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2011年5月 3日 (火)

Nepal tour Day6 アヌーと再会、モンジョに戻る

みんなそれぞれ寝苦しかったであろうシャンボチェでの一夜が終わった。
昨晩はチアノーゼがでていたけれど、改善された人もいれば、そのまま続いている人もいる。
私も顔と手がむくんでいた。

人それぞれ症状は違うし、程度も違う。
けれど、それは当然のこと。
もし今回の経験で覚えておいてほしいことがあるとすれば、自分がどんな症状になったのかなるべく客観的に記録しておくとこ。
自分の弱さがわかるようになれば、それでよいと思うのだ。
確かに、ほとんど全員でシャンボチェに登れちゃって、このまま無事に下れそうだ。
けれど、そんなのはどうってことのない話である。
判断は自分たちでしたのではなく、田部井さんと私に任せたはずだ。
その中で、自分の弱さが少しでもわかれば、それは今後の登山のなかで何らかの力となってくれるはずだ。

反対に弱さがわからなければ、これほど怖く危険なことはない。


出発前にナムチェの村に雲がうっすらかかっているのが見えた。
なんだか懐かしい光景だ。こうやって雲がうっすらかかるナムチェを、何度となく眺めたことがあったなあと思い出す。


クムジュンが見下ろせる丘まで登った。
そこで、クムジュンにある小学校を眺めた。
こうやって遠くから眺めると、クムジュンはそれほど変わっていないように思うけれど、しかし大きい変化があったのだろうなあ。
今回のトレッキングに向けて、私はいくつかの準備をしていた。

クムジュンの小学校、クンデの診療所(ソナムの家の隣にある)、ナムチェバザールの由緒あるシェルパたちの家、それぞれを訪問する手はずだった。
それについて、西遊旅行の澤田さんが実に懇切丁寧に相談に乗ってくださり、準備してくださっていた。それはとても心強いものだった。
けれど、フライトのディレイの影響があり、これらは一つも寄ることができなくなった。
とても残念だった。

ナムチェまで下って、山岳博物館に寄った。
博物館の位置も変わっていてビックリした。
けれど、登山隊がテントを張る位置はちっとも変っていなかった。
この博物館で、田部井さんの若いころの写真とご対面。
みんなの「なんだか、いまとあんまりお変わりないね」という声に、私も内心うなづいた。

ここには、エベレストに登頂したシェルパたちの写真が全部おさめられていると聞いた。
けれど飾ってある写真を見て、あれ、こんな少ないかなあ?というような印象だった。実際に彼もまた、別の彼もいないじゃん……とも思った。


ナムチェでの自由時間は20分ほど。メインストリートで別れて、ナムチェの入り口の水車のところで20分後に待ち合わせだ。
田部井さんは知り合いのオフィスに立ち寄ると、来た道を慌てて駆け上って行った。
私も寄りたい友人宅はいろいろあるけれど、アヌーの家に行くことにした。
今回、私たちのグループ全員で立ち寄り、話を聞かせてもらう約束をしていた家だったからだ。
アヌーのお父さんであるパルデンは、エベレスト初登頂のときのメイルランナーだった。彼はエベレストBCから初登頂の便りをもって、カトマンズまでたったの5日間で走ったのだけれど、その時、自分が持っている便りの内容は全く知らなかったという。日当が1インドルピー。カトマンズのエベレスト遠征隊事務所に着いて手紙を渡し、返事の手紙を受け取ってまた、エベレストBCに戻った、と話を聞いたことがある。

パルデンは、エベレストBCからカトマンズまでゆうに27回は走ったという。当時いちばん足が速いシェルパだったのだ。

彼の話のなかで印象的だったのは、「テンジンはチベット人だけれど、私はシェルパだ」と言ったことだ。エベレストに初登頂したテンジン・ノルゲイはチベット人であるけれども、私はシェルパなのだ、と言っていた。

ナムチェにはほかにも名シェルパが多く住んでいる。けれど、初登頂時代を支えたシェルパは次々と他界していっていた。
だから、私が今回みんなを連れて行くとしたら、パルデンの話をある程度忠実に語れる息子がいる、アヌーの家だなって思っていたのだった。

アヌーに会うのは実に十数年ぶりだった。
笑っちゃうぐらいちっとも変っていなかったけれど、少しやせたようだった。
今回約束をしておきながら、訪問できなかったことを詫びると「ちっとも気にする必要はない、それよりも会えてうれしい。昨日、スミコ達がナムチェを通ったと聞いたから、いつ顔を見せてくれるかと思っていた」と言っていた。
義理堅いアヌーはきっと、30人近い団体の私たちが訪問するにあたって、相応の準備をしていてくれたに違いないだろうに、申し訳なかった。

早速、去年やっと全部完成したという仏間に通してくれた。
信心深いアヌーらしい。立派な仏間だった。今もちょうど、お経を読んでいたのだという(写真)。
「今日はニュームーンだから、読むべきお経がたくさんあるのだ」と。

アヌーは本当に信心深い。だから一緒に旅していても、毎朝4時ぐらいになると、隣の部屋から読経が聞こえてくるのだ。数日間それが続くと、最初私はホント睡眠不足のようになっていたが、やがてアヌーの読経が子守唄のようにもなっていた。
橋や峠などに差し掛かると、どんなに先を急ぐ旅であろうと、タルタックを採りだし、「ルンター、ルンター」と祈りを掲げながら、張り巡らし、また読経。
本当に信心深い。

息子の話もしてくれた。ひとりは南アフリカでパイロットの勉強をしており、もう一人も同じく南アフリカで医者になる勉強をしているのだという。
「私たちは、学校も出ず、こんなだったから、息子たちには勉強をさせたくて」と。末っ子は、先ほど下にいた。あるアメリカの登山道具メーカーと正規に契約し、輸入販売をしているのだという。ナムチェにパチモンではない、まっとうなクライミングギアやウエアが並んでいることに驚いたが、こういうことだったのか。

アヌーとは本当に別れがたかったが、いつかまた生きていれば会えるだろうと思った。


みんなと合流して、再びモンジョへ向けて歩き出す。
心なしか、行きよりもサンを焚いているお宅が多い。しかもそれぞれいろんなモノに入れて焚いているのでオモシロい(写真)。
ひょっとしたら、アヌーが言っていたように、今日はニュームーンだからサンを焚く家が多いのだろうか。

往路と同じ、モンジョのバッティに投宿。
私は昨晩、遅くまで起きており、今朝も早かったのでとても眠たく、昼寝をした。
その後、みんなが泊まっている部屋を訪ねて、マッサージごっこに入れてもらった。

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