安曇野でお別れを
昨日下山後に開いた携帯には、とんでもなくむごいメールが入っていた。
それも何件も入っていて、いったい何が起きたのかわからなかったけれど、帰宅後、メールを読み進めるうちに、やっと実感できた。
昼までに仕事を切り上げ、急きょ、特急「あずさ」に乗り込んだ。
小屋を空けるわけにはいかならいからと、北穂高小屋に残っているナベさんには、「短い滞在になるけれど、そちらに向かっている」とメールし、ガタゴトとうるさい車中から、アダチさんに電話をした。うまくしゃべれないでいると、「電話が遠くて聞こえないけれど、今日こっちに来てくれるということか?」と受話器の向こうで言っていた。
北穂高小屋の入山は、4月21日である。
天候さえよければ、ヘリコプターが山頂付近にホバリングして、私たちを下してくれる。
大の男が6-8人集まっても、雪にすっぽり埋まった小屋を掘り起こすのには、10日間かかる。
ある年、この入山に参加させてほしいと、私は義秀さんに申し出た。何年かかけて北穂高小屋を取材したい理由があったからだ。
義秀さんの答えは、「女性が入山したことはないけれど、大丈夫ですか?」というものだった。
登山中に感じる男女の力の差よりも、もっと大きな差を突き付けられる小屋開けまでの10日間を、私は2年間経験することができた。
山岳写真家の磯貝猛さんも一緒だった。
小屋開けは、私にとっては宝物のような時間だった。稜線には私達しかいなくて、涸沢のふたつの小屋もまだほとんど掘り起こされていないから、カールにも静けさがある。北穂沢には、大概、ナベさんのトレースひとつしかない。
作業は本当に大変だけれど、ふと眺める山々はおごそかだ。あんな静寂で美しい時があるだろうか。
そういった瞬間が、北穂高小屋には、季節を通してあるのだ。
登山者が去ったあとの、ほんのわずかな静かな時間が。
今晩、そんな貴重なときを一緒に過ごした磯貝さんにお別れしてきた。
親友たちに救出され、手当てされ、見送られたことは、あんまりにも残酷なことだとも思ったけれど、彼にとってはせめてもの救いだったかもしれない。
帰りのあずさから眺める車窓は暗闇だった。
暗闇を見つめながら思うのは、遺された人たちのことだった。人を抱きしめてあげたいと思うときの感情だった。濃密な時間を共に過ごし、深く心を通わせた相手の、悲しみや悔しさが、本当に心がはち切れるほど痛くわかるとき、一緒に泣いてあげたい、抱きしめて慰めたいと自然に思う。そういう友情がある。
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