学びの1年
仕事も大掃除も、年賀状書きも放り投げて、母を連れて買い物などへ。
この1年は、原稿書きではバタバタとしたものが続いて、いまだ形を成していないような感触。
リレーで始まった『山と溪谷』の連載「登山中のケガ、病気、その実際」は、取材が非常に大変で、3人で交代でやっているものの、さっそく頓挫した。
なんとか連載は再開したけれど、それでも苦労が多い。
苦労が多いことはとくにいとわないが、連載が順調に続かないことは問題である。
昨年、プライベートで受講したカナダのSlipstreamsのWilderness First Aid 50時間に引き続き、今年は仕事も兼ねて、USのWilderness Medical AssociatesのWAFAとBridgeコース合計72時間を終え、Wilderness First Respondeという資格を取得した。いずれも北米で有効なものであるが、2年かかかって少しだけ、野外救急法というものについて理解し始めたように感じている。
私にとって野外救急法は、まぎれもなく、必要とされる登山技術のひとつである。
野外救急法だけを習得しても意味がなく、登山技術のなかでどのように活かしていくかが課題である。
登山と医療、登山と医学、登山と救急法について書く機会が多いが、少しずつではあるが学べば学んでいくほど、本当に長い長いトンネルの入り口にいるような気分になってくる。
太陽の光はものすごく遠いところに小さな点でしか見えない。
学ばなければならないことが山のようにあり、そして日本の登山の社会のなかでやらなければならないことが、カチンコチンの硬い氷河の山の向こうにあるような、あるいはアイスフォールでずたずたの氷河の先にあるような、私自身はずっと下のモレーン帯を歩いているような、そんな気分になってくる
しかしそれでも、今年も多くの機会を得て、また多くの人たちに出会って学ばせてもらった。
私にとって大きい存在となったのは、ザ・ノース・フェイスやMJリンクで機会をいただいて、多くの女性登山者たちと一緒に山に登ったこと。これから得る経験、学び、刺激はほかのものには代えがたい。
自分自身の登山そのもの、人生そのものが問われるような経験である。
大変な役目ではあるけれど、一方では「書く仕事」とは違う面白さや喜びも味わっている。
書く仕事の場合、読者に直接会う機会は少なく、自分が書いたものへの反応もダイレクトに返ってくることはあまりない。
しかし、一緒に登山をするということは、こちらが伝えたことについて、瞬時に反応があるのだ。
相手の顔が明るくなって、分かりやすい反応があるときもあれば、アタマのてっぺんにはてなマークが出ているときもある。無反応も反応のうちのひとつだと考えるし、腑に落ちないような顔をしているときもある。私自身の写し鏡のようだ。
反応はいろいろであるが、こうやって伝えることの喜びや難しさを経験する。
この仕事(書くことと、書くこと以外でも伝えていくこと)を続けていくには、もっと学び、経験しなければならない。学びと経験の両輪を上手に動かしていけるように、来年はもっとアタマも働かせよう。
今年残念だったのは、チベットについて書く仕事が少なかったこと。
来年はほかの可能性も探ってみたい。
明るく元気で、パワーをたくさんくれたたくさんの人たちとの出会いと時間に感謝し、それから辛い別れをしなければならなかった、あの世に旅立っていた何人かの山の仲間達が、あの世で元気でいてくれることを祈って、今年を終えたい。
紅白歌合戦の歌をBGMにし、テレビ番組「ゆく年くる年」から流れてくる除夜の鐘を聞きながら、おせち料理を仕上げていくのは、心も改まり好きな時間。
黒豆が色艶よく仕上がったのはよかったけれど、身欠きにしんをいれた昆布巻きはバクハツ気味。
来年もにぎやかな1年になりそうな予感。
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