父や母にとっては、さらに思い出深い土地であるが、私の記憶は小学生から。
夏になると、遊びに行っていたのは外房の海。同級生のウチが「海の家」をやっているというので、片貝で地引網をすることもあったが、家族で行くのは御宿だった。友達も一緒に遊びに行った。
大人になってからは遠のいていたけれど、ある年の元旦、私は突然のようにサーフィンを始めた。御宿にはサーフポイントが3つもあることを、知ったし、たとえ風向きや波が合わなくても、外房の海はあちこちの方向を向いているから、ちょっとクルマを走らせれば、大概どこかしらで波にに乗れる。
借りもののウェットスーツを着こみ、借りものの板をかかえて、海に入った。
貸主は、私に貸しちゃったから、浜辺で待機。なんだか大きな声でアドバイスしているようだけれど、波の音にかき消されて、なにも聞こえない。
トップアウトはできたけれど、当然波には乗れず、帰ってきた。
当時、30半ば。「40過ぎたら、サーフィンでもやってみようかな」なんて思っていたのは、甘かった。ものすごく体力が要るし、ものすごく難しいスポーツであることが、分かった。
ある日、御宿の部屋のポストに、手書きのチラシが入った。水色の蛍光マーカーで大きく「SHOOTS」と書いてあった。どうやら御宿にサーフショップが新たにオープンしたようだ。
さっそく行ってみたら、同世代のご夫婦がやっていた。
海のコトは何もわからない私達にたいして、「御宿で海に入るんだったら、ココに名前と電話番号、緊急連絡先も書いていってよ」と。なんのことかと面喰いそうになったが、万が一のことを考えての気遣いだった。
ありがたく、そのノートに書き込んだ。
ウェットは吊るしの安いのを買ったが、ボードは、SHOOTSのシェーパーであるプロサーファーの竜二さんがシェイプした中古を譲ってもらった。中古といっても、奥さまのトミーさんが使っていたもので、彼女もプロ級の腕前のわけで、板はとてもよい状態のものだった。
以来、海で会うと声をかけてくれたし、教えてもくれた。ボードも押してもらった。
竜二さんの板に乗っているから、声をかけてくれるローカルもいた。
ワックスを買いに、店に立ち寄ることも多かった。
トミーさんがいればよいのだけれど、竜二さんしかいないと、レジの打ち方がわからないみたいで、たいへんだった。Tシャツでも買おうものなら、値段もわからず、そのまま持っていけぐらいのコトをいうので、とても困った。
板を作ることには、プロフェッショナルの魂を持っていたけれど、ほかのことに関しては、なんら自覚がない方なのかもしれない。
かなっぷは、「お金をもらうのが照れくさい人なんだよ」と言っていた。
あるとき、店の近くの住宅が建て直すことになり、取り壊された。
すると、通りからSHOOTSがよく見えるようになった。通りたって、目抜き通りでもないところなのだが、「店が目立って困る」とか「営業しているのが、わかっちゃう」というのだ。海に入れる時間が少なくなるのは、ぜったいに避けたいことだから。
かといって、営業しないわけにもいかないだろうし、ホント商売っ気のない人たちだって、笑った。
あるワールドツアーを回るプロサーファーの板も、竜二さんのものだが、そのロゴを入れるには商業的に莫大なお金がかかる。そんなことはできないので、ノーブランドのまま、あるいはほかのスポンサーのステッカーを貼って、そのサーファーは乗っていた。
そんなひっそりと、けれどしっかりと御宿の海と人々に愛され、板を作り、波に乗っている夫妻であるが、その長女は、いまやワールドランキング5位となった。
もう10年ぐらい前になるが、ピロタンがまだ日本で優勝したこともなかった頃、部原で行なわれた大会に応援に行った。彼女は、うまく波をつかまえられず、海から戻ってくると、周囲の大人たちが、「ピロタン、ピロタン」と大勢集まってきて、肩を落としている彼女を激励し、助言していた。ああ、愛されているなあと思った瞬間だ。
先日、この先、御宿と縁遠くなってしまう私達は最後に、SHOOTSに挨拶に行った。
これまでのお礼と、そして「また来ますね」と、夫妻に言うために。
また来るに決まっていると思っているトミーさんは、なんで私がメソメソするのかもきっと、わからなかっただろうなあ。なんて、泣き虫なんだろうって驚いていた。
いくつか、当たり障りない、いろんな会話をしたが、この間、ピロタンがヌーサで優勝したとき、インスタグラムやフィエスブックにお祝いの言葉を書き込んだら、その何百もあるメッセージのなかから、トミーさんが私の言葉を見つけてくれていたことには、驚いた。
トミーさんと竜二さんの海への接し方や暮らしぶりは、私の友人のあるクライマー夫妻と共通するものがあって、そんな生き方がとってもいいなあと、私はいつも思っている。
たとえ、また行けなくても、また行くのがほんとうにものすごい先のことであっても、それを実現できるかわからなくても、「また、来ます」と言って、別れてきた。
好きな人たちと別れるときは、たとえ再会できないってわかっていても、先のことはわからなくても、「またね!」と言って別れるものだから。
真心たくさんもらった、SHOOTSにて。
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