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2016年10月

2016年10月23日 (日)

悲しみと喪失感

天からの采配としか思えなかった、と友人が言った。
こんな夜、もっとも一緒に過ごしたい友人と、たまたま夕食を共にする約束を、前々からしていた。
私は山から下りて、友人が山で知り合ったという女性がカウンターに立つワインバーへ向かった。初台の洒落た店ながら、店主も山ヤというのであれば、許されるだろう恰好。

おかげで、ひとりで落ち込んだり、足元が揺らいだりすることなく夜を送ることができた。

日が明けて、自分が想像していた以上の、悲しみと喪失感のなかに自分がいることをうっすらと理解しながらも、人間というのは、ひとりでは悲しめないのだということを知った。
もっとも甘えられる相手から、電話が入ったとき、初めて涙があふれ、泣きじゃくった。
泣きじゃくれる相手がいないと、人間って、泣くこともできないんだって、知った。
 
だったら、私よりもはるかに深い悲しみと喪失感を味わい、孤独の淵にあるだろう彼女のところに、いてあげたいなあと思い、思い切って電話をしてみた。

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2016年10月21日 (金)

ひとの気配

まさかのことだったが、旅先で寝込んだ。
北アルプスから、立山、富山の仕事へ、そして再び信州に戻ってきたときのことだった。

なんの前触れもなく(本人は自覚できないまま)、朝起きたら、絶不調。
友人と波乗りに行く約束だったけれど、吊るしが見つけられず、キャンセルした矢先だった。予定していた糸魚川のスポットにスープがないことに愕然としていたが、それよりも何よりも、富山中のサーフショップにかけあっても、吊るしの在庫がなく、ウェットの買い替えができなかった。スープよりも吊るしがないことが問題。
それで、すこしだけ寝坊して起きたら、絶不調。

「おはよう」と友人に言われて、「ものすごく調子が悪い」と、正直に言わざるを得なかった。
朝ご飯も食べられず、そのまま布団に戻った。
「ごめんね、なんだか今日はあわただしい日で」と、友人。その日はイベントがあり、準備で大忙しだったのだ。「こんななか寝ていたら、落ち着かないでしょう」と言われたけれど、友人の声と、そして集まってきたほかの友人たちの声がだんだんと耳遠くなっていった。窓の向こうに秋晴れの白馬三山が見渡せて、いつまでも眺めていたい気持ちだったけれど、気怠さと眠気にはかなわなかった。
すこし経ち目を覚まし、もうひとりの友人カップル宅に引っ越し。
そこでも、延々と眠り続けた。昼過ぎ、カップルのうちの彼の方が帰ってきて、「大丈夫? 何か食べたい?」と聞いてくれたが、布団からガバっと起き上がり、「ありがとう、何も食べられない」と一言言い残して、また眠り続けた。友人が自分の昼ご飯を作っている気配を感じる横で。

旅先なので早くに治した方がよいと考え、夕方には病院へ行った。まさかの点滴になり、ふらふらしながら友人宅に戻ると、
枕元にテルモスに入ったお湯やスープやお茶やはちみつなどがセットされた小さなテーブルがあった。
今日は忙しい日だったはずなのに、隙間時間に準備しておいてくれたんだなあって思うと、とてもありがたかった。

「ばたばたしていて、ゆっくり寝られないでしょう」と言うけれど、人の気配がするところで、安心して深く寝入ることができるのが、どんなにありがたいことか。
「慰安旅行になったね」と笑う友人には、こんなに迷惑かけておいて、自分から「慰安旅行」とは言えないけれど、思いやりのある温かい一言だった。

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武蔵野市山岳連盟創立60周年記念

10/15は、武蔵野市山岳連盟創立60周年記念にご招待いただき、講演をしました。
タイトルは「山から山へつなぐ愉しみ」。やっと秋空がやってきました!あちこちの山を眺めては、次はあの山並みを繋いでみたいと思ったり、地形図を見て興味をもったり、山名に惹かれたり、人に誘われたり、登るきっかけは色々。
私の仕事も同じ。「シェルパ」は私の仕事のなかでも大切な存在です。書く仕事を始めるきっかけになった出来事、その後じわじわと続けていたこと、一昨年昨年のいろんな出会いなども話しました。
いつもギリギリのところで仕事をしてきたけれど、振り返ると細々ながら1本の線でつながっている……、いや途切れ途切れの破線か。
 
と、私の話などよりも、当日は驚いたコトが多々ありました!
 
登壇して話し始めると。なんと客席のど真ん中に、金邦夫さん(元東京都山岳救助隊隊長)が。いつものお顔で口を一の字に結び、目だけ笑っていた。
話を進めながら、客席のあちこちに目をやると、山岳写真家の三宅修さん、そして栗栖茜さんが。
栗栖さんは医師であり翻訳家。彼が訳した『低体温症と凍傷』は、1989年の出版。山岳部の誰かが買ってきたのを読んだのを覚えている。
三宅さんとも講演後に話す機会があった。日本山岳写真家集団を立ち上げたときの思い、アルプでの出来事の数々、串田孫一さんとの交流、信念のある仕事を貫いている方の話に、陳腐な言葉だけれど心が動かされた。三宅さんにはどうしてももうひとつお聞きしたいことがあったのだけれど、時間切れ。
 
ほかにも、山の大々先輩たち(山岳ガイド、登山家の方々など)が多数来場。みな、武蔵野市山岳連盟の講師や応援団とのこと。市民登山教室が盛んであり、その教室を終えた受講生同士で山岳会を作ってきた歴史があること、登山の大先輩たちが関わっていることを、この度知った。
祖母の家があり、小さいころからよく遊びに行っていた武蔵境、いまでも親戚ふた家族が住んでいて、大切に思っている土地が、こんなに登山が盛んだったとは、知らず。
写真は、ある女性が「あの写真よかったね、ウチの子 も山の写真を撮っているのよ」と話しかけてくれたもの。
テンカンポチェの肩に三日月。
山を撮る写真家なんてそう多くはないはずなので、お名前を伺ったところ、なんと、私の好きな写真家さんだった。以前は登山家のポートレートを撮っていたけれど、しばらく写真を見ないなあと思っていたら、最近はヨセミテの作品をよく見る。20年近く前から作品を見ているので同世代かと思っていたら、40歳と。
「ウチの子とあなた、考えていることが似ているわよ」と言われ、それはおそれ多いと思ったところ、「地味だもん、ふたりとも」と。いつか、会えるのかもしれない。

とても、貴重な機会をいただきました。

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東日本女性登山交流集会@立山

10月9日、日本勤労者山岳連盟の「東日本女性登山交流集会」@立山、に呼んでいただき、講演をしてきた。

講演の準備をするなかで、2007年(すでに9年も前のことになる)の『岳人』10月号の第1特集「心とカラダと山登り 女性よもっと山へ」を作ったときのことを思い出し、ページをめくり、講演でもこの記事の紹介をした。
編集者がつけてくれたものだけれど、随分時代がかったタイトルだったなあと思い、そのことをFacebookに書いたところ、「時代が必要としていたということではないでしょうか」とコメントをいただいた。たしかに、そうなのかもしれない。
当時、企画から編集部に持ち込んだものであったけれど、それにはふたつのきっかけがあった。
ひとつは、プロのウィンドサーファーである佐藤素子さん が、風の島マウイのホキーパで開催されたハワイプロとアロハクラシックで優勝したことを、TV「情熱大陸」でやっていた感動したことがきっかけだ。日本人の彼女がホキーパの女王になったことに感動しただけでなく(現地の新聞記事の見出しは、「御前崎ガールがホキーパクイーンになった」だったそう)、歳を重ねても、妊娠や出産、子育てを経験しながらも、好きなことをやり続ける勇気に、心が動かされたのだった。
それよりも前に、海のオールラウンダーであり、海に関することを書き、「海と雪山の友達は世界一多い」って言われる岡崎友子さん と知り合っていたことも、こんな番組に目をやるきっかけになっていたのではないかと、思っている。

調べていくと、登山よりもクライミングよりもはるかにマイナーであろうウィンドサーフィンでは、日本人女性の層がとても厚いように見えた。素子さんや友子さんらトップの人たちだけでなく、趣味でウィンドをやっている人たちも。
サクラキャンプというガールズキャンプもあった。当時、クライミングのガールズキャンプなんてなかったし、その少し後に、上原あずささんがSNOW DIVAというテレマークスキーのガールズキャンプを開催したことが、私には衝撃的だったのだけれど。
また、妊娠出産、出産後の女性の体調変化を支える、看護師や助産師もいることも知った。
もうひとつのきっかけは、平山越子さんら、周囲に、子どもを産んでもクライミングを続けて行く女性が少しずつ増えてきたことだ。いや、えっちゃん達よりも上の世代にもそういうお母さんクライマー、お父さんクライマーは何人もいたのだけれど。

女性は(女性も男性も)身体的変化、メンタル、いろんなことを人生それぞれのステージで迎える。身体の変化については、女性の方がダイナミックかもしれない。
それぞれのステージで、好きなことを続けていける、いこうと思える社会であればいいなあ、というのがこの雑誌を作る思いだった。
医師、看護師には身体的変化に関するアドバイスを書いてもらい、いくつかの家族に登場してもらったり、ミック・ファウラーに家族と仕事と山のバランスについて原稿を書いてもらったり、お父さんクライマーたちの座談会をしたりした。
つまるところ、女性だけの問題ではなく、男性にも大いに関係のあること。
女性がひとりで解決しようとしても、そこには無理があって、パートナーや家族、友人たちとの関係があってこそのこと。
 
話は講演会から大きくそれたが、女性の登山についても、「女性」というキーワードだけで語るのではなく、また女性だけが集まって何かを論じ合うのではなく、女性も男性も隔てることなく、互いのことを語り合えるようになってはじめて、いろんなことが健全に動き出すんだろうなあと思った。
 
そして、友子さんから嬉しい報せが届いた。
素子さんが、あの時以来、久しぶりに単身マウイに渡り(毎年、家族でマウイに通っていたが、ふたりの子供も少し大きくなったためか)、ハワイプロに参戦するのだという。2004年の優勝から、じつに12年ぶり。たゆまずずっとウィンドを続けてきた素子さんらしいのだなあと、感慨深く思った。
 
『岳人』2007年10月号は、古本屋やwebではまだ入手できるかもしれません。
よかったら、ぜひご覧ください。
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2016年10月 2日 (日)

テープ起こしは自分の手で

インタビューが重なっていくと、自分だけでテープ起こしをしていくのが間に合わなり、知人に依頼することがある。もちろん、とても信頼している知人だ。
今月5人分のインタビューがあり、少々あえいでいた。1人あたり2~3時間。合計15時間近いわけだ。
どうにも身動きが取れなくなり、いつもの仕事仲間に依頼したテープがある。
けれど、最低でも2本だけは自分の手で起こすことにした。

今日、ある同業者のFacebookを読んでいた、ハッとした。ハッとしたというか、やっぱりテープ起こしは自分でやるのが一番よいと再認識した。
その彼も、インタビューをしてから執筆まで、テープを何度も聞きなおしたと書いていたのだ。

ときにはインタビューは聞きなおすものであり、それで理解が深まる。
テープ起こしをして、タイピングされた文章を読み返してもよいのだが、インタビュイーの声で、語り口で聞きなおすと、ぐっと距離感が縮まるように思う。生の声を聞くのだから、そこに感情の機微を読み取ったり、心情や精神性を感じるコトもアリ、生身の人間である相手を理解するようになる、と思う。

手元に、同じ山について語ったテープが3本。
ぐいぐい話す人もいれば、いつもの語り口で嬉しそうに照れながら話す人もいる。思いのほか、話が弾んでいるかもしれない、と淡い思いになる。
かといえば、いったいこんな間の抜けたテンポで、よくぞ辛抱強く最後まで付き合ってくれたと……ただただ首を垂れるしかない録音もある。しかし、そんな録音でも、インタビュイーの話す言葉が本物であれば、聞きごたえがあり、するめをしゃぶるかの如く(このたとえは余計か)、繰り返し聞けば聞くほど味わい深くなっていく。また一段階、相手を理解するようになっていく。
そして、自分のアタマのなかで、話が広がり、もっと調べなければと本棚に目をやるのだった。

そんな自分の作業を振り返ると、テープ起こしを依頼した分についても、仕上がってきたら、一度自分の耳でテープを聞きなおそうと思った。

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