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2016年6月

2016年6月16日 (木)

栗秋正寿さんインタビュー@『山と溪谷』

『山と溪谷』7月号(6月15日発売)に、栗秋正寿さんのインタビューを載せました。

誤解がないようにすると、困難性の高い登山をしている人たちを否定しているわけではもちろんなく、いかにそれを克服するか試みる彼らの足取りを知ることは、とても興味深いです。しかし、クライミングのグレードや“〇〇のいちばん”とかいうような数字やタイトルにとらわれ過ぎると、登山の本質を見失うことになりかねないでしょうか。

記事に書いた通り、栗秋さんの登山は、自分で選び自分の手で作り上げた時間のなかにあり、しかもそこには誰も経験していない世界へと自分自身を推し進めていく勇敢な姿もあります。肝心なことは、第三者の視線ではなく自分自身が求めているものに向かっているということであり、だからこそ栗秋さんは、とっても豊かな人なんだなあと思うのです。きっと、登山が大好きな人なんです。

今回は、アラスカの親友から手渡され携帯していたSPOTを使い、救助要請をしたことなどについて触れています。
遠藤甲太さんによる渡辺斉さんのインタビュー記事から、心揺さぶる言葉を引用させていただきました。

またこの記事は、一昨年の黒田誠さん、増本亮さんと栗秋さんの座談会(『山と溪谷』に4号に渡って掲載)があってこそのものでした。
関係した皆さんに、お礼申し上げます。

そして、GW明けに福岡の栗秋邸におじゃまし、6時間以上話した内容は、またいつかどこかに書きたいと思うし、話が尽きないままフライトの時間がギリギリに迫り、帰り際「じゃ、また来ますんで」と自然と口にした自分に、あとで気づきました。

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SPOTとレスキューヘリにピックアップされたときに着ていた高所服ととりあえず持ち帰ったシンプルなザック

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毎回持っていく日記帳。字詰行詰ビチビチで書かれてあり、本人も読解困難

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デナリ国立公園を訪問する子どもたち向けのパンフレット。日の丸を自分の名にちなんで栗にした旗が、タルキートナのレンジャーステーションにあり、ここに彼の登山の記録が書き込まれている。

2016年6月13日 (月)

ランタン谷に

ランタンプラン代表の貞兼綾子さんから、お便りと写真が届きました。

昨秋、ヒマラヤキャンプが終わりみんなと別れたあと、ランタンに入る計画をしていました。ことの発端は、昨年4月25日のネパール大地震のあとの、和田城志さんのインタビューにあります。和田さんたちは当時、ランタン谷のどん詰まりにあるランタンリという山を登山中でした。地震後の28日に、ヘリコプターでBCを脱出したとき、谷を低空飛行した機窓から和田さんはランタンの様子を動画撮影しています。おそらく世界中のどの報道機関よりも早くに撮影したものであると思われます。和田さん宅にインタビューに行ったとき、この動画をみせてもらい、絶望的な光景に言葉を失い震えました。

ランタンプランは、氷河・水文・気象・地形・生物調査関わっていた研究者たちが中心となり、1986年に発足しました。地域の自然と住民たちの生活を考え、代替エネルギー導入などに取り組んできました。私は、代表の貞兼綾子さんに古くからお世話になっていることもあり、これまでもランタンプランの活動について伺ってきました。

そのランタンプランが、和田さん達の映像と、さらには宇宙開発機構の協力を得て、被災前後のランタン谷の航空衛生写真を使い、そのうえで自身達の専門性を集結させ、地震後のランタンの復興支援を始めました。これまでのランタン谷との長年の付き合いや信頼関係を基盤にし、ランタン村の再建に乗り出したのです。あれほど根こそぎ崩された土地であっても、やっぱり村民たちは戻りたいのです。誰が止めることができるのだろう……と思いました。

貞兼さんは、昨年5月末には現地入りし、その後も2回にわたり、長期的にネパールに滞在し、ランタンの村民たちと話し合いながら、どのように村を再建するのか、できるのか探る彼らの手伝いをしています。

私のランタン行きは、ランタンの様子を取材し、ランタンプランに少しでも協力することも目的としていました。ヒマラヤ登山のキャラバンの最中、そんな事後の予定を思い描きながら、メンバー達がもってきていたソーラー充電式のLEDランタン「ソーラーパフ」を、数個でも現地に持っていこうかと考えました。すると、隣にいた花谷泰広さんが、「だったら、協力するよ」と。最初は自分の小遣いの範囲で持っていくつもりでした。彼らがほんとうにこの灯りを必要としているかわからなかったし、自分が持てる量も限られているからです。

そこで、貞兼さんを通じて、ランタンコミュニティの代表であるテンバに相談すると、「この先もながらく電気には不自由するし、このようにシンプルで軽量コンパクトなものは役立つに違いない」という回答が返ってきました。それは当時、カトマンズのイエローゴンパに避難していた村民たちが、徐々に村再建のために山に戻り始めていた頃でもありました。

早速、甲府にある登山道具店エルクの柳澤仁・孝子夫妻に相談の電話をすると(Wi-Fi使用料金だけ払えば、あとはメッセンジャーやLINEの無料電話が使えるので、とても便利な時代です)、必要個数を仕入れてくださるとのこと。さらには、店頭に「ランタン谷にランタンを灯そう」というキャッチフレーズの募金箱も置いてくださいました。来店者たちが募金してくださったり、山梨県山岳連盟など県内の山岳関係団体からの寄付もありました。思いがけず話が広がり、私が下山してカトマンズに戻ったときには、40個のソーラーパフがカトマンズに届いていました。

結局、ネパールの新憲法制定に関連した燃料不足などが関連し、私のランタン行きはかないませんでしたが、カトマンズでテンバに会い、40個を手渡すことができました。ちょうどバンダ(ゼネスト)の日で、外国人の私が動くのは難しいだろうと、リングロードの外側に住んでいるテンバがバイクを使って、通常の3倍近い時間をかけて私のホテルまで来てくれました。

ソーラーパフは、テンバと貞兼さんのアドバイス通り、ゴタルーという山を移動しながら牧畜に従事している人たちに渡すことになりました。ランタンの産業、社会を作り上げている根幹にある人たちだからです。
様々な事情が重なって、結局40個の灯りがゴタルーに行き渡ったのは、今年5月のことです。

以下、貞兼さんからのお便りと写真です。

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柏澄子さま

このメールが送信されるのは、大分先のことになると思います。

5月23日、ゴタルー( gothalo 牧畜専従者)たちは冬の放牧地からようやく夏の放牧地へと一斉に村周辺まで移動してきました。その翌日、村の会議場=草地でゴタルーたちとの会合を持ちました。今回のミッションの後半「ランタン酪農組合」始動のための事前の説明会です。全員が集まってくれました。その最後に、遅くなりましたが、かわいいソーラーランプを配布しました。写真を添付します。嬉しいプレゼントだったことがわかります。
彼らはすでにソーラーをフルに利用していてモバイルのチャージなどもしているようです。この彼らの表情からすると、何か別種のものに出会ったような感じですね。小さくて軽くて移動に便利です。
家畜群はあと3週間ほど村周辺で放牧後、一気に高度をあげて3800〜4000メートルの放牧地へと移動します。

写真、最後の一枚は、昨年の大地震で一番ダメッジを受けた放牧地から撮ったランタンリルン峰です。
彼らからの感謝の気持ちを写真に込めます。

2016年5月27日 ランタン谷にて
貞兼綾子
***

ランタン村の再建に向け、ほとんどの村民が2月にはランタン谷に戻ったそうです。
ランタンプランは、当初からのミッションにのっとり、今後もランタンの人たちが自分たちの手で村を作り、生活を再建していけるよう協力していくとのことです。
今後は、ランタンの重要な産業のひとつチーズ作りを復活させるために、吉田牧場の吉田全作さんも現地入りするそうです。
ランタンプランの詳しい活動は、以下のサイトでご覧いただくことができます。
ランタンプランFB

https://www.facebook.com/langtangplan/
ランタンプランHP
http://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/kohs…/langtang-plan/LTplan.html

お力添えくださったのは、甲府の登山道具店エルクの皆さま、ご来店しご協力くださった皆さま、山梨県山岳連盟をはじめとした山梨県内の山岳関係団体の皆さま、花谷泰広さん、我妻一洋さんです。ありがとうございました。

私自身は、今後もランタンプランを通じてランタンに関わり合いを持っていきたいと考え、またこれまでたくさんのことを与えてくれたネ
パールに思い寄せて、震災後の復興のために自分の立場から尽力したいと思います。

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2016年6月 3日 (金)

お題-ポータレッジ

7.8年前になるだろうか。偶然見つけた、近くのカイロプラクティック・ドクター。
水泳選手だった方が、自身がアスリートしてのその道を極めることをあきらめ、ケアする側に回ったという方。
彼のところに通うようになって、初めて、アメリカにはメディカル・ドクターと、カイロプラクティック・ドクター、ホメオパシー・ドクターがいて、いずれも根幹には医学があり、これらドクターになるためには皆が、医学を学び国家資格を取るということを知った。私の通うカイロプラクティック・ドクター自身が、アメリカで勉強し資格を取った方だったから知りえたことだ。

膝の怪我や故障が多く、誰にも膝なんて触られたくないと思っていた私が、このドクターに出会って、最初の最初からなんとも心をオープンにして、信頼し、痛い膝を差し出すことができたのには、我ながら驚いた。彼には、他者に心を開かせるチカラがあるのだ。そのチカラがどんなものか、言葉にするのは難しい。

膝痛が治まってからは定期的に通うことはなくなったが、怪我をしたり、なにか問題が生じたときには、いまでも駆け込む先となっている。

治療内容、腕の良さ、回復の速さは言うまでもないが、それ以外にもココに通う面白さが、ひとつある。
それは、1時間にわたる施術中のドクターとの会話だ。
最初は、登山やスキーというスポーツに関する質問が多かった。どういった動きの運動を、どの程度の強度でやるのか、ドクターとしても知る必要があり、質問攻めだった。
何年も通ったので、およそのことは理解いただいたし、山岳雑誌にも登場いただいたりもしているので、もうそういった質問は減ってきた。

それでも依然として、登山やスキーにまつわる、ありとあらゆる質問は事欠かない。
動植物やクライマーという人種、歴史、天気、雪崩、地理、地形などなど。また職業がら、ウィルダネス・ファーストエイドや登山医学についても興味津々で、質問が多い。おそらくなにごとにも、好奇心が旺盛な方なんだと思う。

毎回いただく質問‐お題に、端的に適切に答えられるよう、こちらも頑張る。それには、なかなか反射神経も要する。
わからないことやあやふやにしか答えられないことは、次への宿題としている。
しかし、私は登山を生業としているわけで、答えられないなんてことは、本来はあってはならないのかもしれない。

今回のお題も、なかなか面白かった。
「岩壁を登っている人が、ベッドのようなものをつりさげていますが、あれはなんですか?」から始まった。ポータレッジを、どこで見てきたのだろう。
名称から使い方を説明すると、「ポータレッジができる以前は、どうしていたんですか?」ときた。なるほど……。
それには、登山の歴史を紐解きながら話さなければならない。
たとえば、ヨセミテの話だけをしているのでは完結しなくなってきて、あちこちの土地の登山の歴史を話し始めた。

自分の知識を確認する場、知らないこと、自分の弱点を確認する場にもなっているし、また知っていることをわかりやすく簡潔に説明するトレーニングにもなり、アタマをフル回転させる貴重な機会だ。

さて、来週のお題はなんだろう。

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マルティン・チャンビ


ちょっと前のこと、ペルー大使館で開催されていたペルー人の写真家、マルティン・チャンビの展覧会を見てきた。
東京に住んでいる利点をあまり見いだせずにいるけれど、こうやって写真展や美術展、映画や音楽など文化的なものに、多く気軽に触れられるのは大きな利点だと思う。その割に、その利点を活かしきれていないけれど。

チャンビの写真は、インクジェットでよみがえらせた作品もあったけれど、やがて彼のアシスタントになる二女がガラス乾板からプリントしたものもあった。
「光の詩人」が描く1920年頃から30年ほどのペルーの世界が、まさに時空を超えてやってきた感。
9年も前の『風の旅人』(2007年12月)で初めて知った写真家。なんとなく印象だけが残っていたのだ。

閉館まで2時間近く長居をしたら、この展覧会の主催のおひとりだというHさんという方がいらっしゃって、写真の解説をしてくださった。企画者である白根全さんと一緒に、10年以上前からチャンビの写真を日本で!とあちこちに働きかけていたという。...
チャンビの写真展のなかでは規模最大級の(おそらく展示数はMoMAよりも多い?)リオの展覧会の図録が、会場入り口にあるが、そのなかには、当時パリに住んでいた藤田嗣治夫妻がインカにあるチャンビの写真館を訪れ、記念撮影に収まっている写真が載っている。これも、Hさんに教えていただいた。

展示されているものは、優しく柔らかな写真が多いけれど、よくよく見つめていくと、歴史や民俗など深く読み取れるもので、あらためて写真表現の可能性に打ちのめされる。チャンビ自身、フォトグラフィックがもっとも説得力があるというのだから。
もっとも彼には、激しいほどの自分たち民族の誇りもあったのだろう。

私より2週間ほど早くチャンビの写真を観に行った方が、いつかインカの写真館でチャンビの写真を観たいとおっしゃっていた。なるほど、それは最高なことではないだろうか。

Hさん曰く、いつか日本でもMoMAやリオの展覧会規模で、チャンビの写真を見せたいと。20,000点以上残されているというので、いつの日かもまた、楽しみだ。

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居場所

自分が暮らす場所を、自分ひとりの考えや気持ちで決められる人は、おそらくそういないわけで、いろんな事情と折り合いをつけながら、どこかに着地させる。いっときの着地かもしれないし、長くなることかもしれないし。

果たして、ここが自分の居場所となりえるのか、実感がもてないまま、暮らし始める。暮らしながら、なにがしかの調整をつけながら、自分の居場所を、ここにあるいはほかに作っていくのかなあと思いながらの日々。
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