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2009年12月

2009年12月31日 (木)

細板に乗ってこころ軽やかに

 ひたすら仕事の年末年始にするつもりだったけれど、やっぱりメリハリは必要だろうと考えた。昨晩、レコ大を見て、年末らしさを味わってしまったのも原因かもしれない。掃除ぐらいした方がよいだろうし、遅れに遅れてしまうが年賀状もちゃんと書こう。

 ということで、今日の仕事は午前中で終わり。午後からは大掃除をして、おせち料理を作っている。年賀状は追々進めるつもり。

 ここ数日友人達から嬉しい便りが届いた。

 ひとりは前職のときの同僚である。私などは何の専門知識もないまま仕事をしていたが、彼女は開発学を深く学んだ人だった。1月から転職し、要職に就くというあいさつだった。

 もうひとりは大学山岳部以来の友人。今年からフリーランスの翻訳家になった。早くもフリーランサーとしてのペースをつかみ、安定した生活を送っている様子に、さすがと思った。

 他にもカードやメールや電話が届き、年末ならではのことだけれど、友人達の声が聞けて嬉しかった。

 毎年大晦日には1年間の仕事を振り返るようにしている。

 今年はいろんなことが猛スピードで過ぎていったような感がある。花を咲かせたり、実を実らせることがあまりできなかった。これも種まき時期ととらえるべきか。

 しかしそのような中でも、チベットのこととチベットと中国に関する問題について2回書かせてもらうことができたのが、心に残った仕事だ。

 貴重な機会であったし、色々勉強させてもらったし、とても感謝している。

 そういえば去年の今日の日記にはデプン寺の写真を載せた。一昨年、私たちが参拝したその翌日に、僧たちが全員閉じ込められてしまったという事件があったからだ。

 来年の目標については、つらつらと考えているけれど、明朝、おせち料理を食べ、シャンパンを飲みながら決めようと思う。

 仕事はじめは元旦午後からとしよう。

 さあ、来年も“細板”に乗って、走り出そう。

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2009年12月30日 (水)

やっと原稿書き

 今週あたりから正月休みに入る人が多く、今日になったら本当に静かになった。電話もメールも来ないのは嬉しい。これで原稿書きに専念できる。

 今年は夫が年末年始も仕事であることや、書かなければならない原稿が一向にはかどっていないこともあり、私も働こうと決めていた。

 ひとり暮らしになっている母には我が家に来てもらう予定だったのだけれど、昨晩から夫が熱を出したので(老母に風邪がうつるのもよくないので)、それも取りやめとなった。

 けれど、夜、熱が下がってきたので、ふたりで実家へ行ってみた。

 一緒に夕ご飯を食べながら、レコ大なんかをみて、古い歌を聴いてなつかしみ、新しい歌を聴いてあれやこれや文句入り混じりでコメントする、こんなのはなんとなく年末らしい。

 我が家の大掃除も年賀状書きもなにも済んでいないので、31日と1日は仕事ばかりせず、少し身の振り方を考えなければいけない。

 友人・知人・仕事仲間から連絡のあった(彼らが出演、制作などに関わった)年末年始の山に関するテレビ番組についてお知らせ。

1月 1日(金)  午前2:30~午前3:15(45分)  NHK総合/NHKデジタル総合 今夜はとことん、北アルプス 金とく「保存版 絶景!北アルプスの四季」 *NHKの内多勝康キャスターが登山家音田部井淳子さんと冬の北アルプス、西穂高岳に挑戦。

1月 1日(金)  午前3:15~午前4:00(45分) NHK総合/NHKデジタル総合 今夜はとことん、北アルプス 金とく 北アルプス大縦走(前編)あぁ絶景!雲上の楽園 *内多キャスターと田部井さんが、北アルプスの山々を3週間かけて縦走するビッグプロジェクト①(再放送)

1月 1日(金)  午前4:00~午前4:45(45分)  NHK総合/NHKデジタル総合 今夜はとことん、北アルプス 金とく 北アルプス大縦走(後編)ついに来た!夢の頂 *内多キャスターと田部井さんが、北アルプスの山々を3週間かけて縦走するビッグプロジェクト②(再放送)

1月3日(日) 午後6:00~ 日本テレビ 世界の果てまでイッテQ! *「内村が行く!イッテQカレンダー大プロジェクト!!」にてうっちゃんが登山。 ウェック・トレックさんがコーディネート・撮影補助。

1月10日(日) 午後8:00~10:00 NHKBSハイビジョン グレートサミッツ *4月より本格放送が始まるプレミアム8シリーズ「グレートサミッツ 世界の名峰」の開始に先駆け、グレートサミッツの魅力を紹介する特番。田部井さんらがスタジオゲスト出演予定。 ウェック・トレックさんがコーディネート。 視聴者から「世界の名峰」に関する思い出話や行ってみたい山への思いなどのお便りを募集中

1月13日(水) 午前9:15~9:35 NHKBS1 アジアンスマイル *「ヒマラヤ キッチンボーイ -ネパール」。登山隊に同行して(いまやトレッキングをする登山客のチームにも)、料理を作り提供する役のことをキッチンボーイという。大概、若いシェルパ族(いまはほかの民族も増えたか)がその役に付くことが多いが、ゆくゆくは登山隊のコックや、シェルパ(登山隊を助ける役割、荷揚げやルート工作など)、サーダー(シェルパ頭)になることを夢見ている。 ウェック・トレックさんがコーディネート・撮影補助。

2009年12月29日 (火)

FeWからのお便り

数日前から、このweb日記の右側の欄にある「Link」に載せてあるので、お気づきの方もいるかもしれない。

 友人であるFujiyama GuidesヒロスケからFeW(Female Eco-treck Workshop )について連絡があった。

 チカさんとさっちゃん、ゆっきーの女性3人組が始めた女性を対象にした登山のワークショップだそうだ。

 昨今の若い女性たちの登山ブーム。

「他の人たちの川には鮭(若い女性たち)があがってきているけれど、僕らの川にはいないんですよ」

「いいじゃん、別に」と私。

「でもやっぱり、川にはいろんな魚がいた方が生態系的にもいい気もしますし」

などという会話をある人としたことがある。川というのは、その彼が営む登山ガイドの会社を例えたものであった。

 ちょっと前に「百名山ブーム」とか「中高年登山ブーム」とかがあって、いまは「女子登山ブーム」である。

 ブームっていまだ何かよくわからない。

 編集者のフミエちゃんは、「私たち時代を先取りしたね、早すぎたんだよ、あの企画」と『岳人 2007年 10月号』 の第1特集「心とカラダと山登り 女性よもっと山へ!」のことをいう。

 私自身は、女性が人生のなかでいろんなステージを迎えるけれど(学生から社会人になり、仕事をもったり、結婚したり妊娠したり、出産したり、子育てしたり人それぞれ色々、親の介護をしたり)、そのなかでも細々とであっても途切れ途切れであっても、自分の好きなことを続けていける人生だったらいいなあと思い、岳人の記事を企画したり、ほかの記事を書いたり、今年は田部井淳子さんに声をかけてもらい、MJリンクをスタートさせたりした。

 FeWもまた、ブームの時期に始まったことだけれど、普遍的でゆるぎない活動だと思う。なんて本来的なコンセプトだろう。

 みなさん、知っています? チカさん、さっちゃん、ゆっきー、この3人はかなりのツワモノたちなんですよ。天井知らずの企画になりますね。

 楽しみです。私も参加申し込みしたい。

2009年12月28日 (月)

刺激的な時間

 登山を趣味としていて(趣味というか、かなりコアなクライマーや登山者たち)、職業は医師である人たちのことを、私は失礼ながらも敬愛の念をこめて、「山に登るお医者さん」などと呼んでいた。

 これまでも記事や本を書くときに本当にお世話になってきた。

 今晩お会いした方は、“山に登る”という形容詞だけではくくりきれない活動をされている方だと思う。ヒンズークシュなどでのクライミングやRCCエベレスト隊のチームドクターなどの経験のほか、被災地での医療活動を長年にわたって行ってきた、とてもワイルドな方だ。

 友人の病室では何度もお見かけし、ご挨拶はしたことがある。そう、凍傷になるとみんな彼をすがっていくでしょう。彼の執刀で指を切断してもらった(してもらうって表現、ヘンかもしれないけれど)友人も何人かいる。

 そういえば、「凍傷ドクター」とか「感謝されない医者」などという表現もある。

 どれだけ苦しい思いをしてきたのか……心中察するにあまりある。

 こうやって深く話をするのは初めてだった。

 ウィルダネスファーストエイドという概念、教育、環境が日本に果たしてあるのかどうか、私にはわからない。系統だてて教えてもらったことが、私はこれまでなかった。この10月に受講するまでは。

 おそらく、北米ならば当然のようにあるメソッドも確立していないだろう。

 けれど、今晩お会いしたドクターは、ご自身の山や被災地での経験をもとに、国内外で勉強され、現在は山岳ガイド達に教えてもいる。

 こういう立派な方が、先導をきって開拓していく方がいるのだと、つくづく思った。

 刺激的な時間だった。

2009年12月27日 (日)

己について書く

 昨日はヨガの最中から眠くて眠くて仕方がなく、終わったあとはぐったり来たのだけれど、今日はすっきりと終えることができた。昨日よりもさらに難しい内容になっていて、私はついていくのが大変だったのだけれど。

 5つの煩悩(愚痴・瞋恚・慢心・貪欲・妬み)に対して、それぞれ智慧がある。さらにはそれぞれのヴァーユ(インド神話に出てくる風の神)がそれぞれ体の部位を流れているため、ヨガではアーサナをしてプラナを整え、それぞれの部位に働きかけることによって、外側からも煩悩を滅することにつながるのだという。またそれぞれのアーサナを取りながら、対応する煩悩について考える(考えるアプローチは2通りあった)ことも重要なのだそうだ。

 うん、多分そんなことを担当のヨガの先生は言っていたはず。

 アパーナ・ヴァーユは骨盤から太ももに向かって流れているそうだけれど、これは慢心と対応する。慢心に対する智慧は平等性智。私は太ももの筋肉が硬いのだけれど……それは慢心にも関係しているのか???

 ニグマとナーローパの伝説も聞いた。

 それからチベット・ハート・ヨガというのは、瞑想、アーサナ、日記を書くことの3つから成り立っているのだそうだ。

 日記(The BOOK)の書き方をweb上で見せてもらったけれど、これを続けるのは相当大変。

 己のことを書くということは、己を知ることになるのはよくわかるのだけれど。

 2日間のワークショップ終了後、スタジオを出て帰宅。

 自宅で、机仕事。

2009年12月26日 (土)

チベットとヨガ

 小伝馬町の呉服問屋街にポツンと南インド料理の店。週末でもランチをやっているということで、まさみんが短時間であっという間に見つけ出した。スパイスが効いた、美味しいカレーだった。個人的には北インドよりも南インドのカレーの方が好き(南インドには行ったことがないのだけれど)。

 カレーをほおばりながら、先日私が行き損ねた谷口けいさんの講演会の様子を聞いたり、まさみんが生まれて初めて(?)体験したヒールフリーの感動を聞く(しかし今シーズン中にテレマークスキーワールドに引き込むことには失敗)。

 午後は、チベット・ハート・ヨガのレッスン。まさみんはヨガのインストラクターの資格ももっている上級者だからよいけれど、私はいろんなアーサナの名前を言われても、なんじゃそれ?と思いながら真似してみる感じ。なんだかみんなとちょっとずつ違う気がする。

 今日のテーマは心をオープンにし相手を思いやる柔らかいハートをもつことだった。ヨガはポーズを取ることで体からカルマに働きかけるものであるけれど、同時にカルマ(心のいちばん奥にある)から体に働きかけることもしていくのだそうだ。

 チベット・ハート・ヨガは10シリーズあるけれど、現在公開されているのは18までだけだという。

 早稲田大学の教授であるチベット学者さんのブログによると、チベットの高僧のなかでもヨガの修行のステージに進めるのは極めて稀な位の高い僧だけだという。チベット・ハート・ヨガがチベット僧たちからどのように伝えられ、基にされて作られたものなのかは、私はまだよくわからない。

 きっと、ヨガに関する経典や曼荼羅があるはずだから、見てみたい。

 夕方から仕事に戻る。

 編集中の単行本の再校ゲラを読み終え、デザイナーさんに戻す。

2009年12月25日 (金)

クライミングママ集合

 渋谷に向かう車中でえっちゃんからの携帯メール受信。お買いもの終了後、カフェにいるとのこと。一足早くかなちんに会いたく、合流。

 その後、N出版で、クライミングママ(登るお母さん)たちの座談会。

 田部井淳子さん、間瀬ちがやさん、平山越子さんが集まった。登山社会は狭いけれど、3人とも初対面だという。ちがやさんとえっちゃんは同世代であるけれど、私はこのふたり絶対に通ずるものがあるって思っていた。心から本当に山が好きな人と根っからの酒好きを嗅ぎわける能力だけは、私、自信あるのだ。もちろん彼女らは前者(かつ後者であるのかどうかは、まだ嗅ぎわけておりません)。

 3時間ほどの座談会。

 3人ともカラーも語り口も全く違うけれど、根底に共通するものがあり、彼女らの日常にも共通事項がいくつもあった。

 娘・息子たちは反抗期を過ごす時期もあるけれど、けれど、こんなママがいることはきっと誇りにちがいない。

 その後、夜遅くまで編集部で打ち合わせ。

 全ページの内容を確認する。正月休み返上で原稿書きは決定だな。

2009年12月24日 (木)

サンタはほっぺたからいただきました

 夕方、編集者さんと一緒に、コミックエッセイの作家さんである鈴木ともこさんと打ち合わせ。

 彼女の著作『山登りはじめました めざせ!富士山編』にサインまでいただきました☆ 今年は、7月にクリス・ボニントンをインタビューしたときに著作にサインをいただき、大感激したけれど、それに次ぐもの!

 私がこの本を好きで繰り返し読む理由は、自然の描写や山に登るときの心理に共感するからだと思う。そうそう、山の風景ってこういう風に目に映るんだよね!と思うような画があったり。 

 心理描写で共感したのは、94ページの「山頂までのコースタイム3時間を過ぎても全然着かない―」で始まる4つのコマに描かれている鈴木さんの言葉。

 今日は、サンタさんの上生菓子をいただきながら、楽しい打ち合わせ。プロの心意気も見せていただき、刺激的だった。

2009年12月23日 (水)

日記再開

 いままで何があっても日記を数日にわたって休むことはなかった。気づけば4年。

 山のフリーランスライターってどんな仕事なのか知ってもらいたいと思って始めたことだけれど、いまでは内容の基準もあやふや。

 けれど、毎日書くことは、仕事(執筆)の助走となり、健康(筆運び)にもよい、と自分自身では思う。

 日記を休んでいたが、今日から再開することにした。友人のケンちゃんが励ましてくれたこともあったが、なんとなく今日そんな気になった。18日から休んでいたが、これまでのことすべてではないけれど、数日分は振り返って書こうと思う。

 あれから富士山を肉眼で見たのは2度。19日の朝、最寄駅のプラットフォームから見たその姿は神々しくさえあった。夫は思わず、友人の名前をつぶやいていた。

 昨日、玉原のゲレンデからも遠く遠くに望むことができた。逆光の中コンパクトカメラで撮った写真(下)にはほとんど写っていなかったけれど、きれいなフォルムを見せていた。私はリフトのチェアに座りながら、胃がよじれるほど後方を振り返って、富士の姿を見入った。泣けてきて、泣けてきて、ゴーグルが曇ってしまった。ただただ、合掌。

 今日は終日、自宅で仕事。

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2009年12月22日 (火)

玉原の雪

 家に閉じこもっていても元気がわかないことがわかり、また天気も上向きだし、昨日までの降雪も期待できるし、撮影日和であるということで予定通りスキーへ。西山ゲレンデのオープンが明日ということで、泣く泣く尾瀬岩鞍をあきらめて、玉原へ。

 不整地ではリズムが整うと前よりもずっと小回り気味で降りてこられるけれど、リズムを崩すとすべてが崩壊する。

 午後はかなっぷも戻ってきたので、斜滑降やギルランデやその他テレマークポジションの確認をする基礎練習、とその撮影。

 レッスンばかりで自分自身の基礎連ができずにいたかなっぷもキーノさんも今日は少しはできたかも。

 最終リフトでゲレンデトップに上がり、夕日の中を滑りながら、最後まで撮影をした。

 なぜグログロくんがあんなに後方テレマークにこだわるのかわからないが(きっと面白くて止められないのだろう)、映像を見たら結構早いことがわかった。さすがの身体能力。

 帰宅後、自宅のテレビに映して今日の滑りをチェック。

 かなっぷがここ数年の私の伸び幅におののき、自分とさして変わらない実力になってきたと言っていたが、それははっきり言って、練習量の違いでしょ! 加えて、かなりのお金もかけました(講習料に)。

 けれど、かなっぷのように人を教えなければいけなくて、自分の練習量が減るのはちょっと過酷かも。サラリーマンスキーヤーにとっては。

 写真はリフトから見た谷川連峰。10日前よりも雪がべっとりとついてきた様子。違う方向では浅間山の噴煙も見えた。

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2009年12月18日 (金)

SKINS X-SOCKS 取材

 午前中は安孫子にあるカスタムプロデュース㈱へ。SKINS の取材。

スキンズのヘビーユーザーである私は、取材以外にも使い方について質問をあれこれ。

とても興味深い話がたくさん聞けた。

 午後は渋谷へ戻り、㈱ゴールドウインへ。X-SOCKSの取材。

X-SOCKSは今回初めて使用しているが、以前からB-BIONICTシャツは以前から使用していた。

 取材のあと、公私共々お世話になりっぱなしであるザ・ノース・フェイスの森ピカさんとお話。TNFのインターナショナルアスリートのミーティングの話。アレックス・イーキンズが「驚くべき少年“トオル”」と言った高校1年生のクライマー中嶋徹さんのUKでのトラッド・クライミングについて。さらに同じロクスノ話題でニコラス・ファブレスのバフィン島クライミングのこと。フーバー兄弟のトランゴ・ネームレスタワーの話……話題は尽きなく楽しい時間だった。

 森さんの「ぶれない人生」について、深く納得。

 その後、報せを受け、急いでモンベルへ電話。ほか連絡を済ませて急きょ帰宅。

2009年12月17日 (木)

girigiri boys on the edge

 午後から伊佐和敏さんのクリニックへ取材。彼は、ドクター・オブ・カイロプラクティック(D.C.)の資格をもち、NATA(全米アスレチックトレーナーズ協会)公認のアスレチックトレーナー、スポーツカイロプラクティックでもある。

 日本にはカイロプラクティックに関する国内法はないけれど、アメリカの場合、2-4年の大学を卒業したあと、カイロプラクティックの医科課程(4年)を卒業し、国家試験に合格して、D.C.となるのだそうだ。

 アメリカ以外にもオーストラリアやカナダ、UKなどにも同様の法律があるそうだ。

 先日、クリスチャンと話している時に、彼の国ノルウェーにもカイロプラクティックの法律があることを知った。ノルウェー人にとってもとても身近なものなのだとクリスチャンは言っていた。

 

 D.C.の技能を、アスレチックトレーナーやスポーツカイロプラクティックの技能と合わせて、スポーツの現場で役立てていこうというのが、伊佐さんのねらいなのだと思うが、それはとても興味深いことだと思う。

 先日、日本の若き☆であるコンペクライマーをインタビューしたとき、とうとう日本のクライミングも、ここまで考える人が出てきたのか!と感動したけれど、今後はもっと、クライマーの体のケア、トレーニング、コーチングが充実してきてほしい。

 夜は、girigiri boysたちのスライドショーへ。

  今宵、究極の選択を迫られた人も多いのでは。私も色々考えた末、こちらに来たけれど、谷口けいさんの講演については、あとでばっちりと友人に教えてもらうつもり。

 なによりも、こんな重要な会が同じ日にあることを、主催者側に文句いいたい! というのは冗談だけれど、giriの会が150人は入ったというし、けいさんも大盛況だったと聞くから、日本には(というか実際には今回の場合東京近郊には)、アルパインクライミングに興味のある人がこんなにいるんだ! これは希望のあることなんじゃないかと思った。

 girigiri boys の3人―天野くん、佐藤さん、いっちーさんはそれぞれ個性があり、発言内容も異なりおもしろかった。なによりも3人のリアルな本音の声が聞けたことが嬉しかった。

 彼らは、明るく前向きで元気で、クライミングが心から好きなんだろうと思う。

 しかも、タイトルが「苦しみの芸術」。クルティカの言葉である。

 カランカとスパンティークの様子をスライドを交えながら説明。ホテルカランカの様子や具体的なギアの内容なども。

 

 ちょっと遅刻してしまったのだけれど、冒頭では山田達郎さんと井上祐人さんを追悼する意も述べられたそうだ。最後は、同じ時期にスパンティークに入っていた韓国隊メンバーの写真が映し出され、その中のひとりがもういないことを話し、アルパインクライミングと死について話された時間もあった。

 ひょっとしたら、先日フィッツロイで行方不明になった若いクライマーのことも考えていたのかもしれない。

 わが後輩(山岳部に入ってまだ1カ月未満)など、帰りの定食屋で「アルパインクライミングって死ぬんですか?」などと言っていた。

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2009年12月16日 (水)

打ち合わせふたつ、再会ふたつ

 午後から、登山家さんのオフィスで打ち合わせふたつ。

 その後、モンベルクラブ恵比寿店へ行くと、昨晩一緒に肉を楽しんだshizuちゃんにばったり。これをなんだか縁があるねととらえるか、日本の登山社会って狭いからと片づけるか。前者です。

 店でスタッフの方に挨拶したあとは、スパニッシュマダムのトモミちゃんとお茶。はあ、女性っておしゃべりです。酒がなくてなんでこんなに何時間も話し続けられるのでしょうか。

 色々話しているうちに、「あ、この話を続けると、彼女の瞳から涙があふれちゃうな」と思い、話を切り替えたのに、またまた2人は思い出の話に戻ってしまい(喪ってから時期も浅いし仕方がないのかも)、ついに私が涙をこぼしました。どうにかしたい、この涙もろい性質。

 帰宅後は、雑仕事。

2009年12月15日 (火)

とろけるお肉

 連日の原稿書き、雑仕事を終え、夜はMJリンクのサポーター達ほか、事務方を支えてくれているスタッフ、さらには田部井淳子さんと忘年会。

 先日、30そこそこの女性と一緒になって長距離滑降というような筋トレまがいのことをするのはキツイと思ったけれど、今日は2328歳の女性と一緒になって肉を食べるのもキツイと思った。40を超えた体に合ったことをしたほうがよいのでしょう、きっと。

 30前半までは、毎日毎日仕事を遅くまでして、そのあと遊びほうけたり、山や岩に登ったりスキーしたり、いつまでたっても元気だった。そのころとはからだが違うのだという認識が必要。

2009年12月13日 (日)

扇山へ

今日はF山岳会、今年最後の月例山行。この会に参加するようになってから、低山歩きをする機会が増え、色々な山を歩くようになった。今日は中央線沿線の扇山。

 医療担当の方の細やかな配慮が勉強になった。

 今年は13回山行があり、これに全部参加した方がふたりいた。私は8回。昨年よりは増えたかな。来年は10回をめざそう!

2009年12月12日 (土)

太もも肥大にストップ

 午前中はF山岳会のミーティング。F山岳会では2カ月に1回ミーティングがある。私が参加するのは山行のリーダーたちが集うもので2時間程度。そのあとにさらに2時間程度かけて、幹事たち(山行のリーダーや医療関連のスタッフリーダーなど)のミーティングがある。

 いまどき珍しい位きっちりと顔を合わせて話あっていると思うが、こういうことが必要なんだと思う。

 その後、目白のカラファテへ。ケイちゃんからのビデオテープを受け取るため。あやうくジャックのスマートウールのマフラーのセールストークにつられそうになった。顔をみるやいなや、「スミちゃん、スミちゃん、これいいでしょう。カシミアのような感触のウール。クリスマスにどお? 試着してみて、鏡はコッチ」。セールスマンの見本である。

 ほかの人たちには「もう帰るの?」と言われたけれど、次の予定があるので、今シーズの板もなにも触らずにおいとま。

 午後、志津ちゃんとaiさんとまさみんのヨガセッションへ。これまでに何度か参加した詔子さんが始めたサークルだ。

 今朝、志津ちゃんに「スキー初滑りで筋肉痛。筋肥大中。これ以上太くしてどうする」と携帯メールしたら、太ももをばっちりとほぐすポーズをたくさん入れてくれた。筋肉痛は朝方で治ったつもりだったけれど、こういうポーズをするとホント苦しい。どれだけ凝り固まっているのか……。aiさんの番のときには、腸腰筋に効くポーズがあり、これもばっちり私の役に立ったと思う。

 おかげで足取り軽く帰途へ。

 まさみんと夕暮れの森を見ながらお茶。

 詔子さんのサークルはインストラクターの修行の場でもあるようだ。インストラクターの資格をもちながらもレッスンする機会が得られない人はとても多いらしい。そんな人たちにレッスンの場を提供している。まさみんもインストラクターデビューをして、今日でレッスン3度目。

 それぞれのいろんなインストラクターのレッスンを一連の流れのなかで受けられるのが、コチラとしてはおもしろい。

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2009年12月11日 (金)

シーズン2日目

結局2日目もレッスン。正直、かなり恵まれた環境だと思う。こんなことを無料で教わることができるのだから。こんな都合のよい話、普通は世の中にありません。

上達する人はメキメキ上達していった。

昨年初めてスキー板を履いた人。まるで生まれたての小鹿のように雪面に立つこともできなかったそうだ。昨日はまだちょっと勘を取り戻してない様子だったけれど、今日のテレマークターンはナチュラルでとてもきれいだった。きっと、ものすごく努力したのだろう。私たちがテレマークスキーの話をしていると、必ずや食いついてくるもの。

今年上記の彼のようにスキー板を始めた履いた人。この彼も最後には連続ターンをしていた。もちろんまだまだこれから、始まったばかりだけれど、彼のスゴイところはいつ見てもテレマークターンをしようとしているところだ。どんなに疲れて足がよれても、最後の最後までテレマークターンをしていた。

私は、アライさんと一緒にノンストップをリフト3本という筋トレまがいの滑降をして、太ももがはちきれそうになった。

その後、レッスンから上がったかなっぷも交えて3人で小回りの練習。うれしい、うれしすぎる、昨シーズン全くできなかったことが(かなっぷ曰くできないのではなく、やろうとしないことが)、できてきた。小回りワールドに突入。

いくつかのターンはたわみやキレも感じられて気持ちよかった。本人的には奇跡としか思えない。

最後、エザワちゃんと板の交換。彼女はGS用の硬い板に乗り苦労していた。グインと踏んでみたら、カッキーンと走っておもしろかった。

エザワちゃんも私の板を気にいってくれたので、同じようなディメンションでたいして乗っていない板をお譲りすることになった。

かなっぷはかわいそうなことに、自分の基礎練習をやらないままレッスンに入ったので、今日のスキーは最後まで冴えなかった。それに比べて、私はみっちりとドリルしまくれたおかげか、我ながらいいシーズンインができた。

正直、今年はモチベーションがなかったのだけれど、滑ってみるとヤバイ、やる気が出てきてしまった。

今日も最終リフトまで滑ったら、体も頭もとっても疲れた。

2009年12月10日 (木)

シーズンイン

 キーノさんが我が家の最寄り駅に朝6時にやってきた。いよいよシーズンイン。

 かなっぷと3人でクルマをシェアして、丸沼へ。途中、沼田の駅でエザワちゃんをピックアップ。

 今年のシーズンインは、キーノさんのアイディアと献身的な気持ちから、20人近くが集まることになった。そのうちの大半がテレマークスキー1日目。初めての人たちとテレマークスキーを始めたけれどターンがおぼつかない、テレマークポジションが安定しないという人たちを2グループに分けて、キーノさんとかなっぷで教えるというのだ。キーノさんたちにとっては、今シーズンのスクールのメソッド確認になるし、またメンバーにとっては、この会社に入社しながらテレマークスキーをやらんわけにはいかないだろうから、いい機会となるわけだ。

 ほか滑れる組が数名いて、その世話を私は仰せつかったけれど、皆さんあまりドリルはお好きではないようだし、いつのまにか自分たちのテレマークポジションに不安を感じたようで、かなっぷ組に収容されていった。

 私は、ひとり孤独に練習。しかしこの孤独な練習はシーズンインの日にはよいことだった。誰にも惑わされずに自分の決めたドリルをひたすらできたから。

ドリルといっても、斜滑降とギルランデ(ターンのきっかけ程度までとターンの前半までの2段階)だけですが。

私の好きな滑りをする人のひとりであるナオちゃんは、シーズンインの日はひたすら斜滑降をやるそうだ。そのなかでテレマークポジションを探り、確認していくのだ。

私は、それを真似てみた。ただ確認するのではない。どうやると板がどう反応するか観察しながら、探って確認するのだ。

1/4位の人が東京に戻り、ほかは宿へ。

登山家Mさんが経営するこの宿。雰囲気も料理も、書棚も大好き。

夜も更けてから、オオサカくんとオセロゲームを2回。好敵手だった。下手の失敗は絶対にできない。1勝1敗。彼ぐらいのレベルの人とやったとき、自分が黒の場合にどのように勝てばよいか……いまだわからず。今回も彼も私も黒の番に負けた。

ときどき私がテンポを崩しちゃうけれど、テンポよく打てるときもあり、気持ちよかった。

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2009年12月 9日 (水)

ラボラトリズムVBLグローブ

昨日のインタビューの原稿を書き、春に出版するムック本の原稿を書く。ムック本は全体の半分ほどの原稿を年内に入れた方が安全なので、この先ハイペースになる必要あり。

 先日届いた、故新井裕己さんのアイディアが詰まったの雪山用グローブラボラトリズムVBLグローブ。発想が……斬新です。 インナーの感触がよい。明日からのスキーで使う機会があるかどうか。インプレッションはいずれ。

 仕事の合間に明日使う板2本をワクシング。ワックスは先シーズンが終わったときに塗ってあるので(酸化をふせぐため)、スクレーパーではがすだけ。

 我が家のゲストルーム(というか、単なる和室、本やスキー板がたくさん置いてあるガラクタ部屋)が、今日からワクシングルームに変わった。というわけで、スキーシーズンに我が家に泊まりに来る人は、このワックステーブルを片づけて、掃除機でよくよく掃除してから寝ていただくことになります。よろしくお願いいたします。

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2009年12月 8日 (火)

インタビュー

 東伏見へ。駅近くのカフェでモーニング食べながらインタビュー。

 ワールドカップランキング2位の安間佐千さんThinkerでした。長いスパンでモノをみる目、自分を客観視する姿勢と観察力、すばらしい。彼はクライミングだけがスゴイのではないでしょう、おそらく。

 キャンパス内を歩いたあと、学生寮の1階にある学食でランチ。クライミングを離れて、他のいろんな話をして、お別れ。

 帰宅後、原稿書きと他の仕事へ。

 今日到着した日本雪崩ネットワーク『雪崩通信vol.2』 。昨年よりさらに内容充実。完売になってしまうので、みんな、急いで買い求めよう。

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2009年12月 7日 (月)

モンベル『OUTWARD』連載開始

   モンベルクラブの会員に年4回配布される会報誌『OUTWARD』に連載を始めた。

 装備と安全・快適登山の関係性のようなことを書いている。

 登山には生死にかかわるリスクがあるけれど、山登りを楽しむと考えた場合、安全で快適であるという要素は欠かせない。リスクといかに折り合いをつけていくかということは重要であり、それには、その登山に合った、自分に合った装備(+ウエア)を選び、それを正しく使いこなすことが大切。そうすれば、装備の性能を十分に発揮させることができる、というわけだ。

 この連載では、安全で快適な登山を実践し、山登りを楽しむための装備選びについて、過去の事例と照らし合わせながら書きすすめていく予定。

 第1回は「ウエアと素材の重要性」です。

  なお、この会報誌は会員向けに配布されるもので、書店などで販売はされていません。

 モンベルクラブの会員になると、いろんな特典があるそうです(会報誌、カタログの無料配布、買い物の度にポイントゲット、関連施設への優待、フェリーなどの割引、イベントへの優待など)。

 会報誌は充実した内容で、たとえば今回では、私などは御在所岳藤内小屋再建の記事に見入ってしまった。

 なので、まだ会員でない方も、ぜひご入会ください。会報誌も読めます。

 早速会報誌を読んでくれた古くからの社員、Mちゃんに声をかけられ「女性ならではの視点、勉強になります」と言ってもらったけれど、すっかり意識し忘れていた、女性の視点!(少し書きましたが) 次回からもっと意識してみます。

 夜は、新旧入り混じって、いろんな人に会った。久しぶりの人や、もっとゆっくり話したい人もいたけれど、こんな席なのでなかなか話せず。

 帰りは、マーチンとかなっぷと3人で電車に揺られて帰ってきた。

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2009年12月 6日 (日)

逃げない、はればれと立ち向かう

  昼過ぎからチベットの歴史と文化学習会 へ。

 昨年の3月以来、開かれているこの勉強会には、時間が合えば必ず出席しているのだけれど、なかなか時間が合わず、前回は本当に惜しかったけれど欠席。 

 けれど今回、前回の座談会の続きをやると予告があったので、万難を排してうかがった。

 目的は、もちろん、同世代ジャーナリストの福島香織さん。先月末に産経新聞を退職したそうだ。

 前半の美術の話もおもしろかった。佛教大学文学部教授の小野田俊蔵さんによるものだ。限られた時間のうちなので極々基本的な話が聞けただけだけれど、チベット美術の大まかな流れすら理解していなかった私には貴重な時間だった。

 数分遅刻して到着した私は後の方に座っていたので、休憩中に前から2列目に移動。福島さんの語りっぷりもじっくり見なければならないからだ。観察魔の私は、「うん、さすが山ヤ」などその雰囲気とかも見入ってしまうのだ。(顔を知らなかったので、あとで気づいたのだけれど、隣の席だった…!)。

 座談会の司会は藤田祐子さん(ルンタ・プロジェクト)、発言者は、福島香織さん(元産経新聞中国総局記者、退職時は東京勤務の政治記者)、テンジン・タシさん(在日チベット人)、長田幸康さん(I love Tibet!というwebサイトを主宰)、渡辺一枝さん(作家)。

 冒頭、福島さんはツェリン・オーセルさんが著した『殺 劫(シャーチェ) チベットの文化大革命』 について紹介。この発言には、思わず涙が出そうになった。その後の座談会中の彼女の発言すべてに通じることだと思うけれど、すべてに力があった。

 理由は、立ち位置はゆるぎないものであり、そのため考えも言葉も明瞭だからではないか。さらには、ゆるぎない思いの上にしっかりと立ちながら、自分の足で取材をし、自分の目で見たことを(記者ならば当然のことだけれど、その当然のことをどこまで突っ込んでやるかはそれぞれなのでは)、ゆるぎない思いのまま、明瞭に発言しているのだ。ゆえに、なぜその言葉を使い、そのように発言しているのか、彼女の考えが読みとれるものとなっている。

 会場にいたすべての人が、彼女から強い影響を受けたのではないだろうか。

 前回この座談会を聞いた、友人のまさみんが、「天は二物を与えた」と言っていたが、その通り、書くことのみならず話すことにも長けている。そして、彼女が「この人の書くものならば信じられる」と感じたのも、よくわかる(まさみんのブログには、前回の座談会のことが詳しく報告されている。けれど、個人のブログにはとても書けない内容もあるので、すべてを知りたい人は、次回のこの会に参加し、これまでの勉強会について収録されている冊子を買い求めましょう)。

 座談会の最後のほうで、司会の方が「オーセルさんになれない普通の人たちはどうしたらよいと思うか」というような問いかけをした。

 オーセルさんほどの有名人になれば、当局だって簡単に手を出せない。それは彼女の夫に対しても同様だ。チベット人であり中国に住みながらあれほどの発言ができるというのは、特別なことだとタシさんが発言したからだ。

 その問いの答えは、中途半端なものになってしまい聞くことはできなかったけれど、きっと福島さんは、彼女の好きな言葉通り、[逃げない、はればれと立ち向かう」(岡本太郎)のではないだろうか。それだけのリスクを負って、世を見つめ書いている人なのだと思う。

 帰りの電車でやっと手に入った『殺劫』を読み始めた。私は勝手に、オーセルさんは私よりもずっと年上の人だと思っていた。しかし、福島さんの発言に『殺劫』執筆が始まる時のエピソードがあり、それはオーセルさんの父が撮影した文化大革命時代の写真にあるというので、あれ?と思っていたのだ。よくよく考えれば、その通りだ。つまり、オーセルさんもまた、私と同世代、1966年生まれだった。

 世の中、本当に偉大な人たちが多い。いったい同じ年月生きてきて、なにをしてきたのか情けなくなるばかり。

 今日は携帯電話を自宅に置いたまま外出してしまった。

 帰宅後チェックすると、数件のメールと留守電が。早すぎる死を知った。春までは生きていてくれると思っていたのに。最後に言葉を交わしたのは先月のこと。もっと話をしておけばよかった。この数カ月にあったいろんなことを思い出した。

 けれど彼も最後まで、逃げずにはればれと立ち向かっていたのだと思う。明日、会いに行こう。

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2009年12月 5日 (土)

箱根の山

 MJリンク の下見で箱根の鷹巣山+浅間山へ。メンバーはMJリンクのサポーターのまさみんとたまりんと私の3人。

 終わりかけの紅葉がきれいで、足元は赤や黄色の絨毯。

 湯坂路という素敵な名前の尾根は、穏やかだった。

 いい山だったけれど、箱根湯本に下山しようとしたその直前、ゴミの山に遭遇。いまどき珍しい?ぐらい。ペットボトルや空き缶、弁当の包み紙やケースなど。

 いつ回収に来ようか、どうやって回収しようかアタマの中で考えていると、まさみんが、「別の日に回収に来てもいいよね」と言った。こういうタイミングでこういう言葉が聞けるのは、うれしい。同じようなことを考えていたのだと思うと。

 今日の装備ではとても拾いきれないので、後日、回収に来ることにした。

ほか、大人数で休める場所や緊急車両が入れる林道などをチェック。

帰京後、まさみんとふたりでSignature の上映会へ。

秋に、イヴォン・ショイナードさんが来日したときに、パタゴニアで予告を見て気になっていた。

よくを言えば、ライフスタイルや自然描写などこのフィルムのこだわりの部分について、もっと突っ込んでもらいたかった。

いちばんよかったのは、Green Wood Workさん の雪板をみることができたこと。

制作過程はまるでサーフボードを削っているようだし、出来上がった姿はまるでアライアのよう。アライアというのは赤ちゃんサーファーの私にとっては遥か彼方の世界にあるものだけれど、あれだけプロサーファーたちが夢中になっているのだから、それはそれはおもしろいものなのだろう。

雪板で滑っているシーンは、それこそ永遠に波が続くサーフィンのよう。エッジを利かせるというよりも、レールをかませるような感覚。当て込むというよりも、もっと滑らかな動き。素敵だった。

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2009年12月 4日 (金)

梯子を外されると

 いい波がやってきた。

 朝8時前には海へ。ポイントごとに1-2人しかいない絶好の環境だというのに、私はこんなときでもショルダー・クィーン。どうしてショルダーに行ってしまうのだろう。相変わらずタイミングを合わせるのが下手。波待ちの位置も悪いらしい。

 今日の最大の失敗は、ギリギリのタイミングで乗ったらしく、梯子の上に立った時に梯子を外されたような状態になったこと。目の前に滑るべき波面がなくてびっくり。サイズも大きかったので、思いっきり巻かれた。

 巻かれるの怖くなくなってしまったこと自体が怖い。いつかケガをしそうなので、自重できるようにならなければ。

 午後、波のサイズはさほど上がらなかったようだけれど、ショートもロングもプロ+プロ級の方々が集い、御宿には珍しく三脚が3ツも並んだので、とても私が入れる状態ではない。

 仕事に戻ることにした。

 夜、帰京。

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2009年12月 3日 (木)

ヤマケイJOY冬号

 夕方まで机仕事。

 ムック本の構成づくり、編集中の書籍の雑仕事、座談会の調整、来週のインタビューの下調べなど。

その後、御宿へ移動。スーパーオオタヤで夕食の買いだしをして、早めに済ませて就寝。

久しぶりに『ヤマケイJOY2009冬号 』 の仕事。

特集「雪山登山のABC」のなかで装備を紹介するページ「雪山デビューの用具選び」を担当しました。商品写真を撮影してくださったのは、永易量行さんさん。

編集者の五十嵐雅人さんの采配に感謝。

彼のスタジオでの撮影は勉強になることも多くて、とても楽しかった。

光の使い方が秀逸なのは、誌面でも知っていたが、ライティングひとつで、ものの置き方ひとつで、商品がぐっといい表情を見せる、その現場を目の前で見せてもらい、感動。

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2009年12月 2日 (水)

気づいたら真夜中

 大切な人との忘年会は早めに済ませるか、ホントの暮れの暮れ、年の瀬も押し迫ったころにやるか、のどちらかであることが鉄則。でなければ、12月などという忘年会シーズンであり年末進行であるこの時期に、友人と飲みになんて行けない。雪だって降ってくるし、御宿の波はよいのだし。

 今日は夕方まで机仕事をして、そのあと南青山へ。顔ぶれはDIVA仲間のがっちゃんとゆっこちゃん。心許して、楽しく酒が飲める相手。場は、最近のヘビーローテーションとなったtete koubou。ビストロなのに店名は工房。シェフのお兄さんはのめり込み系・職人系調理人で、ポテンシャルが高いです。

 気づいたら、時計の針は144分。えっ? 誰も時計見なかったの? そろそろ終電に向けてダッシュかけなきゃと思っていたのに。

 収容先は、がっちゃんのオフィス。スウィーピーも一緒に寝袋で寝させていただきました。ホント助かった、ありがとう。

2009年12月 1日 (火)

部活→ドカ飯→フリーランサーの烙印

 夕方まで自宅で仕事をしたあと、母校の大学へ。年に最低数回用事があって訪れる。今日は山岳部の部室に直行なのだけれど、裏門から部室棟へと歩いて行くと、ちょうど4限が終わった学生たちが帰宅するところだった。

 すれ違う学生たちを見ても、さほど20年前の私たちと変わらない気がする。田舎の学校だからアカ抜けない様子は相変わらずだし。変化といえば、携帯電話をチェックしながら歩いている人が多いことぐらいか。けれど、これが大きいのかもしれない。

 まずは冬合宿の装備確認。「アイゼンってどうやって合わせるの?」「プローブってなに?」というような部の1年生(学部の2年生)がふたりいるだけなので、私たちコーチ会がリーダーの役目のようなこともしなければならない。これは、正直いって、ものすごく大変。

 その後、ルートの確認をして、次のコーチ会までにやっておくこと(冬山の気象、医療の勉強、食糧計画など)を確認。

 駅前の焼鳥屋で夕ご飯。ダイシは私の2倍位食べても、「まだ腹5分目」と言っていた。まあ、年齢も2倍ほど違うのだし、そんなものか。

 帰宅後、再び仕事に戻る。

 フリーランサーというのは、すべて自分で自分を管理するのは当然のことだけれど、なにか過ちや不適切なことをしてしまったときに、叱ってくれる人がいない場合も多い。会社に所属していれば、上司が注意してくれるのだと思うが(そうとは限らないか?)、フリーランサーの場合、ただ切り捨てられるだけの方が圧倒的に多いだろう。つまり、次から仕事が来なくなる、ということだ。押された烙印はなかなか変えられない。

 肝に銘じなければ。

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