雑誌に原稿を書くという思考や作業と、誌面のデザインをしたり編集するというそれとは、大きく違う場合もある。だから、それはそれぞれの持ち分だと、思っている。
ある雑誌のあるページの誌面デザインがとてもよかった。遠慮せずに言ってしまえば、ほかのページとは明らかに違った。同じ筆者である対向ページとも違った。落ち着きがあり、品格があった。
そのページを書いたライターに、誌面デザインをする際に、自分の意向を伝えたのか、反映されているのかなど聞いてみた。そうしたところ、そもそも雑誌掲載を想定して写真を撮っていたことや、ラフを自分自身で書いたこと、また実際にデザインが上がったあとの、写真のトリミングやそこに載せる文字の位置など、細かな指示を出したと教えてもらった。
そうか、そこまでしないと、いい誌面は出来上がらないのかと、うなだれた。とくに、自分が執筆したページの出来上がりをみて、反省もした。
原稿の内容だけではない、やっぱり誌面のつくりがよくなければ、読者も気持ちよく読めないのである。
そもそも誌面をデザインするのは、デザイナーの仕事であり、原稿の意図や内容とデザインを合致させるために、どのように落とし込んでいくかは編集者の仕事である。
けれどときに、ライターが自分の仕事領域を越えてでも出ていかないと、いい誌面に仕上がらないという現実もあるのだと、思い知ったし、今回はそこまでやった彼の粘り勝ちだと思った。
むろん今でも私は、それぞれの役割を全うすべきだと思っているし、ライターである私にはできない誌面デザインや編集者の役割をみせてくれたときにこそ、感動があったり、自分自身にも学びがあったり、いい作品が作れると思っている。
しかし、そうとばかり言ってられないのも、実情だ。
編集者の経験があるライターは、ラフを引いたり、誌面デザインの効果、写真選びが、やっぱりうまい。そういった経験のない私は、極端に弱い。
けれど、次の仕事に移った私は、今回はラフを引いてみようと思い立った。
現在進行中のページは、なじみの編集者なのでコミュニケーションもよく取れる。
原稿のおよその構成や内容も打ち合わせ済みだ。掲載写真も決まった。けれど、どの程度の文字数にしたらよいのかが、決まらない。
そこで、「ラフを書いてみましょうか」と投げかけると、「そうしてくれると、全体が見えてくるのでありがたい。文字数も割り出せる」と編集者。
そもそも、私が書くラフなんて、ラフの役割すら果たさない、幼稚園生のお絵かきのようなものだが、それでも、編集者と私のコミュニケーションツールになったり、ものごとを整理するのに役立ったりする。
ラフや構成メモをメールしたあと、夜遅く帰宅すると、文字数を割り出したという編集者からの返信メールが届いていた。
これで、すっきりした思考で原稿書きに移れそうだ。
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