ひとの気配
なんの前触れもなく(本人は自覚できないまま)、朝起きたら、絶不調。
友人と波乗りに行く約束だったけれど、吊るしが見つけられず、キャンセルした矢先だった。予定していた糸魚川のスポットにスープがないことに愕然としていたが、それよりも何よりも、富山中のサーフショップにかけあっても、吊るしの在庫がなく、ウェットの買い替えができなかった。スープよりも吊るしがないことが問題。
それで、すこしだけ寝坊して起きたら、絶不調。
「おはよう」と友人に言われて、「ものすごく調子が悪い」と、正直に言わざるを得なかった。
「ごめんね、なんだか今日はあわただしい日で」と、友人。その日はイベントがあり、準備で大忙しだったのだ。「こんななか寝ていたら、落ち着かないでしょう」と言われたけれど、友人の声と、そして集まってきたほかの友人たちの声がだんだんと耳遠くなっていった。窓の向こうに秋晴れの白馬三山が見渡せて、いつまでも眺めていたい気持ちだったけれど、気怠さと眠気にはかなわなかった。
そこでも、延々と眠り続けた。昼過ぎ、カップルのうちの彼の方が帰ってきて、「大丈夫? 何か食べたい?」と聞いてくれたが、布団からガバっと起き上がり、「ありがとう、何も食べられない」と一言言い残して、また眠り続けた。友人が自分の昼ご飯を作っている気配を感じる横で。
旅先なので早くに治した方がよいと考え、夕方には病院へ行った。まさかの点滴になり、ふらふらしながら友人宅に戻ると、枕元にテルモスに入ったお湯やスープやお茶やはちみつなどがセットされた小さなテーブルがあった。
今日は忙しい日だったはずなのに、隙間時間に準備しておいてくれたんだなあって思うと、とてもありがたかった。
「ばたばたしていて、ゆっくり寝られないでしょう」と言うけれど、人の気配がするところで、安心して深く寝入ることができるのが、どんなにありがたいことか。
「慰安旅行になったね」と笑う友人には、こんなに迷惑かけておいて、自分から「慰安旅行」とは言えないけれど、思いやりのある温かい一言だった。
« 武蔵野市山岳連盟創立60周年記念 | トップページ | 悲しみと喪失感 »
コメント