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2012年6月

2012年6月24日 (日)

テントむしプロジェクト@会津駒ヶ岳 6/23-24

今年からポーリン+ハリーさんと一緒に始めた、「テントむし」プロジェクトby Adventure Divas。

今回はテントを背負う前段階として、調理器具、食糧などを背負って山小屋泊まりをしようという企画だった。

行先は、私の大好きな大好きな会津駒ヶ岳。

冬や早春に登ることが多く、初夏は初めてだった。初夏といえども、まだまだ雪もたっぷり。
雪歩きも、ブナの新緑も楽しめた。

大津岐峠を越えてキリンテに下りるのは初めてのコースだったけれど、終始燧ケ岳が威風堂々と見えていて、素晴らしかった。

素泊まりしたのは、会津駒の小屋。朝日も夕日も拝める最高のロケーション。

こんないいコースはなかなかない! また来年もやりたいですね♪

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2012年6月20日 (水)

山の本を読む会@満月の夜

Hitsuji Projectイベントで、山の本を読む会を開きました。

主催者のふたりがいちばん満足して楽しんじゃったのではないかというような会。
お集まりいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
またいつか、こんな会をひっそりとやりたいです。

詳細は、Hitsuji Projectのブログをご覧ください。

2012年6月16日 (土)

日本登山医学会@福岡 の2日間(6/16-17)

東京女子医大に勤務する性差医療の専門家、片井みゆきさんと一緒に、30-40代の女性がエベレスト街道をトレッキングした際の健康状態、高所順応についてデータをまとめ、発表した。

この分野の研究は登山家やトップクライマーのものが多く、私たちのように一般の登山愛好家たちのデータ、とくに年齢層・性別を区切ったデータは少ないため、思い切って、発表してみた。
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GWMJリンクでネパールトレッキングに行った時の参加者たちに協力してもらったデータである。
 

ほか、日本登山医学会から依頼を受け、最終日午後の市民公開講座で、30分ほど話をさせてもらった。
登山ガイド、山のことを書くライターの立場から、疲労軽減できる歩き方について、いつもお客様に伝えているような内容を話した。

ところで、この会ではちょっと驚くことがあった。
ある方がご自身の講演のなかで、“山ガール”は不勉強であり、まじめに山に取り組んでいない人が多く、事故も多い。またこれらの山岳雑誌の記事が、そういった山ガールたちの行き過ぎた行動を助長していると話したのだ。
実際にはそれらは山岳雑誌ではなく、NHK出版からかつて出版した女性登山者向けのムック本「はじめる、山ガール!」などの記事数点と、ボルダリング番組のテキストであり、実際にプロジェクターに記事が大きく映し出された。
後者は私は手掛けていないけれど、その他の記事はすべて私が編集したり執筆したものだったので、発言を求めた。

なにをもって“山ガール”と呼ぶのかは、おいておいたとしても。
世の中には、みんなそれぞれのきっかけがあって山に登っていて、また登りたいと思う人もいたりして、それで装備を買ったり(あるいはレンタルしたり)して、山登りを繰り返していく。
そんな人たちが、ひょっとしたら途中で間違いをおこすかもしれない。
けれどそれは、初心者に限ったことではなく、中級になろうが上級になろうが、間違うときはある。人間はそんなに賢くないのだから。

そしてこちらが誠意もって考え作った記事がなぜ、ふざけた記事、遊び半分で遭難事故を増やすような記事と評価されたか、である。
そして、それが日本登山医学会という公の場で発言され、また学会会員だけでなく、地元福岡在住の多くの登山愛好家の方々が話を聴いた、という点だ。
話を聴いた人たちはどう感じたのだろうか?

誌面に女性が出ていて、そこにカラフルなウエアを着ているとそれだけで、ふざけた登山者、とどうして言えるのだろうか。
登山用のウエアにカラー展開が多くなり、選択肢が増えたことは本当に喜ばしく、とっても楽しいことなんだけれど。
どうして、ボルダリングが危険なスポーツで、それが山岳事故を増やすことにつながるというのか、まったく理解できなかった。
ボルダリングは……人間の身体ひとつで岩に向き合うものであり、、、(なんてことは、もう言わなくていいな)。

2012年6月12日 (火)

KTM→BKK

榴弾ツアーも私もカトマンズ滞在もあっという間だった。
ツアー参加者はみな、洋岳さんからカタをかけてもらって、トリブバン空港へ。
お決まりのディレイがあり、バンコクトランジット時間は短くなった。
私はパソコンで仕事専念。

今回榴弾ツアーに混ぜてもらって、洋岳さんの知性に触れた。登山を創造し登るだけでなく、自身の登山を表現でき、そしてそれによって多くの人にインスピレーションを与えることができる人こそ、登山家と言うのかもしれないと思った。
ツアーで洋岳さんに直接触れた彼ら彼女らは、大げさではなく今後の人生について考え直したと言っていた。
もう一度自分をプッシュし、次なるステージに進みたいと考えた人、8000m峰を登るためにどうしたらよいか考えた人、自身の仕事について考え直したい人……色々だったようだ。

私も彼のような登山家と出会い、長年にわたってインタビューを続けてくることができたことは、とても幸せ、仕合わせだと思う。

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2012年6月11日 (月)

KTM Day4

朝イチで再びDr.コイララのところへ。
その後、サンセットの紘子トラチャンのところへ。
紘子さんは、畑で採れたという辛み大根を用意しておいてくれて、いつもの日本そばをご馳走してくださった。
紘子さん旦那さんであるアルジュンの生まれ故郷、トゥクチェのそばだ。
アルジュンやモハンダイ、スディールの近況を聞いたあと、最近のヒマラヤ登山についてやネパールの情勢などについてお話。

夕方から榴弾ツアーに合流。
ケンローさんの携帯に電話するとタメルで自由時間中だというので、行ってみた。
タメル入口付近にあるTNFのショップに入っていく参加者さんを見つけたので、声をかけた。
あっという間に簡単に合流できるのが、カトマンズのすごいところ。
その後、洋岳さんに付き合ってもらってボタン屋へ。

夜はみんなでネワール料理を食べた。

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2012年6月10日 (日)

KTM Day3

洋岳さんのスペシャルツアーが始まる前に、Dr.コイララのところへ。
リングロードから少し外れたところにある高級住宅街のなかに、彼のクリニックはあった。
ネパールにおけるアーユルヴェーダの第一人者だという。

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時間にも及ぶコンサルティング。Dr.コイララに聞かれるがままに、これまでの人生のこと、節目節目のこと、とくに人間関係やその時々で、自分自身がハッピーだったかどうかなど、話をした。
その後に、聴診器を胸に当てたり、脈や舌を診たり。
日本で同窓生の金子さんに診てもらった通り、私はピッタがとても強く、そこにヴァータが入っているのだと。
Dr.
コイララからは、これからの生活についてアドバイスがあった。

彼の診断結果も興味深かったが、何よりも、Dr.コイララがとても慈悲深い人であったことが救われた。

その後、洋岳さんツアーへ。
ブルーシートで覆われた現地の人しか使わないようなマーケットを巡ったり、その後は遊園地へ。
お化け屋敷は文化祭の乗りだったけれど、おもしろかったし(というか十分怖かったし)、観覧車もなかなかエキサイティングだった。
久しぶりに訪れたドゥワリカでのランチも美味しかった。

それにしても、洋岳さんはすごい。
カトマンズやネパールの現代的なことから、歴史的なことまで広く深く理解しており、とってもおもしろい案内をしてくれるのだ。頻繁にネパールを訪れるということは、登山家にとっては珍しいことではないけれど、だからといってそういった全員がネパールへの理解が深いわけではない。
洋岳さんの知性がなせること。こんな面白いカトマンズツアーはほかにはないだろう!
大感激だ。

夜は、ネパール登山協会主催の記者会見と祝賀会があった。
予想していたことだけれど、そこでシャイリーとマヤ達に再会した。
去年、一緒にエベレスト街道を歩いた彼女たち。エベレストサミッターである山ガール達だ。

ところで、この集まりでは多くの人がスピーチをしたが、なかでもやっぱり洋岳さんのスピーチがひときわ光っていた。一流の登山家というのは、登るだけでなく、こうやって社会的な場でも相応の立ち居振る舞いができるのだと、あらためて感心したのだった。

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2012年6月 9日 (土)

KTM Day2

仕事はたくさんもってきてしまったし、カトマンズでは竹内さんのインタビューもやりたいと思っている。
けれどそれでもやっぱり、異国に来ると、ちょっとのんびりした気分になれるのがうれしい。
雨が降ってもちっともおかしくない時期だというに、まったく雨が降らないのだという。
そのために、気温も下がらず、ものすごく暑いし、街中の埃もひどいことになっている。

それでも、芝生の敷かれたガーデンにあるテーブルに座り、ゆっくり朝ごはんを食べることができれば、それはなんだかとても開放された気分だった。
仕事がめいっぱい入っていた上に、母のことが重なり、カオスというさすがにもう限界まで来ていたので、少しでも気分転換できることが嬉しい。

朝食を終えて、ヨネマツさんと竹内さんと別れて、私はまずは原稿書き。
それからコスモのオフィスへ行き、アーユルヴェーダクリニックについて相談。
ぜひとも滞在中に、ドクターからコンサルティングを受けたいのだ。

次に、赤岳鉱泉で長年支配人をしていたキヨタさんのところへ行き、おしゃべり。

それからタクシーをつかまえて、タメルへ。
カタを1枚買ってから、友人の店へ。
昨年GWにトレッキングツアーの引率で来た時、タメルでたった10分ほどだけ自由な時間ができて、私は急いでリンジンの店に駆けていったのだった。
リンジンは、山道具のレンタルや販売の店をやっているチベット系の友人。
旅の途次のいろんな局面で、私はずっと前から彼に助けてもらっていた。

カトマンズを訪れたのは、9年ぶりだったけれど、私は間違いなくリンジンの店に入った、という自信があったのに、店の奥にある彼の部屋に進むと、そこに座っていたのは、彼ではなかった。
彼とおんなじような顔をした男性だった。
「私の名前はスミコというのだけれど、リンジンは?」と聞くと、黙って、部屋の壁に飾ってあった遺影を指差したのだった。
彼は、リンジンの息子だった。

数年前に亡くなったという。
たった10分の訪問では詳しいことは聞けなかったけれど、ここ数年、どんなに彼にっとて暮らしにくい街になっていただろうかと、想像するだけで胸が痛んだのだった。

だから今回こそ、きちんとリンジンの遺影の前で供養をしようと思っていた。
タメルの入り口で買ったカタを、遺影にお供えした。

リンジンの息子は去年のその時と同じように、私にコーラを買って飲ませてくれた。
リンジンもいつもそうしてくれていたのだ。息子や父親と同じことをするんだなあ。
ふたりで、ほんの少しだけリンジンの思い出話をした。

夕方から榴弾ツアーの皆さんと合流。
カトマンズにある日本人会主催の、竹内洋岳さんと塩野米松さん+中島ケンローさんの対談会に出席した。
見覚えのあるスタイリストさんや石川直樹さんも来ていた、取材旅行中だという。
ほか知り合いのカトマンズ在住日本人の方々もちらほらと。
いつものように、3人の対談はとても楽しいものだった。

その後、近くのベトナム料理屋でお祝い会。

2012年6月 8日 (金)

KTM到着!

昼ごろ、カトマンズに到着。
ホテルから迎えが来てくれていて、車に乗り込む。
昨年秋からコスモトレックで働いているというタケさんは、根っからの山ヤでネパール語がとても堪能な方だった。
ホテルに着くと、二三子さんも竹内さんも、ヨネマツさんもケンローさんも待っていて、出迎えてくれた。

機内食を食べていなかったのでお腹が空いていた。
ホテルのガーデンで3人でランチを。
ダルバートをオーダーしたら、ホテルらしい豪華なダルバートが出てきた。
チキンだけでなく、タルカリやほかにも幾種類かのお皿があった。

その後、布などの宝物さがしへ。
私は紺色の細かな刺繍が入った綿の布地(これでブラウスを作ろうと思う)と、バンブー素材のラグを購入。
初日して、帰りの荷物の心配が出てきた。

夜、領事夫妻や二三子さん夫妻とご一緒にギャコックへ。

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2012年6月 7日 (木)

羽田からバンコクへ

フェイスブックやツィッター、それから地元の新聞に折り込まれたり、レストランショップで無料配布される地元紙には載せているのだけれど、いま、アシスタントを募集している。
合わせて、仕事部屋を借りることにもなっている。
先日、物件を決めて、今日は契約の日。
いろんな説明を受け、契約金を払い、契約書にサイン。

午後から母の病院へ。
病態は安定しているものの、精神的には参っているのかもしれない。
夜からネパールへ行くと告げると、顔がものすごく明るく生き生きと光った。一瞬だったけれど。
かの国には、2度母を連れて行ったことがある。
ブータンにも廻ったこともあった。
その時のことをモチーフに、いくつも水墨画を描いていた。
いい思い出のようだ。

帰宅後、仕事に戻り、夜羽田へ。
深夜便で、バンコクへ。

2012年6月 6日 (水)

インタビュー

今日は朝から、自分自身の病院へ。
検査も憂鬱だけれど、検査結果が出る日も憂鬱。
数年前から経過観察しなければならないものを抱えていたのだけれど、異型細胞が一時なくなったのをいいことに、ほったらかしておいた。そのツケが廻ってきていた。
結果は、まずまずで、緊急性もないことがわかって、ほっとした。
歳を重ねるといろいろあるが、反対にとてもよい結果が出た部分もあったり。

身体も生命も毎日がんばって、動いてくれているけれど、経年により、この先、どんなふうになっていくのだろう。本人のメンテナンス次第だな。

午後、石井スポーツ神田店へ行き、平出和也さんインタビュー。
春にヨーロッパをめぐっていたときの写真をたくさんいただいていたけれど、今日、本人から直接話を聞いて、なぜあのような写真をセレクトし、見せてくれていたのかよくわかった。
平出くんのインタビューは、ナムナニと合わせて、webに掲載予定。
ちょっと先。

帰宅後、原稿書き。いよいよ切羽詰まってきた。

2012年6月 5日 (火)

獨協大学オープンカレッジDay4

獨協大学オープンカレッジ4日目。
梅雨の時期から夏、そして初秋にかけての山の天気について。
山の夏は、ホントに短い。

トムラウシのときの気圧配置の紹介、同じような気圧配置のときに同じくトムラウシ付近で事故が起きていたことも。
それと、67年の松本深志高校の西穂落雷遭難事故の話も。

自宅に戻ってから、母のところへ。
なかなか怒涛の生活。
ミーティングも1件。

2012年6月 4日 (月)

今日もあわただしく

昼前に病院へ。
午後になると、母の水墨画の仲間たちがお見舞いに来てくださるというのだが、それまではいることはできず、ほかの部屋へ。

夕方遅くに帰宅。
今晩は、ひっそりと留守宅メンバーたちで祝杯をあげる予定だった。
こんな顔ぶれの人たちと、ひっそりお祝いしたいなって思っていたのだけれど、うかがえず。

2012年6月 3日 (日)

Histuji Project FULBARI 上高地 下見Day2

あとで。

2012年6月 2日 (土)

Histuji Project FULBARI 上高地下見 Day1

2012年6月 1日 (金)

松本へ

朝から母の病院へ行き、ふたつの科の診察を受けた。
本や記事を書くときに、山に登るお医者さんを訪ねることがあるが、どちらも私にとって、仕事上なじみ深く、知り合いの先生も多くいる科、こういう科にはよく取材で来たよなあ、と思いながら。

先生たちの診断と説明はとてもわかりやすかった。

夕方帰宅。
パッキングをして、松本へ。
駅前のホテルは、まさみんが予約してくれたものだが、ちょっとユニークだった。
効率性を重視し、経費削減できるところはとことんやっている。
そして、ベッドとリネンの質は下げないようにしているんだって。

明日から2日間かけて、Histuji ProjectのFURBALIシリーズの下見。
日本山岳会とのコラボで、ことし4回に分けて、Table(平日都内)とTrip(山へ散策)を実施予定。

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