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2017年2月

2017年2月21日 (火)

言葉

インタビューというのは、独特の行為だと思う。
週末のインタビューは、同世代がおふたり、一回り若い彼がおひとり。3人のクライマーだった。

同じ話題を繰り返し話すなかで、インタビュイーが先と違う言葉を使い始める。それが意図的に選んだ言葉なのか、無意識に変化、変容してきたのか、わからない。けれど、本人には確かめなかった。選びとっていく言葉が、心情の変化と一致するように感じたからだ。

またあるときは、もうひとりのインタビュイーが使った動詞に、耳が傾いた。私では、決してその名詞と動詞を結びつけないような組み合わせだったからだ。彼が口にした動詞を使って、翌日、その時の話を繰り返し聞いてみた。
そうしたら、「そうそう」とまた同じ話を、もう少し詳しく話してくれた。
なかなか思いつかない言葉だけれど、それがそのときの彼の心のうちと一致するのかもしれない。

いつ初めて会ったんだっけ? と聞いてみると、ひとりは「さあ、もう思い出せませんね」と。もうひとりは、「2002年のカトマンズですよ」と。はあ……そうだったか!忘れてもうた……。
時が流れ、皆さんにはそれぞれのことがあり、その中で登山を続けてきた姿に出会え、感慨深い2日間だった。
簡単に答えなんて出ない、けれど、ものごとを継続するなかで、その人の人となりが輝いてみえてくる。

こういう人たちに再会できると、自分もちゃんとしなきゃなと思うのだ。
私が彼らのことを、とっても魅力的だなあ、いい人たちのことを書かせてもらうんだなあと思うのと同じように、インタビュイーたちも、いいなあ、素敵だなあと思うようなインタビュアーからインタビューされたいだろうし。
とても、追いつきませんが、それでもずっと見続けたいと思う方々、見続けてきてよかったと思う方々をインタビューさせてもらえるのは、書き手の幸せ。


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2017年2月20日 (月)

賑やかな山

個人的には、静かな山が好きだけれど、たまにこんな賑やかな山もいいなあと思う。
週末は、雪のシーズンにいちばん多くの登山者が集まる山小屋のひとつをベースにインタビューの仕事。

こちらの山小屋に来ると、必ず10人の知り合いに会う。主に山岳ガイドの方々だ。
そんな彼らが、夕食後、自然とひとつのテーブルに集まってきた。
情報交換したり、近況を聞き合ったり。
楽しいひとときを過ごし、みなより一足早く部屋に戻ろうと席を立つと、ひとりの知人が席を立って、話しかけてくれた。昨夏、ヨーロッパでちょうど入れ違いになり会えなかったから、久しぶりにいろんな話ができたあとのことだった。
なにかまだ用事があったかなと思ったら、出てきた一言が、「コッチに引っ越しておいでよ。クライマー達はいるし、暮らしやすいよ」と、心配した言葉をかけてくれた。
20代の頃からの知り合いだけれど、深い付き合いをしたことがあるわけではないし、仕事をご一緒したのも数えるほどだ。けれど、若い頃からの知り合いといのは、なんとなくホッとするし、なんとなく互いに気がかりだったりする。どうしているかなって。
今回は、私にだけでなく、私たちの共通の友人のことも、「どうしている? 元気かなあ?」と気にかけていた。

人が苦しい思いをしているときに、それを察して、さっと温かい言葉をかけてくれるというのは、なんて心根の優しい人なんだろうと思う。そんな優しをもらったら、こんどは私も周囲の人たちに優しくしたいなって思う。
賑やかな山小屋の夜にいただいたプレゼント。

2017年2月15日 (水)

世界の頂で育んだ友情~田部井淳子とパンドゥ、エベレスト女性初登と第2登@『山と溪谷』3月号

『山と溪谷』3月号に「世界の頂で育んだ友情」という記事を書きました。
 
1975年5月16日に、田部井淳子さんがエベレストに女性初の登頂をしたその11日後、中国サイドから登ったパンドゥというチベット人女性がいました。
政治的にみても、ふたりがすぐに交流することはありませんでした。しかし何度か顔を合わせ、晩年は二人の間に確かな友情があったと、私は思います。
それは田部井さんの元来の好奇心、オープンマインドな人柄がきっかけを作り、パンドゥがそれに応えたのだと思います。
 
パンドゥの死去が2014年、生前にお会いする機会はありませんでした。
田部井さんには、度々パンドゥの話を聞いていましたが、インタビューは昨秋。振り返ると、最後に病室を訪問したときになります。
 
中国での3度の個人的面会の際、通訳を務めた須崎孝子さんには、この記事を作るにあたって、とてもお世話になりました。
現在は、貴州大学(中国貴州省貴陽市)で日本語教師をされている方です。
 
二人の友情、社会的背景、そこに表れる田部井さんの生き方については、いずれもっと大きな形でまとめたいと考えています。
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2017年2月14日 (火)

山の準備

仕事の合間、週末の山に向けて準備。
ひとりは、プレートを買って雪山用のアブミを作ると言っていた。
私は、アイゼンを履いていてもテープのアブミにそのまま乗ろうと考えていた。
けれど、ゴアのパンツはずいぶん汚れたためか、撥水性が落ちていたと前回を振り返る。これは洗濯しなければ。
この間のグローブがいまひとつだったので、夏にシャモニーでみんなを真似て買ったものを使おうと、油を塗りなおした。

山の準備って、なにかとある。前日だけじゃ、ぜったいに終わらないから、少しずつ。


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2017年2月10日 (金)

偲ぶ話

亡くなった方を偲ぶ話をすることが、続く。
ごく限られた方とすることもあれば、集まりのなかでひとりひとり語ることもある。後者のケースが何度かあったが、どうにも、私にはうまく話ができなかった。
故人を偲ぶこと、故人と自分の関わりあいのなかから思い出話をすることが、なぜかできない。
ご家族はもちろん、私よりもはるかに深く長くお付き合いされてきた方々が大勢いて、そんな皆さんのことを考えると、とても言いにくいのだけれど、いまだうまく、死別というものを消化しきれないのかもしれない。
彼女と出会って、一緒に過ごし、そして別れたことを、まとめて話すことなんてできない。そこにあるのは一つのカラーではなく、色んな色が混ざっていて、思いも複雑だ。

頼まれた追悼原稿は、ちゃんとまともに書いたと思うし、インタビューもちゃんと答えた。けれどこうやって話すとなると、まったく大人げないと恥ずかしくなるほど、話せない。
少人数で会って話していても、それは同じだ。
でも時々、ほんとうに思いを共有できる相手もいる。
そんなひとりが、先月、ある店に誘ってくれた。かの国の大使公邸で板さんをしていたというから、私も彼の料理を食べさせてもらったことは何度かあったんだなあと思う。
誘ってくれた彼女が、「田部井さんが亡くなって、周囲を見渡すと、私よりも年上の女性が見当たらないよ」と、寂しそうな声で、この業界のことを言う。それほど皆が、田部井さんをどこかで頼ってきたのかもしれないし、実際に私も、思い起こせる同性の先輩となると、彼女ぐらいしか頼れる相手はいなくなった。
それから数週間経って。
同じ店に、今度は私が別の女性をお誘いした。
貴陽市から一時帰国している日本語教師の彼女だ。
お別れ会の時、一目お会いして、そして互いになにも言葉にはならず、別れたので、ぜひゆっくりお話したかった。
目に涙をためながら、やっぱり色んな話をした。

そんな本当に一緒に偲べる方々と何度か会ううちに、なぜ私がいまだ別れを消化できないのか、気づいた。
それは生前、ちっとも田部井さんの期待に応えられなかったし、宿題ばかり残っているし、まだまだ教えてほしいことはたくさんあったし、言うべきだったお礼を、ちゃんと言えなかったからだ。ご一緒した年月が、ひとつひとつを積み重ねた時間というよりも、整理がつかないまま、いまはまだ大きな塊のようでしかない。

抱え込んだ大きな塊はひとつではないけれど、これをひとつひとつ解きほぐしていくしかないのだなあと考えた。

2017年2月 9日 (木)

恵方巻

節分の日の夕方、「恵方巻が食べたい。買ってきて」とスマホにメッセージが入った。
なんとなく、らしくないリクエストだなあと思いながらも、ちょうど街にいたので、デパ地下で2本買った。恵方巻売り場の前は、どこも長蛇の列になっていた。節分に食べるもの、吉なる方位である恵方を向いてかぶりつくものぐらいしか、私には知識がなく、コンビニにもたくさん売っているので、コンビニが流行らせたのかなあとさえ、思っていた。
 
夕べの食卓、iPhoneで「北北西」を調べ、そちらを向いてかぶりついた。
恵方巻の言われも作法もよくわらからない私は、恵方巻をかぶりつきながら、「これって、いっぺんに食べちゃうの?」と聞いた。食卓にはお味噌汁も、冷ややっこもあり、そちらも食べたいと思ったからだ。
するとプッと吹き出して、口をもごもごさせながら、くぐもった声で「食べ終わるまで、話しちゃいけないんだよ」と。
 
のちに、恵方巻を食べ終わってからゆっくり聞いた話であるが、大阪や神戸あたりでは、みんな寿司屋に行って、恵方巻を食べるんだと。さすが関西出身は、身近なものとして知っているな。
私が余計な一言を言ったために、笑いが止まらなくなったけれど、「でも、お喋りしながら食べる方が美味しいよね」と。 

人と囲む食卓は、やっぱり温かい。
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2017年2月 3日 (金)

バスの移動

「え!バスで行っているの?」と驚かれた。
クルマ持ってきていないから、ひとりで移動するときはバス。
友人と山や滑りに行くときは、クルマに乗せてもらうけれど、それ以外はバス。
たとえば、滝野にあるクロスカントリースキーのコースに行く場合、バスを2路線乗り継いで行けば、到着する。真駒内駅から滝野へ向かうバスには、私のようなクロカン愛好者たちが乗っている。クロカンの板は軽いから苦にはならない。だから、そんなに驚かれるとは、思っていなかった。
もっとも今年は、中国人旅行者が激増し、バスの座席に座れるコトが稀になってしまった点が、ちょっとやっかいだが。

雪国のバスは、天候や降雪量によって遅れる。それも計算して家を出たり、雪道を歩いたり、写真のようにバス停にあるシャベルを使ってバス停を掘り起こしたりするのも、雪国に慣れる一環だったりする、私の場合は。
もちろん、朝の雪かきも。

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