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2016年5月

2016年5月23日 (月)

父との散歩

昨日、千葉市立美術館で開催されていた「生誕140年 吉田博展」に行ってきた。
その帰り道、ちょっと近くを散歩してきた。
行く前から、気持ちはもやもやとしていた。
書き上げた原稿を編集者に送っておいたのだけれど、珍しくすぐに返事が返ってこなかった。彼はいつも、すぐに返事をくれる。
「これから会議だから、今すぐは読めないけれど、夕方には連絡します」というとりあえずの返事の場合もあるが、読んでくれた場合は、良きにつけ悪しきにつけ、コメントがある。
良かった場合は、ずばり褒めてくれる。なんとも爽快な褒め方で、誰に褒められるよりもうれしくなってしまう。まあ、そこまで爽快に言ってくれたことは、記憶のなかでも数回しかないけれど。
改善点を求められる場合も、ある。それは執拗なまでの箇条書きにされていることもあり、なかなか手厳しい。手厳しいけれど、とてもありがたい。
ここまで熱心に読んでくれる人は、ほかにいない。
つくづく、書き手は、編集者なしでは生きていけないと思う。
今回はしばらくして、「おたふく風邪で伏せっている」と返信があった。私からの、「どうもキリリっとしない原稿になってしまった」という泣き言に対しては、「体調不良につき今すぐに精査できないので、インタビュイーに先に原稿を見てもらっておいてください」と、進行上を考えると至極真っ当な返信があった。

とりあえず、原稿を持ったまま美術館へ行った。
吉田博は表現者としても行動者としてもパイオニアであることを知り、作り上げた作品も素晴らしければ、「何をやろうとしたか」その姿勢もまた偉大であることも知った。
これはまるで、いま私が書いている登山家のようではないか、とも思った。

そんなことを考えながら美術館を後にし、大和橋まで歩いて行った。
小さいころ、よく亡父は、「澄子は、大和橋のたもとで拾ってきた」と言った。自分の娘を橋のたもとで拾ってきたという父親がいるのかわからないが、父はちょっと変わったことを言う人であることは、幼心ながらわかっていたので、なにも気にしていなかった。けれど、大和橋に来れば、必ず父のその言葉は思い出す。
ここへ来たのは10年ぶりぐらいだろうか。

そして、ハタと気づいた。「拾ってきた」と記憶していたけれど、「澄子は、大和橋のたもとで産まれた」と言っていたのではないだろうか、と思い至った。
母が私を出産したのは、大和橋から仰ぎ見ることのできる猪鼻山にある病院なので、当たらずとも遠からず。いや、「大和橋のたもと」と言ったのには、意味があったのではないかと、考えた。
父は、とうの昔に亡くなっているので確かめるすべはなく(いいや、生きていたって、そんな会話はしない父娘であり)、気づいたというよりも、そう想像したって方が当たっているのだが。

私が30代半ばのころ、比較的短い入院期間を経て亡くなり、自営だった父の仕事の後片付けは、従業員たちと相続者である私と一緒にやり、てんてこ舞いだった。けれど、片づけをしながら、従業員や取引先の人たちと顔を突き合わせながら、父の職業が社会的にどのような役割をするものだったのか、また彼の仕事ぶりがどんなだったか、知った。
それらと重ね合わせて考えると、ひょっとしたら「大和橋のたもとで産まれた」と言ったのかもしれない。

そんなことに、いまさらながら思った。
大和橋は、父にとっても私にとっても、とても縁の深い場所であるけれど、もうなかなか来ることもなくなってしまった。

ブログは、仕事(原稿書き)を始める前の準備体操だったりする。
今朝も、準備体操をしていたら、体調不良ながら入稿のためだけに編集部に這ってきた(這ってきたは、私の想像域)の編集者からメールが来た。
「全体的に、まどろっこしいです」。
その通りなんです。体操を終えたので、本業へ。

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旅する飲み物

クライマーや山岳ガイド、スキーヤーなど山に関連する人が多く住む地域というのが、あちこちにある。いいフィールドが近いところだ。
なかでも、先日訪れた北杜市は、私が好きなところのひとつ。その理由は、甲斐駒ケ岳などかっこいい山がよく見える、いい岩や山がすぐ近くにある。そして、住んでいる人たちが、気持ちよく、また快適な距離感を思いやりをもっているからだ。
そんな話を、先日泊めてもらったクライマーファミリーの住人達にすると、「この独特の距離感や気の使い方が、好きなんですよ」と言っていた。
なかなかあることではなく、心地よい。

その日夜、近所のクライマーたちが集まってきて、にぎやかな鍋大会になった。
ワインはシラーズやソーヴィニヨン・ブランがとりわけ好きというのは、私の好みだが、そんな好みは、旅先で覚えたなあと思いながら飲んでいると、ある人が言った。「僕がクライミングで通うところは、みな美味しいワインがあるなあ。パタゴニアに西海岸、フランス」と。なるほど、確かに。

翌朝、目が覚め、台所へ行くと、すでに朝ごはんを作り始めてくれていた。
珈琲豆をひいてくれたので、「淹れましょうか?」というと、「いいですよ、僕がやります」と。お湯を注ぐと、豆がふっくらして、美味しそうな匂いが立ち上がってきた。
珈琲もまた、クライミングトリップには欠かせない飲み物だろう。
 
飲み物だけではない。食べ物も、音楽も織物も、みんな旅先で覚えた。
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2016年5月19日 (木)

テープ起こし

昨日はとうとう観念して、テープ起こしをした。
インタビューを録音するには、いくつかの目的がある。
今回のインタビューは6時間ほどにおよび、原稿を書く際にすべてを起こす必要はないと考えていた。けれど、いざ書き始めると、構成が定まらず行ったり来たりを繰り返す。これでは先に進まないと、とうとう締め切り日を目前にして、やっとテープを起こし始めたのだ。

6時間と言えども、最初はインタビュイーの方が昼食を作ってくれながらで、そのあとふたりで食べたり、最後にはおやつに焼いてくれたお菓子も食べながらなので、みっちりという風ではない。そのためか、ざっくりしたものではあるが、8時間もかからずに起こせた。ちょっと気合入れたけれど。

インタビューでは、なるべく相手の言葉をそのまま、相手の心情や考えをありのまま受け取ることを心がけている(つもりだ)。だから、あまり言葉は挟まない。
インタビューをする相手は、大きな感情の揺さぶりがある場合や、なにかに直面しているときもある。当然、心のうちは整理されていない。言葉にならない思いもある。
けれどそれであっても、私はなるべく言葉を発さずにいる。

時々インタビューを受ける側になるときがあるが、「この記者は、もう自分でオチを決めてきたでしょう。記事の筋書きが出来上がっているでしょう」と感じることがあり、あれは最悪だと思っている。誘導尋問みたいなものだ。

しかし今回は、違った。わかっていたことだが、テープを聞いて、私は結構話をしているなあと再確認した。でも、誘導尋問のつもりはなく、聞かれたことに対して、自分の考えを述べているまでだ。

インタビュアーは、カウンセラーでもなければ、友達の相談に乗っているわけでもない。けれど、インタビュー中にこれほどまで自分の考えを述べたことはなかったなと、思った。

それにしても、6時間ものあいだ終始笑いの絶えないインタビューだった。テープには、私が大笑いする声が、何度も録音されている。
シリアスな場面に直面し、忸怩たる思いで山を去った。どこにも向けることのできない、着地できない心を抱えて、帰ってきた。

それであっても、話の端々には、いつもユーモアがある。そして、私はそれを聞いて、ぷって笑ってしまう。
なんでしょう、このしなやかな強さは。

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2016年5月16日 (月)

雑誌の切り抜き

自分が好きな雑誌の記事を切り抜いて、クリアファイルに入れ、机の正面にある大きな引き出しにしまってある。分野は関係ない。それらがどんな記事なのか一言でいえば、「好きな記事」「好きな文章」ということになる。

小説家の角田光代さんが『ホテル・ニューハンプシャー』について書いたもの、書評ではなく、見開き2ページのエッセイ。
翻訳家の小澤瑞穂さんが、ローラ・フィジィのアルバム『ビウィッチド』を紹介したもの。これを読んで、もちろん、ローラ・フィジィのCDを買って、夜な夜な聴き続けた。
作家の遠藤甲太さんが、登山家・渡辺斉さんについて書いたもの。これは、『岳人』1997年6月号。『岳人』が東京新聞出版局にあったころ、編集部でほかの記事を探すために合本を読み漁っていたときに見つけたものだ。

ほかにも数点あるが、このファイルの中味は、なかなか増えない。いい記事、感銘を受けた記事は多々あるはずなのだけれど、心底「好きだ」って思えて、繰り返し読みたくて、ふとしたときに文章の一節が心の中によみがえる記事というのは、そう多いわけではない、ということなのかもしれない。
ましてや、私の記事を切り抜いて、大切にとっておいてくれてる人なんて、いないだろうなあと、うなだれた。
そんななか、このたび、昨年夏、あやうく見落とすところだったある記事を加えた。
この書評は、「情熱とはなんたるか」が書いてあるのだと思う。遠藤甲太さんが斉さんをインタビューした記事に続いて、山岳雑誌からふたつめ。

2016年5月 8日 (日)

山岳ガイドたちの生き方

書く仕事において、インタビューはつねに行われている行為ですが、その内容をダイレクトに記事にする場合(インタビュー記事)と、間接的に活かさせてもらう場合があります。
いずれにしても、人と話すこと、人の話を聞くことは、私の仕事において、とても重要な行為です。 そして私はやっぱり、山に関連することを書きながらも、そこに人の生き様を感じるわけで、インタビューが好きですし、人も描きたいと思っています。

さて、拙ブログに、山岳ガイドやクライマーなどの名前を検索して訪問いただく方も多いですが、GORE-TEX®のサイトに掲載させていただいているインタビューなど、リンク切れのものがありました。たいへん失礼しました。
なかでも、2012年から1年ちょっとかけて山岳ガイドの方々をインタビューした記事については、ここに整理しました。
また過去のエントリーについても、各々リンクを貼りなおしましたので、ご覧いただければ幸いです。

インタビュー時からずいぶん時が経ちましたので、その後のガイドの皆さんにも変化、変容があるはずです。
ますますご自身の個性を表現し、ぶれない実のある生き方をしている方、仕事で会うことは少ないけれど、遊びの場で会うと、ほんとうにいつもユニークで自由で楽しそうな方、ガイド業以外にも、職業上の2軸を作り、登山社会全体に関わっていこうとしている方、国際山岳ガイドになり仕事場を海外へ広げていっている方、山岳ガイドの社会全体をけん引する存在になっている方など。
どなたも、力強い生き方をされていて、手前味噌ながら、ほんとうに素晴らしい方々にお会いできたと思っています。
そして、山岳ガイドという仕事は、とても難しくたいへんな職業ではありますが、登山と深く関わっていくじつに魅力的で奥行きのある仕事だと、あらためて感じました。


*山岳ガイドたちの生き方*

黒田誠さん     
「徹底した職人の根底にあるのは山への憧憬」

廣田勇介さん    
「山を学び続ける、その志にある大きな勇気」

佐々木大輔さん   
「多くの人と楽しみを共有したい。日本のガイド社会を成長させていきたい」

江本 悠滋さん  
「職業としての山岳ガイドはなにか、考える」

加藤美樹さん  
「努力の塊はしなやかに、たゆまず道を歩む」

花谷泰広さん  
「”分厚い登山経験”の中から人間性を高める」

角谷道弘さん  
「もしも、人生最高の瞬間を共有できたら」

松原慎一郎さん  
「ものづくりの自由とスキーの自由 ふたつを融合させるガイディングを」

菊池泰子さん  
「山と対峙する覚悟。生涯、山岳ガイドであり続けたい」

林智加子さん  
「自分を活かせる仕事が、登山ガイドだった」

加藤直之さん  
「本質を見つめ続け、人間同士が交わえるガイドをしたい」

なお、フェイスブックのページ
には、初出の『山と溪谷』やGORE-TEX®のサイトには掲載していない、インタビュー時の笑顔の皆さんの写真も載せてあります。

2016年5月 3日 (火)

ひと区切り

テレビなし生活になって、4ヶ月。
ひと区切りの今日は、風が薫る日だった。

原稿を書き、何度かゲラを読み、校了あるいは責了すると、そこで自分の手から離れ、ものすごい開放感を味わう。そして、次のことを考え始める。

そのため掲載誌が届いても、自分の記事を読み直すことはまずない。よっぽど心配な”責了”をしたとき、以外は。
それよりも、何年も経ってから、ふとしたきっかけで手に取ったときに読むことの方が多い。

今日のお片付けで見つけたのは、中国西南航空の機内誌。中国の登山雑誌を何冊か処分しようと選っていたとき、なんとなく勘が働いて開いた一冊。
中国の登山雑誌や機内誌には3~4回は記事を書いたので、勘が働かずに処分してしまったものも、あるかもしれない。

運がよいのかはわからないが、勘が働いた一冊には、ちょっと大きな山に登ったときのことを書いていた。
つい最近雑誌に書いたのと、真逆のことを書いていた。
条件が少々違う内容ではあるけれど、なぜそんなことを書いたのか、自分の記事を読みながら、思い出した。

そうだ、あのとき、来日中のダグ・スコットの講演会に行き、彼の言葉が心に引っかかったのだった。

たまには、自分の記事を読み返すのも、よいのかもしれない。
思考の移り変わりを認識できたり、昔の方がいい文章、素直な文章を書いていることがあったり、「今はこんな風には書けないなあ」といろんな意味で感じたりする。

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2016年5月 1日 (日)

「自然とスキーと暮らしがすぐそばにある国 ノルウェーを旅して」@『WILDERNESS』

『WILDERNESS』(4/26発売・枻出版)、最後のご紹介は、黒田誠さん(写真家・国際山岳ガイド)がノルウェーを撮ったグラビアです。
タイトルは、「自然とスキーと暮らしがすぐそばにある国 ノルウェーを旅して」。
昨年5月末から2週間、スキーや探検に関する博物館をいくつかとソンドレ・ノルハイムの生家、さらにはスキーを履いた古代人が彫られている岩絵(石器時代)を見て回りました。

写真や映像に文章を添えることを、これまでにも何度かやったことがあります。 しかし、端正な作品には、文章は邪魔なだけであり、なんでこんな文章しか書けなかったのだろうといつも思います。
そんなことを考えていたら、ふと思い出した本がありました。
以前読んだ、後藤正治の『清冽 詩人茨木のり子の肖像』。
この本の冒頭に、「詩は文芸の領域で最上位に位置する」と書かれていたことが、心に残っていたのです。
私には、詩は書けそうもないけれど、写真に文章を添えるとしたら、詩がいちばんお似合いなのかもしれない、そう思いました。

何枚もある写真のなかで、私は、黒田さんがフィルムで撮ってくれた淡い絵の一枚がいちばん好きです。ページをめくって、どれであるか想像してみてください。

なお今号の表紙も、黒田さん
の撮影だそうです。重厚なアルプスの岩壁。
ほか特集シャモニーの記事でも、多数の写真を見ることができます。

*以下は、私が撮ったものです。

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