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2010年10月

2010年10月31日 (日)

甲府の名店ELKへ

「あずさ」に乗って甲府へ。

駅に迎えに来てくれたのは、若き山岳ガイドのハナちゃん。

甲府にある登山道具の名店「ELK」に連れて行ってくれた。

「せっかく来るんだから、行こうよ。いい店だから」と彼の心遣いだった。

柳澤社長とお話をし、店内を見渡して、一発で好きになってしまった、この店!

こういった幅広い品ぞろえ、安定したラインナップと選択肢、それと温かい雰囲気。こういうもの全部を兼ね備えた店ってそう多くないと私は思う。

なんだか、札幌でいうと秀岳荘を思い起こさせるような店だった。

奥さまのお話では、コンビニエンスストアにならない店づくり、お客様や地域と近しい存在を心がけているようだった。その通りの雰囲気が店に現れている。

ハナちゃんへの取材も、ELKの一角でやらせていただいた。

そうこの「取材」という言葉、どうにも好きになれない。「材料を取りにいく」という意味になるのだろうけれど、書く材料は取りにいくのではなく、いただきにあがるのだ。

相手は材料をくれるかもしれないし、くれないことだってあって当たり前だと思う。

だから、こうやって詳しい話を聞かせてくれることは、本当にありがたい。

心から感謝すべきこと。

どうやらこういった地方の名店には名クライマーたちが間違いなく集まるようで、空模様のあやしい今日、なんと11月号の岳人のためにインタビューしたばかりの名ガイドご夫妻もやってきた。ほかの記事も読んでいただけたようで、少しだけホッとした。

インタビュー後、奥さまほかいろんな方々とランチへ。

ほうとう、馬刺し、鶏モツ煮と、甲府を満喫した。

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2010年10月30日 (土)

台風の日、MJリンクMTG

山関連の友人のユミコさんのところへ。

5歳の男の子と2歳の女の子をかかえている。

子どもたちには初めて会ったけれど、子どもっておもしろいなあー。男の子と女の子は何でこんなに違うのだろう、と思ったり、キョウダイというのは、こんな関係なのかと興味深かったり。

手作りの美味しいカレーとリンゴのケーキをいただく。

その後、MJリンクの打ち合わせ。11月の企画を手伝ってくれるという。

帰りは、台風もやってきて東海道線が不通だったり……なんとか帰宅。

2010年10月29日 (金)

西へ

6時の新幹線に乗って、新大阪へ。車内、前半は仕事。後半は体調を整えるためにも爆睡。

在来線に20分ほど乗って、ある山岳ガイドさんに会いに行った。

駅を降りて、ご自宅まで少しだけ葉っぱが黄色くなった桜並木を歩いて行った。

素敵な街だった。

彼とは、初めてお会いするのだけれど、共通の親しい人が何人もいたり(まあ、そういうことはこの狭い登山社会では、頻繁にあることではあるのだけれど)、共通の山や土地に縁があったりで、なんだか初めて会った気はしなかった。

初めてお会いするのがこんな形でなければ、もっとたくさんの話ができただろうに。

帰り、モンベルの先輩に携帯メールすると、明日からフレンドフェアだから泊まっていけと。いいや、帰ります。帰りの新幹線はさすがに爆睡。

2010年10月28日 (木)

原稿書き

原稿書きの日。

一日これだけに集中したかったけれど、もうひとつの別の原稿の取材準備もしなければならず、またいろんな人と電話で話もしなければならず、筆は遅々として進まなかった。

とうとう本格的に書き始めたのは夕方になってから。

こんなはずではなかったのだけれど。

初級者向けの山を5本選ばなければならない。

こういう時に、初級者向けのコースガイドブックを数冊見比べて、あれだこれだと選ぶのと、そういったものは一切開かず、これまで自分が登った山をがんばって思いだし、がんばって考えて選ぶのでは、同じ山を選んでも結果は違うと、私は思う。

久しぶりに、本当に数年ぶりに、完徹をしてしまった。

これだけは絶対にやるまいと思っていたのだけれど。

この年齢でやると、お肌に悪いというレベルではなく、寿命が縮まる思い。

☆写真は、昨日の石割山の登山道沿いに祀られていた石。

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2010年10月27日 (水)

石割山へ

7時新宿駅発の「あずさ」。これに乗り込むために、いつものカフェでコーヒーを買っていると、すぐ隣の列に、お決まりのようにまさみんがやってきた。

その後、約束のシートに行くと、志津ちゃんがもっのすごくねむそーな目をして座っていた。

「おひゃよぉーござぁいますぅー」と言っているけれど、完全に寝ている。

そりゃそうだ。一昨日にカラパタールガイドから帰ってきたばかりで、帰国後も激務続きなのだから。

かくいう私も、昨晩は原稿の文字数合わせがあって、睡眠は2時間しか取れなかった。ここ数日こんな日ばかり。

けれど、久しぶりに3人が顔を合わせるので、行きのあずさは、お土産交換やらおしゃべり。

そう、今日は11月のMJリンクの下見で石割山へ行くのだ。

石割山。初めて登ったけれど、友人たちはいい山だよーと連呼する。

その通り、清々しい山だった。

けれど今日の冷え込みは、今年一番。3人ともガタガタ震えた。

帰りのあずさは、3人そろって座れなかったので、連結部にザックを置き、座り込んでミーティング。そう、当日までに打ち合わせないとならないコトが山積みだったのだ。

とても話し終わらず、志津ちゃんが降りるという立川駅で3人とも下車(彼女は、明日のガイディングに備えて、奥武蔵に前泊するのだと)。

立川のカフェで、なんと夜の9時まで、あれこれ意見交換など。

来年のMJリンクの計画についても話し合い、大まかな役割分担をする。

さすがに終わったときにはぶっ倒れそうなぐらい眠かった。

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2010年10月26日 (火)

名曲喫茶「らんぶる」

朝、原稿を送ったあと、小田急線に乗って、丹沢の麓へ。

トレイルランナーの鈴木博子さんに会いに行った。

ある企画の打ち合わせ。

初めてお会いしたので、打ち合わせだけでなく、いろんなおしゃべり。

彼女のようないわゆる普通の人から見た、私達山ヤの感覚の世間とのずれのようなものについて、あれこれ語った。

夕方、新宿でminminちゃんと待ち合わせ。

同じ山のことを書いている数少ない女性ライターさん。

今日はminminちゃんからインタビューを受ける。ザ・ノース・フェイスが提携しているクレジットカードの会員向けの冊子に載せるのだそうだ。

同業者からのインタビューはとても興味深い。

イメージとしては、中国にある小さな引き出しがいっぱいある薬箱を開けるような。

あっちの引き出しやこっちの引き出しについて、彼女が引き出しを引っ張って、中を覗いていってくれるような。

ところで、インタビューは、新宿の名曲喫茶、昔からあるという喫茶店「らんぶる」にて。

Minminちゃんのチョイスです。ベートーベンとカラヤンの写真が飾ってあって、クラシック音楽が流れていて、赤いシートが素敵な喫茶店。

お勧めは、禁煙席の地下。天井がとっても高い!

私が飲んだのは、もちろん、レモンスカッシュ。こういうところでは、コレでしょ(と勝手に思っている)。

2010年10月25日 (月)

打ち合わせと原稿書き

昨日の取材を受けて、ページ構成を考えるために、編集者さんが、我が家最寄駅までやってきてくださった。私は自転車で駆け付け。

合間をぬって、別の原稿書き。明日には絶対に入れなければならんのだ。

2010年10月24日 (日)

鹿屋へ

羽田空港発鹿児島行きの、朝イチのフライトに搭乗。

羽田を飛び立ってすぐ、ものすごくたくさんの山が見えた。秩父連峰、富士山、南アルプス、中央アルプス、遠くに北アルプス。それから上信越の山々。こんなに一遍にたくさん見えるなんてびっくり。

眼下には三浦半島。

先日、ジッキーとまさみんと3人で歩いたエリアだ。三浦半島は本当に緑が濃いんだなあと思った。

この後も山岳眺望が楽しめるのかと思っていたのだけれど、機体はあっという間に雲の上に昇りつめてしまった。

いつも本当にお世話になっている、鹿屋体育大学の山本先生のところへ。

なんと日帰り。鹿屋まで行って日帰りは本当に罰当たりなのだ。

必ずや、低圧低酸素室に数泊はしなければいけない、温泉にも入らなければいけない、そして岩登りもしなければいけない、できれば南限のブナの森も歩かなければいけな……と私は思う。

途中まで、山本先生に迎えに来てもらい、研究室でインタビュー。

昼を挟んで、再びインタビュー。

その後、山のいろんなおしゃべりをした。彼がこの十数年ほど、毎年登っているノースカスケイドでの登山のことも聞かせてもらった。私はノースカスケイドの山について、以前も山本先生から聞いたことがあり、とても言印象深かったのだ。

まったく短い滞在で本当に残念。

鹿児島空港で、源泉かけ流しだという足湯「おやっとさあ」に入る。

温まった。

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2010年10月23日 (土)

月刊誌原稿2本目脱稿

そんなに忙しい身ではないし、大した仕事量をこなしているわけでもないのに、なぜか…仕事というのは、重なるときに重なる。

今月は、ものの見事、色々重なった(いいや、この時点では最後の1発はまだ重なっていなかったんだ)。

山岳系の月刊誌はどこも同じ日に発売なので、だいたい進行も一緒だ。

その上に、今月は、山岳系月刊誌発売日の5日後に発売になる雑誌の仕事も入った。5日後発売だが、校了日は1日しかずれていない。

このあと、どうなることやら。

こういう場合、だいたいすべての仕事を同時にじわりじわりと進めていき、終盤で、ひとつひとつに絞って仕上げていく。

どれから取り掛かろうか迷ったけれど、記事の性質上、1ページのインタビュー記事から始めることにした。

無事書き上げて、編集者に送信。

2010年10月22日 (金)

クライマーさんと打ち合わせ

夜、クライマーの天野和明さんと待ち合わせて、一緒に夕ご飯を食べながら打ち合わせ。

いま考えている企画について、意見交換。

それから、業界のいろんな話をお互いにしたり。

天野くんに初めて会ったのは、彼が明治大学山岳部を卒業した年の2001年4月のこと。

私の大学山岳部の先輩が、雪がべっとりとついた富士山を下山中に、何百メートルも滑落したその現場に、彼が居合わせたのだった。

先輩の登山の留守本部を私は引き受けていたので、一緒に登っていたもう一人の先輩が、息が詰まるような声で私に電話してきて、それから怒涛のような時間が始まったことを覚えている。

風が強くてヘリが飛べず、警察や消防とは何度も電話でやり取りをした。

仲間数人が登る道具も用意して、現場に向かうことになり、私は同期の仲間の職場まで、彼の登山道具をそろえて、持っていったんだった。仕事中だったからな。

私はすぐに自宅にトンボ帰りし、再び各方面との連絡業務の司令塔のようなことをしていた。

数日後、御茶ノ水の喫茶店で天野くんに会い、現場の様子を聞かせてもらい、救助に使ったために、その後使い物にならなくなった装備の新品をお渡ししたんだ、たしか。

救命の見込みのない、悲惨な非常に辛い現場だったはずだから、本当に彼には大変な思いをさせてしまったのだ。

そんな、ある意味、縁のある出会いだった。

2010年10月21日 (木)

原稿を送る

書評原稿の締め切り日。

昨日までに書いておいたものを、推敲後、ぽちりとマウスをクリックして、編集者に送信。

2010年10月19日 (火)

MJリンク率50%!

月例となっている猪熊隆之さんのお天気講座へ。

今日は帯状高気圧の話。

やっぱり面白い。本当に面白くてためになる。

猪熊さんの話はお天気への愛とそして山への愛にあふれているのだ。

ただのお天気講座ではなく、「山」のお天気講座なので、登山者にとって実際的な話も多い。

気圧配置や風の吹きこみ具合から具体的な山脈や山名を挙げて、その時にどんな天気であるか、それはなぜかを説いてくれる。

受講後には、今年のヒマラヤのモンスーン明けについて質問してみたところ、なるほどという解説をしていただいた。

そしてなんと今日は、受講生のなかでMJリンク率50%近くという状態に!

MJリンクの皆さん、勉強熱心です。

講座後、先月に引き続き一緒に受講したNさんに加え、YKさん、YTさんとまさみん、私の5人で夕ご飯。

サポーター側では来年の計画もほぼ立て終わり、具体的な細部にわたるミーティングに入っていたのだけれど、参加者の皆さんの要望や志向などを聞き、新たに考え直すべき点も見えてきたり。

これは、がんばって来年の計画をじっくり練らねば。

ちょうどこの先12週間ほどでいろいろなミーティングを重ねていく予定になっていたので、いい計画を作っていきたい。

参加者の皆さんも山にまい進していますが、サポーター達もますます前進していますんで、お互いがんばりましょ。

しかしそれにしても、昨今登山を始めたみなさんのパワーというかやる気には刺激を受けることばかり。

ザ・ノース・フェイスで2度開催したウィメンズ・マウンテン・アカデミーの参加者さんたちも、その後グループを作り一緒に登山に行ったとか(その時に、計画の立て方や読図についてがんばった様子)、個々に連絡をくださり、その後の登山の報告をしてくれたり。

嬉しいこと続き。

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2010年10月18日 (月)

TNFミーティング

夕方、ザ・ノース・フェイスのプレスルームにて、ゆっこちゃんとミーティング。

今後の色々な企画について、意見交換。

TNFのプレスルームは、いつ行ってもいい感じのゆるーい雰囲気が漂っている(写真)。

夜、ふたりで食事をしたあと、同じくテレマークスキー仲間のかよちゃんも合流。この顔ぶれは非常に危険。あっという間に真夜中になるのだ。

昨晩もなんとか終電に飛び乗るという始末。

そういえば今回はスキーの話はゼロ。

仕事のこと、普段のいろんなこと、など。

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2010年10月17日 (日)

MJリンク下見・葉山で探検ごっこ

MJリンク11月の企画のために、ジッキーとまさみんと3人で葉山にある里山へ。

ここは、ジッキーお勧めのエリア。彼女はこの近くで生まれ育ち、地元の自然に深い深い愛をもっているのだ。

25000分の1の地形図を用意していったが、1万分の1のほうが使いやすいほど、細かな地形を行き来しながら、進んでいく。

ルートの詳細は、当日までのお楽しみとしたいのだけれど、ジッキーは、このあたりのルートを何本もそして何十回と歩き、今回MJリンク用にベストコースを創り上げてくれた。

それは、3楽章から成り立っているのだ(つまり、コンチェルトってこと?)。

地形図を見ながら、まるで秘密基地の探検気分のように楽しかった。

下山は、森戸海岸へ。ちょうど夕陽が海を照らし始めているころ。

その後、3人で逗子駅へ移動し、11月企画、さらには来年の年間計画についてミーティング。

MJリンクは来年3年目を迎えますが、かなりバージョンアップしていきますっ!

これもひとえに、サポーターたちに恵まれ、そして参加者たちに恵まれたからだとつくづく思う。

ジッキーはそのまま実家へ向かい、まさみんと私は鎌倉で下車をして、飲み屋へ。

偶然見つけた入ったその店は、魚が旨かった。普段あんまり量を飲まないまさみんも、ついつい魚につられたのか、ふたりで島根の酒と秋田の酒を飲みほした。

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2010年10月16日 (土)

岳人11月号

夕方、近所の公園で2度目のスラックライン。

3歩ほど歩けた。

ただただバランスを取るコトだけを考えていたけれど、どうやら、スキー同様、まずは足首が反応し、その後膝を使うなどして、最終的に全体のバランスを取るようにするようだ。

上半身や体幹のバランスも重要であるが、足首や膝を上手に反応させて使えなければ、ならないようだ。

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昨日発売の『岳人』11月号の第二特集「脱・私を山に連れてって!」を担当しました。

編集部からの依頼は、「山ガール向け対象記事」「山ガール達が自立し、自分のアタマで考え、行動し、山登りを続けられるようになるためのステップアップの記事」ということだった。

山ガールと呼ばれる人たちが、『岳人』を読んでいるのかどうかは、はなはだ疑問だったけれど、幅広く色んな登山者に『岳人』を手に取ってもらいたいというのは、編集部の本音だろう。

女性の山岳ガイドである加藤美樹さん、林智加子さん、登山家の谷口けいさん。3人のインタビューには珠玉の言葉が並んでいます。

最後に私自身も「彼女達が山スカートを脱ぐとき」という文章を書きました。

写真は、八ヶ岳取材を一緒に行った、ケイン石森さん。モデルは、スキー仲間の渡辺愛子さん。お世話になり、ありがとうござました。

ぜひご覧ください。

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2010年10月15日 (金)

禁断の扉を開けろと

15年ぶりぐらいの再会か。

かつて、アマチュアオーケストラでフルートを吹いていた頃の仲間、ケイスケと会う。

ケイスケはファゴットを吹いていたので、同じ木管だったし、同い年だったので、オケのメンバーの中でも、結構近しい存在だった。

夏休みは毎日のように練習していたし、合宿もあったし、練習の後にはケイスケの家に何人かで集まってレコードを聞いたり、あるいはボーリングしにいったり、酒飲んだり(それなりの年齢になってから)。

私がオケに入ったのは中学1年の冬。それから大学1年の中ごろまで在籍していたので、多感な時期のいろんなことを、オケのメンバーたちと共有していたのだった。

今回は、眼科医であるケイスケにインタビュー(山岳雑誌掲載予定記事のため)。

その後は、久しぶりにいろんな話。

先月、美音先輩の追悼演奏会があったのだけれど、それを聴きに行かなかったのは、後悔してもしきれないことだったことを、ケイスケの話から痛感。ドリームメンバーが集まり、思い出のロザムンデやドボ8が演奏されたのだ。

私達が所属していたオケは現在はないけれど、この10年程、ケイスケが中心となり、アンサンブルの練習をしている。

細々とでも続けてきた彼へのご褒美が、今回の演奏会だったのではないかと思う。

だって、憧れの先輩たちと共に再び舞台に上がれたのだから。

私には、月1回の練習位顔を出すよう、強く言っていた。

けれど、それは本当に大変なことなのだ。

私達のオケはかなりのレベルにあったと今でも思う。

メンバーの半数は音大へ進学した。そのうちのまた多くが優秀なプロとして活躍している。

当時も、著名な指揮者が棒を振ってくれたし、本一流のピアニストやヴァイオリニスト、チェリストたちがコンチェルトで協演してくれていた。

音楽の才能がゼロどころか平均以下の私にとっては、練習に参加するのも、また舞台に上がるのも、これでも一応相応の覚悟が必要で、かなりのコソ練をしてみんなに何とか追いついていったという状況だったのだ。

音楽は大好きだし、舞台はとても楽しかった。辻久子さんとのベートーベンでトップを吹いたことは、もう私の限界だと痛く感じていた。

だから、そう簡単に戻れないのだよ。

「月1の練習の時しか楽器ケースを開けないやつらが大半だよ」と言われても無理だ。

プロで活躍しているメンバーたちは、国内外どこに拠点があろうが、時間があるときには練習に参加してくれるそうだ。そんな彼らに対して、

「考えてみろ、新日フィルのトップに向かって、「おい、ここから吹いてみろ」とか言えるんだぞ」とか「ドイツやニューヨークのオケにいるやつらと、いまでも変わらずに一緒に演奏できるんだぞ」と言われても…それがものすごく贅沢な機会であり、言葉にできないほどのインスピレーションを得られる幸福な時間であることがわかっていても、ため息が出るほど……練習へ行くのは怖い。

とにもかくにも、家に帰ったら、フルートの箱を開けるコト、その次にオーバーホールに出すための準備をすること(これとて、プロになった後輩に相談すれば簡単に道は開けるという贅沢な分際なのだけれど)を、キツク言われた。

捨て台詞は、「フルートがダメならば、リコーダーを持ってきてもいいんだぞ」と。

なにを言う! リコーダーがどれだけ難しいか。こんな不敵の笑いを浮かべた罠にはひっかかるまい。

ケイスケと別れたあと、パリから出張中の山岳部の先輩ゲンさんに会いに行った。

時間も遅かったし、さんざんワインを飲んだくれたあとだったので、ガード下の縄のれんで焼酎を2杯飲んで、千葉県の話とパリの話をして、お別れとなった。

2010年10月13日 (水)

The life is sweet!

午前中は、神宮前にあるマウンテンハードウエアの直営店(写真)へ。

昨晩お会いしたマイク・リベッキと再会し、インタビュー。

キーワードは、The time is now. The life is sweet.など。

後者は、私にとっては初めて聞いた言い回しだったけれど、カリフォルニアに生まれ、カリフォルにはに育った彼らしい語感のように感じられた。

一人ランチをして、インタビュー内容を整理後、帰宅。

少々雑仕事をしたあと、パッキングして山へ出発。

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2010年10月12日 (火)

honobono feeling

夜、カモシカスポーツ横浜店で開催された、アメリカのビッグウォール・クライマー、マイク・リベッキさんのスライドショーへ。

マイク・リベッキさんという名前……編集部イチのクライミング通である(ひょっとしたら、日本の山岳雑誌のあらゆる編集部員の中でもぴか一なんじゃないかと、いつも思う)編集部員のMさんからのメールに書いてあったとき、「あれ、どこで聞いた名前だったっけ?」と思いながらも、やがて思い出すことができた。

Run Out』に、美砂子さんが2度にわたって書いている記事に出てくるクライマーだ。

一度は、美砂子さんらとバフィン島を登った話、もう一度は、中国とキルギスのボーダー付近のビッグウォールをマイクらが登った記事の翻訳。

未知への憧れが強く、旅が好きで、クライミングが大好きで、たった一度きりの人生、大いに楽しまなきゃ損だよと言う、明るい気質のマイクは、日本人がもっているhonobono feelingが大好きなのだそうだ。

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2010年10月11日 (月)

宝石のような果物

6時前に、最寄駅へアヤちゃんを送っていく。

3泊したらしいけれど、なんだかあっという間だった。

私は、原稿書きや雑仕事や取材の下調べなどで1日を過ごす。

外はいい天気。

昨夜作った西洋無花果のサラダを、もう一度作ってみた。

4等分にしたあと、炒ってスライスしたアーモンドとミントの葉っぱと合わせて、黒胡椒をふり、バージンオリーブオイルをかけるだけ(写真)。旨い。

この無花果は、まるで宝石のように美しい。

作り手さんのwebサイトを拝見したら、「宝石」という文字があった。

やっぱり。ものすごく美味しいのだ。

友人のカヨちゃんからのいただきもので、寒河江市の森岡小果実研究所というところで作っているそうだ。

一緒に送ってきてくれた葡萄(スチューベン)もとっても美味しい。

きっと丹精込めて、大切に真剣に育てられたのだろうなあ。

作り手さんと大地に感謝し、ありがたくいただく。

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2010年10月10日 (日)

打ち合わせ

日中に1件、編集者のIさんと打ち合わせ。

昨年初めて仕事をご一緒した方だ。

インタビューに来る方が、我が家およびわが街を訪ねてきてくれることは多々あるけれど、こうやって原稿依頼や打ち合わせのために、こちらに来てくれる方は実は少ない。大概、こちらから出版社に出向くことになる。

Iさんは、二度目のわが街来訪。ありがとうございます。

雑誌のバックナンバーを見せてもらい、雑誌の概要を聞く。

そうかこんな面白い雑誌があったのかとうなる。女性誌だけれど、いわゆる女性誌らしくない。毎号のテーマについては、結構専門的なことが書いてある。

だから、「今回も専門性を高く出して書いていいですから」とありがたいお言葉。

さっそくページ構成について打ち合わせをし、インタビューする方を決めた。

夜は、アヤちゃんと家ごはん。

広島に住んでいるアヤちゃんは、金曜日に青春18切符で東京にやってきた。友人宅に1泊したのち、我が家にやってきて、毎日、都内のあちこちを散策していた。テーマは「江戸」らしい。

最近手に入れたストウブで豚ひれを焼き、野菜を蒸したり、キノコの料理を作ったり。

あっという間に夜が更けた。

明日も青春18切符で帰るというので、夜更かしもほどほどに就寝。

ベランダのむこうにある金木犀はいい香りをはなっていたのだけれど、もう散る季節(写真)。季節ばかり廻っていくけれど、止まってしまった時間もある。

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2010年10月 9日 (土)

書く力と活字のもつ力

午前中はF山岳会のミーティング。

午後から活版印刷を体験できるというワークショップに参加。

小さな印刷所で行なうため、参加定員は6人。4倍以上の狭き門をくぐり抜け当選した。

講師やスタッフは、7人と、気づけば参加者より多い人数。

文選し(活字が収められている「タンス」と呼ばれる棚から、必要な活字を拾いだし)、クワタやインテルなどを組み合わせて、拾った活字をステッキの上で組み合わせ、そして印刷までする。

印刷後は、浮き出し印刷も経験でき、最後に、使った組版を解版(版をばらして、活字やクワタなどをもとの場所に戻す)の作業までするのだ。

作るものは名刺。

名前と住所、メールアドレスと電話番号を入れたシンプルなモノ。

紙は3種類用意してくれた。

「柏 澄子」という三文字の名前を組むには、字間をどのようにとるか、なかなか難しい。

姓と名の間は全角+3分空けて、澄と子の間は全角空けてみた。

本当は、もう少しバランスを変えて大きく空けたかったのだけれど、そうするとセンタリングするのが難しくなったり、色々な不都合も出てきて、こんなところに落ち着いた。

最後は、印圧も感じながら、名刺を1枚ずつ刷っていく。

活字を拾うということも、組むことも、印刷することも、これぞすべて「作業」。

私はこの仕事を始めたのが決して早くないけれど、活版印刷をそう遠い存在とは思っていない。

前職でユネスコのニューズレターを作っていた時は、活版印刷がまだ残る品川の印刷所へ、毎月出張校正に通っていた。だから、あの印刷所には活版の匂いがしたし、技術者の方々の指や手は、活字を拾ってきたそれだった。

そんなこともあり、フリーになった時から名刺の日本語面は活版にしている。

だから、今日作った名刺を、いつも私の名刺を作ってくださる、有楽町の活版技術者の方のところへ持っていき、報告したい。

そしていつか、名刺ではなく、文章を活字を拾って、組んで、印刷してみたい。

それはやっぱり、私に文章や言葉のもつ力や、心の底から体を使って文章を書くということを教えてくれた、大沢敏郎さんの文章を。

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2010年10月 8日 (金)

越後の酒と蕎麦-劉暁波さん受賞の報せ

当たり前のことだけれど、世の中ではいろんなことが起きる。嬉しいことも悲しいことも。

ツィッターのTLを見ていてそんなことを思った。

いまだ、ヒマラヤの山中の雪の下に埋まったままの彼らがいて、仲間の捜索に懸命なTLもあれば、劉暁波さんのノーベル平和賞受賞を喜ぶ、つぶやきも多数。

劉暁波さんがノーベル平和賞を受賞したことは、彼のように大陸にとどまって人権や自由や平和を訴え行動している人たちにとっても、またわけあって国を出て行動している人たちにとっても、また口にこそ出せず、そして行動を起こすこともままらならない多くの人民たちにとっても、さらには中国領となった土地に暮らすほかの民族の人たちにとっても、国を追われた彼らにとっても、勇気づけられたことだと思う。

そんなたくさんの「劉さん」が世界にあまたといて、そう考えれば、本当に劉さんの努力はひとつのステージに到達したのだと思う。

それはとても喜ばしく、拍手喝采を送りたい。

しかしとても残念なことに、努力が報われたわけでも、実ったわけでもなく、困難な現実に変化はないような。

この先、いったい中国は、どうするつもりなんだ?

仕事のあと、夜遅く、アヤちゃんと飯田橋の蕎麦屋で待ち合わせ。

昨日、青春18切符を使って広島から東京にやってきた。連休中我が家に滞在し、テーマをもって東京見学だそうだ。

今晩はお能を見てきたという。蕎麦屋でアヤちゃんを待つ間、景虎の冷酒で、明日葉のおひたしともずく酢を食す。

2人で最後の〆は、巻機という冷酒とへぎ蕎麦。塩沢市の日本酒だったので、巻機は巻機山のことね。初めて飲んだ。へぎ蕎麦はわさびではなくからしで食べるのね。これも初めて。わさびより主張が少ないく、自然な味わいだったような。

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2010年10月 7日 (木)

カイロ後のけだるさ

まだまだ左肩は正常でないため、いろんなアジャストしてもらったり、痛い痛い筋肉のマッサージをしてもらったり、トレーニングを教えてもらう。

0.5キロの重さでローテーターカフのリハビリをしていたら、3キロでやってくれと通達。軽すぎた……。

夏場は週に1回はクライミングジムに行けていたのに、この1ヶ月その回数が激減してしまったことも回復を遅らせていると思う。

いつも困るのは、カイロプラクティックの後に恐ろしいほどの眠気が襲ってくるコト。

締め切りはまだ先のモノばかりだけれど、いまこの段階でいかにじわじわと確実に物事を進めるかによって、この先が大きく変わってくるのだ。気を抜いてはいけない時期…眠かろうが仕事をしなければならない。

取材のアポ入れ。企画の内容相談。ページ構成の相談。資料集め。資料読み込みなどなど。

☆北穂高小屋へ行かれる方々へ☆

小屋周辺にはこんなひかえ目なサインがありました。植物の名前が書いてあります。

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2010年10月 6日 (水)

小諸まで

昨日急きょアポが取れて、小諸まで。

夕方、ある医師にインタビューをお願いした。

これまでたくさんの医師にインタビューし、一緒に本や記事を書いたり、原稿を監修してもらったりしてきたが、今日の方のように口腔外科が専門という方の話は初めて。

山に登るお医者さんというわけではないのだけれど、ベアアタック(クマによる襲撃)によるケガについて何度か治療した経験があり、記事を書いていることがわかったので、会いに行った。

通常、ベアアタックに遭った場合、現場近くの救急に運ばれる(あるいは自分で行く)わけだから、ベアアタックの専門医なんて、いるわけないじゃん、とあちこちで言われた。

そりゃそうだろうけれど、治療経験が何度かある医師はいるんじゃないかなあと思いながら、しぶとく四方八方にあたっていると、仕事の大先輩のそのまた仕事仲間の方が、この医師のことを教えてくれた。

さっそく、執筆論文を読み、病院に連絡を取っていたのだ。

インタビュー後、さらりとおっしゃっていたけれど、松本にいらっしゃった頃は、穂高にも登っていたのだと。やっぱり山に縁のある方だった。

初めて乗ったしなの鉄道。

車窓からは、秋の軽井沢と離れ山が見えた。浅間山は雲の中だったけれど、途中の田んぼは稲刈りの真っ最中。

帰り、駅前で入った蕎麦屋に信濃毎日があったので一読。

信濃毎日は独特の論調があり、長野の山に行ったときは必ずと言ってよいほど購入する地方紙。

一面には赤く染まった涸沢の写真。私が下りてきてわずか数日でこんなに色づくとは。

稜線のみんなは元気かなあと、別れてまだちょっとしかたってないのに恋しくなった。

ダウラギリの雪崩現場写真も載っていたので、駅前の自販機で購入。

心残りは、あまりに急なお出かけだったために、小諸在住の知人に連絡が取れなかったこと。彼とは何年も前に、チベットの山のベースキャンプでお隣だったのだけれど。

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2010年10月 5日 (火)

雑仕事

秋に実現したい企画について、友人と電話で相談。彼が発案し誘ってくれた内容だけれど、なにか面白いと思い、のってみた。

色々考えていたけれど、先日、久しぶりに北穂高小屋を訪ねて、そこで従業員のみんなと話したことのいくつかも、この企画とリンクしたり、ちょうどそんなタイミングだったのかとも思ったりした。

約1週間前から取材依頼していた件が、やっとアポが決まりホッとした。最後には何とかなると思っていても、決まらないうちは落ち着かない。

原稿書きの前にと、いろんな雑仕事をひとつづつ片づけるが、最後までは終わらず。

また明日も続く。

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2010年10月 4日 (月)

原稿書き

原稿を書かなければならず、封印してあったTHE EXPEDITION DAYのビデオを全部見る。我が家のビデオカメラは役に立たなかったので、古野さんがわざわざご自分のカメラを送ってくれたのだ。

自分の口癖や、言葉が不明瞭な点、声の悪さ、話の筋が明確でないことなど、反省多々。

それに比べてほかの方々は立派。無駄な言葉がない人、声がきれいな人、声がよく通る人、話がわかりやすい人など。そして全員、真心のこもった言葉を使って、本心を話してくれていることがわかった。

夜、原稿を書き上げて、編集長へ送信。

今月は、あと3本の原稿を書かなければならない。

ページ数は先月ほどではないのだけれど、どれも時間と手間をかけなければならなく、また難題もある。

けれど、こうやって取材をし、原稿を書くことで登山の歴史やクライマーについて、あるいは登山の周辺のいろんなことについて学ぶことができるのは、とてもありがたいこと。

仕事をいただけて、感謝。

写真は、北穂高小屋の黒いタンク越しに見た、朝焼け。

ふたにたまった水は、朝になると厚く凍っていた。

タンクの全容が写っていないので分かりずらいが、この大きなタンクの中に水が貯蔵されている。天水以外に水が得られないため、雪のあるうちは雪を溶かし、雨が降ればそれを貯める。

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2010年10月 3日 (日)

机仕事に戻る

山の後片付けと、原稿書きの日。

疲れが残らなくてよかった。

書評原稿用の書籍が、編集部から届く。

私が留守にしているのを知って、わざわざ今日の午前中着にしてくれた。

本当は留守中のための宅配ボックスがあるのだけれど、心遣いがありがたく、口をつぐんでしまった。

なかには、紅葉と黄葉のきれいな便箋に、編集者からの一言が書いてあった。

若い方だけれど、縦書きの文字がとても美しい。

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2010年10月 2日 (土)

心親みんな

早番の早川さんが発電機のスイッチを入れたとき、私も布団を片付けて、居間へ。

取材していたころは、従業員と同じ仕事をさせてもらっていた。いいや、同じなんていうのは不遜であって、ちっとも役に立っていないし、同じ質のことは何もできないのだけれど、みんなの寛容な気持ちが、私に仕事を体験させてくれていたのだ。

あの頃と、仕事の内容はほとんど変わっていない。

朝ごはんの煮物を盛り付けるのに、その直前まで煮物の鍋を載せておくヒーターも同じだ。

10年前と変わらないというのは、すごいコトだと思う。

表面的にはいろいろな変化があったけれど、根幹が変わらないことを、こうやって時を隔てて改めて実感する。

その変わらない良さが、登山者惹きつけるのだろうし、北穂高小屋の魅力なのだと思う。

ある時、主人の義秀さんと「北穂高小屋は誰のものであると考えるか」というような話をしたことがある。

北穂高小屋が、北穂高小屋に泊まった登山客全員と、従業員やアルバイトのみんな全員、北穂高小屋を通りかかった登山者全員、登ったことはなくてもいつか来てみたいと思っているみんなのものだとしたら、それを背負っている義秀さんというのは、かなりのものだ。

先代から義秀さんに引き継がれながらも彼らの揺るがない信念があり、そしてそれを支えている職人のような従業員たちがいる。

改めて、私の大好きな、そして大切な場所だと気づいた。

北穂高を誰よりもよく知っている一人である足立さんが、今日どのポイントから日が昇るかそれはそれはピンポイントで私に言い続けていた。せっかく久しぶりに来たのに、見逃すな、ということだろうか。雲のなかから日が昇るちょっと前に、幻日も現れた。

幻の太陽が、雲に映っている。

磯貝さんの命は、この世に存在しなくなってしまったけれど、なんだか北穂を見ているような気がした。

帰り際、足立さんに、「1年に一度は来るように」と言われた。ごめんなさい、ご無沙汰して。最近は通りかかるだけでした。

近しく思えば思うほど、どうしても来れない時もある。

取材で通っていた2シーズン、私はある意味、従業員の人たちと距離を保っていた。一定距離を縮めちゃいけないっていつも思っていた。

けれど、取材を終えたいま、ものすごく近しい存在になった。

小屋を出発する前に、恵美ちゃんと定点撮影(一緒に写真を撮る)し、お別れ。

松濤岩を過ぎて、再び磯貝さんの場所に来るころ、従業員のみんなが布団を屋根に干し始めていた。

南陵を下り、涸沢を過ぎて、一気に下りていく。

あとひとり逢わなければいけない人がいるからだ。ヘリサポートで下山していた義秀さんが、今日登ってくる。涸沢の下あたりで会えるだろうと話していた。

けれど、下れども下れども現れない。とうとう横尾に到着。

聞いてみると、今日は早くに上がっていったと。しまった、涸沢ですれ違ってしまった。各小屋に寄ればよかった。

ちょっと気が抜けてしまったけれど、義秀さんとは下界でも会う機会があるので、気を取り直して、そのまま徳沢へ。

北穂の山頂から上高地までノンストップで歩こうかと思っていたけれど、あまりにおなかがすいたので、徳沢で野沢菜チャーハンを食べる。

すると眠くて眠くてたまらなくなってきた頃、F山岳会の先輩たちにばったり会った。

いつもお世話になっているKさんとYさん。ひとしきり、立ち話をしてお別れ。日曜の天気を心配していたけれど、上向きの予報に変わってきていたので、たぶん大丈夫なはず!

バスまで時間があるので、明神池や穂高神社を参拝。日本アルプス遭難者慰霊碑もあったので、まとめてみんなの分を拝んだ。こんなに一遍に拝むなんて、神様も苦笑いかもしれない。

追伸*

今朝、北穂のテラスにヘルメットの3人組が来た。よく見ると、山岳ガイドの笹倉孝昭さんだった。久しぶりに会って、いろんな話をした。女性二人のお客様は、クライミングに夢中で、もう熱い熱い思いがあふれんばかりのよう。

3人が向かったのは、ドーム中央稜。

私も取材していた当時、足立さんと一緒に登った。あの時もうひとつ登りたかったドーム西壁雲表ルートは、下部が崩壊し登攀不可能になっているという。山って逃げちゃうんだな。

いつか、また滝谷を登りたい、今度は四尾根にしましょうよ。私、登ったことないんです。

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2010年10月 1日 (金)

北穂へ会いに

朝もやの上高地を歩き始める。

上高地から横尾までの道のりは、なんとも贅沢だと思う。眺める山々は一級のものばかり。そこには必ず日本の登山の歴史がある。そしてふもとの緑は本当に豊かで心が現れる。

山を眺めては登攀史に思いを馳せ、それに比べて自分がどれだけヒーヒー言いながら登ったか思いだし、緑に心癒されながら歩くと、あっという間に横尾だ。

横尾山荘のご主人である山田直さんにお会いした。

ずっと前私が初めて仕事で横尾山荘に泊めてもらったとき、直さんは従業員たちに私を、「僕の友人、山の仲間です」と紹介してくれた。これはとてもよく覚えているが(彼は覚えていないだろうし、改めて知ったら「撤回したい」というかもしれない)、私は山仲間になるにはまだまだ未熟者。

直さんが、下又白の開拓などで横尾に通い、やがて働くようになった頃、私はまだ大学生だった。私の目に映る直さんは、ちょっと(いいやかなり)怖い先輩で、下又白や奥又白、屏風岩などを登るなんだかすごい人だという印象だった。

山小屋の主人という仕事をしながらも、実はあのころと少しも変わっていない。

今日も昨今の登山のいろんな話をして、なんて硬派で山に対して誠実な思いの強い方なんだろうと思った。いろんな山小屋があるけれど、実は主人のそういった思いは、山小屋経営のほんの細部の部分に現れていて、それについて登山者は気づくかもしれないし、気づかないかもしれない、気づかないけれどなんとなく雰囲気を感じるかもしれない。

国立公園という特殊環境のなかで宿泊事業をしていることは、いろんな責務があるだろうし、難しいこともあるのだけれど、彼の立場だからこそできることがあり、それにいち早く気付き実行している点に、改めて頭が下がった。

やっぱり直さんは私の先輩だった。

快調に飛ばしてきたけれど、横尾で長居しすぎたので、再びペースアップ。

途中、“ナベさんの岩”(と私が呼んでいる岩)で、北穂高岳を定点撮影。いろんな仕事を一緒にした山岳写真家の渡辺幸雄さんが、ここを通るたびに(ってかなりの回数だろう)必ず定点撮影する場所だ。私も、ナベさんと一緒に何度もここを通り、それ以来真似事をしているのだ。

私には、横尾~涸沢間の間に、ナベさんの岩以外にあとひとつ定点撮影している場所がある。これもちょっとだけ北穂高小屋に関係があるモノ。ちょっと恥ずかしいので、内緒。

涸沢が近づいてくると、ナベさんの岩では北穂の北側にあった半月が、もう涸沢槍の近くまで傾いてきていた。

涸沢小屋でおはぎを食べてから登り始める。

取材で通っていたころは、いつも彼ら従業員と同様、まるで通勤路のようだったし、そのなかでいろんなことを考えたり、四季折々の機微を味わいながら歩いたりしていた。

プライベートで登るときも、やっぱり北穂のみんな(北穂高小屋の従業員たち)のことを考えながら登ることが多い。

今日考えたのは、約1ヶ月前のあの日のことだ。あの日、北穂のみんなはどんな夜を迎えたのだろう。その翌日、どんな気持ちで南陵を下ったのだろう。磯貝さん、痛かったでしょう。

いつも涸沢から1時間半もあれば到着するのに、現場が近づくと胸もつまり、小屋まで2時間もかかった。

従業員の昼ごはんが終わったというので、足立さんが現場を案内してくれ、状況を詳しく説明してくれた。いろんな先輩たちと一緒に眠ることになるケルンの予定地も見せてくれた。

大切な文章も読ませてもらった。空で言えるほど3回じっくり読んだ。

その後、いろんな話をして、夜が更けた。

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