長崎県勤労者山岳連盟50周年にお招きいただき、仕事を通じて眺め出会ってきた山、登山について話をしてきた。
長崎は中学校2年生のときに、夜行列車に乗ってオーケストラの全国大会に行ったとき以来。今回は、飛行機でやむを得ず日帰り。
ANAのラジオでドリカムの「LAT.43゜N」を聞きながら到着した長崎空港は、N32`548。大村市にあった。
大学卒業してすぐに就職した会社の同期、原ちゃんの故郷。原ちゃんに会って、世の中にはこんなすんごい美人がいるのかと感激した。ひとつ上の先輩の池ちゃんも同じぐらい美人だった。私の中の超美人は、原ちゃんと池ちゃん。あんな綺麗な人はいないわ……なんてことを思いながら、市内行きのバスに乗り、車窓を流れる景色を眺めていた。
けれど、中学2年のときの訪問を、まったく思い出せない。ホールの舞台の様子やパート練習、ゲネプロと本番のことは覚えているけれど、街のこと、観光したはずの平和記念公園やグラバー邸のことは思い出せない。
あちこちの土地に講演で呼んでいただけるのはありがたく、なるべくその土地の山に登ってきたいと思っている。
講演をするだけの一方的な関係ではなく、色んな土地の山のことを知りたいし、そこに根を下ろして登っている方々とも交流したいと考えるからだ。
日本は広いし、自然環境も多様。それぞれの土地にそれぞれの山と登山がある。
今回の日帰りはやむを得なかったが、短い時間であっても、長崎で登山を続けている方々と言葉を交わせたことはとてもありがたかった。
長崎県労山の創立は1967年10月22日だという。私と同い年。この日付、同級生の誕生日だわなんて思ったけれど、人の50年と団体の50年はまた意味合いも道のりも違だろう。
長崎県労山では、毎夏、平和を祈願した登山をしており、原爆投下の際に避難した壕を巡る山歩きも企画されているそうだ。
会場では、こんなポスターも拝見。小西政継、今井通子、安川茂雄各氏。
小西さんは、エベレスト南西壁試登を終え、冬期グランドジョラス北壁を登った年。精悍な顔立ちの写真も展示されていた。
そしてこの3人のなかでさすがにお会いしたことのない安川茂雄さん、同業というのははばかれる大先輩であるけれど、彼の仕事ぶりをじかに聞く機会があったなんて、なんて貴重なんだろう。
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