« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年3月

2017年3月31日 (金)

しっくり

東京に戻ると、家の裏の桜並木の花がほころんでいた。
桜は、花が開く前の遠くから並木をみると、ぼわーっと一面ピンク色が漂っているような頃と、 美しすぎて恐ろしさすら感じる満開の夜と、葉桜が好き。
今日は曇り空だったけれど、もう寒さはなく、薄いセーターの上に軽いコートを羽織るだけで充分だった。もう、ウールのコートはおしまいだな。
「残念」という言葉は、「念」が「残る」と書く。
文字通り、心残りなほど、残念だった。しっくりこないというか、なんだかなあと思ったり、残念な時間だった。
時間は戻ってこないし、次の機会があるのかわからないし、なんだか残念だった。

けれど今日、徹夜のホタルイカ漁がこたえたのか、短い昼寝をして起きると、友人からメッセージが入っていた。彼女も短い昼寝をしたそうで、その時みた夢について書いてあった。
亡くなってしまった共通の友人の夢。
彼女の言葉を借りれば「足るを知る人」だった。
不思議だなあと思うのは、軽やかで、その風のような軽やかさは、亡くなったあとも変わらないけれど、風のようでありながら、大切なものを大事にしていて、彼のことが大切だった私たちの心のなかに、今でも生きている。
軽やかだけれど、確か。確かだけれど、目に見えるわけえはない、けれど大切。
 
夢について連絡をくれた彼女が、「ワインがどうとかって言っていたから、乾杯してね」と。
偶然にも、今日の仕事帰り、ワインを買ってきた。もう春だけれど、もう少しの間、重みのあるものを飲もうと、オーストラリアのシラー。ホントは、夢の友人が暮らしたNZのワインを買いたかったのだけれど、予算オーバーにてお隣の国。

私の昼寝の夢には出てきてくれなかったけれど、ワインはもたらしてくれた。
今朝までずっと、残念な気持ち、しっくりこない気持ちは残っていたけれど、ワインを飲みながら、夢の中の友人のことを思い出し、そうか、ものごとに執着してはいけないって軽やかな気持ちになれそうだ。
しっくり、ものごとを落ち着けるのは、無理やりではだめ。なにかのタイミングで、きっとそれは自分自身の心の持ちようで、しっくりと落ち着くのだ。

 

2017年3月24日 (金)

永日を期して

次の山の約束があるからって、また会えると思っていても、会えないこともあるんだと知った。
次があるとは限らなくて、誰にもなんの保証もない。

年間600本もの映画を観て、論評を書くって、すごい気力と体力と筆力だなあと思っていた。
だし巻き卵がお得意で、いつもご馳走になっていた。
 
東京は桜の開花宣言があったけれど、我が家の裏の桜並木は、まだ開かず。
春がやってきて、永日、日が伸びたけれど、永日を期してお別れ。
ご家族と学生時代からの友人と山の仲間みんなで、お見送り。
Fbp3240001

2017年3月21日 (火)

フラット

先週のコト。
大学山岳部の1年ときの主将だった、尚之さんと有楽町の大衆居酒屋へ。
いまどきの居酒屋は外国人客が多く、2階はなんと禁煙になっていた。
「タラの卵煮」というのは、タラの身が卵とじになっているのかと思いオーダーしたところ、でっかいタラの卵の煮つけだった。大ぶりの小鉢にてんこ盛りになっていて、とてもふたりでは食べきれなかった。
 
さて、大学山岳部1年ときの主将というのは、大概の人にとって在籍中に受けた影響、世話になった度合が大きな存在のはずだ。私も例外ではない。
高校山岳部というのはかわいらしい場所だったけれど、大学に入ってしっかりと登山を始めようと考えたとき、山岳部に入るか社会人山岳会に入るか考えた。
キャンパスに友人がいた方がよいと思い、最初に山岳部の部室に行った。そこで、尚さんに会った。

彼が説明する、部活の様子や活動内容もさることながら、話しぶりからして、「この人は、平等に人を見てくれるんだ」って、直感的に思って、入部を決めた。
大学1年生、まだまだ親に守られた立場。ほんとうの人生の辛酸をなめるとか、男女の差別とか味わうのは、私の場合社会人になってからだった。人生のことなんて、まだまだ何もわからず、のんきで平和で、だから直感的といっても、それが何だったのか、得体は知れない。
けれど、この歳になるまで、何度もあの日々のことを振り返るが、その直感は正しかったと、いまも思っている。
 
いつのときも、いつの場も、誰に対してもフラットでいられるという人は、そう多くはないのかもしれない。けれど、それはとても重要なことで、その人となりを、私はいつも尊敬するし、それに救われることも多々ある。
 
親愛なるオーシャンアスリートでありライターの岡崎友子さん が書いていた「海で生きるために、私が選択してきたこと」 に、「つまり初めからみそっかすみたいなもの」とあった。
友子さんのフィールドである海も、私が活動する山も、自然環境は男女関係なくふりそそぐ。身体能力の差は確実にあるけれど、そのなかで、どうやって劣っている部分を克服していくか、できないことはできないと受け入れて、できないことを正しく認識して、工夫や努力を重ねていくか。
世界トップクラスのウィンドサーファーまでのぼりつめ、ウィンド、カイト、サーフィンと波にあった道具で毎日、海に出ている友子さんが、歩んできた道のりについても書いてあった。
そうだ、友子さんはいつ会っても、誰に対しても、フラットな人だと、思い出した。彼女がこんな歩みを経験しているからこそ、フラットでいるのかもしれない、と思った。
 
もう1本の記事。登山の雑誌『PEAKS』4月号のインタビュー連載「Because it is there」に取り上げられている山岳ガイドさん。昨年は夏と冬にご一緒する機会があったが、この彼も、どんな時もぶれずにフラットな人だった。
それまでも、何度か仕事で一緒になる機会があったけれど、それをよりはっきりと感じられる時間を共にできたことは、私にとって嬉しかった。
いったい、フラットな人柄というのはどうやって形成されるのだろうか。人間の資質なのかもしれないし、人生経験なのかもしれない。
フラットな人というのは、心から優しくて、そしてしなやかに強い人であり、周囲を温かくしてくれる。

2017年3月20日 (月)

100字×3

森田勝、長谷川恒男、加藤保男。
年齢順に並べてみた。長谷川恒男は、日本の登山界マーキングイヤー1947年生まれかあ。加藤保男は生きていれば、まだ68歳だ。
 
それぞれについて100字程度で書きたいのだけれど、夕方までかかっても書けず。
日本の登山史、登山家の達のことを、系統だててしっかりと理解できていない証拠か。
 
東北から白馬に直行しようと思ったけれど、原稿が気になり、膝も痛くて、東京ピットイン。

2017年3月16日 (木)

親父の一番長い日

今日は、親父の一番長い日。
今年で12歳になる、友人夫妻の息子が生まれた前夜になる。
この日になると、夫のケンちゃんが、かならずfacebookに、当時の日記をUPする。
ブログで残っているそうで、それは長文だ。
毎年リアルタイムで、このケンちゃんの日記を読めるわけではないけれど、読めるときは、私はかならず読んでいる。
そうそう、ミヤはこうやって産気づいて、病院に向かったんだった。そして、こうやって生まれてきたんだった。周囲はこんなに喜んだんだったよねって、読み進めながら毎年思い返す。
思わず読み入ってしまうところ、心に残る一節、涙ぐみそうになる文章、毎年毎年少しずつ変化していたり、する。自分の心を表すようであるし、いまさらオトナながらであるけれど、少しは成長できて、なにかを感じられるのかもしれない。

まさに、さだまさしの「親父の一番長い日」。

数年前、ネパールの山奥である日、この曲を聞いた。
天気が悪くて、なにもできない昼下がり、バッティのダイニングにメンバーがたちが集まり、思い思いに読書している時間だった。
私よりずっと若いのにさだまさしが好きってなに?という年齢の友人が、この曲を流し始めた。のちに、このことを、ほぼ同い年の共通の友人に話すと、「そうそう、あの年齢の人たち、さだまさしが好きって言うよね。オヤジくさいわ」ってオヤジとおばはんで話した。

何気なく聴いていたその曲が、ある一節にさしかかったとき、どばーって堰が切れたように、私は泣いてしまった。自分の経験と重なり、思い出すことがあったからであるけれど、自分で自分にびっくり。
友人のふたりはあっけにとられるように口を開けて、それから声を出して笑った。
私も笑い転げた。以来、私は涙もろいというレッテルが貼られ、安心して二人の前では涙できるようになった。
 
昔の曲を繰り返し聞くように、ケンちゃんの毎年のこの日のfacebookも、そのときどき、心に沁みて、いいものだ。
ケンちゃんの夫としての父としての覚悟をもった誠実さを、そして母になるミヤの逞しさを感じる文章。

2017年3月15日 (水)

舟生大悟さんの「親不知~西穂、厳冬期単独縦走記録」@『山と溪谷』4月号

『山と溪谷』4月号に「ひとりで向かった厳冬北アルプス」を書きました。
 
舟生大悟さんが、昨年12月24日から27日間かけて、親不知から西穂高岳(上高地下山)まで、単独(デポ・補給ナシ)で縦走した記録です。
たった2ページであり、大悟さんから聞いた話は半分も書ききれていない気分です、書き手としては。もう一度、書かせてもらいます。
おそらく前例のないこの登山のなにがすごいのか、なんとか書いたつもりですが、やっぱり本人が書く記録を(も)、読みたかったですね。
「文章を書くのは苦手だから、インタビューしてくれてホッとしています」と言ってくれたけれど、この先の彼の登山について、いつか大悟さんが書く文章が読みたいです。
これからのクライマーであり、これからの山岳ガイドであるから。
 
取材のとき、ご好意により相手の自宅を訪問することも多いです。
今回は、札幌の舟生邸を訪ねました。
妻と二人で暮らす、その暮らしぶりや彼らの人柄が伝わってきて、とってもいい時間でした。
ありがとうございました。
17240280_10210941005894824_69014839

2017年3月11日 (土)

人生折り返しの意味

ガイドに来てくださるお客様たちから、心温まるメッセージをもらった。
彼女の率直な言葉に、彼の深みのある言葉に、大いに励まされた。
色んなお客様に出会って、それぞれ皆さんに元気づけられたり、学ばせてもらったり、ガイドはお客様に育ててもらっているんだなと感じることが多い。

今回お便りくださったように、同世代のお客様というのは、一緒に成長していくような節もある。
知り合って5年程であるが、そのあいだに言葉にせずとも、それぞれに色んなことがあり、登山者として成長していくだけでなく、人間として成長していくこと、それを互いに見守ったり、感じあえるのは感謝したいことだ。

今回いただいたメッセージのなかに、「私たちの年代は、大人になってから丁度折り返し」という言葉があった。私が今年50歳になり、彼らも同じような年代である。「人生100年、ちょうど折り返し」というのではない。「大人になってから」の折り返しだという点が、ポイントなのだと。

子どもが、若者が、成長するのはある意味当然、自然のことだろう。しかし大人になってからも成長し続けられるのか、ほんとうはそこが問われているのではないだろうか。
これからも互いに成長して、素敵な大人になりましょう、というそのメッセージは、しみじみ心にしみいった。

3月11日を、ひとりで静かに迎えたのは、おそらく初めてだった。

 
Fb_dsc0021_3

2017年3月 9日 (木)

行き先のわからないお惣菜

仕事が立て込んでいて、夕ご飯食べずにいたことを思い出し、小腹がすいた。
冷蔵庫にあったニンジンとちくわできんぴらを作ってみる。

さっとできてよいけれど、これはごはんに合うのか、つまみによいのか、はたまた冷めてもいけそうだから弁当用のおかずなのか、わからない。

そして、食べてみてわかる。ちくわは、もっと薄切りの方が馴染んだんだな。こういうところを、作る前から本能的に察して、さらっといっぺんで完成度の高いものを作れるかどうかが、センスの分かれ目。
Img_9373_2

 

2017年3月 8日 (水)

おウチでたこ焼き

先日、友人の新宅に遊びに行った。
「昼ご飯、食べていってよ」と言って準備してくれたのが、たこ焼きだった。
関西では、家庭でよく作るというが、千葉生まれの千葉育ちの私は、食卓でたこ焼きプレートを囲むこと自体、初めてだった。
たこ焼きは、盆踊りの屋台で買うものだった。

生地を流しいれて、タコを一つずつ入れていくのは、4歳の男の子にもできる作業だった。
天かすや紅ショウガも入れる。
それから、1本ずつ配られた竹串で、少ししてからクルクルと始める。
見よう見まねでやってみたが、意外と難しくはない。
「まだ早い」と言われたり、「餅を何度もひっくり返しながら焼くように、何度も手を入れた方がいいの?」と聞くと、「いや、やりすぎはよくない」と教えてもらったり。
さすが神戸出身、たこ焼きは、わが食べ物、のような指導ぶりだった。
学校帰りの買い食いの対象であり、そして土曜の昼ご飯となると、家で食べるものだったそうだ。中学生が買い食いするたこ焼きは、8個で200円だったか、「きっとあれは、タコは入っていなかったよなあ」と回想。

クルクルは、難しくはないが、簡単でもない。時々ぐちゃぐちゃになる。
「鉄板がこなれてこないと、上手くいかないんだよ」と。
けれど、いちどぐちゃぐちゃになっても、次の段階でなんとかまとめることができる。
最後はうまく収まるのが、たこ焼きだということもよく分かった。

妻は関東出身でも、関西人の夫をもつと、異文化も身近なものになる。
私がぐちゃぐちゃにした後に、くるっと丸いたこ焼きができあがると、「いつも、最後はうまくまとまる」と。「最初は鉄板がこなれてこないから、上手く焼けないけれど、いつも最後になると、いちばんおいしくなる」と、彼女も話していた。
途中、ぐちゃぐちゃになっても、最後にはうまく収まる。まあるいクルっとした形になる。
これって、なかなか和やかでいいコトではないか!

2017年3月 1日 (水)

再会

2年程前にインタビューした方に、再会する機会があった。

2日間、山を一緒に登って滑って、心底、どんな場面でも山を楽しんでいる姿があって、なんだか、とってもいいなあと思った。
とってもリラックスした時間がもて、たくさん話をすることもできた。
彼女の親しい仕事仲間も一緒だったからかなあ。
2年前のインタビューのことを思い出してみた。3時間程度で済むところを、2日間時間をいただいた。それには私なりの理由もあった。前日にご本人に会って、山を緒に登ってもらい(この時もツアースキーだった)、翌日にインタビュー。
終始、硬い表情をしていた彼女を思い出すが、それはひょっとしたら、私が緊張させてしまっていたのかもしれないと思った。
2年経って、互いの色んな話ができた。仕事のこと、山のこと、それぞれの本音を話した。
いちどのインタビューでは、記事に表しきれなかったとしても、時を経て再会した時に、もっと深い話ができたり、深く交わることができるのは、やっぱり嬉しい。
一歩、相手に近づけた嬉しさ。それはもう取材とかではない。人と人の関係として近づけた嬉しさ。

別れ際、「札幌に来たら、まず電話。時間がなくても、お茶だけでもいいんだから、連絡してね」と言ってくれたのは、嬉しかった。
色んな土地に行くけれど、その先に知り合いはたくさんいるけれど、遠慮が入ってなかなか連絡はできない。というよりも、連絡をすることは、ほとんどない。
だから、相手から「まず電話」なんて言ってもらったら、それはもう、「ありがとうございます。じゃ、ホント遠慮せず、電話させてもらいますね」って、嬉しい。


Fb_dsc0001_2

女性山岳スキーヤーたちが集って

Women's Skimo Projectのターニャレオ、ルドォを迎えて2.5日間。
可愛らしい人柄のターニャと、ジェントルってこういうことなんだっていう男性ふたりの3人組と過ごす時間は気持ちよく。

27日の旭岳は強風のなか登り、山頂は-20℃ほどの極寒。
冬の旭岳って、何度か訪れているけれど、天候がかみ合わないと登頂できないから、たぶんこれはたったの3回目の山頂。
北斜面に入ればなんとかなるかと滑り始めると、地元のみんなが「流氷が着岸したなかを滑っているみたいだ」とか、わかるようなわからないような喩えをするような、ぜつぼー的斜面を、私としては余裕もなくともかく失敗しないように降りていった。
ロープウェイ駅より下の標高では新鮮な雪がたくさん残ってたり……まったく変化にとんだ1日。こんな山岳環境を味わえる登山的スキー、私は好きだな。

ターニャ達との出会いが嬉しかったのと同じぐらい、このふたりと2日間を過ごせたことも仕合せ、幸せだった。
年齢は若かろうとも、私の遥か先を行く山の場を生業とする先輩たち。山岳ガイドの
泰子さん夕香さん
写真は、翌28日の旭川市の里山にて。この日は、ほかに4人の山岳スキー愛好家の女性たちも集まった。 コーディネートしてくれた
倫子さん、心からありがとうございます。
Women's Skimo Projectは、「より多くの女性が、アウトドアスポーツに関心をもち、活躍できる社会作りをしたい」というような目的で活動しているもの。昨晩、泰子さんと夕香さんをターニャがインタビューしているとき、ふたりが応えたある内容に、涙が出そうになりました。 詳細は、今後ターニャ達がwebで発信していきます。 私もまずは短文の記事を書き、その後も書いていきたいと思います。その際は、全行程を同行したカメラマン、二木さんの写真ですので、お楽しみに!

https://www.facebook.com/pasquedescollants/?pnref=story
Img_9319

« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

Information

  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

Magazines