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2011年1月

2011年1月31日 (月)

テレマークスキーヤー・ドクターさん

朝起きても痛みが変わらないことと、ほかにいくつか気になっている点があったため、昨晩、自分でアセスメントしてみた。今朝ももう一度やってみた。
アセスメントというとちょっと大げさだし、いままでも患部は触ってみていたのだが。

この2年程、ウィルダネス・ファーストエイドを習い、トレーニングしてきたが、それを試してみたのだ。
昨年12月にUSWilderness Medical Associateの講習を受けた時に、ウィルダネス・プロトコル(ウィルダネスの状況下における約束事)として、脊椎損傷の際のアセスメントがあった。
私は尻もちをついただけなのだけれど、腰骨あたりから尾骨まで、この時のアセスメント(のひとつ)の通り、脊椎をひとつずつグリグリと触ってみたのだ。すると、尾骨よりももっと上のあたりで、骨自体に痛みを感じた。
じつは、なにもしなくても、自覚症状として、漠然とした打撲の痛みというよりも、最近は骨の痛みのようなものを感じていたのだ。

札幌で再診しようと、朝ノートパソコンを開いて、近所に整形外科がないか検索してみた。
すると、Kちゃんは、コンサドーレ札幌の選手たちも診てもらっているという、歩いていける病院を教えてくれた。
問題点は、その病院へは坂道を通るので、再転倒のリスクがあるってこと。 私も大まかな道順はわかるけれど、あの坂はヤバいなとなんだか気が進まない。

ほかにもDIVA仲間の旦那さんがいる病院やそれから、テレマークスキーヤーである整形外科医がいる病院も教えてくれた。
よし、そこにしよう。

午前中は仕事をして、午後からバスを2本乗り継いで、テレマークスキーヤー・ドクターさんに会いに行った。
レントゲンだけでは、「仙骨の骨折(ひび)の疑い」という診断だったけれど、触診からして、おそらくひびは入っているだろうと、先生は言っていた。
ひびが入っていようがなかろうが、治療法や心がけることはさほど変わらないのだけれど、2月からGWまで毎週末のように山に登る仕事が入っているので、念のためにMRIも撮り、シロクロはっきりさせることにした。

結果、骨の内部に出血があり、ここにひびが入っているのだと、説明してくれた。
骨折は初めての経験だけれど、なるほど、骨内部にこんな風に出血がおこるのか。
しかし、大した出血ではなく、血液は骨膜を破ることなく、とどまっていた。

このまま運動を続けても、回復が遅れるようなことはないのだという。
けれど、再尻もちは、ひびを広げるので、禁物と。
そうなると、クロカンはできないな。
一か八かの下り練習では転倒必須である。

おまけに、婦人科系の異変までみつけてくれた。悪性である可能性は低いけれど、帰京後病院へ行ったほうがよいと。
数年前に、異形細胞は消え、がんにはならずにいたのだけれど、また悪さが始まったのだろうか。
ちょっと面倒だけれど、病院へ行かねばならない。


先生からは、高所登山の話や、ネパールにあるいくつかの診療所の話、某国国境近くの診療所にやってくる亡命者たちの疾病の話などを聞かせてもらい、とても興味深かった。
もっとたくさん話がしたかったけれど、私は一介の患者なので、そんなわけにもいかず。

またいつか、どこかで―それは雪の上であったり、狸小路であったり、秀岳荘であったりであり、決して診療室ではないところで―会えるといいなあと思う。


早速、KちゃんとJくんに報告メールをし、4日に予定していた、八重樫さん+緑さんのクロカンのレッスンをキャンセルした。
あとは、札幌で済ませるべき用事を絞り込み、それらを終えて、エアチケットを取り、そうそうに帰宅する準備をしよう。


イトレの夜、Jくんは本州出張で留守であるため、私が夕ご飯当番となった。Jくんが買っておいてくれた、海鮮とチンゲン菜を使って蒸し物を作り、Kちゃんがニシンの粕漬けを焼いてくれた。北海道ではこうやって食べることもあるんだって。


K
ちゃんは、「きっと、K先生(テレマークスキーヤー・ドクター)に会うために導かれたケガだったんだよ」と言うけれど、私は、1月に入ってから全然走れていなかったから、こんな準備で50キロに出るなんて甘いよって天から言われたのだと思っている。12月まではそこそこ走れていたのだけれど、肝心の1月からガタガタだった。

しかしそれにしても、K先生とは、またどこかで再会したい。

2011年1月30日 (日)

札幌のイトレへ

午前中でDIVAが終わり、みんなと一緒にランチしたあと、スタッフの一人お系さんを待って、一路札幌へ。
ケイちゃんの車は、昨日も今朝も雪かきしたというが、それでも動かす前に雪かきが必要だった。
途中、あずちゃんのところへ荷物を取りに寄った時に、わずか10分足らず停めただけでも、再び雪かきが必要だった。

いったいこの先、どーなっちゃうのかと思ったけれど、さすがのラリーカーは、問題なく走行してくれた(ケイちゃんのドライビングテクニックもあるのだけれど)。
そして、後志を抜けると、心なしか降りが弱くなり、中山峠を越えたら、雪は降っていなかった。ほっ。


いつものなじみのイトレ(Jくんとケイちゃんの自宅)に戻ると、ボルネオで10日間ほど仕事をしてきたJくんが帰ってきていた。
なんだか、久しぶりに3人で顔をそろえたコトが嬉しく、イトレに帰ってきてホッとできて、腰の痛みも消えたような気がして……ついつい、Sapporo Classicの富良野ラベルを飲んでしまった。
ああ、うまかった。


明日はできれば、滝野へ行きたい。この痛みが残るなか滑ってよいのかわからないけれど、ちょっと体を動かしたいのと、今シーズンのワクシングルームなどを確認して、明後日からの日常をどのように組み立てていくか、下見をしておきたいのだ。


ケイちゃんが、「カシちゃんに布団出してあげて」とJくんに言うが、Jくんは、「もう勝手に出して敷いているよ」と。
そう、私が昨年も一昨年の冬も1020日近くを過ごさせてもらった、この部屋は、わが部屋のように勝手知ったるものであり、いつものように布団を出し、棚にウエアを並べ、机の下に仕事の資料を重ね、机の上にはパソコンを開いておいたのだ。

札幌国際スキーマラソンに出場するために、というかクロカンを練習するために、私が彼らの家に泊まるようになってこの冬で3年目だ。
それ以前も一緒にノルウェーを旅したりして親しくはしていたけれど、こうやっていつも私を迎え入れてくれることには、本当に感謝したい。

クロスカントリースキーのレースは世界各地にある。バーサロペットのひとつとして数えられる札幌のこの大会は、世界でも有数の難関コース、体力的にもハードなコースとして知られており、この時期、世界各地からクロスカントリースキーヤーたちが集まってくる。
しかし、札幌雪まつりと重なることもあり、札幌での宿の手配は難しい。大会申込書にはいつも、札幌近郊でホームステイとして部屋を提供してくれるボランティアを探しているという書類も同封されてくる。

ケイちゃんは、いつも口癖のように、誰でも泊めてあげたいと言っている。
彼女らが、同じくバーサロペットのひとつであるUSのビルケバイナーの地を訪ねた時(それは夏のことだったのだけれど)、クロスカントリースキーヤー達と出会うことがあり、「あなた、ビルケバイナーのレースに来るのであれば、うちに泊まりなさい!」と言ってくれたのだそうだ。
そういう、思いを、Jくんとケイちゃんも、ほかの人たちにわけてあげたいと思っているようだ。

ふたりの思いやりになにか感謝を表したいといつも思うのだが、ケイちゃんは「友達でいてくれれば、それでいいよ」と泣けることを言う。
「友達ってなあに?」と聞くと、「一緒にスキーしたいって思うこと」だと、彼女は以前言っていた(これはスキー関係の友達についての話だと思う)。
テレマークスキーヤーのTAJ公認インストラクターであり、日本のテレマークスキーの間違いなく女王であり(不動の女王だと私は思う)、そしてクロカンでもめきめきとタイムを伸ばしてきているケイちゃんとは、およそ足並みがそろわないが、そりゃ、一緒に滑って、一緒にご飯食べて、酒を呑みたいと思う、友達だわさ。

今年も、ありがとう。

2011年1月29日 (土)

DIVAの飲み会へ

今日もおとなしくしている。
来月中旬にある、札幌国際スキーマラソン50キロが控えており、私はこのあと2週間ほど札幌に滞在してクロカンのトレーニングをする予定にしている。
それまでにきっちりとはいかなくても、それ相応に治したいのだ。


昼は、DIVAのみんながスコットでランチを食べるというので、私も合流させてもらった。
スコットは、今シーズンで廃業が決まっているそうだ。残念。
打撲の痛みもずいぶん引いたので(引いたように勘違いしていたのだが)、お別れにスコットにあるぽぽろの湯に入ってから宿に帰ることにした。


夜は、DIVAの飲み会があり、生まれて初めてノンアルコールビールを飲み、その後「羊蹄の水」というのを750mlボトル2本飲んだ。けれど飲み代は700円。
酒を呑まない人生って安く上がるんだなあと痛感。

みんなと滑れなかったことや、DIVAのレッスンを受けれなかったことは残念だったけれど、DIVAの仲間に再会できたこと、あずきちゃんやリエさんという新しい友人と知り合えたことや嬉しかった。
あずきちゃんは、大の山好きなので、今度一緒に山に登れるかもしれない。

昨年、ニセコのパウダーをご一緒して以来だったカメラマンの雅彦さんともたくさんおしゃべりができた。続きは、私が完治してから札幌のワインバーで会おうということになった。

2011年1月28日 (金)

DIVA脱落 病院へ

朝起きると、予想よりも痛みがひどくちょっと憂鬱。
皆と一緒にゲレンデトップまで上がったけれど、あまり滑る気も起らず、力も入らず怖いので、適当に滑りながら下まで降りてきた。


あと数本滑るというみんなと分かれて、ホテルのソファで休憩。
ランチ時になると、satohahaや涼ちゃんも集まってきた。
みんなに、「一度医者に診てもらったほうがよいのでは?」と言われて、確かに明日から週末だから行くのならば今日だと、思い立った。

SNOW DIVA TELEMARK
を主宰するアズちゃんに電話し状況を伝える。アズちゃんは倶知安の大きな病院にも電話連絡を取ってくれたが、あいにく手術が続いていて今日は診断してもらえそうにないことがわかった。
宿のご主人が車で送迎してくれ、倶知安の整形外科病院へ行った。

それにしても雪国では病院へ行くのも一苦労だ。
こんな雪の降る中、病院からソロソロと歩き、滑らないように注意しながら5分かけて薬局へ向かった、。
私の場合、帰りも宿のご主人が迎えに来てくださったので、とても助かったのだけれど、足がない人や足をケガしているのなど歩行が難しい人などには、とても大変な環境だと思う。

レントゲン写真も撮り、打撲との診断。
痛み止めを飲み、湿布をしておとなしくしていた。

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2011年1月27日 (木)

DIVA前夜

日が昇る頃に羽田に到着し、朝の便で千歳へ。
途中、蔵王と思しき火口をもつ山が見えた。

北海道の大地が見えてくると、大概左手に屏風のように立ちはだかる日高山脈を望むことができる。
まるで、後藤純男の絵画に描かれているような風情で、私はこの風景が大好きだ。
今回は、大雪や夕張岳についても確認できた(と思っている)。

空港近くのプリン型の山や双耳峰のように二つ並んで見える山々については、ケイちゃんが山の名前を教えてくれた。


DIVA
仲間の愛ちゃんと空港で落ち合ってバスに乗り、ニセコへ。

私がSNOW DIVA TELEMARKという女性テレマークスキーヤーのためのキャンプよりも1日早くニセコ入りしたのは、ナオちゃんに会うためだった。
愛ちゃんと一緒にナオちゃんの家を訪ねると、小さな小さなアリちゃん(11月に生まれたばかりの娘)も一緒に迎えてくれた。キースが留守だったのは残念だったけれど、ナオちゃんと夕方までおしゃべり。

私はナオちゃんのスキーが大好きで、彼女が、以前SNOW DIVA TELEMARKで私たちに見せてくれた滑りも、それからノルウェーで一緒に滑ったときの姿も、かなり鮮やかに目に焼き付かせてあるのだ。
また、ニセコか本州の山かあるいはノルウェーの山々でナオちゃん一家と一緒に滑る日が、遠くない将来やってきますように、と思っている。


夜、同じくDIVA仲間のタケヤンとあっつんも合流して、居酒屋へ。
昨年、私はDIVAには不参加であったけれど、こうやって久しぶりにみんなに会うと、話も盛り上がり、来てよかったかな、と思えた。

楽しく飲んで食べた、その帰り道、おしゃべりに夢中になってブラックアイスのように不気味に光り輝く、絶対に立ち入っちゃいけないセクションを歩いてしまい、すっ転ぶまでは、楽しい時間だった。
目撃の3人によると、それはそれは漫画のように滑り、体が宙に浮いてどすんと尻もちをついたのだと。ものすごく痛くて、そう簡単には立てないほどだった。

しかしその痛みも宿に帰るうちに和らぎ(和らいだつもりになり)、宿の隣にあるバーでもう1杯。
宿に戻ってからも、4人で深夜までおしゃべり。

話題は、この1年のスキーのこと、革靴のこと、細板のことなど尽きない。

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2011年1月26日 (水)

北海道への準備

原稿書きの1日。

一昨日編集者に渡した400字程度の短い原稿は、書き直すことになった。
彼女からの率直な意見を聞き、実は私も心の奥底にわだかまりのあるものだった。
一度書いたものを書き直す、破壊するというのはたとえ長くない原稿であっても、それなりのエネルギーが要るのだけれど、踏ん切りがつき、書き直すことができた。
編集者に心から感謝。


ほか、連載の原稿書き。


夜からスキー板2本のワクシングと、パッキング。
明日から、恒例の北海道滞在。今年は19日間。
久しぶり(の感あり)に、女性テレマークスキーヤーのキャンプSNOW DIVA TELEMARKに参加したあとは、いつもの通りずっとイトレのJくんとケイちゃん宅に居候。
かれこれ、彼らの家に居候した日数は通算1ヶ月を越えた……。

いつも、ありがとう。

2011年1月25日 (火)

MTG→アイゼン

午前中、タベイ企画さんでMJリンクのミーティング。
ことし3年目に入るMJリンクは、企画も目白押しで、話し合うべきこと、準備しなければならないことが山ほど。
とても片手間にできる仕事量ではなくなってきており、サポーターサイドのシステム構築なども課題だ。


その後、カモシカへ。悩みに悩んだけれど、アイゼンはペツル・シャルレのサルケンを購入。
グリベルも考えたのだけれど、アイゼンはシャルレ時代から、こっちが好きなのだ。
アックスは、ため息が出るほど美しいグリベルが大好きなのだけれど。

2011年1月23日 (日)

MJリンク下見:北八ヶ岳・天狗岳+中山

3月に予定しているMJリンク・天狗岳+中山の下見。
まさみんとふたりで、始発バスにて、渋の湯へ向かった。


黒百合ヒュッテに到着し、御主人の岳(たけ)さんや従業員の優子さん、ようちゃんらにご挨拶。
偶然にも、一昨日までレスキューのトレーニングでお世話になっていた山岳ガイドの太田昭彦さんにも再会。
さらには、MJリンクの古株(!)Nちゃんにも再会。
再会に次ぐ再会であった。


コーヒーを飲んだりしてくつろいでいたが、私たちは今日天狗岳と中山を下見しなければならないので、腰が重くなる前に出発しなければならない。


もうかれこれ5年ぐらい前の冬、まさみんとふたりで黒百合から赤岳鉱泉へ縦走したことがあった。そのときは、もう一回高い山へ登ろうと考えており、雪山シーズン初めの体動かしのために簡単な縦走をし、それから確か、頻繁に雪稜や岩と雪の混じるルートに出るようになったのだった。

結局、その時計画のあった高い山には、ふたりとも参加せず、それぞれ違う山でその年のシーズンを過ごしたのだったが、こうやって今回はその時とはまったく違うことで再訪するのも、おもしろいものだ。

太田さんに「ふたりはいつから知り合いなの?」と聞かれ、まさみんが「もう長いよね、10年位になるかな」と言うので、「そんなわけ、ないだろっ!」と速攻否定しておいた。歳も歳である。同い年ながら大学時代には知り合う機会はなかったけれど、ある仕事で知り合ったのは、たぶん私たちが26歳ぐらいのころだ。つまるところ、10年どころの話ではないのだ。

あのときは、私がまさみんのボスのところへインタビューに行ったのだ。その日私が履いていた花柄のスカートをよく覚えているというが、私はそんなスカートを持っていたと思えない、全く記憶にない。


それよりも、彼女の職場に行く前に、インタビュー相手のボスの方から、「うちの職場には、登山をする人がいるのよ」と言われており、部屋にいた数人の女性のなかで、絶対にこの人が、登山をする彼女(まさみん)に違いないと確信できた時のことのほうがよく覚えている。あの時、彼女がどんな姿勢で椅子に座っていたか、よく覚えているのだ。
不思議な縁だ。


稜線は風があったけれど、青空も出てきて、気持ちよかった。
雪のついた中山を登るのは、それこそ24年ぶりぐらいであるが、ここも気持ちよかった。
最後に、雪上技術のトレーニングをする場所を視察し、本番当日にどんなトレーニングをしたらよいか、意見交換。


まだまだ時間はあるからと、再びヒュッテに入って、美味しい甘酒とかりんとうでくつろいでいたところ……なんと、我々は、最終バスの時間を思いっきり勘違いしていたことがわかった。
腕時計を見ると、すでに発車まで50分もない。

慌ててかけっこ下山となったのだった。
ストックを巧みに使い走っていくまさみんのあとを、ストックのない私はピッケルを突くひまもなく、滑るように追っていった。


汗だくになってバスに乗り込むと、次にやってきた女性ふたり組は、なんと6月のザ・ノース・フェイスのウィメンズ・マウンテンアカデミーの参加者さんだった(ということは、バスを降りて声をかけてもらってから気づいたのだけれど)。
6月の回の参加者さんたちは、グループを作って、みなさんで登山をしていると聞いていた。山小屋泊の登山や北アルプスにいったり、そして今日のようになんと、雪山登山も始めていたとは!

皆さん、活発で素晴らしいです。

帰りのあずさは、いつもの通り、MJリンク当日に向けてのミーティング。
今日の下見を元に、計画を練り直したり、準備について考えたり。
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の事前勉強会について相談したり。


写真左上:黒百合ヒュッテ前に積まれた、冬の間に使用する薪。9月初めに取材で訪問した時は、「薪だし」の日だった。木を伐って、薪を作って運び出す日。あれから4か月。冬只中。

写真右上:天狗岳山頂。真っ青な空。

写真下:中山へ向かう途中から眺めた東天狗岳(左)と西天狗岳(右)。中山へは、初日に日帰りのA班、1泊2日組のB班、合わせて全員でハイクします。

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2011年1月22日 (土)

yoga→茅野MTG

ランチ食べながら、友人の詔子さんとミーティング。
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12-13日にふたりで企画している「春を告げる ヨガリトリート」について。
詳細はコチラ です!

詔子さんによる2日間どっぷりのヨガと、湯治、それから自然食のお食事、お寺の散策ハイキング、座禅と盛りだくさん。
冬から春へと季節の変わり目を、健やかに過ごすために、自分の心と体を見つめよう、という企画です。

ぜひぜひ、みなさんご参加ください!

詔子ファンの皆さん、プレママの彼女にとって、出産前の最後のお仕事ですので、御見逃しなく。

申し込みは、右欄の「メール送信」をポチリと。

そして、ランチミーティングのあとは、詔子さんとまさみんによるヨガレッスン。

大腿四頭筋を伸ばすポーズは、膝と大腿四頭筋がとても痛く、まったくできず。
詔子さんによると、胃腸や体質にも関係していると。カイロの伊佐ドクターからは、膝のケガや筋肉の付き方にも関係していると聞いているので、それら全部が、関係というか影響しあっているのではないかと思う。大腿四頭筋をほぐすことが、私の体にとっては、重要なことなんだな。


レッスンのあと、まさみんとあずさに乗車。
茅野駅前のビジネスホテルに投宿し、近所の中華風飲み屋へ。テーブルに座ると、まるで日本でないみたいなしゃれた作り。ジャンリンと行った北京の素敵なレストランにそっくり。

ここで二人はおしゃべり+重要MTG

昨年半年近く温め続けているHプロジェクトを今年は始動しようという誓いと、それとまさみんの韓国アイスクライミングトリップの話、それから雑誌記事の話やそのほかあれもこれも。

☆写真は、ヨガリトリートの会場となる「おんり~ゆ~」にて、詔子さん。

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2011年1月21日 (金)

レスキュートレーニングDay2

レスキュートレーニング2日目は、ショートロープの実践。

ショートロープは本当に奥が深いというか、登山中のあらゆることを想定しながら、早めに的確な判断を繰り返していかなければならない、超上級の技術だと思う。
繰り返しトレーニングするしかない。

ほか、背負い搬送やグループ搬送など。

2011年1月20日 (木)

レスキュートレーニングDay1

レスキュートレーニングの初日。

ロープワークの基礎と、引き揚げ、ショートロープの入り口を。


晩御飯のあと、参加者の方々とおしゃべり。
登山道具メーカー勤務のクライマーさん、九州の老舗登山道具店のスタッフさん、同業で仕事仲間であり友人であるYちゃん、それからそうだよ!ちょっと前だけれどメンヒを一緒に登ったAくんらと、楽しくおしゃべり。

2011年1月19日 (水)

新しい仕事のMTG

夕方、いつもお世話になっている方とミーティング。
今年、彼女とは、ある企画を立ち上げたいと話していたのだ。
さすが、ひとつの業界で、ひとつの仕事を長年続けてきた方は、アイディアが豊富であり、確かな発想力をおもち。
私が考えていた以上のアイディアも聞かせてもらい、なんだかワクワクしてきた。これぞ、私のやりたかったことかもしれない。

実現するためには、もう少しマーケティングが必要であり、成功させるためにも、慎重に進めていかなければならない。
そして、私自身はもっと自分を高めていかなければ、お役目が果たせないと思っている。
けれど、とっても刺激的でがんばり甲斐のある仕事。


打ち合わせのあとは、同じ会社に勤める若きシリアスクライマーのNさんも交えて、夕ご飯。
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代の彼が、なぜあんなに落ち着いていて、穏やかで、思いやりのある確かな仕事ができるのか、その秘密をちょいと垣間見た。

2011年1月18日 (火)

道具屋めぐり→編集部新年会

夕方、カモシカスポーツ高田馬場店へ行き、笹原さんにアイゼン相談。いくつか私の靴に合わせてもらったけれど、決断できずに、購入は先送り。

その後、ザ・ノース・フェイス原宿店に立ち寄る。

夜は、渋谷で久しぶりにN出版の方々と新年会。山ガール&山ボーイの新年決断式であり、広告会社の方やデザイナーさん、それから想像以上のいろんな多方面の方々が集まって、大変たいへん賑やかになった。
また仕事をご一緒したいと思う方々ばかりであり、楽しい会。

年末年始を韓国で過ごしたという編集者のTさんよりお土産をいただく。
辛くてパワーが出そうな食品の数々と、私にはとても必要であるアイテム・お顔のパック(乾燥を防ぐもの)。

TNFウィメンズアカデミー 女性のためのハイキングin高尾山 募集中!

ザ・ノース・フェイスプレゼンツのウィメンズ・マウンテンアカデミーは、この冬、小谷村周辺のフィールドを使って、スノーシュートレッキングをします。

参加応募開始しましたので、詳細は右欄からリンクしてあるザ・ノース・フェイスのサイトをご覧ください。

スノーシューで雪山を歩きながら、雪山の歩き方や雪山特有のリスクの把握とマネジメントなどをやります。

講習は2/19-20の「in filed」と2/15の原宿(ザ・ノース・フェイスのプレスルーム、ウッディなすごく素敵な空間)での事前学習会があります。

できればぜひ両方ご参加ください!

3/26の高尾山での女性登山者向けイベントは、なんと4年前の講座の復活です!

こちらは2月から募集を開始しますが、詳細はすでに高尾ビジターセンター@高尾山山頂のサイトにアップしてありますので、同じく右欄から飛んでいってください。

ビジターセンター勤務の自然のことをよくご存じの女性スタッフたちが企画しています。

私からの講習もありますが、ワークショップ的要素を出して、参加の皆さんと和気藹々お話ししながら進めていきます。

内容はもちろん、4年前よりバージョンアップ!

2011年1月17日 (月)

真っ白尾瀬岩鞍

今シーズン初のホームゲレンデ、尾瀬岩鞍へ。
というか、今シーズンはまだたったの5日間しか滑っておらず、しかもすべて山とかオフピステとかで、ちっともドリルもしていない。
シーズン初めは必ず、ゲレンデトップから下まで斜滑降しまくって、テレマークポジションを確認するのは、ナオコの習慣であり、私はナオちゃんの滑りが大好きだから、私もそれを実行したかったのだけれど、今年はダメダメ。

今日の尾瀬岩鞍では、ドリルしまくって、それからミルキーを回して、距離を稼ぐ意気込みだったけれど、吹雪吹雪。四方八方真っ白でまともに滑れない。
もう少し手前のスキー場にしておくべきだったかもしれない。

夕方になってようやく視界がよくなってきた。
結局今日滑ったのは、パフパフばかり。
脚も出来上がらず、こんなで月末のDIVAに参加してよいのか。

もう一人のスキー仲間であり、私の目標スキーヤーであるケイちゃんからは、「かしちゃんの場合、滑走日数ではなく、柔軟な頭と身体」という、ど真ん中を突いた携帯メールが入り、納得。

そして、今日はようやく手に入れたパウダーバードの筆おろしでもあった。
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くんからは、「くるくる回っているか?」と携帯メールが入ったけれど(私のスキーは多方面に心配だけかけている)、くるくる回るどころか、真っ白な中を滑るはめになり、グルグルだった。
板が走ってくれちゃって、心身ともについて行けずかなりてこずったけれど(昨シーズンニセコでケイちゃんのパウダーバードをマル2日も使わせてもらったときはそんなことなかったのに)、最後の方では、板がたわむってこういうことなのね、とか多少なりとも感じることができた。

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2011年1月16日 (日)

ザ・ドキュメント・デー

1年続いた日本山岳協会と日本山岳会の共催イベントのラストは「ドキュメント・デー」。
歴史ある登山の数々のフィルムを、なんと朝10時から夜の8時半まで合計7本も上映するのだ。
戦前の登山である立教大学のナンダコットや、ラトックⅠ峰初登攀のフィルムなど見たいものもあったけれど、仕事もあり行けず。

夜の部の受付だけお手伝いに行った。

2011年1月14日 (金)

TNF川崎店へ

ザ・ノース・フェイスの川崎店におじゃまして、冬のウエアについて打ち合わせや引き取りなど。
雪山登山に詳しいスタッフの方が色々アドバイスくださった。数多くあるなかでも、とくに目についたのは、つぎの2点。


ICICLE Jacket(アイシクル・ジャケット 60,900円)
かの佐藤裕介さんが、ご自身のクライミングをフィードバックして作られたジャケットだとか。
フードの大きさと形、フィッティングの機能が素晴らしく、アタマと顔周りの防寒・防風(防御)に優れている。薄い生地である点は私の好みであり、袖口がとってもシンプルな点はグローブなどとの干渉が少なく、使いやすそう。
ユニセックスモデルだけれど、XSサイズは女性向けのカラー展開もあるそうだ。

Alpine Pants(アルパインパンツ 26,250円)
ソフトシェルのパンツ。防風・保温・撥水の機能があり、ストレッチが効いていて、動きやすい。汎用性が高く、重宝しそう。

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2011年1月13日 (木)

カイロ→TNF→西遊旅行→MJリンク

全身ガタガタの筋肉痛になる予定だったが、ちょっと全身がだるい程度で、そのまま伊佐ドクターのところへ。月例のカイロプラクティック。


午後から、ザ・ノース・フェイスで来月のウィメンズ・マウンテンアカデミーのための打ち合わせ。企画発案者のゆっこちゃんと、アルパインツアーサービスの橋本さんと3人で、募集方法と事前学習会+フィールドでの内容を詰める。


夕方から、西遊旅行さんへ伺い、GWに予定しているMJリンクのネパールトレッキングの打ち合わせ。
その後、田部井さんと吉田さんと3人で新年会を兼ねた、打ち合わせ+食事会。

吉田さんは、MJリンクの事務を一手に引き受けてくれている大変な役目をしている方。田部井さんがお帰りになったあとも、ふたりで細かなことを具体的に話し合う必要があり、夜遅くまで。

2011年1月12日 (水)

霧積温泉アイスクライミング

超久しぶりアイスクライミング。
数年前まで時々やっていたけれど(思い起こせば、わざわざ北海道にもアイスのギアを持ち込んでいた)、なんだかどうしてもポジティブな気持ちになれず、食わず嫌いの時期が続いた。
けれど、アイスクライミングをちゃんとやりこまなければ、白い山をより登れるようにはならないわけで、必須事項であることは火を見るより明らか。なんら疑いの余地のないことなのだ。
もっと、アイゼンワークやアックスワークをよくしたい、もっと高くて美しい白い山に登れるようになりたい、と思うのであったら、アイスクライミングをやらなくて、どうするんだ。


ということで、泣く子も黙る超上級ボルダラーであり、ここ数年はアイスにのめり込んでいる恩田くんにお願いして、一緒に登ってもらった。
行き先は霧積温泉。

簡単な滝を使いトップロープで登ったり、クライムダウンしたり。アックスを右手だけ、左手だけなど1本にしたり。いろんな練習。オンダくんは、アックス両手ナシで登ったり、下りたり。といってもかなりのグレードを登るクライマーなので、手はグーにしなければ、トレーニングにならない。


次に、もう少し傾斜のあるルートへ。ここもトップロープで何度か練習。

きれいな三角形を作りながら登ることなど、教えてもらった。
私のどーしようもないアイス用ではないアックス、左右バラバラのものでは、いろんな不都合が出てくるものの…そんなこと言っていられない。
オンダくんのノーリーシュのアックスを借りるが、落ちたときにアックスが頭に降ってこないか怖くて、あんまり使えなかった。
アイゼンに至っては、強いテンションがかかるためかどうやっても、ずれてしまう。


久しぶりのアイスは、思ったよりも登れて、しかし相変わらず情けないほど登れない時もあった。
けれど、ポジティブな気持ちになれて、また登りたい、もっと登りたいと思えたコトは収穫だった。

さあ、どうする足と手のギアたち……。

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2011年1月11日 (火)

『PEAKS』座談会、同世代仕事仲間達とおしゃべり

別冊『PEAKS』に掲載する座談会のために集まったのは、大学で野外活動について教授し、ナビゲーション、オリエンテーリング、トレイルランニングなどの講師をしていらっしゃる村越真さん、山岳ガイドの加藤美樹さん、黒田誠さんと私の4人。
遭難しないためにはどうしたらよいか、というようなテーマであったけれど、遭難しそうになりながら(会場までの道迷い含む)、なんとか開催。


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時から始まり、座談会終了後は、編集部の森山さんといろんな話をしたりした。
ラビットノットの写真入り年賀状をくださった編集者の森山さんには、彼の前職時代からずっとかれこれ10年以上お世話になっている。


お世辞でもなければおべっかを使っているわけでもなんでもなくて、私はかねてから心底、森山さんほど日本の山岳雑誌にとってなくてはならない編集者はいないと思っているのだ。
登山の歴史、それから現代の登山の置かれている状況、いろんな分野のことを、時空間超えてバランスよく知識があり、理解の深い編集者は、そういないからだ。


書き手は、編集者なくては仕事ができない。
けれど、単に原稿を右から左に送ってもらうのだけでは、ちっとも面白くない。


自分が予測できていなかったことまでアドバイスしてくれたり、自分の考えに反応してくれたり(それが同意であっても反対意見であっても)、そして記事をよい方向へと導いてくれるとき、本当に編集者に助けられたと思うのだった。そして、そんなときこそ、編集者と一緒に仕事をしてよかったと思う瞬間であり、書き手の喜びのひとつでもあったりする。

書き手はとても孤独で、いつもひとりぼっちだという感がある。だから編集者(もちろん読者も)から勇気をもらえたときは、とてもありがたく思うのだった。

ということで、今後とも、ぜひぜひいろんなところでいい仕事をしてもらいたいと、本音でエールを送る同世代同業者だったりする。


編集部を出たのは夕方になってしまったけれど、美樹さんとご飯を食べながらおしゃべり。
彼女もまた、同じ業界で働く、勇気をくれる存在。大切な仕事仲間であり友人。
話は尽きないのだけれど、美樹さんは小淵沢の自宅に帰らなければならないし、私はアイスに出かけなければならない。夜9時にお開き。

2011年1月 9日 (日)

新春の山登り

F山岳会の新年山行は、景信山で餅つきと鍋大会と決まっている。
昨年欠席した私は、久しぶりの参加。
今回は、「荷揚げ部隊」。

担当の人たちがそれぞれ下ごしらえした鍋の具材などを荷揚げするのだ。
しかし、この荷揚げ部隊には、もう一つのミッションがある。

荷揚げ自体は、私にはそれほど困難ではないのだけれど、もうひとつのミッションがいかに努力が必要なことか(ってほどのことでもないのですが)、すっかり忘れていた。

そのミッションとは、長ネギと柚子の皮をみじん切りにすることだ。
しかも、ただのみじん切りではない。極々みじん切りにするのだ。
これを合わせて、粘り気をだし、柚子の果汁と醤油やみりんなどで味付たものを、つきたての餅とからめる。

みじん切りが、いかに形を整え、本当に本当に細かくできるかは、味にかかわってくる。きれいにみじん切りができたほうが粘り気もよく出るのだ。


このように重要なミッションがあるというのに、私は包丁を研いでくることを忘れたのだ。失格……。
来年こそ、この挽回を図りたいが、もう荷揚げ部隊には呼んでもらえないかもしれない……。


景信山からは、相模湾がキラキラと光って見え、江の島がぽっかりと浮かんでいた。
風もあまりなく、過ごしやすい日だった。


F
山岳会では、新年山行については、家族や友人が同行してもよいことになっていて、今年はなんと53人も集まった。
お孫さんや息子さんのお嫁さんを連れてきた方や、旦那さまや友人を連れ立ってきた方など。


下山後、バスを待つ間に、私が先月のヤマケイに書いた記事が話題になった。ダウラギリに登ったことがある会員が2人いるからだ。こういう話をするとき、ふたりの話しっぷりというか、顔つきが、ものすごく「山ヤ」になるのだ。だって、彼女らは、実際にかなりのキャリアがあるのだから。
実は、わがF山岳会には、聞いて驚くような女性たちがたくさん集まっている。みなさん、ほかのところをホームとしているが、F山岳会の目的に賛同し、ここに集まってきているのだ。

うちの夫など、この顔ぶれを聞いただけで、「ひえー」と驚いているが、女性登山者の大御所たちが集っている、稀有な山岳会であるのだ。
それは、代表のしーさんの人柄によるのではないかと思っている。


もちろん、F山岳会の魅力はそれだけではない。先日、F山岳会のホームページにアップするという会員のプロフィールを書くにあたって、F山岳会に参加する理由を改めて考えてみたが、やっぱり私は、この月1回のハイキングで、本当に貴重な先輩たちと出会うことができたのだと思っている。


高尾の駅に着いてから、O山岳会の方々もご一緒に、安くて美味しいお寿司とてんぷらが食べられるお店へ(というか、O山岳会の方々がお店に案内してくれたのだ)。

O山岳会の方々はみなさんとても仲睦まじく、和やかでとても楽しそうだった。
こういう仲間がいるのは、本当に素晴らしいなあと思う。

2011年1月 8日 (土)

仕事の依頼

これまでも無理難題なコトを言われた仕事は多々あったように思う。とくにスケジュール的に見て、それは無理かろうというものも、ほとんどの場合、引き受けてきた。
フリーランサーだから、仕事を断るのはリスクがある。けれど、それだけで引き受けたのではないと思う。

担当編集者との信頼関係があれば、一般的に考えて無茶なことを言われても、その許容範囲は広がる。
それは、贔屓でもなんでもない。これまでの相手との仕事の中で、彼だったら、彼女だったら、こんな仕事をしてくれる、ちゃんと最後まで一緒にがんばってくれるという実績と信頼があるからだ。

けれど、初対面の、しかもお会いしたこともない方から、突然無茶なことを言われるのは、ツライ。


「柏さんが司会ならば、柏さんが書いてくれるのならば出席しますよ」と登山家や山岳ガイドの方々が言ってくれることには、感謝したい。
さらには、その相手が、私が尊敬、信頼している人たちとなれば、嬉しくもある。

しかし、問題は解決されていない。
安直な企画は、誌面に現れる。ちっとも読者のためにならない。

人選は、たまたま素晴らしかろうと、それが編集者自身の審美眼で選んだのではない場合、ぶれが生じる。
それどころか、無礼にあたり、悲劇も招く。


記事は編集者や出版社のために書くのではない。読者のために書くのだ。

けれど、一緒にがんばろう、ああこういう編集者に、こうやって頼まれた仕事なんだから、もっとがんばろうと思える相手に巡り会えないとき、その正反対のことが起こり、自分たちがいかにぞんざいに扱われているか、知ってしまったとき、モチベーションを再び起こすのは、とても難しい。


と、この数週間、思いやられるコトが続いているが、その一方で世の中捨てたもんでもないと思うこともある。


いつも書評原稿の依頼をしてくれる編集者とは、実はお会いしたことがない。いつもメールと電話のやり取りだけだ。
推測するに、歳は私より一回り以上若いであろうが、とても礼儀正しくて、学ぶ点多々。

見本を送ってきてくれるときには、いつも季節を感じさせる一筆書き便箋に、きれいな文字が書かれている。
メールには、相手を尊重する心遣いがある。

こんな仕事の依頼を受けたとき、「よおおっし、がんばらなくては。編集者が期待する以上のものを書かなくては」と思うのだった。

2011年1月 7日 (金)

ヤマボクスキーDay2

朝から湯けむりの中、タローと戯れて大満足。

リフト始動と同時に滑りだし。第3リフトが動いていることに気づき、数本目に上がっていってみた。
するとなんと、まだ誰も来ていないようで、リフトチェアがとっても冷たくて、ホント冷えたけれど、なんとかゲレンデトップへ。

トラックナシのパウダー斜面をぐるぐるぐるぐる回していたら、やっぱりみんな上がってきた。けれど、そもそもそれほど多くない人数なので、いろんな斜面に行ってパウダーを遊ぶ。
おなかいっぱい、食べきれないほどだった。

基礎のドリルをしていないことが気になるけれど、こんなにパウダーを回せる機会もそうないので、今日はパウダーに集中。
ドリルをぐりぐりやるのは、来週の尾瀬岩鞍としよう。

今日は昨日よりももっと寒い。マイナス12度、風あり。

木々も凍っている。スゴイな、よくこんな環境で冬を越すものだ。

その後、再び宿に戻って、タローに会いに温泉に入りに行って、さらにお昼ごはんを食べた。

隣では、アウトドアショップを経営しているというので、店内を見せてもらったところ、なんと、、、亡き本田くんに会うことができた。
本田くんの写真が飾ってあり、オーナーの方としばし談話。

緊張の雪道ドライブを経て、帰路へ。

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2011年1月 6日 (木)

ヤマボクスキーDay1

やっと休みがやってきた夫とふたりで、スキーへ。

昨晩、念願のパウダーバード(ロシニョールの板)が届いたのだけれど、ビンディングをつけるひまがなかったので、今日もいつものシーデビル(K2)。しかも初代シーデビルなので、かれこれもう7年は乗っている。総滑走日数は200日近いだろうから、板はぺたんぺたんのはず。

今日の核心は、小布施の先から始まる雪道ドライビング。
まずは小布施堂に立ち寄り、「くりは奈」を買い求めて、パクリ。
我が家の車はFRなので、今日果たしてチェーンなしで上がっていけるかちょいと心配。
山によく行くのだから、4駆にすればと言われることも多いが、4WDを必要とする場面は、全体のなかではごくわずか。それ以外は燃費は悪いし、重たい車はあんまり好きではないので、ずっと2駆だ。
ほんとうに辛くなるのは、年に1~2回程度。

今日も何とか最後まで上がっていった。

そして本日の失敗は、第3リフトが動いていることに気付かなかったコト(翌日気づく)。
第2は運休なので、さすがに第1だけでは飽きてくる。

おまけにとくに整地ではあまりうまく滑れない。
シーズン初めの大斜滑降大会をしていなで、いきなり立山→ヤマボクと来ているので、もっと基礎練習をしたほうがよいのかもしれない。

テレマークポジションの確認をしたい。

しかしあんまりにも気分が暗くなってくるので(上手に滑れなくて)、やっぱりパウダーがたまっているところで遊ぶことにした。

気温はマイナス8度。風があるので、体感温度はもっと低い。
すっかり、体が冷え込んだころに、宿に入る。

奥山田温泉は、名湯中の名湯だと思う。
しかも、今宵は、その浴室に、なんとタローというメス猫がいるのだ。「温泉にゃんこ」として、宿で飼われている、とってもとってもかわいい人気の猫だそうだ。

猫と一緒に温泉に入れるなんて(湯船には入らないけれど)、びっくり。かわいくてかわいくて、たまらない。

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2011年1月 5日 (水)

山に登るお医者さんインタビュー

おなじみの山に登るお医者さんへのインタビューのために、那須塩原へ。

東北新幹線を降りるときに、「柏さーん」と声をかけられた。お相手は、MJリンク参加者さん。全くの偶然に驚き。
新年早々、幸先がよい。

途中で彼女が、「ええっと、名乗らなかったけれど、私の名前、分かります?」と。ええ、もちろんですとも!わかります。
ちょっと立ち話をしたあと、彼女とは別れて、在来線に乗り、西那須野へ。そこから病院へゴー。


夕方から手術の予定が入っているので、インタビューは端的に済ませなければならない。

しかし、いつ話を聞いても、医学の話というのは面白い。人間の体の不思議を感じる。

だから、ついつい脱線しそうになる。いいや、脱線というほどではないんだけれど、もっと詳しく聞きたくなるのだ。


夕方、再び新幹線に乗って、東京に戻ってきた。

2011年1月 4日 (火)

実家から戻る

東名高速の渋滞を恐れて、夫の実家を早めに出発。
仕事場まで夫を送ったあと、そのまま自宅へドライブ。
どこも渋滞を逃れることができてほっとした。


帰宅後は、明日の取材の準備、今月締め切りの記事の構成を考えるなど。

2011年1月 3日 (月)

初詣+初登山

わが山岳部に入った新入生のノシロヤくんと一緒にハイキング。
ホントはいきなり雪山登山へ行ってもよかったのだけれど、装備がまだ全部そろっていなかったので、簡単な山を一緒に歩いて、この先どんどん一人で山登りができるようになってもらうためのいろんなことを伝えよう、というねらいだ。

石割山は、昨年、数回登ったけれど、地図読みやリスクマネジメントについていくつものパターンを示しながら、教えていくことができる非常に便利な山だとわかっていた。
ということで、初詣も兼ねて、石割山へ行った。

同行は、コーチのかなっぷ、それから以前コーチを務めていたアライ、さらには影の監督(と私が呼んでいる)グラ兄。
ほか、OBの伊藤さんや、グラ兄と伊藤さんのお友達である某体育大学山岳部出身の中さん、さらにはグラ兄のお友達の渋谷さんもいらっしゃった。

中さんとはこれまでに何度も一緒にスキーや山に行ったことがあるし、渋谷さんとは一緒にマラソンを走ったことがあった。彼は実に若々しく、ハイレベルのスポーツマンなのだ。


思ったよりも風もなく温かく、そして勉強熱心のノシロヤくんは、すでにいろんな知識を仕入れてきていて、こちらの説明をすぐに飲み込む。読図も問題なく、積極的にやっていた。

途中からものすごく気温が下がってきて……大平山でランチを食べるころにはむちゃくちゃ寒くなった。
かなっぷとアライと私、それに私たちに影響されたノシロヤくんは、ジェットボイルでお湯を沸かしてカップラーメン。

一方で中さんがくださったレーションは、コレ(写真下)。
クラコットの上に、チーズと生ハム、キャビア(キャビアは卵という意味だったはずなので、チョウザメの卵でなくてもキャビア)が載ったモノ。
まるでワインの肴のようではないか。
出身大学が違うと、こうも違うのか。


下山後、石割の湯で体を温めて解散。


私は、夫の実家のある富士宮へ。

富士吉田を通って、富士宮まで富士山をグルリとドライブ。
今朝、御殿場から眺めた富士山は、べっとりと雪がついていて(御殿場側は飛んでくる雪もあるので、積雪量はダントツなのでは)、そのあまりの迫力に言葉を失ったが、こうやって富士吉田から眺める富士山も、あんまりにも大きく、神々しく、よく人間はこんな山に登ろうと思ったものだと驚く。

一方、富士宮側から眺める富士山は、もう少し穏やかなので、少しだけホッとする。

まずは義弟夫妻であるしんちゃん+トモエさんのところへ寄って、年始のご挨拶。
その後、4人で一緒に実家へ。
実家には、義兄のサトシくんところの家族5人が来ていて、にぎやかだった。

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2011年1月 2日 (日)

新年2日目、なにも変わらず

今日も終日原稿書きと雑仕事。

机に向かっていると、あっという間に一日が過ぎた。

2011年1月 1日 (土)

新しい年のはじまり

おせち料理とお雑煮を食べ、正月休みもなく働く夫を見送ってから、母を実家に送っていった。
庭もなく、東京の狭いアパート暮らしのため、母はなかなか我が家に長く泊まることをしない。
すぐに家に帰りたがるのだ。

年老いた女性の一人暮らしを心配しないわけではないが、ああやって自由気ままに庭いじりができることは、墨絵を描くことと並んで彼女の楽しみなので、取り上げるわけにはいかない。

なんだか去年と同じように一年が始まった。

私も終日原稿書き。

*1月7日に訪れた小布施堂本店の門松を撮らせていただきました。

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