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2010年5月

2010年5月31日 (月)

板の納まらない板納め

 ガス、霧雨の登り。あんまり意欲がわかないというか、こんな視界で滑るのはあんまりいいことでもないし、なんとなく歩が進まない。8合目上で会った人の、「この上だけは晴れていますよ」という一言がなかったら、とっくに帰っていたような、そんな天気だった。

 そして、彼と別れてからすぐに、青空が広がった。救われた。 けれど、今さらスピードアップしても時間が遅すぎる。天気は下り坂で、間もなくここもガスの中になる。山頂は諦め。

 

 下りはほとんどガスが取れることはなかった。気分が下がると、滑りもダメになるのが私のイケナイところで、右ターンは壊滅状態。これが今シーズンの板納めなんて、納得できないっ!

 最後は、雨も降りだして、5合目。無事に下りて来られてよかった。

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★TNFマウンテン・アカデミー開催!★

【女性限定】八ヶ岳の自然の中で、山登りの基本を学び実践する2日間
「ザ・ノース・フェイス ウイメンズ マウンテン アカデミー」開講のお知らせ

2010
65日(土)~6日(日) 12

Tnf

ちょっとカタイタイトルですが、中味はソフトにしかし真剣に登っちゃいます。

ザ・ノース・フェイスの看板娘ユッコちゃんこと小澤由紀子さん と、『東京近郊ミニハイク』『東京周辺ヒルトップ散歩-たまには丘でひと休み』 などの著者である若菜晃子さん、そして私、さらにはアルパインツアーサービス社 からも、女性社員の橋本香織さん。私たち4人がチームを組んで、みなさんをお迎えします。

山の本当の楽しみ、リアルなところを、お伝えしたいです。

山ガール、山女子などの言葉も流行っていて、女性がたくさん山にいます。それはとってもいいことだけれど、みなさん、もっとじっくり取り組んでみませんか。

そうすれば、楽しみもぐっと広がるし、世界が輝きます!

実は、先月4人で打ち合わせをしましたが、とても刺激的でした。

今回の首謀である、テレマークスキー仲間であるユッコちゃんは、私にとってはファッションの先生。「スミコさん、どーにかしてください、そのワードローブ。私に全部任せてください」と本当は言いたいんだろうなというようなおしゃれさんです。見た目のかわいらしさとは裏腹に、スキーへの肝の据わり方は並みのもんじゃない。ということで、山も体力と精神力でがっつり取り組んでいる人。

初日に赤岳鉱泉に入り、山小屋でみんなでいろんなお勉強+お楽しみ会、2日目は硫黄岳や周辺ハイキングです。

女性のみなさん、一緒に登りましょう!

申し込み方法など詳しいことはコチラ へ。

ご参加、お待ちしています!

★なお、上記パンフレットに写真提供くださったのは、写真家の野川かさねさんです。いつもながら雰囲気のある写真です。

2010年5月30日 (日)

ゲラ読み

 ムック本の初校ゲラがどんどん出ていて、これを読み進めなければいけない。

 本が出来上がったらご紹介したいのだけれど、イラストを描いてくださったのは、Sさん。編集者と筆者である私のかねてからの希望というか、ぜひお願いしたい方だった。ほかにとても大切な仕事を抱えている時期であり、ほとんど時間もなかっただろうに、やっぱりさすがのプロフェッショナル。きっちりと仕上げてきてくれていて、ゲラにいい絵がたくさん入っていた。こちらが想定していなかったような絵柄もあり、嬉しかった。

 夕方までかけて11章あるうちの7章までなんとか読み進め、編集者に速達で送る。

 その後、慌てて富士山の準備。

 オンカホー来日でこんなに高速が混んでいるとは知らずに、予定時刻を回ってから出発すると、あっという間に渋滞につかまった。検問が4ヶ所もあり、既に終了していたのが救いだった。

 マツウラ邸に寄ってから、仕事を終えたかなっぷとカワグチくんと合流して、富士宮口5合目へ。

2010年5月29日 (土)

入稿し直し

 昨日夕方入稿した原稿が、大幅に文字数が足りなかったとのことで(これは私のミス以外なにもない)、今日は休日だというのに編集長さんまで働かせてしまった。朝から取りかかり、午前中に入稿のし直し。

 午後からは、別の仕事。まだまだ忙しい時期が続く。

 右のバーに「Magazine」という項目を作りました。執筆記事が掲載されている雑誌の紹介が主です。雑誌ですので、販売時期が限られています。が、いまどきネットの本屋さんを使えば(リンク先のアマゾンも同様)、手軽にバックナンバーも変えますね。適当な時期に削除し、新しくしていきます(仕事がなくなって、掲載誌が少なくなったら、いつまでも古いものを載せているかもしれません)。

 また、かなり古い雑誌ですが、『岳人』200710月号は、ぜひ読んでいただきたい女性の登山の特集ですので、掲載してあります。昨日、久しぶりのこの雑誌を作った編集部の女性編集者と電話で話をし、懐かしく思い出した次第。

*特集担当編集者は、別のもうひとりの女性。

2010年5月28日 (金)

野元甚蔵さんの講演へ

原稿を書き上げて、夜、地平線会議へ。野元甚蔵さんが鹿児島からやってくるというので、行ってみた。遅刻すること30分。受け付けを済ませると、マサオちゃんがいたので、隣の席へ。

 大切なところを聞き逃してしまったのかもしれないが、野元さんの話で印象に残ったのは、シガツェ郊外の農村・ウジェンゾンにいたときのこと。

 亡き西川一三さんにしても同様であるが、なぜこのような人達は、ものすごく優しく温かい目線をもっているのだろう。

 できれば、カリンポンやから北上しヒマラヤ越えをしたときの話や、ギャンゼでダライ・ラマ14世の転生が決まったという噂を聞いた時の話、シガツェでの暮らし、再びシッキム(ガントック)へ戻り、シリグリを経由してカルカッタへ南下したときの話など、詳しく聞きたかった。

 これら土地は、本当に私も大好きなところだ。

 とくに、シッキムから南下を始め、ダージリンを過ぎたあたりに、ふたつの川が合流するところがある。川の名前は当時の取材ノートも見ないと思いだせないが、眼下には青々とした森が広がっているのだ。ぐんぐん高度を下げて、タライの平原へ降りていく道のりは、シッキムやダージリンの世界観とは明らかに違うが、どちらもそれはそれは豊潤な土地だった。風の流れや自然の営みと、人間の歴史がマッチしたような、そんな世界観が広がるところだった。

 聴衆席に凛としたいい空気を持つ若い女性が座っているなあと思ったら、あとでばったり。某アウトドアメーカー広報部勤務のIさんだった。10数秒足らずの久しぶりの再会に、ガッチリ握手。いつも仕事で世話になっている会社だけれど、大阪勤務の彼女とは残念ながら接点はなく。なんで、こんなに清潔感があって、いい雰囲気なのだろう。

 講演会のあと、駅近くのミャンマー料理屋へ入った。スパイシーな豚肉とパクチーの味が効いたサラダと、エビカレー、香草酒を飲んで、ふたりで2400円。話題は、仕事、漢方薬、体と心(?)など。

2010年5月26日 (水)

机仕事と待ちの時間

 原稿書き。

 夜から、ゲラが出稿されたり、誌面デザインが上がりを待ったりしながら、いろんな作業。この待ちの時間、楽しい時もあるけれど、今日はちょっと苦痛。

 我が家の近くで友人がヨガレッスンをしているというのに、行けないから。次回をねらうか。

2010年5月25日 (火)

『病気に負けない健康登山』

 海に行きたかったけれど、願いかなわず。

 来月号のデザイン入れが全く終わっていないので、その準備。視覚材料(写真や表、フローチャートなど)を準備し、タイトル周りや小見出しを考え、ラフを書いて、編集長に送付。

 

 あるマスコミから電話があり、山ガールの動向について聞かれた。どうやら山ガールに会いたいらしい。

 我がブログを訪問する検索ワードの中で、「山ガールは本当にいるのか?」というのがあり、かねてから不思議に思っていたが、なんとなく合点いった気がした。

 

 山ガールと山女子の定義についても聞かれたが、そのようなアイコン的用語の定義などわからない。

 しかし、私たちが作った『はじめる!山ガール』は、実際に山に登る人たちのために作った本であり、山っぽいファッションとか、森ガールに習って、「山にいそうな女子」を対象としたものでもない。

 昔(! もう昔のことかい!)は、よかったなあ。山に登る女性のことは、ひとこと「山女(山オンナ)」で済んだ。簡単だった。

 それだけ、いまはいろんなことが多様化しているってことだろうか。

 先日の日本登山医学会学術集会で配られた書籍『病気に負けない健康登山 』

 大会長である斉藤繁先生が書いたものだ。

 医師が書く本は、医師にしか書けないものがあり、とても興味深い。

 これは私の素人的感触だけれど、麻酔科にいる斉藤先生は、実にいろんな病態の患者さんに接しているのだと思う。脳疾患、心疾患、整形外科などでケガ治療を受けている人―いろんな傷病者に臨床の場で接していて、その経験は幅広く奥が深いのだと思う。

 さらには、谷川岳クライマーでいらっしゃり、登山への理解も深い。

 だからこんなおもしろい本が書けるのだろう。こんな人選をした、編集者の力でもあるのだろう。

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2010年5月24日 (月)

登山道具店巡り

 代官山のホソカワ職人を訪ねたあと、神保町のICIEarth Plazaにあるザ・ノース・フェイスのショップ へ。

 一通り商品を見たあと、ほかのフロアも見て、本店にも寄って、さらには色々登山道具店巡り。

 登山のウエア・ギアの専門家Sさんと一緒。かなり集中して、あれこれ見て回って、疲れ果てるほどだった。

 創意工夫して物づくりをしているメーカーがいくつもあることを知った。とくにN社のザックは、ちょっと目を離していたすきに、かなり良くなっていることを確認できた。これは、きっと企画にいるMさんの業績だろうと思う。結局、組織よりも人次第なのだろう。

 もっと価格を下げられないのかと思う商品もいくつもあった。けれどそれは個別に取材したときに、すでにメーカー側に質問している。メーカー側はあれこれ応えるけれど、なかにはそれがエンドユーザーにとって必要なことなのか、わからない点もあった。

 なにはともあれ、これだけ集中してじっくり見ると、勉強になる。

 写真は昨日のモノ。もちろん、ムーミンの家もあった。

 そんな昨日のことを思い出しながら、帰宅後、夕暮れの街を走る。雨に濡れながら。公園の緑が鮮やかに見えて、雨もいいなあと思ったりしたけれど、30分で止めてしまった。ちょっと軟弱な意志。

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2010年5月23日 (日)

ムーミン谷へと、走る

 富士山を滑ろうと考えていたのだけれど、天気が悪いので、加治丘陵+ムーミン谷を走ることにした。

 最寄の仏子駅に着いたときには、すでに雨……。

 「ひとりだと、雨の中走る気にはなかなかなれないよね」というと、マサオちゃんは「それは、悲壮感がただよっている」と。確かに。ふたりでよかった。

 最初、ちょっといろんな打ち合わせをしながら歩き、途中から「おしゃべりできるスピード」で走り始めるが、登り坂は苦しい。

 今日の計画は、ワカナさんが書いた『東京周辺ヒルトップ散歩-たまには丘でひと休み』 をみただけでやってきたというミーハー者の私は、ムーミン谷がいったいどのういうところなのかもわかっていない。だから、眼下に民家が見えただけで、「あれ?ムーミン谷じゃない?」などと、間抜けなことを言ってしまう。

 雨降りだけれど、雨具はもってこなかった。雨具を着て走ったら蒸れるだろうし、短時間で標高も低いから濡れながら走ってもたいして冷えないと思ったから。その代りにはならないけれど、傘とウィンドブレーカーはもってきた。でもこれ、キョーカショ的には×です。

 雨のムーミン谷は、人っ子ひとりいず、とっても雰囲気があった。

 その後、都心へ戻り、山ガールの聖地ともいわれているバンブールナ へ。

 実は初めて行く。

 TNF ウィメンズ・マウンテン・アカデミー のチラシを置いてくださっていて、渡され案内され、至極恐縮。

 雨と汗にずぶぬれになり、Tシャツしか着替えていない汚いウエアとアタマでは来たくなかった場所かもしれない。世の山ガールさん達に程遠い。ああ、恥ずかしい。

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2010年5月22日 (土)

外房で過ごす

 野暮用ができて、昨晩から御宿へやってきた。

 用事そのものは、昼の1時間程度で終わるので、朝から1ラウンドのサーフィン。水はほんのちょっとだけ冷たいけれど、外気温が上がってきて、気持ちがよい季節になった。

 無事用事が済んだあと、昼ごはんを食べに鵜原へ。つぃったーで話しかけてくださった勝浦の方に教わった店「こだま」へ。

 みんな勝浦タンタンメンを頼んでいるので、私もそれを1杯。

 その後、かねてから気になっていた、鵜原理想郷という小さな入り江へ行ってみた(写真)。

 それから、鴨川のマルキポイントまで車を走らせ、JPSAのショートボードの大会をみてきた。ロングで1位の植村未来さんという方は、ショートにも出ていて、しかも上位に食い込みそうな雰囲気で、ホントスゴイと思いながら見ていた。

 その次に男子のヒートを3ツ見ると、女子とは全く違うスピードにびっくり。

 などと超ド素人的感想をひとりブツブツ言いながら、御宿へ戻る。

 

 夜、帰京。

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2010年5月21日 (金)

『富士登山パーフェクトガイド』

 午前中1ヵ月弱ぶりにカイロドクターさんのところへ。 

 3月初めに痛めた肩は、この1週間ほど劇的に調子が悪かった。

 けれど、この1回の施術でこれまた劇的に回復し、そして新しいリハビリについても教わってきた。やっぱり間を空けてしまったのは失敗だった。

 JTBパブリッシングから発刊となった『富士登山パーフェクトガイド』BOOK) のなかで、約50ページほど書かせてもらいました。

 

 書名の通り、富士登山に関するパーフェクトガイドブック。 

 コースガイド、持ち物や食べ物、登り方などの技術をガイドし、さらには山麓のガイドや、周辺の富士山を眺められる山のコースガイドも入っているという盛沢山の1冊。

 JTBパブリッシングの「大人の遠足BOOK」のシリーズであるが、かの「るるぶ」を抱えているという実力派の情報に、山を専門としたライター達が加わって作りました。

 今年限りの情報ではなく、何年にもわたって読んでもらえるようにも工夫。

 夏に富士山を目指している方、快適に楽しんで登れるように、ぜひご覧ください。

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2010年5月20日 (木)

『山と溪谷』6月号「山での「けが」「病気」、その実際」

 午前中は、涸沢フェスティバルなどで活躍のMIMOさんのヨガレッスン。

 とても刺激的な内容だった。ぜひまたレッスンを受けたい。

 ランチは、MIMOさんお勧めのインド料理屋さんカルカッタへ。彼女曰く、日本でいちばん美味しいとか。南インドのランチが美味しかった。

 午後、仕事に戻る。

 5/15発売の『山と渓谷 2010年 6月号』 の連載「山での「ケガ」「病気」、その実際」の第2回は脚の骨折。

 私は、「四肢を骨折したときのファーストエイド」と「骨折のリハビリテーション」について書きました。

 前者は林由希恵さんが監修。後者は伊佐和敏さんが監修。

 小さなページですが、重要なことがぎっちり入っていますので、ぜひお読みください。

 リハビリのポイントは……患部が悪化しないのであれば、痛くても動かす。そしてアイシング。動かさないことのデメリットの方が大きいのです。

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2010年5月19日 (水)

インタビュー→MTG

 神経内科のドクターさんをインタビュー。

 若いころから色々な登攀やヒマラヤを続けてきた方は、山と医療の両面を深く知っているので、コメントにもなるほどと思う点多々。

 夜は、MJリンクのミーティング。サポーター7人が勢ぞろい。事務を担当してくださっているヨシダさんも合わせて8人で6月の東京ミーティングの打ち合わせ。 

 初参加のショウコさんも、たくさん意見してくれて、盛り上がった。

 それぞれの個性でいろんな意見を言い合って、内容、骨子の確認と組み直し。

 ウナギさんと結婚したばかりのジッキーのお祝いもやった。

 写真は夕暮れの倉敷。

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2010年5月18日 (火)

机仕事の1日

昨日、薫風が窓から入る気持ちよいカフェ(写真)にいながらにしても、上手に書けなかった原稿に、再びとりかかる。

ナイジェル・ケーボンのいかしたスーツを着たTさんから、「そんな原稿を書くとは難儀なことですな、同情します」と。

同情されることはなく、ありがたい仕事なのだけれど、難儀であることは確か。

その後、色んな雑仕事。

夜、これからMJリンクのいろんな準備、仕事。

明日のミーティングに間に合うか?

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2010年5月17日 (月)

倉敷再訪

今回はフライトにした。

やはり大阪以西となると、新幹線は厳しい。

機窓から、南アルプスがよく見えた(写真)。尾根の様子もよくわかった。

この次に中央アルプスが見え、彼方にかすむように北アルプスが見えていた。

岡山空港に降り立つのは2度目。

バスで倉敷へ。

約束の時間まで間が合ったのだけれど、憧れの大原美術館も倉敷民芸館も定休日。これはまた再訪せねばならない。来月も岡山出張があるのだけれど、寄れるだろうか。

倉敷の街は本当に静かで気持ちがよい。

昼食に名物ばら寿司食べたあと、散策。

噂の蟲文庫へ行ってみた。大きな虫の窓がある蔵を使った店。

『のの字ものがたり』(田村義也著)『「中国人」になった私―不思議の国のウラとオモテ』(松木トモ著)を購入。

午後からあるドクターにインタビュー。

最近の事情についても教えていただいた。

その後、帰りのフライトまで間があるので、偶然見つけたカフェはしまやへ。

明日締め切りの原稿書き。

あんまりうまく書けず困った。

400字という字数も難しいし、感銘を受けた本を紹介するのはとても難しい。

その後お向かいにあったラグ屋MUNIへ。

チベタン絨毯などを輸入しているのかと思いきや、明の時代の文様にインスピレーションを受けた日本人作家の作品だそうだ。

藍色がきれいだけれど、これはとても危険な場所だ。

しかし、私には買うお金もなければ、買っても敷くスペースもないので、なんとか無傷のまま生還。

南青山にも店があるというから、これまた危ない。

ラグ屋と家具屋と瀬戸物屋は、本当に危険な場所なのだ。

夜のフライトに乗る。

うまく書けなかった原稿について考えようとビールを飲んでみたが、ダメだった。

諦めて、先ほど購入した『のの字ものがたり』を読む。前からとても欲しかった本だ。

田村義也さんが、山にゆかりのある多くの作家の本を装丁していることは、知っていたし、その作品をリアルタイムで見ることができた時代に私も生きているけれど、田村さんが、深田久弥氏とも親交が深く、一緒に山登りをしたこともあるとは、不勉強ながら知らなかった。

そんなくだりも興味深く読んだ。

私は田村義也作品の大ファンであるが、田村さんが、活版印刷がすたれていった時代に、それでもなんとか力尽くして、彼らしい作品を作り続けていたことを改めて知った。

電子書籍がやってきたこの時代に彼がもし生きていたら、どんな挑戦をし続けたのだろうか、と思いながら、『のの字ものがたり』の表紙を手でなでてみた。

そして、『ゆの字ものがたり』も欲しくなった。

古本屋も危険な場所である。

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2010年5月16日 (日)

山岳部員ゼロの総会

母校大学山岳部+山岳会(OB会)の総会へ。

担当教授も出席くださった。

331日をもって部員がゼロとなり、新入生勧誘活動もほとんどできないままになっている。

今後のことについて話し合い。

すぐに廃部ということはなく、いまは大学に多めに見てもらっているところもあるけれど、いつまでも部員ゼロのままでは続かない。

あれやこれや話が出るけれど、私はやっぱり本音は、登山をやりたい人こそが、部を続けられるんじゃないかと思う。小手先のことで部員確保だけしていてはダメだ。

というか、監督である私自身がもたない。

2010年5月15日 (土)

街で過ごす週末

所属するF山岳会の総会。

その後、みんなで会食。

夕方から机仕事に戻る。

2010年5月14日 (金)

MJリンク打ち合わせ

今日は終日机仕事。

夜、MJリンクの打ち合わせで市ヶ谷へ。関係者7人でミーティング。10時過ぎに解散になったあと、近くのカフェに寄り、まさみんとふたりで6月の街の会の相談。

登山のリスクについて2人で話した。

登山中のリスクは、いかにして認識し、リスクテイク、リスクマネジメントしていくかが重要。絶対的なことはない。

そんなことを、わかりやすく説明するにはどうしたらよいのか。

一方で私は、仕事柄いろんなハウツー本やハウツー記事を書くことが多いけれど、ときどきこんなことを書いていてよいのだろうか、と思う時がある。

たとえば、単独行。そりゃ、初心者にはなかなか勧められないスタイルだ。

けれど、単独行には、その魅力もあれば利点もある。

リスクもあるけど、反対に単独の方が安全な時もあるのだ。

山に決まり切ったルールや決めごとはない。

50分~1時間歩いて10分休むのを目安にしよう、と書く。確かに間違いではない。

最初はペースをつかむこと自体が難しいのだから、このような決めごとをしておかないと、途中で燃料切れになってしまうかもしれない。

けれど、やがて1時間歩いて10分休むだけでは山は登れないことがわかってくる。

何時間も歩き続けなければならない時もあるし、その方がずっと安全な場合もある。休んじゃダメな時もある。

反対に、30分しか歩いていないけれど、休んだ方がよい時もある。

竹内洋岳さんから聞き書きして塩野米松さんが書いた本『初代竹内洋岳に聞く』 にも書いてあった。

弱いものに合わせろというけれど、弱い人に合わせていては、みんな弱くなってしまってダメなんだ、できる人が常にルートを延ばしていかなければ、ルートだって延びない(=登頂できない)んだと。これはヒマラヤ登山の話である。

ほとんどのハウツー本に、パーティ登山はいちばん弱い人に合わせよう、と書いてあるけれどね。

それも時と場合による。けれど、その判断をしたり、タクティクスを立てたり、選ぶことこそが難しいから、初級者向けのハウツー本には極々無難なことを書かざるを得ない。

ああ、なんておもしろくないんだろう。

いつか、本当にリアルな、本当に実際的な、ちょっと型破りなハウツー本を書いてみたい。

そういう本こそ、登山の本質を伝えられると思う。

ハウツー本だって、書き手の個性をもっと出してもいいんじゃないかと思う。

写真は昨日の静かな鵜原の海。

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2010年5月13日 (木)

鵜原サーフィン

この時期の房総半島里山は本当に美しい。野生の藤の花がそれはそれはみごとに山を彩っている。田んぼには水が張られていて、こんな風景こそが日本の原風景なのではないかと思う。房総半島というと漁師町ばかり先行しがちだけれど、房総半島は大きいので内陸には、美しい山里があるのだ。

そんな風景の中、クルマを走らせ勝浦方面へ。

最初に鵜原の波をチェック。スタンドアップパドルの方がいるほど穏やかだった。穏やかでワイド気味だけれどきれいな波がやってくる。何よりもこののどか感がたまらない。

松部、マリブ、部原、御宿と波を見ながら北上。

アパートの駐車場に車を停めてから、GWにオープンしたFLING SUMO SURF へ。いったい何ができるのか工事中から興味しんしんだった。USと日本のカップルが経営する、サーフショップ。バーとペンションもあるのだ。バーに入り浸りいならないよう、気をつけなくちゃ。

オープン記念にコナビールを3本(写真)買って帰る。

一仕事してから鵜原へ。

ゆっくり仕事をし過ぎたせいで、すっかり波は逃した。鵜原はのどか以上に波がこなくなってきていたし、ダンパーだった。けれど、少し遊んで満足。

夜、帰宅。

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2010年5月12日 (水)

京都→大阪 取材

先週に続き、今朝も東海道新幹線に乗車。今日の昼ごはん用弁当は、奮発して崎陽軒の帆立ごはん弁当

E席を予約したつもりが、なぜかA席だった。こうなったらマニアックに「左富士」を狙うしかない。けれど生憎の曇り空で、富士山は見えなかった。

京都駅で下車後、在来線で南下。登山を趣味にされているご夫婦を訪ねた。

その後河原町の方まで戻ってきて、社会人山岳会の代表の方にお会いしてインタビュー。

京都のど真ん中と言えば、ケンチャン+ミヤ夫妻である。会いたいけれど、急なことで約束もできずウジウジと、けれど彼らとの思い出の和菓子屋末富 へ行くか……と歩いている途中、思い切って大阪の方にも電話してみた。

私のような取材は、相手にとっては負担以外の何物でもないのではないかと思う。

彼については昨日連絡先を教えてもらったばかりではなにも話も説明もしていない。早口で記事の内容、取材したい内容を説明し、なんとか仕事帰りの途中、新大阪で会ってもらうことになった。

新幹線に飛び乗った。

お会いして、こちらの意図を説明すると、あとは本当に協力的にいろいろ話してくださった。ありがたいことである。こんなありがたいことがあるのだろうか、と思う。

最後は、ふたりで山の話をしてから別れた。

帰りの新幹線の中では原稿書き。

ケンチャンとミヤに会えなかったことは残念だったし、実はこの春から京都に一人暮らしをしているチベット人の友人ペマのことも心配で、会いたかったけれど、またの機会にしよう。

友人に会えないのは残念でも、感謝してもしきれないことばかりの1日だった。今回は、1日に4人もの人に会って話をしてもらった。本当に感謝すべきこと。

写真は中国人の友人のフォンフォンが撮影した、ペマの生まれ育った雲南省の棚田。

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2010年5月11日 (火)

『登山者のためのファーストエイド・ブック』お祝いの会

夜は、大学山岳部の大先輩である悳秀彦さんの著作『登山者のためのファーストエイド・ブック』 が出来上がったお祝い会。

本書にモデル役で登場してくださった、テラサワさん。彼女は我が大学のお隣の部(ワンダーフォーゲル部)のOG。それに本書に何の役割を果たしたのかははなはだ疑問だけれど、「一緒に来いや」と悳さんに行っていただいたかなっぷ。一応編集役を務めた私。以上4人で集まった。

有楽町の大好きないつもの飲み屋で酒宴。

写真は今日のうたげとはあまり関係はないのだけれど、室堂のみくりが池。

大学山岳部時代の夏合宿はほとんど剱岳に定着なので、毎年夏になるとここから剱沢に入山していた。夏だけでなく、春も秋も何度も通った。

今回の本は大学山岳部時代のご縁で、編集に加わらせてもらった。

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2010年5月10日 (月)

勝浦・あまからやの引っ越し

御宿で野暮用をあれやこれやと片づける。

GWに大学山岳部の先輩であるタカヒロさん一家がいすみでキャンプした際、私の大のお勧めの中華料理屋「あまからや」へ行ってくれた。勝浦の名店である。

その際、あまからやが6月には引っ越すと聞いてきたというので、今日の昼は慌ててあまからやへ行ってみた。お姉ちゃんに聞くと、「えー知らなかった? 言わなかったっけ?」と。

引っ越し先は、すぐ近く、勝浦の朝市の通りにある畳屋さんのお向かいだそうだ。帰りに見てきたけれど、きれいなおうちが建設中だった。

お姉さん達一家は御宿の岩和田のポイントの近くに住んでいて、我が家とはご近所だったのだけれど、息子が小学校に上がるのを機に、住まいも勝浦に移すらしい。

世に大勢いらっしゃるであろうあまからやファンの皆さん、6月からは朝市通りへ行ってください。メニューなど一切変わらないそうです。

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2010年5月 9日 (日)

日本登山医学会 Day2

 日本登山医学会学術集会2日目は、群馬県の防災ヘリ「はるな」がやってきた。ホバリング中のヘリが、ホイストでドクターや患者を乗せたり、降ろしたりのデモストレーション(写真)。これは、今回から始まった、国際山岳認定医制度を受けてのものでもあるのだろう。認定医が、ヘリで山の遭難現場に輸送されることもあるだろうから。

 その後、難関のくじ合戦をくぐり抜けた、私たちが「はるな」に乗せてもらえることになった。FeW のさっちゃんも一緒。仕事柄というかほか個人的なことで、国内外何度か山岳地域を飛ぶヘリコプターには乗ってきたけれど、防災ヘリに乗るのは初めて。谷川岳も初めて。いくつか、勉強になったことがあった。

 ランチ時には、ブルックスが、脛の骨を骨折したという仮定でストックと雨具とスリングを使って固定する方法をデモストレーション。

 午後からは、群馬県警救助隊によるデモストレーションと実技があった。

 夕方水上を発つ。都内で、ブルックスとユキエさんを降ろしてから、私はそのまま御宿まで車を走らせた。さすがに疲れた。

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2010年5月 8日 (土)

日本登山医学会 Day1

  日本登山医学会の学術集会の第1日目。

 今年の大会長である、斉藤繁先生には、以前『山の救急医療ハンドブック』 を一緒に書きお世話になったことがある。また拙著『ドキュメント山の突然死』 のときにもインタビューや監修をしていただいた。

 麻酔科の臨床の先生というのは、これは私の素人的印象であるが、幅広く様々な分野の病気に接しているので、とても幅広く実践的な経験と知識を持っていて、お話を聞くだけでもとても興味深いことが多い。

 さらには、斉藤先生は、谷川岳クライマーであるがゆえに、今回、このように「日本版 Wilderness Medicine を考える」というテーマで実践的な内容のモノとなったのだと、つくづく思った。

 マル1日、それぞれのドクターの発表を聞くのはかなり疲れることだったけれど、どれも勉強になった。

 写真は、翌日、さっちゃんと搭乗した 群馬県の防災ヘリ「はるな」 からの車窓。

 どこの風景かは……おわかりいただけそうですね。

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2010年5月 7日 (金)

NRT→水上

 昼過ぎまでぎっちりと机仕事。

 Webの成田空港のフライトインフォメーションを見たら、バンクーバーからのフライトの到着時刻が早まっていることに気付いた。いつも遅れると聞いて油断していた。

 ユキエさんから、家にありったけのロープを持ってきてほしいと言われたけれど、数えると10本ある。どう考えても10本は要らないだろうと、8本だけ用意。といっても、8本もすべてほどいて、ロープの状態をチェックしながら巻きなおすと、それなりの時間と体力を使った。

 肩のリハビリだと思いながら、やったけれど、左腕と左肩はかなり痛くなった。ふう。

 成田空港に車を走らせた。カナダのslipstreamsのオーナー社長であるブルックスとユキエさんが、やってくるからだ。日本でもウィルダネス・ファーストエイドの講習会をやっていきたいと考えているユキエさんは、日本登山医学会の学術集会に出てみたいと、昨年秋、講習会が終わったあとに言っていた。

 私はその講習会の受講生であり、講師であるユキエさんとはその時に会ったばかりで会ったけれど、この講習を日本によんだ、FUJI-YAMA GUIDESヒロスケとは10年以上の付き合いであり、敬愛するヒロスケと省二くんたちの活動を少しでも応援できればと、ユキエさんを何人かのドクター達に引き合わせ、今回の集会でも彼女らがレクチャーできるよう準備をしてきた。

 ヒロスケと省二くんがどれほどグレートでナイスな人間であるかは、何度かブログに書いたと思うので、しつこいだろうから止めておく。

 2人をピックアップしたあと、水上へ車を走らせた。

 ブルックスとは初めて会ったけれど、陽気で思いやりや想像力のある優しい人柄を、私はいっぺんで好きになった。

2010年5月 6日 (木)

倉敷へ

 朝、東海道新幹線乗車。昼食用の駅弁は、崎陽軒の横濱チャーハン550円でこの味と内容。コスパ最高。

 E席を予約しておいたので、富士山がばっちり見えた。

 私が富士山で親しい何人かを亡くしたことがあることを知った、MJリンク参加者さんからメールが届いたばかりだった。彼女は富士山に登りたいようで「MJリンクで富士山を計画しないのか」と言っていたのだ。

 友人のことは全く関係なく、MJリンクで富士山かあ、それは結構難しいなあといくつかのハードルについて考え、言葉に詰まり、「なんで富士山に登りたいの?」と確かきき返したような記憶。

 そりゃ、日本でいちばん高くて、こんなにきれいな山、登りたいに決まっているのだけれど、富士山以外にもいい山はたくさんあるので、具体的な理由があれば聞いておこうと思った次第。

 車窓の富士山を見て、いつも関西から参加してくれる彼女は、ひょっとしたら東京に向かう新幹線から富士山を眺めていたのかもなあと今さらながらやっと想像してみた。実際には、仕事を終えてから東京に来るのだし、帰りも下山後だし、いつも窓の外は夜だったと思うけれど。

 みんないろんな理由やきっかけや、思いがあって、山に登りたいって思うのだろう。その気持ちを少しでも汲み取り、力になれればよいのだけれど。

 岡山で下車後、在来線で倉敷の手前の駅へ。地元の山岳会の代表をする方とご夫婦で登山をする方々にお会いして、話を聞いた。

 その後、ご夫婦の計らいで、倉敷の町並みを見学。平日の夕方だったためか、観光客はほとんどおらず、静かだった。乾いた五月の風が気持ちよかった。

 私は憧れの緞通 のラグをゲット。

 その後、ご夫婦と一緒にままかり寿司を食べた。とてもきれいな魚で美味しかった。

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2010年5月 5日 (水)

記事を覚えていてくれた人

 カンヅメ第2日。

 6月末発売の女性登山者向け本の脱稿時期。原稿を次々に書く。

 6月発売の月刊誌の取材、綱渡りのようにやっているが、皆さんの協力を得て、おかげさまで2件の取材の約束をすることができた。明日から早々に4人の人に会いに行く。

 昨日、オーストリアに住む翻訳家の女性からメールをいただいた。登山に関連する本の翻訳も始めているようで、先日帰国中の彼女にほんの少しお会いし、話を交わしたのだ。

 彼女、この無名の私のナンパラ銃撃の記事について覚えていてくれた。帰りの電車の中で、あのときの人だと私の名前を思い出してくれたのだという。「あのことは、口をつぐむ人が多かったけれど、書くなんて勇気がある人だと思った」と。勇気があったのは私ではなく、掲載を決めてくれた当時岳人編集部にいた、編集部員の方だと思う。彼はなんらためらっていなかった。

 翻訳家の彼女への返信メールに書いたが、私がナンパラのことを絶対に書くつもりでいた理由のひとつは、その数年前、私も同じようにチョ・オユーABCにて、銃撃の音を聴いているからだ。あの時は本当に憂鬱な気持ちになり、自分が何をしにここに来ているのか、サミットプッシュを控えているというのにわからなくなった。

 仕事はどれもひとつひとつ、手を抜くつもりはなく、丁寧にやることを心がけたい。

 しかしそのようななかで、自分が一生懸命やった仕事、これは書かねばと思ってやった仕事、やり遂げられたと思う仕事は、残念ながら少ない。年に1本あるかないか。

 けれどそれでも、自分の意思を失うことがなければ、こうやって何年も経ったあとでも思い出してくれる人がいるんだなあと思った。

 万人受けする記事でもなんでもありませんが、書く身には勇気を与えてくれる。

2010年5月 4日 (火)

カンヅメDay1

 カンヅメ第1日。

 5月末に発売になる、夏の富士登山ガイドブックの校了ゲラを読む。

 その間、連休中にもいろいろ進めているMJリンクの事務のことなど、何人かのメンバーと電話で打ち合わせ。ついでに、互いの仕事の話もおしゃべり。

 写真パタゴニアwebサイトから引用したものであるが、先月パタゴニアさんから送っていただいた憧れのナノパフ・プルオーバー である!

 パタゴニアアンバサダー達が、テスト時期から絶賛していたという化繊綿が入ったプルオーバー型の防寒着。開発者のコメントはココ  先日の富士登山で着用。かなり調子がよかった。

 化繊綿である点、コンパクトになる点がよくて、パタゴニアらしく着心地もよい。

 アンバサダーやプロパーチェスのお世話をしてくれているシリアスクライマーであるS社員さんは、「厳冬期はアウターの下に着っぱなしです」と言っていた。それもよく理解できる。中間着としても大活躍するであろう。

 期待通りの優れモノ。これからも使うのが楽しみ

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2010年5月 3日 (月)

疲れて、帰宅

 夫の実家で朝ご飯をいただき、出発。

 職場で夫を下ろすまでは順調だったけれど、そこから自宅までは地獄のような渋滞にはまった。いいや、この程度はみんな普段経験しているのだろうなあ。通常1時間のところ4時間かかった上に、我が家からおよそ5キロ地点あたり(高速道路上)から我が家まで1時間かかった。そういえば、我が家のあたりは一応観光地だったのだ。もう、GWはこれ以上車外出しないことを決意。

 帰宅後、原稿書きとゲラ読み。

 写真は昨日のもの。やっぱり大きな山はいい。昨日は途中までガスが濃くてちょっと心配なほどだったけれど、幻想的でヒマラヤの山を思い出すような雰囲気だった。

 この時期の富士登山は、雪山登山用ブーツ(トレッキングシューズでは限界、リスクがあり不適切です)のほか、ピッケル、アイゼンの準備も検討してください。もちろん使いこなす技術も必要。キックステップなどの雪上技術も必要。雪山登山経験者の登る山です。状況によっては上級レベル。

 もちろん運動靴では登れませんし、ゴルフクラブを逆さに持ったものなんて、ピッケルの代わりにはなりません。

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小さな男の子

 いままでもこの山に登ると、登山以外のいろんなことがあったけれど、雪がびっちりとついたこの時期は、状況はシリアスである。

とても書く気にもなれないし、疲れ果てることばかりあり、また本来は言いたくもないことを、知らないただすれ違った人たちに何度も言わなければならなかった。

 死亡者が出なかったことを奇跡か単なる偶然と思った方がよいだろうし、息子を心配して泣き崩れたあるお父さんのことは、本当に気の毒だった。

 雪はよかった。大斜面は気持ちよかった。

 出発前、板を背負った私を指さし、小さな男の子が「あの人、スキーするの?」とお父さんに聞いていた。お父さんは、「そうだよ。けれどね、あの人はね、ちゃんと登山のトレーニングを積んだ人でこれから山に上っていくんだよ。登山をして、山をスキーで滑って降りてくるんだ。そういう人じゃないと、この雪山には登れないんだよ。すごいね。僕たちは今日はここまで(駐車場)なんだよ」と説明していた。立派な大人だと感動した。

 どういうバックグランドのあるお父さんか知らないけれど、登山というものを理解しいてるようだし、またなにかにトライするという姿勢に肯定的な考えの人なんだろうなあと思った。登山のことを、「危ない行為」とひとくくりにされることもあるので。

息子は、「そうなんだ。カッコイイね」と言っていた。こんな小さな子の気持ちを裏切らないような登山者にならなければいけないと思ったし、こんな子どもたちに夢や希望を持ってもらえるようなことを書かなければいけないと思った。

 いろんなことがあり、神経をすり減らしたけれど、こんな親子に会えたことは、まるで神様からのプレゼントのようだった。

 夫の実家に戻ると、やがて双子の兄家族がやってきた。

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2010年5月 1日 (土)

麓入り

 夕方までに仕事を終え、明日の山登りに備えて夫の実家へ。

 私が、昨年12月に富士山で死亡した友人を追悼しようと御殿場側の現場から登ろうと思ったものの、残雪が少なそうだったから、あっさりと富士宮側に変更したことなど話したら、義父さんが、5合目までの道路は一度開通したけれど、その後降雪があってまた閉鎖になり、開いたばかりだとか、雪があって山は危険だから気をつけるようになどと。

 彼はこの地で生まれ育ったのだけれど、毎日あんなに大きな山を見せつけられては、本当にとても登るものではないと思っているのかもしれない。

 富士宮側からの眺めは、裾のが大きく圧倒されるほどきれい。

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