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2010年1月

2010年1月31日 (日)

別れの日

 ものすごく不謹慎なことを言うけれど、葬式には慣れていると思う。慣れているというと変だけれど、平均よりもかなり多く参列しているはずだ。仕事柄もあるし、登山なんて趣味をもっているからだ。

 今日はうかつだった。遺影の前で、こんなに涙が出てしまうとは思っていなかった。だってもう1ヵ月以上経つじゃないか。

 「ウサちゃんと一緒に山に入った数が一番多いライターって柏さんじゃん?」とか「いつも柏さんの話していたよ」とか何人かから言われて、そうだったかな?と思った。

 年齢は1歳差だったけれど、この仕事に入った時期からすると大先輩だった。だから、会うまではもっと年上の人だと思っていた。私が高校生のころから、岩雪に名前があっただろうし。

 早春の穂高の稜線に閉じ込められただけじゃない、真冬の「あずさ」にも閉じ込められた。電気系統の故障だったから暖房も切られて真夜中になっちゃった。おかしかったな、あのときは。八ヶ岳がえりの私たちは、湿ったダウンを着こんで、余った行動食を食べてやり過ごしていたよ。

 山で、何度かケンカっぽくなったときもあった。そんなことほかの人相手に起こったことないのに。きっと私の志の低さが、彼にはたまらなく歯がゆかったのだと思う。言っていることは、すべて正しかった。

 みんなそれぞれに彼らとの思い出があり、私なんかよりもずっと親しい人や濃密な時間を送った人はたくさんいると思う。けれど、みんな、それぞれの思い出があるのだ。

 私にも、ふたりだけで遭遇した時間や場所があり、私たちしか知り得ないであろうことがあったのに、一緒に語り合う相手を喪ってしまった。

2010年1月28日 (木)

展示会→ミーティング

 仕事が逼迫して、まったく展示会巡りができず。 編集者のTさんと電話で話したが、彼女も状況は同じよう。

 昼、モンベルの展示会へ。

 広報課長のHさんと、飲み友達だったのが今後仕事のパートナーになってくださるという本社のKさんと、それからやっさん+たーさん夫妻と一緒に、春の仕事の打ち合わせ。

 その後、展示されている商品を見て回る。

 装備に関するページを作ることは、最近では稀だけれど、一応、傾向をつかみに、気になる新商品とカラー展開をチェック。

 来客されていた山岳ガイドさん、旅行会社の経営者さん、アドベンチャーレースを主催されている方、編集者、カメラマンなどに会い、近況を立ち話。

 ほか、普段はなかなか会えないモンベル社員(大阪本社勤務、地方店勤務の方がたなど)と、近況、テレマークスキー、積雪状態、新商品、店の近況などの情報交換をして、遊びの約束もして別れる。

 その後、山仲間であり、同業者でもあるOくん+ふみぽん夫妻とお茶をしながら、おしゃべり。

 この二人は、ほんわかしていて、穏やかで本当にいい雰囲気のカップルなのだ。なんだか、自分の心がけがれている気がしてきた。

 この冬こそ、彼らが住む雪の街に遊びに行けるのだろうか。

 夜は、MJリンクの次回の企画のための打ち合わせ。私の仕事が逼迫しているのを気遣い、まさみんが有楽町まで来てくれた。

 ヨガや地図読みの企画内容の検討、当日までの役割分担、当日の役割分担、ほかこまごまとしたことの確認。

 帰宅後、仕事をしようとPCを開くと、広報担当のKちゃんからメール。仕事のパートナーであり長年の友人。「姿を見かけながら、挨拶もできずに」とお詫びの言葉があったけれど、この3日間の彼女はものすごく忙しかったはず。

 年下ながら、いつもこの気配りに学び、ホッとさせられるのだ。

 こういう仕事のパートナーがいることは、フリーランサーの私にとっては、心強い。

2010年1月27日 (水)

情熱が人と惹きつける

 仕事の後、夜新宿へ。

 ずっとずっとお世話になっている編集者のKさんと、年明けは凍傷患者で忙しいKドクター。ダブルKさんという大先輩に囲まれて、海の幸をいただく。

 編集者Kさんの今後3年間の予定や身の振り方を聞き、まだまだ頼ってしまおうと、安心する。いつまでも半人前の私は、編集者さんたちがいなくなってしまったら、何もできなくなってしまう。

 1970年代からの山の話を色々するなかで、私が知らないクライマーの名前も出てきた。けれど、Kさんはすべて知っているよう。彼が登山を始めたのはこの仕事を始めてから。

 けれど、冠婚葬祭、パーティ、イベント、あらゆる場に彼はいるっていつも思う。もちろん山にもいる。

 そうやって築いてきた人脈こそが、編集者の財産なのだと思うけれど、登山についても理解が広い。私も、そうならなければいけないのに。

 Kドクターから山の現場、災害の現場での色々な話を聞き、なんてブレがない人生なのだろうと、年末に初めてお話したときとまったく違わない印象。仕事にも、人にも、情が篤い、情熱と思いやりのある方。

 正月休みに読んだ『国をつくるという仕事』(西水美恵子著)は、著者がロールモデルであり、著者のリーダーシップから学ぶものが多いと評判の本であるが、Kドクターのように情熱がある人にこそ、人はついてくるのだとつくづくわかった。

2010年1月26日 (火)

恒例の会合

 カンヅメの1日。

 途中なんとか抜け出して、10キロラン。

 夜は、大阪から出張中のS課長に呼んでもらい、酒の席へ。いつも展示会の時は、大阪本社勤務で仲のよい友人達と飲むのが習わしだが、今回はORなどで来ていない人もいる。

 初めてお会いしたのは、いま、連載をしている『OUTWORD』 の担当編集者さんである、広報のYさん。

 以前、毎週のように小川山で待ち合わせをして一緒に登っていたSSさんと同じ大学山岳部出身だと聞き、とたんと親近感がわいてしまう。

今日の話題は、広報と営業、フリーランサーが昇給する方法、テレマークスキー、エレファント・ノーズなど。

帰宅後、雑仕事。

2010年1月25日 (月)

スタジオ撮影Day4

 今日もN出版のスタジオに入って撮影。

 写真は、同じビルにある「れすとらん牛舎」のレジスター。いつもお弁当だったけれど、今日はちょっと時間ができたので、みんな(カメラマンさん、アシスタントさん、デザイナーさん、編集者さん、私)で食べに行った。

 今日で撮影も一段落。明日は私抜きで続けてもらい、一通り終わる予定。 

 長かった。

 帰宅後原稿を書いていると、夫からメール。今晩のスポーツ大陸にスノーボードのアルペン競技の選手である竹内智香さんが出るから、みようと。

 いつも旭岳温泉で泊まる宿は決まっているけれど、昨年4月はそこがお休みの時期だたので、 湧駒荘に泊まったのだ。その時初めて、竹内選手のことを知った。

 世界3位にランキングしているけれど、優勝以外は全部同じだと言っていた。自分の滑りを壊して、カービングターンにこだわり続けている。

 スイスのナショナルチームに入れてもらって一緒に練習しているのだと、昨年夏の様子が取材されていた。

 とことんカービングターンを求めて、早くなろう早くなろうとしている強い意志とか、スイスチームに入るために必要で1日10時間勉強して覚えたという流暢なドイツ語とか、本当に素晴らしかった。

 これでまた、バンクーバーオリンピック観戦の楽しみが増えた。

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2010年1月24日 (日)

原稿書き2日目

 昨日に引き続き、原稿書き。

 今日は夜10時で切り上げ、この後編集中の書籍ゲラを読むことにした。

  

 そういえば日記で呟きたいと思っていながら書き忘れていたことがあった。 

 先週のアルペンスキーWCのベンゲン大会。スポーツ+1チャンネルにくぎ付けだった。この大会はロケーションが最高だし、滑降はクラシックなコースで迫力があるし、緊張感があってとってもおもしろい。大好きな大会。地元スイスのヤンカが優勝して盛り上がっていた。

 スイス出稼ぎ中のSEASちゃんによると、彼女が現地を訪れた時はすでにコース閉鎖されていたというが、いつか、ベンゲン大会を観に行きたいっ!

 ところでMJリンクの呼びかけ人とサポーターのプロフィールをアップしました。よかったらご覧ください。 

 手前味噌ですが、MJリンクのメンバーはみなさん実力があって人柄もよくて、いいメンバーです。仲間に恵まれています。

2010年1月23日 (土)

原稿書きの週末

 昨晩中に送る約束だった連載用の原稿を、今朝慌てて送信した。なんとか書き終えた。

 その後、雑用など色々。

 そしてカンヅメになって原稿書きに戻った。

 夜、中学校のブラスバンド部の友人たちと新年会だったのだけれど、カンヅメから抜け出せず。

 夜11時、仕事を止めた。夫が出張だとこういういい加減な生活、時間帯めちゃくちゃ生活も可能。ひとりワインを飲みながら適当夕ご飯。

 よく、「あなたはなんだか、若いころの私に似ているのよね」「だから危なっかしくてほっとけない」などいう台詞があるけれど、年の離れた友人や知人が多くても、私は自分の若いころに似ていると思う人に出会ったことがない。

 私はとてもそんな立派な若者じゃなかったわ……素晴らしいとため息つくことは多々あるけれど。

 そんなことを以前夫に言ったら、「(あんたみたいな問題児)、あんまりいないんじゃん」と言っていた。

 それもそうかと思っていたけれど、ひょっとして若いころの自分に似た人に出会えるというのは、大人になった人だけなのかもしれないと思い当たった。

 自分がまだまだ子どもだったら、若いころの過ちも危なっかしさも無謀さや考えなしな点も、受け入れることができなくて、だから、ちょっとそんな人がいても許容できず、若いころの自分に出会えないのかも。

 なんてことを考えていたら日付が変わったので、慌てて就寝。

 写真は先週土曜日夜の赤坂sacasu。街で遊ぶことが少ない上に、決まった場所でしか遊ばないので、こんなところがあるなんて、驚いた

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2010年1月22日 (金)

アルカ取材2→編集会議 など

 朝イチの確認取材仕事を終えたあと、再び大塚にアルカへ。月曜日の追加取材をする。

 その後、個人的な用事で私だけ店頭に残った。冠婚葬祭用の黒いパンプスがちょっとくたびれてきていて、長く大切に履ける一足がほしかったから。

 月曜日の取材で田部井さんがやったのと全く同じ手順で足型を測り、足や骨格をみてもらい、歩き方をチェックしてもらった。足型はきれいだと褒めてもらったけれど(ちゃんとアーチもありバランスもよいと)、歩き方は右足がやはりちょっとダメみたい。これは意識しないと。

 その後、足に合うパンプスを数足出してきてもらった。ひとつひとつ履いてふたたび歩行をチェックし、履き心地味わって、これという一足に決める。その後、ドイツからやってきたマイスターさんがインソールを調整してくれた(写真、フットプリントをみると、かなりがっちりした足型だということがわかる……)。

 前回取材させてもらったマイスターさんには、時間もなくて「ダンケ・シェーン」しか言ってこなかったので(返答は「ビテ・シェーン」だった)、今日はちゃんとお話したかったのだけれど、不在。別の方がやってくれた。

 長く大切に履けるいい一足を手に入れることができた。デビューは月末の偲ぶ会だな。これ履いて、ちゃんとお別れしてこよう。

 アルカの担当者さんはさぞかし忙しいだろうに、ずっと私にお付き合いしてくれ、その後はクリスピーの登山靴にも足入れをさせてもらった。

 今回の本のカタログページの撮影の時もそうだけれど、私は必ず靴を手に取るだけでなく履くようにしている。手にとって、足型をみて、ビブラム底のパターンをみて、足首周りの硬さをみて、ソールの硬さをみれば、大体のことはわかる。けれどやっぱり私のように未熟だと、履いてみないとわからないこともあるのだ。

 スキー板も同様。展示会でディメンションをみて、板をしならせてみて硬さをみるけれど、それはその場にあるほかの板の硬さ、あるいは自分の板との硬さと相対的にチェックしているだけで、実際に乗ってみないとわからないことだらけ。

 時間はかかるけれど、そうしてひとつひとつ経験していかなればわからないままなので、恥ずかしがらずにやるようにしている。

 クリスピーの靴で私が個人的に気に入ったのは(個人的興味が入っている)、グラン・パラディーン(無雪期の長期テント縦走向け)とトップ3000(夏の剱や穂高定着合宿向け、アイゼン装着OK、岩場や夏の雪渓のキックステップOK)だ。靴としての完成度が高くて、バランスもよいと思う。いずれ、欲しいな。

 その後、代官山の職人細川さんに会ってから、夜、Y編集部へ。

 編集長とフリーランスライターが3人、合計4人で、春から開始予定の連載企画について編集会議、2時間。

 フリーランスのライターが3人集まってひとつの連載に関わるというのは珍しい話かもしれないけれど、この内容、毎号続けるのであれば、3人位で回していかないと、とてもとても書けないし、それぞれが得意なことを発揮して、いい形にしていきたい。いちばん下っ端の私としては、かなり刺激的。

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2010年1月21日 (木)

スタジオ撮影Day3

 朝10時にスタジオ入り。13日の撮影の続きだ。

 今日は点数も少ないからなんとかなると思っていたら、甘かった。タイアップ記事のページの撮影が入ったので、写し込みに時間がかかったり、部分撮影を丁寧にやっていくと、あっという間に時間が流れていく。なかには広告代理店の担当者さんが立ち会う場面もあった。

 終了したのが夜10時頃。カメラマンさん、デザイナーさんと別れて、編集者さんと広告部部長さんと一緒に中華屋さんで夕ご飯。野菜がたっぷり入った餃子に、野菜炒め、野菜ビーフンに上海焼きそば、ラーメン。それに瓶ビールと紹興酒。編集者さん曰く「野菜がいっぱいあって健康的」と。うん、健康的な夕ご飯だった。

 写真は18日にMFAの講習(CPRとファーストエイド)を 受講したのときに、ビル内で撮影したAEDの後姿である。講師の方が教えてくれたが、AEDの後ろにこのようにテントが備え付けられていることもあるという。このテントは開くとバーンと広がってすぐに立つようなタイプ。AEDを作動させるときには上半身の服を脱がせなければならないので、女性患者の時などに使うという。

 私は登山中のファーストエイド、CPRを想定して受講していたが、もちろん街中でもこの日学んだ技術や知識を使うときに出会うかもしれない。

 街では、いわゆる「野次馬」が多くて、それを整理するのから大変だということを聞いた。それはよくないな……。

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2010年1月20日 (水)

帰ってきたよ、尾瀬岩鞍

 昨晩、原稿書きの合間にがんばってワクシングしてよかった。以前、テレマークスキーを始めたばかりのかよちんが、キーノさんに「ホットワックスじゃなければだめなのか?」というようなことを聞いていた。彼女は確か、ホットワックスでなければダメということはないけれど、ホットワックスとスプレーワックスの違いを説明し、せっかくスキーに行くのだったら、ちゃんとワクシングをしてエッジを研いで、板をよい状態にしておかないと、もったいない。滑りも上手にならない、というようなことを言っていた。

 だから、私もがんばってワクシング。

今日は、ホームゲレンデにやっと帰ってきた。そんな気分。今シーズン初の尾瀬岩鞍。ミルキーウェイかっとばしで足慣らしをしようということになったが、今シーズンはニセコにも行っていなくて長距離を滑っていないからツライ。ツライとなると、ついついネガティブが入ってしまい、私の滑りはダメダメになった。板が全く走っとらん。

 こんなにガラガラの尾瀬岩鞍は初めてだ(写真)。

 何度もしつこく映像を回したが、前にも後ろにも誰も映り込まない時が何度もあって、これはいい教則本が作れそうだ。

 途中からネガティブを脱した私は、なんとかがんばって小回りをドリルぐりぐりしてみた。けれど中回り以上は、全然いい感じにならない。どうしてしまったのだろう。

 最後、みんなで話していたのだけれど、尾瀬岩鞍は本当にいいゲレンデだと思う。下部は初心者が中心となる緩斜面、それにボーダーたちが喜ぶかなり手の込んだパークもある。 

 中間部分にはチャンピオンなど、高速系のスキーヤーや選手たちが満足するような上級者用斜面がある。私の大好きな西山へ行くと、斜度がある程度あるためかスノーボーダーがぐっと減り(上級者だけ残り)、割とすいていて、みんな一生懸命練習している。斜面に変化があり、おもしろい。

 不整地もあるし、ミルキーウェイのような長距離コースもある。

 こんないいゲレンデ、関東近郊にはなかなかないな。

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2010年1月19日 (火)

ICI石井スポーツ登山本店取材

朝イチ、開店と同時にICI石井スポーツ登山本店 にて取材。

  その後、久しぶりに会ったカリスマ店員の平出和也くん とおしゃべり。早速「BDのグルーないの?」と聞くと、廃版とのことだった。銀の缶に入ったゴールドラベルのアレである。

 まったく私は不勉強だった。コアユーザー達が買い占めたから、どこの店頭にもないんじゃないか、というのが彼の弁。けれど、平出くんはレースの時もなんでも、シールもグルーもコールテックスだという。そういえば、私もシールはコールテックスのモヘア派だ。なんで、グルーだけいつもBDにしていたのだろう。

 とにもかくにも、日々営業途中に登山道具店を巡り巡ってBDのグルーを探しているグラ兄にこの現実を伝えなければいけない(しかし彼は、後日、独自ルートにてBDグルーを入手。さすがTAJ会員番号10番台は違う……)。

 

 写真は先日いただいた『山の遭難―あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社新書)。先輩ライターのはねやんこと羽根田治さん の新著。

 羽根田さんはこれまで長年にわたって、山岳遭難を取材し書いてきた。その総論ともいえるような本である(本書によるとご本人曰く、書き足りないことは山ほどあるようだけれど)。山岳遭難の事例を検証するのではなく、山岳遭難全体について語ったもの。

 データやこれまで取材した事例も引きながら書かれていて、具体的。

 こういう内容の本が書けるのは羽根田さんしかいないのかもしれない。

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2010年1月18日 (月)

アルカ取材

 N出版の編集者や広告部、カメラマン、それから広告代理店の方々など大勢集まり、田部井淳子さんと一緒にアルカクリスピーの取材。

 アルカでは、イタリアの登山靴クリスピーを販売している。クリスピーというと日本ではテレマークスキーブーツが有名である。私も一度履いたことがある。

 アルカでは、主に5タイプの登山靴を販売しているのだが(写真)、クリスピーをそのまま販売するのではなく、シューフィッターとドイツの靴のマイスターの共同作業で、ユーザーの足のサイズを測ったり、骨格や歩き方をチェックして、インソールを調整してくれるのだ。

 今日は、田部井さんの登山靴を作る工程を取材した。最初にフットプリンターというもので、足型をとるのだけれど、彼女の足型はものの見事きれいだった。加齢によって誰でも縦アーチが落ちやすくなるのだけれど、しっかりと土ふまずがあり、踵の形がきれいに出ていた。さすが、長年途絶えることなく山歩きを続けている方の足なのだと思う。

 その後、場所を移して、田部井さんのインタビュー。

 夕方帰宅後、原稿書き。

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2010年1月17日 (日)

『岳人』2月号 

 今日は自宅で原稿書き。今月は締め切りの嵐嵐嵐……でこの先いったいどうなってしまうかとんと見当がつかない。

 一緒に仕事をしているデザイナーさんが4パラ(4パラレル、4つの大仕事を並行してやっている)と言っていたけれど、私が何パラだかは誰にも言えないほどピンチ。

 15日に発売になった『岳人』2月号フリークライマーの安間佐千さんについて書いた。

 

Thinkerである彼のインタビューは、楽しく刺激的な仕事だった。

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2010年1月16日 (土)

MFAのCPRとAED、FAの講習

 メディックファーストエイドのベーシックプラス を受講。昨年から予約を入れていたけれど、不幸や体調不良によって2度もキャンセルをしてしまい、今日やっと受講できた。

 客室乗務員の方々と一緒に受ける予定だったけれど、彼女らの日付が変わったようで、なんと贅沢なことに生徒は私ひとりっ!リラックス雰囲気で、わからない点はその都度自由に質問しながら進めていくことができた。

 内容は、CPR、AEDの使用、ファーストエイドだ。いずれも街での傷病を想定し、救急車が到着するまでに、いかに傷病者の状態を悪化させずに保つかということだ。

 10月にウィルダネス・ファーストエイド50時間コース を受講していたけれど、これではCPRAEDをやらない。これらは当然できることされているし、それよりもウィルダネスという環境下で何をどうすればよいのか学び、シナリオによるトレーニングに徹する5日間だったのだ。それはそれは充実した時間だった。

 今日の講習では、講師の方に教えてもらうひとつひとつを、「では、山ではどうしたらよいか?」と自分なりに考えられた点がとても有意義だった。それもウィルダネス・ファーストエイドの講習の成果だと思う。

山岳事故の場合、傷病者は自然環境にさらされた中で何時間救助の到着を待たなければいけない。ひょっとするとオーバーナイトしなければいけない。あるいは自力下山ということで、自分で歩いたり、周囲の人に搬送してもらう場合もある。

そういった場合、ショックへの対応がとても重要なのではないかと感じている。そしてそれ考える時、私はいつもある先輩の死亡事故を思い出す。

写真は参考に見せてもらった子どもに使うAED。フィリップ社のものだ。「子どもキー」と呼ばれるカードを差し込み、プログラミングを子ども用にする。パットを貼る位置も違う(写真のパットに描かれた図参照)。そして注目してほしいのがコード! クマさんの形になっているのだ。この子ども専用のコードを使うと、コード中で変電され、電圧が下がる。

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2010年1月15日 (金)

メーカー取材ふたつ

 午前中は、マムートの新オフィスを訪ねて、取材。

 マーケティング担当のユミコさんは、以前、MJリンク第1回那須岳 に参加してくれた。ご自身も山スキーやクライミングが好きで、ヨガの先生でもある活動的な人。

 今回の取材対象である3つの商品について説明を受ける。

 ソフトシェルのフードの部分に感動。いい感じのフィット感と安心感。また、取材対象ではない別のだけれどリチウム も見せてもらった。山スキーやクライミングで使いやすそうな軽量ザックで食いついてしまう。

 ギリギリボーイズの天野くんのような人たちが、最も過酷な条件下で使っているエクストリーム ローガン ジャケット も試着。かなりのハードさ。

 午後の取材の前に、広告と編集担当の方々と一緒にランチ。渋谷の食べ物屋は多すぎて、どこが美味しいのかさっぱり分からなかったけれど、最近、このお二人に鍛えていただいている。今日はボリューム満点でしかも美味なアメリカン。

 午後は、ユニバーサルトレーディングの担当の方がいらっしゃって、話を伺う。

 そういえば、ウチの母校山岳部も、先日の八ヶ岳でEPIREVO3700 を使っていた。当時、ひとり部員だったつかちゃんが、各社のスペックを調べて比較し購入を決めていたのだし、バランスのよいスペックのようだ。

2010年1月14日 (木)

初走り!

 今シーズン初のクロスカントリースキー。

 昨シーズン始めて、滑走日数10日程度で札幌国際スキーマラソンに出たことは身の程知らずだったかもしれないけれど、大会のスタート地点に立ったときよりも、25キロ走り終えた経験をもった今の方がスケーティングが上達していることを実感できて、とっても嬉しかった。

 連日の降雪で奥日光は公認コースが踏まれていなかったので、1キロコースでタイムを計ってみたが、ちょっと絶望的。それにこんな遅いタイムなのにハアハア息切れがする。このペースで50キロ走ることはできないから、もう少し落とすとすると……私は制限時間内に滑走できるのだろうか。

 今日は雪も降り寒かったけれど、いい撮影もできた。

 私の滑りについては、昨年あんなに親身になって教えてくださった八重樫さん+古澤さんの言いつけが、ちっとも守れていないことがわかり愕然とした。2人の走りを頭の中に焼き付け、言われたことをいつも意識して滑っていたのに。ちっとも体が動いていない。

 今日初クロカンのカヨちん。ウロコ付きをレンタルしたが、これで走っていた。下り坂もちっとも怖がらず、ハの字も出てこないすごいなあ。

 カヨちんは、クライミングや登山が好きな女の子で、以前は私の家の近くに住んでいたのだけれど、知り合ってすぐに転勤になってしまったのだ。先日、テレマークスキーイベントで再会。

 もっと遠くに行かれちゃう前に(若い子はあっという間に羽ばたいていくので)、一緒に岩や雪を登ってもらおう。

 帰りが遅くなり、いろは坂を下ったのは5時前ぐらい。テカテカに凍りついていた。こんなシリアスドライビングのお供は、カヨちんが持ってきた砂糖をまぶしたしょうゆ味の分厚いせんべい。お父さんの実家の葛飾の物産なのだそうだ。これがなきゃ、みんないろは坂を下れなかったでしょう。1枚でお腹いっぱい。

 写真は昨日の撮影で使った、スマートウールのウィメンズNTSミッドウェイトジップ+パンツ 。こんな花を持たせたらステキ、とデザイナーさんがウエアの詰め物に使う綿で白い花を作っていた(撮影には使わなかったのだけれど)。さすがのセンス。

 今日みたいにカチカチに冷え込んだ雪の中での活動のあとは、こんなあったかウールを着たい……。

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2010年1月13日 (水)

スタジオ撮影 Day2

 今日の仕出し弁当は、スタジオと同じビルに入っているお店(以前からかなーり気になっていた)から。日替わり弁当には鶏から揚げやクリームコロッケが入っていたけれど、私の胃腸も完全復活なので、美味しく食べれた。

 撮影も無事終わった。

 これから山を始める女性、初級の女性向けに、日帰りハイキングから山小屋1.2泊を対象とした装備選びのページ。取寄せた装備、ウエアは60点近く。どれも良質でデザインや色合いも美しいものだった。ひとつひとつ手に取ると、私個人のお気に入りも出てきた。

以下、個人的に欲しくなった品々。

登山靴  ラ・スポルティバ トランゴトレックマイクロエポGTXウーマン

初めて買う1足には高価かもしれないけれど、これは長く履ける。初心者には少々ソールが硬いかな、とも思ったけれど、これぐらいしっかりしていれば、テント山行もOK。もちろん日帰りハイキングにもOK。なによりも、靴としての完成度が高いっ! 美しいっ! 

ザック  マックパック カカポ 

クラシカルなデザインがおしゃれー。それにマックパック独自の防水素材アズテック使用。

ザック  ドイター ACTライト35+10SL

ドイターさん、いいザック作るなー。作りがよいです。

ザック  オスプレー バリアント28

やっぱりこのレッドは捨てがたい……。

化繊防寒着  パタゴニア ナノパフ

ううん、これある意味、クライマーにとってダウンよりも使える。酷使できる1着。商品化される前から、テスターやアンバサダー達の間で大評判だっただけある。

ウールアンダー  スマートウール ウィメンズNTSミッドウェイトジップ+パンツ

2柄のボーダーがかわいいのだ。

アーム  スキンズ  パワースリーブ

トレランはもちろん、ストック使いや登山に不慣れで腕が疲れやすい女性にもよいのでは。

写真は今日1日よく働いたマネキンさん。

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2010年1月12日 (火)

スタジオ撮影 Day1

 体調がどこまで復活しているのかいまひとつわからないまま、恐る恐る、渋谷のスタジオへ。

 今日から山の装備とウエアの撮影を2日間でやる。すべて撮り終えるにはかなりのスピードが必要とされるのではないか、という点数だ。カメラマンさんは、さすがのプロフェッショナルな技能とアイディアと行動で、ひとつひとつ性質が違う装備たちを、どうやって撮ったら魅力的になるか、考えながら実践していってくださった。

 体調の方は、昼にイカフライが載ったカレーライス弁当をいただき、がっつり復活。

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2010年1月11日 (月)

寝込んだ3連休

 原稿書きに専念する予定だった3連休は、ずっとベッドの中にいた。

 39度近い高熱が出て、近くの町医者に行き、インフル検査が陰性となったけれど、「予防でタミフル出しておくね」など言われて、風邪薬と解熱剤を飲みながら延々寝て、1日で37度まで下がった。 

 けれどその後お腹の調子がめちゃくちゃ悪くなり、結局3日間寝込んだのだ。

 体質かもしれないけれど、風邪などの症状が出ると、私の場合、ぐーんと熱があがる。あっという間に高熱になって、少し唸ると冷めてくる。変なの。

 ベッドの中で考えたのは、世代の差(最近若い人と仕事をすることが多く、その言葉遣いやセンスの違いに驚かされる、というか困ることが多いので)、怯まず堂々としていることと生意気の違いなど。若い人にどうやって接したらよいか。それから自分が若いときのことについて(冷や汗)。

3連休の初日、夫は出勤前にコンビニに走り、プリンやらレトルトパスタやら、スポーツドリンクを買いこんだ。ひゃー、寝込んでいる間はこれを食べるのか、と1日にして早くもイヤになったけれど、2日目は仕事が休みだったので、ミネストローネを作ってくれた(写真)。命拾い。

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2010年1月 8日 (金)

スタジオ下見

 終日都心で取材をし、夕方に今日最後の仕事へ。

 行き先は渋谷にあるスタジオ。連休明けの撮影の準備と打ち合わせ。

 その後、編集者さん、広告代理店の方などと広島のお好み焼き屋さんへ。

 帰宅時からゾクゾクが始まる。先に帰宅していた夫に携帯メール。「しょうが湯が飲みたいからすっておいてくれ」。速攻、就寝。

 写真は6日の下山の時に望んだ大同心など。

 年末に喪った仕事仲間の友人と一緒に登ったことを思い出していた。

 学生たちも、初めて見た美しい眺めを写真に収めていた。真面目に部活動をすれば、若い体力と身体能力をもってすれば、すぐにこういうルートだって登れるようになるのだから、がんばってもらいたい。

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2010年1月 7日 (木)

ナチス政権とアイガー北壁

 『アイガー北壁』のマスコミ試写会へ。

 NordWand Climbersの方々が何人もいらっしゃっていた。

 想像よりもずっといい映画だった。救いようのないストーリー、見ているだけれで寒くて寒くて仕方ないから厚着をしていった方がよい、など言われていたけれど。

 確かにストーリーに救いはなかったかもしれない。そして、後半はだんだんとストリーが崩壊していくというか……あり得ないでしょ、こういうことって展開になっていく。

 けれど、要所要所の描きはリアルだったと思う。クライマーの心情やクライマーの行動、所作がリアルなのだ。

 NHKが放映したドラマ『氷壁』でとても違和感を感じたのは、仲間の遺体への近づき方である。クライマーは山で遺体を見つけたとき、あんな風には近づかない。

 けれど、この映画では、そう、そんな感じ……とヘンなところで共感してしまった(あのように遺体を処したかどうかはわからないけれど)。

 なんてことはストーリーの本質ではなく、脇の脇のことかもしれないけれど、けれど、登る者の心情を描く映画としては、重要な点もあるのではないかと思う。

(余計なことかもしれないが、すべてのシーンのアンカーがハーケン1枚だったことだけは気になった。というか見ていて怖くて仕方がない。あれはなぜ? まさか史実に忠実にした結果ではないだろうから)

 クライミングシーンの連続なので、クライミングに興味のない人がどう見るのかはわからない。けれど登山の歴史的舞台であるアイガー北壁を眺めたことのある人、グリンデルヴァルドを訪れたことのある人であれば、興味をもってもらえるかもしれない。

 アイガー北壁はグリンデルの村から仰ぎ見ることができる。映画にあるようにクライネシャイディックのホテルからは望遠鏡を使えば、クライマーたちの様子も手に取るようにわかる。

 けれど、壁の中は別世界なのだろう。

 この映画を作るために、アイガー北壁初登にいたるまでの悲劇の歴史をどのように取材したのか、知らないけれど、よく調べて再現しているのではないかと思った。

 私は中学校・高校とオーケストラに所属していた。その影響もあり、ナチス政権とクラシック音楽の関係に興味をもちドイツ語を、大学の専攻とした(結局卒論は、ドイツ人の歴史認識と政治文化だったけれど)。

 その立場からすると、アイガー北壁を初登頂したものには、ベルリンオリンピックの金メダルを授与する言ったヒットラーのこと、それが(+報道合戦が)多少なりとも当時の若いクライマーたちをあおっていたこと、一方でクライマーたちの心根には純粋に山への憧憬があったことにも興味をもって、映画を見た。

 ヒトラーは山を神聖な場所として認めていたし、初登頂する=征服するという行為はファシズムの中枢にあった。

 またヒトラーは、ドイツ人らが登頂することによって、「民族優位性」を示そうとしていたし、ドイツ人とオーストリア人の合同隊になることによって、オーストリア合併を必然的なものにさせた。

 映画に登場する若きドイツ人クライマーであるトニーとアンディはアイガー北壁に死し、ナチス政権の犠牲者であると言われているが、 はたしてそうだろうか。アイガー北壁は国威発揚のプロパガンダとして利用されていたが、人の心はそんなに簡単に支配できるものではない。私は昨今の中国やチベットの人々を見ていても思う。

 トニーとアンディが毎日通う部隊のゲートで、監視員から「ハイル・ヒトラー」とあいさつされ、「よお」とか適当に応えるシーンが何度かでてくる。部隊でトレーニングしているときも、自宅に帰ってからも、彼らのアタマの中には山のことしかなかったのだ。だから、除隊してまでアイガー北壁に臨んだのだろう。彼らは登りたくて登ったのだ。自らのモチベーションがなければ、決して登れないということは、登山をしていれば簡単にわかることだ。

 アンディを演じたフロリアン・ルーカスというドイツ人俳優が「この物語が素晴らしいのは、非常に簡素な装備で1メートルずつ登っていったパイオニアたちを生き生きと描いたことにあると思う」と述べていた。

 彼はアンディを演じることによって、クライマーたちの心情を理解したのかもしれない。

 試写室をでると、いろんなクライマーの方々に会った。以前インタビューしたことのある女性クライマーとは数年ぶりだった。一緒に駅まで歩いた。結婚したためか、一層かわいく美しくなっていて、なんだかすてきだった。

 夕方、カモシカスポーツへ。山岳ガイドの方にお会いしてインタビュー。

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2010年1月 6日 (水)

山から降りて

  今朝、昨日の悪天はウソのように晴れ渡った。夜中、テントで寝ていても風の音もなく静かだったので、きっと学生の2人も、昨晩は眠れただろう(その前の晩は、風の音が強くて眠れなかったと言っていた)。

 硫黄岳まで行きたいのだけれど、それよりも教えなければいけないことがたくさんありすぎる。まずはすべての基本であるキックステップ。本当はアイゼン歩行ももっとやりたい。滑落停止技術よりも何よりも、滑落しない歩行技術が大切なのだから。

 ともかくたくさん歩くしかない。

 キックステップとピッケルワークを教えながら、硫黄岳方面へ。

 下りでは、簡単なロープワークもやった。

 彼らのお母さんと数歳しか変わらない私としては、早く彼らに成長してもらい、楽をさせてもらいたいって気分。

 いいやそんなことよりも、どんどん成長していって、先輩を追い抜いていってもらいたい。

 学生たちが、何に興味を示し、どんな気持ちで山岳部に入ったのか、本当のところのことは知らないけれど、もし山をやりたいと思うのだったら、大学4年間、みっちりと山に登ればよいと思う。というか、私たちの時代は、山岳部以外にとくにほかにやりたいことがあったわけではない。いまは娯楽がたくさんあるからか、情報がたくさん得られるからか、山以外にやりたいことや夢が多い。

 それはそれでよいことだと思うけれど、けれど、かなえたいと思う夢があるのであれば、それに専念するのがよいのではないかと思う。

 彼らがもっている夢は決して簡単なことではないので、もし私がふたりであれば、山岳部などに入らず、将来の夢のためにまい進するのだけれど。

 一方で山登りもそう簡単なものではない。年間わずかしか山に登らないのであれば、到底身につくものではない。

 ある世界的な登山家が「人生のなかでただ一つ後悔していることは、高校に進学したことだ」と言っているのは、有名な話なので、登山に興味がある人であれば、読んだことがあるかもしれない。

 つまり彼は、中学で学校を終え、登山に専念していたら、もっとたくさんのことができた、もっと力のある登山家になれたと言っているのだ。

 彼は、人生の早い時期に自分が本当にやりたいこと=登山に出会った。それはゆるぎない気持ちであり、迷いはなんにもなかった。自分を信じることができた。その強い気持ちで、山に登り続けている。

 彼ほどのハイエネルギーは稀かもしれないけれど、こういった自分を信じることができる強い気持ちこそが、才能なのではないかと思う。

 そして、それは周囲がいかにサポートしたからといって、確立できるものでもない。

 学生の2人が、今後どうするのかわからない。けれど、そんなたくさんでなくてもいいのだ。自分がやりたいと思うことにたったひとつでいいから出会えれば、それほど幸福なことはない、ということに、いつか大人になれば気づくのかもしれない、3日間一緒に山を歩き、そんなことを思った。

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2010年1月 5日 (火)

雪上トレーニング

 

 強い冬型のため、八ヶ岳周辺でも稜線は吹雪いている。もともと、初めての雪山なので稜線に出る予定はなく、安全圏である森林限界以下でトレーニングする予定だった。しかしそれにしても、テント場付近も強い風と雪だ。気が滅入って、明るくなってから出発することにした。

 中山峠方面へ歩き、適当な場所でトレーニング。本来、キックステップから教えるべきところだけれど、この環境では無理。ともかく雪上歩行というか、雪に慣れてもらうと、わかんをつけてラッセル。日の出稜に入る沢を使った。

 一般道まで戻ってきてから、滑落停止の練習。

 私たちが学生のころは、斜面を滑って滑落停止の練習をしていた。そういう部は多かったのではないかと思う。けれどそれには「滑落する」というリスクがあり(実際、私もバケツを通りこしていつまでも滑落したことがあった)、また登り降りをするためにできる回数が少ない。

 そんなこともあり、かなっぷが卒業後参加した文登研(社会人向け)では、その場で型だけやるのを死ぬほど繰り返したそうだ。

 今日の2人は死ぬほど繰り返すほど体力がないので、そこそこしかやらなかった。

 このような方法で型がしっかりできてから、やっぱり実際に滑落しながら練習するのがベストかな、と思った。シビアさが違うので。

 その後、一度テントに戻ることにした。ユーサクが指が痛い痛いというので、私が一緒に学生のテントに入り(その代わり、ダイシが私たちのテントに入り)、お茶を飲みながらユーサクの手を改めて、チェック。原因は、わかん装着などの作業のときに、インナーグローブを濡らしてしまっていたからだ。指はそれほどひどくないので、グローブを乾かして、ゆっくり休んでから再開すれば大丈夫だろう。

 こういったひとつひとつの細かなことが、雪山など過酷な条件では命取りになっていくのだ。

 昼過ぎから、ジョーゴ沢でアイゼンのトレーニング。これだけ、硬い氷で練習すれば、アイゼン歩行もごまかしがきかないだろう。

 フラットフィッティングでの登下降とトラバース。フロントポインティングでの登下降など。

 かなっぷが「ピエ・カナール」(「あひるの足」という意味。フラットポインティングで直登するときの足の形)を教えているのだから、おもしろい。けれどこんなオヤジ的ダジャレは今の若者には通じないだろうから、40オンナの私は口をつぐんだ。

 夕方テントに戻る。

2010年1月 4日 (月)

赤岳鉱泉入山

 美濃戸口から赤岳鉱泉へ。

 弱小大学山岳部。部員数が激減してはや15年余り。先輩が後輩に伝承していくというシステムはとっくの昔に崩壊していた。それどころか、4年間まともに山岳部を続ける部員すら数えるほど。

 今日のふたりは2年生。ひとりは一昨年秋に入部。もう一人は昨年秋に入部。2人とも雪山もテント生活も本当の本当の初心者。初めてのことばかりだ。

 こんな状態では、コーチ会(監督+コーチ)が先輩部員の役割もしなければならない。準備段階から、一緒に装備の買い物に付き合い、装備の使い方を説明し、薬品をそろえ、冬型の気圧配置や八ヶ岳の天候について勉強し、凍傷や低体温症について学んだ。

 けれど、四六時中彼らと一緒にいるわけではないし、こちらも仕事を抱えながらこれらを完璧にやるのはとても無理がある。

 さらに現実問題として、コーチ会は現在3人しかおらず、そのうちの待望の新人コーチひとりは長野県に転勤になってしまい、実質的なことは40代のふたりがやっている(けれど、新人コーチのツカちゃんは、すばらしい後方支援をしてくれていて、頼りになるのだ)。

 いやはや疲れてきた、というのが正直な気持ち。

 美濃戸口はどうにか出発した。パッキングはメチャクチャだったけれど、荷物は20キロチョイだし、わずか赤岳鉱泉までなのだから、若さで歩きとしてもらうしかない。幸い、ふたりとも体力はあるのだから。

 テント場に着く頃には、疲れに疲れていた部員もいたけれど、とにもかくにも、雪上でのテントの張り方を教えなければいけない。雪雲がやってきていたから、こちらも早くテントに入りたいのだ。

 その後、かなっぷが学生のテントへ行き、ご飯の作り方やテント生活をこまごまと教え、夕食を食べて、就寝。

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2010年1月 3日 (日)

山の準備

  夜仕事を終え、山の準備。明日から23日で赤岳鉱泉にテント泊して、学生と一緒に雪上訓練や簡単なアイスクライミング、雪山登山をするからだ。 

 久しぶりの雪山の準備は、なかなかてこずる。これが毎週のように通っていれば、あっという間に準備ができるのだが(そういう場合は、前の週の装備を洗濯し干して取り込んだ時点で、パッキングが始まるのだけれど。

 かなっぷにいたっては、なんと手持ちのザックでは荷物が入らなくなった(だから入らないだろって言ったのに、絶対に私にもっと持たせる気だったのだ)。そのため、私が友人から借りっぱなしのザック(先日彼女の畑から野菜をもらって帰ってくる時に借りた)を、使わせてもらうことになった。

 明日、電話しなきゃ。

2010年1月 2日 (土)

平凡な日に

 午後から初ヨガへ。自転車を少し走らせたところにヨガスタジオを発見したからだ。ヨガはど素人だけれど、今日は先生にいくつか褒められて、いい気分になった。

 明らかにクライマーじゃないかなと思う生徒さん、ふたり発見。クライミングジムが近くにあるからかな。

 初めてヨガスタジオに行ったのは、4年位前の成都でのこと。自然条件が理由で旅が早くに終わってしまったけれど、帰りのチケットを買い換えるようなお金はないので、10日間ぐらい友人宅に居候していた。

 毎日のように通っていたクライミングジムの隣がヨガスタジオだったのだ。それで、ジムのあとにヨガに寄っていた。

 日本でもヨガとクライミングジムをハシゴするような生活ができるように、もうちょっと私も努力するべきだろう。

 帰宅後は、全然進まない原稿書き。ちょっと場所を変えて、集中して書いてしまいたいが、ほかの身辺の状況を考えると、そうもいかない。

 私の小回りがうまくいっているか心配でならないという、友人のケイちゃんが、Jくんの小回りNyポジション編の画像データを送ってきてくれた。何度もみたけれど、どうしてよいのか、よくわからない。

 それからケイちゃんが編んでくれた赤い帽子も送ってきてくれた。嬉しい、これをかぶって、今年も札幌で爆走(暴走?)です。

 ところで! いただいた年賀状のなかから重要なお知らせを発見。

里山チーズ(ムチュリ)を作っているチーズ工房IKAGAWAさんが、再び人生の楽園に出演。明日13日午後430~。テレビ朝日です。

 このブログをご覧いただいている中に、何人かIKAGAWAさんのチーズファンの方がいらっしゃるので、お知らせ。EKさん、運よくこのブログを読んで、テレビを見ることができればよいのだけれど! (ご自宅あてにお知らせがいったかな)

 IKAGWAさんのところでは、12月にミミ(牛)が生まれたばかり。かわいいだろうなあ。会いに行きたい。

 正月だけれど、平凡な時間が流れるようになった。

2010年1月 1日 (金)

年が明けて

 元旦の朝、夫とふたりでおせち料理と雑煮を食べた。夫は今日も出勤なので、私もそれに付き合い酒は止めておくことにした。

 正月中に読んでしまいたい『国をつくるという仕事』(西水美恵子著)を読み進め、その後やっと年賀状に取りかかった。今年の抱負を考える以前の問題として、来年の年賀状こそ、早くに準備することにする。

 買っておいた枚数では足りなくなり、途中近所のコンビニに走ったが、こんなに日なって年賀状を買うなんて、恥ずかしかった。

 いただいた年賀状を読んでいると、友人の近況がわかったり、昨年の自分の仕事を振り返る機会になったり、やっぱり年賀状はいいものだと思う。つくづく、わが身を省みる。

 夕方から原稿書き。

 夜仕事から戻ってきた夫と一緒に、またおせち料理。そしてお頭付き鯛の塩焼き。献立もちょっと目出度くしてみた。

 おせち料理と雑煮さえ作っておけば、三が日は食事に困らず仕事に専念できると思ったけれど、3食同じものを食べている私は、早くも飽きてきた。

 下は、年賀状に使った写真のうちの1枚。説明不足でしたが、火口手前にいるピッケルがついたザックを背負った人物は、一応滑っています。アタマが白いのはヘルメットではなく、多分、この直前に転倒したからでしょう。

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