昼過ぎからチベットの歴史と文化学習会 へ。
昨年の3月以来、開かれているこの勉強会には、時間が合えば必ず出席しているのだけれど、なかなか時間が合わず、前回は本当に惜しかったけれど欠席。
けれど今回、前回の座談会の続きをやると予告があったので、万難を排してうかがった。
目的は、もちろん、同世代ジャーナリストの福島香織さん。先月末に産経新聞を退職したそうだ。
前半の美術の話もおもしろかった。佛教大学文学部教授の小野田俊蔵さんによるものだ。限られた時間のうちなので極々基本的な話が聞けただけだけれど、チベット美術の大まかな流れすら理解していなかった私には貴重な時間だった。
数分遅刻して到着した私は後の方に座っていたので、休憩中に前から2列目に移動。福島さんの語りっぷりもじっくり見なければならないからだ。観察魔の私は、「うん、さすが山ヤ」などその雰囲気とかも見入ってしまうのだ。(顔を知らなかったので、あとで気づいたのだけれど、隣の席だった…!)。
座談会の司会は藤田祐子さん(ルンタ・プロジェクト)、発言者は、福島香織さん(元産経新聞中国総局記者、退職時は東京勤務の政治記者)、テンジン・タシさん(在日チベット人)、長田幸康さん(I love Tibet!というwebサイトを主宰)、渡辺一枝さん(作家)。
冒頭、福島さんはツェリン・オーセルさんが著した『殺 劫(シャーチェ) チベットの文化大革命』
について紹介。この発言には、思わず涙が出そうになった。その後の座談会中の彼女の発言すべてに通じることだと思うけれど、すべてに力があった。
理由は、立ち位置はゆるぎないものであり、そのため考えも言葉も明瞭だからではないか。さらには、ゆるぎない思いの上にしっかりと立ちながら、自分の足で取材をし、自分の目で見たことを(記者ならば当然のことだけれど、その当然のことをどこまで突っ込んでやるかはそれぞれなのでは)、ゆるぎない思いのまま、明瞭に発言しているのだ。ゆえに、なぜその言葉を使い、そのように発言しているのか、彼女の考えが読みとれるものとなっている。
会場にいたすべての人が、彼女から強い影響を受けたのではないだろうか。
前回この座談会を聞いた、友人のまさみんが、「天は二物を与えた」と言っていたが、その通り、書くことのみならず話すことにも長けている。そして、彼女が「この人の書くものならば信じられる」と感じたのも、よくわかる(まさみんのブログには、前回の座談会のことが詳しく報告されている。けれど、個人のブログにはとても書けない内容もあるので、すべてを知りたい人は、次回のこの会に参加し、これまでの勉強会について収録されている冊子を買い求めましょう)。
座談会の最後のほうで、司会の方が「オーセルさんになれない普通の人たちはどうしたらよいと思うか」というような問いかけをした。
オーセルさんほどの有名人になれば、当局だって簡単に手を出せない。それは彼女の夫に対しても同様だ。チベット人であり中国に住みながらあれほどの発言ができるというのは、特別なことだとタシさんが発言したからだ。
その問いの答えは、中途半端なものになってしまい聞くことはできなかったけれど、きっと福島さんは、彼女の好きな言葉通り、[逃げない、はればれと立ち向かう」(岡本太郎)のではないだろうか。それだけのリスクを負って、世を見つめ書いている人なのだと思う。
帰りの電車でやっと手に入った『殺劫』を読み始めた。私は勝手に、オーセルさんは私よりもずっと年上の人だと思っていた。しかし、福島さんの発言に『殺劫』執筆が始まる時のエピソードがあり、それはオーセルさんの父が撮影した文化大革命時代の写真にあるというので、あれ?と思っていたのだ。よくよく考えれば、その通りだ。つまり、オーセルさんもまた、私と同世代、1966年生まれだった。
世の中、本当に偉大な人たちが多い。いったい同じ年月生きてきて、なにをしてきたのか情けなくなるばかり。
今日は携帯電話を自宅に置いたまま外出してしまった。
帰宅後チェックすると、数件のメールと留守電が。早すぎる死を知った。春までは生きていてくれると思っていたのに。最後に言葉を交わしたのは先月のこと。もっと話をしておけばよかった。この数カ月にあったいろんなことを思い出した。
けれど彼も最後まで、逃げずにはればれと立ち向かっていたのだと思う。明日、会いに行こう。
最近のコメント