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2017年1月

2017年1月26日 (木)

調べものと座標軸

インタビューに向けて調べもの。
ある山域の登攀史を読みあさる。
けれど、ネットはもちろんのこと書物を探しても、すべての登攀を読むことはできない。書物に書き表わしていないものもあるからだ。報告書や遺稿集、文集などまで手を延ばすと、もう少し読める。けれど、これは行き当たりばったりではだめで、ある程度あたりをつけて探していかなければならない。

 

もっとほかの記録もあるだろうなあ、と思いながらもなかなか探せずにいるなか、今日あるクライマーに連絡を取ってみた。本人は自分のことをもうクライマーではないと言うだろうから、元クライマー。

メンバー3人の名前と核心、即答だった。
そんな記録があったのか。
帰宅後にもう一度連絡をくれて、40年ほど前のヤマケイの何月号に載っているか、教えてくれた。しかしそれはたった一ページしかないからと、ある遺稿集に詳細があるとも教えてくれた。

彼が30代の頃、同じようなことをやりたいと記録を読みこんでいたから、すぐに思い出したそうだ。
いくら書物を調べてもだめで、登山にコミットメントしてきた人は、自分の経験と思い入れをもって、登山の歴史を知っている。そして、そういった知識と経験があるがゆえに、彼らは登山について語る座標軸をもっている。

私は書き手だというのに、座標軸がまだまだ貧弱で、色んな人から色んなことを教えてもらい、自分の経験の上に少しずつ積み重ねていっているだけ。
やがて確固たる座標軸をもって、自分の価値観でものを見て、書けるようになりたい。


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2017年1月21日 (土)

「エキスパートに学ぶ危機管理実践術」@『山と溪谷』2月号

『山と溪谷』2月号・特集「単独行60の知恵」のなかで、「エキスパートに学ぶ危機管理実践術」に、短文を書きました。山岳気象予報士の猪熊隆之さんらの文章もあります。

当初の編集から依頼は、「単独行に適した装備」「単独行の際、装備について工夫する点」についてコメントがほしいということでした。既に出されていたほかの方々のコメントをいくつか挙げて、それらと重複しないような内容がほしいと。
しかし、いずれのコメントを聞いても、また編集部の意図を聞いても、私にはちっともピンときませんでした。もっというと、私が考えることとは大きくずれていました。
結局のところ、計画立案、行動中の判断で大きく安全のマージンを取るのだと思います(それ以前に、単独で行くかどうかの判断があると思うのですが……その部分は今回の原稿では割愛となりました)。

同じ特集の中で、廣田勇介さん(山岳ガイド・フォトグラファー、先日降りしきる雪のなか、白馬の山をガイドしているのにばったり会いました、頼もしかったです)が、「単独行のための個別のスキルというものは存在しない」との書き出しで、ではなにが単独行のスキルとなるのか、述べています。
厳冬のアラスカで単独登山を繰り返している栗秋正寿さんのエッセイにも、素晴らしいことが書かれていました。

よかったら、ぜひ手に取ってごらんください。


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2017年1月19日 (木)

言葉

朝日新聞の近藤幸夫記者が書いた「登山の魅力 語り続けた責任感  登山家 田部井淳子さん」という記事に感銘を受けた。
2017年1月14日夕刊、「惜別」というコーナーに掲載されたものだ。

その日、田部井淳子さんが呼びかけ人となって2009年に始めた20~40代女性向けの登山サークル「MJリンク」の新春登山があった。田部井さんの夫である政伸さんらも参加してくれ、雪のある丹沢を歩き、大山を参拝し、下山後は丹沢名物の豆腐屋さんで、みなで食事をした。政伸さんを囲んで和やかに話をし、そして最後は涙ながらも、みんなで田部井さんの思い出話をした。
その時、タベイ企画の吉田三菜子さんから、「今日の夕刊に田部井さんの追悼記事が載る」と案内があったので、帰り道にキオスクで買い求めたのだ。

けっして派手ではない。けれどこの記事のなにに心が惹かれたのかわからないまま、知人でもあり書き手として先輩でもある、近藤さんにメールをした。ほんとうは電話して話したいぐらいだったけれど夜遅い時間になってしまったので、メールにしたのだ。
するとすぐに、近藤さんから電話がかかってきた。
この業界では、弾丸トークで有名な近藤さんだ。翌日の登山の準備もしたく、深夜の電話ではいったい何時になってしまうのだろうと思ったけれど、とっても嬉しかった。
取材の話をしたり、田部井さんの思い出話をしたりした。
近藤さんは数年前から、デスクを退き長野支局、松本支局と渡り歩いている。
現場最優先の記者である立場を貫いている。これぞというときにきっちりと紙面をとって、記事を書く姿は、やっぱりこれまでに相当のことを積み重ねてきたのだなあと思わせる。

「惜別」の思いを書き表すだけでなく、近藤さん自身が持ちうる座標軸をもって、登山家・田部井淳子の人生を描き表したのだなあと、到底いまの私にはできない仕事だなあと、そんなことを言うこと自体、生意気ながらにも思った。

今回の記事のタイトルに、「責任感」という言葉がある。この言葉について近藤さんと話すなかで、やっとわかった。「責任感」というのは一般的な言葉であるが、田部井さんの人生を語るときにこの言葉を選び書き表すに至るまでに、相応の取材と熟考と執筆を重ねているのだ。たとえ一般的な言葉であっても、ひとつの言葉にたどり着くまでに、書き手が重ねたものが濃ければ濃いほど、その言葉は活きてくる。
しかしその言葉の意味や、重要性、価値に気づく人がどれだけいるだろうか。
私は、こうやって書き手がたどり着いた言葉は、その書き手のものであり、おいそれと、それに手を出せないと思っている。

ちょっと前、私が取材を繰り返すなかで思いつき、書いたある言葉があった。
ひとりのアルパインクライマーを称した言葉だ。成熟する域に達し、登り続けているアルパインクライマーだ。けれど、その言葉はいとも簡単に、広報で使われた。そういうのをみると、言葉を大切にしない、他者の仕事を大切にしない人もいることを、とても残念に悲しく思った。

書き手が苦心してたどり着いた言葉は、ほんとうに価値があると思うし、ひょっとしたらいとも簡単に使われた私の言葉には、まだまだ価値がなかったのかもしれないとも思った。
年が明けてから、2回も松本に行きながら、松本支局で働く近藤さんに連絡をしなかったことを、「なんだ、それ。来ているなら電話ぐらいしてよ」と、近藤さんは言った。彼の優しさだ。
そうだな、次の訪問のときはお会いして、一緒に田部井さんの話をたくさんしよう。


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2017年1月11日 (水)

写真に写っていたもの

スキーに来た場合、時間が許すようだったら何日か滞在するようにしている。そんな時の夜の過ごし方はいろいろ。
昨晩のように、地元に暮らす友人と一緒にご飯を食べることもあれば、宿の部屋などにこもって仕事をすることもある。
日中は滑って、夕方から机仕事というのは、理想。ただしくたびれて眠くなってしまうこともあるが。

今日、スキーから帰ってきて、お風呂で身体を温めて、いよいよ原稿を書こうとしたら、眠くなってきた。
原稿が進まず、記事に掲載する写真をぼんやりと眺めていると、パレードの主人公たちのすぐ後ろに、小さく写っている一人の男性に目がとまった。ひょっとして、ジャーナリストとして大先輩である彼ではないだろうか。12年前の、こんな記念すべき日に、カトマンズにいたのだろうか……。可能性は、ある。
と思い、連絡すると、「そうそう、通訳していたの。エリザベス・ホーリーの取材の通訳も担当したよ。だからなにか知りたいことがあったら、言って」と、すぐにメッセージが入った。

そうだったのか。
もっと早くに気づくべきだった。いまからインタビューしては、とても間に合わない。

取材って念には念を入れても、ちっとも追いついていないことってある。

2017年1月 9日 (月)

思い出深い島

思い出深い島、きっと一生心のなかにあるだろう島が、世界中にふたつある。
ひとつは、「Believe」という意味の名をもつ港がある島。もうひとつは、宮城県大島。
ふたつの島の共通点は、どちらもタンポポが咲いていたことと、それぞれ2回ずついったことがあり、どの訪問も、島の思い出と同じように大切にしたい人達といけたということだ。
 
宮城県大島に渡ったのは、30年ぶりだった。
大学2年生のGW、白神山地の縦走を終えたあと、手元にあったJRの「東北周遊フリー切符」で回れるところをと、弘前から盛岡に出て、花巻や遠野を旅して、そこから太平洋側に出た。三陸の海岸線を走る列車や船に乗りながら、南下。すべてフリー切符で乗れる乗り物だった。やがて、気仙沼に着き、そこからフェリーに乗って渡ったのが、大島だった。
港近くの路上で売っていたホタテを買って、船に乗り込んだ。
島にはキャンプ場があって、そこは一面タンポポが咲いていて、どうやってもタンポポの上にテントを張るしかなかった。ちょっとふわふわしていて、青い青い海が臨めた。
島の記憶は、それしかない。
そして、この旅のその先に記憶もなく、その後どんな経路を辿って千葉の家まで帰ったのか覚えていない。だから、この旅の最後の記憶は、黄色いタンポポの野原と青い海原だ。
 
今回大島に行くことになったのは、数年前にナムチェバザールのバッティで初めて会った女性が、住んでいるからだった。
正確に言うと、10年近く前、あることを通じて彼女の存在は知っていた。
いくら、3.11後のボランティアで通っていたとはいえ、縁もゆかりもないこの地に暮らしを移すというのは、逞しいなあ、勇敢だなあと思っていた。
私の好きな大島に住んでいることもあるし、また山を再開したいと話していたので、一緒に東北の山に登り、その後大島に寄せてもらおうという計画だった。
 
大地震と津波で甚大な被害を受けた沿岸漁業を営むお宅におじゃまして、牡蠣の耳釣りの手伝いをさせてもらったり、その友人Sさんにあちこち案内してもらったりして、時間はあっという間に過ぎた。
地元の人たちとの交わり方や話の端々に、この地でSさんがしっかりと根を下ろして生活していることを垣間見た。
そして、大島がとっても魅力的な島であることを、あらためて知った。
まるで、ノルウェーのオーレスンを連想させるような地形を見下ろすことができたり、亀山に上がるとあっちもこっちも海が眺められて、水平線まで見える。とても、平和的なところだった。
 
さらにSさんは、思い出のキャンプ場にまで連れて行ってくれた。
季節が違うので、タンポポは咲いていなかったし、設備が整備されたのか、記憶と一致しない点もある。けれど、きっと私達は、港からこのキャンプ場までの遠い道のりを、山道具が入った大きなザックを背負って歩いたんだと思う。長い上り坂だ。お金はなかったけれど、若さがあって、不便であることはちっともいとわなかったし、お金がなくても幸せだったし、それ以上に大切なものをもっていた。

そんな30年前のことを思い出して、そして新しい地で逞しく暮らす友人を見て、私も色んなことを、もっとまっさらにしようかと、そう思えた。
島を出るとき、フェリーの甲板から岸に目をやると、昼に牡蠣の作業でお世話になった家族たちが、大きく手を振ってくれていた。たった数時間の付き合いだったけれど、なんだか涙が出そうになった。
 
そういえば、ノルウェーを旅したとき、一足先に帰る私たちをじょっくんは港まで見送ってくれた。時間ギリギリでフィヨルドを渡るフェリーに乗り込んだあとは、フェリーの切符とバスの切符を購入したりとあたふたしていた。やがてフェリーが離岸すると、かなっぷが「ぜったいにじょっくんがいるはずだ」と言い出し、甲板に出た。
するとじょっくんは、笑っちゃうほど体を大きく揺らして、手を振っていた。
そんなことも、大島を離れるフェリーのなかで思い出した。

色んな大切なことを思い出したし、それは全部とても大切なことだけれど、これからの人生はその先にあるので、だからもっといろんなことをまっさらにしようと考えた。
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2017年1月 6日 (金)

年賀状

個人的な理由で、2年連続、年賀状を出さないことが続いた。
それでも送ってくださる方々がいるわけで、いただいた方々にはお返事とご挨拶を、それ以外にもご挨拶すべき方々には、「寒中見舞い」か「立春の挨拶」を出そうかと、今年はさすがに考えた。

今年の年賀状のなかで、正直に言えば「驚愕した」、驚愕したあとにまったく脱帽し、あらためて尊敬したものが一通。
何度かインタビューしている大先輩の写真家さんであるが、まったく新しいことに挑戦するようなことが書いてあった。彼が住まうところからも遥か離れた地へ通い、そこの自然を撮るようだ。若いころ、穂高は大きなテーマのひとつとしていたが、それとはまた少し違う山岳の自然環境。70歳をゆうにこえて、新しいものへ恐れずに挑戦していくというのは、どれほどの勇気と覚悟があるのか、そして写真というもに、身を削るようにして人生をかけているのだなあと「尊敬」とかそんな言葉ではコト足りないほどのものを感じた。
ミュンヘンに住む大学時代の親友からの一通も、いつも楽しみにしている。
あれほど親しくしていたクラスメートだけれど、そういえば私は彼女のメールアドレスを知らない。探せばfacebookアカウントをもっているのかもしれないけれど、気にしたこともなかった。
彼女が結婚するとき、ベルリンまでおもむき、一緒にお祝いし、とても楽しい休暇を過ごしたけれど、以来ごくごくたまに日本に帰国するときに会うだけで、あとは年に1回の便りだけだ。
けれど、かならず送ってくれる。

仕事柄、写真家やイラストレーターたちからの「作品」のような年賀状も多々あり、とても贅沢だ。
旧知の友人達の温かい言葉も多い。

そんな付き合いがあるから、やっぱり年賀状は、一部だけになってもおしまいにはできないな。


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2017年1月 5日 (木)

面白facebook

本人が雑な使い方をしているfacebookであるけれど、友人の投稿をみるのは好き。
なかでも、それぞれのカラーを出して(あるいはテーマ性をもって)投稿している方々は、とくに面白く、目に留まると必ず読んでしまう。

京都に住む友人が朝にアップするのは、その晩にみた夢。よく覚えているなあと感心するし、内容がまたまた面白い。大概ハチャメチャというか辻褄が合っていないというか、夢ってそんなものだろうけれど、ともかくおかしい。
彼はほかに、1週間の弁当の総菜や夕食のおかずの写真を載せることもあったりする。

もうひとり特徴的な方は、東京在住の新聞記者さん。家族の話題、取材中に立ち寄るのか都内のラーメン屋の話題、ご自身が執筆した記事のコトもあるが、なんといっても面白いのが、昔の今日を振り返る投稿。たとえば今日だったら、「〇〇〇〇年1月5日」の出来事。
社会的な出来事の場合もあれば、本人の記念すべき出来事の場合もあったりする。
本人の話題も事細かに書いているところをみると、長年日記をつけているのかもしれない。大学山岳部に在籍していた方で、歳も近いので、山の話題はなんとなく私も懐かしく思い出す。同じ日に同じ山にいたんだね(11月の富士山の雪訓とか夏合宿とはか、大概同じ日に同じところへ行くので)、と思い起したり。
社会的なことでも個人的なことでも、そこに世相が描かれていて、さすが新聞記者さんだなあと思いながら、興味深く読ませてもらっている。

2017年1月 4日 (水)

感想聞かせてください

先日、北アルプスのふもとの村にある登山道具店でテレマークスキーの板とビンディングを買った。
春先に山をご一緒した方から、「山で使うビンディングは、別のものを使った方がよい」とアドバイスをもらっていた。登高器のあるビンディングの方が、いまどきの硬いプラブーツの場合、シール歩行がしやすいということだった。登高器については、私の周囲では賛否両論ある。けれど、シールで登っていてターンを切るときに苦労するのは事実であり、一度使ってみようと思ったのだ。
いま気に入っている板にはそのまま、ロッテフェラのビンディングをつけておきたいので、山で使いやすい板も新調することに。これについても、私の実力をよくよく知っている友人達に相談したところ、様々な答えが返ってきた。結局のところ、「山を滑る」ということについて、どのようにとらえているか、それ次第なのかなあと思った。

店頭であれこれブツブツ独り言をつぶやくように悩んで、ある板を手に取ると、違う2本の板を勧められた。そのあとまた、財布と相談しながら悩み続けていると、しまいにはコーヒーを出してくれた。「まあ、これでも飲んでください」と。
神田にある店構えは狭くとも奥行きのある在庫いっぱいのスキー屋さんは、店に入るなり椅子を差し出し(在庫で店は所せましなので、幼稚園にあるような小さな椅子)、コーヒーが運ばれてくる。こちらは、「話すコト」にも主眼を置いた店だけれど、白馬のこちらはそんなコトもないだろうし、第一連休の夕方は、店は混んでいた。
この日のうちに板まで決められないと思いながらも、結局は決めてしまい、ビンディングの取り付けを頼んで、店を出た。
その後受け取りに行くと、店長さんが「滑ったら、ぜひ感想も聞かせてくださいね」と。
私のような素人の感想を聞いても、何ら役に立たないだろうに、なんて嬉しいことを言ってくれるのだろうと思った。ましてやこの村には、プロもプロ級も大勢住んでいるのだから、道具のフィードバックなんてたくさんもらえるはずだ。けれど彼のセリフは、そういうコトではないのだと思う。
道具を新調する嬉しさとか、それを使うドキドキ感とか、道具に馴染んでいく過程とか、その後のスキーや山のコトとか、そういったことを思い計ってくれるって、とても嬉しい。

正月休みの最後、ゲレンデで新しい道具を使ってみた。硬いバーンが続くゲレンデで、「今までの板よりも幅があるから、もう少し柔らかい雪のときの方が乗りやすいかもね」と言われながらも、いきなり山で使うのも心配なので、使ってみた。
K2はしばらくぶりだったけれど、そうだこんな乗り心地だったんだと思い出しながら、滑っていると、一緒に滑った友人からも「素直に、自然にターンしているよ」と言われた。使いやすい道具だったんだな。これで、山にも持っていけるかな。
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