ヤマケイJOY夏号
アミノバイタルのタイアップ記事を書いた
『ヤマケイJOY夏号』が届いた。発売はおそらく、先月末ごろと思われるが、まだまだ店頭にあるので、ご覧下さい。
後半にICI石井スポーツのカタログが合本されているお得本。
アミノバイタルプロは、もっとハードに山を登っていた時期や、海外登山を頻繁にやっていたころはよく飲んでいた。いまでも、クロスカントリースキーレースのときなど時々飲む。私には効果が感じられる、便利なサプリメント。週末も飲んでみようかな。
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アミノバイタルのタイアップ記事を書いた
『ヤマケイJOY夏号』が届いた。発売はおそらく、先月末ごろと思われるが、まだまだ店頭にあるので、ご覧下さい。
後半にICI石井スポーツのカタログが合本されているお得本。
アミノバイタルプロは、もっとハードに山を登っていた時期や、海外登山を頻繁にやっていたころはよく飲んでいた。いまでも、クロスカントリースキーレースのときなど時々飲む。私には効果が感じられる、便利なサプリメント。週末も飲んでみようかな。
『田部井淳子の あんしん! たのしい! 山歩きお悩み解決BOOK』(毎日コミュニケーションズ・1980円)が発売になった。 昨年放映されたNHK教育番組『趣味悠々 山で元気に!田部井淳子の登山入門』を完全収録したDVDが付録についてくるというお得本。
ムック本のほうは、趣味悠々のテキストを離れ、新たに作った。監修は、NHK出版同様田部井淳子さん。登山のあれこれについての基本的な部分をQ&A方式で書いた。構成と文を担当したのが私であるが、この本の豪華な点は、『山登りはじめました めざせ!富士山編』の著者としても大人気の鈴木ともこさんが、全ページにカラーイラストを描いてくださり、さらには短編マンガまで描いてくださったこと。
昨年冬に、この本の企画が持ち上がった最初の編集者との打ち合わせのとき。
ストーリー性のあるイラストを描ける人、マンガも描ける人に描いてもらいたいという話があった。山について描けて、しかもできれば女性がいいのだという。
「そうであれば、鈴木ともこさんでしょう!」いう意見は編集者と私の間で即座に完全一致。他に考えられません。
ともこさんには、とってもお忙しい中無理をして描いてもらった。私は、ともこさんと山はじの大ファン なので、ご一緒でいて幸せ。
願わくば、また別の形で仕事をご一緒できれば、もっと嬉しいし、いつか山にご一緒できる機会もあるかもしれない。
さてこの本もまた、最後の最後まで大変なスケジュールだった。いいや大変なのはいつも編集者さん(と印刷所さん)。書き手の私は、彼らがいてくれるので、なんとも安心してやっていられるのだけれど。
ふたりの編集者さんが、がっつりとフォローしてくれて、できあがった。
ありがとうございました。
ものすごく汚くなったままの車を洗いに、近くの洗車場へ。日差しが強くなってきて、汗だく。
その後、余命いくばくもないと感じているパソコンの後継選びにヤマダ電機へ。即決購入。
さらにその後、映画『告白』を観る。テーマが理解できないわけではなく、なぜこの映画を作らなければならなかったのか、どうしてこのような表現・伝達方法を選んだのかわからなかった、というと、夫に「映画は、そうやって観るものではない」と言われた。
夜、随分前に書いた原稿の掲載誌が届かないことに気づき、担当者にメールしてみる。先日、同業のライターさんが、掲載誌が届かないことなんてしょっちゅう、と書いていた。原稿料は入るのだろうか、なんだか心配になる。
今日は外傷関連の机上講習と実習。WFAを受講していたために、傷病者発見からアセスメントをして、対処する方法はある程度身についていることがわかった。けれどもっと精度を上げた方がよいし、複雑なシナリオトレーニングを繰り返す必要があることを実感。
時々お見かけする、あのベタベタした医療用ギプス包帯。これをギプスとしてではなく(ギプスとして巻くのではなく)シーネとして使う方法を実際にやる。写真はそれで脛の骨の骨折と足首骨折を固定した例。
簡易副木として、WFAのトレーニングではアルミ製の板を使っていたが、これは日本で販売されていない点が大打撃というか……実際的ではない。いつもはサムスプリントを持参するが、サムスプリント1枚だけでは柔らかすぎて使えない。他にも添える必要がある。
というように、山に持っていく簡易副木には適当なモノが見当たらない。もちろんいつももっていくわけではないけれど、とくに人を引率するときは必携となっている。
今日使った医療用ギプス包帯は、サムスプリントよりも固定力があり、便利。難点は水が必要なことと、一般販売されていないことか。
使い方は、今日実際のもので3回位トレーニングした(つまり3袋使用)ので大丈夫だろう。
若い山岳ガイドさん達が、自分達の仕事やクライミングだけでなく、登山社会全体のことを考えている点、山岳ガイドという職業について広く深く考え行動していることを、この講習で知ることができ、とてもよかった。文句だけ言っていても仕方がなく、動かなきゃしょうがないのだ。
(社)日本山岳ガイド協会 が主催する、山岳ガイド向けのファーストエイド講習会に参加させていただけることになった。
今回に限り、ガイドだけでなく一般にも門戸を開くので、ぜひおいでよと、『感謝されない医者―ある凍傷Dr.のモノローグ』の著者であり、凍傷になった登山者であれば泣く子も黙る金田正樹先生にお声をかけていただいたのだ。
1日目は、登山の運動生理学、心疾患、脳卒中、緊急度の見極め方、低体温症、凍傷に関する講義を受ける。CPRとAEDの実習もあった。
ガイド以外で参加しているのは、私以外に某大学山岳部の学生さん7人。うち1年生の女子部員がひとりいる。
九州から大学入学と同時に上京したばかりだそうだ。高校でも山岳部であり、小さい頃から家族と登っていたというが、それと大学山岳部は大違いだろう。
同室の女性が「男性部員の中で大変でしょう」というと、「何もかも同じなんで、大変です」と。「そうよね、荷物も歩くスピードもね」と一般的な応えをすると、「はい、食べる量も一緒なんで大変なんです」ときた。かわいすぎる。けれど、その気持ち、わかるっ!
先日の合宿では平蔵谷から剱岳に初めて登ったと嬉しそうだった。
男子部員達とは、CPR+AEDの実習で一緒になった。細かな点に気付きながら、部員を指導していく先輩もいて、なんて頼もしくきちんとしているのだろうと関心。
夜の飲み会では、ある上級生が、(日本酒・立山を飲み出したら急に)将来のビジョンを語りだし、若者って本当にいいなあと、素直に単純に羨ましく思った(あるいは、ちょっと飲ませすぎたか)。
いろんな可能性がいくらでもたくさんあって、将来が輝いて見える時期であって、本当にこれからが楽しみな世代。どうぞどうぞぜひとも、充実した山岳部生活を送ってもらいたいと、心の底から応援したくなった。
写真は、使い捨ての紙製の体温計。舌下で測るもので、大体の体温しかわからず、低体温症では使えず。3Mのファーストエイド関連製品は幅広く、質もよく、なくてはならないメーカー。
夜、NHK出版や印刷所の方々と渋谷集合。
『田部井淳子のはじめる!山ガール』 の重版が決まったお祝いの飲み会。企画が上がったのは早い時期だったけれど、最後はかなりのスパートをかけて仕上げた本であり、編集部と印刷所は、最後の最後まで本当に大変な仕事だったのだ。 本の出来とは別の問題で、この仕事を終えて大きな財産となったのは、色んな方々とお会いできたこと。今後も機会を作って、仕事でご一緒したいし、またプライベートでのお付き合いもスタートしそうな予感が、とっても嬉しく楽しみ。
昇進というおめでたいニュースがふたつもあったけれど、一方でおひとりの方が異動されることも聞き、とってもショック。またすぐに仕事をご一緒できると思っていたのに、寂しい限り。けれど、バイクに乗って、御宿の我が家にも来てくれそうだし、寂しいのはがまん。
楽しいお酒の席だけれど、「もう時間だよ」と言われて、慌てて赤坂へ。ダッシュして夜行バスに乗る。3列シートなので期待したけれど、やっぱり高速バスは値段次第だな。富山まで6000円だと、リクライニング度やシートの質は期待してはいけない。
夫が泊まりで山に行ったので、のんびり自分ペース。仕事も日常も全部自分のペースで進められる貴重な日。
朝ご飯は、山友達のJちゃんからいただいたオリーブオイルを、パンにつけて食す。Jちゃんが、「パンも焼くんですか、すごいですね」と言ったけれど、焼いているのは私ではなく、パン焼き機。ちっともすごくない。
こんな美味しいオリーブオイルは初めて。青々としたオリーブの香りがほのかに漂っていて、すっごく美味しい。
仕事場の大掃除と家じゅうの大掃除。
昼頃、ある登山家に、出演交渉のために電話。
あれやこれや30分以上話しながら、これを頼む相手は彼でなかったことを教えてもらった。「俺じゃないよ、この役」と。
そして、一緒に企画について考えてくれたり、トラッドクライミング何たるかを教えてくれたり。彼自身の気持ちを聞かせてくれたり。
ありがたい。こういう感謝してもしきれないこと、恩返しのしようもないことが、ときどきある。すべて、他者に助けられてのこと。
会話の中で、「トラッドクライミングについて語れる編集者っていないよね」とでてきた。私はライターだけれど、登山のことを専門に書いているわけで、あんまりの自分の力不足に言葉もない。「外国にはいそうじゃない?」と。そりゃいるだろう。間違いなくUKには。
友人が我が家に置いていったネパールのウィスキー「MOUNT EVEREST」を梅酒にした。色々考えたが……ネパールのウィスキーについては、それなりに経験がある私としては、友人には悪かったが最善の策だったと思う……。
あとで報告しておこう。
大きな仕事が色々片付き、ちょっとした端境期。
朝の新鮮な脳は吸収力も高いので、朝起きてすぐに目にする(あるいは読む、聞く)ものが、自分が欲しているものや良質なものであった方が、よいだろう、ということが本に書いてあった。
朝起きて、お茶を飲んですぐにパソコンを立ち上げて仕事をし続けなければならない時期もある。ときには毎朝5時に起きて仕事をすることもある。
けれど端境期ぐらい贅沢させてもらおうと、最近は読書。窓を空けて朝のまだ少し涼しい空気を取り込み、お茶を飲みながら、山の本をいくつか読んでいる。ほとんど再読のものばかりだけれど、UKのクライミング雑誌は新しく読むものばかり。
クライマーの心の内を垣間見るような本や雑誌の記事ばかり。
報告が遅れました。モンベルの『OUTWORD』No.48の連載「セーフティ登山でいこう」は、水分補給についてです。モンベルクラブ会員の方々、ぜひご覧ください。会員でない方は、モンベルの各店舗で会員になれます(有料)。
次号は連載最終号。リスクに関する総論のようにできればよいのですが。
早朝の高速バスに乗って富士山麓に行く予定だった。昨年受講したWFA(ウィルダネス・ファーストエイド)の受講生たちが集まって、復習を兼ねた勉強会をするのだった。講習の主催者であったFUJIYAMA-GUIDESの省二くんたちが、こういう機会を作ってくれたのだ。
しかし……昨晩は寝苦しくて眠れず(こんなことはめったにないのに)、おまけに朝起きたら、超絶不調。悪寒と高熱の予感と、それといろいろ……。とても起き上がれず、欠席してしまった。
WFAのトレーニングは、繰り返しシナリオをこなすことだろうけれど、同じようにトレーニングを受けた人とやるのがベストだから、本当に貴重な機会をのがしてしまった。
夜、いただいたメールによると、7人が参加したという。多くが山岳ガイドさん達で私よりはるかに優秀であることは間違いないが、それでも忘れていることが多かったという。
私も、とりあえず、誰でもよいから友人と一緒に勉強会をしてみようかと考える。
体調は午前中のうちになんとかなってきて、机に向かってヨロヨロ仕事を始めた。
夜は、メテオテックラボに所属する山岳気象に精通した(自らもクライマーである)気象予報士の猪熊隆之さんの「ヤマケイカルチャークラブ山の天気講座」を受講。
会場で予期せぬ再会があった。先日のTNFのウィメンズ・マウンテン・アカデミー に参加してくださった女性が、いらっしゃっていたのだ。アルパインツアーのKさんが、「前回は講師(←私)だったけれど、今日は2人とも生徒」とおっしゃっていたけれど、2人そろって生徒になり、がんばって勉強。
いやはや、充実した内容だとは、受講前から充分にわかっていたことだけれど、こんなにも濃くて役に立つ内容の山の天気講座が、夜な夜な開かれ(毎月1回)、そこに勉強熱心な登山者が集っていたとは、知らなかった。
猪熊さんの天気講座は、毎月のヤマケイの連載と同じテーマで開かれている。今月は、7月号の238-239ページをご覧になればわかるが、「夏山での遭難 疲労凍死に陥りやすい気象状況」がテーマだった。
2002年6月と9月、それに記憶にも新しい昨年7月にそれぞれ北海道で起きた気象遭難事故の際の天気図を題材にし、勉強した。そのあと、同じような気圧配置になった今月の数日間の地上天気図と高層天気図を題材にし、それぞれが北海道と本州のある山での天気予報を立てた。
久しぶりに焦って、高層天気図をにらんだ。山の天気予報というのは、おもしろいな。街の天気を予想するときの要素に加えて、山が立地している場所の条件(たとえば日本海に面した山と距離はたいして離れていなくても脊梁山脈では事情が違うだろうし)、標高、山脈の走る方向、地形などを立体的に考えながらデザインしていく。
とっても勉強になった。
夕方クライミングジム・ROCKLANDSで、恩田姉妹が「クライマーのためのヨガ」 というクラスをやるというので、参加。先月も、まさみん始め数人の友人達がクラスを開いていたのだけれど、どうしても日程を合わせられなかった。
いよいよ待ちに待った参加という感じで、わくわく。
MJリンク参加者のHさんもご一緒。2人組ヨガでは、Hさんと組み、あれやこれや体が硬いだの、バランスが保てんだの言いながら、楽しく過ごした。
こういう和気あいあいさも楽しい。
まさみんの妹さんでいらっしゃるユカさんには初めてお会いしたが、なんだか雰囲気が全く違うようでそれでもやっぱり似ていて、この二人が並んでヨガレッスンするのは、ちょっとおもしろい。姉妹というのは、どういう感覚なんだろうーと、兄弟姉妹がおらず一人で育った私は、じーっと観察してしまい、かなりうらやましく思った。
ヨガの専用スタジオでない場所で、ヨガをするのを私は結構面白いと思っている。クライミングジムでは、ほかの壁ではクライマーたちが登っているので、「ハッテー」だの「右右、そこ右」とか「テンション」とか色んな声がしているけれど、それもいつしかBGMになっていくのだ。
帰宅後、MJリンクの次の計画を立てるため、いろいろな調べ物や調整など。
そして、明日のウィルダネス・ファーストエイド勉強会に備えて、復習や装備をそろえるなど。あっという間に夜中になってしまった。
早く寝なきゃ。
FeW(Female Eco-trek Workshop)のFew1(机上講習会) に参加。
とてもお客とは呼べないであろう部外者の私を参加させてくれた、FeW及びFUJI-YAMA GUIDES の寛大な心に深く感謝。
FeWスタート時に、「相互リンクしよう」と誘ってもらったとき、なんて魅力的なガイドグループが出来上がったのだろうと思った。女性3人組のガイドグループは他にはないし、何よりもFeWには「より体系的に」「より本質的に「より回帰的に」という3本柱があり、これがFeWを魅力的にし、ブレのないものとしているように思う。
せっかく誘ってもらったのに、FeWを直接知らないのはもったいないと思い、今回は参加させてもらった。
私もこれまで色んな場で苦心しているリスクマネジメントの伝え方については、いろいろ勉強させてもらった。リスクマネジメントは人それぞれ色んなアプローチがあるし、表現方法も多様だと思う。むろん基本的な部分はあるのだけれど、それ以外の部分が大半を占め、しかもその部分こそが面白味があり、また重要な点でもあったりするから。
智加さん(林智加子さん)とさっちゃん(渡辺佐智さん)の明るくてわかりやすい説明に、場の雰囲気もなごみ、素敵な会だった。
FeWでは、今後も街や山でいろんな活動の場を提供しているので、女性登山者のみなさん、webサイトをよくよくチェックしてください。私のブログの右横の「link」からも飛んで行けます。
夕方から、MEDIC First Aidのスポーツ医学サプルメント コースを受講。2005年のガイドラインを反映していない内容であることなどから、USでは廃止されたプログラムだけれど、日本では根強い人気があり、続いているのだという。
USでは、NATAのアスレチックトレーナー向けに開発されたもので、さすがにスポーツマネジメントやスポーツに関する考え方全般を学べてよかった。
ベーシックプロを受講したのは1月。今月は、月曜日のウィルダネス・ファーストエイド受講者達の勉強会や月末の山岳ガイドさんに交じってやるファーストエイド講習会もあるので、この時期にスポーツ医学サプルメントを受講しておけば、基本部分の復習にもなりよいだろうと考えた。
充実の3時間。
ちなみに、USでは、ベーシックプラスの次に、アドバンスやプロといったコースがあり、スポーツ医学サプルメントの内容はこれらでカバーされているのだそうだ。
法律の問題などもあるけれど、いずれ日本にもアドバンスやプロのコースが入ってくるといいなあと思う。
ご案内が遅くなりましたが、6月15日発売の『山と溪谷』 7月号 に、3本の記事を書きました。ぜひご覧ください。
P17
「日本版Wilderness Medicineを考える」日本登山医学会が開催、認定山岳医制度がスタート
5//8-9にみなかみで開催された日本登山医学会のレポート。認定山岳医制度がスタートし、その最初のタスクが行なわれた模様も報告。
P158
図書紹介『初代竹内洋岳に聞く』 塩野米松 著
本当に面白い本。竹内洋岳さんの登山への気持ちが伝わってくるだけでなく、一流のプロフェショナルである竹内さんのフィルターを通して、登山について知ることができる貴重な本。それを書きつくした塩野米松さんもまた、プロフェッショナル。
P186-191
山での「ケガ」「病気」、その実際 第3回脳卒中
3人の登山者の事例を紹介。ほか、登山者の脳卒中に関する概論(危険因子、リスクマネジメント、症状と対処法など)。
ご協力いただいたご本人、ご家族、山岳会のメンバー、主治医の方、ありがとうございました。
今日のお山は、志津倉山。昨日がseasちゃんの誕生日だったということもあるけれど(?)、博士山についてブナが美しいという志津倉山にはぜひ登ってみたかったのだ。
ここも熊の棲み処だろうなあと思いながらも、登山口にある鐘を鳴らして、熊に合図する気持ちで出発……。最初は、穏やかな沢沿いの道を行く。しばらくすると大きなスラブが見えてくる。志津倉山を象徴するこの岩壁。こっちにもルートがあるのだというが、いったいどこを登るのやら。
やがて急な登山道になり、すっぱり切れていたり、クサリやロープで補強のある岩場が出てきたり(スリップは許されません)するあたりは、博士山にそっくり。隣の山だから当然か。しかし、切れた細い稜線は博士山よりも長く続く。
下部は緑が濃くて熱くて汗だくになり、上部はひやひやものの細い稜線。なかなかいい山かもしれない。
今日のウエアは、ザ・ノース・フェイスのショートスリーブベロシティクルー(ウィメンズ) 。これがかなりの優れモノ。こんなに暑くて蒸した日でも、快適なのだ。別に先日、ノースさんの仕事をしたからこんなことを言っているわけではなく、これは本気で気にいった商品。
同じように暑くて蒸した日に、別のメーカーの吸汗速乾性素材のTシャツを着て、あっという間に速乾性が追いつかなくなり、びしょびしょになって、パンツにも汗がしみ込んでいた人をみたことがある。こうも違うものなのか。
夏のTシャツは、ほかにパタゴニアの吸汗速乾素材Tシャツをいくつか使っているが、今夏はパタとノースの2本立てでいこう。
山頂では、朝仕入れた地元の空色caféのチーズケーキを食べて、下山。ブナに濃い緑色が本当に目にまぶしかった。
下山後、林道に停めておいた車で帰りの準備をしていると、地元のおじさんが運転する軽トラが止った。
「どこに登ってきた?」「志津倉山です」「何時に出た?」「9時半ごろかな」「もう降りてきたか?」「はい」「早いなあ」(と言っても、ゆっくり写真撮りながらで3時間弱程度。コースタイムは4時間半)「熊に会わなかったか?」(会ったら今頃大騒ぎしているよ、と思いながら)「今日は会わなかったけれど、昨日会津朝日で足跡とか見ました」「そうか、この辺も熊が多いんだぞ。おれもしょっちゅう見かけるわ」「そうなんですか……」「この山、大した山だと思わんが、週末にはたくさん登りに来るわ」、と会話。
その後、昭和村に抜けて、初めて昭和温泉に入り、苧麻庵で郷土料理を食べていると、雨が降ってきた。志津倉山は雨乞いの山だという。『奥会津山旅』にガイド記事を書いていらっしゃった奥田博さんが、雨乞いの文言を紹介していたので、熊との遭遇を恐れた私は、声を出して歩きたく、その文言を繰り返していたのだ。
夜半からの雨が早まったのは、そのせいか?なんて。
雨のなか、帰路についた。
冬に檜枝岐に通うことが多かった時期があり、いつもは西那須野塩原ICから山王峠を越えていくという話を、八島さんにしたところ、白河ICを使って田島や南郷を抜けた方がずっと楽だから短時間で行けるのでは、とアドバイスをもらっていた。
山王峠はスノーコンディションでは私は運転したくもなくなるし、泣きたくなる。けれどなるほど、白河ICからであれば、私でもなんとかなる。と思い、往路は白河ICを使ったので、帰りはいつもの距離感を確かめるべく、山王峠を越えて塩原温泉へ抜けて行ってみた。あああ、走り屋は好きな道だろうが、ドライコンディションでも気を使う疲れる道だわ。こりゃ、明らかに白河ICの方が早い(値段も高いが)。
今回奥会津を再訪してみて思ったこと。
只見の付近の山は雪食地形で険しいが、金山町辺りに来るとどんと奥会津のど真ん中に来た雰囲気になる。そして西山温泉辺りに来ると、地形が少し変わってくる。ブナも多くなるし、雰囲気も違う。奥会津とひとことで言うけれど、檜枝岐の付近と、南郷では全く雰囲気が違うし、只見も、金山町も昭和も三島もみんなそれぞれ違う顔をもっているように思う。
けれどなぜか、ここはひとつの世界を形成しているような気がするのだ。
それはとても懐かしい雰囲気というと陳腐な言い方だけれど、ときにはブータンの山里を思い出し、ときにはチベットの東と呼ばれる四川省の緑濃い山奥を思いだし、また時にはネパールの山あいを思い出す。
どんな集落にもたいてい一軒は宿がある。温泉が湧き出ているところとなると、その数が増える。これは、まるでネパールのクーンブとかランタンとかカリガンダキのようだ。あそこもどんな集落だろうと、一軒は宿がある。だから泊まることに苦労はしない。これは、移動手段が歩くことだけだった時代(ネパールの山あいでは今でもそういう地域があるが)の名残りだろう。
しかしどうして、こんなに奥会津が独特の世界観を作りだしているのか、もうちょっと考える必要がある。
朝4時45分起床。5時15分宿発。会津朝日岳登山口まで車を走らせ、登山の準備をして、6時から登山開始。ちょいと長丁場とガイドブックにはあるけれど、まあいまから出発すれば十分早い時間に帰って来られるだろう。
……と思っていたが、お戻りが早すぎた。
車の前で準備しているときから、いやな予感がしていたというか、ちょっと気になる気配を感じていたというか。
登山口に入り、小さな木の橋を渡るとすぐに、強烈なにおいが漂ってきた。熊の匂い。ついさっきまでここにいたとしか思えないほど、強烈だった。見ると足跡多数。何頭いたのかは分からないが、明らかに急に体の向きを変えて方向転換したような足跡もあった。ひょっとして、私に気づいていた?
先方が気付いているのだったら、こちらを避けてくれるだろうし、効くかどうだかよく知らないのだけれど、熊スズはもってきているし(カウベルなんだけけれど)、このまま進んでも大丈夫なのかもしれない。
それよりも早く、ここを通過した方がよいのか。
けれどあるいはほかの熊もいるかもしれない……など考えたら、急に登れなくなった。
野性味ゼロのワタシ。
これまでも熊とは何度か至近距離であってきたけれど、運よく大事に至らずに互いに回避してきた。けれど、その時の恐怖心はもうものすごい。足がすくみそうな、震えてしまうような。
ずっと前に、会津朝日岳の沢登りをした時も、強烈な熊の匂いがあったけれど、会わずに済んだ。そりゃそうだ。ここにはたくさんいる。
もっと熊の生態を知って、身の振り方を熟知して、経験を積まないと、私にはこれ以上登れない。情けないけれど、あっという間の敗退。
こうなると行くところもない。
山から流れてくる雪解け水がどんどこと水田に入っていく様子を、麓の集落で眺めながら考えた。
とりあえず只見町の中心地へ車を走らせる。そして、急きょ「撮り鉄」になり、2ヶ所で只見線撮影。けれど、私はやっぱり撮り鉄より乗り鉄かな。今度は奥会津に只見線を使ってやってきたい。
大塩温泉に入ったり、炭酸水が湧き出るところを見学し、炭酸水をくみ上げて水筒につめたりしてから、金山町の「おふくろ」へ。秋の取材でチャーシューロールとチャーシューバーガーの弁当を作ってくれた名店。
明るくて元気なご夫婦がやっている。久しぶりにお会いして、おしゃべりして、看板料理のカツカレーとラーメンがミックスしたものと、あさぎ大根ラーメンをいただいた。あさぎ大根ラーメンには正しい食べ方があるので、そう簡単には食べさせてもらえません。女将さんの指導のを受けながら食べるのだ。
お腹いっぱいになって、沼沢湖で昼寝をしたあと、
早戸温泉へ。ここもまた素晴らしい温泉である。大塩温泉はぬるいお湯で只見川を眺めながらいつまでも入っていられそうだったけれど、早戸温泉はそれよりも高温。けれど、露天風呂の湯船を入ったり出たりしながら、ぼーっと只見川を眺めているだけで満足。
あちこち寄ってばかりではなかなか今日の宿につかないので、コマを進める。西山地熱発電所のPR館見学をしたかったのだけれど、到着したときには閉館していた。しかし、もくもくと水蒸気が高く煙を上げている発電所の現場を柵の外から眺めて、驚いた。
西山温泉で予約した宿は取材の時と同じ滝の湯旅館。親から引き継いだ若いご夫婦が経営している。ここのお湯もとってもよいのだ。滝の湯はふたつの源泉をもっているので、今日だけで私は、4つの温泉に入ったことになる。
美味しい山菜料理や、名物の車麩の揚げ煮、それに坂下が近いので馬刺しもいただく。
あんなに昼寝をしたのに、夜も爆睡。
写真は、只見線と只見川と蒲生岳。
北アルプススキー紀行もちょっと無理ありそうだし、今日の午前は仕事になってしまったし、ということで、行き先は迷わず奥会津に変更した。
午後から車を走らせ、白河ICで降りて那須岳の裏を通りながら甲子温泉を通過しながら、緑の深い道を走っていた。
そういえば、昨年のMJリンクの那須岳に、白河市から一人で車を使って参加した女性がいた。「白河市と那須岳ってすぐ近くなんですよ」と。彼女はどうしているだろう。そんなことも思い出した。
というのも、13日のMJリンクミーティングin東京では大勢の方々に参加してもらえたことはよかったけれど、20人チームで山に行く時と違ってほとんどの人とゆっくり話せなかったからだ。
私がゼロ回とカウントしている昨年の三春以来、遠く会津から参加してくれた人もいたし、那須岳以来1年ぶりの参加だった人もいた。色んな顔触れが、開催前の名簿でわかっていたのに、話ができなかったのが心残りだったのだ。
今回急きょ旅を決めた際に、真っ先に連絡したのは、もちろん、昨年の奥会津仕事をご一緒した(というか仕掛け人の)八島さん。いい宿はないかなど相談したのだ。
気遣いの人である彼は、本当にたくさんの情報を教えてくださった。人に情報を伝えたり、紹介したりするというのはとても手間のかかることだし、その人の財産でもある。深謝。
そして旅の友はもちろん、八島さん作成の地図(取材用に私のために作ってくれた)と、私が巻頭記事を担当した『奥会津 山旅』 のほか、連作の『奥会津 ゆき湯』と『奥会津 食・土産』の3冊。いずれも、八島+籏野さんプレゼンツの作品。これでこわいものはない。
諸々検討の結果、南郷のさかい温泉、さゆり荘 に投宿。
ごく近所にある花泉の酒蔵が既に閉まっている時刻だったことは、とても無念。
とってもいいお湯に何度も入り、美味しい夕ご飯を食べて就寝。
午前は自宅で机仕事。
午後から世界文化社へ打ち合わせ。
夜は、大好きなヨガレッスンのひとつ、SHOKOさんのクラスへ。
色んな顔をもつSHOKOさんとは、今後コラボもできそうでとても嬉しい。
久しぶりに、北穂高小屋の面々とおしゃべり。
横尾本谷を滑るには遅すぎるとわかっているのだけれど、残雪の様子を聞いた。
北アルプスの残雪が多いとは聞いていたけれど、この時期になっても、北穂に登るには北穂沢一本でよいのだそうだ。といっても、この晩からの雨や最近の気温上昇で雪解けはあっという間に早まるから、今後は北穂沢もズタズタになり、南稜と行き交わしながら登らなければいけなくなるだろう。
4月の小屋開けから11月の小屋締めまで僅か2シーズンだけれど通ったが、この6月下旬がルートはいちばん厄介である。ズタズタで傾斜が増した北穂沢をラインを見極めながら進み、落石に注意し、そしてダメなときは南稜に移り……ある程度のルートファインディングと判断力を備えていて、雪と岩のアイゼン技術がある人向きのシーズンだろう。
私も何度か一人で登り降りし、ちょっと心細い思いもした。
山の上のよっちゃんの話では、テラスの基礎工事をしていて、北穂高小屋名物のテラスは生まれ変わるそうだっ! その話を聞いて「え?じゃあ、東稜から上がっていく時にはどうしたらいいの?」と聞くと、「そんなこと聞くの、柏さんだけだよ」と大笑いされた。そうかなあ。
でも、いままで通りちゃんとテラスに東稜からもテラスに上がれるし、もっと下から巻いてもよいのだし、問題はない。
その後夜遅く、北穂高小屋で30年も働いている「あ」さんともおしゃべりした。ことし、50歳になったのだという。けれど、体力の衰えも感じず元気だから、「あと20年はこの生活を続けられる」と。スゴイ……ため息。
私が北穂高小屋に通っていたのは2シーズン足らずであるが、その間、何度か一緒に岩登りの相手をしてくれたり、私にとってはなぜかとても心情的に近しい存在なのだ。
今年は、北穂に帰れるかな。あっという間に近くて遠い存在になってしまった。
今月末発売のムック本を校了し、夕方からザ・ノース・フェイスのプレスルームへ打ち合わせ。
先のと同じような内容のものを、9月4-5日も実施するため、その打ち合わせ。
6月の会の反省をしっかり行ない、私ももっと自分にできることを考え、担当のゆっこちゃんにもアイディアを聞き、話を進めていった。
ゆっこちゃんと知り合ったのは、7年近く前になるわけだけれど、彼女がどんな思いでこの仕事をしているのか、垣間見ながらも、ストレートに聞いたことはあまりなかったように思う。
今回、ここ近年の彼女の仕事の話を聞き、どんな考えを持っているのか理解できて、とてもよい機会だった。やっぱり彼女は渋くて、がっつり体育会系な肝のすわった、行動者。
こういう風に、企業側の方と本音で話せたり、互いがよくなるようにポジティブな意見交換をできたりする機会は貴重であるし、とてもありがたいこと。
その後、2人で神宮前の居酒屋へ。ちょっと前にゆっこちゃんが見つけたというここは、とっても渋くて美味しくて、最初から2人とも冷酒。ぐびぐび飲んで、仕事を離れた話題の炸裂トーク、ぶっちゃけ本音トークをして、あっという間に終電間際。
MJリンクの初の試み、「ミーティングin東京」。
サポーターの自己紹介を兼ねたスライドショーとミニ講座4本、それにヨガとお話会と盛りだくさんの内容。
私はとくに役回りをもたず、全体の企画と調整役になり、他のサポーター達にミニ講座の準備をしてもらった。
ミニ講座の内容は、サポーター全員で集まったり、あるいは一部のサポーターと何度か顔を合わせたりして、内容を練ったけれど、リスクマネジメントに落とし込むところがキモのつもり。けれど、これはなかなか難しい。
先のザ・ノース・フェイスのウィメンズマウンテンアカデミーでも、「自分で判断できるようになるために」(←つまりリスクマネジメントができてこそのことなのだけれど)というテーマも設けたが、なかなか難題。どうやってわかりやすく、役に立つように伝えていくか。
会終了後の反省会+打ち上げでは、「もっと改善できるはずだ」「反省点多々」と連発してしまったことを反省。サポーターのみなさん、とてもよくやってくれて、優秀な人たちなのだから、初めての試みだったというのに、とてもよくできた、というべきだった。
しかし、改善できる点は多々あるので、次回以降バージョンアップしていきたい。
MJリンクの運営は、参加者たちの協力や熱意のほか、サポーター達のボランティアで成り立っている。ボランティアだからこそできること、企業や仕事が絡んでいないからこそ追求できることもあると、私は思っているし、それこそが刺激的なこと、私がMJリンクを続けられるモチベーションのひとつでもある。
MJリンク参加のみなさん、夏以降、サポーター陣はさらに豪華メンバーになりますっ!
午前中は所属山岳会の山行委員会。登山部分のサポーターメンバー達が2カ月に1度集って、今後の山行計画やその他登山にまつわるあれこれを話す。
2時間のミーティングのあとは、医療サポーターも加わった理事会があるので、双方に所属しているメンバーは長丁場の1日となる。
毎回思うのだけれど、ひとつの会を運営するには、本当に多くの協力が必要で、みんな気持ちよくそれを引き受けている姿には、学ぶことも多く尊敬。
私は午前の会だけで終わり、その後モンベルクラブグランベリーモール店 へ。
四角大輔さんと四角友里さんのトークライブ「Yosumi’s“Nomad Life”in New Zealand」 へ。
これまで全く面識のなかった彼らと、先週2日間一緒に過ごす機会があった。その前にの新著『やらなくてもいい、できなくてもいい。』 を読んでおいたことを当人に話すと、2人してびっくりして喜んでくれた。
しかし、新しい人と会うのに、その方の著作を読むのはごく自然のこと。ビジネス書らしからぬ本でとても楽しく読んだのだった。
友里さんも私の著作を読んでくれていたようで、ありがたかった。
トークライブは、ふたりがNZに移住するまで、NZの湖畔でのトレーラーハウスの生活、それに湖畔のトランピングを4日間かけて歩いた話など。
キーノートで作ったという写真をたくさん作ったプレゼン画像は、とてもきれいでわかりやすく、それに演出もよいし、話も楽しくあっという間の時間だった。
仲のよい2人の様子も微笑ましかったし、自然を身近に感じながら生きていこうとしている考えにも共感。
友里さんは、「山スカートを流行させた人」というようなイメージがあるけれど(実際そうだけれど)、それだけでなく、彼女の服やファッションに関する考えや自然に対する気持ちを直に聞けたことはよかった(昨年のクリス・ボニントンの会のときは、ほとんど聞けなかったので)。
着付け師の彼女は、着物は礼服であり相手に礼を尽くすモノであると考えていて、同様にアウトドアウエアを着る時も、機能はもちろんのこと、山で遊ばせてもらう、山に登らせてもらうものとして、自然への敬意を表しているのだという。
さらには、その季節や山にある色を自分のウエアにも取りこむなどの遊び心も出しているようだ。
また、プレゼンの技術的な点もとても勉強になった。私なんてまだまだというか、とても足元にも及ばない。
友里さんのブログに当日の集合写真 が載っているけれど、私だけ腕も顔も黒すぎ……。ちょっと反省。
そう、それともうひとつあったいいことは、四角夫妻のライブの前に、高校山岳部時代の先輩と僅か10分ながらランチを共にできたこと。
彼女は以前モンベル恵比寿店で働いていたのだけれど、いまはグランベリーにいる。恵比寿時代に久しぶりに会ったことはあったけれど、それ以来おそらく6.7年ぶり。いつも私がグランベリーに行く時は帰宅後やオフの日であることが多かったが、今日は丁度勤務日。
10分足らずでちょいとあれこれ話して、お別れだった。
ゲラが大量に出てくる時に限って、プリンター故障。どうにもならなくなり、昨日ちょっとした隙間時間をねらって購入。早速インストールして、大量ゲラをダウンロード+出力。
その後、ジョギング。
そして、ふた組の友人の結婚祝いを買いに出かけた。
古巣の食器にしようかと思っていたけれど、なんだかあんまりよい作品が最近は少ない。手描きが減り、プリントが多くなったことも大きく影響している。それにデンマーク製は少なく、タイ製も多かった。
ということで、ベツのものになった。
今日は夫の誕生日。夜は外でお食事。
夫が外国人に呼ばれるときのニックネームと同じ名前のカジュアルフレンチレストランへ。
友人のがっちゃんのお友達がシェフをしているのだ。
たらふく食べ、たらふく飲んで、最後はテラス席で食後酒を飲んで、帰宅。
贅沢してしまった。
朝イチでカイロドクターさんのところへ。肩のケガはかなりよくなってきて、靱帯などの炎症は治まっていると。あとは筋力をつけていかないとならない。
カイロプラクティックとスポーツ医学、運動生理学など関連づけたエビデンスがあれば、それはとっても面白いのではないかと話してみた。カイロプラクティックによって酸素取り込み量を増やすことができるというのだから、(肺に入ったあとのヘモグロビンなどその他酸素運搬の問題はあるとしても)、高所登山にもカイロはよいのではないだろうか。
ということまで話してみると、肺や背骨、肩などのアジャストをしてくれて、そのビフォアー・アフターで私の呼吸が外から見てどの程度変わるのか、iphoneで撮影してくれた。 胸の動きが明らかに変わっていた。ふむー。こういうことは、数値に現してデータをとっていきたい。
午後、労山の全国事務所へ。私も一応、労山の会員であるのだけれど、それ以上にいつも取材ではお世話になりっぱなしなのである。遭難対策の委員長をしている方と、さらにはハイキングや登山中の病気についての委員長をしている方にお会いして、もろもろ話し合い。
夜は、ICI石井スポーツのEARTH PLAZAへ。週末のMJリンクの打ち合わせ。
写真は、週末の晴天の八ヶ岳。
アヤちゃんは朝5時半には起きたというが、私は全く目が覚めず、6時のアラームで起床。朝ご飯を作ってもらっていただく。アヤちゃん宅の朝ご飯には必ず具だくさん野菜スープがあるのだ。これは20年前(つまり私たちが大学生だったころ)と変わりない。
その後、倉敷へ移動。念願のへ。
倉敷出張が2度あったけれど、いずれも時間切れや休館で寄ることができなかったのだ。
じっくり3時間ほど滞在したけれど、本当に感動的な美術館だった。所蔵されている美術品の数々もすばらしいし、丸窓から眺める倉敷の風景も美しい。
そしてなによりも、大原孫三郎と児島虎次郎の出会いがこの美術館を作ったのだということが、つくづくわかった。エル・グレコの「受胎告知」やフレデリックの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」もモネの「睡蓮」も、その他多くの作品が、ここにあるべくしてあるのだと深く感動するような。
ここ数回訪れた倉敷は、空気が乾いていて、日差しが暖かく、静かで時がゆったりと流れているような街だった。そこに建つ大原美術館は、明治大正昭和と生きたふたりの息遣いや、美術への強い憧れや敬意や愛情が、いまも伝わってくるような空間だった。
こんな素晴らしい美術館はそう多くはないのではないと思う。
無理して足を運んで、本当によかった。
夜、東京に戻り、いつもお世話になっている出版社のヨガクラブへおじゃました。
某百貨店山岳部に始まり、こうやって取引先のクラブに入れていただけるのは、ありがたいお話。
写真は大原美術館の蓮の池。
朝6時半の朝食を済ませて、一路岡山県内陸部にあるジャパンゴアテックス㈱のジャパンゴアテックス プロダクション&テクニカルセンター へ。
山陽道を走って、インターチェンジを降りて、しばらくすると着く。
里山に囲まれた土地に建つゴアテックスのセンターは、まるでまるで、そこに建つべくして建ったような感。
リータン(現在の中国四川省)には大きなゴンパがあるけれど、ほかの多くのゴンパ同様、土地の気というか、ここに建つべくして建った、まるで神が舞い降りたような土地にあるのだ。
大げさかもしれないけれどゴアテックスのセンターもそんな感じだと、クルマの窓からセンターを初めて見たときに感じた。
朝9時から午後の3時までみっちりと、ゴアテックス(主にファブリック)の講義と工場やテストマシーンの見学など。
個人的に興味があったのはこれからますます伸びるであろう、医療分野のこと。人工血管やカテーテルなどにゴアテックスは大活躍しているのだ。
夕方、岡山駅でみんなと別れ、私だけ反対方向の新幹線に乗る。
広島に住む大学山岳部時代の仲間、アヤちゃん宅へ。
彼女とは、年に1~2度会っているけれど、広島の自宅に泊めてもらうのは、おそらく学生時代以来かも。広島で一緒に泊まったり、彼女の別宅に泊めてもらったりはしていたのだけれど。
アヤちゃんに作ってもらった夕ご飯を食べ、就寝。
写真は、ゴアテックスおなじみのもの。
ほかにもいろいろな写真を撮影してきたけれど……なかなかお見せできるものも少ない。
今日得た知識は、これからの記事に活かしていきたいし、また色んな機会に登山者の方々(=ゴアテックスのエンドユーザーの方々)と接する機会があるので、そのたびごとに有益な話ができるようにしたい。
こんな貴重でありがたい機会はそうそうない。真剣に話を聞き、質問しまくって、いろんな体験もさせてもらう。驚き+感動の連続。
午前中のうちにいろんな雑仕事を終え、午後の新幹線で岡山へ。
この1ヵ月で3度目の岡山県。今回は前回までとは違う仕事。
ご一緒する、自然を愛するご夫婦、クライミングやトレッキングをテーマにしたライターさん達2人、さらには広告代理店やメーカーの方々、総勢12人が集まり、夕食を共にする。
ホテルには、備前焼が飾ってあった(写真)。
勉強熱心な参加者のみなさんは、ちゃんと昨晩の講習を2コマも聞いてくれて、そして今朝は早起きして、硫黄岳へ。
雲一つないよい天気の中出発した。
登山中に伝えたいことや、歩きながらだからこそわかりやすく伝えたいことは山ほどあるのだけれど、たった数時間の登山なのであまり欲張ることはできない。
山頂はさほど風はなかったけれど、雲がわいてきて、まるで夏空のようだった。あいにく富士山は見えなかったけれど、北アルプスは穂高から後立山連峰まで全部見渡せ、頸城山塊も乗鞍岳も中央アルプスも南アルプスも見えた。
下山後、カレーライスを食べて、美濃戸へ戻る。
参加者のみなさんはとても意欲的なので、これからどんどん新しい経験を積んでいき、山登りの世界が広がっていくのだと思う。限界という枠なんて、なんにもないので、やりたいことができるようになるようになって、これまで同様いい山に出会えますように。
アンケートにお書きいただいた質問事項、すぐにお答えできるものはほとんどなく、なにかの機会に講座を受けていただくか、本を読んでいただくしか方法はなくなってしまったのだけれど。
簡単に答えられることだけ、以下に。
1)好きな山の本は?
とても1冊に絞ることはできませんが、最近読み直したなかで、改めていいなあと思ったなかから、今回の参加者の皆さんも興味を持ってもらえそうなもの。
『たった一人の山 』(浦松佐美太郎 著)*私は文藝春秋新社のものをもっていますが、平凡社ライブラリーの方が入手しやすいのかもしれません。
『せつなさの山 』(畦地梅太郎 著)
『アルプスの蒼い空に (上)』『アルプスの蒼い空に (下)』
(近藤等 著)
2)サムスプリント はどこで買えるのか?
アマゾン、ケンコーコム、楽天などで販売しているようです。検索してみてください。
朝7時前に新宿駅近くに行くと、わんさかと若い登山者達が集まっていた。そうか、世の中はこんなに登山ブームで(?)、人々はこうやって山に行っているのかと、ブームの一角だろうけれど、垣間見た気分。
ほかの旅行社の社員の方々や、ツア-リーダーをやっているクライマーの何人か達に挨拶をしたあと、自分の集合場所へ。
今日から2日間で、ザ・ノース・フェイスが主催する「Women’s Mountain Academy」なのだ。バスは一路、美濃戸へ。
そしてゆっくりと歩いて赤岳鉱泉へ。冬の八ヶ岳は、氷や雪や岩や、雪稜のルートが豊富で、ホントおなじみの山域だけれど、無雪期に来たのは初めてのこと。新鮮だった。
山小屋のお風呂に入ったあと、みんなで机上学習。
私の担当は「自分で登山を計画すること」と「登山中に自分の力で判断すること」。
思えば、自分で適切な計画が立てられるようになれば、それはもう一人前。登山のひと通りが身についたということである。だから、「登山計画を立てる」ということには、登山のおよそ全ての範囲のことが含まれるわけでそれをたかが30分で話せるわけもない。ほんのさわりの部分、きっかけの部分だけをお話。
同様に登山中に自分の力で判断できるようになれば、それはもう本当の一人前。
黒々とした横岳西壁を眺めながらサンテラスでの講習。
夜ごはんのあとは、2コマ目のワカナさんの講習。
そして、お楽しみ会をして、就寝。
ひたすらたまりにたまった雑仕事。
そして、昨日から行なっている明日の準備の続き。
エキストリーマー達への出演依頼。
夕方から大切な山の関係のプレス発表があったのだけれど、行けずじまい。どんなに忙しくてもきっちりと行くジャーナリスト達がいるのだから、私はまだまだ甘い。
アッパーフンザで、土砂崩れにより、フンザ川がせき止められてできた湖が決壊しそうだという件、以前から毎日ニュースが流れてきていたが、いよいよ待ったなしなのだという。堰止め湖は、長さ16km、平均深度35mくらい、水量は東京ドーム300個分あり、パスー氷河付近まで水没させていると。
夜は、9月11日に予定しているエキストリームなクライマー、スキーヤー、トレイルランナー達に語ってもらう会のミーティング。
なんとかやっと前進できて、少しだけホッとした。
これから、先方のみなさんへ出演依頼。
月刊誌の校了日。今回は珍しく3つの記事を担当しているが、うち2つは昨日のうちにゲラを戻してある。問題の1つが残っているわけだ。
なんとか一通り終えてから、次は、 明日までに戻さなければならないムック本初校の、ゲラ読み。
夜になって、再び月刊誌の校了仕事。編集長さんに見てもらったところの確認など。夜遅くまで。
私は、ものすごく文章が下手になった気がする。
別に元々上手なわけではないけれど、とにもかくにも、下手になった。困った。
なにかが災いしているのだ。改善しなければ。
外国要人(オンカホーではありません、個人的親友)が来たとき以外、行くつもりのないところへ。
生きていくのに、家族サービスも必要なのだ。
小ぶりのいい岩がたくさんあった。クラックもあった。
しかしその分は帰宅後、仕事をしなければいけない。
今日は夜10時から仕事開始。集中して、がっつり4時間。なんだか、子持ちになった気分。
雑誌のゲラ読みとその他の雑仕事。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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「山岳ガイドという生き方」第4回 江本悠滋さん/書評「アグルーカの行方 ~129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極」角幡唯介: 山と渓谷 2013年 02月号 [雑誌]
「お気に入りのギアを紹介」: PEAKS特別編集 MOUNTAIN GEAR BOOK (マウンテンギアブック) (エイムック 2460)
「山岳ガイドとして、クライマーとして語る・いかに山を覚えるか/ENSA教官・ブリューノ・シューザックさん来日」: 山と渓谷 2012年 07月号 [雑誌]
「良書との出会い」鈴木とも子さん/山登りはじめました2/ひとり登山へようこそ!: ワンダーフォーゲル 2012年 06月号 [雑誌]
①登山で活かすウィルダネス・ファーストエイド ②書評『エベレスト登頂請負業』(村口徳行著) ③サバイバルナイト1by Hitsuji Project レポート: 山と溪谷2011年 6月号
①山ごはんレシピ:ハンバーグのオンレンジジュース煮 ②書評:『雪崩リスク軽減の手引き』 ③山での「ケガ」「病気」、その実際:心疾患: 『山と溪谷』11年3月号
座談会:プロフェッショナルに聞きました「登山のカナメ、考えるチカラ」遭難防止のためのリスクマネジメント 村越真×加藤美樹×黒田誠×柏澄子: 別冊PEAKS 山岳遭難最新エマージェンシーBOOK
文=柏澄子 マイク・リベッキ―が語るマウンテンハードウェアは私の守護神: PEAKS (ピークス) 2010年 12月号 [雑誌]
構成+文=柏澄子 第2特集「脱・私を山に連れてって」-加藤美樹・林智加子・谷口けいインタビュー+「彼女たちが山スカートを脱ぐとき」: 岳人 2010年 11月号
①「日本登山医学会開催認定山岳医制度スタート」 ②「『初代竹内洋岳に聞く』書籍紹介」 ③「山での「ケガ」「病気」、その実際」(柏澄子): 山と溪谷2010年7月号
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