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2012年5月

2012年5月31日 (木)

黒田さんインタビュー

夜、山岳ガイドの黒田誠さんをインタビュー。
彼には、これまで何度も会ったことはあるけれど、一緒に山に登ったことはなく、またそんなにたくさん話をしたことはなかった。

今日はほかに、編集者など関係者4人も集まり、なんだか公開質問大会のようになった。
しかし、黒田さんはインタビューにとても集中してくれ、またとても誠実に応えてくれた。
それは、とてもありがたいこと。
つくづく、インタビュアーというのは不思議な存在であり、インタビューというのは不思議な機会だと思う。
だって、それまでそれほど親しくしていなかったかもしれない相手であろうと、いきなり本題に入り、本質のことを問いかけ、応えてもらうのだから。

掲載は少し先になるが、黒田さんの優しい笑顔の写真も撮れたので、楽しみにしていてほしい。

2012年5月30日 (水)

実家へ

ちょっとだけ仕事の合間に時間ができたので、母に電話もしないまま実家へ。
まさかそのまま、緊急入院することになるとは想像もしていなかった。
ずっと辛かったろうに、と老体を思う。
彼女が選んだ生活だからと尊重してきたけれど、そのような段階はとうに過ぎていることはわかっていた。
いつかこんな日が来てしまうのではないかと、じつは、毎日心のどこかでおそれながらいたところもあり。

主治医といろいろ話をする。
そういえば、いのちの終わらせ方についても、人生についても、彼女とはあまり話さずにきた。
それなりの話はしてあるが、ダイレクトに話題にしたり、結論づけはしていない。

一時、実家へ戻り、近所数軒を回って、お詫びとあいさつ。
どこへ行っても、「澄子ちゃん、澄子ちゃん」とちゃん付けで呼ばれ、なんだか昔に戻ったよう。
それぞれの家に、幼馴染がいる。
K子ちゃんは、週末になると孫を預けに来るそうだし、E藤くんは相変わらず人気TV番組プロデューサーで忙しくしているそうだ。
Y子ちゃんの様子も聞いたし、Bくんのお母様は、なんと登山が趣味で、今日も那須岳から帰ってきたばかりだということを知った。

いちばん心配していて、いてもたってもいられなかったであろう田中さんのおばちゃんのところへは、最後に回った。

病院の待合室で、2件仕事の電話。
ひとつは明日のアポをキャンセル。
もうひとつは、今日締切と勘違いしていた原稿について。
明日締切だとわかって、助かった。
帰宅後、執筆。

2012年5月29日 (火)

KTMインタビュー

獨協大学オープンカレッジ3回目。
今日は、登山中に食べるもの、飲むものの話。

夜、セイン先生の英会話レッスン。
先日、私がフランス人の山岳ガイドさんに行なったメールインタビューの原稿を見せて、添削してもらったり、よりよい表現を教えてもらったり。
終了したころには、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。
それぞれの家路へと、走る。

夜遅く、といってもネパールとは3時間15分の時差はあるのだけれど、カトマンズへ電話。
電話口の玉枝さんは、まったく平常だった。とても明るく穏やかな優しい声。
やっぱり、私は彼女が大好きだ。
とても楽しく、爽やかな気持ちになるインタビューだった。
ありがとうございます。

玉枝さんのエベレスト登頂については、来月発売の山岳雑誌にニュース記事を書くことになっている。

2012年5月27日 (日)

四角大輔さん×安藤美冬さんセッション

四角大輔さん×安藤美冬さんのセッションへ。
四角大輔×安藤美冬ノマド対談Vol.3 1日集中トークセッション 「マイペース×マイルール人生」の創り方
若い人たちが大勢集まっていて、活気づいていた。

大輔さんの話を聞くのは、たぶん3~4年ぶりぐらい。
その間に彼は、ニュージーランドに住まいを移し、東京とNZを行き来する生活をしている。
そのさまを、いまどきの言葉では「ノマド」といったりするのだ。

大輔さんの自分のライフスタイル、人生をいかに表現するか、という思考を、辿らせてもらって、とても興味深かった。

印象的だった言葉は、夢は諦めるのではなく、ときとして忘れてしまうことがある……というようなこと。
諦めるというのは、能動的な行為だけれど、そうではなくていつのまにかどこかに置き忘れてきてしまう、追いやってしまうというようなこと。
そんなことがあったら、悲しい。

その後、カフェでひと仕事。
夜は、Hitsuji Projectミーティング。来月の数々のイベントに向けて。
まさみんからは、今日の出来事を聞かせてもらい、私からは大輔さんと安藤さんの報告も。

2012年5月26日 (土)

テントむし山旅プロジェクト@大倉尾根ボッカ大会

いよいよ始まったAdventure Divasのテントむし山旅プロジェクト。
北村ポーリンさんとのコラボで、テントを担いで山を旅しようという企画を打ち上げたのだ。
私たちが目指すのは、海外でのバックパッキング、テントを背負っての縦走。
それは具体的なひとつの目標だけれど、そこにあるのは、山での生活道具一切合切を背負って、いろんなところを旅してみようというもの。

今回は、大倉尾根でボッカトレーニング。
ボッカなんてものに、こんなに多くの人が集まってくれたことに感謝。
そして、Adventure Divasのボッカは、ポーリンマジックにより、とっても楽しいモノだったりするのだ。不思議。

当初考えていた鍋割山は遠すぎるということで、今日は大倉尾根から塔ノ岳を目指した。
しかし、残念なことに思うようにペースが上がらず、塔ノ岳まで辿りつくことはできず、花立山荘にて終点となった。
ここで、鍋焼きうどん。

ポーリンさんが「オモシロイ~。全部の班、それぞれ鍋焼きうどんがまったく違うよ」と。
たしかに。人数分、各班ごとまったく同じ食材を準備していったのだけれど、出来上がった品は少しずつ違う。
だから、この日記に掲載した写真のうどんは、私の班のモノ。これに温泉卵が投入された。

荷物を背負って歩く体力、筋力、歩き方、ペース作り、気をつけたいこと、心がけなど、すべての伝えるのは難しく、また単純でもない。
回を重ねるなかで、皆さんがテントむしになれるよう、努力します。
ナビゲーターとしての反省もいろいろありますが、それを糧に、次の会津駒ヶ岳をとっても楽しみにしています!

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竹内洋岳さん ダウラギリ登頂、14座コンプリート

 

今日は、丹沢で山登りのイベントがあったので、夜までメールボックスを開くことはできなかった。こんな日は、こんな風に仕事が入っている方が、気がまぎれるというか一日中気をもまなくてよいのかもしれない。

 実際にイベントが終了し、スタッフミーティングが終了するまで、思い出しもしなかった。

帰路、竹内さんの様子が気になり携帯からfacebookを開くと、TV番組「サミットプッシュ」でお世話になったプロデューサーさんのページで、無事登頂したことを知った。
 メールボックスを開いて、事務局からの連絡も確認した。

 彼が初めて8000m峰に登ったのは、1995年、まだ学生の頃だった。
 マカルー東稜。自分にとって初めての8000m峰が、マカルー東稜であり、あのようなスタイルで結果を出せたことは、とても貴重なことだったと、これまで数えきれないほど行ってきたインタビューで、何度も聞いた。
 その気持ちはよくわかる。
登山の中味を決定づけるのは、登頂した山の名前でも標高でもない。
いかにして、その山に臨んだか、であるからだ。

 

  実際に、マカルー東稜の評価というのは、登山の世界ではきわめて高いと思う。今ほど名の知れていなかった何年も前、外国人クライマーらは、「あのマカルー東稜チームで登った、Hiroか!」と、彼を評価したものだった。

 

 初めての登頂から、結果的には17年目。14座目のダウラギリに登頂し、日本人初の8000m14座コンプリートとなった。

 14座コンプリートは、世界的にみれば、いまさらのような記録かもしれない。しかしそんな今さらの記録に、日本人のなかで成し遂げた人がいなかったのだ。

 このあと、厳しい下山が続くが、何としてでも、なにがなんでも、リスク回避して、ベースキャンプまで降りてきてもらいたい。
あと数日、がんばってほしい。

 

2012年5月25日 (金)

若いクライマーさんからのメール

朝イチでかかった近所の歯科病院。
「歯の質も歯茎の状態も素晴らしい、一生自分の歯だけで生きていける人ですよ。そんな人はじつは少ない。幸せ者だと思ってください」とべた褒めされた。
歯医者で褒められるのはいつものことで、こんなに褒めてもらえるのはほかではないけれど、歯が丈夫なことには感謝。
しかし、親知らずに虫歯がみつかり、来月抜歯することになった。憂鬱でならない。

若いクライマーさんからメールが届いた。
JAC
「山」に、この夏のクライミングの予定を書いてくれた学生さんだ。
カリマンタン島にある未踏の大岩壁バトゥダヤを計画しているチームだ。
「「山」に書いてよかった」と。なぜならば、記事を読んだインドネシア専門家の方から連絡がきたからと。
編集人として、嬉しい便りだった。

夜、近くのファミレスで英会話レッスン。
サーファーであり、インターナショナルスクールで英語を教えているハワイアン。
次回は、bad interviewgood inerviewを持参するように、と。
雑誌掲載された記事でもよし、なんでもよし。
それを基に、いろいろな表現を教えてしてくれるようだ。
先生自身も、「登山のジャーナリズムを学ばなきゃね、なにも知らないから」と言っていた。

2012年5月24日 (木)

詔子ヨガ

詔子ヨガの日。
ヨガレッスンは、インストラクターとの相性があると思うが、詔子ヨガと私の相性はばっちり。

それにしても、なぜか今日はとくによかった。
朝からまた実家でとんでもないことが起こり、大騒ぎで1日が始まり、うんざりするようなことがあったけれど、それでも、こうやって自分を肯定して、1日を終えることができそうなので、本当に、今晩のヨガレッスンには、感謝した。

2012年5月23日 (水)

恩師に手紙を書く

今朝のクリニックは、あっという間に検査が終了。
ああ、よかった。

しばらく外のカフェで仕事をし、午後から自宅に戻って仕事。
やっと、恩師に手紙を書いた。
大学山岳部時代の監督だった村井さんだ。
彼は早稲田大学山岳部出身であるが、縁あって、わが大学の監督をしてくださっていた時期があった。

私はとても幸運なことに、村井さんに2年間教わることができた。
山をご一緒した回数は数えるほどだけれど、会話の細部や、彼の山での所作などを具体的にとてもよく覚えている。

山岳部に入って初めての岩登り合宿のとき、最初は先輩のフォローをするのだが、その後、リードをさせてもらう。
リードしている私を見て、下から、「澄ちゃん、リードとフォローはどっちが面白い?」と聞いてくる。
そりゃ言うまでもないことなのだけれど、なんとなく1年生なので遠慮して、口をもごもごさせながら「両方面白いです」と答えると、大笑いしていた。
「それは、リードが好きだってことだな」と。

夏の源次郎尾根を登った時は、懸垂下降のロープ回収がうまくいかず、先輩があたふたしているときに、コルに悠々と腰をおろし、マスの押し鮨を食べていた。
こっそり私にもくださった。
あのとき山頂で一緒に撮った写真は、宝物だ。

なぜ、村井さんに手紙を書いたかというと、このたび引き受けたJAC「山」の編集人は、私の前の前の前、村井さんが務めていらっしゃったから。
今冬、800号を迎え、歴代編集人のコメントが載り、村井さんからの文章もあった。
村井さんはじめ、錚々たる顔ぶれの後任というのは、とてもとても役不足なのであるが、始まった以上、やり遂げるしかない。

2012年5月22日 (火)

GORE-TEX™ Café「めぐる・山の旅~山でつながる旅のカタチ」

叔母から心温まるメールが届いた。
「澄子ちゃん、よく話してくれたね」という書き出しが、泣けてきた。
親の介護問題は、終わりが見えず、長く続くし、思い通りにはいかないことばかりだし、なかなか試練である。
いま、ひとつのカーブを曲がるところ。

午後、獨協大学オープンカレッジの授業へ。2日目。
陣馬山の話と、ウエアと道具の話。

最後の質問タイムで、GWの白馬付近での遭難の話が出た。
しかし、私は取材をしたわけではなく、それゆえわからない点も多々あるので、答えられないこともあると、答えた。
遭難の原因を探るときに、すぐに思い浮かぶものはあるけれど、それ以外にも要因があったかもしれない、危険因子があったかもしれない。
それは、入念な取材をしないと、わからないことだ。
新聞記事を読んだだけでも思いつく、報道されていない要因はいくつかある。それらひとつひとつを、しらみつぶし的に取材し続けないと、語れないことは多い。

夕方、出版社へ。
来月創刊の雑誌に掲載する記事について打ち合わせ。

夜は、Hitsuji Projectのミーティングで、まさみんと渋谷シティラウンジへ。
6
28日にここで開催されるGORE-TEX™ Caféに、ふたりがご招待いただいたからだ。
私たちは、この機会に山と旅の話をする。
素敵な雰囲気ある会場で、お料理もおいしく、当日が楽しみだ。

日時:6/28(木) 1900-2100
場所:渋谷シティラウンジ (渋谷ロフト2階)
タイトル:めぐる・山の旅~山でつながる旅のカタチ

詳細+申し込み方法などはココ

2012年5月21日 (月)

金環日食の朝

金環日食の朝。
ベランダから空を見上げたあと、夫が急に「墨田区へ行こう」と言い出した。
どうやらテレビでスカイツリーが写り、空の雲量が少なかったというのだ。
たしかにウチのあたりの空は、雲で覆われているけれど、いまから移動したって、どたばたして墓穴を掘るだけだ。

それでも「少しでも雲のすくない方向へ移動したほうがよい」と、急にはりきるので、車に乗って移動を始めた。
といっても、時間が時間だっただけに、隣町に行くにとどまった。

隣町の行ったこともなかったマンション群の真ん中にある広場から、空を見上げた。

午後、ふたりで映画『アーティスト』を観に行く。

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2012年5月20日 (日)

昨日は、山小屋サミットへ

昨日のことであるが、F山岳会の総会があり、その後みんなで昼食を食べた。
そして、その足で、山小屋サミットへ。
メーカーや山小屋、旅行社などがブースを出しており、石井スポーツのバーゲン会場もあった。
いろんな方々にお会いした。

イワタニプリムスの加茂さんには久しぶりにお会いした。
同世代で、昔、たくさんの仕事をご一緒させてもらたが、今では彼は社内でも立派な位置にいて、なかなか会う機会もなかった。
ザンバランの登山靴は、イタリア工場で作っているものも多く、そのなかにはいい靴もあって、注目していたのだけれど、その詳細を教えてもらった。
ノルウェー方式という登山靴の縫製の方法も。

2012年5月19日 (土)

渡辺玉枝さん、エベレストに登る

渡辺玉枝さんが73歳でエベレストに登頂し、女性の最高年齢記録になった、というニュースが届いた。
玉枝さんに初めて会ったのは、10年以上前。ちょうど63歳でエベレストに登頂した年の冬だった。当時も、女性の最高年齢記録だった。
そのころ私は初めて、8000メートル峰に登るという経験をしたばかりで、玉枝さんのエベレストの記録を聞いて、これはとても足の速い人だと思った。
深い経験を持った人なのだと。

昨年、映像カメラマンの村口徳行さんが書いた『エベレスト登頂請負業』(山と溪谷社)の書評を、『山と溪谷』に書いたときも、玉枝さんに関する記述について触れた。
玉枝さんがエベレスト(だったか、ローツェだったかもしれない)というジャイアンツを背にしているところを写真に撮ると、山と玉枝さんが、とてもよいバランスで美しく写るのだ、というようなことを村口さんは書いていた。

とても印象深い文章だった。
素晴らしい人柄で大勢のファンがいる玉枝さんであるが、地に足がついた方で、等身大のことをコツコツとやり続けているその姿は、本当に学ぶことが多く、また美しく、素晴らしく、私はいつも感動してしまう。

2012年5月18日 (金)

外国人旅行者に出会って、旅先の自分を思い出し……

朝イチで、溜池山王にあるクリニックへ。
婦人科系の検査や治療はとても好きになれないが、友人に紹介してもらって初めて訪れたここは、以前私が通院したところとは検査方法が違って、不快感がない。
先生は、とてもおおらか。
患者はただでさえ、不安があり、ストレスを抱ええていいるのだから、こういうおおらかな先生には救われる。

帰路、自宅最寄駅前でバスを待っていると、大きなスーツケースを引いた外国人女性が、町名と番地を示して、どのバスに乗ればよいのか尋ねてきた。
はっきりわからなかったので、詳しく尋ねると、今日宿泊予定のホテルへ向かうのだという。
ホテル名を見せてもらうと、それであれば、私と一緒にバスに乗り、同じバス停で降りればよいことがわかった。
ウチの近くだ。

番地と地図だけで、行くとしたら、それはこの場合、かなりハードルが高い。
私がかつて、ベルリン駅からふたつぐらい離れた閑静な住宅街にぽつんとたつ素敵な宿にとたどり着いたぐらい、ハードルが高いと思う。
その宿をとってくれた、ベルリン在住の友人が、「よくたどり着けたね」といったぐらいだった。ドイツ語下手だし。

彼女は、オーストラリアから来たという。日本在住の息子とは、明日茅場町で待ち合わせて、一緒に富山へフライトするのだと。
彼は富山に住んでいるらしい。
東京を、Lovely cityとほめてくれたが、若干苦笑い。
富山はどうか?と尋ねるので、海があり山があり、海の幸も山の幸もあり、とてもよいところ。東京のようにbusyでもないと答えると、喜んでいた。
行ったことはあるかというので、山登りに何度も何度も行ったことがあると答えた。
なんという名前の山か?と聞くので、剱岳といって、日本で最高の山だ、と答えた。

いろんな話をしながらバスを待って、一緒にバスに乗って、ホテル前まで行った。
このあたりは幹線道路も走っているけれど、静かな住宅街。
今晩の食事はどうするのだろう?と気になった。
路地裏には美味しい中華も焼き鳥屋もあるけれど、見つけられるだろうか。

夕食に誘ってみようかと思ったが、半日観光に繰り出したそうだったので、止めておいた。

2012年5月17日 (木)

7 years in Nelson

夜、廣田勇介くんの「7years in Nelson」へ。
彼がこの春に取得した、ACMG(カナダ山岳ガイド協会)のスノーボードガイドの資格のことや、試験の経緯。
それと、Red Bull Super Naturalでのトラビス・ライスとの仕事のこと、さらにはカナダでの登山やスキーのあれこれ、カナダの山々でのいろんな仕事の数々。
そんな話を、ビールを飲みながら、聞かせてもらった。
まったく、ビッグ・ガイである。
このビッグ・ガイが、いま、モンベル新宿店でアルバイトをしているというわさを聞いていたので、本人に確かめたところ、本当だった。

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リンクに参加してくれたことのあるRさんに会った!
ヒロスケ達のガイディングに参加したことがあり、今日は話を聞きにきたのだという。
彼女とは、昨年夏に八ヶ岳を一緒に縦走したが、とてもきれいな歩き方をしていたことが印象的だった。
話を聞くに、ガイドさんの歩き方を真似たのだというが、教わったわけではない。
とても理にかなった歩き方で、衝撃的だった。

冬にお世話になり、まったくお礼も報告も述べないままになっていたチカさんにも会えた。
マムートの由美子さんやラボラトリズムの関根さん、モンベルの設楽くんも来ていた。

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2012年5月16日 (水)

アーユルヴェーダへ

同窓、しかも同じ学科の卒業生であることは、じつは偶然だった。
代々木上原でアーユルヴェーダのクリニックサロンをやっている金子さんのところへ。
カウンセリングを受けていると、自分というものを知ることができる。

清潔感があって、精神性が高くて、思った通りの方に出会えた。
これからも、お世話になろう。

2012年5月15日 (火)

多美子先生と再会

今年も、獨協大学のオープンカレッジでの授業が始まる。
初回は、昨年の春期、そして秋期もやって、今回が3回目。
受講生は、7人、9人、12人と増えてきた。
リピーターの方々もいらっしゃって、ありがたい。

今日は、箱根の浅間山、湯坂路のことと、山の計画の立て方について。
散漫な話になってしまった点が反省。

授業後、中央棟の5階へ行ってみた。
私の出身でもあるドイツ語学科の教授たちの研究室があるところだ。
昨年春に、黒田多美子先生を訪ねたけれど、お留守で書置きをしたままになっていた。
多美子先生は、私が参加したゼミの先生だった。

ドアをノックすると、いつもの声が。
「偶然なのよ、いつもはいないのだけれど、会えてよかった」
と、しばし立ち話。
今年から学部長をされているそうで、次回からは3階の学部長室に来てくれと。

短い時間だったけれど、沢山話ができて、そして多美子先生がまったく変わらず、タフでチャーミングでいらっしゃることが、ほんとうに嬉しかった。
先生のゼミで勉強して、先生に教えてもらえて、ほんとうによかったと思っている。

ちまたでは、我がゼミは、「トケツゼミ」と恐れられているという話を聞いたことがある。
血を吐くまで勉強させられるというような意味らしい。
確かに厳しいところもあった。けれど、多美子先生には愛情が沢山あった。

ヴァイマールからナチ時代の歴史研究について学ぶだけでなく、モノの見方とか考え方とかを教わった。おかげで、いろいろなことがあって迷っても、いつかはまた道を見つけ出す力を与えてもらったように思う。

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2012年5月14日 (月)

校了、入稿、打ち合わせ2件

雑誌のインタビュー記事3ページ分を編集者に送信。

JAC
会報『山』の校了日にて、ゲラのやり取り。

打ち合わせは、近所のファミレスで2件。
ひとつは、求人広告の件。
もうひとつは、実家のリフォームの件。
古い家で屋根や壁の修繕が必要なことと、お風呂周りなど母が生活できるように作り変える必要があるため。

リフォームは楽しいけれど、あれこれやっていたら、けっこうなお金がかかることがわかった。

校了は明朝にずれ込み、夜はお世話になった何人かの方々に手紙を書く。

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2012年5月13日 (日)

浅間嶺へ

いつものF山岳会月例ハイキングの日。
ちょうど今、USにある乳がん財団が創立20周年であり、それを記念したパーティやハイキングがサンフランシスコ近郊で行なわれている。
会員のなかには、こちらに参加している人たちもいて、今月はこじんまり。

リーダーはIさんで、私はサブリーダーの当番。
行き先は、先月下見をした浅間嶺。数馬から払沢までをつなぐ昔の交易路だ。

若葉が本当に柔らかい色をしていて、きれいだった。
近くの木々も、遠くに眺める山々も黄緑色だった。

今月は、久し振りに同い年会員のWさんも一緒になって、帰りの電車でおしゃべり。
彼女は、学校の先生でバドミントン部の顧問なのだという。お子さんも育てて、仕事もして、会の活動にも参加して、いったいどんな風に毎日をスケジューリングしているのか、教えて欲しいところだ。

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2012年5月12日 (土)

舟勝さんの教え

御宿でやるべき仕事を、なんとか午前中のうちに片付けて、横浜方面へ。
物件探し。今日も挫折。これは、永久挫折になるかもしれない。

そういえば、一昨晩、御宿の舟勝に行ったとき、おじさんが興味深い話を沢山してくださった。
忘れないうちに、メモしておこう。

夜の御宿の沖にみえる船の光の手前にある赤や青のランプは、エビ漁の網。午後3時にかけて、夜中2時に引き上げるそう。

昨晩のなめろうはトビウオだった(写真)。旨い。いまはトビウオの季節だけれど、次はいさき。アジのなめろうは、千葉以外でも比較的よくみるけれど、それはアジはいつでもとれるから。なめろうのなかでは、いちばん下。なめろうは、商品外規格となったトビウオやイサキ、アジを骨ごとたたいて、たたいて作る。そのあと、少しでも骨を柔らかくしようと氷入り酢水につけて、食すのがなめろう。たんなるたたきではない。

しめのカニコシはいついただいても旨い。カニを甲羅ごとたたいたのち、冷や水でたんぱく質だけかためたもの。何度もこしているのでまろやか。このカニは、イセエビ漁の網にひっかかってくる売り物にならない小ぶりのカニを使う。小ぶりなんで、甲羅ごとつぶして食べるという漁師たちのアイディア。(たしか、勝浦ではコシカニというのではなかっただろうか???)

このあたり(御宿)の漁師たちは、波の高さ4メートルで隣の船が波に隠れてマストさえ見えなくなっても、漁を続ける。風速18メートルでも漁に出るんだって。先日、八甲田で風速18メートル。板をはくのも大変だった。気を引き締めて、安全に降りることだけ考えるし、耐風姿勢も取るというのに、猟師さん達はすごい。おじさんいわく、そんな荒波からとれる魚は、いっそう美味しいのだとか。

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2012年5月11日 (金)

ピロタンの応援

昼過ぎてから、千倉へ。
JPSA
のプロトライアル観戦に行った。
御宿から千倉は思いのほか遠くて、しかもお腹がすきすぎていたので、途中でサザエカレーまで食べてしまい、時間がかかった。
しかし、SHOOTSのピロタンはすべてのヒートをトップで勝ち抜いていたので、間に合った!

いよいよ本大会になるというので、ドキドキしながら応援した。
結果は、round1で敗退という残念なものだった。
たいしてサーフィンをするわけでもないくせして、なんだか、じーんときた。
彼女のお父さん、お母さんとは同世代なので、なんとなくしんみりした。
かなっぷにいたっては、「僕たちが久しぶりに会いに来たから、緊張させてしまったのかもしれない」と、半分自意識過剰なことまで言っていた。
ヒートが始まる前に、わざわざ挨拶をしてくれたからだ。
その時、かなっぷが、「たまたま休みだから来たんだよ」と言ったことに、私は「ひどい」と言った。たまたま来たんじゃなくて、応援に来たんじゃん。
けれど、彼女の父親と同い年のかなっぷとしては、余計な緊張をさせない配慮だったらしい。
完全片思いだけれど、こまごまとしたところに、気を使っている。

まったくの素人がわからずに言うことではあるし、負けるのは力不足なのだろうけれど、それでも感動的だった。
最後まであきらめずに波を取りに行くところや、完成度は低かったのかもしれないけれど、人を感動させるようなライディングをするのだ。美しい一瞬がある。
彼女の応援団のところで、一緒に観戦していたのでひいき目かもしれない。
JASP
の大会もround1あたりだと、観戦者も少なく静かにヒートは進んでいくのだけれど、ピロタンが海から上がってきたときは、ほかのプロたちが駆け寄って、あーでもない、こーでもない、もっとこーしろというような愛情あることを、沢山言っていた。
素直なこの女の子は、みんなから愛されているんだなあ。だから、実況中継のアナウンサーまで、感情移入していた。

女性のほかのroundも、男性の試合も観たけれど、うまくても感動しない時もあるし、あるいはなんだか残念だよなあ、というような裏切られた感のあるライディングもあったりする。
だから、人を共感させられて、悔し涙まで流させちゃうなんて、すごいことだと思う。

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2012年5月10日 (木)

勝手に、SHOOTSのコトを書きます。

久しぶりに御宿へ。
いくつかの仕事をかかえて。

海に入ろうにも、雷が轟きだし、あっという間に空は真っ暗に。
いろいろ買い出しをしたあと、SHOOTSへ。
こんな天気であれば、海から戻ってきているだろうと見込んだのだけれど、もちろんお二人ともいらっしゃった。

ことし、SHOOTSは開店10周年だという。
あの、手描きのチラシは、いまでも御宿のアパートに保管してある。
あのチラシを見て、亡父が遺したこのアパートの目の前がサーフスポットであることを知り、夫はサーフィンを始めた。
私は、かなり出遅れたが、ちょっとだけやってみるようになった。

SHOOTS
のトミーさんのお下がりだという中古の板を手に入れたとき、「なにかあるといけないから」と、ノートを差し出され、そこに電話番号を書いた記憶がある。
山も海も同じだ。
有事の際に、どこに連絡をしたらよいのか、連絡などやれることをやるのは仲間として当然のことである、という姿勢が、最初からとくに断りもなく、自然とあった。
その思いやりに感謝した。

思うに、SHOOTSのお二人というのは、とても確かな信念を持っていて、しかしそれはけっして頑なであるとか、頑固であるとかいうのではなく、信念はあくまでも本人たちの心のうちにあるもので、彼ら自身は、とても温和で、オープンマインドなのだ。
偉大なクライマー達と同じだ。

だから、明日の試合は楽しみだな。そんな二人に育てられた娘が、出るのだから、私たちも応援に行ってみようと思う。

2012年5月 9日 (水)

Hitsuji Project「山の本を読む会」のご案内

Hitsuji Projectのオリジナルイベント「山の本を読む会」の参加募集開始。
これは、互いに山の本、自然やアウトドアに関する本を持ち寄って、シェアしようという試み。

ちょっと堅苦しく感じるかもしれないが、そんなことはなく、自分の好きな本についてあーでもない、こーでもないと放談いただき、それについてフムフムフム、と聞けばいいだろうっていうラフな会なのだ。
そもそも本なんていうのは、それぞれの好みが強く出るものであって、そこにいいだの悪いだのってものは、なんらない。

しかし、私自身は、山に登るという行為と、文章で表すという行為は切っても切れない関係にあると思っていて、登山そのものが創造性ある行為なのだから、おのずとそこには芸術性があり、文章で表す場合にも表現、というものが含まれてくる、いいいやそれ以前に、登ること自体が表現なのだと思うのだ。
だから、山と本は切っても切れない関係。

6/20
のイベントの会場は、神田神保町にあるcafé+Flug。石井スポーツ神田登山本店の脇を入っていけば辿り着くのだ。
Flug
というドイツ語は、「
飛行」「空の旅」という意味があり、さらには「時間的経過」「飛翔」「思考的高揚」というような意味を持つ場合もある。
Flug450”と記して、“450便”とフライトを現すような使い方もする。
という、店名に由来して、美味しいドイツビールとドイツ料理が食べられる素敵なcafé
そして、なぜだか旅にでたくなるような雰囲気もある。

私は、今日から、「山の本を読む会」の日までに、参加者さん達が気にかかっている本をすべて読んでみよう、という無謀な計画を立ててみた。
参加申し込みの際に皆さんが書き込んできてくれる、「好きな山の本」や「山以外で好きな本や作家」について、そのなかで私が読んだことがないものは、この際だから、読んでみよう、みんなの世界をのぞいてみよう、という意気ごみだ。

しかし……果たして、そんなことができるかどうかは、わからない。

下記写真は、Hitsuji Projectの告知ブログに掲載したもの。
まさみん撮影の私のうしろすがた。数年前の晩夏、東北の山を縦走した際に、Hitsuji Projectの原型アイディアが、二人の間に浮かんだ。
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2012年5月 8日 (火)

子どもが描く、夏休みの山登り

午後から、渋谷にあるいつものサロンへ。
今日は取材。
このサロンを主宰する裕子さんは、MJリンクという女性向け登山サークルのイベントにいつも参加くださる方。
ではなぜ、私がこのサロンに通うようになったかというと、同じくMJリンクに参加してくださっている由果ちゃんが、力説して私に勧めてくれたから。

裕子さんを取材するのは、いま準備中の自著のため。
詳細は、自著の発売を待っていただきたいので、裕子さんのこともこのサロンのこともなかなかブログでは説明しづらいのだが。
今日は、彼女が宿泊を伴う登山に持参するスキンケアアイテムについて、ちょっとだけ写真を撮らせてもらってので、以下に掲載。

今日の取材でいちばん心に残ったのは、取材が終わった後に裕子さんが見せてくれたノート。
息子さんが数年間に渡って綴ったもので、その間の家族での登山について書いてある。
夏休みの宿題ということで、学校に提出したものだ。
初年は、木曽駒ヶ岳。しかし悪天で思うようにいかず、翌年もチャレンジ。
裕子さん親子のスゴイところは、ココ。
登れなかった、自分の満足いく登山ができなかった、となれば、翌年にも再チャレンジ。時間はかかっても、決して無理せず、一歩一歩積み重ねていくのだ。
3年目の去年は、唐松岳。しかしこの時も天候がいまいちで、展望もなかったため、この夏は唐松岳周辺で新たな計画を立てているようだ。

息子さんのノートは、年々専門用語も増え、また登山のプランニングに関して、確実な見解をもっていて驚く。というか、こちらが学ぶ点多々。
また、自然のいろんな小さな動きに関心を寄せていて、そんなことにも、こちらは心が引き寄せられる。

宝物のような、素晴らしいノートを見せてもらって、心があらわれる気分だった。

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2012年5月 7日 (月)

さっちゃんに会う

実家の帰り道。
家の前の小さな道から大通りに出てすぐに、歩道を歩いているさっちゃんを見かけた。
さっちゃんもすぐに私に気づいてくれたようで、手を振っていた。
すぐに車を停めて、おしゃべり。
近所に住む小学校のときからの幼馴染だ。
いまは、職場まで歩いて通っているのだという。

夕暮れどき、乾いた風が吹いていた。
そういえば、さっちゃんの誕生日は510日だった。あれ……それは幼稚園からの幼馴染のすーちゃんの誕生日で、さっちゃんは11日だったかな。
なんてことを、別れてから考えた。

さっちゃんの爽やかさは天下一品で、歳を重ねてもちっとも変らない。
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2012年5月 6日 (日)

カンヅメ終了

カンヅメになった甲斐あり、それなりに仕事は進んだ。
しかし、生活の立て直し(つまり部屋の掃除とか、後回しにしているいろんな家事とか)まで手はまわらず。
そして、お世話になった幾人かの方への手紙も、まだ書いておらず。

2012年5月 5日 (土)

内臓の冷え

夕方、漢方医の診察予約をしてあったので、都心へ。
家から最寄駅に歩いていく途中で、GW中であることをまざまざと思い知らされた。
地元のクルマや駅に用のあるクルマは優先できるよう、観光のクルマとレーンを分けたりと、お巡りさんが大勢出動していた。
駅も激混みでびっくりするほどだった。

今日診てもらった漢方医の方の話では、私の場合、内臓の冷えがあり、それが冬から春への季節の変わり目を上手に過ごせない一因なのではないかと。
冷えがどこからやってくるのか、ずっと不思議がっていたが、日ごろどんなスポーツをしているか話をしたところ、雪山やスキーが原因となっているのではないかという。
たしかに、気温は低いし、場合によってはそれでも汗ばみ薄着であったりする。
お腹周りや腰やお尻とか、胸のように脂肪の多いところは冷えが早い。
それが内蔵をも冷やすと。

下山後、温泉で体を温めたり、防寒着を着たり、温かいものを飲んだりしても、あまりにもそれを繰り返していると、冷えが進み、その冷えが春まで残っているのではないかということらしい。
うーん。そうなると、山ヤのほとんどは内蔵が冷えているのだろうか?

ともかく、いまからでも遅くないので、冷えをとる努力。

来月の学会のレジュメを仕上げ、たまっている事務仕事も片付いてきた。
明日1日で、原稿を2本書いて、部屋の掃除をして、自著のインタビュー依頼をして……ああ、やっぱり時間は足りないようだ。

2012年5月 4日 (金)

カンヅメ後半戦

複数の仕事を並行して進めているため、どれもが少しずつ前進しているものの、どれひとつとして完結できないまま、54日。
カンヅメ生活もあと2日間だ。

なにを隠そう今朝は寝坊をした。
そして、山岳部の後輩であるクリの電話で起こされた。しかしどうやら寝起きだということはさとられなかったようだ。
大町に住むクリは、「こっちは天気悪いよ。今日は晴れてきたけれど、また明日から降るんだってさ」と言っている。
クリの家からは後立山連峰がそれはそれは晴れ晴れと望むことができるのだけれど、今日はきっとどんよりしているんだろうなあ。

てっきり、私の山仲間がクリたちの講習会を受けにいったからその話かと思いきや、義母さんが買う登山道具の話だった。

「まあ無理しないで、仕事したほうがいいよ。働き過ぎはよくない。やめちまえ。身体を壊してはいけない」としきりに言う。
この数年、クリはこんなことをよく言うようになってきた。
「そりゃ、老眼にもなるだろうし、白髪も出てくるだろうよ」とまで。


夕方、『岳人』の付録冊子をほぼ完全な形にしてデザイナーさんに戻すことができた。
これで11日の下版には間に合うだろうか。
この連休は、デザイナーさんもイラストレーターさんも、休まず働いている。

冊子作りが終わったので、そろそろ仕事の軸足を自著に移していこう。

2012年5月 3日 (木)

モバイルサイト「ココロネ」

カンヅメ仕事も後半戦に入った。
今日は、あれやこれやと、山に登るお医者さんと電話をしながら調整。
今日は診察の日のようで、ピッチが鳴って途中で電話が切れたけれど、また連絡をもらって話の続き。

私が思わず、「山に登るお医者さん」と呼んでしまう彼ら彼女らとは、長年のお付き合いになる。
一緒に本を書かせてもらったり、私の記事を監修してもらったりしてきた。

今日は、仕事の話からそれて、野外救急法の話にまで。
近年、日本でも野外救急法(ウィルダネス・ファーストエイド)の講習を受けられる機会が増えてきた。
それによって、山岳ガイドのような登山の専門家のみならず、心ある一般登山者のなかにも、受講生が増えてきた。
日本でしっかり根を張って展開していくには、まだまだ解決しなければならないことが沢山あるのだけれど、それについて、今日電話で話をした医師の方は、とても積極的だった。
なんら壁を作らず、いろんなことを取り払って、いろんな立場の人たちが集まって話をしようよ、今後、どうやっていったらよいか、それぞれの専門性を出して話し合おうよ、とそういう機会を作ることに、とても好意的だった。

長年お付き合いいただくと、私も言いたいことを率直に話したり、また相手も、いろんなことを話してくれたりする。
その中でこっそりと、そっと、先輩の皆さんは智恵を授けてくれたりもする。
そんなお付き合いに感謝。

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月下旬のうすら寒い日に取材した高尾山の模様が、モバイルサイトの「ココロネ」にアップされたそう。
あの日はなんと、頂上直下で横殴りの雪にあうという寒さだった。モデルのお二人もびっくりされていた。
アクセス先は以下。
http://m2.mobcon.jp/ol/m.oaklawn.co.jp/cocorone/report/011_1.html?psid=1xiHNy4lYchV%2C2mBzi3Ft3

携帯電話orスマートフォンのみでご覧いただけます。パソコンからはアクセスできません。
426日公開
「#11 山登りビギナーでも楽しめる登山体験!「高尾山登山にチャレンジ!」
52日公開  
「#12 山登りビギナーでも楽しめる登山体験!「女子的登山の楽しみ方」

ライターでありコーディネーターである薮内加奈さんのおかげがあってできあがったページ。
ウエア提供はmont-bell

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近所のジョギングコース。芝生の上に散った、大島桜。


2012年5月 2日 (水)

実家へ

今日は途中、カンヅメ仮出所して、実家へ。
短時間での往復で済まそうとしたが、そうもいかず。
いったい、世の方々は、高齢の親の介護や面倒について、どのように時間を割いてやっているのか、知りたい。

なるようになれ、なるようにしかならない、と思う反面、血のつながった母娘ゆえ、スムーズに進まないことも。
しかし、今日はいい感じで、一歩前進。こんな日ばかりではないが、やっぱりなるようにしかならない。

とても手入れが行き届かない庭は、緑濃く雨に濡れていた。

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2012年5月 1日 (火)

カンヅメ3日目

カンヅメ3日目は、各方面営業日となったし、山の天気は思わしくないのでガイドさん達は下界に降りてきているし、何人かと電話やメールでお話。
そうか、そんなこと考え、自分で自分の方向性を打ち出し、仕事をしていたのか……と敬服したり。
最近のフリーランスライターや編プロのあり方に関して、ご意見いただくメールを受け取り、考え込んだり。

同業の女性からもらったメールには、仕事の苦悩が書かれていた。
この業界、思うよりもずっと女性が生きにくい社会なのかもしれない。
その先頭を歩んで、道を切り拓いていこうとしている友人が、どれほど辛い思いをしているのか。
苦労や努力が、やがて報われるのであれば(この社会のなかで誰かのためになるのであれば)、きっと迷わずにそれを続けるであろうが、彼女はそういう人だし。
けれど、それを受け入れ尊重できない社会環境こそが、いろんな可能性をつぶしているのだと思う。

いつも友人が言っているのは、分かり合える同性の仲間が少ないということだ。
たしかにそうかもしれない。それは孤独なこと。

どんな仕事だって、とくにフリーランサーでやっていれば孤独だと思うし、書くというのは孤独なことである。
しかし、その孤独な仕事のなかにあっても、互いを理解して力を貸しあえる相手がいれば、全力で孤独な世界に入って、仕事に没頭できるのだ。
私にとっても数少ない同性の同業仲間であり、職種こそ違っても、分かり合えたり励ましあえる部分があると思っているし、そういう友人がいるのは、幸せなことかもしれない。

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