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2010年11月

2010年11月30日 (火)

MJリンクサポーターの会合

夜、MJリンクのサポーター・ミーティング。

上越在住の管ちゃんは唯一来れなかったけれど、彼女以外の6人―まさみん、ジッキー、シヅちゃん、カナエちゃん、オオクボさんと私―が集合。みんなものすごく多忙な生活をしていて、6人が集まれたなんて、奇跡だと思っている。


初対面同士もいたりするので、自己紹介や雑談などして、それから来年の年間計画について、具体的なアイディアや考えを話し合う場となった。

共有できる思いもあれば、それぞれ考えが違う点もあったりで、互いの考えを知るよい機会になったと思う。

共通しているのは、サポーターが愛情もって、やりたいと思う企画をやること。このモチベーションがなれば企画は中途半端なものになるし、またこちらがやりたいこと、伝えたいことは参加者に伝わらないだろう。


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時に集合して、11時過ぎまで話をして、解散。

2010年11月29日 (月)

デート2本立て

ヒロスケとランチデート。

彼発案のある企画について、改めてヒロスケの気持ちや考えを聞く機会となる。

私は「乗りかかった船」というわけではないけれど、このことは流れに身を任せて、自分のできる限りのことをやってみようと思っている。


ハイチカレーのその店は、古くからある喫茶店のようで、長居ができた。

食後のコーヒーが2杯目になる頃から、仕事や登山のいろんな話。

彼はこの5.6年、冬になるとカナダでガイディングの仕事をしている。カナダの山岳ガイドの資格をもっているが、そのステージを上げていこうとしているのだ。

加えて、ウィルダネス・ファーストエイド80時間資格も更新の年らしく、そちらの勉強や講習の受講、受験もしなければならないそうだ。

山岳ガイドの資格を上げていくには、相応の登山の経験ないとならない。試験勉強をしてペーパーテストに受かり、技術試験のためのトレーニングをするだけでは、全く持ってダメなのだ。ヒロスケですら、次のステージを受験するにはログが足りないというのだけれど、それはものすごく本来的なことなのではないだろうか。


私がやっている仕事やMJリンクの活動などは、彼がガイディングしているレベルやエリアとは全く違うハイキングであるけれど、それであっても、もっともっと自分が勉強しなければならない、そして経験しなければならないと思うことばかりなのだ。

登山って一生かかっても登りきれない。


新しい知識や技術のアップデートと自分自身の登山、自分自身の力で自分自身で立案計画して登る山、この両輪が働かないと、書く仕事もガイディングする仕事も務まらない。


夜は、山岳雑誌編集者のノンちゃんとディナーデート。今日はデート2本立て。

久しぶりに会って、お互いの仕事のいろんな話をして、あーでもない、こーでもないとモノづくりへの愛情を語り合い、山登りについて語り合う夜だった。

彼女とは、好む登山が違うかもしれないけれど、なんというか根幹のところで登山についても、モノづくりについても共有できるものがあると思っている。だから一緒に仕事をしていて楽しいし、やりがいがあるのだ。

そして、仕事の場を離れても、こうやって友人としてたくさん話ができる同業者、とくに女性は、私にはほとんどいないので、とってもとっても貴重な友人。

2010年11月28日 (日)

MJリンク・葉山ハイク

今月は毎週日曜日にMJリンクイベントがあった

私は第1週と4週の担当で、2週と3週はまさみんがケアしてくれた。

企画数を多くして、登録いただいている人たちに少しでも多く参加できる機会を作りたいとは思うものの、こちらの能力と時間には限りもあり、そううまくはいかない。

サポーター自身、まだまだ発展途上(誰でもそうであるが)であり、自分自身の登山やそれにまつわるいろんな時間をあまり削りたくない、サポーターの人たちにも削ってほしくないなあと思うのだ。

というのは、そういった自分自身のバックボーンなしには、この活動はできないと思っているから。


今日はMJリンク月間最終イベントとして、先週に引き続き葉山ハイク。

リーダーは、葉山に育ち、葉山を愛するジッキー。

下見のときと少しだけルートを変更したのは、降雨による森戸川の増水が予測されていたからだ。

小さな川ゆえ、降雨の影響は大きく受けるようだ。



二度目の葉山。改めてディープな世界だと思った。

先日、羽田から鹿児島へ飛ぶ機窓から、三浦半島を見下ろし、本当に緑が濃い地域なのだと再認識したばかりだったけれど、こうやってその世界に入り込んでいくと、本当に面白い。

今日は風が強く、森の木々たちは、てっぺんの葉や枝をごうごうと音を立てて揺らしていた。

けれど、森に守られて歩いている私たちには、ほとんど影響はない(その分、ゴールの森戸海岸で思いっきり風にあおられたけれど)。

第一楽章の森は林床にシダが生えていることが印象的だけれど、第二楽章は森戸川の川床を歩く。

森戸川の最初の一滴から、枝沢が合わさり森戸川が少しずつ大きくなっていくさまも、おもしろい。

ランチ後の第三楽章は、急な登りとアップダウンのある尾根歩き。

最後に仙元山でチャイとお菓子と私のおかずソフトクッキーでおやつ。

そして、森戸海岸へと歩き下っていった。



今回は、半数がリピーターの方で、半数は初めての参加だった。

MJリンクという名前は、実はかなり苦労して名付けた。そういったセンスが皆目ない私は、全くアイディアが思い浮かばず、仕事の合間にあれこれ考えても、とんでもない名前ばかり浮かんできた。

最後に、事務を担当してくださっている吉田さんが、取材先にいた田部井さんと私宛に携帯メールで「MJリンク」という名前を伝えてきて、その理由をいくつも挙げていた。

この名前が定着するかどうか心配だったけれど、今では親しみがある。

「リンク」という言葉がよいと思う。

その名の通り、参加者さんたちは、いろんなところでリンクしているようだ。

今日の参加者のTさんは、春の三春の回で奈良からの参加者のIさんと一緒になった。それで意気投合したのか、一緒に六甲山を登ったという。東京発着の企画が多いけれど、いずれはほかの地域の企画もやってみたいと思いながら、なかなか手が回らない。だから参加者さん同士でそんな風に、日本全国の山を歩いてくれたら嬉しい。

Yさんはなんと、今回初参加ながらも、実はMJリンクのオフ会(というのだろうか?夕食会とか、都内の机上勉強会)には、すでに参加して、MJリンクメンバーたちと親しくなっていた、なんていう面白い話もある。

こうやって、参加者さんたち自らの思いと行動で、リンクが広がっていくのは、素晴らしいなあと思う。



解散後、ジッキーとふたりでカフェで反省会。

細かい点など改善できることはまだまだたくさんあり!次回はバージョンアップしたい。

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2010年11月27日 (土)

明日の準備

本格的に調子が悪くなり、寝込む。

時々、机仕事。


夕方、明日のMJリンクについて、サポーターのジッキーから最後の打ち合わせ電話。

内容は昨晩の続きと、その他追加で確認し合うべき事項について。

ジッキーの声を聞いて、やっと体調が上向き。


明日の準備。

装備を揃えて、事務的なことを片付けて、それから事務用品などを揃える。

明日はショートロープも持っていくので、ギアもチェック。

最後に、再び、おかずソフトクッキー試作。

明日もみなさんを実験台にさせていただくのだ。

2010年11月26日 (金)

冬の前に

机仕事のあと、インフルエンザの予防接種へ。

いつもなんともないのに、今回は調子が悪くなる。

早々に就寝。

2010年11月25日 (木)

先生とヨガ

家で原稿書きと、雑仕事。

来春からの仕事のパンフレットの原稿を書く。

「先生」と呼ばれることは、生涯なんとか避けたいと思ってきた。だから、講座や講習会、講演会ではなるべく呼ばないでもらうようにしてきた。

なんで、そんなに「先生」と呼ばれるのがイヤなのかわからないが、亡父は常々「先生と呼ばれる者にろくなもんはおらん」と言っていた。彼は、職業柄、顧客から「先生」と呼ばれていたのだけれど。

うぬぼれるな、裸の王様になるな、という自分への戒めだったのかもしれない。


私自身は、「先生」というのが、いったいなんであるのか、まったくもってわからない、理解しきれていないから、呼ばれたくないのかもしれない。


しかし、場所によっては、呼ばれなければならない、そうケジメをつけなければならない場面もある。

若い(というと失礼にあたるな。立派なプロフェッショナルなのだから。私より若い、という意)山岳ガイドさんが、先生と呼ばれることについて、「少なくとも、この先生に教わってよかった、と思ってもらえるような仕事を心がけている」と言っていた。

ああ、ぶつくさ言っている私よりずっと大人。


夕方から、友人と春の企てについて、密談。


夜、SHOKOさんのヨガクラスへ。

ヨガのレッスンは先生に誘導してもらってヨガをやるわけで、相性があると思う。

私は、SHOKOさんのヨガが大好きなので、こうやってクラスを受けられるのはラッキー。

アタマゴリゴリして痛くなったけれど、最後は気持ち穏やか。

2010年11月24日 (水)

『180°SOUTH』試写会

午後、カイロプラクティック・ドクターさんのところへ行き、その後カフェ仕事と、一件ミーティング。


夜、『180°SOUTH』の試写会へ。

渋谷の小さな試写室だったのに、私は時間ギリギリで行動してしまった。そういえば、『アイガー北壁』の試写会の時も、ギリギリ入れたけれど、すぐ後ろの方々からは満席を理由に入場を断られていたのだった。

一足先に試写室に着いたケイさんが、会場の椅子の数を見て「これはまずい」と思い、私の席も確保しておいてくれたから助かった。


180°SOUTH』は、1968年にイヴォン・シュイナードとダグ・トンプスキンスが南緯180°のパタゴニアを目指した旅―この旅に憧れ、現代の若者たちが、彼らの足跡を追うというもの。

イヴォンとダグ・トンプスキンスは歴史的な登山家であるが、この時旅をともにした二人が、のちに世界的なアウトドアブランドを立ち上げたというのは、ちょっと面白い。いうまでもなく、イヴォンはパタゴニアを、ダグはザ・ノース・フェイスを創った。

山頂の雪が消えたコルコバド(パタゴニアの最高峰)は、名クライマーであるティミー・オニール(実際に出演)をしても、登るのは困難だった。

みながコルコバドを登山中に、山麓の海岸で、それはそれは美しい波に乗っているのは、キース・マロイ(ちなみに、本映画の監督・脚本は兄のクリス)。


その後場所を移して、ある未踏の山に、主人公のジェフ・ジョンソンと、イヴォン、ダグ・トンプスキンスは登るのだが、そこで70歳のイヴォンが見せるクライミングシーンには驚かされた。「さすが」という言葉を使うのはおこがましいが、真のロッククライマーたるや、70を越えようが、動きは安定。ノーロープで登っていくさまに、驚愕。

映画全体を通じて、自然保護、環境保護、自然や環境と人間の社会生活・経済活動の関係などテーマ性が強かった。試写会のあとは、ケイさんと、同業ライターのナオミさん、それから山岳雑誌編集部のOさんと女性4人で飲み会。

山ガールも流行っていることだし、同業の女性たちで集まるのも楽しいものだ。そういえば先日もそんな会があった。

ナオミさんは、今年になってからやっと知り合えた同業者だけれど、同性で山のことを書く人はほとんどいなく、しかも彼女のように自分の登山やアウトドアのバックボーンをしっかり持っている人はとても魅力的。

気さくで明るくて力持ち。絶対に一緒に山に登りたいって思わせる人なのだ。


終電まで、山登りのいろんな話、取材のいろんな話。


2010年11月23日 (火)

パイプオルガンとテレマークスキーの相関

世界的なオルガニスト、松居直美さんのコンサートへ

会場で落ち合ったのは、直美さんと懇意にしている友人のカヨちゃん、それとトキちゃん、カヨちゃんのところのスタッフの方。


ミューザ川崎というコンサートホールは初めて行ったが、立派なスイス製の大オルガンがあった。

前回直美さんの演奏を聴いたのは、ある幼稚園にある教会で、小さなオルガンを使ったものだったので、今日は全くちがう色合い。


私の大好きなヒンデミットから始まった。

大オルガンというのは、本当に偉大な楽器であり、直美さんが第一音を鳴らした時から、私たちのいるそこは、全く違う世界になった。


友人のけいちゃんが、一緒に行ったノルウェーの思い出について『SOUL SLIDE2007』に「フィヨルド・ノルウェー、魂のゆりかご」というエッセイを書いている。「魂のゆりかご」というのはスキー発祥の地、テレマルク地方のモルゲダールに残る言葉だ(ったと思う)。

あの旅は本当に美しく豊かな時間だったけれど、その中でも彼女がずっと登りたかったランダシュトップに、3度目のノルウェーにしてようやく登れた時のことを、エッセイの最後に書いている。

標高差1500mの一枚バーンは、山頂に近づくにつれて傾斜を増し、最後はシール登行ギリギリだった。かのけいちゃんが言うのだから間違いない。あの時、クリスチャンは「スミコ、下り、どうしよう?」とナーバスに私に話しかえてきたし、私は私で、もうどうにでもなれと思っていたけれど、最初の1ターンは、滑落するわけには絶対行かずにキックターンしたという思い出があったりする。

その1500mの一枚バーンは、鏡のように静かに青く輝くフィヨルドに向かって落ちていた。

しかも、困ったことに南向き斜面であり、午前中に強い日射の影響を受けた雪は、上から下までありとあらゆる“いわゆる”悪雪が続いたのだ。いったいどうやったらまともにターンができるのだろうかと、まったく次から次へといろんな種類の悪雪が展開されていって、私は開いた口がふさがらなかった。けれど、なぜかものすごく幸せだった。


けいちゃんはそのときのことを、

「パイプオルガンでいうところのオルゲルプレノ(Orgel Plenum、すべての音栓を引き出して風箱がぺんしゃんこになるほどの大音量)みたいなもので、これほどまでに魂が解き放たれる空間はほかには存在し得ない、この地この雪でテレマークターンができれば、それは百万NOK(ノルウェークローネ)に値するのである。」

と書いている。彼女は、オルガンビルダーになる勉強をした人だった(いまは森林学者だけれど)。


魂が解き放たれる空間。そんな素晴らしい場所が、この地球上にそうたくさんあるとは思えなかった。

だから私は、ノルウェーでそんな経験を再びできたことが、この上なく幸せであり、そんな宝物のような時間を、今日再び、直美さんの演奏で思い出すことができたことも、とても幸せなことだった。


こんな貴重な演奏を聴く機会をくださった、直美さん、大久保さん、かよちゃん、ありがとうございました。

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2010年11月22日 (月)

打ち合わせふたつ

午後から、タベイ企画さんにて、MJリンクのミーティング。
来年の企画についてなど。来年はビッグな企画も用意しています!

その後、カフェ仕事(合間の時間にカフェで仕事をするコト)に入り、夜は、写真家のムツミさんとご対面。
初めてお会いする方なのだけれど、山岳雑誌などに載っている素敵なポートレイトは、その人の魅力を引き出した素晴らしいものであったりする。その証拠に、何人もの山岳ガイドの方たちが、ブログやいろんな場面でムツミさんの写真を使用しているのだ。
また、彼女が切り取る自然の風景は、優しさがあって、これはきっと、ムツミさんが自然に対して深い愛情を持っているからなんだろうなあと想像していた。

なぜ初対面の二人が、いきなり会うことになったか。
その原因(いいや、ゴメン理由)は、ヒロスケにある。
だったら、その張本人のヒロスケも来ればいいのだけれど、なぜか私達ふたり。

まあ、前途多難ではありますが、こうやってムツミさんに知り合う機会をくれたヒロスケには、心から感謝。

2010年11月21日 (日)

AHA2010アップデート+WFA勉強会

AHA(アメリカ心臓学会)BLSインストラクター、アメリカ赤十字のウィルダネス・リモート・ファーストエイドのインストラクターなどの資格をもって横浜を基盤に活動されている方々―「BLS-AID net.横浜」が主催する講習会に参加。
実は、彼らの活動は、ツィッターで知るところとなった。
私は、昨年秋、Fujiyama-Guidesのヒロスケと省二くんらが招へいした、スリップ・ストリームス(カナダ)のウィルダネス・ファーストエイド50時間講習を受講し、その資格を取ったのだけれど、日本には、上記のふたつのほか、OBSさんが主催する講習もあることは、知っていた。

日本にまだなじみがないと言われているウィルダネス・ファーストエイドだけれど、ほんとうは山に登る人も、海で遊ぶ人も、それから街でのファーストエイドに限界を感じている人にとっても、有効な知識と技術であるのだから、もっと日本に根付いていったらよいと思っている。
私が仕事をする社会でいうと、山岳ガイドの方々はもちろん、山岳会のリーダーだけでなく、一般登山者も受講できるような講習会が行なわれるようになったら、素晴らしいはずだ。
そのためには、いま日本でウィルダネス・ファーストエイドの活動をしている方々、それから登山医学、旅行医学など関連分野の方々などが協力しあって、いい形の「円卓」が作れてらよいだろうと思う。

今日の講習は、二部構成。
午前中は、AHAが発表した、2010年の国際的コンセンサスと、それを受けて、AHAやヨーロッパ心臓学会、日本心臓学会などが出したガイドラインについての説明。
BLS-AID net.
横浜の秋場さんが、先日、シカゴで行われたインストラクター・カンファレンスに出席したそうで、その報告を元にしたものだった。
たしか、2005年のガイドライン発表のときは、アメリカと日本では時差があったし、今回はそれが是正されてアメリカも日本も(ヨーロッパも?)同時発表だった。
さらには、こんな風に、さっそくアメリカでの会議出席の報告をじかにうかがる場があるなんて、なんて恵まれているのだろう!と思う。

午後は、ウィルダネス・ファーストエイドの勉強会。
今年のスリップ・ストリームの50時間コースを修了したばかりのお二人のほか、一般登山者の方々が数人いらっしゃった。
ほかは、職業的に多少なりとも関連のある方々だったように記憶しているが、こうのような貴重な会を逃さずに、積極的に参加する登山者がいらっしゃるというのは、本当に頭が下がる。

ウィルダネス・ファーストエイドの勉強会は、主催の方々がこの春に受講したアメリカ赤十字のウィルダネス・ファーストエイド、およびそのインストラクター養成のための講習が基盤にあった。
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時間という短い時間だったので、アセスメントの基本、全体の流れを抑え、その中から、ウィルダネス・ファーストエイドとは何ぞや?とか、その考え方を知る機会になったと思う。

シナリオ練習も繰り返し行ない、いいトレーニングになった。

また何よりも今回の講習で貴重だったのは、いろんな人に出会えたことだった。
フェアでオープンな場には、人々が集まり、建設的な意見交換がなされ、そして物事が進んでいくのだということが、よくよくわかった。
こういう雰囲気や考えは、なかなか作り出せるものではなく、ひとえに主催者の皆さんの行動や考え次第なのだから、とてもありがたく、感謝。

2010年11月20日 (土)

日常に戻った日

山の後片付けと机仕事の日。
さすがに、遊んだあとは、仕事もはかどる。

もっと時間を有効活用して、メリハリ、けじめをつけて、ちゃんとオフの日を作れるようにしよう。

シールのグル―を何とかしなきゃな。きれいにお掃除し、昨年冬、札幌の秀岳荘で買っておいたブラックダイヤモンドのグル―を塗るか。

2010年11月19日 (金)

立山Day3

朝風呂、朝ごはん。これ以外の順番が考えられるだろうか。誰も考えられまい。

山崎カール方面へ。
一昨日夜、Tくんが呪いのシールの話をしていたけれど(私は彼とはちがうメーカー使用であるが、単なる手入れ不足のために)、尾根の途中でシールがだらりん。
ひとりラッセル状態になってしまった。シール歩行者においていかれる、ふぅー。

今日もノートラックの斜面の数々。
「雷鳥荘前ゲレンデ」と呼ばれているところ以外で、この3日間でシュプールがある斜面はこれっぽっちも滑っていない。
なんて、贅沢なんだろう。
週末に来る方々には申し訳ないので、なるべく美学をもってターンしたいところではあるが、諸般の事情もあるので、それなりのシュプールにしかならない。

しかしこれまた本当に楽しい思いをして、雷鳥荘へ戻る。
ちょうど、いぶし銀組の文博さんや北田さん、裕之さん、それからカメラを持った川崎さんや松倉さんらが宿に着いたときだった。
彼らと日程を合わせることができず、かなっぷと私は先に来てしまっていた。文博さんや北田さんとは何度か立山でのシーズンインをご一緒させてもらって、楽しい思い出もたくさんあるので、一緒に滑りたかったな。

部屋でおしゃべりしたあと、雷鳥荘前ゲレンデを滑り降りていく彼らを見送ることにした。
若手男性陣おふたりが、地形を使って遊んで楽しく滑っていくさまに、歓喜の声が上がり、北田さんや裕之さん達いぶし銀組の滑りには、本当にため息。

手を振って別れようと思ったところ、文博さんに「本当に帰っちゃうの?滑っておいでよ」と言われ(その前からさんざん言われていたけれど)、ついつい「行きますぅー!」と。
プロの方々3台のカメラにも撮ってもらい、楽しく滑り降りた。
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日間でノートラックの斜面をたくさん味わって、それはそれは楽しかったけれど、こうやって大勢で滑ることも、同じぐらい楽しかった。

文博さんに「うまくなったね、滑りが変わったよ」と言われた。文博さんの滑りは、私の理想のひとつなので、とっても嬉しかった!

さすがにいつまでもついて行くわけにはいかず、私たちは雷鳥荘に登り返し、室堂へ。

下山後、薬師の湯に入り、池田町の柳澤先生が生前好んで通っていた蕎麦屋へ。
白馬から常念までの北アルプスの山並みが全部見える、それはそれは素晴らしい夕焼けだった。

大町のクリへは、電話にて下山連絡。
これにて、スキー慰安旅行、終了。

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2010年11月18日 (木)

立山Day2

朝風呂。朝ごはん。止められない、この生活。
天気が悪いことはわかっていたので、朝ごはんのあと二度寝。
天気がよくなってきてから(通常の人がハイクアップを始めたころに)、二度目の温泉。
そしてカレーを食べて腹ごしらえをして、雷鳥沢方面へ。

いくつもノートラックの斜面を味あわせてもらって、大感激。
最後、称名川に向かって滑り下りていくときは、真っ新な雪の中に自分だけがいて、雪が光り、世界が輝く中を滑って行っているような感覚になった。
こんな幸せなことはそうない。

しかしツアースキーをしていて、私が一番喜びを感じるのは、ハイクアップをしているときだったりするのだ。
滑っているときの幸せな感覚や楽しさ、おもしろさはもちろんあるのだけれど、「喜び」という言葉で表される行為は、「登り」だったりする。
これは、もうひとりのテレマークスキーの師匠、ケイちゃんもそうインタビューで答えてくれたと思うのだが。

雷鳥荘への最後の登り返しをしているとき、立山の山々は本当にきれいだった。
これらの山並みが、曼荼羅に描かれたその理由はわかるような気がする。
冬が来て、真っ白になり、本当に神々しかった。

本田くんは、手が届かないところへ行っちゃったけれど、きっとなんの穢れもない純真な存在になったのかもしれないなあと、彼のことを思い、黙とう。


宿に帰り、温泉に入って、ビール飲んで、夕ご飯食べて、再び温泉に入って、爆睡。

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2010年11月17日 (水)

立山Day1

昨夜仕事が終わってから、モンベルで新しいアウターのパンツを買った。
アルパインサーマシェルパンツ。私の場合のアウターパンツの条件は、薄すぎず厚過ぎない1枚布、ゴアテックス、ストレッチ性あり、止水ファスナータイプで軽量。
ありそうでないのが、この条件をすべて満たすパンツなのだ。だから、先代のパンツはなんと8年使ってしまった。雪山、ヒマラヤ遠征、ゲレンデスキーすべてこれ1枚で済ませてきたので、使用総日数は250日を超えるだろうと…周囲から呆れられていたのだ。
何ともぼろくなり、いくら洗濯しても薄汚く、撥水性もすぐに落ちてしまうので、困っていた。
やっとなんとかこれならば、と思うものに出会って購入。

その後、仕事を終えたかなっぷをピックアップして、中央道へ。
深夜、扇沢着。
今朝6時半に車内にて起床し、コーヒーを飲むためにジェットボイルでお湯を沸かしていると、赤いデミオが止まった。
そう二人で、大町在住の山岳部の後輩であるクリハラくんについてウワサ話をしていたところだったんだ。
「クリどうしているかな?」「一応、計画書はクリにも送っておいたよ」「まさか、朝来るんじゃないか?」「来ないでしょ、こんな寒いのに。大町から20-30分はかかるんだよ」

ぎょっ!クリが来た。おにぎりがむせて、車のドアを開けるのが遅れると、やつは、熱気で曇った窓ガラスをゴシゴシと拭き始め、中を覗きこんだ。
事情を知らない人が見れば、単なるあやしいモノだ。

あわててドアを開けると、「おはようございます」と。「おはよう、よく来たね、寒くない?」。
大した話もせず、クリはコーヒーを1杯飲んで帰っていった。
なんでも忙しいらしく、いまから仕事現場に直行するのだそうだ。

私が扇沢から登山に出発するときは、クリは必ず見送りにくる。昨年の夏なんて、一緒に剱岳に行ったオンダくんが「あの人は誰なんだろう? 朝早く来て、すぐに帰って行った」と言いたげなほど不思議な顔をしていた。


室堂に少々の荷物をデポして、浄土山方面へ。
私のなかでは、立山シーズンイン一番の当たり年だった2002年の時と比べると、積雪量が少なく、ちょっと見誤ったかなと思ったけれど、稜線まで上がる。槍ヶ岳や穂高連峰まできれいに見渡せた。

雪質はまあまあ普通というところ。最初は、5か月前の富士山での板収めの感覚がすぐに戻ってきた気がして図に乗っていたが、すぐにターンが崩壊し始め、私は、山のど真ん中で、「なおちゃん(←テレマークの師匠のひとり)、なおちゃんに言われた通り、シーズン初めは1日中斜滑降してポジション確認したいよ」と思ったほど。
けれど、山のなかでそんなことを考えていても仕方がなく、それなりに楽しんで室堂へ戻る。

この日の一番の斜面は、雷鳥荘へ向かう途中のボールだった。

宿について、温泉に入ると、一気に解放感を味わう。
考えてみると、この1ヶ月半ほど、マル一日オフになった日がなく、いつも仕事に追われているようだった。
ものすごく疲れていた自分を、初めて知った。
ロビーで薪ストーブに当たりながら、夕陽の山を眺めてビールを呑んでいると、気を失いそうになった。
夕ご飯を食べに行く頃には、すべての疲れが一気に出てきて、ガイドのトネちゃんに会って話をするも、目が開かない……。

食後、アウトドアメーカー勤務のNくんとT1くん、それと彼らのお友達だというT2くんがテントからやってきて、酒を呑みながらおしゃべり。
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くんとは八幡平で一緒に滑ったことがあったのだ。
夜、爆睡。

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2010年11月16日 (火)

『PEAKS』12月号 マイク・リベッキ―インタビュー

PEAKS』にリモートエリアでのビッグウォールクライミングを得意とするマイク・リベッキーさんのインタビューを書いた。
彼のスポンサーであり、今回彼を日本に招へいしたマウンテンハードウエアとの関わり合いがほとんどであるけれど、世界各国のいろんな環境のなかでビッグウォールを登ってきたマイクの考えや、彼のセンスについて触れている。


さて、このインタビュー、編集を担当してくださったのは若き編集者安藤さんであるけれど、仕事の話をくださったのは長年の付き合いになる森山さん。
彼ほど、日本や世界の登山の歴史を把握しながら現在のクライミングをアップデートしている編集者はそういないのではないかと思う。
だから、とっても頼りになる存在なのだ。

森山さんから、「マイク・リベッキーが来日するんですが、知っていますか?」と聞かれ、すぐに『rouout』の記事を思い出した。
小柳美砂子さんが、かつて一緒にバフィン島のビッグウォールを登った記録だ。その後、彼女の訳によって、マイクの中国でのクライミングについても掲載されていた。
へー、こんな風に外国で外国人クライマーと知り合って、約束して、その後一緒に登ることもあるんだあなんて、その当時は、とても感慨深く思った。

いま思えば、自然なこと。パートナーに外国人も日本人もないし、外国人と登っている日本人は今では大勢いる。
その後私も、外国人との合同隊を経験したり、外国の友人とふたりでトレッキングにいろいろ行ったり、それからアメリカやヨーロッパの人たちとクラス4のラフティングの旅を何度かした。
その時の心地よさは忘れられない。なんでだろう。外国の人と一緒に活動するって、これもまたすっごく面白いのだ。


ところで、マイクは、とっても優しい温かな人だった。
日本の「honobono feeling」が大好きで、人生は一度しかないから、夢を諦めず、可能性を制限することなく、余分な枠なんて取り払って、思う存分楽しもうじゃないかと言っていた。

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2010年11月15日 (月)

『山と溪谷』12月号発売

今日は終日原稿書き。

本日発売の『山と溪谷』12月号に、以下3本の記事を書きました。

   復活連載「山での「ケガ」「病気」、その実際 ・第4回 クマ襲撃による外傷」
ベアアタックによる外傷を負ったときの、そのケガの実際のことや、現場でのファーストエイド、治療について紹介。ファーストエイドと言ったって、止血するぐらいしかない、というかもしれないけれど、その止血こそが大切。今回登場いただいた、山岳カメラマンの早川輝雄さんも、登山家の山野井泰史さんも失血死を意識したというのだから。
治療については、ベアアタックの症例を何度か経験し、論文も書いていらっしゃる小諸厚生総合病院の山崎正医師と、眼のケガについては関圭介医師に出ていただいた。
生々しい写真もあるけれど、これがケガの実際だということをご覧いただきたい。

なお、クマとの共存の道を探ることや、クマに遭わないようにすることについては、この記事では触れていない。
私自身登山中にクマと至近距離で遭遇したことが数度あり、恐ろしさも感じると同時に、クマの棲み家に私達登山者が分け入っているのだという実感ももっている。
彼らの棲み家を壊すことなく、クマだけでなく、あらゆる野生動物や樹木、昆虫などの生き物たちと互いが平和に暮らしていける道を探りたいと思う。

また、今年クマが多発したことの要因のひとつに、ドングリの不作が報道されていた。この記事にも「ドングリなどの木の実が不作で」と書いたけれど、実際にはドングリの不作を実感しない人も多い。前述の早川さんもその一人だ。山を歩いていても、例年通りドングリの実はみるという。一方で、ブナの実の不作、これこそ確かなものだと実感している人は多いようだ。統計を得たわけではないので、確かなことはわからない。

   ダウラギリ雪崩遭難・捜索の速報 P131
家族・仲間をうしない、その捜索にあたり、心身ともに大変な時期であった当事者の方々には、帰国早々、取材にご協力いただいた。
それは本当に心が痛むもので、どれだけ彼らが生も根もつかれ果てているのか。
お話いただいたことは、正確に書いたつもりだ。
次号に詳細続報を載せる。

   『奇跡の生還へ導く人 極限状況の「サードマン現象」』(ジョン・ガイガー著 伊豆原弓訳)図書紹介 P142
人間もつ精神性について、サードマン現象が起きる場所や環境、条件を縦軸にし、歴史や認知脳科学などの学問を横軸として、問うた本のように思う。

ところで、今月号に珠玉の原稿を2本発見。

ひとつは、P141にある坂下直枝さんが書いた『裸の山 ナンガ・パルバート』の書評。「ゆがみ」

に気づき最初に反旗を翻したのがヘルマン・ブールであり、彼によってヒマラヤ高峰でのアルパインスタイルが蘇ったのだと書いてある。登山スタイルが、その後の自分の登山のみならず人生に大きな影響を及ぼすこと、これは心底実感しているが、それを突き付けれた気分。

もうひとつは、P184-185の廣田勇介さんによる「野外救急法のあり方について」。これほどの文章を書ける人はそういまい。彼が、いままで積み重ねてきた経験とキャリアによるもの。登山者全員に読んでもらいたい。

この2本の記事があるだけでも、今月号は「買い!」。

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2010年11月14日 (日)

浅間山のキノコ汁とオンナ3人の泡盛

F山岳会の月例山行。今月は私がリーダーの当番。
箱根の浅間山に登り、山頂でキノコ汁をすることになった。

キノコ汁案が出たのは、先月の山行リーダー(会には登山のサポート会員と医療のサポート会員がいる)のミーティングのとき。
せっかく、アメリカからCさんが立ち寄ってくれるのだから、ということによるものだった。
C
さんは、長身でエキゾチックな顔立ちで、とっても素敵な雰囲気の女性山岳ガイド。
ヒマラヤ地域の各国のほか、スペインやフランス、南米などの山岳地域のトレッキングをガイドする。
高峰登山やクライミングはガイドせず、それは自分自身の「山」として友人と登るのだそうだ。

F
山岳会の代表であるSさんが長年懇意にしているため、私達会員もCさんと知り合うことができたのだ。
私がブータントレッキングで初めて会ったときも、彼女は米国の乳がん財団のツアーでお客様を案内しているときだった。

なんともエネルギッシュでそして優しく温かい雰囲気をもっていて、本当に素敵な生き方をしている人なんだろうなあというのが伝ってくる。

アメリカのような大国は、登山業界においても大国なわけで、山岳雑誌のライターも編集者も、写真家も、山岳ガイドもなにもかも、層が厚い。そしてビジネスとしてしっかり成り立つ土壌もあり、生き生きしている(という印象)。
(話はそれるが)UKはまたちょっと違った印象だけれど、そこにも確固たるビジネス社会と登山界がある。

アメリカやUKにあるいくつかの、組織や仕組みが私はうらやましく、そんなことが日本でも実現できないかと考えたこともあったが、日々の忙しさに追われ、仕組み作りに努力せず、今日まで来てしまった。
わが業界のギャランティが安いだの、生活を成り立たせるのが困難などいうのは、本当に根が深く、そして広範にわたる難しい問題ではあるのだけれど、当人たちが努力しないで、誰が努力するのだ、と我を省みるのは、こんな風に外国の友人に会ったときだ。


キノコ汁はとっても美味しかった。
私がいい加減に作った30人分のレシピを、先輩の皆さんが、塩梅よくいろいろ準備してきてくださり、いいお味になったのだ。
とくに、キノコは5種類ほどふんだんに使った。写真のように鶏肉や野菜を一緒に入れてこくが出たし、もうひとつ写真には撮らなかったけれど、キノコだけのお汁も作り、こちらは本当に薫り高かった。

紅葉は、もみじの紅い色とカラマツのゴールドがとても美しく、いい山登りだった。

下山後は、お決まりの蕎麦屋で、Cさんも囲んでみんなで乾杯。


私は東京に戻ったあと、山の業界で働くゆっこちゃんと、時々山のことを新聞に書いてくださる大手新聞社勤務の女性記者さんKさんと会った。
ゆっこちゃんが月末に旅立つので、その壮行会だ。Kさんとは、仕事の現場(MJリンクに取材に来てくれたり、いろんな記者会見やパーティの場)でしかお会いしたことがなかく、こうしてプライベートでお酒を呑むのは初めて。

数日前の反省を踏まえ、泡盛にには手を出すまいと思っていたけれど、沖縄料理屋に来て、泡盛を呑まずに何を呑む? いいお酒だった。
山の話や、登山業界の話や、それから川や海で遊ぶ話をして、夜遅くお開き。

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2010年11月13日 (土)

小山さんのピアノとアメリカからやってきた山岳ガイドさん

昼過ぎから、オーチャードホールで上演された小山実稚恵さんのピアノコンサートへ。
F
山岳会の皆さんと、アメリカからネパールへ向かう途次に日本に寄ってくれた山岳ガイドのCさんと一緒。


小山さんは、私がF山岳会に入る前に、F山岳会の活動をサポートするためにチャリティコンサートを開いて協力をしてくださった経緯がある。
私は当時は会員ではなかったけれど、コンサートを聴きに行った。

C
さんは、アメリカの乳がん財団の仕事もしていて、私達F山岳会と懇意にしている。
一昨年にはブータンのトレッキングで一緒になったし、過去には2000年の富士登山やその後の奥穂高岳などに一緒に登ったこともあるのだそうだ。

小山さんのピアノは素晴らしかった。
あの会場を満席にする実力も素晴らしい。
ホールも素晴らしかった、ピアノ1台にもぴったりあう音響だったと思う。

凛とした演奏をする人という印象だったけれど、そこにまろやかさもあり、円熟味のある音色。
プログラムはショパンとシューマン。

アンコールはバッハにスクリャービンと揺さぶられて、どうなることやらと思ったけれど、最後はエチュード「別れの曲」(ショパン)で締めくくられた。

舞台は、グリーンをイメージしていて、小山さんのドレスは深いグリーン。
グリーンを基調にした大きな花が生けてあり、花の種類がオーチャードホールのサイトに載っていた。

コンサート後は、みんなで会食。

2010年11月12日 (金)

今宵は神楽坂

昼過ぎまで仕事。

夕方から近所の公園でスラックライン。
やっと56歩歩けるようになった。いままで、全く体幹に力が入っていなかったんだ。テレマークターンをするときのように、腹にぐっと力を入れて、足首や膝を上手に使えば、歩ける。まあ、まだまだ全然足首や膝は使えないんだけれど、腹筋に力を入れるコトだけはできるようになった。

夜、神楽坂の毘沙門天で待ち合わせの予定だったのだけれど、一足早く着いたのでブラブラ。
Alpage
というとっても魅力的なチーズ屋さんを発見。
今日と明日は特別に、ルクセンブルクのワインをグラスで提供し、チーズとセットで店内立ち飲みイベントをやっているのだという。

友達が来るまでにちょいと飲んじゃおう。
しかし、チーズがあまりに美味しく、ワインも美味しく、とても白1杯ではチーズが全部食べきれず、2杯目の赤にまで手を出した。
その頃、まさおちゃんも到着。

魅力的なスターターを経て、和食やへハシゴ。カウンターで日本酒としめサバと焼き鳥。

話は尽きず。今日はいろいろ協議・検討事項も多数あったのだけれど、なんだかそんなものはあっちにやってしまって、いろんな話をおしゃべり。
まさおちゃんはテストに合格したばかりだし、私はまだまだ先が長いのだけれど、今晩ぐらいのみまくってもいいだろうという感じ。
それほど、お酒が強いわけではない彼女も、なんだか日本酒のペースが速い、この酒飲みの私よりも速い気がする。

ということで、もう1軒はしご。
有名なスペインバルで、キノコと赤ワインボトル1本。

そりゃあ、どう考えても酒量が多すぎるでしょう。
前もふたりで神楽坂の終電に向かって走ったけれど、今宵も。

翌朝はばっちり二日酔いだったけれど、なぜか、「よーし、今日からまたがんばろう」と思うようなお酒だったのだ。

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過ぎて、仕事も山も、経験を積んでいくことと、技術や知識をアップデートし続けていくこと、これがどれだけ大変であり、そして血肉になることなのか、そして喜びであるのか、改めて実感したからかもしれない。

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2010年11月11日 (木)

明日からリセット

慣れない疲労の1日。


名クライマーさんや名ガイドさんはたまたこの業界で働くいろんな人たちとも一緒になって、みんな疲れ切った。
夕方、センユーのひとりのSくんと一緒に、ICI原宿店へ。
ピオレドールクライマーさんに接客してただき、いろんないいグローブを見せてもらった。

その後、山岳ガイド界の貴公子さん(と呼ばれているらしい)が合流してくれて、夕ご飯。


一区切りついたので、明日からリセットしましょう。

2010年11月 9日 (火)

お勉強

お勉強の日。

名クライマーさんもご一緒。

昼飯は、沖縄料理定食、750円なり。

2010年11月 8日 (月)

コモリの日

昨日の彩雲はやっぱりラッキーサインだった。

ほっとする報せが届いた。

今日と明日は篭りの日。


以前、撮影スケジュールを組むためにカメラマンに予定をうかがったところ、「明日はコモリだからダメ」と。篭って仕事をするのかと思いきや、「子守の当番の日」だということだった。

いまの私は、篭り、カンヅメ。


写真は、石割神社手前にあるご神木の桂。

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☆追記☆

昨日は、富士吉田の駅でアキコさんお勧めの「月の雫」というお菓子を買った。

この季節だけ販売されるものらしく、ブドウを砂糖でコーティングしたシンプルなお菓子。

我が家だけでひと箱食べきることは無理そうなので、さっそくおすそ分けすることにしたが、なんとも懐かしい味のようなお菓子だった。


で、参加者さんからその時でた質問について。

アキコさんの著書は『東京近郊ミニハイク』『東京周辺ヒルトップ散歩---たまには丘でひと休み』 。彼女のガツンとした山への愛情が温かくホンワカしたオブラートで包まれて著されている素敵なご本。

2010年11月 7日 (日)

MJリンク:石割山

今月は、「MJリンク月間」。毎週日曜日にイベントを企画している。

サポーター達が交代で参加するといっても、毎週末行うための準備はかなり大変だった……汗。


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回目の今日は、志津ちゃんプレゼンツの石割山。

参加者は19人。サポーターは志津ちゃんのほか、八ヶ岳から引き続き佳苗ちゃん、それとMJリンク初登場の大久保由美子さん。

これだけ強力な女性スタッフが集まる団体もそうありません、そして参加者の皆さんにも恵まれています、と自画自賛。

呼びかけ人の田部井さんも参加。


晴れた空と無風で暖かい気候という絶好の日。紅葉はまさにピーク。

レモン色に黄色く色づいた葉やオレンジ色から赤い色へとグラデーションするさまなど、とってもきれいだった。

石割神社は、とても清々しい場所。

終始、うっすらと雪が載った富士山の晩秋の姿が見え、手前には湖面がキラキラと輝く山中湖があり、うっとり。


と、とてもよいコースだったけれど、ちょっとMJリンク全員で歩くには長丁場。

いつものいろんな仕掛けがあまりできず残念。


下山後眺めた富士山の山頂には、なんと彩雲があり、びっくり。

参加者さんたちが気づき、みんな大喜びだった。

彩雲はラッキーサインと言われている。

きっと、今後のみんなの登山人生に大いなる幸せが待っているんじゃないかと思う。


ところで、「彩雲」といって私が一番に思い出すのは、故小山義治さんのこと。

北穂高小屋の初代主人、北穂高小屋を建てた人だ。

3年前、葬儀のために浅間温泉にかけつけたとき、義治さん(私たちは「社長」と呼んでいた)の戒名に「彩雲」の文字があることに気づいた。

彼の画文集『巍然』にも、彩雲について出てくるのだ。


その帰りのあずさで、西の空に美しい彩雲があり、その細やかな美しい色に光り輝く雲のさまをみて、義治さんは決して手の届かないところの人になってしまったのだなあと思ったのだ。

「彩雲」にはいろんな思い出ができそうだ。


立ちんぼだった帰路のあずさ。立ったまま、志津ちゃん、佳苗ちゃんと3人で反省会。新宿に着き、カフェで反省会の仕上げをして、来週に備える。

その後、私は居残りし、アメリカンレストラン閉店まで、志津先生の補講を受けたのだ。

ありがとー、志津ちゃん。

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2010年11月 6日 (土)

おかずクッキー

代官山の細川職人のところへ行き、夕方帰宅。


明日のMJリンクのためのパッキングと、書類整理、最後の資料作りなど。


それから、「おかずクッキー」(←私が勝手に命名!)なるものを作ってみた。

これ、明日、みんなにもれなく試食の特典がついてくるんだけれど、許されるだろーか?

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2010年11月 5日 (金)

勉強進まず

勉強の1日にするつもりが、いろんな雑務があれこれ舞い込み、なかなか勉強が進まない。

来年は大きな定期的な仕事が2本あるので、その準備も必要。

こうなると、遠出はできないのだろうか?月刊連載よりも大変な予感がするので、いったいどれぐらい留守にできるのか……いまからおうかがい。

登山家さんからいつもいただく素敵なお土産が到着。

味のあるきれいな手書き文字の手紙。

その人らしい、読んでいて気持ちがいい文字を書ける人はいいなあ。

文字はその人を表すというから、この清々しい文字は、彼の人柄を表しているのだろう。

☆写真のマユミは、先日の石割山のもの。

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2010年11月 4日 (木)

ゲラ2本

午前中は、たまりにたまった雑仕事を片付ける。

夕方になって、思いがけなくゲラが出てきた。

よかった……。あと少しで、編集者さんに印刷所に出張校正に行ってもらうことになるところだった。

夜になって、別の記事のゲラも6ページ出てきた。

こちらも一発校了でなかなか厳しく時間もないのだけれど、赤字照合と素読み。

2010年11月 2日 (火)

サーフィンと砂遊び

いつもは、波乗り道路か茂原の農道を走っていくのだけれど、勝浦に長年住んでいたY先生のアドバイスにより、市原から大多喜に抜けてみた。以前も通ったことがあるけれど、記憶よりも走りやすい道だった。

鵜原で波チェックをして、御宿へ。

中央で入ってみるが、ダンバー気味。あっという間に意気消沈し、後半は砂遊び。

砂遊びって大好きなんだけれど、こんな歳くったオンナが一人浜辺で砂遊びしている姿を、ほかのサーファーたちはどう思っているんだろう?

きっと、みんな自分の波のことでアタマがいっぱいだから気にしていないな。それか波乗りがうまくいかずにいじけているんだろう、ぐらいにしか思っていないはずだ。

勝浦のあまからやへ行ったところ、火曜は定休だった。

駅近くのビストロのランチを食べて、再び東京の自宅へ向かって車を走らせる。

途中、テレビ局の人から電話があった。

ある山岳遭難事故の当事者たちが軽装だったそうで、それについてコメントしてほしいとのこと。Webのニュースで数行読んだだけだったので、本当に軽装だったのか知らないし、事故の概要も知らないと答えると、軽装であることはTV局の取材で分かっているそうだ。

しかし、聞くにその取材先があやふやで、そんなことだけで、軽装だったとどれほど言えるのだろうか、と疑問に思った。

さらには、最近、若者や女性たちの間に登山が流行っていて、初心者も山に多くいくようになったが、軽装、無謀な行為が目立つので、それに警鐘を鳴らしてほしいとのことでもあった。

そうなのだろうか? 軽装、無謀な行動がどれほどあるのか、私は実際のことは知らない。

軽装どころか、オーバースペックというか、重装備過ぎる人も見かける。

無謀な人もいるのかもしれないけれど、勉強熱心な人たちのほうが、私の周りには多い。

あまり根拠がないことにコメントしたくないし、第一、ジャーナリストたるや自分のアシで取材したモノをよりどころとすべきと思い、お断りした。

打ち合わせの時間もほとんどないようだったので、こちらの意図が伝わらないことも恐れた。

夜は、面会をお願いしていた登山関連の方と、牡蠣を食べたり、ビールやワインを飲んだり。

彼曰く、甲府の鶏モツ煮と甲府ワインはお似合いだそうだ。

ときどき、甲府のワインカーブでワインを飲み、石和温泉につかり、その後、奥藤で鶏モツ煮を食べるのだと。

それと、ワインは超若いモノ(瓶詰する前のボジョレー)かフルボディを好むらしい。

『魅惑のワイン名醸地ガイド 甲州・信州ワイナリー巡り』 を買い求め、ただいま熟読中の私としては、国産ワインにも積極的になってみようかと思ったり。

ところで、この本の編集担当であるKさんは、編集者という仕事においても、また食や酒の分野においても、とっても魅力あるブログをいつも書いていらっしゃるのだ。

面識はないのだけれど、いつかお会いしてみたい、一緒に酒を呑んでみたいと思ってしまうのだ。

2010年11月 1日 (月)

表現、イタリアンBC

今日は原稿を1本書き、ゲラを2本戻す日。

終日、机に向かって作業。

昨晩の情熱大陸は、登山家であり編集者、文筆家でもある服部文祥さんだった。撮影の様子など、あちこちから聞いていたし楽しみにしていただけに、残念な内容だった。

放送枠が30分と短いなかで彼を伝えるのは、確かに難しいだろう。

けれど、放送枠が短いからではない。私が残念に思ったり、違和感を感じたのは、全く違う点だ。作り手の意図やスタンス、思いが伝わってこず、いろんな場面をつなぎ合わせただけのように感じたから。

また、服部さんのような性質の人は、違う演出のほうがずっと際立つと思う。

彼のように何かを(自分を含む)表現したい気持ちが強い人こそ、違う演出があったと考えるのだ。

けれど、一般的にみて、番組のウケはいいようだ。

残念と感じた人たちも、「放送枠が短いのが理由」としている。

そうとは、私は全く思わない。

しかし私のように考える人はほとんどいないようで、そうなると、私のセンスがおかしいのか(センスにおかしいとかおかしくないとかあるとは思わないが)、あるいは一般的ではないのだろう。

一般的なセンスを持ち合わせる必要があるかどうか。

少なくとも、表現したものを「売る」仕事をしている限り、自分自身のセンスとは別としても、一般的なセンスがどこにあるのかは、把握しておく必要がある。

そういった能力が私には著しく欠けているのかもしれない。

けれど、作り手がもっと苦しめば、読者も視聴者も受け取る側が変わってくるのではないかとも思っているし、そう信じたい。作り手と受け取る側は、ある意味合わせ鏡なのだから。

ダウラギリの記事を書いていて、ダウラギリのアイガー岩壁や、イタリアンBCについて調べてみた。

アイガー岩壁はかなりいやらしく、ここの基部を通過するには相応のリスクがあるのだと、知った。いくつか過去の日本隊の記録にもあたることができた。

イタリアンBC。この写真を、先日見せてもらったが、それはそれは天国のようなところだった。標高差4000mといわれている、ダウラギリ西壁が望める草原。

こういうところを天国というのだと、思う。

☆写真は27日に石割山登山中に眺めた、山中湖。

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