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2017年6月

2017年6月30日 (金)

真心の人たち

父や母にとっては、さらに思い出深い土地であるが、私の記憶は小学生から。
夏になると、遊びに行っていたのは外房の海。同級生のウチが「海の家」をやっているというので、片貝で地引網をすることもあったが、家族で行くのは御宿だった。友達も一緒に遊びに行った。
大人になってからは遠のいていたけれど、ある年の元旦、私は突然のようにサーフィンを始めた。御宿にはサーフポイントが3つもあることを、知ったし、たとえ風向きや波が合わなくても、外房の海はあちこちの方向を向いているから、ちょっとクルマを走らせれば、大概どこかしらで波にに乗れる。
借りもののウェットスーツを着こみ、借りものの板をかかえて、海に入った。
貸主は、私に貸しちゃったから、浜辺で待機。なんだか大きな声でアドバイスしているようだけれど、波の音にかき消されて、なにも聞こえない。
トップアウトはできたけれど、当然波には乗れず、帰ってきた。
当時、30半ば。「40過ぎたら、サーフィンでもやってみようかな」なんて思っていたのは、甘かった。ものすごく体力が要るし、ものすごく難しいスポーツであることが、分かった。
 
ある日、御宿の部屋のポストに、手書きのチラシが入った。水色の蛍光マーカーで大きく「SHOOTS」と書いてあった。どうやら御宿にサーフショップが新たにオープンしたようだ。
さっそく行ってみたら、同世代のご夫婦がやっていた。
海のコトは何もわからない私達にたいして、「御宿で海に入るんだったら、ココに名前と電話番号、緊急連絡先も書いていってよ」と。なんのことかと面喰いそうになったが、万が一のことを考えての気遣いだった。
ありがたく、そのノートに書き込んだ。
ウェットは吊るしの安いのを買ったが、ボードは、SHOOTSのシェーパーであるプロサーファーの竜二さんがシェイプした中古を譲ってもらった。中古といっても、奥さまのトミーさんが使っていたもので、彼女もプロ級の腕前のわけで、板はとてもよい状態のものだった。
以来、海で会うと声をかけてくれたし、教えてもくれた。ボードも押してもらった。
竜二さんの板に乗っているから、声をかけてくれるローカルもいた。
 
ワックスを買いに、店に立ち寄ることも多かった。
トミーさんがいればよいのだけれど、竜二さんしかいないと、レジの打ち方がわからないみたいで、たいへんだった。Tシャツでも買おうものなら、値段もわからず、そのまま持っていけぐらいのコトをいうので、とても困った。
板を作ることには、プロフェッショナルの魂を持っていたけれど、ほかのことに関しては、なんら自覚がない方なのかもしれない。
かなっぷは、「お金をもらうのが照れくさい人なんだよ」と言っていた。
 
あるとき、店の近くの住宅が建て直すことになり、取り壊された。
すると、通りからSHOOTSがよく見えるようになった。通りたって、目抜き通りでもないところなのだが、「店が目立って困る」とか「営業しているのが、わかっちゃう」というのだ。海に入れる時間が少なくなるのは、ぜったいに避けたいことだから。
かといって、営業しないわけにもいかないだろうし、ホント商売っ気のない人たちだって、笑った。
あるワールドツアーを回るプロサーファーの板も、竜二さんのものだが、そのロゴを入れるには商業的に莫大なお金がかかる。そんなことはできないので、ノーブランドのまま、あるいはほかのスポンサーのステッカーを貼って、そのサーファーは乗っていた。
 
そんなひっそりと、けれどしっかりと御宿の海と人々に愛され、板を作り、波に乗っている夫妻であるが、その長女は、いまやワールドランキング5位となった。
もう10年ぐらい前になるが、ピロタンがまだ日本で優勝したこともなかった頃、部原で行なわれた大会に応援に行った。彼女は、うまく波をつかまえられず、海から戻ってくると、周囲の大人たちが、「ピロタン、ピロタン」と大勢集まってきて、肩を落としている彼女を激励し、助言していた。ああ、愛されているなあと思った瞬間だ。
 
先日、この先、御宿と縁遠くなってしまう私達は最後に、SHOOTSに挨拶に行った。
これまでのお礼と、そして「また来ますね」と、夫妻に言うために。
また来るに決まっていると思っているトミーさんは、なんで私がメソメソするのかもきっと、わからなかっただろうなあ。なんて、泣き虫なんだろうって驚いていた。
いくつか、当たり障りない、いろんな会話をしたが、この間、ピロタンがヌーサで優勝したとき、インスタグラムやフィエスブックにお祝いの言葉を書き込んだら、その何百もあるメッセージのなかから、トミーさんが私の言葉を見つけてくれていたことには、驚いた。
 
トミーさんと竜二さんの海への接し方や暮らしぶりは、私の友人のあるクライマー夫妻と共通するものがあって、そんな生き方がとってもいいなあと、私はいつも思っている。
 
たとえ、また行けなくても、また行くのがほんとうにものすごい先のことであっても、それを実現できるかわからなくても、「また、来ます」と言って、別れてきた。
好きな人たちと別れるときは、たとえ再会できないってわかっていても、先のことはわからなくても、「またね!」と言って別れるものだから。
真心たくさんもらった、SHOOTSにて。
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2017年6月27日 (火)

打ち合わせ

昨日も今日も、編集者と打ち合わせがあった。

今日お会いしたのは、初めて仕事をする編集部の初対面の編集者。
記事の内容について、意見を出していくうちに、「およそ、誌面の絵がみえてきました」と。
さすが編集者だなあと思う。こちらは、あれもこれもと考えを述べるだけであり、そこには私のような書き手の場合、あまり絵面は浮かんでいないのだけれど、編集者は違う。
書くべき内容を整理し、読者にわかりやすいような構成を、既にアタマのなかで作り上げている。

今日の待ち合わせは、私の住む町の駅改札で、打ち合わせは駅前の喫茶店で行なった。
偶然にも3駅離れたところに住んでいたのだが、それでも「ご足労いただき、ありがとうございます」と述べると、「いいえ、ライターさんの仕事場のできるだけ近くまで行くのが、僕の信条ですから」と。
かつて出版社に勤めていたときから、そうしていたが、フリーになったいまも、その考えは変えていないという。「打ち合わせ場所まで行くにも、時間もお金もかかるのですから」と。
いいや、時間もお金もかかるのは、お互いさまだ。
 
昨日会ったのは、数年前から一緒に仕事をしてきた編集者であるが、ちょっとご無沙汰していた彼女だった。「久しぶりに会いたいね」とは、よく言っていたのだけれど、超多忙売れっ子編集者、そんなに自由になる時間もないはずだ。
プライベートの旅先からメールやLINEをくれて、やっとランチに会えることになった。
 
私が朝から晩まで、有楽町界隈で用事があったことを知った彼女は、「あのビルだったら昼時でも空いているはず」と老舗ベトナム料理屋を、待ち合わせ場所として連絡くれた。あとで気づいたことだが、旅先でわざわざ調べてくれていた。
「このビルの上に仕事で来ることがあったんですが、前回はちょうど歯を抜いた日で、美味しそうだけれど食べられなかったんです。また来たいと思っていたんですよ」と。私の用事に合わせてくれた場所だというのに、余計な気遣いをさせない気遣い。
「このベトナム料理屋さん、昔からあって、美味しいんだよね」というと、「みんな、そう言います。老舗なんですね。来たことありましたか?」と。「うん、働き始めた頃、そうだね30年ぐらい前に来たかな」と言ったら、若い彼女、一瞬ビックリしていた。「あ、30年は間違えた。でも25年ぐらい前かな」と。四半世紀だ。
仕事の話、最近の互いの旅の話をして、冬頃にはこんな記事を作りたいねと、打ち合わせもできた。
 
長年、何度も打ち合わせしてきながら、一度も「そちらに伺いましょうか」とか、「ご都合のよいところで落ち合いましょう」とか、言ってもらったことがない編集者や編集部もある。そういうところって意外と多い。
 
一方で、必ずこちらに出向いてくれる編集者や、ちょうど真ん中あたりで会うことを提案してくれる編集者もいる。年上の編集者には、本の街の美味しい紅茶屋さんを教えてもらったなあと、懐かしく思い出す打ち合わせ場所もある。

どちらが伺うべきかとか、そんなことではなくて、互いの事情や都合を鑑みながら、都度いいように場所を決めてもいいのになあって、思う。
だから、今日の編集者の言葉は、とても新鮮な嬉しさだったし、昨日の彼女にも、感謝だった。
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2017年6月21日 (水)

さりげない味

ちょっと前のこと。
野外救急法の更新講習を受けるにあたって、会場が小谷の施設であることに、小躍りした。
6年前、ここで受講したとき食べた、サオちゃんのお料理が、これで毎日食べられるからだ。
彼女は、この施設の厨房を預かっていて、ここで行なわれる色んな講習の際、朝昼晩の食事を作ってくれる。ものすごく美味しかった、という記憶しかなかったけれど、ともかく6年前、誰もが口を揃えて、美味しい、美味しいと毎回食べたのだから、まちがいない。
そしてその後も、私達は、「サオちゃんのお料理、ほかでは食べられないのかなあ」とか「サオのご飯が恋しい」とか話したものだ。
今回4日間にわたって、朝昼晩のご飯を食べて、あらためて、ほんとうに美味しく感謝、感謝だった。食事が始まる前には、誰もが「今日は何だろう」って厨房をのぞいた。そして食べ終わると、またみなが口を揃えて、「美味しい、美味しい」と言った。、後片付けで厨房の洗い場に入ると、みんなサオちゃんを取り囲んで、「ご馳走様」と言うのだった。
 
私の周囲には料理上手が多いけれど、私はひょっとしたら彼女の料理がダントツいちばん好きかもしれない。決して派手ではない。洒落たメニューに載るような名前があるわけではない。けれど、どれも優しい味なのだ。なにが優しいって、私達の毎日の活動を知ってくれて、それに寄り添ってくれるような味。
 
そういえば、もうひとり、「彼女の味が好き」という友人がいる。ときどき泊めてもらう山麓の村に住むカップル邸。朝のお味噌汁に「あれ、この風味なんだっけ?」と尋ねると、「しそを少しだけ入れたの」とか、ササっと作ってくれる昼ご飯のパスタがホッとする味だったり。
 
何気ない美味しさ、毎日食べたい味、そういうのがいいなあと思う。
 
4日間の講習が終わって、受講生それぞれが自分のクルマを走らせて帰るとき、サオちゃんも玄関に出てきた。私もクルマを運転しながら、前の小道に出て、建物を振り返り、手を振ると、玄関のステップに腰を下ろしていた彼女が、笑顔でみんなに手を振り続けていた。
嬉しいな。
 
梅雨空で、山に行く日が延びた今朝、そんなサオちゃんの味を思い出し、そうだそうだ、味噌汁に生姜を擂って入れてみようと思いついた。里芋が残っていたので、それを具材にし、だから生姜が合うかなと。けれど、ちょっと入れすぎたな。匙加減が、まだまだだ。ついやり過ぎてしまう。
サオちゃんのその味噌汁は、「あれ?今朝はちょっと味が違うよ、これなんだったっけ?」と思わせて、ぐいぐい飲みたくなるような味。隣に座っていたジャーマンが、「生姜だね、味噌汁の味にコクが出る」と言った、あれを真似したかったのだけれど。
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2017年6月17日 (土)

地下鉄

山から帰ってきて、東京にいるあいだでも、電車に乗る機会はそう多いわけではない。
けれど、この2週間のうちに、東京の地下鉄でふたりの知り合いに出くわすという、偶然。
 
一人目は、大手町の駅で乗り換えようとプラットフォームにいると、向こうから歩いてきた。長身のその姿は遠めでもすぐにわかる。日本に帰ってきた頃だろうから、そろそろ連絡してみようかなあと思っていたところだった。
同じ方向の電車に乗るとういことで、わずか二駅のあいだに、互いの近況を弾丸トークでしゃべる、しゃべる。
 
二人目は、隣の駅に住む編集者。偶然私が隣の駅から乗車したその日、電車の待つ姿を発見。「ご近所様」になって15年ぐらいだけれど、地元で会ったのは初めて。
ちょうど、取材対象についてメールで連絡を取りあっていたばかりだったので、こちらも20分足らずの電車のなかで、あれよあれよと色んな話。
フリーのライターはひとりで書いていることが多いので、どうしても色んなことに行き詰る。アイディアが枯渇することもあるし、発想の転換ができなくなっているときも多い。
そんななか、編集者と話ができると、そうかなるほど!って思えるようなアイディアを教えてもらったり、自分自身も新たな考えができるようになったりするのだ。
 
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シンポジウム「日本における野外救急法の現状と今後の課題」

今年初めて開催された「Wilderness Risk Management Conference2017」のオープニングシンポジウム「日本における野外救急法の現状と課題」にて、コーディネーターを務めました。
シンポジストは、溝手康史さん(弁護士)、稲垣泰斗さん(救命救急医)、佐藤初雄さん(野外教育者)。
開始時間がずれこみタイムアウトで、用意していたトピック全部を話していただけなかったこと、残念でした。エピペンの法的解釈を話してもらう予定でしたし、また医療についても、課題をさらに明確に示せればよかったです。
今後も、法的なアドバイスを受けつつ、昨日挙がった医療面の課題をベースにしながら、国内の標準化を(これからも)進めていくことが、ひとつの目標になるのではないでしょうか。今回挙がった課題は、講習やインストラクターの更なる質の向上にもつながると思います。
稲垣さんのある発言が、USの野外医療先達者のひとりであるディビット・ジョンソンの言葉とまったく同じだったのが、とても印象的でした。
 
午後のワークショップは、浅井悌医師(利尻島国保中央病院・日本山岳ガイド協会(JMGA)理事)の「日本山岳ガイド協会がすすめるファーストエイド講習」に参加。
JMGAのファーストエイド講習がどのように行われているのかという話と、後半は低体温症のミニ講座。
 
日本登山医学会所属の医療従事者やWALS(医療従事者向け野外救急法のクラス)受講者、野外救急法講師など、医療関係者も多く集まってくれたようです。
ほか、アウトドアのガイドの皆さん、愛好者の皆さんなど、ご来場ありがとうございました。
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2017年6月13日 (火)

いちばん好きなクライマーは?

数日前の夜。「三次会」でのことだった。三次会といえども、二次会までは「仕事」だったので、お酒は入っているものの、あまり酔ってはいない。同じ登山の業界で働く3人が残って、あと一杯と。

ひとりが、「いちばん好きなクライマーは誰ですか?」と突然。いや、「好き」って表現ではなかったかな。「ファン」とか、「絶対的スター」とか、そういった意味のことを、彼は最初投げかけてきた。
当の本人が何の迷いもなく、「平山ユージさん」と答える。
もうひとりも、「戸高雅史さん」と断言した。
ユージさんは間違いなく、スターであり歴史に名の残る、クライミングのアイコンでもある。
戸高さんを思うあたりが、どんな真意があるのかと尋ねると。
その人は、私も一緒におこなった20年近く前の取材のことを話始めた。
その時、戸高さんが発したある言葉が心に残り、一気にファンになったのだという。
 
「柏さんは?」と聞かれ、答えられなかった。
同じ時代を生きる、世界に名を残したクライマーもいる。大好きだ、一緒に登っていても楽しい。そして、すばらしいクライマーだ。けれど彼の名だけを、いまこの時点で、挙げるのでよいのだろうか。
昔から、すごく好きになる芸能人もいなかったし、誰かの熱烈ファンになったこともない。
そんな性格だから答えられないのか、自分で自分について考え込んだ。
 
その末、ひとりの同世代のクライマーの名前を挙げた。
この歳になると、アルパインクライミングも上り坂は越えたのか。いや、海外の40~50代、そして60になるクライマー達の活躍を見れば、そんなことは言わなくてもよいのかもしれない。
けれど、歳を重ねながらも、その情熱を途切れさすことなく、山に向かう。今シーズンは、いよいよのトライを控えている。となれば、心が揺さぶられるのは、自分自身がこんな歳になったからか。

三次会が終わって、トボトボとひとり部屋に帰る途中、もうひとりの同世代クライマーにも思い至った。まさに、あきらめることなく、ずっと上を見続け、登り続けている人。いま大きな試練にあい、これからどうやって復帰していくか、正念場だろうけれど、「きっと、また登る」人であることは、間違いない、彼女。
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2017年6月11日 (日)

ICI石井スポーツ・エベレスト+ローツェ隊インタビュー@『夏山JOY』

発売中の『夏山JOY』(山と溪谷社)は、前半が夏山コースガイド。反対側から開くと、ICI石井スポーツのカタログ『THE EARHT』になっています。
巻頭に「なぜ人は山に登るのか、山と対峙する試み」を、載せてもらっています。
5/25・26にエベレスト、ローツェ連続登頂(しかも30時間を切るはやさ)した社長の荒川勉さん、奥田仁一さん、途中まで参加だった平出和也さんをインタビューしたもの。
BCに無事帰着後、ちょうどAGの近藤謙司さんと会う機会があり、詳細を伺ったけれど、そのスピードには驚かされました。
 
ちょっと欲張って、いつも眺めていたローツェも登りたいんだよねと語っていたのは、奥田さん。
今回のインタビューで心に残った言葉のひとつは、彼が発した「ヒマラヤに興じる」。
これまでの長い登山のなかで、登れた山も登れなかった山も、充溢した山も悔しかった山もあっただろうけれど、ヒマラヤに心揺さぶられ、歓び、満たされ、豊かな時間を過ごしてきたのだろうなあということが、想像できるような、そんな言葉を、自然と口にしていました。
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テントむし山旅プロジェクト@硫黄岳(6/3-4)

このシリーズの1回目からずっと参加の方、何年もテントむしに来てくれている久しぶりの方、初めてお会いする方色んな方々で、登山の経験やバックグラウンドもそれぞれの10人が集まりました。
スタッフは、Adventure Diavs代表のポーリンと私。
初日は美濃戸口から赤岳鉱泉へ。テントの立て方レッスン後は、「山のお勉強会」。「山登りを自分のチカラでコーディネイト」をキーワードに、それぞれが明日の登山の計画を立ててみました。

寒気が下りてきたこの夜は、けっこうな冷え込み。
寒くて寝つきが悪かったという方が多かったので、次回、シュラフに頼るだけでなく、暖かく眠る工夫についてさらに詳しく話しますね!(テントむしfacebookにも載せておきます~)
気温は0℃近かったかなあと思っていたところ、この晩の硫黄岳山荘は-5℃だったそうです。入下山後にお会いした木元康晴ガイドに教えていただきました!鉱泉も氷点下いっていたかなー。

二日目の今日は、硫黄岳往復。
樹林帯には雪も残っていて、ヒカリゴケはまだかなあ~という感じ。木々の芽もまだまだ小さく、山の上は春浅き。
八ヶ岳連峰や南北中央アルプス、乗鞍岳に御嶽山の展望は素晴らしく! 山頂の風も比較的弱かったので、みんなで楽しんできました。

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