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2015年8月

2015年8月26日 (水)

写真の使い方と誌面デザイン

ライターがラフを切ることはめったにないのだけれど(やらせない方がよいのだけれど)、いったい誌面にどうやって写真を載せたらよいのか、あれこれ考えなければならず、悩ましいここ数日間。

そんなとき、山岳雑誌をパラパラとめくると、見開きのグラビアで掲載されているある写真家さんの作品が目に留まった。
かつてたった1回だけ一緒に仕事をしたことがある
西田省三さんの写真だ。
その時彼から提案された撮影のアイディアや、山のなかでの撮影の様子、そして仕上がった写真と誌面がとても印象的であり、いまでも忘れられない仕事のひとつだ。
偶然にも自宅が近いこともあり、作品を自転車で届けてくれたりもした。

写真家がなぜ、写真表現を志すのかわからないけれど、写真でしか表現できない、写真だからこそ表現できるものがあると考えていることは、間違いない。
山岳写真家であれば、山岳風景やクライマーの心象、自然現象など、文章や映像ではなく写真でこそ、表現できると考えているのだろう。

先の写真を目にして、私だったらこの位置からこの方向を眺めたときに、滝谷を染める夕陽を撮るだろうなあと思ったのが最初の感想だったけれど、西田さんの発想はまったく違った。見れば見るほど、朝の陽ざしが、山の姿をより力強く照らしていて、夏という季節をそのまま表現しているように思えてきた。

そして、このグラビアの使い方もなかなか、作品に似合っているなあとも、思えてきた。こんな風に、けっして文章では表現できない山の姿を見せられると、写真ってやっぱりいいなあと思う。

南岳から望んだ、夏の盛りの朝、穂高の山々。『PEAKS』9月号より。

2015年8月19日 (水)

映画「わたしに会うまでの1600キロ」試写会

♪ I'd rather be a sparrow than a snail
♪ I'd rather be a hammer than a nail

涼子さんに誘われて、「わたしに会うまでの1600キロ」試写会へ。

ちっとも退屈せず、あっという間の116分。ひょっとして、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)の1600キロも振り返れば、あっという間の時間なのかと思っちゃうような。

映画のあとは、長谷川晋さん(ハイカーズデポ GM)、長沼商史さん(「釣歩日記」著者)、(進行)土屋 智哉さん(ハイカーズデポ オーナー)による座談会も。主人公のシェリルのような大きなきっかけがなくても、なんとなくPCTを歩きはじめるハイカーがほとんど。
けれど歩き終わると、心がフラット、ニュートラルな状態になるのだと言っていた。

映画のなかのあるシーンについて、ちょっとしたうわさが流れているようで、それがもし本当だったらとても興味深い。
前半で、シェリルが街に下りた時にある女性ハイカーに会うのだけれど、そのハイカー役をつとめたのがホンモノのシェリルだという話があるそうだ(この映画は実話で、主人公のシェリル・ストレイドが書いた『WILD』が原作)。
映画を観る方、このシーンに注目してみてください!

しかしそれにしても、映画以上に印象的だったのは、久しぶりの再会だった涼子さん。
4,5年前の冬、小谷である1週間を一緒に過ごした仲間。春と秋は日本各地の山へ、夏はピレネーの山へと駆け回っていて、今晩東京で会えることが奇跡のよう。以前はアラスカに傾倒していたけれど、その後興味の対象も仕事場もピレネーに移っていっていた。
六本木の試写室にロードバイクでやってきて、さっそうと帰っていく姿は、変わりなくタフでチャーミング。
いつか一緒に山を歩きたいね。今日は、ありがとう!


https://www.facebook.com/1600kilo
http://www.foxmovies-jp.com/1600kilo/

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2015年8月17日 (月)

定点撮影の岩

これは、定点撮影の岩から撮ったもの。ここを通るたびに必ず、同じようなアングルでカメラを構えるようにしている。って、ナベさんがやっていることを真似しているだけなんだけれど。いまでもやっているか、今度会ったら聞いてみよう。
定点撮影が、彼の真骨頂だと、じつは私は思っている。

そして、横尾を通れば、もちろん必ず、直さんにご挨拶。たった5歳しか違わないことを、今日知った。ちょっと大きな存在の先輩だったので、もっと年上だと思っていた。

上高地への帰り道。山の空気が夏から秋へと確実に一段階入れ替わったなかを歩き、ほんとうに久しぶりに昔の感覚がよみがえった。

8月12日、少し疲れたなあとぼんやり過ごし、白馬村へ行かなかったことを後悔。今夏、こんなに何度も行っていながら。ほかはどうでもよくても、この日だけはいるべきだった。
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2015年8月11日 (火)

船尾修さん写真集『フィリピン残留日本人』

写真家の船尾修さんが11月に、写真集『フィリピン残留日本人』を出版します。
クラウドファンディングという方法を用いるそうで、現在、協力者を募っています。
船尾さんの活動に賛同する方は、ぜひに。

長くなるけれど、私が接した船尾さんについて。
最初に出会った日のことを、じつは覚えていない。けれど私のなかでの始まりは、『アフリカ 豊穣と混沌の大陸』だ。
彼が通い続けたアフリカ大陸について「南部編」と「赤道編」の分厚い2冊に著している。38歳の頃の作品。当時私は30過ぎだったが、これを読んで打ちのめされた。
私はネパールやダージリン、シッキムに通っていた頃で、自分のなかにふつふつとわいてくる疑問や整理しきれない考えや感情を、船尾さんは明瞭に書き記しており、一気に目の前が明るくなったのを覚えている。
と同時に、「私は彼ほどの年齢になっても、これほどの仕事はできないだろう」と打ちのめされもした。

そう多くの時間を共にしなくても、相手の心のひだ触れることができ、惹かれるときがある。船尾さんは、私にとってはそんな敬愛する先輩だ。
いつものようにどこかの外国に取材に行くという前に、偶然東京の編集部で会った。
ちょうど今日のような真夏の炎天下、銀座の街まで一緒に歩いてかき氷を食べたことも、鮮明な記憶のなかにある。
別の機会であるが、私の取材が行き詰ってしまったとき、船尾さんに相談すると、彼は大分県の自宅から東京に駆けつけ、取材に同行してくれた。
結局、インタビューした内容は、その後一切どこにも発表できない事情ができ、私は校了前の単行本の30ページほどを白紙にしなければならないという事態になった。それについて、船尾さんは旅の途次の南米から、的確なアドバイスと励ましのメールをくれた。
当時の私の取材先に、彼は特別な縁があり、彼なりの思いがあってのことではあるが、私に対してだけではなく、私の取材する先でもあった彼の大切な山仲間への、深い思いやりや真摯な姿勢に、言葉もなく、ただただ私は、自分の仕事をちゃんと進めようと思っただけだった。

そんな船尾さんなので、アフリカ、パキスタン、アジアの各地、国東、そしてフィリピンの自然や文化、人々とどれだけじっくりと付き合ってきたかは、想像に難くない。

フィリピンの残留日本人というのは、戦前にフィリピンに渡った日本人のことだ。
第二次世界大戦により、彼らの生活、人生が根底か狂わされてしまったという。当時、フィリピンはアメリカの植民地だったからだ。戦争末期には日本兵と一緒に逃避行することになり、餓死、殺害された人も多い。戦後も日本人というだけで差別を受けるために日本名を捨て、山間部でひっそり暮らしてきたそうだ。
そういえば、当初船尾さんは、フィリピンの棚田などに通っていて、それを聞きつけたある人が(クライマーとしての経験が深く、山や異文化のなかで自由に動ける船尾さんを見込んで)、ある残留日本人に会ってきてほしいと頼んだのではなかっただろうか。そんな話を覚えている。
それがこの取材のきっかっけだったのか詳しいことは聞いていないが、国籍を失い、日本に戻れない、しかし日本人である彼らと、長年に渡って船尾さんがどんな交流を続けてきたのか、とても興味深い。
そこには、船尾さんの人間に対する深い愛情と、戦争がいかに市井の人たちまでを苦しめ残酷なものであるかといういきどおりがあるのではないかと思う。

と同時に、webに掲載されたモノクロームの写真を見て、打ちのめされた。
「写真という表現方法は、その形骸のみであるかもしれないが、何者かを記録することが可能である。その記録されたものが本物であれば、見るものの心の扉に何かしらの呼びかけをする」と書いたのは、ほかの写真家であり、まったく別の話題についてであるが、船尾さんが撮った年老いたフィリピン残留の日本人女性のポートレートには、何かしらどころか、大きな呼びかけが、私にはあった。
この女性の心象や意思、彼女が振り返る自分の人生を、また彼女らとの交流を重ねた船尾さんの考えや心のうちを想像せずにいられなかった。 船尾さんは、「撮影は中判のモノクロフィルムで行ないました。取材に応じて下さる日系人の方の表情をしっかり記録しようと思ったからです」と書いている。船尾さんがフィルムに焼きつけた歴史の記録と人々の生きる姿を、私も見てみたいと思った。

また、船尾さんは、現在の出版事情を考えるに、この先フリーのライター、写真家が立ち行かなくなることは目に見えていて、その先には出版社の崩壊もあると話していた。そこで、新たな方法としてクラウドファンディングを試みるそうだ。

ああ、思うコトたくさんあり長くなってしまった。これじゃあ、誰も読んでくれない。 多くの方が、船尾さんが取材したフィリピン残留日本人の写真を見て読んでほしいし、また船尾修さんというフォトジャーナリストの活動に触れてほしいと思う。

オフィシャルサイト 
http://www.funaoosamu.com/
フェイスブック          
https://www.facebook.com/osamu.funao
写真集『フィリピン残留日本人』・クラウドファンディン
https://readyfor.jp/projects/philippine-japanese

 

2015年8月 5日 (水)

あるひとつの記事

極端な言い方になるけれど、雑誌には、ひとつでもこれぞって記事があれば、それでいいと思っている。

こんな仕事をしていながら言うのも気が引けるけれど、なかなか山岳雑誌を読まなくなってしまった。しかし、仕事柄手には取るので、パラパラとページはめくるようにしている。
あやうく見落とすところだった記事がひとつ。目に留まった。

読み返したいと思ったり、なにかを考えさせられたり、心に残るフレーズがある記事というのは、やっぱりいい記事なんだと思う。

すべてを捧げることを求められるというのは、豊かなことだと思うし、また本物を、その形骸であっても銀塩で結晶化させ残し、表現することができる写真撮影という行為もまた、豊かなものだと思った。
いずれも、クライミングという行為に深く関わり続けた先に、結実したものだ。

これぞという記事は、人によって違うだろうから、どの記事であるかは言わないとしても、また、ほかの記事はまったく読んでいないとしても、これでこの雑誌も、買いである。
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