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2010年8月

2010年8月31日 (火)

安曇野でお別れを

昨日下山後に開いた携帯には、とんでもなくむごいメールが入っていた。

それも何件も入っていて、いったい何が起きたのかわからなかったけれど、帰宅後、メールを読み進めるうちに、やっと実感できた。

昼までに仕事を切り上げ、急きょ、特急「あずさ」に乗り込んだ。

小屋を空けるわけにはいかならいからと、北穂高小屋に残っているナベさんには、「短い滞在になるけれど、そちらに向かっている」とメールし、ガタゴトとうるさい車中から、アダチさんに電話をした。うまくしゃべれないでいると、「電話が遠くて聞こえないけれど、今日こっちに来てくれるということか?」と受話器の向こうで言っていた。

北穂高小屋の入山は、421日である。

天候さえよければ、ヘリコプターが山頂付近にホバリングして、私たちを下してくれる。

大の男が6-8人集まっても、雪にすっぽり埋まった小屋を掘り起こすのには、10日間かかる。

ある年、この入山に参加させてほしいと、私は義秀さんに申し出た。何年かかけて北穂高小屋を取材したい理由があったからだ。

義秀さんの答えは、「女性が入山したことはないけれど、大丈夫ですか?」というものだった。

登山中に感じる男女の力の差よりも、もっと大きな差を突き付けられる小屋開けまでの10日間を、私は2年間経験することができた。

山岳写真家の磯貝猛さんも一緒だった。

小屋開けは、私にとっては宝物のような時間だった。稜線には私達しかいなくて、涸沢のふたつの小屋もまだほとんど掘り起こされていないから、カールにも静けさがある。北穂沢には、大概、ナベさんのトレースひとつしかない。

作業は本当に大変だけれど、ふと眺める山々はおごそかだ。あんな静寂で美しい時があるだろうか。

そういった瞬間が、北穂高小屋には、季節を通してあるのだ。

登山者が去ったあとの、ほんのわずかな静かな時間が。

今晩、そんな貴重なときを一緒に過ごした磯貝さんにお別れしてきた。

親友たちに救出され、手当てされ、見送られたことは、あんまりにも残酷なことだとも思ったけれど、彼にとってはせめてもの救いだったかもしれない。

帰りのあずさから眺める車窓は暗闇だった。

暗闇を見つめながら思うのは、遺された人たちのことだった。人を抱きしめてあげたいと思うときの感情だった。濃密な時間を共に過ごし、深く心を通わせた相手の、悲しみや悔しさが、本当に心がはち切れるほど痛くわかるとき、一緒に泣いてあげたい、抱きしめて慰めたいと自然に思う。そういう友情がある。

2010年8月30日 (月)

八幡平へ

小屋の前の湿原に、朝霧が下りていて、なんとも幻想的な雰囲気だった。

今日も青き山、緑濃き森を歩いて、歩く。

池塘や湿原が点在していたり、クマ笹の大きな高原が広がっていたり(これは、まさおちゃんが今年の私の誕生日に贈ってくれたタオルの風景にそっくり)、本当に気持ちがよい。

想像通り、ここは天国のようなところだった。

こういうところは、丁寧に味わい続けたい。

途中の休憩で、私がひょんな野望を口にしたことから話が発展し、今後の10年計画もできあがった。未年生まれに、なにができるのかまだまだ未知数だけれど、楽しそうなプロジェクトだ。

この山に来る前に、同世代の友人・かよちゃんの展覧会に遊びに行ったときにも考えたことだけれど、私たちは、仕事でもまた仕事以外の分野でも、何ができるのか問うて問われて、そしてインプットとアウトプットを充実させながらが繰り返し、成長していく年頃なのかもしれない。

物事には終わりがあるので、楽しく幸せな縦走は、ちょっぴりさみしいけれど、終わってしまった。

そして玉川温泉につかり、汗を流して、東北の温泉風情を味わい尽くして、田沢湖駅まで戻った。

往路は、大曲の花火大会により満席になり別々の新幹線で来たけれど、復路は一緒に帰京。

盛岡までは満席だったらか、ザックに座ってやり過ごす。

こんな雰囲気は、学生時代によくあった。満席の急行能登や急行アルプスの連結部分にザックを置いて、座り込んで、仲間たちと山から帰ってきたときの様子がフラッシュバック。

盛岡からは「はやて」に着席し、秋田の地酒を飲みながら、帰る。100830chito 100830asagiri

2010年8月29日 (日)

リンドウ縦走路

2日目は、八瀬森山荘まで、いろんな山を越えていく。

大きな湿原をあるいた後は、森の中に入り、稜線に出るとリンドウがたくさん咲いていて、この縦走路は「リンドウの道」と呼びたくなるようなところ。

青き山並みはどこまでも続いていて、でーんとした絶対的な存在感のある岩手山は、歩を進めるうちに、見る角度が変わり、姿も少しずつ変わりながら、大きく近づいてきた。

正直、クマのことは終始怖く、先日、クマに襲われたされたある東北の写真家さんの話や、同じようにクマに襲われた経験のある友人の話は、とても怖くて、というか余計な情報は言いまいという気持ちで、まさおちゃんには話さず。

八瀬森山荘には、葛根田川の沢登りをしてきたと思われる、大学生グループがいたが、彼らは少し休んだあと、歩き始めた。おそらく次の避難小屋まで行くのだろう。

東北の山は避難小屋が充実している。

このHut to Hut の旅は、本当におもしろい。

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2010年8月28日 (土)

乳頭山へ

まさおちゃんと久しぶりのお山。

北尾根など涸沢周辺でクライミングというアイディアもあったのだけれど、涸沢フェスティバルの余りの混みように尻込み。

「んであれば、東北で縦走しない?」と、まさおちゃんからメール。しかも、月曜は有給をとったという。俄然やる気も出てきた。

その後、奇しくも行きたいところがほぼ一致し、今回の山旅となった。

まさおちゃんは、この乳頭山から八幡平の縦走を、昨年からずっとしてみたいと思っていたそうだ。知らなかった。

私も、冬に乳頭山や八幡平を滑ったことがあり、この山域の奥深さを感じていて、ぜひともこのあたりを歩いてみたいと考えていたのだ。

なぜか、今回は、飯豊や朝日ではなく、こっちだという気分だったのだ(このふたつの山域もご無沙汰しているけれど)。

歩き始めてすぐにクマのような気配があって、かなり怖かったけれど、それぞれ持ち寄った熊鈴(まさおちゃんは、巨大カウベル)を鳴らしながら、登って行った。

ブナやミズナラの緑濃い森は、本当に美しい。

そして、あっという間に、湿原に出て、今夜のかわいいお宿が現れる。

乳頭山は想像よりも大きく、たおやかな山姿をしていた。

そして、明日から歩く山並みがはるか遠くまで重なっていた。

この日は、乳頭山をピストンして、小屋の前でお菓子を食べながら、まさおちゃんの赤ワインを飲んでおしゃべり。

1枚目の写真は乳頭山から見た田代平山荘。2枚目は田代平山荘の窓から眺めた乳頭山。

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2010年8月27日 (金)

The Expedition Day打ち合わせ

夕方、タベイ企画さんに寄って、MJリンクについて、簡単にミーティング。

夜は、日本山岳会のルームで、The Expedition Dayの打ち合わせ。

まだまだ残席があります。

予定を変更し、前日まで申し込みを受け付けます。

申込方法は、ブログ右上のInformationからリンクされています。

ぜひ、ご来場し、エッジなクライマー、トレイルランナー、スキーヤーの6人に会いに来てください。

2010年8月26日 (木)

小淵沢に山岳ガイド夫妻を訪ねる

小淵沢在住の加藤+久野夫妻のご自宅へ。

夫婦そろって。私が尊敬してやまない登攀ガイドである。今日は、美樹さんにインタビュー。

聞きたいことは山ほどあり、インタビューは2時間の予定が、あっという間に5時間ぐらいたっていた。

インタビュー以外にも、いろんなおしゃべりや話を聞かせてもらったりして、とても楽しかったし、濃密な時間だったし、とても刺激的だった。

お二人とは、冬の八ヶ岳でお会いしたことがあったけれど、深く話をしたのは初めて。

実は、昨年夏、トムラウシの事故を受けて、ある一般誌が山岳ガイドについて書いてほしいと依頼してきた。

その時、私なりの、山岳ガイドのあるべき姿を書き、加藤+久野夫妻とあともうひとつ山岳ガイド集団の連絡先を、その記事に加えた。

けれど、編集者のあまりにひどい作業が加わり、私の意図しない原稿になったので、掲載を取りやめてもらった経緯がある。

そのときに、おふたりと電話で話をした以来だった。

人の命を預かる山岳ガイドという仕事について、真摯に受け止め、日々、自分自身を向上させようと本当にたゆまず怠らず、地道な努力を続けているふたりは、尊敬。

今回の話でとても興味深かったのは、岩登りがあらゆる登山の基本となる点について。単に岩場の通過がスムーズになるというような単純な話ではない。もっと登山の根幹をついたような話。

なるほどと納得したし、きっと二人とも毎日、たくさんのことを考え、行動した結果の結論なのだと思った。

インタビュー掲載は、『岳人』11月号(10/15発売)を予定。

岩登りの話については、本題と少しずれるので、今回執筆できるかどうかは未定。

2010年8月25日 (水)

軽井沢2日目

久しぶりの朝寝坊。

かよちゃんと本杉さんと3人で庭先で朝ごはんを食べたあと、かよちゃんとふたりで万平のカフェに出かけてお茶。

その後、苔のお庭を掃いたり、キッチンのお手伝いをしたりして過ごした。

昼はまた、3人で庭先でランチ。

ノンビリとしていて、そして平和的で温かな時間だったのは、顔ぶれのおかげ。

ガーデンデザイナーの仕事を離れ、自分自身のプロジェクトとして今回、かよちゃんは4+one! Exhibition というアート展を創り上げたのだ。

このアート展、来場した人にはわかるのだけれど、彼女のものすごく潔い決心がされている(と私は思う)。

彼女とは、40過ぎという同世代。10年後、20年後、自分自身がどうなっているか、いまの仕事をどのように続けていることができるか。それを、私たちはこの歳になって、仕事だけでなく仕事以外の場で問うたり、問われたりするようになってきた。

写真は、本杉さんの作品の前でご本人を撮影するトキちゃん。

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2010年8月24日 (火)

宇都宮→軽井沢

宇都宮にある、ある山に登る男性のご自宅へ。

山の社会ではとても有名な方であり、日本の登山界にもさまざまな局面からご尽力されてきた方。

宇都宮駅まで車で迎えに来てくださり、その車中で話をすると、なんと私の亡父と同い年でいらっしゃることがわかった。大正15年生まれ。

とてもそうは見えない、お元気ぶり。ハンドルさばきも素晴らしく、年を重ねてもこうありたい、こういう年の重ね方ができれば素晴らしいのだと思わされる、出会いであった。

その後、軽井沢のかよちゃんのところへ。

仕事やその周辺の仲間たちと、アート展を開催しているのだ。

美術家である本杉琉さんも交えて、なんと夜中の3時までおしゃべり。

シェルパの存在や彼らの労働環境、はたまた、「なぜ植村直己さんは遭難したのか、なぜ遺体が出てこないのか」というような、非常に難題な質問攻めにあう。

つくづく思うのは、こういった問いを投げかけられたときに、答えられることというのは、その人の登山経験や登山の知識に拠るのだなということ。当然であるが。

だから、たとえば、書籍であっても雑誌記事であっても、それがたとえ初心者向けの内容であっても、書いたものは、その人の経験と知識と精神に裏付けされていて、それが如実に表れているんだ。

昨今、山ブームで、女性初心者向けの雑誌や書籍が多数あるけれど、そのなかでも、ガツンとした筋が通った本がほんのわずかだけれどある。

たとえば、若菜さんの本。彼女の山への愛情や経験、考えがところどころに表れているのだ。

なんてことを、本杉さんとの会話の中で考えた。

そして、温かな時間だった。

写真は、入口にあったアート(全容は写せず)。森田秀樹さんの作品。

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2010年8月23日 (月)

打ち合わせふたつ

午後イチで、久しぶりに同い年の女性である,、間瀬ちがやさんのご自宅へ。

彼女の肩書は、「トレイルランナー」でもなく「山岳スキー競技選手」でもなく、「間瀬ちがや」。

相変わらずの魅力たっぷりの姿に、こちらは心が温まり、そして刺激を受ける。

9月に行なうイベント(THE EXPEDITION DAY)の打ち合わせを済ませたあと、彼女が最近参加している活動の話を聞いた。私もちょうど昨日、MJリンクの登山を終えたばかりであり、いろんな共通する悩みがあったり、それ以上の喜びがあったりで、たがいに話ができてよかった。

夜は、カモシカスポーツの閉店を待って、スタッフの澤田実さんと打ち合わせ。

これも9月のイベントに関すること。

先月、松本で中嶋徹さんをインタビューした報告と、9月イベント当日の構成について意見交換。

澤田さんは、真摯であり紳士な素晴らしきクライマー。

こうありたいと思わせる人物。

2010年8月22日 (日)

MJリンク@八ヶ岳 Day3

そして、今日はB日程のみんなと再び硫黄岳へ。

本当に、参加者のみなさんの成長ぶりや賢明な言動には驚かされる。

成長ぶりなんていうのは、本当におこがましく、私はなにもしていないのだけれど、お会いするたびに、本当に大きく前進されているのだ。

今日の私の班で登りのトップをやったのは、リピーターの方だった。

登りというのはどうしても焦ってしまい、ベストなペースを保てない。チーム全体のことを考え、楽に気持ち良く登れるペースがあるのだけれど、それを作りだすのは、実はとっても難しい。

速足で歩くことは簡単であり、ゆっくり歩くことの方がはるかに難しいのだ。

そんなペースをばっちりと作りだしたのが、わが班だった。素晴らしくて、素晴らしくて、感動。

MJリンクに関っていて、それがとても贅沢であり、感謝すべきことであるというのは、たくさんの参加者と交流ができることと、そして仕事を越えたところで、全力投球してくれる優秀なサポーターたちと一緒に活動できることだ。

私は高校・大学のころに登山の基礎を学んだ。体力と若さはあり、がむしゃらにやってきた点もある。確かに若いときに、つらい思いもして、体力の底上げをしておいた点は恵まれていると思う。

しかし、こうやって大人になってから登山を始めようとしている人たち、あるいは若いころに少しかじったけれど、再び登山に関心を持ち始めた人達というのは、大人の力で登山を理解し、吸収していっている。

例えば、職場でリーダーシップを取っている人や、リスクマネジメントをやっている人もいるだろう。家庭の仕事のなかでのリスクマネジメントも、もちろんある。

そいういったいろんな社会的経験を積み、それが土台にある彼女たちが、登山を知ろうとしたときに、若い力で学んだ私とは、もっと違う方法、プロセス、思考回路で登山を見に着けていくのだ。

その様を見ているだけでも、私自身がとっても勉強になる。

参加者+サポーターが、互いをリスペクトしながら、山という場で、一緒に活動してけたら素晴らしいなあと思う。

B日程も無事全員登頂し、帰路に着いた。

サポーター4人は、帰りの「あずさ」の中で、反省会をし、それだけでは事足らず、新宿到着後も夜遅くまで、意見交換。

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2010年8月21日 (土)

MJリンク@八ヶ岳 Day2

今日は、3班に分かれて硫黄岳へ。

列のトップで行ったわが班は、あれこれ試行錯誤しながらも、チームワークをもって、結構いいペースで山頂に着くことができた。

リピーターの方たちについては、毎回その成長ぶりに刺激を受けるし、新しい出会いもあったりで、MJリンクは本当に楽しい。

驚いたのは、あるリピーターの方が、地図をもとにして、山の標高の高低が分かるグラフを作ってきたこと。

彼女は、2月のMJリンクに初めて参加したのだけれど、その時は確か、ほとんど初めての登山に近かった。

それが、自分で事前に読図をして、高低表を作ってきたのだ。彼女が作ったのは、縦軸が標高で横軸は時間だった。今度は、横軸を距離にしてみてはどうだろう、と提案した。

そんな表がスイスイ作れるようになったら、某出版社のコースガイドブック編集部より、お声がかかっちゃうんじゃないかな。

また、参加者同士がいろんな交流をしたり刺激をしあっている様子を聞くことができたのも、ありがたかった。

サポーターが、技術などを伝えるだけでなく、参加者同士で学び合ったり、刺激し合ったりしているのだという。その様子を色々聞かせてくれた人たちがいた。

A日程のみんなとは、堤防のところでお別れし、今度はB日程の参加者20人をお迎えした。

MJリンクの至宝、彼女なくしてはMJリンクはありえません!というサポーターのまさみんと、会社員をしながらも登山ガイドの資格を取得したがんばり屋で個性をきちんと築くことのできるジッキーのふたりが、B日程のみんなと一緒に、山に上がってきてくれたのだ。

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2010年8月20日 (金)

MJリンク@八ヶ岳 Day1

今夏のMJリンクは、A日程とB日程の2チームで、赤岳鉱泉から硫黄岳を登る計画。

今日は第一便となるA日程初日。

田部井淳子さんに加えて、サポーターは、貫録+落ち着度ぴか一、大信頼している登山ガイドの管ちゃん、大学生のころから知っていて、かわいくてたまらない登山とテレマークスキー愛好家の佳苗ちゃん、それとヨガインストラクターやお話し会をやるなど、いろんな顔をもっている詔子さん、私の4人。

佳苗ちゃんとは久しぶりの再会であるし、一緒に山に登った経験はないのだけれど、みっちりとたたき上げられた登山の経験は深く、その上に社会人になってからの幅広い経験が加わり、素晴らしいサポーターぶりに、色々学ばせてもらった。

夜は、5人ずつの各班に分かれて、明日の登山について計画。

今回のMJリンクは、参加者たちの間で、リーダーとサブリーダーを決め、自主的に登山をしてみるという趣旨。

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2010年8月19日 (木)

猪熊さんのお天気講座

夜、いつもの通り、気象予報士の猪熊隆之さんのお天気講座へ。

「台風の気持ちになって考えてみましょう」とは、猪熊さんならではの名言。

確かに、台風には意思あがり、意思に従って進路を決めていくのだ。

今月の講座もものすごくおもしろかったし、そして猪熊さんの授業方針や進め方、気象への愛情にいたく感動。

気象予報も知識や経験だけでなく、そこからくる想像力が重要なのだ。

講座終了後、焼きそばを食べながら、明日からのMJリンクの登山について、まさみんと最終打ち合わせ。

夜遅く帰宅。

2010年8月18日 (水)

夏の御宿

8月だというのに、3ミリで入っている人もいるほど……外房の海水温は低い。

けれど、夕方にはなんとか、サーフパンツとベストで入れた。

穏やかな海、波も小さくて、数も少なかったけれど、こうやって仕事から体も心も離れて、海に没入できる時間が持てることは、ありがたい。

いろんなことが、リフレッシュ

2010年8月17日 (火)

竹内さん仮免パートナーさんインタビュー

登山家・竹内洋岳さんの「仮免パートナー」と呼ばれている? 阿蘇吉洋さんと新宿で面会。

竹内さんは不在だけれど、竹内さんの大好きなケーキを食べながら、インタビュー。

あらためて、竹内さんのユニークさ、懐の深さ、でっかさ、多様な魅力、自由度、かろやかさ、しなやかさ、聡明さを知る。

2010年8月16日 (月)

TNF ウィメンズ・マウンテン・アカデミー ミーティング

明治通り沿いにあるザ・ノース・フェイスのプレスルームにて、9月初めに行う、ウィメンズ・マウンテン・アカデミーの説明会。

ノースの看板娘、ゆっこちゃんがウエアや装備の説明をし、私からコースの説明などをした。

お盆休みの人も多かっただろうし、出欠もとらなかったのに、たくさん集まってくださり、感激。

9月の八ヶ岳を本当に楽しみにしてくれていることがわかった。

楽しくて、充実した登山、たくさんのものを持ち帰ってもらえる登山にしたいと、メーカー、旅行社、講師一同、準備に励みます。

ノースのプレスルームはとっても素敵な雰囲気なのだ。写真は、お客様が入る前の様子。こんなところで仕事をしているなんて、いいなあ。

会のあとは、私も原宿店へ行き、念願のC3fitのアームとゲーターをゲット。

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2010年8月13日 (金)

山の先輩と山の友達

昼前、ある山と仕事の大先輩である編集者に、久しぶりに電話。

お盆だから、九州の実家に帰っているのだと、電話口の声はいつものように明るかった。

「どうしたの?」という問いかけに、口ごもると、「何があったの?」とすぐさま返答。

いつもかわりなく、温かい手を差し伸べてくれる、心根の優しい大先輩。

本当にありがたい。

夕方、都内の病院へ。

KさんとHくんに会いに行き、ミーティング。

術後はかなり苦しんだとメールをもらっていたけれど、今日はすっかり元気になっていた。

なるほど、うなるようないろんなアイディアをいただいた。

だというのに、次なるクライマーのケガ+入院の話を聞き、、、なんだか無事でよかったとほっとする反面、ああ大丈夫なんだろうか、とも思った。

2010年8月12日 (木)

ヨガで眠りました

仕事のあと、午後からクライミングジム・ROCK LANDS で開かれているYUKAさんのヨガへ。

今日は午前中なんだかんだ疲れることが続き、アタマの中もぐちゃぐちゃというか、全くどーしたらよいんだいというような気持ちだったけれど、ヨガに行くとそんな心もすっきるする。

ある山の友人が、レジェンドサーファーであり熱心なヨギーでもある人に、「シャバーサナで寝てはいけない」ということを教わり、絶対に意識が落ちいないようにしているのだと教えてくれた。

私は、あっという間に意識が落ちてしまうのだけれど、今日は最初から違った。立ちポーズですらうっすら眠くなり、とうとう最後のシャバーサナでは、こっちの世界に戻ってこられなかった。

みんな起き上がり、「では、今日はこれで終わりにします」とYUKAさんが言った、その声で、はっと目が覚めた。

どうやら私は、まさに死んだかのようにピクリともせず寝ていたらしい。

レッスンの最初に、「ヨガに何を求めているか」と聞かれた。

本当のことを言うと、何も求めていない。何かを求めて始めたわけではない。けれど何か答えたほうがよいかなと思い、口から出た言葉が、「ぐっすり眠れること」だった。って、だからってレッスンの最中に寝なくていいのよ。家に帰ってから、夜、ぐっすり眠れることを言ったのだから。

まったく恥ずかしい。

その後、ボルダリングとルートを少しやって、肩をしっかりアイシングして、帰宅。

2010年8月11日 (水)

お誘い * 4+one! Exhibition 2010 緑・アート・軽井沢 

実家へ。

夫は部屋の掃除。

私はひたすら庭いじり。掃除したり手入れしているんだか、遊んでいるんだかわからない。手入れのしようもない、荒れ放題の庭。自然な雰囲気といえば聞こえがいいが、いいやそんなレベルはとっくに超えている。

薄手の長そでブラウスを着て、麦わら帽子をかぶって、蚊取り線香たきまくったけれど、やぶ蚊にたくさん刺された。

ところで。

我が実家の庭を見たら、卒倒するであろう私の親しい友人。

私の日記には、「がっちゃん」とか「かよちゃん」という名で時々登場する、ガーデンデザイナーの長濱香代子さん が、今月、軽井沢の三笠の森で、4人のアーティストを集めて、アート展をする。

なにが飛び出すのか、ちょっとだけ話を聞いたけれど、とってもピュアな、そして面白い、味わい深い展覧会になる様子。そして、彼女らしく実に潔い演出もあるのだ。どう潔いかは、会場に行った人にしかわからないはず。

アートにご興味のある方、晩夏の軽井沢を楽しみたい方、ぜひ4+one! Exhibition 2010 緑・アート・軽井沢 にお寄りください。

私も泊りがけで出動!

写真はわが庭であり、かよちゃんの作品ではありません。くれぐれもお間違えのないように。

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2010年8月10日 (火)

エッジなミーティング

エッジなミーティングと呼んでいるのは、The Expedition Day の準備会のこと。

今晩もそれが行われた。

解決しなければならないことは山積みだし、やるべきことは山ほどあるし、結構疲れた。

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2010年8月 9日 (月)

仙台へ

昨日まで七夕祭りだったという仙台へ。

駅を降りて、青葉通りを300mも歩けばつくモンベルクラブ仙台店へ。

以前ここの店長がミシマくんだったころは、東北の山の帰りによく寄らせてもらっていた。

店長がふみぽんになってからくるのも、こうやって駅から歩いていくのも、初めて。

モンベルクラブは仙台市内にほか2店舗あり、それぞれ友人のミシマくんとオオハシくんが店長をしているのだけれど、今回は「女子優先」で、ふみぽんの店へ。

素敵なお庭のあるいい店なのだ(写真)。

彼女も仕事が忙しいので、簡単におしゃべりをしておいとま。

その後、東北山岳写真家集団の早川輝雄さんにお会いしにいく。十年ぶりぐらいか。

彼は、本当に只者ではない、タフな、たいへんな山男なのだ。こういう人を、「山男」というのだと、思う。

畦地梅太郎さんの版画のモデルで出てきそうな雰囲気もある。

たいへんな山男さんの話は、興味がつきない。

夜、東京に戻ってから、いつものカイロプラクティック・ドクターさんのところへ。

肩の調子もだいぶよくなったし、膝の調子もまあまあだし、今では月1回程度の通院で済むようになった。

ここまでくるのは結構大変だったけれど、通ってよかったと思う。

なによりも症状が改善されたことがよかったわけだけれど、彼に出会ったおかげで、ケガや故障との付き合い方の基本を身につけられたと思う。

休養して治るのは当たり前、いかに動かしながら、アグレッシブに治していくか。それは素人判断だけではとてもできない。

今後は、体の管理や維持、作り方などを学んでいきたい。

施術を受けにいっているのだけれど、半分は習い事をしているような感じ。

それほど専門性のあることを、教わっている。

ありがたい。

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2010年8月 8日 (日)

ロックガーデンで夏サラダ

F山岳会の月例山行。

御岳からロックガーデンへ。

さぞかし暑いかと覚悟していたけれど、ロックガーデンは水が流れているせいかほんの少しだけ、涼しかった。

それに、緑がとっても濃くて、びっくり。

あずまやで、いつものメンバーの方々が準備してきてくださったサラダを作る。夏野菜をあれもこれもと乱切りして放り込んで、韓国のりを載せて、お手製の玉ねぎ醤油ドレッシングであえたこの一品、とってもおいしかった。

本当においしくて、サラダだけでおなか一杯になるまで食べてしまった。

食後には、お抹茶を点てて、お茶菓子と一緒にいただいた。

ケーブル駅上で解散し、みんなでビールを飲んで、麓駅へ。

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2010年8月 7日 (土)

MTG→ヨガ→カフェ

午前中、F山岳会のミーティングに出たあと、午後からまさみんのヨガレッスンへ。

その後お茶して、いくつか最近の出来事を話して、お別れ。

明日の山の準備。

そういえば、Cフェースを登っていた時に、長次郎谷を登るガイドグループと思しきパーティがふたつ。やはり、『点の記』の影響で、別山尾根ではなく、長次郎谷から山頂へアプローチしようというパーティがちらほら出てきているのだろうか。

そのうちのひとつは、右俣を登っていった。

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2010年8月 6日 (金)

恩師に手を合わせて

朝ごはん食べて、ぶらぶらして、コーヒーを飲みたくなったからファミレスに入り、その後、後立山連峰がよく眺められるクリの家へ。

懐かしいクリのご両親に会う。ちょうどこちらへ来ていたのだと。何年ぶりだろう。彼の結婚式以来かもしれない。最近は、年賀状でのやり取りだけであった。

「何していたの?」と聞くから、「コーヒー飲んできた」と言ったら、「なにやってんだか」とクリに言われて、お母さんがコーヒーをいれてくれた。

久しぶりにお父さんと仕事や山のいろんな話をする。

クリの奥さまのヒロコちゃんも帰ってきて、庭の畑の野菜をいくつかもらっておいとま。

その後、池田町の恩師のお宅へ。

3月の葬儀のとき、どうしても仕事が抜けられず参列できなかったのだ。

奥さまが迎えてくれた。

玄関先のマットは、CMA(中国登山協会)と織られたチベタン・ラグだった。靴箱の上に柳澤先生の写真があり、そして、彼の筆による山の絵がたくさん飾ってあった。絵をたくさん描く方だった。あっという間に先生の世界に引き込まれていった。

手を合わせると、遺影の眼光が鋭く、まったく初級ルートで下降間違えるなんて、何やってんだ、と言われた気分。けれど、きっと先生はそんな言い方はしない。

先生の若いころのこと、文部省(当時)登山研修所時代のこと、劔岳と先生のこと、大町山の会のこと、いくつかの事故のこと、教え子たちのこと、いろんな話を聞かせてもらった。

奥さまは、生前先生はいろんな人に助けられた、人との出会いに恵まれた人生だったんだ、と話していた。けれど違う。みんなこそが先生に助けられたんだ。だから、先生との出会いに恵まれた私たちは、みんな先生と出会えてうれしかったし、感謝していたのだ。

親分肌の先生を、みんな誰もが慕い、そしてついていった。そういったリーダー性、カリスマ性は、どのようにして生まれるのだろうか。

裏表のない正直さ、潔さ、誠実さはもちろん、これは大前提。

そして、揺るぎのない信念と情熱が、人々をひきつけるのだろうか。

今日も、先生の若いころの話を聞き、ああ、やっぱり先生は、若いころからそうだったんだ、ずっと変わらなかったんだ、と思った。

ブレのない信念。リーダーが1センチぶれただけで、したものものは10センチぶれる、と私は思っている。下手すると横幅1メートルも揺さぶられるかもしれない。

ブレのない信念は、リーダーに不可欠のもの。

日本の登山の社会の中でも、本当に稀有なリーダーであり、指導者であったと思う。

おいしいお蕎麦をごちそうになり、おいしい桃もごちそうになり、名残惜しいけれど、お別れ。

帰路、モンベル豊科店により、店長さんにいくつか尋ねごとをして、高速道に乗る。

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2010年8月 5日 (木)

山下りて、山の友人に会う

今日は下りるだけなので、遅くまで寝てやろーと思っていたけれど、隣の大学山岳部がホエブス(あるいはMSRのガソリンコンロと思われる)を点ける音で、うつらうつらとし始め、その後、彼らの会話をほほえましく聞き、4時に起き上がった。

ふたりはまだ寝ているので、ひとり

オダくんは、一晩寝ると、昨日の疲れもすっかり取れて、山からパワーをもらった気分だ、元気になったという。

スゴイ、さすがだ。若いということは素晴らしい。

剱御前まで登り返し、雷鳥坂を最小限のダメージで下り(膝)、室堂へ。

アルペンルートを使って再び扇沢へ。

お決まりの薬師の湯に入り、腹ごしらえをして、わかれる。

なんと、オンダくんは、このあとEdge and Sofaで登ってから帰ると。素晴らしい、私は疲労していて今日はクライミングジムに行く気はちょいと起こらないよ。

若者と遊んでもらうためには、もっともっと体力をつけないとならない。

愛想をつかされてしまう。

大町在住の大学山岳部の後輩・クリから、何度か留守電が入っていたのでかけてみると、「今から出てくる」と。

大した用事もないのだけれど、クリと娘のスズ、それからすっかり大きくなった息子のレンタロウに会う。レンタロウは、私たちを待っている間森で遊んで蜂に刺され、この世の終わりのような顔をしていた。

大した話もないのだけれど、会ってしみじみ思った。

先週、親しい友人が、山で親しい仲間を喪った。思えば、それは私にとっては、クリのようなものかもしれない(ごめん、あんたは生きている)。大学時代、あんまり余計なことを考えずに済む年頃(?)で、ただただ山にばかり登っていて、そんなときに一番多く一緒に山に登った仲間だ。もちろん剱岳にも。

あるいっときのことであっても、濃密な時間を一緒に過ごした仲間を喪うというのは、本当に悔しい。深い悲しみと、やり場のない悔しさがあるのだ、としみじみ思った。

今晩は、七倉の湯へ。

源泉かけ流しのいい湯だった。

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2010年8月 4日 (水)

Cフェースへ

4時にテントを出て、剱沢を下降。長次郎谷を登って、Cフェースへ。

剣稜会ルートを登るのは2度目だろうか。大学山岳部新入部員が登るルートだけれど、私は在学中に登る機会がなく、卒業後初めて登った。

先行パーティあり。

オンダくんは、スーパーボルダラーだけれど、ホンチャンはあんまり経験がないのだという。しかしもちろん何ら問題はなく、またロープワークも確実で、そして体力がめちゃくちゃある28歳。お互い自分のことは自分でやりながらも、協力して登っていける、心地よいパートナーだ。

願わくば、今後も一緒に登ってもらいたいので、私はもっと体力をつけなければいけない。

待ち時間もあり終了点に抜けたのはそれほど早い時間ではなく、魚津高ルートを継続するかどうかは迷うようなところだった。

しかし、実はその後それどころではなくなった。あろうことに、下降を間違えまくって、合計100メートルはいやらしい岩壁を登り返す羽目になった。

プロテクションが取れずいやだったけれど、おニューの登山靴、スカルパのクリスタロGTXレディは調子がよく、とくにつま先部分のクライミングゾーンが大活躍してくれた。

恥ずかしい失敗をし、ⅤⅥのコルに着いたのは遅く、その後とぼとぼと、長次郎谷を下降し、かったるい剱沢の登り返しとなった。

最後は、シュルンドにだけ気をつけながら、ヘッドランプを着けて歩いた。

先行していたオンダくんはGPSを頼りに夏道を見つけたというが、私も大きなシュルンドを越えたあと、左寄りにラインを取っていったらすんなり山小屋への道を見つけられてほっとした。

帰幕後、それぞれが勝手にそれぞれの夕食を作り、食べて、爆睡。

ところで、今回のヒットは、アマノフーズの瞬間美食シリーズのビーフカレーとアジャンタのシーフードカレー。旨かった。

レトルトカレーよりも量は少ないが、私はこの程度で十分。

唯一の問題は、食器を使う点。レトルトカレーのとき、私の場合、レトルトの袋のまま食器に入れて袋を自立させ(サタケや尾西のアルファ米のように自立はしないから)、食べている。これであれば食器は汚れないので、長期山行でも便利だ。

オンダくんが食べていた、アマノフーズの味噌汁やふかひれのスープも旨かった。

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2010年8月 3日 (火)

劔沢へ 

アルペンルートを使って室堂へ。

私のザックは、約10年前に買ったゼロポイント。気に入っているので長く使っている。

5年ほど前に、岩壁の荷揚げによく使っていたところ(ロープを使ってホールバックのような荷揚げもしていたので)、ショルダーベルト付近が崩壊した。

それで、モンベルに修理に出したところ、背面システムがすべて新しくなって帰ってきた。

それはそれでありがたかったのだけれど、今ではもうかなり汚く、このような汚い装備を使うことは、仕事上好ましくなく、相手に不快感を与えることもあり得ると考え、次なるザックを探しているところ。

しかし、大型ザックでほしいものがない。

条件は、①シンプルであること ②あまぶたがある程度大きいこと ③あまり細身ではなくパッキングしやすいこと(とくに底が小さいザックはパッキングしにくい) ④そして私の体のサイズに合い、背負いやすいこと だ。

あれこれ探しているけれど、どれもこれも一長一短。

しかし今回、フィールドテスト用に、かなっぷとオンダくんが持ってきた、某社の来季発売モデルは、かなり私の条件+好みに合っている。

展示会でもチェック済みだったけれど、オンダくんが持ってきた60リットル(約27キロ位)を背負わせてもらい、ショルダーベルトやウェストベルトの形状や背負い丈にも問題がなさそうだった。

あと半年、このザックの発売を待つことにするか。

荷物が重たく、ゆっくり歩く。

3時間後に剱沢野営場到着。

テントを立てて、睡眠不足を補うための昼寝をしたあと、山小屋へビールを買いに行く。

山岳ガイドの花谷くんに会って、立ち話。

彼のように脂の乗ったいいガイドさんたちは、この夏もかなり過密なスケジュールで山に登っている。やっぱりガイドは体が頑丈でなければできない仕事だ。

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2010年8月 2日 (月)

「山ガール」という言葉

ここ数ヶ月、「山ガールを紹介してほしい」とか「どこへ行けば山ガールに会えるのか」というような問い合わせが、マスコミからある。

山ガールの定義がなんなのかわからないし、先方の取材意図を聞いてみると、へー、そうなんだあと思うことしばしば。

「山ガール」という言葉を誰が言い出したのか知らないが、書名で初めて使ったのは、『田部井淳子のはじめる!山ガール』 (NHK出版)(先日DIME のサイトでも紹介してもらった。ここには、BE-PALさんが作った、ちょっとイカシタ表紙の『falo』も載っていますね)。

私は、『はじめる!山ガール』の制作スタッフの一人で、ライティングを務めたが、書名決定編集会議の時は不在だった。

100名山ブームや中高年登山ブームを作り出したのは(仕掛けたという表現より作り出すのほうが、彼の場合ぴったり)、彼だろうという超ベテラン編集長と、本誌担当の女性編集者(山に興味深々の硬派な行動派)を中心に、ほかの面々も加わって決めたと聞いている。

ある方面からは難色を示す意見もあったようだけれど、編集者が貫いた。

もし今年、「山ガール」が流行語大賞にノミネートされたら、檀上に上がるのは彼らだ。

その後、「山ガール」という言葉は、タレントやタレント的要素によって、一人歩きし始め広まっていった。それが作用するものは、必ずしも本誌作り手たちが意図していたものと一致はしない。けれど、流行とはそういうものだろうと思っている。

誰か一人が作り出すものではなく、時代のうねりなのだから。

夕方までガッツリ仕事をしたあと、山へ行くためのパッキング。

仕事を終えたかなっぷを車でピックアップ。

扇沢着は深夜1時過ぎ。オンダくんの車を見つけて、近くに停めて、爆睡。

2010年8月 1日 (日)

机仕事Day1

今日から二日間はガッツリ机仕事。

原稿書きが少々にありとあらゆる雑仕事が多々。

雑仕事という言い方はどうかと思うのだけれど、「書くこと」及び「書くことの周辺」以外のいろんな仕事―取材のアポ入れ、請求書書き、もろもろの連絡などの雑務をこう呼んでいる。作家さんが「雑仕事」と呼んでいたのがうつったのだ。

ツィッターをおもしろいと思ったのは、これがきっかけで、某方面の方々と知り合えたことがひとつ。登山に深く関係する方面でありながら、なかなか知り合えないでいた。

もうひとつはつぶやきを読んだ方がRTDMで即座に返事をくれる点。

今日も勇気がでるような、返信をいただいた。

フリーランサーを長くやっていても、いまでも仕事を断るのは逡巡するし、勇気が要るし、ものすごくパワーが要る。

けれど、仕事を引き受けるときは(または断るときは)、自分のことや自分の意見・考えだけでなく、登山というのはどうあるべきか、どうあってほしいと願っているか、それを過去の歴史から振り返り、現時点の座標をきちんと見据え、将来展望して、考えていく作業が必要なんだと、大げさでなくて思う。

最近のいくつかの出来事を振り返り、エネルギーの要る判断だったけれど、間違っていなかったと思うことができた。

結局、ひとつひとつの仕事の積み重ねなのだから、ぶれないようにしたい。

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