやって疲れは顔に出るのか」としげしげと言われた。「このところたいへんだったもんねえ」というねぎらいの言葉はあったものの、これはヤバイ、お喋りなどしている場合ではないと、とっとと家に帰って、湯船につかりぐっすり寝た。
こういうときの指摘は、同性の友人よりもオトコ友達の方が正直かもしれない。

疲れ顔……もし仕事先の方にそれを感じさせてしまっていたとしたら、それは大反省だ。
あったかい湯船につかって、しっかり睡眠をとって、疲れは取りましょう。
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「大切な人を守るための応急処置の基礎知識」@『fam』

子どもとアウトドアを楽しむお父さん向け雑誌『fam』(三才ブックス 1000円+税)に、「"知っていることがいちばん大事" 大切な人を守るための応急処置の基礎知識」を書いた。
子どもを持った経験もなければ、とーさんになったコトもない。果たしてそんなで記事書けるのか? と思いましたが、優秀なフリーの編集者さんに助けられた。
 
監修はWMAJ(ウィルダネス メディカル アソシエーツ ジャパン)代表理事の横堀勇さん。
WMAJの本部は、アメリカにあるWMA(ウィルダネス メディカル アソシエーツ)。一般市民からアウトドアガイド、軍隊など政府間組織など様々な人たちに野外における救急法および災害時における救急法を講習している団体。
そのプログラムは、野外医療や救急医療を専門とする医師たちによってつくられている。またWMAやWMAJでリードインストラクターになるには、トレーニングを積むのはもちろんのこと、その前提として医療従事者、アウトドアガイド、教育者としての3つのキャリアが必要。
今回、監修してくださった横堀さんも、カナダでパラメディックの経験を、カナダと日本で山岳ガイド、教育者としてのキャリアを積んできた方だ。
このようなキャリアを持つ方に監修してもらえることは貴重。
 
今回の記事は、野外救急法あるいは、救急法というものについてこれまで接してこなかった方でもわかるような内容を心がけており、通常WMAJで講習している野外・災害時救急法の内容を大幅に省略した記事となる。
WMAJでは、人間の生命がなぜ維持さるかというメカニズムから習い、傷病者の「観察」と「評価」を重々身に着け、そこから応急処置に入る。
この過程を理解するには、一定以上の時間をかけて受講しないと難しい。
 
それでも編集者と監修者の手腕もあり、アウトドアを愛好する人たちが必要とするトピックをなるべくわかりやすく取り上げるようにした。
キャンプ場で起こり得る傷病について、お父さん(親御さん、大人)がどうやって子どもたちを守ったらよいか、守れるか、対応できるか記事にしてある。
 
秋のアウトドア・ホリデーにお役立てください!
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2017年10月17日 (火)

長崎県勤労者山岳連盟50周年

長崎県勤労者山岳連盟50周年にお招きいただき、仕事を通じて眺め出会ってきた山、登山について話をしてきた。
 
長崎は中学校2年生のときに、夜行列車に乗ってオーケストラの全国大会に行ったとき以来。今回は、飛行機でやむを得ず日帰り。
ANAのラジオでドリカムの「LAT.43゜N」を聞きながら到着した長崎空港は、N32`548。大村市にあった。
大学卒業してすぐに就職した会社の同期、原ちゃんの故郷。原ちゃんに会って、世の中にはこんなすんごい美人がいるのかと感激した。ひとつ上の先輩の池ちゃんも同じぐらい美人だった。私の中の超美人は、原ちゃんと池ちゃん。あんな綺麗な人はいないわ……なんてことを思いながら、市内行きのバスに乗り、車窓を流れる景色を眺めていた。
けれど、中学2年のときの訪問を、まったく思い出せない。ホールの舞台の様子やパート練習、ゲネプロと本番のことは覚えているけれど、街のこと、観光したはずの平和記念公園やグラバー邸のことは思い出せない。
 
あちこちの土地に講演で呼んでいただけるのはありがたく、なるべくその土地の山に登ってきたいと思っている。
講演をするだけの一方的な関係ではなく、色んな土地の山のことを知りたいし、そこに根を下ろして登っている方々とも交流したいと考えるからだ。
日本は広いし、自然環境も多様。それぞれの土地にそれぞれの山と登山がある。
今回の日帰りはやむを得なかったが、短い時間であっても、長崎で登山を続けている方々と言葉を交わせたことはとてもありがたかった。
 
長崎県労山の創立は1967年10月22日だという。私と同い年。この日付、同級生の誕生日だわなんて思ったけれど、人の50年と団体の50年はまた意味合いも道のりも違だろう。
長崎県労山では、毎夏、平和を祈願した登山をしており、原爆投下の際に避難した壕を巡る山歩きも企画されているそうだ。
会場では、こんなポスターも拝見。小西政継、今井通子、安川茂雄各氏。
小西さんは、エベレスト南西壁試登を終え、冬期グランドジョラス北壁を登った年。精悍な顔立ちの写真も展示されていた。
そしてこの3人のなかでさすがにお会いしたことのない安川茂雄さん、同業というのははばかれる大先輩であるけれど、彼の仕事ぶりをじかに聞く機会があったなんて、なんて貴重なんだろう。
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2017年10月16日 (月)

山の仲間ーその3/黄葉の森

先日、山小屋の手伝いをしているとき、ひょんなことから女性二人組と話をした。
大きな荷物だったので、テント泊かなと思い、「テント場の受付をされますか?」と尋ねると、「上の岩小屋で寝るんで」と。なるほど。
そこからもう少しだけお喋りは続き、赤蜘蛛に登るということと、どこの県から来たかということまで(話の流れのなかでなぜか……)聞いた。
「明日ココに下りてきたときに、元気にジュースを飲めるぐらいでいたいなって思います」と笑いながら、登っていった。
ふたりが「桃のネクター」がどうのこうのって話しているも小耳に挟んだので、翌日はぜったいにネクター缶とジュース数種類は、冷やしておこうと、切れないようにって、気を付けていた。
 
翌日の昼ごろ、勝手口近くで仕事をしていたら、ふたりが通りかかった。思わず、「お帰りなさい」と笑顔で手を振ったら、「登れなかったんです」と。ああ、今日は青空ではあったが、風が強かったからなにかたいへんだったのかもしれないと思うと、本人たちの理由だったようだ。
それでも笑顔であり、登りの時の楽しそうな声と相まって、仲のよい山仲間が、自分たちの実力を出し切らなければならないルートにやってきて、ちょっとしたなにかが理由で登れなかったけれど、それでもいい時間を過ごしたのだろう、きっとまた登りに来るのだろうなって想像した。勝手な想像だけれど、結果がどうであれ、自分たちで積み重ねてきたとういう登山こそが満たされるのだろうと。
 
小屋の前で一休みしたあと彼女たちは下山していった。その30分後ぐらいに私も下山を開始した。登山道上にクマが出たという誤報(とあとで知る)があったため、ひとりで下るのは気が引けており(ちょっと前に、早月尾根でクマと至近距離で会ったばかりだったし)、なんとか彼女たちに追いつけないかなあと少し思っていた。けれど足並みそろった二人に追いつくのは難しいだろうと諦めてもいた。
ところが、あっけなく追いついた。小屋から30分も下らないうちに、屏風岩の鞍部で休んでいたのだ。変わらず、ふたりでお喋りしている様子が、仲睦まじくほほえましかった。
 
下山後、駐車場にある「おじろ」のおばちゃんのところへ行くと、いつものようにそこに集う人たちとお喋りが始まった。
おばちゃんが、昨日からあるクルマの室内灯が付いていて、バッテリが上がってしまっているのではないかと話し始めた。すると、そこにいた人たちの中にはクルマに詳しい人達もいて、該当するクルマがどの程度のバッテリィを積んでいるかも想像ができ、これは動かない可能性が高い、と口をそろえて言い出した。
ナンバーを聞いて、それは赤蜘蛛の女性二人組のクルマに違いないと、私は思った。
平日で停車台数も少ないから、だいたいの見当がつく。まずまちがいない。
 
あの、笑顔のふたりのことを思うと、心配になった。あんまりに楽しそうに見えたから、途中でビバークでもして、もう1泊この山を楽しむ気ではなだろうか、とすら思った。
おばちゃん達に二人の話をすると、みなも心配し始めた。
きっと笑いながら下りてくるだろうに……クルマが動かないなんてことがあったら。
さいわい、ブースターケーブルを持っている人がいたので、下山を待っていよういうことになった。私が下りてきたのが16時前。その話をしたときは既に17時を回っており、いまからJAFを呼んでも暗くなってしまうだろうから、と。おばちゃんも、「おじろ」の店を開けておいてくれるという。なんて優しい人たちなんだと思いながら、もちろん私も一緒に待っていることにした。
 
「おじろ」の閉店時間は過ぎていたけれど、17時半を回った頃、ふたりが下りてきた。駆け寄って、事情を話すと、慌ててキーを取り出し、エンジンをかけた。
すると無事、エンジンはかかった。ああよかった、取り越し苦労だった。
 
私が、(下山も遅かったし)「あんまり楽しそうに笑っていたから、もう一晩どこかでビバークして紅葉の山で遊んでくるつもりなんじゃないかって、思っていたんです」というと、そんなことはないと。
「まだか、まだかってブーブー言いながら下っていたんですよ」と言うのを聞いて、ハッとした。
それはそうだ。登れなかったんだから、楽しいだけのわけがない、悔しいはずだ。
あんまりに二人が毎回笑顔を向けてくれたので、私はすっかり本人たちの気持ちに思い至っていなかった。
 
楽しそうに登っていく二人を見て、やっぱり仲間との登山はいいな、登れることも登れないこともあるし、スマートにいかないことだって多々ある。けれどやっぱりいいなと思った。
そして思いがけず、ふたりの下山を待つことになり、こんなにも晴れて綺麗な秋の色に染まった黒戸尾根であるけれど、人はそれぞれ色んな思いで下山しているのだなあと、それは気持ちいいとか楽しいとかだけではないという、極々当たり前のことを思い出すことができて、よかったなあと思った。
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2017年10月12日 (木)

山の仲間-その2

山に一緒に登る相手、パートナーのこと、登山を一緒に続けてきた友人のことを、「山の仲間」と自然に呼んできた。
 
ここ数年、『現代用語の基礎知識』の「登山」の項目を担当している。これは、現代の登山に関連するニュースを読み解くための言葉、登山の基本や本質を理解するための言葉、いま流行っている登山に関する言葉を集めたものだ。
数年前には「山ガール」という言葉も載せたぐらいだから、「山トモ」を載せてもよかったのかもしれない(今年の分は先日校了したが)、と先日、ふと思った。
 
最近では、登山を通じて知り合った人のことを「山の友達」、略して「山トモ」と呼ぶ。
しかし、私は「山トモ」という言葉を使ったことがない。
なんとなく軽々しく感じ、私にはしっくりこない。しかしその理由を深く考えたことはなかった。
 
先日、山小屋で山岳雑誌のバックナンバーを読んでいた。早く到着して、のんびりしていたときだ。
第一特集は、雪山登山の指南だった。そのなかに、雪山に登るための心構えのようなことを書いたページがあった。仕事の仲間が書いた文章だったが、真摯な素晴らしい内容だったので、帰宅後読み直したかったのだが、ウチの本棚にそのバックナンバーはなかった……処分してしまったのだろうか、がっくり。
 
とくに、山の仲間について言及した部分が印象的だった。大概のものはお金で買える、いい装備、適切な装備も用意した方がよい。身体作りも必要、技術も経験も必要。そしてさらに大切なのが、「山の仲間」だという話。
山の仲間は苦楽を共にし、相手の命を預かる相手。万が一のときは、相手を助けることができるだけの体力と技術を用意したいと。それが相手への敬意であり、山の仲間の務めであるという意味だと思う。
そうやって作り上げた関係性は、一生の宝物であり、時を経ても色あせることはないというようなことも述べていて、また「友情や友達なんていう甘ったるい言葉では表しきれない」「仲間」という言葉が合っている、というようなことを書いていた。いま手元にバックナンバーがなく、正確に記せないのだが。
 
友情という言葉が甘ったるいかどうかは、人により感じ方は違うし、友情にも色んな側面があると思う。
しかし、たしかに「仲間」という言葉がぴったりである。
仲間同士には、同じ目標をもって互いに尊重し合い、努力することに加え、友情もある。
そして、山の仲間は山を続けていくうえで不可欠であり、とても大切な存在だ。ほかには代えがたい。
 
雑誌を読んだ翌日、私は早月小屋を出発し、ひとりで早月尾根を辿った。
山頂に至るその瞬間に、「やっぱりこの山は、ひとりで来る山ではなかったな。仲間と来るべき山だった」と、仲間と共に登った時間を思い出した。最も大切だった仲間を失ったばかりだから、とくにそんなことを考えたのかもしれない。
それは、正直な気持ちであり、そして前日に読んだ記事を思い出しもした。
 
言葉は生きていて、時代と共に変わりゆく。
だから、「山トモ」というのはいまの時代に合った言葉なのかもしれないし、山で知り合った友人という意味だけであり、それはまだ「仲間」まで成熟してない関係なのかもしれない。
しかしやっぱり、私のなかには、「山トモ」という言葉は、ないなあ。
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2017年10月 6日 (金)

人生はシンプル

「先生」と呼ばれる職業が幾つかあり、その習慣があまり好きではないのは、「先生」と呼ばれる職業だった亡父が、心の底ではそれを嫌っていたからかもしれない。
なにかの職業が特別だとは思わないし、それぞれの職業にそれぞれの特徴があり、そしてそれぞれが自分の職業に誇りを持ちたい。後者は、高校時代からの友人がずっとずっと前に吐いたセリフ。
 
そんな「先生」と呼ばれる職業のひとつ、医師と話す機会が、この1週間ほど続いている。
医業のぜったい的特徴は、命を取り扱う、人間の身体を取り扱う現場だということだろうか。
 
初めて会ったふたり(医師と患者家族)が、いきなり本題に入って、今後の治療法や先行きについて話す。ビジネスの先行きにも命がかかっていることはあるだろうが、生身のからだとまさに生命に関わる話を、いきなり本音でズバズバと。
「理解が早いですが、医療従事者ですか?」と聞かれ、「いいえ」と答えたが、いまどきこれだけ情報があり、自分も病気をしたことがあれば、私のようにときどき医療について書く仕事をしなくても、話が通じるのは早いのではないかと思う。
 
手術室の扉が開き、やがて今度は、医師と立ち話。手術結果や今後のこと、そこには私の身の振り方も関係してくる。短い会話のなかに、その医師の人となりがうかがえ、こちらも普段あまり人に見せない顔を見せる。
 
こんなやり取りはインタビューとも似ているかなと思ったり。
 
そんななか、仕事で知り合った救命医と話す機会があった。
「いのちの終わらせ方って難しいですね」と言うと、「そう複雑なもんでもないことの方が多いのですけどねぇ」と。誰もがみないつか人生を終えるわけで、きちんと話ができていれば大概は望む形がわかってくるものだと。ただ、彼がいる現場のように、時間がそれを許さないときは、いささか大変」と。
「いささか大変」って言葉を使っていた。
 
なるほど、人生って、シンプルかもしれない。
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2017年10月 4日 (水)

インタビューの涙

やっと、インタビューのテープ起こしを終えた。ちょっと時間をかけすぎてしまった。
インタビューを聴き直して、そのインタビューが満足いくものだったことは、あまりない。
なんで、ココをもっと聞かなかったのだろう、突っ込んで話さなかったのだろうという点が幾つもある。
状況が許せば、聞きなおすこともあるけれど、それがかなわないことだって多い。
 
何年も前、ある山岳ガイドをインタビューしていたとき。
この先、このまま話を進めたら、共通の友人の死にたどり着き、きっと彼も私も泣いてしまうと予感した。その手前で、私は話題を変えた。
その時は、インタビュイーの気持ちや思いを理解したと感じて、これ以上この話をする必要はないな、と区切ったのだった。
けれど、テープ起こしされた文章を読み、愕然とした。私はちっとも彼のことをわかっていないではないか、と。
理解したつもりになっていたのは、勘違いであり、その場面の重圧感に耐えられなくなって逃げだしたようなものだったのだと、振り返って気づいた。
 
今回のインタビューでは、ずっと泣きそうだった。
あるひとつの登攀記録を聞きにいったのに、まさかそんな話になるとは予想だにせず。
彼も涙が流れそうだっただろうけれど、私もこらえるのが必死だった。
まったく涙もろい私が、よくも2時間耐えたと、我ながら褒めたい思いで、喫茶店を後にした。
 
しかしそれでも、テープ起こしを終えると、もっと突っ込んでいくべきだったと思う点がある。テープ起こしは、半ば第三者的に聞くことができるから、そう思えるのかもしれない。
 
ところで、インタビュー中に泣いてしまってもよいのだろうか。
プライベートではかなり涙もろい私だが、インタビュー中に泣くのは、ルール違反のように思え、必死にこらえる。こらえきれずともこらえる。
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2017年10月 3日 (火)

ホンモノ

先日、編集者が10年も前にロクスノに書いた記事をたとえに出して、「あの時の記事を覚えているんですよね、ああいうトーンがいいなあと思うんです」と。
なんだっけ?と思いながら、メールに書いてあったバックナンバーを本棚から取り出して読み直してみた。
 
故新井裕己さんが、不帰Ⅰ峰北壁を初滑降したときのもの。
当時の担当でもなかった編集者が、この記事を覚えてくれていたのはありがたいし、
現在進行中の仕事について「あの時の記事のように」という意図もわかる。
だがしかし、読み直してみて、あんまりの文章の酷さに驚いた。
 
これをインタビューしたのはどこだっただろうか。
当時彼がよくいた白馬村だったか、あるいは東大のキャンパスに停めていた軽自動車の脇だったか。思い出せない。
そんなにたくさんの接点があったわけではなく、最後の記憶は葬儀と五竜がよく望める温泉宿でご家族も交えて一晩中、友人知人仲間たちでどんちゃん騒ぎしたときのことだ。
いまアライユーキが生きていたら、どんな風になっていたのかと思うし、周囲はどんな風に彼を囲んでいたのかと思う。
 
まったくひどい文章にがっくりきたけれど、そこに書かれている人がホンモノであれば、ちっとも色あせない。というか、時代がやっと彼に追いついてきたような感すらある。
普遍であり、新鮮であり、心に響く。
おまけに、この記事を大切に保管してくれている人がいることも知り、ありがたかった。
 
 次にいただいたありがたい仕事は、もう少しマシな文章で描けるよう努力しよう。
 
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