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2010年12月

2010年12月31日 (金)

学びの1年

仕事も大掃除も、年賀状書きも放り投げて、母を連れて買い物などへ。


この1年は、原稿書きではバタバタとしたものが続いて、いまだ形を成していないような感触。
リレーで始まった『山と溪谷』の連載「登山中のケガ、病気、その実際」は、取材が非常に大変で、3人で交代でやっているものの、さっそく頓挫した。
なんとか連載は再開したけれど、それでも苦労が多い。
苦労が多いことはとくにいとわないが、連載が順調に続かないことは問題である。


昨年、プライベートで受講したカナダのSlipstreamsWilderness First Aid 50時間に引き続き、今年は仕事も兼ねて、USWilderness Medical AssociatesWAFABridgeコース合計72時間を終え、Wilderness First Respondeという資格を取得した。いずれも北米で有効なものであるが、2年かかかって少しだけ、野外救急法というものについて理解し始めたように感じている。


私にとって野外救急法は、まぎれもなく、必要とされる登山技術のひとつである。
野外救急法だけを習得しても意味がなく、登山技術のなかでどのように活かしていくかが課題である。

登山と医療、登山と医学、登山と救急法について書く機会が多いが、少しずつではあるが学べば学んでいくほど、本当に長い長いトンネルの入り口にいるような気分になってくる。
太陽の光はものすごく遠いところに小さな点でしか見えない。
学ばなければならないことが山のようにあり、そして日本の登山の社会のなかでやらなければならないことが、カチンコチンの硬い氷河の山の向こうにあるような、あるいはアイスフォールでずたずたの氷河の先にあるような、私自身はずっと下のモレーン帯を歩いているような、そんな気分になってくる


しかしそれでも、今年も多くの機会を得て、また多くの人たちに出会って学ばせてもらった。

私にとって大きい存在となったのは、ザ・ノース・フェイスやMJリンクで機会をいただいて、多くの女性登山者たちと一緒に山に登ったこと。これから得る経験、学び、刺激はほかのものには代えがたい。
自分自身の登山そのもの、人生そのものが問われるような経験である。

大変な役目ではあるけれど、一方では「書く仕事」とは違う面白さや喜びも味わっている。
書く仕事の場合、読者に直接会う機会は少なく、自分が書いたものへの反応もダイレクトに返ってくることはあまりない。
しかし、一緒に登山をするということは、こちらが伝えたことについて、瞬時に反応があるのだ。
相手の顔が明るくなって、分かりやすい反応があるときもあれば、アタマのてっぺんにはてなマークが出ているときもある。無反応も反応のうちのひとつだと考えるし、腑に落ちないような顔をしているときもある。私自身の写し鏡のようだ。

反応はいろいろであるが、こうやって伝えることの喜びや難しさを経験する。


この仕事(書くことと、書くこと以外でも伝えていくこと)を続けていくには、もっと学び、経験しなければならない。学びと経験の両輪を上手に動かしていけるように、来年はもっとアタマも働かせよう。


今年残念だったのは、チベットについて書く仕事が少なかったこと。
来年はほかの可能性も探ってみたい。


明るく元気で、パワーをたくさんくれたたくさんの人たちとの出会いと時間に感謝し、それから辛い別れをしなければならなかった、あの世に旅立っていた何人かの山の仲間達が、あの世で元気でいてくれることを祈って、今年を終えたい。


紅白歌合戦の歌をBGMにし、テレビ番組「ゆく年くる年」から流れてくる除夜の鐘を聞きながら、おせち料理を仕上げていくのは、心も改まり好きな時間。
黒豆が色艶よく仕上がったのはよかったけれど、身欠きにしんをいれた昆布巻きはバクハツ気味。

来年もにぎやかな1年になりそうな予感。

2010年12月30日 (木)

年越しの準備

正月を自宅で迎えるために、一人暮らしの老母を迎えに行く。

帰り、隣町の生鮮市場(魚や野菜などの市場が並んでいるところ)に寄るが、魚介については、「正月っぽいもの」しかなかった。昆布巻き用の身欠きにしんと松前漬けとハマグリ、あと野菜を買ってからスーパーマーケットに移動。やっとこさ、今晩のアクアパッツァ用の鯛を見つけた。

そのほか、年越しと正月用の食糧をすべて買いだす。

年賀状については、遅まきながらなんとか前進しているけれど、大掃除はもっとも問題を抱えている仕事場が残されたまま。原稿書きしながらの年越しだから、これぐらいでいいや。

2010年12月28日 (火)

アウトドア大忘年会

仕事仲間に誘ってもらって、「アウトドア大忘年会」なるものに参加。
アウトドア雑誌で仕事をする編集者、ライター、カメラマン・写真家、それから出版社の方々、登山やアウトドアギア・ウエアのメーカーの方々など100人近く集まった。
会場は「渋谷区」だったけれど、たき火があって心地よい音楽が流れていて、こんなに大騒ぎできる場所があるなんて、びっくり。


仕事仲間がヒジョーに少なくて、人見知りというか社交性に欠けているというちっとも大人ではないワタシであるが、今晩はいろんな人にお会いできて楽しかった。
以下、楽しい出会い・再会の一部。

*同じく大学山岳部出身の編集者で、母校山岳部が廃部になった苦い経験のあるTさんと久しぶりにおしゃべり。今宵はみんなのためにおでん屋を開いてくれた。「学校登山」について、それから登山が内包している豊かな広がりについて彼の考えを聞かせてもらった。学校登山も」大学山岳部の未来も、決して暗くない!

*大先輩には臆せず挨拶をしてみることだ! 憧れの編集者でありライターである大先輩とお話。穏やかな方だった。アルペンをやったことがほとんどないと言うと、スキーの専門家でもある彼から、「アルペンはぜひやるべき」と薦められた。本当にその通り。

*茅ヶ崎市周辺在住の方々と久しぶりにおしゃべりして、ふむー、相変わらずこのエリアは同業者が多く住んでいて、濃い近所づきあいをしているのだなあとちょっぴりうらやましくなった。

*ミウラーさんと久しぶりにおしゃべりして、彼の奥さまが作るという美味しい料理を食べされてもらう約束を取り付けた。いやもう半年以上前からそんな話をしているんだ。今度こそ本当に、サーフボードもって遊びに行こう。

*モリさん家の長男の写真を見せてもらった。かわいかった。亡きセイスケ兄の名前から一文字もらったそうで、きっとお姉ちゃん同様いい子に育つだろうなあ。10年以上前から男の子ができたら「ハッサク」と名前を付けると言っていたのだれど、それに代わる名前もとってもきれいで、清々しい名前だった!

*釣りは、スキー大好き人間も虜にして、その人からスキーを取り上げてしまうほど、奥深く魅力的らしい。大阪から駆け付けたワタナベくんはあんなにスキーが上手なのに、すっかり釣しかしなくなった。渓流釣りしか凝ったことがなく、ド素人にはよくわからなかったけれど、どうやら魔界のようだ。

H誌編集長さんは、とってもかわいらしい少女のような女性だった。

*コロラドには標高4000mの峰々をつなぐ、500㎞のトレイルがあるらしい。なんて話はもちろん、三鷹の彼が熱く語っていた。

*山のことを生業にしている人のなかで、おそらく「柏」という文字が苗字につくのは合計3人いると思う。ずっと前、大先輩の柏瀬さんから「柏さんでしょ、同じ文字が苗字につくからずっと会いたいと思っていたよ」と話しかけられて感激したけれど、今宵は、カメラマンの柏倉さんとお会いできた! 記憶ではたくさんの賞を受賞しているカメラマンであり、印象としては、光が降り注ぐ大パノラマの写真やモノクロの山々やトレイルランナーたちの孤独な美しい姿などの作品。お会いすると、明るく陽気な優しい方。きっと秘めた情熱と豊かな感性があるんだろうな、でなければあんな写真は撮れない。

*決して酒は飲まず、このあとクラミングジムに寄って帰るのだというメーカー広報担当者。やっぱり記録を作る人というのは、意志が違う。しかも彼女は長距離通勤。

*幹事長を務められた、女性編集者さんと初対面。アクテビティありきの誌面作りに共感していただけに、嬉しい出会い。

ほか、今年仕事をご一緒した方々や久しぶりにお会いする方々とおしゃべり。

幹事の皆様、楽しい時間をありがとうございました。

2010年12月27日 (月)

MJリンク今年最後のMTG

トレーニングの山からの下山が遅れ、遅刻するかと思ったけれど、どうにか間に合った夜のミーティング。
問題は、ニット帽をかぶり続けていたために髪の毛がぺちゃんこだったこと。
こんな格好で丸ビルに入っていいのかちょいと疑問。


今年最後のMJリンクミーティングは、まさみんとふたり。
来年最初の企画について、費用とスケジュールと内容と詳細を詰めた。

2009
年に田部井淳子さんと立ち上げたMJリンクは、その後、サポーター(スタッフ)と参加者に大いに恵まれ、人数も増えて活発に活動できた。
まだまだ問題は山積みというか、やりたいことができていない(やりたいことはまだまだたくさんある)、もっと可能性のある集まりだと思っている。
どうやってそれを実現していくかは、難しい点もあり、走り出してしまって目の前のことで精いっぱいではあるのだけれど、来年もまた、成長していきたいと思う。

2010年12月25日 (土)

12/25-27 丹沢にてトレーニング

3日間、丹沢周辺でトレーニング。
なんと、丹沢の山を登るのはおそらく……大学2年生以来。つまり23年ぶりってことか。
これまで丹沢の山の登った回数は、おそらく……たった5回程度。高校生の時の日帰り表尾根縦走ハイキングと、勘七の沢の沢登りと、それから大学生の時にテントもって主脈から西丹沢へ縦走したことがあり、あと多分2回ぐらいは登ったような……という丹沢・ド初心者。


トレーニング内容は無雪期の登山全般に、レスキュー技術にそれからショートロープなど。毎日、写真のような木立を見上げる程夕刻まで、山々を歩き回り、ヘッドランプをつけて下山した。


今回、丹沢の植林や林業について初めて知った。
大正5年生まれの木も多いことが、よくわかった。
写真のカラマツは、鍋割山南尾根に植わっていたいわゆる「尾根松」(「尾根松、谷杉、中檜」の尾根松)。これも大正5年に植林されたもの。


冬型が強まり、強烈な寒気が南下していた時期だけあって、丹沢もめちゃくちゃ寒かった。
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で引き上げられる役をやっているときなんて冷えて冷えて。


それを補ってくれたのが、1晩目に食べた猪鍋と、2晩目に食べた鴨鍋。
猟師さんが営む民宿の夕ご飯は最高においしかった。

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2010年12月24日 (金)

素敵なX'masプレゼント

午後、少ししか時間がとれなかったのだけれど、下馬にある小さなレストランPUERTO へ。

写真家の森敏朗さんの作品展が、明日までなのだ!

森さんは、山岳雑誌『岳人』のデザイナーさんでもある。森さんが率いるロコ・モーリス組のデザインが私は大好きだし、またデザイン出しにオフィスに伺うと、森さんや岩佐さんととっても楽しいおしゃべりができて、これまた私の大好きな時間となるのだ。


一方で、森さんは写真家でもある。彼の写真は、岳人の仕事のときとは全く違う顔をしている。都会的であり、それでいてどこか泥臭くてしかも温かみもあったりするのだ。


今日、PUERTOに入り、エスプレッソを飲みながら森さんの写真を見ていると、窓の向こうの陽が西に傾き始めていて、なんだかほっこりする時間を過ごせた。
写真を眺めると、時空を超えて旅に出たようなそんな感覚。

けれど、よくよくお店の方に聞くと、森さんの写真はどれも国内の身近な街なのだそうだ。


こんな風に、相手の心を遠くへと旅をさせてくれて、そして豊かな時間を与えてくれる……それが森さんの作品の魅力であるんだと思う。

素敵なクリスマスプレゼントをいただいた気分。

ところで、このPUERTOというレストラン。とっても素敵な雰囲気で、ケーキとエスプレッソがとっても美味しかった。ぜひぜひお食事タイムに再訪したいっ!

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2010年12月22日 (水)

ウィルダネス・ファーストエイドな1日

今日は、ウィルダネス・ファーストエイド(野外救急法)関連のミーティング、面会続き。

ひとつめは企業コンサルタントの方が、わざわざ私の自宅付近までいらっしゃってくださり、ロイホで昼ごはんを食べながらお話。


その後、ウィルダネス・ファーストエイドにおいて彼ほどのキャリアがある日本人はそういないであろう山岳ガイドさんのところへ。
明日退院予定ではあるけれど、いまだベッドの上……。えてして、山の世界では、骨折して足にギプスをまいたり、松葉づえをついている人や、凍傷を負ってベッドの上にいる人たちに会いに、病院まで押しかけて仕事の話をしちゃうのである、ごめんなさいね。

だって退院するやいなや、またまた山を飛び回ってなかなか会えないんだもの。

ウィルダネス・ファーストエイドについていろいろ相談。

それからその周辺の話についても色々おしゃべりして、さらには私の身の上相談までして……ケガ人相手に消灯時間まで話しまくって、挙句の果てにはお見舞いの品も渡し忘れて帰ってきてしまった。

まったくひどい人間だと、つくづく自分のコトを思う。

1ヶ月近くに及んだ入院期間中、色んな人たちが出たり入ったりお見舞いに行っただろうが、最後に訪れた私ほどヒドイ人間はいなかったはず……。

2010年12月21日 (火)

モンベル→『岳』試写会→山のお天気講座

モンベルクラブ恵比寿店へ。
広報担当のベテラン社員、クロミホさんと面会。
彼女の御見立は、アルパインサーマシェルジャケット・ウィメンズとアルパインパンツ・ウィメンズ。

アルパインサーマシェルジャケットは、初代のもの(女性用がなかったので男性モデル)をずっと使用してきたが、結構へたってきていたので、この度女性モデルを使わせてもらえるようになり嬉しい。

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パンツは、先日アルパインサーマシェルパンツを買ったばかりであったが、今回のアルパインパンツのようなタイプは、あまり自分では選ばない類ものであるが、反対にこの機会に色々な場面で使い分けをしてみたいと思う。

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夕方、来年5月に公開される映画『岳』の試写会へ。友人・知人・仕事仲間もたくさん来ていた。
漫画はほとんど読んだことがないので、ストーリー展開はまったく知らなかった。

どういう映画なのだろうか?と思っていたが、これは人命と山の本質にかかわるシリアスなテーマが根っこのところにある映画なのだと思った。
ある作家が、登山の相反する二面性について、彼の著作の最後に書いていた言葉を思い出した。


夜は、恒例のお天気講座へ。講師はもちろん、猪熊隆之さん。

ちょうど今年の正月に起きた気象遭難について、私は取材をし記事にしていた。その時猪熊さんにもインタビューしていたので、今日の内容は当時の取材を復習するようなものだった。

MJリンクメンバー、今宵もまさみんと私をいれて4人参加。おひとりは飛んで帰っていったところをみると、帰宅後、ご家族のお世話が待っているのかもしれない。

そして今晩はさらに、6月に行なったザ・ノース・フェイスのウィメンズ・アカデミーに出席されたメンバーもいらっしゃった! なんとあの時の参加者たちは、あれからすでに2度も参加者同士で山に行っているのだという。
それも、計画の立て方や様々な状況での判断について、アカデミーの時の内容を振り返りながら、「私達、復習しています!」とお話していた。

こういう学びの姿勢や、どんどんステップアップしていく勢いに、私自身が学ばせてもらっている。

2010年12月20日 (月)

3月イベントの下見!

午前中は自宅でたまった雑務をし、午後から友人のSちゃんと富士山がよく見える方面へ。
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月に企画しているイベントの下見。
彼女がつくってきたこれまでの縁によって、いい会場、フィールドと巡り会うことができた。


夜は、なんとわが山岳部に入部した奇特な大学1年生と面会。
「道なき道をいきたい」という彼の大志が、この先、どんな道筋を通って、展開されていくのか楽しみ。
コーチのかなっぷと、あと先輩のグラ兄も来てくれて、飲み会。
グラ兄はコーチ会メンバーではないのだけれど、こうやって肝心なときには、飲み会に顔を出してくれサポートしてくれるのだ。

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2010年12月19日 (日)

BRIDGE Day4

4日目。

朝から試験勉強。午前中は机上。

午後からテスト。何とか合格。もっとシナリオもちゃんとできるようになり、ペーパーテストでももっといい点を取って合格したかったな。



昨年のスリップストリーム50時間に引き続き、野外救急法の講習を受けたのは、2度目。
アメリカとカナダというお国柄の違いなのか、細部の表現や講習方法には色んな違いがあった。考え方に差異があるのかもしれない。
けれど、むろん人体に関わる部分の根幹は同じ。

WMAWAFABRIADEを修了し、ウィルダネス・ファーストレスポンダーという資格を取得した。
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の講習を受けてよかったと何よりも思った点は、講師のDavidBenのキャリアとパーソナリティにあると思う。

ケンタッキー州で、彼らは、都市部ではパラメディック(救急救命士の一番上の資格)として働き、また山中では山岳救助隊として事故現場に入り、ファースト・レスポンダーとして手当てをし搬送をし、医療機関に引き継ぐという仕事をしている。ほか、野外救急法のインストラクターもしている。

Davi30代前半で、なんとBenにいたっては25歳という!けれど、経験が豊富であるため、引き出しが多く、講習内容がとてもわかりやすい。

そして何よりも、抜群の人柄で、私たちをサポートしてくれた。


野外救急法というのは、それだけを身に着けていても、なにも役に立たない。
手当てをしたあと、確実な搬送・避難をして、医療機関へと命の連鎖をつないでいかなければならない。
手当てをする環境は、ウィルダネスなのだから、その自然条件下でいったい何ができるのか、天候やメンバーの状況、避難経路の状況を鑑み、いろんなリスクを天秤にかけ、判断していかなければならない。

むろん、搬送にも技術と体力と知識が必要だ。私達のように登山をするものであるのならば、それは登山技術そのものである。そして、野外救急法というのは、登山技術のひとつと考えてよいのではないだろうか。

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2010年12月18日 (土)

BRIDGE Day3

3日目。SOAP NOTEの書き方、考え方がようやくわかってきた。

脱臼のウィルダネス・プロトコルを勉強。ほか、凍傷、高度障害。

シナリオが大半。チームレスキューの中で、リーダーやファストレスポンダーの役割を果たすのがキモ。

日が暮れてからナイト・シュミレーション。私の役は12人のレスキューチームのリーダー補佐。リーダーの手と足となって各傷病者のところを廻りながら、情報収集をし、リーダーがFAEVACの計画を立てられるように補佐したり、コミュニケーションが円滑になるようにするのが使命…だと思っていたのだけれど、途中から破綻。

暗闇というのは、情報を得ることやコミュニケーション、行動を遅くし、妨げになることを実感。

夜は別の温泉へ行き、気分転換してから試験勉強。

2010年12月17日 (金)

BRIDGE Day2

2日目は、シナリオが大半。

うっすら積雪はあるけれど、こんな青空なので(写真・窓からの風景)、シナリオには何ら問題ナシ。寒さも恐れていたけれど、着こんでいるせいもあるし、冷え込みもそれほど強くない。

カナダでWFA80時間講習を修了している友人の詔子さんに、「スパインボードに固定されて、横や縦やさかさまやいろいろやられるよ」と言われていたのに、つい忘れてしまい、スパインボードにくくりつけられる役に手を挙げてしまった。

夕食後、温泉へ。女性で温泉へ行くメンバーは一人だったので、源泉かけ流しの湯に悠々とつかる。シャワーの蛇口も温泉だというので、アタマのてっぺんから浴びてリフレッシュ。

宿舎に戻るとみんな必死に勉強していた。今日は宿題がふたつあったんだ。大事故のシナリオと、昼間にやったシナリオ(私が副交感神経によるASRの患者役をやったもの)のSOAP NOTEを完成させるというもの。全部終わったのが、消灯の2230

肝心の復習は明朝やることにした。

心の支え、よりどころ、オアシスは、佐穂さんの食事。彼女が3食作ってくれるご飯はどれもとても美味しく、色んな工夫がされている。そしてひとつひとつに、ものすごい愛情が篭っているというのがよくわかるんだ。

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2010年12月16日 (木)

BRIDGE Day1

朝食を食べるために、宿舎を出て、空を見上げると、こんな感じ(写真)。

朝から猛烈な勢いで、WAFAの復習も兼ねた机上での勉強。

PAS SYSTEMSAMPLE History Increasing ICPTBIMOI SPINECSMSTOPEATSPROPVOLUME SHOCK……うん、この辺まではよし。

しかし新たに、喘息のウィルダネス・プロトコルを勉強し、VASCULAR SHOCKCARDIOGENIC SHOCKをやり……。

シナリオも1日の半分ぐらいやって……。夕食後は、あるシナリオについてのSOAP NOTEを完成させるという宿題をして、明日のクイズに備えて今日の復習。

ふう、1日目からすでにあまり余裕はない。

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2010年12月15日 (水)

『山と溪谷』2011年1月号

朝から洗濯機を2回まわす。洗濯物が乾いて、パッキングが済んだ時が出発の時間だ。
ちょっとだけ東京を離れて、寒そーな寒そーな小谷へと向かう。

その間、たまっている事務仕事をして、外を軽く走って体を動かす。


本日発売の『山と溪谷』20111月号に、ダウラギリ雪崩遭難事故の続報を書きました。

ご協力くださった関係者の皆さん、お世話になりました。

また、「山ガール」のページに、ザ・ノース・フェイスの「ウィメンズ・マウンテンアカデミー」の様子が出ていました!企画者であり、プレス担当の小澤由紀子さん(今ごろコロラド川で笑い転げているだろうー)が、コメントしていて、写真も数点掲載されていました。

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2010年12月14日 (火)

積雪期トレーニング

1212日~14日、谷川岳方面へ。
積雪期登山のトレーニング。


麓は雨。山の上は超湿雪。気温はプラスとマイナスを行ったり来たり。
天神平スキー場の積雪は15センチ……。
多少の吹雪があった点は負荷となりトレーニングにはよい条件だったかもしれないけれど、積雪的にはちょいと厳しかった。


あるガイドさんらがおっしゃっていたことで印象的だったコトいくつか。

*最近、どうもザックの周りにいろんなものをつけたり、ポケットに入れたりする傾向があるが(ザックもそのような仕様のものが多いが)、基本的にはザック周りはすっきりさせておくのが安全である。

←同感。とくに脇のポケットに水筒を入れている人が多いことが気になる。トレランとかで動きながら補給したい場面では別だが(それってハイドレーション使うだろうし)、登山の場合、歩きながら飲むのはリスクが大きい場合だってある。足元が不安定だったり。そんなことをするよりも、ザックを下して水が飲める位のペース配分を考えたほうがよいのではないだろうか。あるいはハイドレーションを使う。

*(下りで)がに股で歩くのは危険。

←下りなどがに股で歩くと安定するという言い伝えがあるそうだ。MJリンクでもそのような質問をされたことがあった。けれど、運動力学・運動生理学的に考えれば、がに股も内股もストレスがあり、まっすぐが一番のはず。さらには、今回ご一緒したガイドさんが言っていたのは、がに股で歩く癖のある人は、アイゼンをひっかけやすいと。まさにその通り。(アイゼンの登りの場合は、斜度が増してくるほど、がに股になるけれど)

*パーティーのペースは弱い人に合わせられない。

←パーティのペースは一番弱い人に合わせるのが基本とは、教科書に書かれているセリフ(私も書いたコトあるだろう)。けれど、それは現実的ではない場合も多々ある。ペースが落ちてパーティ全体がリスキーになるということ。ある登山家さんは、ペースの一番弱い人に合わせていたら、登れるものも登れない。ヒマラヤをみればよくわかる。強い人がどんどんルート開拓していくだろう、と。


帰宅は、久しぶりに土合駅から各駅停車で。
途中うつらうつらしながらも、こんな風にゆっくり帰ってくるのも楽しいなあと思ったり。


最近とみに考えるのは、私のように文章を書いて山を表現しようとするのも、またガイドなどで直接登山者と接して伝えようするのも、すべてにその人の人となりと登山観と登山の経験が現れるのだということ。だからこそ、登山の経験も必要だし、人間としての深みや厚みも大切。


お会いした山岳ガイドさんは、日本の登山、日本人の登山の歴史を形作ってきたおひとりであるけれど、穏やかで心が広く、相手を尊重するジェントルな態度と、そして信念を持ち合わせた方であった。こういう方にじかにお会いできること、話ができること、たとえ短い時間であっても一緒に山に登れることは、本当に感謝したい。自分もこんな大人になりたいと心から思った。

2010年12月11日 (土)

ヨガサークルへ

午前中にいくつかの仕事。

昼前に、ICI石井スポーツ本店へ。
よかった…!平出くんがいた。帰国後初めて会うので、顔もみたいなあと思っていたし、いくつか装備の相談もしたかった。

経験豊富(登山の経験、モノを見る扱う経験、売る経験)の専門店スタッフのアドバイスは、いつもためになる。

さらには、彼の新しいギアであるという山岳スキーレース用のビンディングを見せてもらった。
機能美というのはこういうことをいうのだろうと思う。


午後から、目白台ヨガへ。

このヨガサークルを主宰しているのは、友人のSHOKOさん。
彼女のヨガスタイルも好きなのだけれど、このサークル自体も素晴らしい場だなあといつも思っている。
ヨガのインストラクターの資格を持っている人は大勢いるだろうけれど、それだけではいいインストラクターにはなれず、その後いかに経験を積むかが重要であり、SHOKOさんのサークルでは、そういった経験を必要としているインストラクターたちが集まり、交代交代でヨガクラスを開いている。

参加者だけでなく、インストラクターにとっても経験が積める貴重な場ということだ。

往々にして、こういう場を取りまとめるというのは、現実的に見れば大変なコトが多いはずだ。けれどそれを彼女は、持ち前のリーダーシップを発揮して上手に運営しているように思う。


今日のインストラクターはSHOKOさんと志津さん。
そういえば、志津ちゃんのヨガを受けるのはホント久しぶり。
前半の志津ちゃんヨガが終わり、後半のSHOKOさんの番になりしばらくすると、猛烈に眠気が襲ってきて、私はなんと、立ち姿勢のアーサナですら、半分寝ているような状態でやっていた……。
いろんな刺激が体と頭にいったのだと思う。


一緒に参加したMJリンクメンバーのNさんとYさんと3人で駅までおしゃべりしながら帰った。

今日は午前中にどうしても外せない東京での仕事があり、白馬で開かれた本田大輔さんのお別れ会に出席できず。

彼とのお別れは個人的にある機会に行うことができたけれど、しかしけれど、残された家族たちは、これからもずっと彼を失ったまま生きていかなければならず、その痛みを思うと、なにもできず。

2010年12月10日 (金)

スィーツ・デートと「しんこうえんじの会」

ラブリーであり、ファンタスティックなスィーツ屋さんで、登山家さんと5時間にも及ぶトーク。
スープ入りのアイスクリームやら、トマトやバジルソース、チーズや塩とコラボされたアイスクリームなどいただく。
彼と会う時は、インタビューであってもプライベートであっても、だいたいこんな風に、美味しい甘いものを食べながら。そして、今日のようにプライベートで話ができるのは楽しい。


私と会って話すと、いろんなことが整理されるという。私からの問いかけでいろんな引き出しをあけることになったり、あちこち引き出しを開けたけれど入っておらず、タンスと壁の隙間に落ちていた出来事とかを見つけたりできるんだとか?
思うに、この理解力に欠ける私相手に、あれこれ話して理解させなければという努力に必要迫られ、それでいろんな引き出しを開ける羽目になるのではないかと……。


この秋に登ったヒマラヤのコトも色々話してくださった。
たまたま私も登ったことがある山だったので、さぞかし静寂の中で登ったのだろうとその時の様子を想像した。


彼の話が面白いのは、出来事を話すのだけでなく、その時の心の動き振り返りながら、自分を分析している点。

そして今日は重たい話もいくつか。

こうやって会って話すことを重ねていくと、これまで何度もインタビューしながら、私はちっとも彼を理解していなかったんだと思うこともしばしば。
これは、いろんな方についていつも思う。少しずつ理解を深めていくのかな。


夜は、開高健賞受賞作家であり探検家の角幡唯介さんを囲む会。受賞のお祝いにと、ある山のことをたくさん書いている新聞記者さんが企画したものだった。
角幡さんに会いたいと集まったのは、山のことを書いたり、書きたいと常々思っている各社の新聞記者さん達数人と、山岳雑誌・書籍出版社の編集者さん、登山や探検などをしている人たち、あるいはそういったコトの周辺の仕事をしている人たちだった。

そういえば、会いたいなあと思っていた大学山岳部の現役学生さんも偶然来ていて、直接話ができてよかった。大学の探検部で活動しているという女性も参加。

隊長は登山家のタワシ髭さん。どうやらこのアヤシイ会は、これから毎月開かれるらしい。

大蔵さんのお店は我が家からそう遠くはないことがわかり、終電もチェックしたし、また顔を出してみようと思う。

2010年12月 9日 (木)

『ヘルス&ビューティー・レビュー』11月号

この冬新しく購入した装備は、スノーシューとビーコン。

スノーシューはあまり使う機会はないのだけれど、今週末のトレーニングで使うことになったので購入。

迷わず、アトラスを選ぶ
軽いし、USパテントが7個もあるというこのモデルは、とても機能的。本当に機能的なギアというのは美しいのだなあと思う。
さらには、色も美しい。こういう水色はいま、北米の女子達には流行りなんだそうだ。

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ビーコンは、これも迷わずマムート。
しかし、これまでオルトボックスのF1という超古典的なモノを20年近く使ってきた身としては、ちょいと取説を読んだだけではわからず。
真剣に練習しないとならん。

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今晩は仕事が長引き、横山ジャンボさんのフィルムショーに行けなかった。ローガンは憧れの山だし(ノーマルルートでいいんですが)、ジャンボさんがパタゴニアアンバサダーになって初めての講演だたったし、本当に行きたかった。

彼のように、同じ時代に同じ国に生きていることを感謝したい登山家が日本には、実は何人もいる。そういった人たちの話を生で聴ける機会は、本当にありがたいのだから、ちゃんと計画立てて行けるようにしないと、これも罰当たりだ、とすら思う。


ところで、すっかりお伝えし忘れておりました。

先月20日発売の『ヘルス&ビューティー・レビュー』(講談社)という雑誌に、「癒しの全身美容山登りのススメ」という記事を6ページ書きました。

インタビューにて協力してくださり、記事を監修してくださったのは、おなじみの登る運動生理学者さんである、鹿屋体育大学の山本嘉正先生。

山本先生は、ご自身の体を実験データに、8000m峰無酸素登頂や60007000m峰に登ったりしています。ほかにも奥多摩や富士山など身近なフィールドを利用し、登山が一体どのような身体運動なのかを解き明かす研究をされています。

行動する研究者です。

『ヘルス&ビューティー・レビュー』は、会員誌です。会費を払って会員になると、月刊の『ヘルス&ビューティー・レビュー』が送られてきたり、ほかにも健康や美容に関する講座に参加できるとのこと。

詳細はサイトをご覧ください。


ところで、今回の山本先生への取材は、なんと鹿児島県鹿屋市まで日帰りで敢行された。

これはとても罰当たりなコトだと思う。やっていはいけないコト。なぜならば鹿屋は、それはそれはいいところだからだ。

私が、初めて鹿屋を訪れたのは、初めて8000m峰に登ることになったときの高所順応トレーニングと実験のためだった。仲間3人で、金曜夜仕事を終えて最終便で鹿児島へ飛んだあと、真っ暗ななか2時間近くバスに揺られてやっと到着した。うっそうとした森や畑のなかを長いことバスに揺られた記憶がある。

その時は確か低酸素室を、5000m相当の低圧低酸素にしてもらって、トレーニングし、2晩ほど泊まった。それも興味深い経験だったのだけれど、加えて、途中で山本先生が連れて行ってくれた温泉がそれは極楽のようなところだったのだ。

聞くに、ほかにもシークリフ(これはクラック)や花崗岩のクラッグ、さらには南限のブナの森、沢登りができる渓流もあるのだという。

こんなに素晴らしいところを日帰りするなんて、とんでもない。本当は、ちゃんと低酸素室に宿泊して、温泉にも入って、山本先生とクライミングすべき場所なのだ。

空港にある足湯だけでは、許されない。

次回こそ、必ずやゆっくり遊んでこよう。山本先生も、そうおっしゃっていた。

2010年12月 8日 (水)

写真家お二人と

午後から編集部へ。

先日の取材でカメラマンさんに撮ってもらった写真の内容を確認したり、記事展開するときの構成について編集長と話し合い。


編集部で偶然、尊敬するフォトジャーナリストの先輩Fさんに会う。彼は遠くに住んでいるので、なかなか会えないのだけれど、話したいこと、お聞きしたいことはいつも山ほどあるのだ(私としては)。

以前ある取材をしていた時、どうしても私ひとりの力では取材が進められなくなり、彼に相談したところ、快く引き受けてくださり、遠くからわざわざ東京にやってきて、協力をしてくれた。

いつも、取材は縁のようなもので進んでいくというようなことを、Fさんは言っている(と思う)が、明日からのフィリピンもいまテーマにして進めている取材の中からひょんなことから、生まれてきた出来事によるものだというのだ。話を聞くに、確かにそれも縁であると思うし、またFさんのように人とのつながりを大切にし、想像力をもって人の心を考えているからこそ、こういう話が舞い込むだと思う。

くわえて、あんな原生林の中を歩き通し、そして人を訪ねながら取材ができるジャーナリストというのはそう多くはいないと思うのだ。

私から見ると、Fさんは、地球上のどこでも歩いて取材ができ(やっぱりシリアスクライマーは違うっ!)、そして人の心に想像力や思いやりを働かせられる素晴らしいジャーナリストなのだ。


編集部を出て、Fさんと彼のお仲間である写真家のTさんと3人で喫茶店へ。

そういえば、もう3年位前の暑い夏の日にも、こうやってFさんと(別の)山岳雑誌の編集部で偶然お会いし、一緒に編集部を出て、喫茶店に入り、宇治金時の氷を食べたなあと思いだした。


3
人でいろいろな話をした。キーワードは「規格」と「規格外」か。

写真集を置きたがらない書店というのは、写真集にはいろんな判型があり、画一的にディスプレイできないし、書棚のスペースもとるのに大して売れないからそれを非効率と考えるからだ。

これは結構笑っちゃう話である。けれど、深刻なことでもある。写真集に本来、「規格」などというものはないだろう。写真集や出版に限らず、いま日本の世の中全体が「規格」と「規格外」に分けられ、「規格外」のものは非効率なモノとして扱われ、そっぽ向かれる。

同行のTさんは、「いいものづくりをすればするほど、高くなり、売れなくなるという悪循環」を言っていた。


帰宅すると、写真家の渡辺幸雄さんから、来年のカレンダーが届いていた。

そう、2011年のキャノンのカレンダーは、ナベさんの作品と決まっていたのだ。

カレンダーに使った12枚の作品を含む約30点の作品が、来年15日から約1ヶ月をかけて、全国6ヵ所のキャノンギャラリーで巡回されるそうだ。

以下が、東京の写真展の情報。

渡辺幸雄写真展「山稜光景」

日程:201115日~12日 

場所1:品川キャノンSタワー2階 オープンギャラリー

場所2:銀座キャノンギャラリー(銀座3丁目・トレランスギンザビルディング1階)

また、カレンダーの購入はココから。

12枚めくってみたが、一緒にこんな光景を見たよね、と思いだすものもあったり、涙なしでは見られなかった。

8月に亡くなった磯貝さんにも、この展覧会をお見せしたかっただろうと思う。

2010年12月 7日 (火)

自宅仕事2日目

朝から机仕事の続きをして、昼前からいつものコースをジョギング。

4日間の講習は机上と野外での実習が半々だった。しかし野外での実習といえども運動量は大したものではなかったし、野菜の少ない宿舎の食事が災いしたのか、なんと4日間で2キロも太るというショッキングな出来事があったばかり。

まあ、それは帰宅したというだけでなぜか1キロ減り、今日の10キロ弱のジョギングで500グラム減ったのだけれど。

久々にコースを走ってみると、いつもスラブ登りしていたところ(なぜかジョギングコースなのに、スラブを登らなければならん、まあ私が考えたコースなのだが)には、緩いスロープが出来上がっていた。これでスラビーな斜面を一か八か駆け上がる必要もなくなり、ちょっとさみしい。

2010年12月 6日 (月)

自宅仕事

久しぶりの自宅仕事。


原稿書き、来週からの取材の準備、週末からの山篭りの準備など。

机仕事であっという間に1日が過ぎる。

2010年12月 5日 (日)

WAFA Day4

WAFA最終日。毎朝あったクイズ(記述式のもの。前日の授業内容すべてについてしっかり復習し理解してないと答えられない大変なモノ)が今朝はないためか、ちょっと気が抜けているのだけれど、午後には、このコースを修了するための筆記試験が待っている……。


今日も机上講習と野外での実技を交互にやりながら進んでいく。


傷病者のどこに問題が隠されていて、それが緊急を要するのかそうではないのか判断するのは、本当に難しい。チェーンにはまると、問題を見つけられないこともある。



受講生全員がんばって4日間勉強し、無事修了。


最後に、「善きサマリア人の法」という“概念”に関することなどいくつか議論があった。私がトイレに行っている最中に始まった議論のようで全部を聞いていないのだけれど。
しかし思うに、日本の法律(これに該当する民法と刑法)をよく理解し、これまでの事例を勉強し(判例に至ったケースは日本ではない)、また山岳ガイドについていえば、こんにちの山岳事故についてよく把握しておけば、基本的な部分では問題がないのではないかと思う。

WAFAのような野外救急法の講習を、お金と時間を作って参加している人たちは、その時点で、野外で自分のミッションを責任もって遂行したいと前向きに考えている人たちのはずであるから。

だから、もしそれを恐れるのであれば、Davidが言うように「外に出なければよい」と、私も思う。

そしてまた、医療従事者だけでなく、報酬をもらっているガイド、パーティのリーダー、その登山に誘った「先行行為」をした者はすべて、これについて考えなければならない点は、同じである。


帰路の電車の中で『世界級キャリアの作り方』を読了。経営学者の石倉洋子さんと医師である黒川清さんの共著。

本著のなかで黒川さんが、プロフェッショナルの条件として「当事者意識を持つこと」を挙げていた。社会的な責任をもち、その責任を果たすための意思決定を行うこと。自分たちの業界の問題を、社会全体の問題として、あるいは人類の一員として自分は何ができるのか考え、行動すべきである、というのだ。こうした人は残念ながら日本人には少なく、日本では地位や肩書があり、すまり社会的責任をもつべき人ですら、行動する「当事者」ではなく「評論家」であると書いていた。

山の社会ではどうだろう。山岳ガイドの方にも、登山医学や医療、野外救急法に関わる人たちの中には、自分たちの社会をよくしていきたいと考え、あるいは社会全体のことを考えて行動している人たちが、どんどん増えてきたと思う。
整っていない制度について不平不満を言うのではなく、改善しようと努力している人たち。つまり、評論家ではなく当事者たちが確実にいる。

この業界で仕事をしていて、そういった当事者たちに出会えることはとても嬉しいことであり、彼らとともに私も当事者でありたいと思う。

2010年12月 4日 (土)

WAFA Day3

朝ごはんを食べたあと、講義室に向かう道すがら、富士山がきれいに見えた。雪がべっとりとついてた。これは降ったな。

今日は細かな演技において、反省点あり。(患者役としての)演技が下手だと、救助者の練習をしている人たちが、上手に機能しない。学べることも少なくなってくるのだ。だからこそ、迫真の演技は重要。

ということで、最後は夕陽を眺めながら、思いっきり性格悪くなって、叫んで暴れさせてもらいました。

今日のポイントは、「Wilderness Protocol」。それと連日言われ続けているいくつかのこと。

ところで今回の受講者は、24人いるけれど、そのうちになんと5人も縁のある人がいた。これは、偶然。うち3人は参加するまで、知らなかった。ひとりは、日本雪崩ネットワークのアドバンス・セーフティキャンプでご一緒した方。ほか、先日のAHAとWFAの講習会でお世話になったかたお二人。そして残りのお二人は、夫の同僚+元同僚だったりしたっ!

そして、あるスポーツの世界記録保持者の方もいらっしゃる。

本当は時間に余裕さえあれば、皆さんのアクティビティについてお聞きしたいほど。

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2010年12月 3日 (金)

WAFA Day2

食堂で朝ごはんを済ませてから、机上講習の会場へ向かうと、昨日まではコンクリだった階段が一面真っ黄色に。夜半から今朝にかけての強風で、銀杏の葉っぱがこんなに散ってしまったんだ。

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あっという間に日がさしてきて、気温も上昇。

ということで、今日の傷病者役は比較的環境良好。こんな風に、落ち葉の上を選べば、フカフカベッドに横たわれるし、

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仰向けになれば、こんな青空。

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反省点は、迫真の演技ができなかったこと。もっと暴れればよかった。

そして今日のキーワードは…えええっと。みんなTBIとICPあたりから混乱し始めたけれど、おそらく、「guide line」。

シンプルに考えて、ガイドラインを使って、シンプルに実行せよ。

2010年12月 2日 (木)

WAFA Day1

今日からWAFA(Wilderness Advanced First Aid)のコースがスタート。

今回もまた、意欲的な方々が北は北海道、南は沖縄から集まってきた。

初日の今日、印象的だった事柄は、

*Ideal to Real

*ガイドラインとは、それに従えば、負傷箇所がどこであっても、またどんな資材を使っても、対処できるというもの。

ということ。

18時にクラスが終わり、夕ご飯を食べたあと、講師の部屋へ行き、昨日に続きインタビュー。

その後部屋に戻って、宿題と予習に取り組む。これ、2時間かけても終わらないだろうな。

明日からはリアルタイムで日記を書く余裕はないだろう。

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2010年12月 1日 (水)

宿舎入り

夕方、明日からの取材に備えて宿舎入り。

神城からいらっしゃったという参加者の男性と一緒に夕ご飯を食べる。

なんと、数年前の日本雪崩ネットワークのASC(アドバンスド・セーフティキャンプ)でご一緒だった方!

部屋に戻り、仕事。

昔懐かしいような建物で、趣があって、おもしろい。

なんだかインドの大学に来た留学生の気分。

ってちょっと伝わりにくいかもしれないけれど、インドの大学の学生寮ってきっとこんな部屋なんじゃないかなあと思うのだ。

地球の歩き方に「リーズナブルで清潔な宿」と書かれるような宿の客室のイメージ。

今日は主催者の方がみえたら、インタビューすることになっているので、到着を待つ。

それまで、これから4泊5日過ごす、この部屋をワタシ流にカスタマイズ。

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