誰もが認める安定した強さを見せるのは、カマちゃん。彼は普段から。理知的でそのなかに芸術性のある顔をのぞかせる人間だ。かといってとっつきにくいのではなく、くったくなくよく笑う。
しかし、トランプゲームではそんなあどけなさは、隠れてしまう。手持ちのカードを効率よく組み立て、かつ相手の出方をよく観察し記憶している。まあ、それはゲームの王道であり、私だってそうすればよいことぐらいわかる。けれど人間というのは甘いもので、ついつい「まあどうにかなる」など思い、詰めきれずにいるのだ。
余談になるが、カマちゃんはどことなく、あるひとりのクライマーに似ているというのがハナと私の共通見解だ。ちょっとした所作や表情、くったくなく笑うタイミング。しかしトランプをやってわかった。モノゴトの詰め方も似ている。文章も写真表現も秀逸で、人知れぬシリアスクライミングを実践してきた彼を彷彿させる雰囲気ある。
カマちゃんにはまるで、将棋において鮮やかに駒を詰めたとき、その道筋にあるような柔軟な思考と途切れない集中力と、じわりじわりと攻め寄る姿がある。むろん、登山においても同様。
シオの強さは、また違う。豪快にカードを切っていく。それはまるで山で見せる彼の強さと同じだ。たとえばC1への荷揚げ。圧倒的に他者を引き離していく。「スイッチが入っちゃったんです」と言うが、スイッチを入れるときが違うのではないか、本番でほんとうのスイッチを入れられるのだろうかと心配になるほど、彼の背中はあっという間に小さくなり、彼方へ消えていく。そのスピードとボッカ力は、ちょっと考えられないほどで、私の手元の物差しでは、測りきれなかった。
しかしあるときは、ミョーにおとなしかったりもする。「どうしたの?」と聞くと、「自分のペースにもっていけない」のだという。そういうときは、じっと耐えているしぶとさもある。
出すカードを間違えたときや、読みが甘かったと気づいたときには、「しまった」という顔をして、頭をかき苦笑いする。こっちがハラハラするほど正直だ。これもまた、彼らしい。シオは山に対しても、人間に対しても、まっすぐで濁りがない。
榊原ドクターは、普段、理論性と創造性をもって仕事をしているはずだ。彼の領域は、人の生に直接的に深く関わる。そのなかで理詰めだけでは診察も治療もできまい。想像力とクリエイティブな発想が必要なはずだ。
しかしながら、トランプゲームで起きる些細な出来事は、かえって彼を悩ませるらしい。いつも、「困った」とか「勝てる気がしない」とかため息交じりで手元の札を眺めている。それでも切るカードが、「あれ?」「えっ?」というような驚きに満ちているときがあり、彼の頭の中をのぞいてみたくなる。
私はというと、のらりくらりと。ある程度の定石を踏み、ときにはチャンスとはいえないほどの小さなきっかけをつかみ、大胆になる。
そして最後のひとり。大概、私の左隣に座っている彼だ。「業界一トランプが弱い」というのは、本当だった。弁護の余地はない。
ほかの4人が常に勝っているというわけではなく、彼がいつも大貧民というわけでもない。むしろ、その回数は少ないかもしれない。4人は大富豪になったり富豪になったり、ときに貧民層に落ちたりするのだ。つまり勝つときは勝つのだ。比して彼は、平民と貧民あたりを行ったりきたりしている。容赦なくいえば、そういうのを「弱い」と言うのだと思う。勝てないのだ。
なぜ弱いのか、よくわからない。ときに、びっくりするようなタイミングで強気のカードを出してくるので、こっちが行く先を心配になる。あるとき、私はとっくにあがっていたので、残りのカードをのぞいてみた。絶望的だった。通常、「よーし、いくぞ」と言って切り札を出したあとには、それに続く勝負への方程式が組み立てられているはずだ。勝どころか、負への道筋すら見えないようなカードしか残されていなかった。彼は、「よーし、いくぞ」という言葉の使い方を間違っているのかもしれない、とも考えてみた。あるいはそういうセリフをはいて、周囲をもりあげようという心遣い、またはお祭り気質があるのかもしれないとも。わからない。
だから、あるカード交換のとき、私は飛び切りのカードを彼に渡した。“クローバーの3”ではあるが、絵柄はジャヌーだ。これほどかっこいい山はそうあるまい。そう、このトランプは、松田くんと一緒にナムチェのお土産物屋を訪ねて買ったのだ。ネパールの秀峰の写真が、一枚一枚描かれている。
標高4800メートルのベースキャンプで、圧倒的にほかのメンバーよりもSPO2値も心拍数も好数値だ。頭脳に酸素がいきわたっているはずである。それでも勝てない。
けれど、もういい。
ベース生活はのんびり本を読んだり、音楽を聴いたり、ポカポカ陽が差すなかわずかな水を使って洗髪や洗濯にいそしんだりするのどかな時間だ。しかし、そのレストが続き、天気のサイクルが巡ってこないと、次のタイミングがつかめずに、みながそれぞれ、時間やエネルギーや気持ちの持っていく先を探す。
今日でハイキャンプから戻ってきて、3日目になる。歳を重ね体力が衰えた私ですら、「十分にレストした」「ゴーアップするなら、いまだ」というほど、元気である。若くて果てしないほどの体力がある彼らにとっては、いろんなことがもてあまし気味だろう。その非効率性が、ヒマラヤ登山の一片だとしても。
早くサミットプッシュしたい、登りたい、けれどここで焦ってはだめだ。そんなとき、「まあ、トランプでもやろうよ」と言い出すのは、まぎれもなくチームでいちばんトランプが弱い彼だ。
そして夜が更け、「これをラストゲームにしよう」といって、盛り上がる。しかし最後まで勝敗結果に変わり映えはない。それに私が大笑いすると、やや悔しげに「さ、早く寝よう。帰るよ、帰るよ」と周囲を急かして、ヘッドランプをともしてダイニングテントから出て行く。あとは歯を磨き、お湯の入った魔法瓶を枕元に置いてシュラフにもぐりこむだけだ。
トランプは弱くてもいい。いつまでも、強い山ヤでいてほしい。
追記*
サミットプッシュに出る日を1ずらした昨日は、“ナポレオン”に明け暮れた。メルーのベースでは、朝起きたときからナポレオンが始まっていたというし、「業界一トランプが弱い男」のレッテルを貼られるきっかけになったゲームだろう。
「人のことは言えないよ」とどつかれそうであるが、このゲームでもまた、彼らしさが露呈した。正直すぎるのか、芝居が打てないのか。私がナポレオンで彼が副官のときも、すぐに態度に出た。切る札の内容だけでなく、言葉の端々で、「俺だ、俺が見方だ」と言っているかのようだった。それじゃあ、みんなにもばれちゃうでしょうと私は心中苦笑い。
私の持論だが、一流アスリートというのは共通して、強い信念(自分の才能を信じる力)、飛びぬけた集中力、抜群のバランス能力などと合わせて、繊細でチャーミングな面も持ち合わせている。仕事柄そんな顔を、クライマーはもちろん、ほかの競技者にもみてきた。
トランプゲームのなかでみせる愛らしさも、そんなアスリートの横顔だろうか。
えてして、自信家(よくいえばポジティブ思考の強い人間)といわれがちであるが、じつは繊細な面ももっているのが、花谷泰広だ。
今回、キャラバン中に気管支炎になりナムチェからヘリコプターを手配し、カトマンズに下山し、入院した。入院先のベッドと数えきれないほど電話で話したが、何回か弱気な言葉を吐いた。私は最後、思わず電話口で言った。「なにをいまさら言っているの? もっと図太くなりなよ」と。その私の言葉をどう受け取ったかはわからないが、ほかのメンバーよりも1週間遅れてベースキャンプに入ってきた。それは、「図太くなれ」と言ったのを取り消したいほど、タフな姿だった。
チャーミングで繊細な面は、勝負時に弱みにもなりかねない。けれど、人から愛され、そこに人間性がある。図太さとチャーミングで繊細な顔をもって、山に向かっていきました。
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