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2011年3月

2011年3月31日 (木)

真里と電話

高校山岳部時代の友人真里と電話でおしゃべり。
3人の子どもを育てた母は強い。
あるとき真里が私に、「子どもがいないと半人前と思ったことは全くないけれど、あなたに子どもがいたら面白いだろうね」と言った。
なかなか親友でなければ口にできない、けれど親しみある言葉。
先日彼女の家に泊まったときは、子どもがいるといないとで何か大きな違いがあるかというと、そうでもない、というようなことを言っていたように思う。


因果応報、カルマ落とし、世の中にそれを表す言葉はいろいろあるね、とふたりで話していた。
私の友人が品性のある女性で本当によかったと、それを誇りに思えるような日だった。


そういえば、義母とも最近何度か電話で話をした。
夫の家庭は、聡明でそして精神的に強い彼女がいてこそ、成り立っていると私はいつも思っているのだけれど、本当にそう思う。

2011年3月30日 (水)

『ランドネ』5月号

いわゆる山ガールの代表的雑誌といわれている『ランドネ』は、こうみえても愛読者である。たぶん。
何冊かは買って読んだし、立ち読みリストには必ず入っている。
パラパラとしかしじっくり見ていくと、必ずやほしいなあ、これ便利だ絶対、と思うような掘り出し物に出会えるからだ。
今月号の、ワタシ的掘り出し物は、断然、ガレージブランド「山と道」の試作品バックパックだろう。いいや、掘り出し物かどうかはわからないのだけれど、ともかく手に取ってみてみたいと思うようなシロモノ。


さて、愛読書『ランドネ』からいただいた初の仕事は「軽量化について何を工夫しているか」ということだった。
「ティーバッグの四角い部分も切って持っていきます」とか、「ウエアのタグは全部切ります。あ、登山家の山野井泰史さんがそれをやり、いったいどれぐらい軽くなるかはかりに載せていましたよ」とか、言ったのだけれどあまり編集者の心には響かなかったようで、「ザックの自重自体にも気を使っています」という発言に引っかかってくれた。
自重に気を使うけれど、あまりに軽量な記事やパーツを使ったものは使う場面を選ぶので、講師など仕事で山に行くときには使わない。

お客様の荷物も持つことになる場合もあるし、ケガや病気の人をザックを使って搬送することもあるだろうから、ある程度頑強な作りのものを選んでいる。
その代り、デザインがシンプルなものにすれば軽量になるのだ。というか、シンプルデザインを選ぶのは好みの問題でもあるのだけれど。

写真で登場したのは、この冬新しく買ったアルパインパックショート60(ゼロポイント)と、ホント愛用者多数のバリアント37(オスプレー、私はLサイズ使用なので40ℓ)、それと2代目のバランスパック30(ゼロポイント、廃版商品)。
バランスパック30は、夫の所有だろうという突込みが本人から入りそうであるが、1代目も2代目も使用日数は私のほうがはるかに多いので、最初に買ったのは夫であっても、これはもう私のものと言えよう?少々乱暴だけれど。大体、私が使いすぎて壊れて、それで2代目を買ったのだから。

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2011年3月29日 (火)

裏ヒヨへ

栂池高原スキー場の駐車場で準備していると、ウチの車の前に停まった車から降りてきたのは、紫のジャケットと黄緑のパンツ。これはチカさん以外ありえません。
ちょいと立ち話。駐車場の車は先週よりも増えたけれど、山に上がる人はまだまだ関係者というか、友人知人とか、そのまた友人知人とか、そんな人たちばかり。
人々は、まだまだ山に戻ってきてはいない。

裏ヒヨというのは、滑ったことはあるけれど、白馬乗鞍スキー場へ抜けたことはない。
ということで、ハクノリへ抜けてみることにした。
最後黒川沢にさえ入れれば、そこから先は先週何度も滑ったところだし、なじみがある。

ハイクアップの距離が短いけれど、滑りはしっかりあるいいコースだった。
途中登り返すあたりも、山の雰囲気がよかった。
ところどころトレースやシュプールがあったけれど、それでもやっぱり初めてのコースというのはドキドキする。
地形図を見ながら進んでいったが、沢に入り込むところなど、いったい先がどうなっているのかわからないから面白い。

チカさんが言っていた通り、いくつかデブリも出ていたし、なかなか緊張しながら通過しなければならないところも多かった。
今日の私の滑りはダメダメだったけれど、かなっぷも珍しくダメダメだった。

ハクノリのスキー場からは、栂池高原スキー場まで徒歩で戻る。
その後、若栗の湯へ。
あんまりの名湯に気絶しそうになった。

温泉から出てきたら、ロビーにいた3人組が、明日現場に追悼のために上がるというような話をしていた。
やっぱりまだまだ関係者しか、ここには戻ってきていない。
早く大勢の人が山に戻れるようになればいいのだけれど。

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2011年3月28日 (月)

白馬へ

ふたりともものすごい疲労感というか徒労感に襲われており、しっかり寝坊。
ともかく、車を中央道へと。

白馬に着き、最初にひっかかったのはラッピーさんのところ。
かなっぷは、掘り出し物コーナーでゲーター付きのビンソンを見つけ、しかもそれが驚きの価格だったために、ためし履きをしていた。
珍しく衝動買いしそうな勢いになっていたけれど、自分にはいま履く革靴があることと、ビンソンは実はかなっぷの足には幅広すぎるのだということを、ようやく思い出したようで、なんとか踏みとどまっていた。

昼ごはんを食べてから、カラースポーツへ。
舎川くんに会いに行くことが、今回の白馬行きの主たる目的。
カラースポーツのクラブハウスには初めて来た。カフェのおいしいコーヒーをいただきながら、山々を眺めて、トネちゃんとおしゃべり。
山岳ガイドのこと、山を登ることについてなど。
会えてよかった。

夕方に、かなっぷの知人夫妻が経営している宿SUNNY SIDE HUTへ。
震災の影響で客足がめっきり減っていると聞いていたのだけれど、コアなスキーヤーたちが泊まっていた。

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2011年3月27日 (日)

原稿書き

このところ、原稿がまったく進まない。
震災が理由ではない。

こんなばかばかしいことで筆を折りたくないし、書きたい。
けれど、モノを作り出す力がわいてこないのだ。

こんなときこそ、力を振り絞って書くのがプロというものだろう、といことは重々わかっている。
勇気づけられるのは、覚悟をもって仕事をしている周囲の友人たち。
私の友人たちが、こんな人たちで本当によかったと思う。

覚悟のない人間たちに関わるのはもう止めよう。

ともかく短い原稿を1本書いた。

2011年3月26日 (土)

乗鞍高原のおじさん、旅の思い出

先の3連休にほぼ貸切人数で、乗鞍高原にある山栄荘を予約していた。
毎年恒例の山のいとこ会「スキー合宿」のため。
しかしうちの大学山岳部のOBの中には、地震によって家族が被災した人もいたし、一刻も早く被災地の家族に会いに行きたいと考えていた人もいた。
そんなことやいろんなことがあり、地震翌日には、この合宿は中止にし、山栄荘にはお詫びの電話を入れてあったのだ。

「山栄荘のおじさん、待っていたよね、また料理たくさん作ってくれるはずだったんだよ。ちょっくらお詫びとお見舞いかねて、顔を出してみるか」とかなっぷと話しており、今日電話をしてみた。
来週平日であれば1泊できそうだから、泊めてもらえないかと。
そうしたところ、乗鞍高原スキー場は27日日曜日で営業終了することが決まっているんだと教えてくれた。ホームページを見ればわかることだったけれど、まさか・・・と思っていたので。
「だから、来週平日は来ないほうがいいと思うよ、また来年来てよ」と。

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震災後、我が家ではいろんなことを話している。
どこの家庭も同じじゃないかと思う。
もう20年以上も昔、学生の頃、GWに白神山地を登りに行ったことが2度あった。
帰りは決まって、東北を旅行しながらゆらゆらと東京に戻ってきた。
JR
の東北地域のフリー切符で行っていたし、山の帰りだから幕営道具もあるし、安い旅が続けられたのだ。

弘前城で寝たこともあったけれど、その翌年は青葉城(仙台城)で夜を明かした(もちろん、良い子は真似してはいけない)。
三陸の美しい海岸線を列車や船を使ってたどったりもした。
気仙沼沖にある大島というところにわたって、一面タンポポで真っ黄色なキャンプ場にテントを張ったこともあった。
なんだかタンポポに申し訳ないほど、隙間なく咲いていて、タンポポでふかふかだった。

そんな思い出は、とってものんびりしていて幸せな陽光に包まれている。
いろんな人が東北に思い出を持っていると思うし、私にもほかにもたくさんの思い出があるけれど、その思い出の景色もいまは影も形もないほど、震災は恐ろしいほど、東北の土地を変えてしまったのだろうか。

2011年3月25日 (金)

新しい雑誌 『ワンダーフォーゲル』

ちょっと遅くなったけれど、掲載誌のお知らせ。
山と溪谷社からの新刊『ワンダーフォーゲル』。
前身の『ヤマケイJOY』という名前はなかなかポップで大好きだったので、タイトル変更はかなり寂しかった。
ワンダーフォーゲルという言葉の響きは好きだけれど、私個人はこれまで縁のなかった言葉でもあり、寂しかった。

寂しかった分、新しい雑誌も元気に歩んでいってくれるよう、応援しよう!

「だから私は山に登る」というコーナーに登場。
ここは、山に関係するいろんな人が、
Q1
あなたの好きな山・山域はどこですか
Q2
山の一冊持っていくとしたらこれ!という本は
Q3
あなたにとって大切な登山の相棒は
Q4
あなたはなぜ山に登るのですか
Q5 2011
年の目標としている山、エリア、ルートは
という質問に答えるもの。

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回答に、多くの人たちが山の仲間というのを挙げていた。私もそのひとりだけれど、もうひとつ印象的だった答えは、三宅岳さん、渡辺幸雄さんという写真家のふたりが「カメラ」と答えていたこと。このふたり、迷わず答えたんだろうなあ。岳さんもナベさんも写真キチガイである。

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安心して心から山をの楽しめる日が早く訪れるように、と本当に思う。
久し振りに山登りして、やっぱり山は楽しかったし、気持ちよかったし、喜びを与えてくれるから。
写真は、八方のバス停にあった映画『岳』の宣伝。三歩もやっぱり「また、山においで」と言っているよ。

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2011年3月24日 (木)

オフピステ検定Day3

最終日のお題は、トゥリーランの際のガイディング。
コルチナのゲレンデトップからオフピステに出て、交代でガイディングをした。
1
本目は、私はお客役だったのだけれど、それはそれはいい雪だった。
3
月にこんな雪に出会えるなんて、絶対にみんなの行いが良かったに違いないい、またこの先もいいことがあるんじゃないか、これは神様からのプレゼントなのではないか!って思えた。

2
本目、私がガイドする番になると、心なしか(というか確実に)雪が重たくなってきていた。
それでも2本目もとても楽しかった。

本当にまだまだスキーでガイディングすることには不慣れで、どのラインを取って滑っていき、どのように誘導していくのか、安全なラインは取れても、お客様を楽しませることや、ストレスを与えずに快適に滑ってもらうように誘導することは、まだまだできない。

昼過ぎ講習が終わり、昼ごはんを食べて、宿に戻り解散となった。

私は八方から長野駅へのバスに乗り込んだ。
昨晩、白馬に移り住んだ友人家族が、宿に顔を見せにやってきてくれた。
マサと聖子ちゃんと、一人息子だ。
その時「帰りのバスで飲んでよ」ともらったワンカップを飲みながら、いろんなことを考えた。

昨晩、10歳年下の友人からあるメールが届いていた。
先日共通の友人を亡くしたばかりであるが、そこには彼の覚悟のようなものが書いてあった。
Y
ちゃんの覚悟も書いてあった。亡くなった友人は、本当に「一生懸命」な人だったのだから、遺された私たちは、大げさではなくこれからそれぞれの場での闘いが始まるのだと。

それぞれの己との闘いだということだった。

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オフピステ検定Day2

今日のお題は、山の神尾根。
メンバーは、林講師のほか、受講生が私ともうひとり、それとお客様役で参加してくださったAさん。
栂池高原スキー場は本当に悲惨だった。
いくら平日といえスキー客があまりにも少ない。駐車場の車は数えるほど。
一応、「自粛」というの名のもとに中部電力区域のここもロープウェイを止め、リフトも部分営業。
確かに自粛の気持ちなのかもしれないけれど、何よりもスキー客が来ないところで、動かしてこれ以上赤字にするわけにいかないのだろう。

それでもリフトを乗り継いで、栂の森のゲレンデトップまで登り、林道に滑り込んだ。
そこから、早稲田小屋、成城小屋を経由して天狗原へ。
途中、小谷村の山案内組合の方々にお会いする。
天狗原にあがるルートやヒヨドリへのルートは人気なので、この時期であれば平日でも誰かしらハイクアップしているというのに、今日は関係者ばかり。

天狗原に出るころには、強風になり気温もぐっと下がった。なんだか冬が戻ってきたようなコンディションにわくわくした。
それから初めてとなる山の神尾根へ滑り込んだ。

林さんに「クラシカルなルートだから」と聞かされていたけれど、樹木に掲げられた看板を見て、「ホント、クラシカル!」と。
地形図を見ればわかるけれど、あまり明瞭とは言えない地形で、なかなか戸惑いながらも、交代で進んだ。

途中、本当に美しいブナの森が出てきて、私はとっても嬉しくなった。
A
さんとふたりで、「ホント、いいところ」「やっぱり山は楽しいね、幸せだね」と言いながら進んでいった。
本当に心底、山はいいなって思えたし、そこには喜びがあった。

いまも地震や放射能におびえ、悲惨な毎日に苦しんでいる人たちが大勢いるときに、山に登るなんてどういうことなんだという人がいる。
けれど、私は迷わずここにやってきた。
ガイドの技術検定の最終科目を受けずして、どうする。それが仕事ならば、「やる気が起きない」なんて言っていられるのだろうか。
とっととやるべきことをやって、仕事して金を稼いで、使うべきところで使って経済を回し、それから自分ができる寄付やそのほかの支援をどんどん続けていかなければ、本当に復興なんで無理だ。

雪崩のリスク?
余震が頻繁に起きている地域ならば問題であるが、ここ白馬は余震の影響はほとんど受けていない。
地弱層というのは、地震の影響だけでなく、通常通り(って変な言い方だけれど)降雪とか気温とかいった天候などの影響を受けながら変化していっているんだ。
いつも通り、それを観察し判断していけばいいのではないだろうか。

最後、黒川沢へ滑り込む手前あたりから、ガスが出てきて、地形はますますわからなり、とうとう講師が本気ガイドをしてくださった。
おかげで最後まで雪山とツアースキーを満喫しながら白馬乗鞍スキー場に滑り込めた。

私自身は、まだまだスキー技術が未熟であること、そしてスキーでのガイディングに本当に不慣れであることを痛感した。

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2011年3月22日 (火)

オフピステ検定 Day1

講師1人に、受講受験生2人という恵まれた環境。
今日は閉鎖になって数年たつスキー場を使って、シール歩行の誘導、オープンバーンを滑る際の誘導、それからゲストとオーバーナイトしなければならない時の雪洞掘り、搬送など。

積雪があまりに少なく、場所を選んでも雪洞を掘るのは難しかった。私は半雪洞のような形にし、ツェルトでふさいだ。
林さんはイグルーにしていた。

2011年3月21日 (月)

前夜入り

ガソリン不足なのかガソリンの買い占めによる一時的流通障害なのかなんともいえないが、我が家の近くのスタンドも閉まっているところが多く、ウチの車にはガソリンが半分入っているだけ。結局今日は、夫がたまたま通りかかったスタンドで満タンにいれることができたのだけれど。


けれど一人で白馬を往復ドライブするのも経済的ではないため、新幹線+長距離バスを使って前夜入りすることにした。
なかなか山に行くのに車を使わない機会は少なく、このような大荷物(ツアースキーの道具一式、ロープなどガチャ類、パソコン+仕事道具)をもって移動するのは大変だ。
とりあえず駅までは夫に送ってもらうことにした。
節電でエスカレーターや動く歩道が止まっているため、とことん階段を登り、構内の長い乗り換えを経て、長野新幹線に乗り込んだ。
長野駅からはバスに1時間乗れば、八方まで行ける。

八方のバス停で迎えてくださったのは、今日から3夜お世話になる林ペンションのオーナーさん。
山学同志会出身のクライマーであり、現在は山岳ガイドとペンション経営を生業とされている。
とくに、山岳スキーにも傾倒していらっしゃるようだ。

温かいお風呂をいただき、原稿書き。

2011年3月20日 (日)

実家へ

今回は車を使って実家へ。
いくつか荷物を運びたかったし、実家でも買い出しなどが必要だったため。
なかなかどうして、高齢の女性の一人暮らしは、年々困難になってきている。

何年も前から同居を提案しているのは、私ではなく夫であるけれど、いまだ実現せずにいる。

2011年3月19日 (土)

ひつじプロジェクトが始まる!

詔子さんのヨガクラスへ。
地震のちょうど翌日から2日間、詔子さんとヨガリトリートを企画していたが、当然のごとく流れてしまった。
私たちのリトリートは秋にまた行なおうと心新にした。
しかしそれよりももっと早く、なるべく直近でヨガクラスをやりたいな、詔子さんやってくれないかなと連絡しようと思った矢先に、彼女はとっくに会場を抑えて企画していた。

東北の方々の苦しみを思えば、東京に住む私がなにも言えないが、それでも余震が続き、体がこわばっていたり、外出がしにくくて家に篭りがちだったり、心身ともに不健康な日が続いていた。
ヨガはこんなときにも、心に安定をもたらしてくれる。深い呼吸と緊張と弛緩を繰り返したあとのリラックス感は、ヨガならではである。


ヨガのあとは、まさみんとミーティング。
数日前に、あるシリアスクライマーさんから何度かメールをもらった。
今回の震災に際して、彼なりに自分が何ができるか考え、その思いが書いてあったのだ。
彼のアイディアをそのまま形にすることは、難しい面もあるのだけれど、なにかできないかずっと考え、ヨガクラスの前にまさみんの携帯にメールしておいたら。
彼女も、同じようなコトを考えていたという。しかしアウトプットする方法については、全く違うものだった。

あれやこれや、彼女曰く「止まらない妄想」が始まり、ふたりで考えて、企画をまとめた。
思えば、私たちがひつじプロジェクトを起ち上げようと心に誓ったのは、昨年の夏の終わり、あの東北の青き美しい山並みでのことだった。
いま、大地震は数えきれないほどの人命を奪っただけでなく、東北の美しい海や川や山も破壊した。
そのことが、ものすごくさみしいと、東北在住の仕事仲間の方のメールに書いてあり、心が痛んだ。

私たちが東北の山で思い付いたこのプロジェクトは、いまこそ起ち上げるときなのかもしれない。
そう考え、スーパーフルムーンであり、そしてまさみんの誕生日である今日、いよいよ具体的にスタートした。

早速半分ゲリラ的に、というか他人の迷惑も省みず、私はsteepdeepさんに電話し、まさみんはAくんに電話した。
なかば強引に二人に協力を依頼したのだ。
あとは、こちらが一方的に決めた「参謀」にも相談せねばならない。
ともかく仕事の分担だけして、地下鉄の駅で別れた。

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2011年3月18日 (金)

今日の出来事、いくつか

今日の出来事いくつか。

1)
古巣のボスから電話があった。被災地入りして取材し書いてくれる人を探しているのだという。
媒体によってはそういうライターが確保できずにいるところもあるのだろう。
このような取材の場合、リスクマネジメントや不便な場所での生活ができ、自立して主体的に動いて取材できる人物でなければならない。
このように声がけいただけることは、ありがたいことだけれど、いつ帰ってこられるかわからない取材には、いまは出ることができない自分がもどかしい。

というようなことをFACEBOOKに書いたら、さっそく連絡をくれたのはマウイに住む友人だった。彼女は海のことを書くライターだ。
彼女はリモートエリアでも生きていけるスキルとタフな体力と精神があり、そして温かい心の持ち主であり、彼女以上の適任はいないのではないかと思ったが、その時点ではすでにライターは決まっていた。

2)
その話を、夜電話をくれた広島の友人に話すと、顔をしかめていた(電話なので顔は見えないのだが)。広島で生まれ育ち、平和問題についての翻訳をしている彼女は、人一倍原子力問題や放射能について敏感であり、相応の知識ももっている。そのような土地に出向くジャーナリストが必要なことはわかるが、友人には行ってほしくないケースだということだった。

残された最大の問題のひとつ、原発については、どの情報を信じてよいのかわからない。
専門外の人が言うことがどれほどいい加減であるかは、どんな分野でも実証されているのだから、専門家の話を聞きたいし、御用学者の話は不要だ。

3)
夜に行なわれる予定だった登山関連の委員会に出席すべく、自転車を走らせると(停電や交通の混乱をおそれて、1時間半ほどかけて自転車で行くことにしたのだ)、途中信号待ちのときに委員長から電話が入った。「やる気満々だったのだけれど、欠席の人が増えて…」と。「いまどこですか?」と聞かれたので、「私もやる気満々で自転車で向かっていましたが」と応えた。大きな陸橋をふたつわたって、そこそこ走って運動になったし、自転車のメンテもできたし、ヨシとしよう。

4)
スウェーデンに住む友人ジュリアスが、地震を心配しお見舞いと私の安否を気遣うショートメールを携帯にくれていた。
何度か返信を試みたが届かなかったので、パソコンにメールしたところ、記録しておいたアドレスに間違いがあったのかこれもエラーでもどってきた。
どういたものかな、彼の性格を考えるとかなり気をもんでいるだろうと考え、ようやく私は、成都の友人ジユエに、「このメールをジュリアスに転送して」と頼んだ。

そうしたところ、ジユエは彼のメアドを持っていないと、NYのスティーブに「スミコがこんなこと頼んできた、スティーブよ、よろしく」とメールしたのだ。
スティーブは写真家であり、そしてラフトガイド。私がジュリアスと2年にわたって一緒に青海省の奥地の川をラフトを使って旅したときに、ガイド役で来ていたのだ。
ちなみに、ジュリアスは顧客、ジユエは現地ガイド、私は取材同行者。

さすがにスティーブであれば、ジュリアスの連絡先ぐらいわかるだろうと思っていたのだけれど、そのスティーブが、サンフランシスコのエリックにメール転送を頼んだ。なぜだかはわからない。エリックはラフト会社のオーナーだ。
そして何がどうなったのか知らないが、デトロイトのリチャードから、「スミコ、無事でよかったよ」とメールが来た。
え?どこのリチャードだっけ?と一瞬思ったが、そうかあの時に参加していた長身の弁護士の彼ね、と思いだした。
北京のホテルから空港までのタクシーをシェアし、ふたりでしみじみいろんな話をし、リチャードは私にもっと勉強をせよと、あえてキツイアドバイスをくれたことを思い出した。

肝心なジュリアス本人は、ツェルマットでスキーをしていたのだけれど、こうやってひょんなことから、私のメールが独り歩きをしてみんなのところを廻り、私の近況が彼らに届くという、なんだかおもしろい結果になった。


5)
そして、夜遅く、帰宅した夫から話を聞いた。
仙台勤務のスタッフのひとりが東京に戻ってきたため、一緒に夕食を食べてきたのだという。
夫からの伝聞であっても、彼らがどんなに命からがら逃げたのか伝わってきたし、どれほどの揺れなのか、聞いただけでぞっとした。
その時、彼と一緒だった私の友人でもあるふみぽん、生きていて本当によかったと思ったし、本当に瀬戸際だったのだ。

生きぬくには体力も精神力も、そして身体能力までも要求される。
あと一歩遅かったら、あの時走るのを諦めていたら(だって短い距離ではないもの)、巻き込まれていたのだ。
お年寄りにはかなり難しいことだろうし、私だって走り切れるかわからない。

2011年3月17日 (木)

実家へ

今日は電車とバスを使って実家へ。このルートで帰るのはホント久しぶり。
電車は東京メトロもJRも駅舎内やホームの照明を落としていた。
普段からこれぐらいの明るさでもいいんじゃないかな。日本の駅は明るすぎる。ヨーロッパの駅ってこれぐらいの気がする。この方が落ち着くのだけれど、これでは不便する人もいるのかな?

普段ほとんど使わない実家の車を出して、近所のスーパーマーケットへ買い出し。と思ったら、工事中で閉店していたので(地震の影響かどうかは未確認)、隣町まで。
帰りに珈琲豆屋によって、買い物。

車のラジオを聞くと、千葉県の計画停電の時間が迫っていることを知り、実家に戻るや否や慌てて、「じゃあね、またね、元気でがんばるのよ」と言い捨てて、バス停へ。
地元の駅を降りて、スーパーマーケットへ行くと、「大規模停電のおそれがあり、その際はレジが突如使えなくなります。そのためお買い物はその場で止めてもらい、商品を置いたまま、店内のお客様は早急に店外に出ていただきます」というようなアナウンスをひっきりなしにやっていた。ああ繰り返されると、誰もがヒステリックになり、あわてて、たくさんの買い物をして、押せ押せでレジに詰めかける。

そうかとうとう23区も大規模停電か、大体こんなことなら最初から「計画停電」などという名前をつけなきゃいいのに、ちっとも計画性がない。今朝気温が下がることは、簡単に予報できたことだし、それぐらいの気温になったらどの程度の電力消費があるかなんて、過去のデータはあるだろうに、と素人ながらも思う。
だいたい23区を停電させないで、電力セーブでどの程度できるんじゃい?という疑問もある。
病院や信号など必要なところだけ停電ナシってできないのだろうか。

などと考えながら、今日は体が温まるように鍋にした。

寝るときは、いつもの通り、いつでも外に出られるウエアを着て、枕元には貴重品とヘッドランプ。その他の荷物や飲み水、多少の食糧を詰め込んだザックとヘルメットは玄関。
では、おやすみなさい。

2011年3月16日 (水)

イベント中止のお知らせ + 役立つサイト

【イベント中止のお知らせ】

既に日付が過ぎてしまったものもありますが、以下ふたつのイベント・講習を中止します。
いずれも東北・関東大震災の影響を受け、環境の安全が確保されないためです。
残念ではありますが、余震が続くなか、登山をすることは土砂崩れや雪崩のリスクが高いです。「私たちのこのイベントに関しては」、中止を決定しました。


またいつかフィールドに出られる日がくることを祈って、いまは自分のいる場所で、自分のできることややるべきことを淡々と行っていきたいと思います。

またぜひ、山にご一緒しましょう。
登山のスキルやスピリッツは、こういった被災後の逆境をも乗り越える力ともなるでしょうし、何よりも楽しい遊びですので。


3/12-03
 春を告げるヨガリトリート 宇田詔子+柏澄子

3/26 自然講座「女性のためのハイキング」

【いま役に立つページ】
日本登山医学会ブログ
http://jsmmed-tozanigaku.sblo.jp/

日本登山医学会公式サイトより「地震で被災された方へ」
http://www.jsmmed.org/pg65.html
*避難所や被災地で不便に暮らしている方々へ、低体温症、感染症、飲み水に関する注意喚起

国際山岳認定医・大城和恵医師の山岳医療事情サイトから「避難所での対体温症対策」(Japanese+English)「低体温症にならない食事の摂り方」
http://www.sangakui.jp/

モンベルアウトドア義援隊
http://www.montbell.jp/generalpage/index.php?general_id=141
被災地への物資(主にテントやシュラフなどアウトドアギア)、援助金、人的援助を展開中。
本部は、モンベル仙台店。

スノーピーク
http://www.snowpeak.co.jp/info/2011shien.html
災害援助物資提供のお願い →一時中断中

2011年3月14日 (月)

恵那の山里へ

大方予想できていたことだけれど、朝起きると、都心の交通網は混乱していた。
東京電力による「計画停電」というのは、本当に本当にあんなに夜遅くに発表して、今朝からできると思い込んでいたのだろうか。
夫の会社も、各店舗や営業所が営業できるかどうか、鉄道との関係もあるし、スタッフを確保でき、さらには終業後安全に帰宅させられるかに寄るのだから、大混乱のようで、昨日の深夜から始まった電話が今朝になっても続いていた。

私は、喪服など身支度をして、それからできれば宿泊してきたいので、仕事道具も持って、東京メトロの駅に向かった。
バッグには、ゆっこちゃんとふたりで小川山で撮った写真もちゃんと入れた。
交通が混乱するかもしれないけれど、絶対に会いに行けるようにと。

いざ東海道新幹線が動き出すと、それはもう別世界のようになった。
半分パニック気味の東京を離れるにつれて、本当に静かな世界になった。
地震の影響を全くといってよいほど受けていない世界に、初めてやってきた。
名古屋から恵那へ向かい、恵那駅から1両編成の明智鉄道というのに乗り換えた。

山や田畑が広がり、日本の原風景のような美しいところだった。
ここで、あのまっすぐで心がきれいで、誠実なてっちゃんが育ったんだと思った。
最寄駅からタクシーに乗り、彼の実家を目指すと、大きな大きなトマト畑が見えてきた。
ゆっこちゃんとてっちゃんが丹精込めて作っている畑だ。
ある時電話をすると、ゆっこちゃんが出て「てっちゃんは、いま畑だから」と。畑からなかなか戻ってこないところをみるとどんだけ大きいのかと思っていたが、こんなに立派な畑仕事を、彼らはしていたのだな。

てっちゃんに会い、ゆっこちゃんに会った。
ふたりは、私に本当にたくさんの貴重なものをくれた大切な友人だ。
てっちゃんのご両親にもお会いした。


こうやっててっちゃんに会え、辛くても彼の魂に祈ることができたのは、てっちゃんの仲間達のおかげでもある。
大規模だったと聞いている捜索は、おそらく聞くだに非常に的確に行われていったのだろう。
私のところにも整理された情報を随時届けてくれた。
てっちゃんとゆっこちゃんが、白馬のバックカントリーの歴史を作ってきたメンバーであり、そして白馬の仲間達から深く愛されていたからであるが、仲間達の行動力(行動を起こす力だけでなく、それをやり遂げる能力と思い)には、本当に尊敬した。


大町であと二人の仲間たちに別れを告げているグループが、2時間もすればここにやってくるのだけれど、私はそれを待たずに去ることにした。
私の実家の個人的な事情なのだけれど、今日中に名古屋まで戻り、明朝には東京に戻りたい事情があったから。
葬儀に参列し、ヒロスケの弔辞も聞かせてもらいたかったし、事故についての説明もあると聞いていたし、最後まで見送りたかったけれど。
てっちゃんにもう一度別れを告げ、おいとました。

きっと今晩は、てっちゃんとゆっこちゃんを愛する仲間たちが集まり、Landmadeなどの映像を見て、ふたりを囲んでくれることだろう。
自然は、いい人からどんどん奪い去っていく。


名古屋では、突然のことにもかかわらず、高校山岳部の時からの親友である真里の家に泊めてもらった。
ふたりの娘はすっかり大きくなり、母は娘と共同生活をしている、そんな雰囲気。
真里と明け方までいろんな話をした。

2011年3月13日 (日)

地震の翌々日

なかなか平常な生活に戻れずにいる。
地震以来、テントやシュラフ、コンロ、水、食料を詰めたザックふたつが玄関先にあり、ヘルメットも置いてある。
寝るときは貴重品とヘッドランプを枕元に置くようになった。
動きやすい靴もすぐに履けるよう準備してある。

環境は平常にならなくとも、平常な心を保つようにするだけで、世界はずっと変わってくる。

昼ごろ、神楽坂でまさみんと待ち合わせ。
いつもこのエリアには夜にやってくる二人であり、数日後の夜に会う約束もあったのだけれど、それを前倒しにし、今日はゆっくりランチを食べる約束をした。
MJ
リンクの様々なコトを話し合わなければならないからだ。
おおかた、先日管ちゃんと済ませた、雪の八ヶ岳の反省、それを踏まえた今後の計画、膨大化する事務作業を効率よく進める方法、会計のことなど。

優雅においしいランチを食べながら、まずは地震当日のお互いについて報告。
それから、まさみんも会ったことのあったてっちゃん達の悲しい事故について。
彼女も、「本当に素晴らしい人を喪ってしまって残念でならない」というようなことを繰り返していた。

ゆっくりとランチを食べたあと、神楽坂のカフェ探索へ出かけ、そこでミーティングの続き。
途中、妙高の管ちゃんにも電話しながら、予定のフィックス。


夕方日が傾いた頃、駅に向かった。
地下鉄の改札へのこの道を、私たちはいつも終電にハラハラしながら猛烈なダッシュをするわけだけれど、今日はノンビリ歩いた。
こうやって少し現実から離れると、心の休息にもなった。

帰宅すると、
地震当初は連絡がなかった被災地の友人達が、ぼちぼち連絡をくれるようになっていた。
本人からの連絡だけでなく、facebookでシェアされた写真を見ると、モンベル仙台港店の店長を務めているふみぽんや店のスタッフ達はみな、ほんとうに命からがら逃げたのだということが伝わってきた。
ふみぽん、がんばったね。本当によかった。仙台にあるあとふたつの店舗の店長たちも親しい友人だ。大橋くんも三嶋くんも本当によかった。
仙台に住む友人同士は、反対に互いに連絡が取れにくいようで、東京を介して、無事を確認し合うなんてこともあった。


災害は人間そのものや、その人の“生”のいろんなことを浮き彫りにするのだと思う。
災害によって、家族のきずなが深まったということもあるだろうが、互いのことが浮き彫りなり、人とのつながりに疑問をもち悲しい思いをする人だっているだろう。

雇用主は、どこまで社員の安全を考えているのか、という疑問も浮かんだりした。
雇わられている側は、社員としてのミッションとそして家族との絆について、どうやってバランスを取っていくつもりなのか、なかなかシビアなときもあることを実感した。
それは、原発の処理に直接現場で当たっている人が最たるものだろう。

2011年3月12日 (土)

地震の翌日

夜中3時半頃、よっちゃん宅のブザーが鳴った。
夫の携帯にメールしておいたところ、うまくこの家を探し当て、車でピックアップしてくれたのだ。

黒姫のスキー場は地震当時、リフトは止まったもののそれほどひどくなく、温泉に入って夕ご飯を食べたときに見たテレビで惨事を知ったそうだ。
まったく休まず、ほとんど下見道で何とか東京までたどり着いたと。

一緒に行った夫の同僚も車に乗っており、3人で我が家の方面を目指す。通常1時間程度だろうけれど、9時半になってやっと自宅にたどり着いた。
夫の同僚は、この先電車で動いたほうが早いという判断で、駅まで送り届けた。
東京湾岸地域の道は、液状化現象も起きており、車が通れないということはなくても、激しい渋滞が続いているのだ。


夫は今日も休みの予定であるが、できれば会社へ行くと言っていた。けれど多くのことが電話対応で済んだことと、なによりも我が家の最寄駅の電車は終日動かなかったので、家にいることにしたようだ。
私は総崩れの書棚を前に茫然とし、ひとつひとつ片づけたが、よくぞこんなところまで本が降ってきたなと驚くような落ち方をしていた。
家で一人でいたら、どんなに怖かっただろう。

週末に予定していたヨガリトリートは中止し、その手続きは一切、詔子さんがやってくれた。


ほか、ごはんを炊いたり、おかずを作り置きしたり、避難用のバックパックをパッキング。
テントやシュラフ、防寒着、水、食料を入れた。
貴重品バッグも作り、こちらには貴重品のほか、ヘッドランプも入れた。


近所のスーパーに買い物へ行くと、普段はめったに会わないご近所の山の大先輩とばったり。
大病から復帰した彼は、こんな日も10キロのザックを背負ってウォーキングしてきたのだという。
お元気そうでよかった。こんな時に会うとなんだかほっとする。


親戚たちの安全も確認でき、とくに福島の親戚がみな無事だったことにはホッとした。
仙台にあるモンベルのストア3つに勤める友人達も無事であり、そして義援活動を始める準備をしていると聞いた。
ほかの仙台の友人達の安全もわかったけれど、福島や岩手など連絡が取れない(というよりも、いまは取らずにいる)人たちも大勢いる。
それぞれがそれぞれの場で、自分の命を守り、たくましくやっていることを信じるしかない。

疲れが出てきて、うとうとしたころに、ヒロスケからの電話で杓子岳の事故を知った。
あまりにむごい結果に言葉もなく、また余震が続くなか捜索に入った仲間達のことを思うと、とても心配だし、家族たちにはなんて言葉をかけてよいのかわからない。

捜索に入った知人からのメールには「お互い頑張りましょう。生きているものの勤めとして」と書いてあった。

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2011年3月11日 (金)

地震の日

昼過ぎに、東京西部の某駅で仕事関連のAさんと待ち合わせ。
時間通りに到着したものの、今日は携帯電話を自宅に忘れてしまったので、ちょっと心配だった。
駐車場まで迎えに来てくれた、ちがやさんに携帯を借りて、カメラマンのよっちゃんに電話したが出なかった。
まあ、彼であればどうにでもして到着するだろうと勝手に判断し、3人でちがや邸へ。


インタビューを始めてしばらくすると、よっちゃんから電話。なんと彼も携帯電話を忘れたそうだ。
今日はそんな日らしい。


ちがやさんもよっちゃんもいつもの仲間なので、いつもの雰囲気でインタビューをすすめていたところに、地震が襲ってきた。
揺れがどんどん強くなるので、外の広場に出ようと、ちがやさんの娘も呼んで4人で外に出た。本当は猫のマツも一緒に避難したかったのだけれど、マツは怖がってベッドの下から出てこないのだ。


揺れが収まり一度部屋に入るが、これはただことではないと、ラジオをつけて情報収集。ちがや邸にはテレビはないのだ。
インタビュー再開したものの、また強い揺れがあって避難をしたりと、最後まで落ち着かなかった。


あまり遅くならないうちに帰宅しようと、夕方ちがや邸を出る。
ペットボトルの飲み物とお菓子を、彼女は私たちひとりひとりにもたせてくれた。
私に至ってはこんな日に限って、薄着でありまたサンダルを履いていたので、アンダーウエアとトレランシューズを借りることにした。
まともな方法では帰宅できないだろうと思ったからだ。


よっちゃんの車で都心へ向かうが、1時間程度の道のりに4時間ほどかかった。
停電している区域も多く、信号も街頭も点いていない。大きな交差点には警官や地元ボランティアが出て、交通整理をしてくれていた。
電車はすべてストップしているとラジオは言っているが、踏切は下がったまま、赤信号が点滅し、音がなっている。踏切の棒を交代交代で手で挙げながら、1台ずつが通過していく。


よっちゃん邸から我が家までの距離を測定したところ34キロあることが分かった。
歩けないことはないけれど、夜になってきたし、街頭がない区域もあるから一人で歩いて帰るのは危険も多いと判断。
悲しい話だけれど、こういう条件(暗闇、通信手段が遮断された状況)は、犯罪の温床でもあるというアドバイスもあった。

Aさんの携帯電話を借りて、スキーに行っている夫と千葉で一人暮らしをしている老母には何度か連絡を試みたが、通じない。これは仕方ない。

今晩はよっちゃん邸に泊めてもらうことにした。
A
さんは歩いて会社へ帰り、その後のことを考えるという。

よっちゃんカップルと一緒にコンビニの弁当を食べ、パタゴニア土産だというパテを肴にワインを1杯だけ飲んだ。
やがて母と夫の無事も確認できた。

シュラフを借りて、枕元に貴重品とヘルメット、ヘッドランプを置いて仮眠をとることにする。
強い地震の時はアラームが鳴るからとテレビはつけっぱなしにしておくことにした。
荷物と食糧の一部は、よっちゃんの車の中にデポ。万が一に備えて、荷物を分散させておいた方がよいだろうという判断だ。

2011年3月10日 (木)

インタビュー→ヨガ

山に登るお医者さんであり、山の大先輩であるしーさんドクターのところへ。
山と医学、医療に関することを多く書いてきたなかで、循環器と併せて、しーさんの専門である神経内科の医師をインタビューすることが多い。
素人的にいうと、循環器はどっかーんとしたでっかいイメージ、エネルギーがあふれているような専門であり、ダイナミック。
一方、神経内科は全容をつかむのが少し大変。
「全容が見えにくい学問なんですね」と言うと、しーさんは「そんなことないよー」と。
確かに、アタマの中にいろんな部屋があり、部屋ごとに担当することは明確に分かれていて、体の各部位に伝達信号を送っていっているのだから、まあ……覚えるべき知識はたくさんあるけれど、わかりやすいといえばわかりやすいのかもしれない。


その後、週末に予定しているヨガリトリートのための保険の手続きと支払いをし、一緒にリトリートをやる詔子さんと待ち合わせて最終打ち合わせ。
ヨガリトリートは、私が以前からやってみたいと思っていたイベント。
いろんなアイディアがあるのだけれど、ある日詔子さんにそんな話をちらりとしてみたところ、彼女もノリノリで瞬く間に実施が決まった。

打ち合わせのあとは、いつもの詔子さんのクラスへ。

2011年3月 9日 (水)

雪崩講習会3日間(3/7-9)

3/73/9は、雪崩の義務講習会。
わが班の講師は、なんと山本和夫先生。本当にうれしい。
どうしても、文登研からのことであるから、「先生」と呼んでしまうが、彼から学ぶことは本当につきることなく限りなくあるのだ。
ほんとうは雪崩以外の話も、クライミングのことも色々お伺いしたかったが、今回は一応テーマが絞られているので、おとなしくしていることにした。

3
日間通して、山本先生が発した言葉、行動、それらすべてに重みがあり、ときに私は目から涙が溢れそうになって聞いていた。
つまりそれは、ガイドが事故を起こした際に引き受ける3つの責任についてだ。

全体で4班あり、2班ずつ合同でトレーニングする際は、わが班は棚橋班と一緒になった。
棚橋さんもまた、そのフラットで真摯な姿勢には学ぶことの多い山の大先輩である。


さらに、私たち講習生がとてもラッキーだったのは、ちかさんとさっちゃんのレクチャーを受けることができたことではないだろうか。
JAN
に所属し、それぞれLevel2Level1を取得し、JANのキャンプで講師も務めているという、雪崩のプロフェッショナルのふたりだ。
内容が素晴らしいのはもちろんのこと、ふたりのコミュニケーション能力に脱帽。
明瞭で正確な言葉の選択、聞き手とコミュニケーションを取りながら自分の方へ惹きつけるチカラ、飽きさせずに聞き取らせる工夫……本当に勉強になった。
雪崩のプロであり、そして伝えることのプロでもあることを再認識。
FeW
は、ちかさん、さっちゃん、ユッキー(ユッキーも今回一緒に参加)というゴールデントリオに恵まれた、ほんとうに素晴らしい女性登山者のためのワークショップをやっているのだと思う。

そう、今回はFeW3人娘と一緒だったので、いろんな話ができて楽しかった。


3
日間の講習と試験が終わったあと、小谷村のOBSから濱谷さんが降りてきてくれるというので、宿で待っていた。
これから始まる連載記事のこと、今後のウィルダネス・ファーストエイドの展開についてなどを話した。

宿を出る頃には本降りになっていたが、ハマヤンは「国道まで出れば大丈夫だよ」と。
いいや、都会からやってきた軟弱ドライバーにとってはそんなことはなく、慎重に山を下って、国道に出てもしっかり吹雪かれていた。
吹雪は神城を過ぎても続き、降雪はとうとう長野道に入っても続き、松本まで降っていた。

日本一ピットとビーコンが似合うオンナたち(写真)

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2011年3月 6日 (日)

MJリンク雪の八ヶ岳Day2

2日目は天狗岳を目指す日。
空模様は良好だったけれど、黒百合ヒュッテのある樹林帯のなかでもわかるほど、風が強い日だった。

短いトレーニングだけで登れる山ではなく、気象やルートの条件にも大きく左右される。
行けるところまで、安全が確保できるところまでということなどサポーター間で意思疎通をする。

サポーター同士のコミュニケーションも重要であるが、同時にサポーターと参加者のコミュニケーションも重要。
とくに今日は風が強く声が届かないこともある。

私は出発前にくどいほど、班のメンバーに「私の言ったことがわからなかったら、絶対に「ハイ」と言わないで」と繰り返した。声が届かない時も、言った意味が分からない時も、言ったことができない時もだ。
メンバーにとっては、いきなり本番になり、なにもかも間違えずに行わなければならなかったから、大変だったと思う。
私は私で口酸っぱくいろんな注意を飛ばすので、プレッシャーもあっただろう。

よかったことは、ほんのちょっとだけれど森林限界を超えて、あの冬山特有の風を経験できたこと。
話はそれるが、私が通っているところのカイロプラクティックドクターさんは、頻繁に「山」や「登山」について質問してくる。
それは患者とのコミュニケーションツールであったり、また患者がどんなスポーツをしているのか理解を深めるためなのだろう。
カイロに通い出した最初の頃、「山で一番怖い天気はなんですか? 雪ですか?(降雪)」と聞かれたので、迷わず「風です」と答えた。
あっているよね?

風だけでも怖いが、降雪や降雨に風が加わるとダメージやリスクは倍増する。
行動そのものが制限されたり、不能になる、体温が奪われる、それに風は雪崩とも関連してくる。

森林限界を少し超えたところで引き返し、黒百合ヒュッテに下山。
黒百合ヒュッテから渋の湯への下りは、みんなかなり足取りがよくなった。


予定のバスを早めて下山したため、最後に参加者たちと話ができなかったのが心残りである。
わが班は、雪山登山が初めての人たちばかりだった。
人生初めての雪山を共にする責任を感じながらも自分の力不足を痛感。

技術を伝えるには、自分の考えが明瞭なだけでなく、それを明快な言葉にする必要がある。
言葉を受け取る相手は、それぞれバックグラウンドが違う。
それぞれに似合った言葉を使い、わかりやすく伝えるというのは、なんて難しいのだろう。

たとえば私は、いろんな多くの人にテレマークスキーを教わってきた。
なおちゃんは、言葉が明瞭で、それを表す滑りがとてもわかりやすく、そして私のセンスにも合うから大好きだった。
友人でもあるケイちゃんは、私の性格や能力をよく知っているから、端的にその時に必要な一言だけをくれることが多い。
その一言を守るだけで、ぐっと滑りが変わる。あとは、自分がその言葉の意味を考え、自分の中に蓄積させていくだけだ。

参加者と自分は合わせ鏡であり、彼女らの反応を見て、こういう言い方のほうがわかりやすいのだな、とかこの表現は伝わりにくいのだとわかる。
そして、同じ言葉を受け取っても、それが行動(この場合、アイゼン歩行とか)になって現れる形はそれぞれ。
それは、それぞれの解釈、性質、体力や筋力、これまでのスポーツ経験の内容などにも影響されるのだと思う。
スキーをしている人は話が早い。体重移動について説明しやすいからだ。
ランニングをしている人は、体幹がしっかりしており、応用が効く。

初めての経験であっても、恐れず、素直に体を動かしてみる。
それがいかに重要か、いつも教わる側の自分(とくにテレマークスキー)のことを、ひしひしと思い起こした。


茅野へ戻ってから、まさみんと管ちゃんと3人で昼食を食べながら、反省会。
反省内容は山ほどあったのだけれど、今日頂上を踏めなかった参加者の皆さんが悔しかったのと同様、私たちも私たちなりにやり残したことが山とあり、私たちなりのリベンジについて考えた。


長時間にわたって、たくさん話をして解散。
管ちゃんは妙高の自宅へ車を走らせ、私はまさみんを茅野駅に送ってから、神城へと向かった。
長野道に入ると、後立山連峰が大きく見えてきた。本当に日本は山岳国だと思う。素晴らしい。

スキー客で温泉が混んでいる時間帯だと思われたので、なるべく影響がなさそうな温泉を選んで、ゆっくりした。
夕ご飯を食べて、JAN(日本雪崩ネットワーク)のセイフティーキャンプから帰ってくるユッキーを待った。
今日はユッキーと同室であり、カギは彼女がもっているのだ。

ユッキーからの携帯メールナビで導き出したスペースにたどり着き、車を停めて待っていると、間もなく帰ってきた。
いろんなおしゃべりをし、その後、チカさんも帰ってきて、またもやおしゃべり。

この家の主であるHさんは、あまりにも有名な存在。(私の勝手な想像では)クライマーであり、旅人でありヨギーニ―であるような。
ほんの少しご挨拶しただけにとどまったけれど、あんまりにもやさしくて温かな心をもった人なのだと、感激した。

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2011年3月 5日 (土)

MJリンク雪の北八ヶ岳Day1

今回のMJリンクはA日程とB日程に分かれている。
A
日程はストックと軽アイゼンで黒百合ヒュッテ周辺やできれば中山などの雪の積もった山の中を散策するもの。
B
日程は、途中まではAと一緒に行動するが、初日午後からはモードを変えて、雪上技術のトレーニングをし、翌日は天狗岳を目指すというもの。装備はピッケルと(10本爪以上の)アイゼンとなる。

サポーターにとってもチャレンジな企画であるが、いつかはやりたいと思っていたステージである。
というようなことを、サポーターのまさみんと話したあと、管ちゃんにも相談すると、彼女も乗り気だった。やっぱり。
雪山を知ることは、登山の世界を広げるし、また雪山で安全に行動できれば、それは夏山にも当然つながっていく、というようなことが、開催の意図。


黒百合ヒュッテから中山までの道のりは、1月下旬に下見した時は積雪量が大きく違い、印象が異なった。
A
日程は時間がタイトでゆっくりできなかったのは、開催側のミスであるが、Bについては、中山を楽しむことができた。
黒百合ヒュッテに戻ったあとは、3班に分かれて雪上トレーニング。
トレーニングに適した雪質や斜面はなかったことが苦労の種だったが、小さな規模の斜面や登山道を使って、アイゼンワーク、キックステップなど、ピッケルストップと耐風姿勢、ツェルトの役目などを行なった。

夕食前には雪崩について(雪崩について今後勉強するためにどうしたらよいか)、夕食後には冬山の天気について講習。
なんとも盛りだくさんというか、非常にハードなスケジュールとなった。

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2011年3月 4日 (金)

MJリンク雪の北八ヶ岳 前夜

午前中は仕事をして、午後2時頃、ガソリンを満タンにしたあと、茅野へ。
明日からのMJリンク北八ヶ岳は、スケジュールの都合上、参加者全員が茅野駅近くのホテルに前泊することになっているのだ。


よく晴れた日で、中央道からは南アルプスも八ヶ岳もよく眺められた。
ホテルに着き、受付の準備をして、しばらくするとサポーターのひとり管ちゃんがやってきた。

管ちゃんとおしゃべりしながら参加者を待つ。
やがて田部井さんもやってきて、美味しいアンパンを参加者全員分持ってきてくださった。
横浜元町で古くから営んでいるウチキパンのアンパンだそうだ。


参加者が受付にやってくる合間を縫って、管ちゃんと近所の中華屋へ行き食事。
やがてまさみんとジッキーも到着し、受付業務もぐっと楽になる。

最終列車で着いた最後の参加者たちと一緒に、大久保さんと佳苗ちゃんも到着。

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2011年3月 3日 (木)

打ち合わせ

山の先輩ドクターが勤務する病院へ。
いつものように到着後電話を入れると、「え?今日だっけ?来週じゃないの」と。
私が思いっきり勘違いをしていることが発覚。彼女は大学の授業も受け持っているので、授業が始まるわずか数分立ち話をしてくれて、そのままおいとま。
来週再訪することになった。


その後、ザ・ノース・フェイスのプレスルームへ。昨日会った面々にまたお会いし、ゆっこちゃんとミーティング。
あれやこれや意見の交換をして、地図を広げて、山を思い描いて、そしてそれからタイ料理でランチ。
最後に、ゆっこちゃんにmarch(写真下、毎日携帯カメラでスミマセン)にお付き合いいただき、憧れのバーブパンツを購入。
今年の新色の紅い色は、ホント素敵。素敵だけれど、シーンと人を選ぶ気がして購入にはかなりの勇気が。

帰宅後、原稿書きと明日からの長旅の準備中。

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打ち合わせ2本→TNFのmarchオープニングパーティ

Wさんはこのままギリギリまで仕事をしてから東京に戻るというので、私はひとりで一足早く新幹線に乗る。
東京駅から直行したのは、目白のカラファテ。あんまりに久しぶりなのでおしゃべりしすぎに注意しようと(タイトスケジュールのうえ隙間時間はすべて原稿書きに充てるべき日々なので)、心に決めて入店。


取り置いてもらっていた『雪崩ハンドブック』を見せてもらう。版元在庫はもうないし、ネットの古本屋では約倍額で販売されている。
日本山岳ガイド協会が雪崩の講習や検定のテキストと指定しているのだから、ぜひとも増版してほしい。

それと、プローブも。ジャックに相談して、ライフリンクにすることにした。BDも考えていたのだけれど、売り切れだったのだ。
いやはや、最近のプローブっていうのはすごいなと、結合部分がどれだけ進化したか、じっくり見て、それから組み立ててみた。こりゃものすごく速いわ。
するとアラヤマちゃんが、「あ、柏さんがゾンデ買っている」と。「そうなんですよ、今まで使っていたのは古くて留めのところがいかれてしまって、それに組み立てるのに時間もかかるんで。あの、赤と青と黄色のオルトボックスですよ」と言うと、はてな顔だった。「ほら、昔のアレですよ。だいたい20年位前に買ったと思うんですが」と付け加えると、「じゃあ、僕は知らないわー」と……。そうだ、アラヤマちゃんは若かったんだ。歳がばれた。いいや、とっくにばれているのだけれど、なにも再認識させる必要はなかった。


今週末は「てれまくり」だけれど、私は用事があってどうしてもいけないことを、北田さんに報告。
てれまくりの準備の様子なども聞かせてもらった。


合計30分強で店を出る。カラファテにいったにしては上出来なタイムだ。


その後、カフェで原稿書きをしてから、G編集部へ。講演会と記事の打ち合わせ。
そしてまた同じカフェに戻って原稿書き。
途中、霞が関詰めになっていた女性新聞記者さんと合流。彼女はときどき山のことを書いているのだ。
少し話をしてから一緒にザ・ノース・フェイスプレゼンツの女性向けストア「march」のオープニングパーティへ出かけた。


ノースの女性向けストアがラブリーになるわけはないけれど、いったいどんな雰囲気の店内なのかと全く想像もつかなかったのだけれど(数日前に通ったときはまだまだ未完だったし)、想像以上にクールでハードなイメージだ。
ノースのいろんな方々とお話をして、「どうですか?印象は?」と聞かれるたびに、「想像以上にクールでハードです」と言って回っていた。

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年以上前からお世話になっている山本さんもいらっしゃっていたし、もちろん森さんやゆっこちゃんや西村さんやその他いろんなノースの方々やその周辺で働いている方々とお話。
ストアは売り場面積がかなりのものだと思われるが、それでも招待客でいっぱいになっていた。
買い物は明日にしよう。201103021910000

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2011年3月 1日 (火)

白馬へインタビュー

午後から長野へ。
新幹線長野駅で下車し、Wさんが運転するレンタカーで一路、白馬へ。


今朝の大輔さんからの電話は「今日も雨だから撮影はなくなりました。何時に来てもらってもいいですよ」ということだった。
天気さえよければ、日中は撮影があるから、日が落ちてからインタビューしようという約束だったのだ。


雨の降りしきる白馬へ。
古くからあるカフェでインタビューしていると、地元在住のガイドの黒田誠さんも顔を出してくれた。


予定より早く終わり、長野に戻る。
W
さんと長野の郷土料理が美味しいという飲み屋へ。

いざ注文する段階になって、「私、飲めないんですよ」と。ひやー!
私はビールと冷酒を1杯いただく。


ホテルに戻ってから原稿書き。
最近は打ち合わせや取材が多く、そして人を雇いたいぐらい雑用があまりにも多く、腰を据えて原稿を書く時間がないことがとてもとても痛い。
このままでは取り返しのつかないコトになるので、少しずつでも書き進めることにしている。

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