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2011年7月

2011年7月31日 (日)

Adventure Divasのノルディックポール@斑尾 Day2

Adventure Divas2日目は、もっと長いトレイルに出て、どんどんノルディックポールを使いながら歩くことだった。
最初は湖畔を回ったり、比較的平坦なところを歩いたりで和気藹々だったけれど、ランチのあとは、登り坂も待っていた。
ペースは、早く、私の心拍は140150をキープしていた。普段の登山でどれぐらいの心拍数なのか正確にはわからないが、早いことは間違いない。
今回は、SUNTOの時計が全員にレンタルされており、個人データ(年齢、性別、体重)も入れてあるので、それぞれのファットバーニングゾーンや、適正なトレーニングゾーンがわかるようになっている。
周囲の人たちの話を聞いていると、180位の心拍数になっている人もいたようだ……スゴイ。

夕方まで歩いて歩いて、下りは走って走って、私の携帯電話についている機能によると、30キロ近く歩いたコトになった。
ホント、いい運動になった。

途中、スタッフの方々(ポーリンさん、ハリーさん、ノリミさん、カコさんら)や講師の琢也さんとチュウさんの話も聞くことができたし、楽しかった。
そして、ランチの時にいただいた、冷えたハーブティ、この味も忘れられない。

初めて参加は勇気がいったけれど、終わってみると楽しかったし、またノルディックポールという新しい扉が開けてよかった。
琢也さんとチュウさんの講習はとても意義があった。結局、ポールを押すタイミング、ポイントなのだということは、クロスカントリースキーに共通すると思うし、またこのポールの使い方は、登山にも応用できるはずだ。ペースを上げやすいので、心拍数を容易に上げることができて、よいトレーニングにもなる。
購入した高価なポールを使って、カコさんを見習い、買い物ノルディックに励み、冬のクロスカントリースキーシーズンに役立てたいと思う。

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2011年7月30日 (土)

Adventure Divasのノルディックポール@斑尾 Day1

Adventure Divasのノルディックポール合宿@斑尾へ。
目的は、ノルディックポールの使い方を覚えることによって、冬のクロカンのトレーニングに役立てること。そして、クロカンのトップ選手である琢也さんとちゅうさんに教えをこうこと。

ちょっと緊張しながらバスの待ち合わせ場所へ。
いつも、ノースフェイスのウィメンズ・マウンテンアカデミーに来てくれるナミヘイさんも一緒なのでちょっとだけ安心。
宿に着いたら、ポーリンさんがいた。実はポーリンさんとは初対面かもしれない、よく覚えていないけれどほとんど初対面。

その後雨の降る中、外へ。
ノルディックポールの基本的な使い方を教えてもらったあと、山のなかへ。
途中、「汚れてもいい人はこっちへ」ということで、沢へ下りていくコースへ進んでいった。
トレイルをぐんぐん走って下りる。私の足元のシューズは、ちーちゃんからもらったもの。
あの3.11の日、私はちーちゃんの家で彼女をインタビューしていたのだけれど、足元がサンダルだったため、彼女が「これを履いて帰ればいい」と差し出してくれたのだった。
お守りだな、ちっともぬかるんだ下りのトレイルを走ってもちっとも滑らない。

その後、トレイルから外れて草付きを下りていくと沢があり、そこのなかをじゃぶじゃぶと進んでいく。
すぐにもうひとつの「汚れちゃ困る」チームと合流。

夜はBBQCakoさんが作ってくれた美味しいお肉とサラダと、おにぎりにトウモロコシに。
みんなほとんどの人たちがDivasのリピーターだった。Divasは楽しくて、和気藹々していて、明るくて、すぐに友達ができて、オープンでまた来たくなっちゃうそうだ。
それは、ぽーりんさんの人柄そのものだな。

2011年7月29日 (金)

今月の仕事

いくつか、仕事の報告を。

   山と溪谷社のワンゲルガイドブックスというシリーズから、北アルプス北部・南部と2冊が出版されました。
それぞれに「ケガや病気、ピンチのときに」というコーナーがあり、執筆を担当。

このガイドブックは、単なるコースガイドだけでなく、それにまつわる歴史的話や読み物、周辺の情報もあったりして、読み応えがあります。
長く使いたいなあと思う、ガイドブック。

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   善養寺ススムさんの著作『ロープワークのすすめ』(エイ出版)に、インタビュー記事が掲載されました。

じつは、昔からボーラインが大の苦手。大学1年の富士山での雪上訓練合宿最終日、山頂からの下りで、主将の尚之さんとアンザイレンした。登りの時から山頂直下の風はものすごく強く、足元はブルーアイスで条件が悪かったのだ。その吹雪の中で……私は、ボーラインが1回ですんなりできず、焦りに焦った。これがトラウマだ。尚之さんが「ちぇっ」という顔をしていたのは、あの吹雪の中であっても、目出帽の下の表情であっても、よくわかった、というか当たり前だ。命に関わってくる。
そんな思い出は書かれていません。

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   NHK出版の『あなたもこれから山ガール』について、ビューティ以外のページ(またかよ…と皆さんお思いでしょうが)の執筆を担当。これは、8/1から始まるNHK教育テレビ番組のテキストにあたるもの。チャレンジホビーのシリーズで、講師は、登山ガイドの橋谷晃さん。チャレンジャーは女優の村井美樹さん。
この仕事で、橋谷さんには本当に久しぶりにお会いした。美樹さんとご一緒したのは(もちろん)初めてであり、一度だけ山でのロケをご一緒した。

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2011年7月28日 (木)

テントハイキングの会、開催!

昨晩に引き続き、今日もモンベルクラブ渋谷店へ。
ウェックトレックさんが企画してくれたヨセミテツアーの宣伝もかねて、テント山行のいろは説明会を行なった。
ヨセミテについては、ウェックの中島さんが熱弁。あんまりにマニアックな発言もあったのだけれど、参加の皆さんの受けはよく、話はどんどんマニアックな方向へ。
このまま、スピードクライミングとは何ぞやとか、ノーズの歴史とか、はたまたイヴォン・シュイナード、ロイヤル・ロビンス、トム・フロストの時代の話にまでさかのぼるんじゃないかと思うほどだった。

参加してくださったのは少人数だったけれど、実は私はこれぐらいの規模が好き。
和気藹々できることと、コミュニケーションがとりやすいこと、短時間の出会いであっても、ひとりひとりの顔を覚えることができることが理由だ。

ウェックさんからのサービスで、モンベルクラブ渋谷店の地下にあるスパイス・マジックから、ラッシーとパウンドケーキも運ばれてきた。
私は柚子ラッシーを頼んだのだけれど、これが美味しかったわ。

会のあとは、ウェックのスタッフの方々と夕食。そして、帰宅。

「初めてのテントハイキング for 山ガール」開催!

緊急告知です!

728日に渋谷にて、山ガール対象に「キャンピング」「バックパッキング」、そして「ヨセミテ」!をキーワードとしたNightを開催します。
いつも日帰りじゃオモシロくない! あるいは山小屋泊りからもう一歩すすんでみませんか。テントに泊まって山に登るのです。
この夏、テント泊りを考えている方々に、安全で正しいテントの張り方、テント生活のあれこれをお伝えします。
もちろん、この夏じゃなくて、ちょっと先にやってみたいとか、漠然と憧れているなんて方もOKです!

また、9月に予定しているヨセミテツアーに合わせて、ヨセミテがどんなところなのかもご紹介します!

ヨセミテツアーを検討中の方も、またヨセミテは考えていないけれど、テントには興味があるっていう方も、皆さんいらっしゃってください。

概要は下記の通りです!参加費無料。

☆日時
7
28日(木曜日)
18
30~ Door Open 1900~ Start
20
30頃 Close

☆場所
モンベルクラブ渋谷店
http://store.montbell.jp/search/shopinfo/?shop_no=618851

☆参加スタッフ
稲村道子(㈱ウェック・トレック)、柏澄子

☆申し込み
稲村道子 (miko@everest.co.jp
または 03-3437-8848 まで)
※当日飛び入り参加歓迎です!が……ご予定がお決まりであれば、ぜひご一報を!

☆関連ページ

http://www.everest.co.jp/tour_special.html
http://www.everest.co.jp/images/pdf/20110916%20yosemite.pdf
 http://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=1298

※ヨセミテツアーは、9月のシルバーウィークに実施。有給を5日間とっていただくと! つながります。

モンベルクラブ渋谷店には、登山用品全般が揃っています(テントもコンロも、もちろん!)。会のあとにはお買いものもできます!
地下のカフェでお茶やお食事も。
お時間のある方、ぜひいらっしゃってください。

2011年7月27日 (水)

MJリンク夏山MTG

夜、MJリンクの机上講習会へ。
今回は主にジッキーが担当することにして、私はそれへの布石部分をレクチャーするにすぎなかった。
のだけれど……パワポが壊れてしまい、ファイルが壊れてしまい、準備したイラストや写真、グラフなどを満足にお見せすることができず、なかなかわかりづらい説明となってしまった。
本当に申し訳ない。

その後、ジッキーと反省会。
そのまたあとに、MJリンクのネパール参加者たちに誘われて飲み会へ。
いくと、この日に誕生日であるワタコさんと、25日に誕生日だった私のお祝いをしてくださった。
寄せ書きのカードもいただいた。ありがとう!

*写真にあるろうそくの「5」は、45歳になったという意味ではなく、誕生日が25日だから。歳は、44歳になった。22歳になった時に、山岳部の後輩のクリから、「ぞろ目、ぞろ目」と言われ続けたけれど(その彼とは昨日梓川沿いで会ったばかりだけれど)、まさか44歳にもなるとは、その頃は思い描くこともできなかった。

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2011年7月26日 (火)

『氷壁』取材 涸沢から下山

明け方から雨脚が激しくなり、雨が山小屋の屋根を打つ音が布団の中でもはっきりと聞き取れていた。
こんなとき、ふて寝のようにずっと寝込むことを決めいるカメラマンもいれば、そわそわと出かけていく人もいる。
私は、外がうすら明るくなってきたころに布団を出た。

雨が上がるような、しかし決して天気はいい方向へは向かっていないので、期待できないような。
ともかく、いまのわがチームの持ちうる装備を考えると、雨に濡れながら山を歩くわけにはいかなかった。
だから、なるべく早い時間に下山したい。

孝さんに相談すると、奥穂へ向かうコースのお花畑あたりまで行って来たらどうかと。
言葉通り行ってみて、晴れ間を待つと、ほんの少しだけ前穂北尾根が顔を出した。

その後、涸沢小屋へご挨拶へ。
じつは仕事で伺ったことはなく、きちんと話をしたこともなかった。
いつも、北穂からの下山の時は、北穂のスタッフに紛れ込んで、後ろの方で突っ立っていたし。
先方は私のことを知ってくれていて、「また来るでしょう」と言ってくださった。
ひょっとしたら、涸沢にテントを張るたびに、ここバルコニーに来てビールを飲みながら北尾根を眺めていることや、北穂に登る前に立ち寄っては、おはぎを食べていたことは、バレテイタかもしれない。

その後再び、孝さんとお話を。
孝さんは、大学の先輩であるが、私が学生の頃にはすでに涸沢ヒュッテで働いていらっしゃった。部はお隣のスキー部出身。
それゆえ、私たちは、涸沢で合宿をするときは、まずは大学山岳部の先輩である横尾山荘の直さんに挨拶をし、その後涸沢に入ったら、孝さんに挨拶に行くのが習わしになっていた。
それは当然のことである。万が一事故を起こしてしまったときに、いちばん迷惑をかけ、いちばん面倒を見てくれるのは現場にいる先輩達であるのだということや、誰よりも穂高のことをよく知っているのだから、いろいろ教えてもらうようにと、いつも先輩から言われていた。
入山の日にだいたい主将が一升瓶をもって、孝さんのところへ挨拶へ行くと、それ以上の酒をもらって帰ってきたものだった。
しかし、合宿中にそんな酒を飲むわけもなく、飲めるほど体力が残っているわけもないので、殆ど下界に持ち帰っていたように記憶している。

孝さんは、懐かしい山小屋の昔話もしてくれた。
昔は、食材を荷揚げするだけで大変だったから、米1合は登山者がそれぞれ持参したこととか。
また、涸沢団地と呼ばれるほどのテント村ができていたことも。私もそれは経験がある。
ひと夏いるんじゃないか、と思われるようなテントもあったし、社会人山岳会のテントは、メンバーが入れ代わり立ち代わり入山していたと思う。

私たちもそこそこ長くいるほうだったので、合宿も後半になると食糧事情が悪くなってくる。
だから、下山するテントを見つけては、先輩から「声をかけてこい」と言われるのだ。余っている食糧をもらうため。
私の同期の男子部員が、のこのこ出かけて行って、軍手しかもらって来れなかったときは、先輩達はシラーっとしていた。
孝さんは、「柏さんは唯一の女子部員だったから、よくそういう役目が回ってきたでしょう」と言われた。確かに。

そんな懐かしい話をしてから、下山。
横尾で再び直さんに会って話をして、それから上高地へ向かおうとしたら、向こうからクリが歩いてきた。
穂高での登山も、なにもかも、大学時代にいちばん一緒に登ったひとつ年下の後輩だ。
梓川を測量中(仕事中)だという。

その後も、明神のあたりでは、ともこさんに会った。
ともこさんとはすっごく久し振りで、本当に会いたかったから嬉しかった。
松本の家に遊びにおいでよと、何度も言ってくれた。

今回も、何人も知っている人に会った。時系列にいくと、
カモシカスポーツの澤田さんと笹原さんとは、すれ違っただけで話はできなかったが、その後は山の先輩のしーさんとミヤサカさん、ガイドの次田さん、そしてクリにともこさんご一家。
同行の編集者に知っている人だらけですねと言われたけれど、これほどの銀座通りであれば、こんな仕事をしていると、知っている人には必ずと言ってよいほど会う。

最後に、ウェストン碑を見学した。
ワタシのからだは、長年の習慣で上高地バスターミナルがやってくるとスイッチが切れるようになっている。しかし、今回はターミナルに着くや否や、ウェストン碑の取材が残っていることが判明。これが、意外と遠いんだよな。

碑の取材が終わった時には、バスターミナルに戻る気にもなれず、タクシーを呼ぼうということになった。
と・・・そこに、クリの乗った許可車両が通過。
思いっきり立ち上がってヒッチハイクサインを出したのに、悔しいほどの笑顔で手を振り去って行った。昔から、そーいうヤツだった。くっ。


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3日の『氷壁』取材は、終了。
ところで、井上靖はなぜ、この小説を書いたのだろうか。

ナイロンザイル事件の資料を手渡されてはいたが、それよりもむしろ、彼にとってそれまでに一度しか登ったことがなかった山が前穂高岳であり、その時の印象が強く、それによって登山を描いてみたいと思ったことの方が強かったと、本人は書いている。
たしかにそうだろう。しかし、自分が『氷壁』を書くことで、社会がナイロンザイル事件に注目することもわかっていたはずだ。
また、たった一回の登山で、登山の陰と陽をつかみ、それを咀嚼し表現したことには、本当に感嘆だ。小説家というのはスゴイと思ったし、井上靖というのは、やっぱり才能のある小説家だったのだろう。

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2011年7月25日 (月)

『氷壁』取材 涸沢へ

朝、曇り。雲の隙間から前穂が顔を出さないかと、カメラマンと編集者は梓川沿いへ撮影へ行った。
私は、新村橋から仰ぐ前穂が好きで、新村へ行った。
朝食後、ゆっくりと出発。

横尾で、直さんにご挨拶。
当然、麻ザイルとは全く違う世代であるけれど、奥又白や下又や屏風岩を精力的に登ってきた彼と話をしているうちに、いくつかのヒントをもらった。
さらには、涸沢ヒュッテの孝さんに、電話までしておいてくれた。
今回の取材アポは編集部に任せてあり、私は事前に直さんにも孝さんにもご挨拶していなかったのだ。

ところで、直さんは山書のオニである、と私は思っている。彼と山書の話をすると、いつも何かしら、きらりと光るエピソードを聞くことができたり、直さんがいかに山書が好きなのか伺い知ることができたりするのだ。
学生時代は、なんとなくコワイ先輩で、横尾に立ち寄っても、あんまり言葉を交わすこともなかったけれど、こうやって私が少しだけ大人になったら、いろんな話ができるようになって、私はとても嬉しい。

横尾にアルバイトに来る若者たちに、少なくともこれぐらいは読んだらよい、と山書のリストを挙げるそうだ。
いったいどんなラインナップなのか知りたくて尋ねると、「とんでもない」と謙遜して教えてくださらなかった。

横尾を出て、涸沢までの途次。私は定点撮影をしている個所がふたつある。
ひとつ目は誰にも言っていないが、ふたつ目は、ナベさんに教わったところだ。ナベさんがいつもそこの岩に登って、北穂高岳を定点撮影しており、それを真似しているだけだ。
展望があろうとなかろうと、必ず撮影するので、今日も横位置と縦位置で1枚ずつ撮った。

本谷橋を過ぎて登って行く最中、雨が降ってきた。カッパを脱いだり着たり。
最後は雪渓を上を歩きながら、涸沢ヒュッテへ。

涸沢に取材で来るのは久しぶりだ。個人的に泊まるときはいつもテントなので、ヒュッテに泊まるのは本当に久しぶりで、おそらく、10数年前のゴールデンウィークに北穂から奥穂へ縦走する取材に、宇佐美栄一さんと来たとき以来だと思った。
宇佐美さんも死んじゃった。私は今日で44歳になるけれど、宇佐美さんはずっと若いままだと思うと、なんだか寂しくなった。

テラスでビールを飲んで、孝さんにご挨拶。
夜は、孝さんから井上靖の話を聞いた。
井上靖は、『氷壁』を書き上げたあとも、頻繁に秋の涸沢に通っていたという。だから、徳澤園だけでなく、横尾や涸沢も、井上靖とゆかりが深い。
涸沢の紅葉を愛でたあとは、必ずパノラマコースで帰ったというから、その途中できっと、ケルンを参っていたのだろう。

『氷壁』という小説を扱う記事ではあるが、ナイロンザイル事件を軽視することはできない。
ナイロンザイル事件というのは、遭難ではなく、「事件」と記されるものである。

考えれば考えるほど、どんな記事にしていいのかわからなくなり、カメラマンの遠藤さんと話をする。
その中で、遠藤さんから大きなヒントをもらった。歳を重ねてきた人というのは、思慮深く、理解が深いと改めて先輩を尊敬した。

いちばん下の写真は、関西からひとりでいらっしゃった女性が描いてくださった私たち取材チーム3人の姿。
話を聞くに、かなり山に歩きなれている様子。今回は後立山連峰へ行く予定が、天気がいまひとつはっきりしないので、約束していた友達はキャンセルになり、ひとりで通いなれた涸沢へ来たという。
明日は、これまた通いなれた北穂高岳へ登りたいと。北穂高小屋の大ファンの方でいらっしゃった。
私が書いた、北穂高小屋物語の連載記事を送る約束をした。

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2011年7月24日 (日)

『氷壁の取材』上高地→徳沢

大正池でタクシーを降りて歩き始めた。
積雪期に釜トンネルから歩くことはあっても、雪のない時期に大正池などを周遊したことは全くなく、初めての経験。
遊歩道のあちこちで撮影をしながら、河童橋へ。
それからは通いなれた、それこそ何度歩いたかはとても数えられない道を進む。

出発して間もなく、小梨平のキャンプ場で、美味しそうなものを食べている高年の男性グループに声をかけた。
色んな話をしているうちに、なんと彼らが、私の母校千葉女子高校のお隣である千葉東高校の山岳部のOBたちであることがわかった。

「私は、千葉女子の山岳部ですよ」と言うと、彼らも大喜び。
「じゃあ、○○さんは知っているでしょう」と。当時、ヒマラヤ登山に傾倒していた彼女と、彼らは同世代だ。残念ながら私はお名前しか知らず、お会いしたことはない。
そんな話をしていると、次は「△△さんは知らない?」と。いや……知りませんと細い声で答えると、彼らのアイドルだったそう。だから、いまどうしているか、連絡先を知りたいというのだ。
私にはとてもわからない。

彼らが高校を出て大学に進学して山登りを続けたころ、まだ麻のザイルもあり、麻ザイルも使って冬の西穂から奥穂の稜線を歩いたという。
井上靖が『氷壁』を新聞連載していたのは、1956年から57年であるが、その連載をリアルタイムで読んでいたのが、彼らの世代だ。

思いがけない出会いがあった。

途中、明神で嘉門次小屋へもより、明神池も見学。実は、これも初めて。有料ゲートの先には入ったことがないのだ。
その後、本日の宿、徳澤園へ。

時間もあるので、今日中に、氷壁のモチーフとなったナイロンザイル事件のケルンがあるところまで行くことにした。
奥又白池へ上がる道の途中にある。ずっと前の夏に登ったことがあるけれど、当時の記憶は、ともかく蒸し暑いところだったこと。
しかし空身のせいか(奥又白池をベースとするためにクライミングギアを背負っているわけではないから)、ケルンはそう遠くないところにあった。
歩きやすい道で、あっという間だった。
前穂高岳東壁を登攀中にナイロンザイルが切れて、死亡した彼は、ここで荼毘にふされたのだという。
それを説明するプレートもあった。

前穂のいい写真が撮れるかもしれないからと、もう少し登ることにした。奥又白池とパノラマコースの分岐からは、松高ルンゼがよく見えた。
パノラマコースは、今日の時点では閉鎖されているが、涸沢小屋のスタッフの方々が草刈や道整備のためにやってきていた。
午後遅い時間だったけれど、いまから小屋に戻るという。きっとあっという間に帰っていくのだろうなあ。
パノラマコースは、涸沢小屋と涸沢ヒュッテが共同で整備をしているのだそう。

宿に戻ったあと、ご主人の話を聞いた。
井上靖との思い出、井上靖がのちに氷壁の宿と呼ばれるようになった徳澤園に滞在していた時の様子など。

話のあと、バルコニーに出ると、雲がちょうど切れてきて、前穂高岳が見えてきた。
タヌキ岩もくっきりと見えた。

今回の取材は、一般誌『男の隠れ家』に掲載するのもで、小説を舞台とした山をテーマにしている。
私たちは、徳沢と涸沢に宿泊し、井上靖の『氷壁』にまつわる記事を作ることになっている。

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2011年7月23日 (土)

沢渡へ

この夏最高に楽しみにしていた、チベット人の子どもたちとのキャンプは、スケジュールなどの都合により延期になった。
次回こそ、自然の中でみんなに会って、一緒にキャンプしたり、野山を歩いたり、お絵かきしたりしたい。

今日は日中に仕事を終わらせ、夕方から取材の山行のためのパッキング。
シャワーを浴びたあとは、編集者に車でピックアップしてもらうだけ。
初めてお会いする編集のカドカワさんと一緒に、これまた初めてご一緒するカメラマンのエンドウさんのお宅へ向かう。

今夜は沢渡の駐車場まで。
車中泊する前に、足湯に入って、一杯。
遠藤さんは、40数年前に上高地の西糸屋さんでアルバイトをしていたという。
そうなれば、話はあうあうあう。
まあ、私が初めて上高地へ行ったのは高校山岳部の時なので、いまから25余年前。
なので、ちょっと言い過ぎではあるけれど、けれどそれでも懐かしく、いろんな山登りの話をした。

写真は、後日取材中に撮らせてもらった、遠藤さんの所持品。
代々木にあった山幸のザックには、畦地梅太郎デザインのロゴワッペンがついている。
そして、なんとも感激したのは、遠藤さんが念のために持ってきたというアイゼン。

大学山岳部の先輩のなかでも、私が大好きだった故酒井さんが勤めていたニュートップの品だった。
チタンジョイントのピンク色のアイゼンは、なんとも斬新で、オサレでした。

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2011年7月22日 (金)

名古屋へインタビュー

名古屋へインタビューに向かう。
初めてお会いする方。
引き締まった体と日焼けした顔が、山ヤさんであることの証明。
立ち姿から、バランスのよさと身体能力の高さがうかがえるほど、クライマーであることの証明。
悲しみのどん底にあっただろうに、ほんとうにいろんな話をしてくださった。
心から感謝。

とんぼ返りで、東京へ戻る。

2011年7月21日 (木)

さよなら、茗溪堂

朝起きて、温泉へ。昨日からいったい何度入っているのかわからないが、ともかくいいお湯だ。
さすが、ハネヤン先輩が通うだけある。
ぬるいお湯なのでじっくり入って、そのままお湯のなかで気絶したいぐらいだ。

朝食を食べてから、また布団の上で気絶。これができるのが温泉宿の醍醐味というモノだろう。
と……いいながらも、一応、八海山を登るか、と言っていた私たちなので、ロープウェイへ向かう。
けれど、どうにもこうにも、この暑さでは登る気にもならない。第一、二度寝が原因で出発が遅すぎた。

かわりに、鈴木牧之記念館を見学した。
『北越雪譜』もさることながら、十返舎一九の勧めで書いた『秋山紀行』についても、詳しい展示があった。

帰りも同様、谷川岳で大きく天気が変わった。上越道を走っていると谷川岳の向こうは暗澹たる雲があり、それがこちらに向かって流れ込んでいる。
新潟では35℃以上あった気温が、谷川岳を越えると、19℃になってしまった。
途中、ツィッターを見ていたら知人のつぶやきで、本日で茗溪堂が閉店であることを知った。
どうしようかと、運転席の夫と話したけれど、ともかく、新宿での用事は後回しにして、茗溪堂へ向かおうということになった。

所持金が心もとない。こんな心もとないまま、最後の日には行くことはできないので、セブンイレブンでおろしてから、滑り込みセーフ、閉店30分前に到着した。
馴染みの編集者の方がいらっしゃり、そして山書の装丁家といえば、彼であろう方も「いま、ヤマケイで聞いてきたよ、会議を抜け出してきた」と息を切らしていらっしゃった。

ほかにも長年のファンだという愛読者たちが。
夫が、最近我が家の本棚からなぜか消えたと言い張る小西政継さんの『マッターホルン北壁』と『グランドジョラス北壁』、それから『石岡繁雄が語る氷壁・ナイロンザイル事件の真実』、そしてかねてからほしかった『ヒマラヤへの挑戦』1.2.43巻は在庫がなかった)を購入。
北穂高小屋ともゆかり深い足立源一郎先生の絵画は、じっと眺めいるだけ。

店主さんが、私の店内での行動をご覧になっていたようで、畦地梅太郎のファンと気づき、古いカレンダーをくださった。
思い出たくさんの茗溪堂のブックカバーもたくさんくださった。

店を出たあと、夫は「学生時代からずっと通っています、と言い忘れた」、と言った。学生時代から、およそ25年、私もずっと通った。
けれど、そんな人、ごまんといるよ。私も、どれだけお世話になったか、どれだけいい思いをさせてもらったか、どれだけ思い出深いか、店主さんに話したかったけれど、私ごときが話しても始まらないし、きっと茗溪堂に通った人はみんな、私みたいな人たちだと思うので、なにも口にすることはできなかった。

いつか再開するとおっしゃっていたけれど、しばらく寂しくなるなあ。

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2011年7月20日 (水)

栃尾又温泉

やっととれた2連休。長野方面へクライミングへ行く予定だったけれど、台風のため行先を大きく変更。
関越道を走って新潟へ向かった。これは成功。谷川岳を越えると、みるみる青空になった。青空どころか、フェーン現象で気温もみるみる上昇。
クルマについている温度計は、36℃、ついには38℃を指した。外を歩いている人なんて、誰もおらず、空気がゆらゆらと陽炎をたてている。

行先は、同業のハネヤン先輩の御用達である栃尾又温泉自在館。
ぬるいお湯で本当にいいお湯だった。お湯から出たあと、再び『氷壁』を読み直すが、寝てしまった。
夕食を食べて、そのあとも眠くて眠くて、ともかく寝てしまった。

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ヨセミテのバックパンキングお誘い!締切延長、申し込み受け付けます☆

山が大好きな女性たちを対象に、
9/15
(木)~9/24(土)に、アメリカのヨセミテ国立公園(ヨセミテ渓谷とトォロミメドー)でキャンプしてハイキング!をする、という企画を作りました!

クライマーにとっては聖地であるヨセミテには、実は素敵なトレイルもたくさんあります。
10年前に初めて訪れたとき、あんまりにも楽しいトレイルに魅せられ、私はクライミングの前とクライミングのあとと、毎日のようにハイキングしていました。
今回は、そういったトレイルを、ウエック・トレックの稲村みこさん、それからローカルのガイドさんと3人でご案内します。

みこさんは、世界各地でバックパッキングをしてきたつわものです。
実は私たちには、ヨセミテでのバックパッキング以上の野望がありまして……まずは、第1回の今回は、初めての海外バックパッキングでもなじみやすいヨセミテを選びました。

最初の1泊のキャンプは、トゥオロミメドーであらかじめ設置してあるテント泊。次からは、ヨセミテバレーに入り、本格的テント泊です。
クッキングも楽しんじゃいます。

キャンプも山歩きも、日本だけじゃない。
海外にも素敵なところはたくさんあります。
これから、そんなところをひとつひとつ訪れてみませんか。

ヨセミテでの山の満喫したあとは、アウトドア都市サンフランシスコによって、マウンテンショップ巡りをします。
その代表格REIでは、SAのアウトドア事情についてレクチャーしてもらう予定です。これも、SAREIでストアマネージャーをしている、親しい友人であるKazの協力を得て、実現できそうです。SAには、REI以外にも大きなメーカーの直営店、また小ぶりながら充実したプロショップなど多数ありますので選りすぐりのコースで回ってみましょう。
さらにはワイナリーにもいっちゃおうというよくばり「山ガール」企画です。 

お値段は、しめて385,000円! 申し込み+問い合わせ:㈱ウェックトレック・稲村道子(03-3437-8848



祝日もありますので、有給を5日間ほどとっていただくと、上記の休みがつながります。今年の夏休みは、ぜひこれに!
どうぞどうぞ、みなさん、いらっしゃってください。 

関連ページは以下。ご参照ください。
http://www.everest.co.jp/tour_special.html
http://www.everest.co.jp/images/pdf/20110916%20yosemite.pdf
http://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=1298

なお、下記の写真は、㈱ウエック・トレックさんから提供いただきました。

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2011年7月19日 (火)

『氷壁』

机仕事の1日。
来週に控えている取材に合わせて、久しぶりに井上靖の『氷壁』を読み直している。
思い起こすに、『氷壁』は、私が生まれて初めて読んだ山岳小説ではなかっただろうか。
『孤高の人』よりも早く読んだと記憶している。『孤高の人』のあとは、無論『栄光の岩壁』『銀嶺の人』と続き、その後しばらく、新田次郎を読み漁った。
高校生になって山岳部に入ったときのことであり、だから、私にとって『氷壁』の表紙は、これ(写真)である。題字は、棟方志功だ。

仕事上、オトコ目線で読む気合だったのだけれど、いつのまにか男も女もなく、自分目線。
およそ20年ぶり、たぶん34回目に読んで、やっと私はいろんなことが分かった気がした。

日本山岳会の年報『山岳』が届いた。
尊敬する山本一夫先生が、尊敬する故柳澤昭夫先生の追悼文を書いていた。
とても心にしみた。そして、柳澤先生が教えてくれたことは、やっぱり「防御」だったんだと、改めて思った。
自分の身を防御すること。教えられることは、これしかないのかもしれない。

今宵のツール・ド・フランス観戦のお供は、ヤマミチさんのパリ土産の色も味も美しい白ワインと、玄さんからの差し入れのチョコをパンにつけて。

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2011年7月18日 (月)

めざせ!素敵な山オンナ!

なでしこの試合を見届けられずに、出発。
今日は、高尾山山頂にある高尾ビジターセンター主催のワークショップの日。
高尾ビジターセンターで女性登山者向けの講座をやらせてもらうのは、3度目5年ぶり!
センターに、女性登山者向けのイベントに熱心なベニさんというスタッフがいらっしゃることが、企画立ち上げの原動力。

今回のタイトルは、「めざせ!素敵な山オンナ!」というもの。
お集まりいただいた参加者の皆さんは、すでに素敵な山オンナ達でいらっしゃいました。
まだ登山を始めたばかりの方や、昔登っていた方とか、いろいろな経験ではありましたが、それぞれのスタンスやアプローチで、山登りを楽しんでいらっしゃるよう。

午前中はセンター内で、ワークショップをし、午後から山を少し歩いて、フィールドでワークショップの続き。
そして、解散後希望者を募って、ふもとのお蕎麦屋さんへ。

お蕎麦にビールに、蕎麦焼酎に甘味にと、みんな思い思いのものを食べながら、それぞれの山登りの話をしていらっしゃった。

ほかのイベントや講習、ガイディングでも同じことであるが、このように、参加者の方々の素顔に触れることができたり、それぞれが歩んできた山登りの経験、大げさかもしれないけれどもっといえば、彼女たちのそれぞれの人生に触れることができたとき、私はとても幸せ者だと感じる。
今日も、私より年上の方々が多く、中には、私が生まれた頃から登山を続けていらっしゃる方もいた。
学ぶことばかり。

写真は、往路に使った4号路のつり橋付近。
タマアジサイは、まだ硬い蕾だった。


ところでまったく違う話。
今日、なでしこが世界一になり、その時に外国にいた日本人たちは、いろんな待遇を受けたよう。
サンフランシスコのカズは、バーで地元アメリカ人たちからビールをおごってもらったり、祝福の言葉をかけてもらったり、そこにフェアプレー精神を感じた様子。
ツェルマットのバーにいたヒトミさんは、国際山岳ガイドの謙司さんが、各国の人たちにお酒をふるまっている様子をツィートしていた。
さすが、謙司さんだなあと思った。彼が毎夏を過ごすスイスアルプスの地で、自国の優勝を祝福してくれた外国の人たちに、感謝の気持ちでお酒をふるまうなんて、なんだかかっこいい。
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2011年7月17日 (日)

かつおのたたき

今月は、自宅で夕ご飯が食べられるのが、1/3程度。
外食は続くと疲れてしまうので、1/3は必ずしっかり夕ご飯を作ろうと決意。
今晩は、一昨日に続いて、高知で買ってきたかつおのたたき。

かつおのたたきの復習。
1)玉ねぎ、茗荷、しょうが、にんにく、シソの葉、大根の千切り、わかめなど薬味はたっぷり。
必須の薬味は玉ねぎ、にんにくとみた。ポン酢で美味しくいただく。

2)最近のはやりは、塩で食べること。それにもにんにくはつける。かつおの味がダイレクトに伝わってきて、ワイルドな味わい。

そして、モリさんに教わった食べ方。
3)しょうゆと辛子
これは、江戸流だそうだ。これもなかなかいけるなあ。粋な味がする。

どれも、合わせるべき酒は、土佐鶴か司牡丹か桂月か。

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2011年7月16日 (土)

日光の山と湿原へ

9月のF山岳会月例山行の下見へ。
日光駅で、会の先輩のKさんと待ち合わせ。
中禅寺湖のちょっと北にある高山に登り、小田代ヶ原を通って戦場ヶ原へ。
原生林の山あり、湖からのさわやかな風が通る尾根道あり、湿原あり、湯川の流れあり、男体山などの展望あり。
変化に富んで、楽しいコースだった。
はたして、9月は会員の皆さんに満足いただけるだろうか。

いくつかコース上に注意すべき点もあり、Kさんと確認。

再び日光駅へ戻る。
東武線で帰るというKさんとはお別れし、私はJR線へ。
わずかな待ち時間のあいだ、駅前の温泉で烏の行水。

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2011年7月15日 (金)

『山と溪谷』8月号

『山と溪谷』に連載中の「登山に活かすウィルダネス・ファーストエイド」の第3回は、、ウィルダネス・プロトコルについて。
ウィルダネスでのみ約束された、手当てについて書いてある。
しかし、これを講習しているWMAはアメリカの団体。日本の法律には則していないので、気をつけなければならない。
つまり、医療行為が含まれており、一般の私たちが施すことは、法律上のバックアップはないし、それよりもなによりも、いろんなリスクが含まれている。

ウィルダネス・プロトコルとは、傷病者の生命の危機が迫っているときや、あるいは重篤な後遺症を残しかねないという非常にシリアスなときに繰り出すものである。
それゆえに、手当ては難しいし、とても専門的であるし、万が一失敗したときの痛手は大きい。

法律に則していなくて、とても一般の私たちができるとは思えないほどリスキーな手当てについて、ではなぜ、私たちは講習で習う必要があったのだろうか。

それには二つの理由があると、私は思っている。
ひとつは、ウィルダネス・プロトコルで扱われている傷病について、そのメカニズムを知ることができるからだ。
目前のパートナーは生命の危機にある、重篤な後遺症の危機にある、その時彼彼女のからだのなかでなにが起こっているのか、たとえ手の施しようがない場合であっても、理解しているのとしていないのでは大きな違いがあるはずだ。さまざまな、判断に影響してくるはずだ。

そしてもうひとつの理由は、たとえ法律に保護されていなくとも、目の前で友人が生死の危機にあるときに、どうにも医療機関の助けが得られないとわかっているときに、ほんとうに最後の最後に、自分がこの切り札を出すか出さないか判断する、決断するための力となるからだと思う。

だから、これらは、専門機関からトレーニングを受けて初めてかじることができる内容(身に着くとは簡単には言えない)ものであり、雑誌記事を読んでマスターしたと思われては困る。
また、救急車がやってくるキャンプ場で使うものではなく、ほんとうのウィルダネス、リモートエリア、あるいはどうにも救助隊が到着できない状況、医療機関に搬送できない状況の時の選択肢であることを、忘れてはならない。

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2011年7月14日 (木)

高尾山へ打ち合わせ

18日に予定しているワークショップの打ち合わせのため、高尾山山頂にあるビジターセンターへ。
本を読んでいたら、電車を乗り過ごし、ちょっと遅れて山麓到着。そばを食べて出発。
センターが送ってきてくださっていたケーブルカーのチケットを使い、1号路で山頂へ。
約束の時間よりも早く到着したので、隣の売店でかき氷を買って食す。


センター内で打ち合わせをしたあと、18日に使いたいフィールドを確認。

その後再びセンターに戻り打ち合わせ。
センター勤務のある女性は、蛇がとてもお好きだそうだ。
私は、蛇とはどうやってコミュニケーションを採ってよいかわからず、相手が何を考えているのかわからず、どうにも苦手。
高尾山には8種類もの蛇が棲んでいて、そのすべてが東京都のレッドデータブックに載っているのだそうだ。

下山は、3号路を使うことにした。
高尾山は薬王院のある尾根を隔てて西側の3号路は常緑樹が多く、季節を通じて緑が濃い。反対の東側にある4号路は落葉樹が多いのだ。
当日、山頂で解散したあと、希望者たちと一緒に3号路を歩いて下山することになっているので、久しぶりに歩いてみたが、ところどころ道幅が狭いところがあり、万が一踏み外すとかなり急な斜面となるので注意が必要なことがわかった。

帰宅後夜、ネットを見ていたら、四川省のダルツェンド・カンディン(康定)に入ると、外国人の姿がなくなるのだと、最近訪れた日本人のブログに書いてあった。
成都からラサへと続く街道では、二郎山を越えるとチベット文化圏である。
つまり、二郎山の先の最初の街、カンディン以西には外国人を入れないようにしているのだろう。
規制もここまで来たか。

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2011年7月13日 (水)

モンベル展示会、ヤマミチさん山ガールに

朝イチからモンベルの展示会へ。
国内で行われる登山メーカーの展示会のなかでも最大級の規模のため、まともに全部見ていたら1日あっても足りないボリューム。
事前情報を仕入れて、的を絞って回らせてもらった。
雨具、ザックに興味深い商品あり。

途中、辰野会長による被災地支援の報告があった。
これほど、モンベルの仕事をさせてもらい、お世話になっていながら、辰野会長のスピーチを聞くのは、実は初めてかもしれない。
パーティでの短いご挨拶などは聞いたことがあるが、彼のトークショーのようなものには行ったことがなかった。
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当日からのこと、その後の長期的視野に基づいた支援、商品の開発などについて聞いた。

いまさら私ごときがいうことはでないが、辰野会長のもつリーダー性と行動力、山ヤとビジネスマンふたつのセンス。これは稀なる才能であり、その才能に触れながら、彼の会社で働ける人は幸せだと思う。
モンベルには友人知人も多いので、言いにくいこともあるけれど、もしちかすぎて、雑多なことがありすぎて(そんなことはどんな職場にもある)、もし彼の才能を感じられないとしたら、それはもったいない、とさえ思った。尊敬できる、すごいと思わせるリーダーがいる職場を、うらやましくも思った。

気になったことは、サト課長となぜかお揃いのシャツを着ていたこと(私が)。
せっかく「お揃いですね~」と言ったのに、のちにサト課長は着替えちゃった。

ほか、たまにしか会えない人、話ができない人たちと、商品のことや最近の登山のこと、業界の中のことについて話をする。
以前頻繁に一緒にクライミングをしていたタカトリ部長が、「へええ、そんなことに関心あるの、スミちゃんってやっぱり変だね、おれ、そんなことにはまったく関心ないよ。好きなんだねえ」と何度も繰り返していたが、一応物書きなので、登山にまつわるいろんなことに、興味があるというか、関心もって(取材でもあるけれど)調べるのです。


夕方、モンベル新宿店でかなっぷとヤマミチさんと待ち合わせ。
ヤマミチさんとは、その名の通り、まるで山に登るために生まれてきたようなお名前の方だ。
パリ在住の先輩、玄さんの同僚だということで、私たちのところへ送り込まれちゃった。
ヤマミチさんは、突然のように登山に興味を持ち、数少ない帰国の日に、屋久島に登りに行こうと考えたのだそうだ。
で……全身をそろえるためにやってきた。

さすがハードトレーニングをこなす玄さん、普通の女性だったヤマミチさんに課したトレーニングは、スクワットだった。
理にかなっていることこの上ないけれど、実に地味なトレーニングだと、ちょっと笑ってしまった!

無事買い物が終わったあとは、3人でヤマミチさんの登山の成功を祈って、ビール。
*後日、台風上陸のため屋久島へ飛ぶことすらできず、彼女の登山はお流れに。代わりに近所の低山を歩いたそう。屋久島は次の帰国のときとあいなった。

2011年7月12日 (火)

大学講義最終日→MJリンクミーティング

9回にわたった、大学の社会人講座、最後の日。
ウィルダネス・ファーストエイドについてやった。
ウィルダネス・ファーストエイドは専門のトレーニングを受けた者が教えるべき内容なので、私は、その概要、登山における必要性と危険性、考え方、日本の法律との整合性などについて話をした。これがきっかけとなって、ウィルダネス・ファーストエイドのトレーニングを受けてくれる人が増えるといいなあといつも思っている。
ウィルダネス・ファーストエイドは、登山の技術のひとつだと考えているので。

講義終了後、受講の皆さんが教室に残ってくれ、簡単なおしゃべりをした。
その中からいろんなヒントをいただき、とても感謝した。

その後、エクステンションセンターへ行き、来期の打ち合わせ。

それから、山岳部へ。
夏合宿に向けて、これまたファーストエイドについて指導。
去年までゼロ人だった部員が今年は6人になった。
今日始めたあった鈴木くんは、南房総のサーファーだという。そうこなくっちゃ、という感じ。

夕方、急いで都心に戻る。
まさみんと、MJリンクミーティング。
まったく私の日焼けもヒドイが、まさみんの腕も凄い。私たち、こんなでいいのだろうか。

その後、田部井さん、吉田さんと合流して、夕食を食べながらミーティングの続き。
来年の計画について話し合う。

田部井さんからは、韓国のお土産をいただいた。
韓国土産にフェイスマスクをもらうことはよくあるけれど、今日のそれはカタツムリエキスが入っていて、いま韓国でいちばんはやっているコスメアイテムなのだという。
ひょえええ!と思ったが、パッケージは、パステル調のピンクや水色、グリーンのカタツムリが描かれてて、なんだかおしゃれ。
後日その筋の人に聞いたところ、パリでもカタツムリエキスのコスメは大流行なのだそう。
ともかく、いまの私(いや、私たち)がとても必要としているもののよう。

2011年7月11日 (月)

『2012 Bravoski』

尊敬する編集者でありライターの寺倉力さんのブログ拝見。
ギア紹介誌面は構成が命と書いてあった。エッジの効いたツッコミの誌面が完成した模様。
スキーという3次元行為を成すギアを2次元誌面にいかに落とし込むかその様は、スキーそのものを深く理解し愛していてこそ、成せえること推察。
絶対買おう『2012 Bravoski』。

2011年7月10日 (日)

四国労山の会へ そして真希ちゃんの高知

ホテルのすぐ近くに日曜市が立つという。
江戸時代から続くもので、よさいこい祭りのとき以外毎週日曜日になると、3キロほどにわたって店を並べ、高知の旬のものが売られるそうだ。
野菜を買って帰るのは難しいけれど、いつもお世話になっているおふたりに、小夏を送ることにした。

ホテルに戻ってシャワーを浴びて気づいた。
昨日の日焼けで、私の顔はかなりむくんでいる。
今日はお呼ばれをして話をするというのに、こんなでいいのだろうか。

迎えに来てくださった、高知の労山の方のクルマに乗り会場へ。
今日は、労山四国ブロックの遭難対策協議会なのだ。
登山中の突然死について話をした。このテーマで話をするのは久しぶりだ。

高知の川の研究をされている方、四国中の沢を登っている方、四国のいろんなロッククライミングエリアをご存知の方、いろんな方のお話を聞き、楽しかった。

会終了後、駅まで送ってくださったスタッフの方が、「モンベルによって行きますか?」と提案くださった。
モンベル高知店の店長タクさんは、高知のクライマーであり、以前は高知でご自分で登山道具店をやっていた。
初めてお会いしたけれど、その立ち姿からも、クライミングのキャリアを感じさせるような雰囲気があった。

駅前で行なわれている龍馬のエキシビションを見学し、名残惜しくも高知を後にした。
高知は広いなあ、とっても1日ちょっとではわからない。
あちこちに、自然豊かなところがあるから、次回は海や山や川に遊びにきたい。

じつは、大学山岳部の時にひとりだけ同性の同期がいた。
彼女は美術大学を受験しなおすということで、1年で辞めてしまったのだけれど、高知市出身だった。
市内でお母さんが喫茶店をやっていると言っていて、おしぼりを出すときに巻き方を教えてくれた。
それが、なんだか今回蘇ってきた。
高知は空気はカラっとしているけれど、日差しがとっても強い。真希ちゃんのお母さんは、ギンギンに冷やしたおしぼりをしっかりと巻いて、お客さんに出していたんじゃないかなって想像した。
さらに、真希ちゃんは、高知県は一方を太平洋に、もう一方を山に阻まれており、その山の向こうに何があるんだろうっていつも考えていたと言っていた。
それが、登山になんの縁もなかった真希ちゃんが、山岳部に入るきっかけだったように、私には思えていた。
そんな真希ちゃんの育った風土を、ほんの少しだけでも感じることができて、よかった。

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2011年7月 9日 (土)

高知入り

本当に、高知はいいところだ。
ものすごく気持ちがよくて、美味しくて、ほんとうにいいところだった。

講演は明日なのだけれど、今晩、スタッフのメンバーが集まるのでその飲み会に来ないかとお誘いをいただき、お言葉に甘えて前日入り。
待ち合わせは夕方だけれど、せっかくなので朝イチの飛行機で行った。
高知へ行くのは初めてだから、とっても楽しみなのだ。

ホテルに荷物を預けると、無料レンタルサイクルがあるという。
これで回ろう。
市内中心部にある坂本龍馬関連の史料館や生誕の地を見学したのち、市場になっているアーケードへ。
ここには、高知中の美味しいものがなんでもある。
夜はカツオのたたきを食べさせてくれるとおっしゃっていたから、名物だという屋台餃子とジンジャーサワーにしてみた。
ともかく暑い日なので、サワーの1杯ぐらい飲んでも、すぐに汗となる。

その後、自転車をこいでこいで、太平洋へ。
桂浜までは、18キロと書いてあったから、それだったら行けるだろう、高知市内はきっと平坦だ……と思っていたのだけれど、思いのほか坂道が多かった。
途中、龍馬が泳いだという鏡川で、私も泳ぎたいぐらいだった(いまは、そんな川ではないけれど)。
桂浜にある記念館と像を見て、太平洋を眺めた。

帰路はどうしようか考え込む。
同じ道を選びちょっと寄り道すれば、酔鯨の蔵に寄れそうだ。
しかし、どうにもこうにも牧野富太郎植物園が気になって仕方ない。
山の上にあるというから、このママチャリで行くのはしんどいかもしれないけれど、がんばってみよう。
と……ちょっと遠回りながらも、植物園のある五台山を目指した。
小学校の頃、おそらく母が牧野富太郎の子ども向け植物図鑑を買って、私に与えた。
その本がとても印象的だったのだ。

たしかに遠かった、というか坂道が大変だった。
しかし無事到着。植物園は、山をひとつ使ったもので、とても贅沢な造り。
サギの回廊もあったりして、とてもいいところだった。もっと長居をしたかった。

汗だくでホテルに戻り、シャワーを浴びたら、待ち合わせ時間。
高知や徳島の労山の方々とお会いする。
美味しいお酒と、カツオのたたきと、それとソースがたっぷりかかった串揚げがとっても嬉しかった。
皆さんの日頃の山登りの話をいろいろ聞かせてもらった。
ほんとうに、精力的に、そして長く登山を続けている人が、日本各地にいらっしゃることを、いつも刺激的に受け止める。

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軒目は、屋台餃子。やっぱり名物だったのね。
昼の時に食べたりなかったので、ここでも嬉しくいただく。

今回初めて知ったことは、高知では酔鯨よりも桂月、土佐鶴、司牡丹が一般的だということ。
これらは、どれもうまかったなあ。

ホテルに戻って、シャワーを浴びて、寝床へ。

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2011年7月 8日 (金)

ジジの子どもはアンザイレン

週末の仕事の準備。
高知で講演会のお招きを受けているので、パワポとレジュメを作成。
最大の難関は、土曜日の顔合わせの時に飲みすぎないようにすること。
高知の酒は旨すぎるからだ。飲めないふり、日本酒なんて大して興味ないふりはできるだろうか?

その後、あれやこれや事務作業。
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リンクのたまりにたまった事務作業、請求書や領収書の整理など。

夜、魔女の宅急便をテレビで見る。
ジジの子どもをほうきに乗せて飛ぶときは、キキはちゃんとアンザイレンしてあげるのね。
初めて知った。

2011年7月 7日 (木)

校了の翌朝、未年トリオ解散

自宅に戻る。
O
さんは、デザインオフィスへ行ったあと自宅で仮眠をして午後から働くと言っていた。
最終確認があれこれ必要だからだ。
H
さんも、こんな日はしっかり意識を持たないとだらだら寝て、しかしそれでも大して疲労回復できないことをよくよく知っているから、集中して寝たあとはしっかり働くと言っていた。

私はどうしよう?
ちーちゃんとの山はキャンセルになった。
こんな寝不足では、日本一足の速い彼女にとてもついていけず、ぶっ倒れること間違いなしだからだ。

シャワーを浴びて、仮眠をとったあと、たまりにたまっている事務仕事を片付けた。

夜、デザインオフィスでの作業が終わって、無事印刷所へゲラすべてを入れたと、編集のOさんから電話があった。
「何度見ても、誤字ってあるんですね」と。まだあったか……肝が冷える。

今回のN出版の仕事は、3度目。
いつもの大ベテラン編集長と、そして2年ぶりにご一緒するO編集者、さらには初めてご一緒した妊婦さんであったフリーランスのH編集者といった顔ぶれ。
O
さんとの仕事も、2年前よりずっとスムーズにいった気がするし、Hさんとご一緒したことはとても楽しかったし、学ぶことも多かった。
O
H+私は、未年トリオでもある。
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月からスタートした怒涛のプロジェクトだったけれど、これでお別れとはなんだか寂しくなるなあ。

2011年7月 6日 (水)

校了の日

朝からN編集部へ。
今日は校了の日。120ページほどのゲラを、編集者2人と筆者である私で読み込む。
途中、テキスト講師役である橋谷晃ガイドさんに、電話やメールで連絡を取りながら、彼の最終確認もいただく。

昼過ぎ、どうしても外せないインタビューがあり、私だけ中座。
御成門のオフィスへ行き、Nさんに会う。
その後、編集部へとんぼ返り。

校了の予定がどんどんずれ込んでいて、今日はとてもピンチな日である。
本来今日は予備日的な日であり、どんなことがあっても夕方には終わる予定だったので、SNOW DIVA TELEMARKのメンバー達と飲み会の約束をしていたのだけれど、昼過ぎの時点で、それは困難と判明。
仙台から東京に出張していたツルちゃんには本当に本当に申し訳なかったけれど、ドタキャンの連絡を入れる。

明日は、ちーちゃんと二人で山に行く予定だった。
むせかえるような暑い山に登って、やまゆりをたくさん見る約束をしていたのだけれど、それも難しい……おそらく、今日は徹夜だろう。
ちーちゃんに電話して、ドタキャンふたつめ。
本当に、ごめんね。

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人で夜ご飯を食べ、それから再び編集部へ。
ガイドの仕事で八ヶ岳山麓にいる橋谷さんとはなかなか連絡も取りにくく、難航。

夜中、クルマを1台編集部に置いておいた方が動きがよい(万が一の時に、すぐに八ヶ岳へ行ける)、ノートパソコンがもう一台あったほうがよいなどの理由により、編集者のHさんが自宅に戻る。なんと、Hさんは自分の仕事場から扇風機まで持ってきてくださった!

途中、待ち時間が長くなり、3人ともそれぞれの場で仮眠。
編集者のOさんは自分の机の前の椅子にもたれかかってうとうとしただけのようだった。
私とHさんはガッツリ寝ておこうという作戦。Hさんはパイプ椅子を並べて寝床を作っていた。
彼女は、9月にお子さんが生まれる身重なので、大切にしてほしいのだけれど。
私はお行儀が悪いけれど、会議机の上で寝させてもらうことにした。
編集部内が冷え込んできたけれど、ここは一般誌の編集部なので寝袋もなにもない。
新聞紙を体に巻きつけて、寝た。なかなか温かい。

明け方から再始動。
朝、なんとかゲラを全部そろえた。
O
さんは、印刷所にそのまま持っていくことになった。
ふたりともHさんのクルマに乗せてもらって、渋谷まで送ってもらった。

ものすごく疲れた1日だった。

2011年7月 5日 (火)

先輩と打ち合わせ

大学での講義を終えたあとはいつも、山岳部の学生たちと過ごすことが多いのだけれど、今日はいちもくさんに東京へ。
渋谷で待ち合わせていたのは、同窓の先輩であり、チベットの先輩。こんな女性になれたら、ほんとうに素晴らしいなあという方。

某登山道具メーカーのカフェで待ち合わせていたのだけれど(二人が知っている共通の場所はココだけだった、私も渋谷のことは全く知らないため)、カフェが禁煙とわかり、近くのバーガーショップへ。そう、彼女がスモーカーなことを忘れていた。

この夏のチベットの子どもたちとのキャンプについて打ち合わせ。
こんな素敵な企画に携われるなんて、本当に私は幸せだ。
以前何度か一緒に登ったことがある、信州大学山岳部卒業という由緒正しき山ヤさんも一緒だし、とても楽しそう。

しかも、偶然にも私の誕生日にキャンプが行われることになっていて、この夏いちばんの出来事になるはず。
何よりもの贈り物。

2011年7月 4日 (月)

編集部籠りの日

午後から編集部に入らなければならないので、その前に編集部近くのカフェへ。
昼ごはん食べて、チャイを飲みながら、最後のゲラ読み。

今日はとんでもなく大変な日になるはずなので、秋田の森岡さんからいただいた佐藤錦を、ミゾーさんのコッフェルに入れて持参。
森岡さんはベリー類や小果実を専門として栽培している方のようだが(友人の友人であり面識はなく)、まるで宝石のような果実を作る職人さんなのだ。
昨年秋、イチジクとブドウを友人からもらって、その味に感動して以来の大ファン。

校正作業は、予想以上に大変であり、結局終電も逃して真夜中まで編集部にこもりっきり。
久し振りにタクシー帰宅。

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2011年7月 3日 (日)

ウィメンズ・マウンテンアカデミー@甲斐駒ケ岳 Day2

ちょっとはっきりしない空模様で、展望もいいとは言い難かったけれど、ウィメンズ・マウンテンアカデミーのメンバー全員で、無事甲斐駒ケ岳の山頂に立ち、下山できた。

初めてのテント泊ということで、テントを担いでの移動距離がほとんどないテント場を探し、そこからどこの山に登るか考えよう、ということで、今回の企画の場所選びが始まった。
北沢峠という案はすぐに出たのだけれど、甲斐駒にするか仙丈ヶ岳にするか……仙丈ケ岳の方がリスクが少なく、体力的にもほんのちょっとだけ楽ができる。
けれど、この企画の立役者であるゆっこちゃんは、「甲斐駒にしよう、だってかっこいい山じゃん」と。
確かに、甲斐駒ケ岳はかっこいい山だ。山らしい立派な山だ。仙丈ケ岳も素晴らしい山だけれど、甲斐駒のかっこよさに、今回は一票ということで、行先を決めた。

夏道を使えば、山頂直下のリスクは減らせる。駒津峰から六方岩のあいだだけだ。
しかし、標高差があり、体力が要る。樹林帯の下りも決して楽ではなく、最後まで気がぬけない。

本当にメンバー全員の足並みをそろえて、登れるか、最後の最後まで不安だった。
けれど、作戦は何とか成功。
朝早くにテントを出て、ヘッドランプを点けて歩く。
この経験も初めての人が多かった。自分のヘッドランプがどれほど暗いかわかったという人もいた。

駒津峰まではそれほどペースを落とさないようにして歩き、そこから先は慎重にゆっくりペースにした。
帰路は最後まで集中力が途切れないように頑張ってみたが……やっぱり疲れが出てきている人もいた。

不慣れなテント泊りで眠れず苦しい思いをした人もいるし、睡眠不足が翌日の登りに堪えた人もいた。
体力的にギリギリなんとかがんばった人もいた。
けれど、私はそういう人たちをあまり心配していない。ちゃんと、私たちスタッフのいうことを素直に聞き入れて、からだで表現して歩いてくれる。
自分の力を過大評価せずに、地道に歩を進めてくれる。だから、多少、疲れが出てきても、最後まで歩きとおせるのだ。

おそろしいのは、そういうことではなく、自分の力を把握できずにいる人、スタッフの注意事項を聞き入れることができない人(わざとでなくても、忘れてしまったりする人)、集中できない人。そういう人は、たとえ体力があっても、からだが丈夫でも、リスクが大きいし、この先登山を続けていくには、問題を抱えている。

幸い、ウィメンズ・マウンテンアカデミーは、初回からいい雰囲気が保たれていて、またあのメンバーに会いたい、一緒に登りたいとリピートしてくれる人が多いので、心配事は少ない。

次は、8月末の立山。
今回よりもちょっぴり標高が高くなること、樹林限界を超えた稜線歩きが続くこと(逃げ場がない)、縦走のためみんなで足並みをしっかりそろえる必要があること、秋口になるため寒さや日照時間が短くなるなどの条件が重なることが課題だ。
スタッフも参加者も、それぞれがしっかり準備して、次回も楽しい山登りができるようにしたい。

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2011年7月 2日 (土)

ウィメンズ・マウンテンアカデミー@甲斐駒ケ岳 Day1

ザ・ノース・フェイスのウィメンズ・マウンテンアカデミー初日。
今日は北沢峠までバスで入り、テントを張るだけ。
くじ引きやらなにやらでテント割りが行われており、23人用のテントに入る。

みんな和気藹々やっていて、まるで“箸が転がってもおかしい”年頃に戻ったかのようにケラケラと笑いながら、テントをたて、夕ご飯の準備をしている。
なんだかうらやましいなあと思った。

私が山に登り始めた高校生のころはまだしも、大学生になって本格的に登山を始めたころには、笑い転げることなんてあっただろうか。いいやきっとあったに違いない。

しかし、そんなことはあまり思い出せず、ただただ登り続けたこととか、その先にあった風景を仲間たちと眺め、あまりの美しさに言葉もなく、茫然としばし眺め、また登り続けたこととか、あるは辛かったことや葛藤ばかりが思い出される。

そんな自分を不幸とは全く思わず、とても幸せだと思っているのだけれど、彼女たちのように無邪気に山を楽しんだことがあっただろうか……と考えることしばしば。

暗くなって就寝。

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