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2010年7月

2010年7月31日 (土)

夏の御宿

携帯の波情報によるとシロサンカクだった御宿は、着いてみるとザワザワしていた。

修理に出さなければいけないかなっぷのボードのワックスオフをして、朝寝。

アパートの部屋は海風がよく通り、涼しいぐらいだった。

夏でにぎやかになっているSumo Surfに顔を出すと、お姉さんに「久しぶりだね」と言われ、ピザを作ってもらって、いざ守谷へ。

Sumo Surfのお姉さんから、今日の御宿はシーガルか、ロンスプ、フル3ミリでもよいと聞いていたけれど、守谷の海も冷たかった。サーフパンツにモンベルのネオプレンのベストを着ても、寒くて長く入っている気にはなれず。カニとヤドカリと遊んで、早々に退散。

SHOOTSへかなっぷのボードを持っていき、その後また昼寝。

夕方、海へ。やっぱりフルにしておくべきだった。ロンスプで行ったら、ひざ下はまるで氷水に入っているような寒さ。慣れるよと言われたけれど、慣れず、これも早々に退散。

高校生のプロサーファーであるイチゴちゃんは、毎回サーフィンのたびにビーチのゴミ拾いをしているそうだ。スーパーの袋を持っていき、サーフィンを始める前に(あとだと、疲れてやる気をなくしそうだから)、一袋分のゴミを拾うのだと。

私は、御宿のビーチクリーニングに一度も参加できたことがないので、今日は海に入る時間が短い分、ゴミ拾いに徹した。徹しようと思ったけれど、ゴミはあっという間にスーパーの袋2つ分集まった。

一番多いのが吸い殻。ちょっと前に、プロサーファーの木下デヴィットさんのブログに、吸い殻のゴミのことが書いてあった。これが自然に戻るのは気の遠くなる時間を要するのだと。

御宿では夏の海水浴シーズンは毎朝、専用車を使ってビーチのゴミを回収しているので、今日私が拾ったのは今日出たゴミ。そしてビーチにはまだまだたくさんのゴミがあった。

高校生を幼いとは思わないけれど、高校生のプロサーファーが毎朝ゴミ拾いをしているのに、ゴミを捨てていく大人がいるのは何とも恥ずかしいことだ。

2010年7月30日 (金)

松本へ

あずさに乗って、松本へ。

大糸線に乗り換えて二つ目の駅・島内下車。

列車がホームに入るときに気づいた。この小さな駅で降りるのは二度目だ。

前回は、もう10年近く前の冬。松本交響楽団の定期演奏会を聴きに、駅前の音楽ホールへやってきたのだ。大雪の日だった。あずさはどうにか動いたけれど、本当にたどり着けるか心配だった。

松本交響楽団のコンサートマスターが、北穂高小屋のご主人、小山義秀さん。私は当時、北穂高小屋に通い取材をしていた。義秀さんとは同い年であったり、過去にさかのぼると思いがけないところでいろんなつながりがあったり、それとあることで、彼と同じような感覚を当時もっていた私は、ことのほか、北穂高小屋を近しく感じていた。

従業員のみんなのことも。

あの日おもしろかったのは、会場入り口で、タクトが入ったケースを斜め掛けにして背中に背負って雪まみれになっている男性と出くわしたこと。

あとでわかったことだけれど、山の手に住む彼は、この大雪で除雪をして車を出すことができなかったのだという。私も、義秀さんの家はよく知っていたので、あそこから、あの細い道を車で下ってくることはできるだろうかと心配していたが、それ以上に指揮者の方は深刻な状況にあったようだ。

それで、スキーの名手である彼は、迷わず板を履いて滑って下りてきたそうだ。

素晴らしい。

ところで今日の行先は、ボルダリング・パークedge and sofaエントランスだけ見ると、これがクライミングジム?と思うようなおしゃれな作り。社長の加藤隆章さんは、松本のパルコの近くでアパレルのセレクトショップルネを経営しているそうだ。

edge and sofaに併設されたショップもおしゃれなものが多い。

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インタビューの相手は、驚異の高校生クライマーTくん。

あずさの中で、彼がロクスノに書いた記事とUKのカメラマン、アレックス・イーキンズがTくんについて書いた記事を、改めて読み直した。

読み直しているうちに、電車の中だというのに涙が出てきそうになった。

なににそんなに感動するのか。おそらくそれは、彼の自立した精神や自分をプッシュする力、思いを貫く勇気が、クライミングに対するゆるぎない誠実さとなって現れているからだろう。

27歳年下のTくんの話を聞き、それを改めて確信。

そして彼をこんなにきちんとした少年に育てたご両親を敬服した。

待ち合わせよりも1時間ちょっと早く着いたので、さっそく登らせてもらう時間もとれてラッキーだった。課題も楽しいし、有名クライマーたちのルートがたくさんあって、「これを登れば強くなれるはず」など思いながら、ついつい夢中になり、痛めていた左肩を酷使。要アイシング。

インタビュー後は、Tくんのクライミングを拝見。

偉大なクライマーというのは、登っているとき、大きく見えるんだよな。

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2010年7月29日 (木)

家・こもり

ひたすら、机仕事の1日。

原稿書きと、あらゆる雑仕事。

2010年7月28日 (水)

TNF展示会→インタビュー→登山道具店巡り

午前中、ザ・ノース・フェイスの展示会へ。

ノースの展示会は、いつもとても広い会場を使い、おしゃれな雰囲気なのだけれど、その広い広い会場に大勢の人が集まっていて、その盛り上がりに、本当にびっくり。

新規参入の取扱店やマスコミが多数増えたのだろうと思う。

11時からノースのレディス部門を支えるお二人の社員と、ショップのデザイン企画をしているという方3人によるトークショーを聞いた。

いやはや、とても勉強になること多々。みなさん、メモを取って聞いていた。

その後、一通り商品を見て、友人や山仲間やお世話になっている社員さんたちに挨拶をして、それから何人かの雑誌編集者や雑誌営業の方々とお話。

こういう時間も刺激的。

メーカー展示会というのは、来期の新商品をチェックするだけでなく、社がどのような方向性をもっているのか、ひいては、登山に対してどのような姿勢で取り組んでいっているのか、それを改めて知ることができる貴重な機会。

午後イチは、三軒茶屋で、アドベンチャーレーサーであり山岳スキー競技の選手であり、映像カメラマンであるSさんをインタビュー。

不勉強ながら、いままで全く面識がなかった。こんなにナイスガイがここにもいたなんて、みんな隠していたでしょー、と言いたくなる。

夕方、神保町へ。本屋を巡ったあと、石井スポーツ登山本店へ。スタッフ数人をお話。その後、さかいやをまわる。

展示会も重要だけれど、商品となったものが店頭に並んでいる様子を見るのは、また違った点で勉強になる。

今日は、昨晩のMJリンク東京ミーティングで参加者の方々からもらった質問を頭に入れて、その視点で店頭を拝見。

2010年7月27日 (火)

MJリンク東京MTG

MJリンク東京ミーティングの日。

夕方、モンベルクラブ渋谷店でSHOKOさんと落ち合って、準備。その後、タベイ企画の吉田さんや会社からダッシュしてきてくれたであろうまさみんも合流。

SHOKOさんが八ヶ岳の概要や山小屋について説明。

この山小屋の話のために、熱心に準備をしてくれていた、サポーターのジッキーは、出張が入り、当日欠席。

彼女の山小屋に対する愛情や考えは、私も共感するのだけれど、山小屋は本当に厳しい自然環境のなか(その内容はそれぞれだけれど)、登山者へのサービス、登山者の安全への貢献をしてくれている、心から感謝したい素材なのだ。

その後私から、夏山(山小屋泊り)のウエアと装備の話。

どんなウエアがよいか、装備が必要か、その情報は巷にあふれかえっていて、得ることは簡単だと思う。けれど、なぜそれがその山に必要なのか、なぜ自分に必要なのか、もう一度考え直して、取捨選択し、ザックに詰めるとよい。

便利さばかり求めてはきりがないし、それに本来山にそれを求めてはなにも始まらない。

不便がどれほど贅沢なことであるか、私が本当に教えてもらったのは、ノルウェーでの山登り+スキー滑降やそれを一緒に旅した、ケイちゃんたちからだったかもしれない。

装備を削り、身軽になり、その分体や頭を動かして、山登りが自由に楽しめるようになったら、とっても幸せなはず。

最後、仕事帰りの田部井淳子さんも会場に来てくださった。

会終了後、いろんな参加者とお話。

質疑応答のときにアブの話をしてくれたTさんはリピーターさんだけれど、八ヶ岳でアブでとんだ目にあったことがあったゆえの話だったそうだ。

私は八ヶ岳でアブにあったことはないのだけれど(って、無雪期は2回登っただけなので)、彼女のその日のウエアを聞いていて、なるほどと思う点もあった。タイツ+山スカもしくは短パンというのも流行っているけれど、虫刺されて気には盲点もあるようだ。

サポーターみんなで夕食を食べたあと、10時半という遅い時間から、まさみんとふたりで次回八ヶ岳のミーティング。

短時間であれこれ詰め込んで、意見交換。11時半前には渋谷の街を後にして、家路に。

2010年7月26日 (月)

クライミング→スラックライン

朝、小川山の駐車場でオンダくん(m)と待ち合わせ。

昨年、かなっぷの登山靴が壊れて敗退した剱岳に今年こと一緒に登りに行こうってことで、その前にマルチピッチを一緒に登る約束をしていた。

オンダくんが先日登ったという、現代2段のボルダーを見せてもらった。あの崩壊地にあるなんというか洞窟というか、崩壊した岩の塊のなかにあった。恐ろしー状況というか、どうにもこうにも落ちられないような、そんなボルダーだったが、彼は涼しい顔をしていた。さすがだ。

そんな彼にはすべてフリーソロで登ってもらったほうがよいだろうガマルートへ。

それほどマルチの経験がない彼だが、先日はセレクションを登ったというから、一応ガマにしておいた。

簡単なルートでも、一緒に登ると互いの呼吸がわかったりして収穫は大きい。

その後、ショートルートへ。5.10aだというのに登れないルートがあり、私はとっても暗くなった。

そして空も暗くなってきたので、クライミングは止めてスラックラインに。

オンダくんのスラックラインは、飛んだり跳ねたりする上級者用だという。

片足を載せただけで、ブルブルぶるぶる大地震のよう。これはおもしろい、おもしろ過ぎる。手を添えてもらったり、スラックラインを手で押さえたりしてもらわなければ、とても歩けなかった。

数十分も遊ばないうちに、あっという間に豪雨に。

撤収。

下に降りていき、ナナーズによると、雷雨のためかわからないが、スーパーの中が全部停電してしまい、一時騒然となった。

土砂降りでどぶの水があふれている路面を運転し、こんなんじゃなんとなく信州峠はヤダなと思いながら、国道を須玉までくだっていった。

オンダくんも峠越えは止めて、おとなしく佐久経由で帰って行った。

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2010年7月25日 (日)

1歳、歳をくった。

代官山の細川職人に会いに行った。

その後夕方から仕事と火曜日のMJリンク東京ミーティングの準備。

そう、忘れてはいけない。今日は誕生日だった。

私が生まれたのは朝の76分だと聞いているので、それを過ぎると、43歳。歳をくったもんだ。

山仲間・仕事仲間の画家さんは、似顔絵付きバースディーカードを送ってくれた。プロだというのに、彼女の描く私の顔は日に日に美人になっていく。半年以上会っていないから、思い出を美化しているな。仕事が一段落したら、早く一緒に山に行こう。現実を見てもらおう。

ほかにもうれしいメッセージやプレゼントをいただいた。

まったく誰だかわからない人から携帯電話の留守電におめでとうメッセージが入っていたのには焦った。どう聞いても、どこかのおばあちゃんの声にしか聞こえなかったその声の主は、なんと友人夫妻の息子(幼稚園生)だった。ごめんね。Taくん。また遊んでね。

2010年7月24日 (土)

THE UEMURA DAY

日本山岳協会、日本山岳会、毎日新聞社主催のTHE UEMURA DAYについて、裏方雑用係として、当日お手伝いに。

正直なことを言えば、植村直己さんにつよい興味をもったことはなかった。むろん代表作はいくつか読んだけれど。

本人については、とても寂しい印象をもっている。

厳冬のマッキンリーに消えたとき、凍てつく寒さの世界でたった一人登っていたんだと、その心中というか彼の性質についてある作家が感慨深く書いていた作品があった。

そういう人だったんだ、一人でいたい人だったんじゃないかと、会ったこともない人のことを勝手に想像している。

そんなこんなを、久しぶりに植村直己さんのフィルムを見ながら考えた。

ほか、彼とゆかりのある方々(エベレストサミッターの松浦さんや明治大学山岳部の同期の方、一緒に極地を旅したカメラマンなど)の話などがあった。

後半の座談会、神長さんの手腕が本当に光っていた。

長いこと山岳雑誌の編集長を務めた方というのは、また長いこと山岳書を作ってきた方というのは、本当に幅広く深い知識をもっていて、バランス感覚もあるのだと、とてもとても私は足元にも及ばず、ただただその手腕を聞き入ってしまった。

明治大学山岳部の後輩である登山家の天野和明さんのコメントは、いくつかとても光っているものがあった。

シンプルなスタイルへと傾倒していったいきさつは至極自然な流れだったと共感するし、最後に彼が発した登山への愛情や仲間たちへの慈しみ深い言葉は、天野くんの人柄も現していて、心に残った。

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2010年7月23日 (金)

終日原稿書き

終日原稿書き。

2010年7月22日 (木)

登山靴を買って高校時代を思い出す

これは死活問題だと、急きょ思い立って、登山靴を探しにカモシカ本店へ。

カモシカへ行った理由は、ザンバランのクリスタロGTレディスがあるというから。事前に電話で問い合わせたら、偶然澤田さんが出てくれて、「あるよー、おいで」と言ってくれた。

残念ながら足に合わず、ほか、スカルパを数機種とハンワグを履いた。

ラ・スポルティバも射程距離に入っていたのだけれど、ハイスペックのものしか置いていず、試せなかった。

幅広の足の私には無理とあきらめていた、スカルパのクリスタロGTXレディがぴったりきたので、これに決定。

どのメーカーも、自社工場でいい靴を作っていたけれど、今回は足にぴったり来たスカルパとなった。 

それにしても、ザンバランもハンワグもスカルパも「クリスタロ」という名前の靴を出しているとは。

結構(かなり)靴底が硬いので、アイゼンもOK(ワンタッチ以外)、岩場や雪渓歩きもOKと便利な靴だ。

靴底のパターンは、前方にクライミングゾーンが作られていて、それについて、山岳ガイドの久野さんが先日web上にとてもとても興味深いこと を書いていた。おもしろい。本当におもしろい記事だった。

私は自重が重いし、劔や穂高などで使えれば、と試してみることにした。

こと、最近の登山靴選び、最近は一筋縄でいかないから、なかなか難しい。

カモシカの売り場であれもこれもと登山靴を試し履きし、スタッフのみんなとおしゃべりしていたら、ふと思い出した。

私が初めて登山靴を買ったのは、高校1年生の秋(たぶん最初はキャラバンシューズですべてを通していた)、つまり27年前のカモシカでのことだった。

その時対応してくれたNさんはいまは、ある登山メーカーに勤めていらっしゃる。

私の幅広の足をしげしげと見て、「こんな足をした女性、ついさっきもう一人買い物に来ていたよ」とある女性登山家のことを話してくれた。その彼女とは、その後何年も経ってから友達になり、一緒に登るようにもなった。

凍傷で足のサイズは変わってしまったけれど、確かに私同様かなりがっちりした足型だよなあ、と仲良くなってからしげしげと見つめたものだ。

そんな懐かしい話も思い出した(当時のことは、もちろんとっくに友人の彼女には報告済み)。

夕方ROCKLANDSへ。

ご近所の山が好きな女性、彼女とはあるパークヨガで一度お会いして以来だったのだけれど、ちょうど今朝、北鎌尾根で行方不明になった男性 のことでメールのやり取りをしていた。

そしたら、偶然再会。近くアルプス登山に行くこともあって、ジョギングやクライミングに熱が入っているそうだ。

私も何とか続けられるようにしたいな。

スーパークライマーであるモクジちゃんのアドバイスに従って、ボルダリングでアップ後にルートをやってみた。久しぶりというのは本当にキツイ。1本登るたびに疲弊。

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2010年7月21日 (水)

汗だく箱根の山歩き

F山岳会の下見山行で、箱根へ。

 防ヶ沢から駒ケ岳に登り、神山から大涌谷に下りて、姥子まで歩いてきた。

 ルンルン山のお散歩コースのようなところで、想像よりもずっと緑が濃く、よいところだった。

しかし、いかんせん暑すぎる。水は合計3リットル飲んだ。

 お付き合いいただいたのは、同じく会員で、登山面のサポートをしてくださっている山の先輩。私とは親子ほどの歳が離れているけれど、しゃんとしてお元気に山を歩かれる。

F山岳会で学んだことはたくさんあるけれど、そのうちのひとつが、みなさん長い人生のなかで長く長く山歩きを楽しんでいるということ。そのような環境(生活や仕事や、健康状態)を作るのはそんなに簡単なことではない。

 写真は下山後のお散歩で見つけた梵字の書かれた岩。

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2010年7月20日 (火)

山登りドクター→登山靴店巡り

 午前中は自宅で仕事。

 午後から、山に登るお医者さん、頭の中身について研究、臨床、講義をされている方のところへ打ち合わせ+インタビューへ。

 彼女は私にとっては、山登りの先輩でもあり、そしてまた生き方でもいろんなことを学んだ先輩。リーダーシップやチームビルディングというのはどういうことなのか、とか。なやかに軽やかに、芯のある生き方は、灯台の光のように、暗い航路を照らしてくれる。

 その後、マムートの表参道店へ。

 トレッキングシューズはライケルが大好きで、かれこれ4足は履きつぶしただろうという私は、ライケルの靴職人さんたちがこぞって異動したはずの(テクノロジーは引き継がれているという)、マムートの靴を履きに行ったのだ。

 しかし、予想よりも足幅が狭く、合わなかった。

 その後、クリスピーをチェック。

 このあと数日かけて、ザンバランとラ・スポルティバと、スカルパをチェックする予定。

 現在のトレッキングシューズは、ソールが結構減っていることと、そろそろ加水分解が危ないこともあり、買い替えを考えている。

 ほかに、夏にアイゼンを付けて、ガッツリ歩ける靴も探しているのだけれど(手持ちのものは保温性が高いので、日本の夏山で履いたらどうなるか、ちょっと心配)、2足買うだけの経済力があるかどうかも、検討要因。

 ちょっと前までは、○○社の登山靴であれば間違いない、というようなアドバイスができたように思う。靴職人たちが、真面目に靴作りをしている靴のメーカーの登山靴というのは、やはり総合メーカーの作る登山靴よりも秀でていて、靴の作りそのものがしっかりしていた。

 いまでももちろんそういう登山靴はたくさんあるが、しかし、メーカーによってはモデルによる差が大きいところも多いように感じてきた。イタリアなどの本国の工場で作ったものと、アジア工場製のものでは、質の差が大きいのだ。これはスキー板にもいえること。

 とくに初級モデルは価格を抑えたいこともあり、アジア工場製が多く、ちょっと残念な出来栄えのものもある。

 足入れをすれば一発でわかるのだけれど、初心者の人たちにどうやってアドバイスをしたらよいか、悩みどころ。

 夜、先月に引き続き、山岳地域を専門とした気象予報士の猪熊隆之さんの講義を受ける。

夏山での雷について。

 いやはや、本当に勉強になる。ぜひともまた受講したい。

 受講後、友人とふたりで軽くご飯。連休の報告と、今月のイベントの打ち合わせ。互いにちょっと刺激的な連休を過ごしていた。

2010年7月19日 (月)

篭りから戻る

 篭り最終日。

 今日も朝のスタートはヨガ。気持ちがよい。

 一宮で地元の自然環境を守る活動をしていらっしゃるという、高校教諭の方に、近辺の動植物について解説いただきながら散歩をした。

 蓮の花がきれいだった。

 夕方、帰宅。仕事に戻る。

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2010年7月18日 (日)

篭り中日

  篭りの最中の思わぬプレゼント。

  参加者の中に、ニケタンのヨーガ療法を勉強されている方がいらっしゃり、朝、レッスンをしてくださった。

 ニケタンで学んでいる人に会うのはこれで3人目。友人と、先日知り合ったご近所の方に次ぐ。ちょっとした偶然。

 呼吸法が気持ちよい。

 昼過ぎ、竹藪と空を眺めながら、昼寝。

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2010年7月17日 (土)

三連休は篭り

夏山シーズン到来。 

 私にとって夏山のイメージは、どうしても北アルプスの岩のルートや縦走。

 そんなところで遊んでいる人たちから写真やらメールやらつぶやきやら、多数届くけれど、私は海辺の某所へ。この三連休は篭り。いったいどうなることやら。

 まずは篭る前に、玉前神社へ。

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2010年7月16日 (金)

ROCKLANDSの日

 午前中ランのあと、クライミングジムへ。

 以前、高速代をかけながらも、週2回も遠方のジム(パンプ1)に通っていたというのに、いまではもっと手軽にジムに行ける環境ながらも、全く顔も出さず……。

 久しぶりのジムクライミングは、とても楽しかった。

 ROCKLANDSは友人がいうように、雰囲気が明るく、スタッフの方々も明るく親切で、とってもよかった。

 以前、ご家族ぐるみでインタビューさせていただいた、羽鎌田さんもニコニコと迎えてくださるし、本当にいいところだった。

 今回はボルダリングしかしなかったけれど、課題も面白かった。

 途中、近所のギャングたちがやってきて、モンベルの川遊び用のシューズを履いて、次々登っていく姿は、なんともほのぼのしていた。

 モクジちゃんの助言によると、ルートも面白いというので、今度はロープとハーネスを持って来よう。

2010年7月15日 (木)

チクセントミハイを語り、ウィングで登っていた25歳

午前中は在宅仕事。

夕方、ヤマケイへ。さっそく暗礁に乗り上げている連載について、ライターメンバーと編集長とミーティング。この連載「山での「ケガ」「病気」、その実際」は、ページ数には関係なく取材がとても大変。登山中の事故を扱う取材がどれほど大変かは、誰でも想像できると思うが、本当に大変。取材者を探し出すことも、取材を依頼することも、私の場合、ほかの取材よりはるかに大きなエネルギーを使う。

死亡事故の場合は、遺族に会いに行くのでなおさらだ。無事生還できた例であっても、当人は心にも体にも傷を負ったわけだから、その心中を想像するに、相応の覚悟をもって会いにいかなければならない。しかし、これは当然のこと。

本来、どんな取材でも同じことだと思う。

ほか、今回の連載はで、事故後の治療やリハビリにも焦点を当てているため、主治医や関連病院への取材もあり、これも短時間でさっさと行えるものではない。

ということで、ライター3人で回している連載であっても、なかなか大変。秋以降に連載を開始するための、作戦会議を行ったのだ。

そのあと、もう1件打ち合わせ。

夜、ジンパ(ジンギスカン・パーティ)に合流。

某アウトドアメーカーの店長ふたりに、新入社員の若き女性と私というでこぼこメンバー。

25歳の彼女、なんと、大学院でチクセントミハイのフロー理論とクライミングの関連性を勉強していたのだという。なんとまあ。

クライマーでフロー理論に興味を持つ人は多いのではないかと思う。

さらには、かのwingを知っていて、岩と雪を読破していて、クライミング・ジャーナルも読んでいて、さらには戦前の岩登りの教則本の話まで出てくるので、いったい全体、どんな子なんだろう?と興味深々。

あまり計算が得意ではない私は、「ええ? ウィング? 生まれていたの?」と言ってしまったほど。

近く転勤になるということなので、我が家の近くに引っ越してくるよう、勧誘中。

2010年7月14日 (水)

展示会巡り

 朝、東京駅でと待ち合わせ。山やいろんな会やスキー場など、ところどころで会ってはいたけれど、こうやって時間をしっかり取って向かい合って話をするのは、おそらく彼がエキストリームスキーのワールドカップを回り始めたころ以来だろう。約10年前のことだ。

 当時、やんちゃな男の子のようだった彼は、いまでは立派な大人になり(いいや、当時から立派な大人だった)、見事な風格である。

自分自身のことだけでなく、自分を取り巻く環境のこと、登山のこと、日本の登山社会のこと、いろんなことを深く考え行動し続けてきたからこその、実力だろうと思う。

以前も日記に書いたことがあるが、1977年生まれは、日本の登山社会では黄金の年だ。まぶしいほどの活躍をしている人たちが何人もいる世代。

ちょうどそれより10歳年上の私は、自分のふがいなさを感じながらも、いまからでも遅くない、しっかりがんばろうと思うのだった。

2時間のインタビューはあっという間に終了。学ぶべき生き方に触れた。

午後、モンベルの展示会へ。

最初に仕事の話をしたあとは、展示会場を見て回った。噂に聞いていた大型ザックはいい仕上がり。シンプルだし、フィット感もよさそうだし、値段もこなれている。ほか、ウエアもいろんなチェンジがされていて、面白そう。ライフリンクも加わっていたので、ポール、シェベル、プローブをチェック。

その次は、マムートの展示会場へ。以前広報担当のユミコさんから、マムートのからーリングは、自然界からインスピレーションを得て決めていると聞いたが、色鮮やかなウエアが並んでいた。ウィメンズも充実。

その後、もう少し展示会周りをする予定が、個人的事情でいったん退散。

夜、再び東京に戻り、展示会のために大阪本社から上京中のM社の面々の飲み会に合流。

気軽にいつものメンバーと思って出かけて行ったら、テーブルが大きく上司の方々も大勢いたし、びっくり。なかには、10数年前に大阪・本町で一緒に飲んで以来の方もいたりして、懐かしかった。

最後まで残ったのは、20年来の遊び仲間。いつかまたこのメンバーで登れる日が来たらうれしい。

2010年7月13日 (火)

母校へ

 朝イチで、スシルさんのところへ行った。

 本来アユールヴェーダはセサミン・オイルでやるのだそうだ。しかし体中、髪の毛もそして服も全部ごま油臭くなるということで、今日はティー・トゥリー・オイルを使った。

 スシルさんの妻であるmimoさんによると、ティー・トゥリーは、スシルさんの国インドでは、ニームという樹木の香りに近いそうだ。

 午後イチに母校へ。1時間ほど仕事の打ち合わせ。

 その後、都心のカフェで仕事をして、夜は、エッジな会の打ち合わせ。

 今週は、外出ばかりの日が続くので、移動中や合間のカフェで、雑仕事や原稿書きを進めていかなければならない。

2010年7月12日 (月)

サーモンアームの友達

赤岳のキバナシャクナゲは固いつぼみだったけれど、木曽駒ヶ岳では咲いていた。木曽駒ヶ岳はナナカマドの花も咲いていた(写真)。

昨日の衆院選で、若いころの友人がついに国会議員になった。大阪からのトップ当選なので本当にすごいと、当時の友人たちは驚き、そしてお祝いや激励(本当にこれからが大変なのだろうから)のメールやツィートが行き交った。

外務省で中東問題について扱っていた彼が、国政に携わろうと決意したのはいつだったのだろうか。最近は直接話すことは少なく、つぃったーでお話ししていた程度だった。

この仲間は、彼らが大学生のころ、私が確か結婚して数ヶ月だったので25歳のころ、一緒にUSへ行き、タコマやシアトル、それとカナダのBCにあるサーモンアームというところで、1ヶ月弱を自然環境に関するボランティアをしながら過ごした。

私のチームが滞在したサーモンアームは何にもないところで、ここでひたすら毎日、川を眺め、森を歩き、植林をしていた。1日の作業を終えて宿舎に帰ると、シャワーを浴びて、当番でご飯を作り食べて、そして星の光しかない夜空の元、たき火をしていろんな話をしていた。ヨーロッパやUS、カナダ、南米などから同世代が集まっていたので、いろんなことがあった。

ネイティブかナディアンの居住区であり、地元の彼らと交流したり、そこで起きている社会問題について学ぶ機会もあった。

サーモンアームで毎日一緒にたき火をして夜空を仰いでいた友人は、「最近は足踏みしてばかりだ」と言っていた。彼の仕事はクリエイティブでありながらも、大きな会社に所属するので、思うように進まないことも多いのだろうか。

けれど思った。足踏みは辛いけれど、足踏みはまだよい。私は最近の自分の仕事ぶりを振り返り、足踏みどころか後ろ向きに歩いちゃったんじゃないかと反省することしきりなのだ。

人生の折り返し地点。悩み多き世代。

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2010年7月11日 (日)

木曽駒ヶ岳から降りてくる

木曽駒ヶ岳に初登頂したのが誰であるのかは不明瞭だと聞いたことがある。

しかし、木曽義仲が空木岳の北側鞍部を越えたころやその後の山岳信仰の時代から、木曽駒ヶ岳の上松ルートというのは知られていたそうだ。

それは、ウォールター・ウェストンが1891年に、上松ルートを辿って木曽駒ヶ岳に登頂し、伊那谷へ下ったことにより、それまで信仰対象だった木曽駒ヶ岳が、一般の人に広く知られるようになるずっと前のこと。

つまり、上松ルートというのは、木曽駒ヶ岳を象徴する歴史ある登山道なのだ。

今日はその上松ルート上にある伊那前岳をピストン。ちゃんと調べたわけではないけれど、おそらくふもとの伊那から見上げると、前方に見えるピークなのだろう。

その後、雨に降られる前に下山。 

ロープウェイ駅周辺では、ミネザクラがやっと花を咲かせていた。ナナカマドは雪渓に近い位置ではまだまだ芽吹いたばかり。雪渓から少し離れると白い花がついていた。

バスで再び新宿に戻る。道中は、いつもボランティアで参加してくれる大学山岳部の女性部員たちとおしゃべり。まったくウチは部員がゼロになってしまったが、彼女たちの部は10人いるそうだ。なんだか、楽しそう。

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2010年7月10日 (土)

花崗岩の木曽駒ヶ岳

 本当に久しぶりにやっと参加できたF山岳会の月例登山。

7月は1泊で木曽駒ヶ岳へ。梅雨の晴れ間とはまさにこのこと。驚くような青空の中登った。稜線は風が強くて寒かったけれど、木曽駒ヶ岳を往復して、天狗山荘泊。

メンバーの中に、鉱物にも詳しい元化学の学校の先生がいらっしゃる。木曽駒ヶ岳を形成しているメインの岩石である花崗岩について、簡単な話があった。

花崗岩といえば、岩登り。クライマーにとってはなくてはならない岩である。

かねてから、なぜ、燕岳の花崗岩があのようにもろくて、それよりも古いヨセミテやヨーロッパアルプスの花崗岩が硬いのかよくわからなかったので質問してみた。やはり、地表に出てからの環境が多きく影響するようだ。とくに日本のような高温多湿のなかでは、花崗岩も風化するスピードが速いそうだ。

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2010年7月 9日 (金)

山に登るお医者さんに会いに行く

 昼ごろ出発して、栃木の病院に勤務する循環器ドクターのK先生を訪問。山に登るお医者さんだ。

 K先生は今年、秋田の病院から栃木に戻ってきたばかり。これまで何度か彼の病院を訪ねたことがあるけれど、考えてみると、全部違う病院だ。

 秋田のときは、病院近くのご自宅にも泊めてもらった。

 玄関を上がってすぐに目についたのが、ケースに入ったチェロ。しかもハードケースにはドイツのいろんな都市のステッカーが貼ってあった。とても観光地とは思えない都市ばかりだったので、これは演奏旅行で訪れた先に違いないと聞くと、奥さまはチェリストさんだった。

 しかも、彼女がまだアマチュアだった時代、私が所属していたオーケストラと近しいオケに彼女はいて、お互いに定期演奏会のときにはトラ(エキストラ)で出ていたのではないかという話にもなった。間違いなく、彼女は私たちの演奏会のとき、乗ってもらっていたのだろう。

 という不思議な縁もある。

 今回はそんな奥さまやかわいい娘さんたちには会えないまま東京にとんぼ返り。

2010年7月 8日 (木)

夜の池袋

 押しに押して、どうなるかと思った仕事を何とか切り抜け、夜の池袋へ。

 せっかく楽しみにしていた山岸尚将さんの講演会自然いっぱい家族とも行ける海外フリークライミングの旅には、間に合わず。

 彼は最近を『教科書になかった登山術』 出版したばかり。土曜の出版記念講演にも行けないけれど、今日の講演もとても楽しそうなものだったのだ。

 会を終えて帰ってきた、まさみんと駅前で待ち合わせ。

 様子を聞くと、とってもよかったと。何がとってもよかったのかもっと詳しく話を聞きたかったけれど、それはまた今度にするか……。

 おそらく断片的な言葉から想像するに、山岸さんたちの、クライミングに対する深い愛情とか姿勢のようなものだと思う。

 深い愛があってこその、潔い姿勢なのだ。ああ、話が聞きたかった。

 今晩もMJリンクの打ち合わせなど。

 互いに率直に意見交換できるのがいい点だと思うけれど、果たして私たちは出会ったころはどうだったのだろうか、と二人ともいまとは違う職にあり、仕事上で出会った時のことや、その後岩登りやスキー登山に一緒に行った時のことを考えた。

 そして、もう8年ぐらい前にヒマラヤに一緒に登りに行ったとき、サミットプッシュに使うギアのことで携帯電話に連絡が来て(つまり意見のすり合わせが必要だったのだ)、私は代官山の道を歩きながら、その電話を受け取ったことを思い出した。 

 未熟なことばかりだけれど、長年付き合ってくれる友人がいることはとてもありがたく、感謝してもしきれないのだと再確認。

 

 ところで今晩入った中国料理屋。通りがかりだったけれど、メニューを開くと四川料理が数点あった。店員の話す中国語が四川語にも聞こえた。それで思い切って、大好きな四川料理のひとつ水煮牛肉をたのんでみたが、これはダメだった。

 もし四川人ならばしっかり気合いを入れて作ってほしい。作り方からして、なっていない。

 成都に住む友人兄弟のお母さんは、私にとっては中国の母のような存在で、ひょっとしたら友人兄弟よりも彼女のことを近しく思っているかもしれない。彼女から教わった四川料理のレシピは、回鍋肉と太刀魚の料理だけだけれど、これはちゃんと水煮牛肉についても教わろうと思った。

 東京のレストランの四川料理には期待できないのだから、自分で作るしかない。

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2010年7月 7日 (水)

最近仕事で嬉しかったこと

仕事とランの日。 

先日、八ヶ岳を早歩きしたためか、10キロがあんまりきつくない。

ゆっくりペースだけれど。

最近の嬉しかったこと。

少し前に一緒に仕事をした編集者の方が、いつもまにやらアウトドアや山歩きに興味を持ち始めたようで、本を買ったり、この夏はご家族でキャンプを考えているとのこと。彼は途中から本の編集に携わってくれたため(コトが遅々として進まないために、強力な人材として現れたのだ)、お会いしたのは1回だし、短い期間の仕事だったけれど、おそらく誰よりも私の原稿を読んでくれていたのだと思う。

「柏さんの初級者に向けたテキストが、僕にはちょうどよかったんですよ」と。

 もうひとつは、その時一緒に仕事をした絵描きさんから、とっても素敵なお便りをいただいたこと。手書きの文章もチャーミングで愛あふれるたくさんの絵も、心にしみた。

 彼女とは、もう少ししたら一緒に山を登る日が来るだろう。

 こうやって仕事が終わったあと、また会いたいな、これからも一緒に仕事をしたいなと思える相手と出会えることは、本当にこの上ない宝物。

2010年7月 6日 (火)

肩と若返りに効いたヨガ

 昨日浜辺でお見かけしたDサマのブログによると、たばこのフィルターを捨てた場合、消えてなくなる(自然にかえるという意味か?)までに、2.300年かかるそうだ。御宿もほかの海水浴場同様、悲しいことに海水浴シーズンになるとごみがものすごく増える。量が増えるだけでなくて、ごみの内容も変わる。

 たばこの吸い殻がものすごくたくさん落ちているのだ。私が拾えるだけで、100本なんて優に超すだろう。「プロを返上し」「世界をめぐる」と宣言したばかりの、女子高生サーファーのイチゴちゃんは、海に行くと必ずごみ拾いしているけれど、これは私も見習わなければと思った。

 そうしなければ、お世話になっている御宿の海もごみの山だ。

 湘南の海は指定場所以外禁煙になった。そのニュースを聞いたかなっぷは、「禁酒にもすればいい」と言っていた。

 海に来ても、波乗りや泳ぎをする人ばかりではなく、浜辺でくつろぐために来る人もいるだろうから、禁酒はかわいそうかもしれない。

 けれど、『海・山・キャンプ場で アウトドア救急ハンドブック 』 の監修をしてくれた、私の海の先生イマちゃん(今村直樹さん)が、夏の海水浴場でライフセービング活動をしていると、救助した人の多数が酔っぱらっているという。酔っぱらって溺れるのだ。

 こんなバカな話はない。

 夕方から、とMJリンクの夏の東京MTG(7/27@モンベルクラブ渋谷店)の内容について、 SHOKOさんと打ち合わせ。

 自分の中では当たり前のように決めていたことが、他者と話すと違う方法もあるんだと気づかされるので、面白い。

 そのまま、SHOKOさんのヨガクラスへ。

 肩回りをガッツリやった。右と左の動きは明らかに違って、けがってこんなに長引くのかと悲しくなるけれど、できることとできないことが目に見えてわかるのでよい。

 若返りのポーズもたくさんやった。

2010年7月 5日 (月)

洗濯機のなか。

 早朝から午前中は仕事。午後から御宿でサーフィンの予定。

 昼ごはんを、新生「あまからや」@勝浦で食べるべく、茂原経由で車を走らせたあと、直接勝浦へ下りていく道を選択。

 店の前に車を停められるかと言ってみたが、先客の車や複数のバイクがあってダメ。バイクのお客さんなんて珍しい。何かの雑誌に載ったのか。

 店内は一気に倍以上の客席数になっていた。テーブル席がいっぱいだったので、板の間に上がったため、お店の人たちとの距離が離れちゃったような。メニューは変わらず。厨房がよく見えるようになったことも、大きな変化。

 御宿の中央で入ってみるが、いきなり巻かれに巻かれて、まるで洗濯機の中のようになった。世界のトモコさんからいただいた名誉ある(?)名前「ショルダー・クィーン」の名は返上できるほど、波のピークにいたし、タイミングも悪くなかったと思ったのだけれど、ちょっと私には大きすぎる波だったのか。その上途中からビビってしまったのがよくない。しっかり乗れたら快感だっただろうに、奈落の底に突き落とされた気分。

 めげた。

 後半は、イジイジと浜辺でひとり遊び。散歩したり、貝殻を拾ったり、自分で考え出したマドレーヌ体操(マドレーヌのようなものを砂でたくさん作ってやる体操、肩のリハビリになると編み出した)をしたり。

 浜辺を歩いていると、Dサマが海から上がってきた。一生の不覚。海にいるときにどうして気づかない? ライディングも見たかったな。ご近所住まいだけれど、なかなか会えないのだ。

2010年7月 4日 (日)

下駄は女物を

 新調したパソコンの再設定。

 メールソフトがどうしても動かず、四苦八苦。やっと送受信できるようになったが、気になる点もあったりで、まだまだ環境整わず。

 千葉に住んでいる成都人の友人とメッセンジャーでおしゃべり。成都の友人スースーに送る約束をしている下駄について相談。

 スースーはもう何年間もずっと、下駄がほしい、ほしいと言っている。彼女の父や叔父(←私の友人たち)が日本に来るたびに、彼らは成田に着く直前に、「スースーに下駄を頼まれていたのに、買い忘れた」と言うのだ。

 そろそろ、彼らに頼ることをあきらめたほうがよいと悟り、私から直接送ることになったのだ。

 下駄はつっかけて履くものだけれど、そのような履き方に慣れていない外国人にとっては、足裏が全部台座に載るサイズを選んだほうが無難なのだと、私は考えた。

 しかしプロのモデルとして国内外で活躍している長身の彼女は、足のサイズも大きく、全部の足裏を載せるとなると、男物の台座になってしまうのだ。

 男物の台座は、女物と違って角ばっていて、ちっともかわいくない。

 成都で一緒にレストランに入ると、店中の人が彼女に注目するほどの美しい顔立ちと身長180センチ以上のプロポーション……もちろん、かなりのおしゃれさん。そんな彼女に角ばった男物の台座の下駄を送るのも、気が引ける。

 友人のコさんに相談したら、「それは、絶対きれいなほうがいい」と。

 ここ数日の悩み解決。

 パープル色の花柄の鼻緒に女物の台座で注文。

 

 写真はガスっていて風が強くて寒くてしかたなかった文三郎尾根に咲いていたシャクナゲ。

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2010年7月 3日 (土)

赤岳1dayハイキング

美濃戸口に車を停めて出発。南沢に入って行者小屋へ。雪のないときに南八ヶ岳に来たのは、先月の硫黄岳が初めて。南沢も南沢大滝へのアプローチでしか歩いたことがなかったけれど、緑がとてもきれい(写真)で、いい道だった。もっと走るつもりが、体が動かない……走れない。

 タンネの森はもう少し快調に足を運ぶつもりだったのに、全然ダメだった。

 行者小屋でひと休み後、文三郎尾根へ。だんだん早歩き状態も怪しくなり、やがて赤岳山頂へ。風が強く、ガスっていて寒くてかなわない。ともかく展望荘まで下りようとコマを進める。天気は少しずつ悪化している様子なので、硫黄岳への縦走は止めておくか。

 赤岳から地蔵へのくだりは、雪の時期もスリップしないよう緊張して下りるが、雪がないともっと歩きにくかった。

 年々崩壊が進んでいるとは聞いていたが、ガレていてスラビー。

 稜線の小屋で暖かいコーヒーでも飲んでからガッツリ下ろうと思ったものの、それもかなわず……シクシクシク。

 そのまま地蔵尾根を下る。こちらも崩壊が進んでいるようで、はしごが架け替えてある個所もあった。

 行者小屋をかすめて、中山乗越を越えて、赤岳鉱泉小屋へ。

 来月またおじゃまするので事情を話して、小屋内部の写真を撮らせてもらったのち、コーヒーを購入。のんびり休みすぎなほど休んでから、美濃戸口へ下山。

 鉱泉でののんびりタイムを入れて、合計7時間30分。

 改善すべき点は、このような早歩きハイキングの場合、マイカーではなく公共交通機関を使っていったほうがよいということ。第一の理由は、ともかく帰りの運転がツライ。第二に、終バスなどの制限があれば、最後のダッシュもやる気が起きるということ。今回の林道はかなりだれていた。

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2010年7月 2日 (金)

車内泊暑すぎ。

 予定とは全く違う。美濃戸口まで行く予定が、初狩SAにて沈殿。。。

 まったくもって手前すぎる。けれど、もう無理。

 しかも、車を停めた隣が、エンジンつけっぱなしの大型トラック。エンジン音が暑くて窓を開けられず。ものすごく暑くて湿気のある車内で、辛うじて就寝。

2010年7月 1日 (木)

エッジな打ち合わせ

 高田馬場にあるカモシカスポーツ閉店後、店内でミーティング。9月に行うエッジな会の打ち合わせ。

 広報について、資金繰り、講演者のこと、構成など。

 みなさん、仕事などお忙しい方々ばかりだけれど、8人も集まってくれた。

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