« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

2009年9月30日 (水)

食卓に並ぶ奥会津

 早朝からずっと原稿書き。10月末締め切りの大きな原稿が複数本あり、それを同時に進めていく必要があるからだ。おまけに、10月末まで1カ月あるのに、自宅にいる日は1週間もない。

 出発までに構想を送付する約束にしていた原稿について、構想を考える前に書きだしてしまった。荒削りで字数オーバー状態だけれど、これと自分が書こうと思っていることの箇条書きをともかく、送付。

 この機関誌に書かせてもらうのは二度目だけれど、とても難しい。チベットと中国に関すること。

 次に、先日の奥会津の取材の原稿を1本。この取材では6本の原稿を書かなければならないので、うち3本を出発前に書く算段。本当にできるか?

 別の1本の原稿の下調べと資料集め。

 それから編集の仕事もしたかったのだけれど、夜になってしまった。夕食後にやるか、明日に見送るか。けれどもうあとがない。

 なんでこんなに一時にいろんなことが舞い込んだのか。

 明日はパッキングと帰国後すぐに出かける取材の準備をしなければ。

 ところで、奥会津から戻ってから、奥会津の物産が食卓に並ぶことが多い。なんといっても日本酒。3本あった四合瓶うちの2本は飲んでしまった。

 末廣酒造の「おらが金山てまえ酒 末廣」と 開当男山酒造の「麗酔」。どちらもおいしかった。

 会津心水。これは天然炭酸水で、明治のころは剣道の防具をつけて瓶詰めし(栓が飛んだりしてけがをするからとか?)、ヨーロッパに輸出していたそうだ。ガスウォーター好きの玄さんが、パリから出張中なので、味わってもらうつもり。外国のガスウォーターと違って、柔らかくて甘い水。

 ほか、南郷のトマトを使ったトマトカレー、トマトアラビアータ。さらにはくるまぶなど。

 拾ってきた栗はめでたく渋皮煮となった。とてもおいしい。苦労して皮むきしただけある。

 あの香り高き、味わい深いキノコ類たちが、東京では手に入らないのが悲しい。

 写真は、念願のコパン(伊南にある食堂)の店内から見た、内川のT字路。愛する高畑スキー場の看板が立っている。このT字路を曲がった回数は数えきれないけれど、こんな季節のT字路はほとんど見たことがない。いつも雪で真白だから。

 この冬も高畑や会津の山に通うかな。

090926from_kopan

2009年9月29日 (火)

角を曲がり忘れると、

 午前中は家で仕事。

 午後から外出。いつもと違う道を何の理由もなく選んだところ(いつも曲がるところで曲がり忘れたため)、ある山の機関で働く女性にばったりと会った。彼女とこうやってばったり会うのは初めてではない。

 しばし立ち話。在日チベット人のこと。上野の森美術館で開催されている「聖地チベット展」のことなど。

 別れてから、いろいろ考えながら歩いた(なんてことをするとまた角を曲がり忘れるけれど、あとは一直線なので大丈夫)。

 チベット人の言葉にはいろんな方言があるけれど、たとえばカムの人であってもダラムサラ生まれであればラサの言葉しか話せない。カムの言葉はわからない。一方、たとえばカムで生まれ育った人のなかには、カムの言葉しかわからない人もいる。

 だから、ダラムサラ生まれのカムとカム生まれのカムが日本で出会った場合、中国語か英語か日本語か、第三の言葉で会話をすることもある。

 先日参加したチベット料理教室で、「私はダラムサラ生まれだから、私の知っているモモはどこかインドの味」と言ったチベット人女性がいた。

 自分の国を追われるというのは、ただ単に物理的に自分の国に住めなくなり、距離的に違う場所で暮らすだけではなく、本当に本当にいろんなものを失うことになるのだ。

 そうこう考えているうちに無事、オフィスに到着。春に出版するムック本について、打ち合わせ。

 夜、帰宅。机仕事。

 この季節、森や山ではキノコをたくさん見かけるけれど、食べられるものばかりとは限りません……

090924hakaseyama_kinko

2009年9月28日 (月)

働かざる者、遊ぶべからず

 日本での最後の波乗りに行こうと思っていたけれど、昨日の仕事がはかどらなかったので、止め。働かざる者、遊ぶべからず。

 土曜日に開かれたチベットに関する会について、出席した友人にその様子を聞いた。私がかねがね、とても尊敬している同世代のジャーナリストが座談会で話をしたからだ。

 チベット問題に熱心で、チベットを支持している人たちを「チベットオタク」というそうだ。私はチベットオタクではないけれど、チベット問題には関心があり、またチベットに何とも言えぬ魅力を感じ、ひきつけられている。

 そのチベットオタクやあるいはチベット人たちが多く集まったなかで、彼女は、「私はチベット独立論者ではありません」と言ったとか。

 座談中の発言には、ジャーナリストの役目のひとつである事実を伝えることに忠実な姿勢が、言葉の端端に現れていて、友人は「この人の言うことは信用できる」と改めて感じたそうだ。私も、彼女の記事や行動から、いつも同様のことを感じていた。

 いつの日か、お目にかかりたい。

 写真は博士山を下りてきたところにあった田んぼ。きれいに色づいていた。蒲生岳からも美しい田畑の風景が見下ろせた。つくづく、日本人は働き者できめ細かい性質だと思う。

090924nishiyama

2009年9月27日 (日)

後片付け+あく抜き開始

 取材で使った道具の後片付け、衣類の洗濯。

 それから、拾ってきた栗と栃の実のあく抜き開始。栗は栗ごはんにするつもりだったけれど、栗の渋皮煮に変更。3日ぐらいかかるかな。栃の実は栃餅にしたいのだけれど、栃の実を調理するのは初めて。現地で聞いたところでは、あく抜きに20日間ぐらいかかるとのことだけれど、ネットで調べたら1カ月ぐらいかかるらしい。

 バハと水上の旅から帰ってきてから始めようかと思ったけれど、そんなことは言っていられない。今日からはじめて、途中、(かなり不安だけれど)夫にバトンタッチすることにした。

 ほか、机仕事。

 今日はなんだかぐったりしてしまった。取材中の登山自体はそれほど体力が要るものではなかったし、筋肉痛などになるような内容でもなかったのだけれど。同行してもらったカメラマンさんは、今日も早朝に家を出て撮影の仕事をすると言っていた。やっぱり、私は体力がないない。

 気が抜けてしまったのかもしれない。しかし、10月はほとんど自宅を空けるので、出発までの数日間、集中して仕事をしよう。

090925kuri

2009年9月26日 (土)

奥会津Day④ 帝釈山・田代山→水引、湯の花→帰還

 朝、宿に迎えにきてくださったのは、尾瀬自然保護指導員の小勝政一さんと湯の花で民宿を営み、山案内をしている菅家俊史さん。小勝さんの運転で、帝釈山の新しい登山口、馬坂峠まで行く途中、シカが1頭死んでいた。コンクリートを糊づけされた斜面を滑落したのだろうか。体は堅くなっていたので、死後時間が経っているのだろう。

 登山口から帝釈山山頂まではあっという間の道のりだけれど、その間、菅家さんが丁寧に案内をしてくれた。その後田代山まで縦走。10年以上前だと思うが、木田さんと松浦くんと3人でこの山を歩いたことがあった。湯の花から田代山に登り帝釈山を往復したのだ。しかしなぜこの3人でこの山を登ったのか、よく思い出せない。岩か雪がなければ一緒に山に出かけそうもない顔ぶれなんだけれど。

 当時よりもずっと登山者が多く、また道もよく踏まれていた。

 菅家さんに田代山と帝釈山の自然のこと、山麓の歴史などたくさん話を聞きながら歩いた。

 田代山まで来ると、ガスも切れ、雲もあがり、展望がよくなった。燧ケ岳も見えた。大好きな会津駒ヶ岳、大戸沢岳、三岩岳も見えた。やっぱり大戸沢岳の尾根は長くて滑るには最高。来冬のために全容写真を撮っておいた。

 田代山の湿原は、記憶通り、とても美しいところだった。私の記憶のなかでは、苗場山と田代山の湿原が美しい。

 ことしはチングルマの当たり年だったようで、紅葉した葉っぱと花のあとがたくさんあった。

 頂上でおちあったのは、湯の花まで車を回し登ってきてくれた小勝さんと籏野さん。

 山頂で弁当を食べて、湯の花へ下山。私がもっとも愛する温泉のひとつだ。

 途中、大きな栃の木と水引集落に寄り、温泉で汗を流したあと、皆さんとお別れ。

 川べりで残りの撮影を済ませてから、内川にあるコパンへ。

 何度も何度もここを通りながら、冬は開店していないゆえに、気になりながらも入れずにいた食堂(私はパン屋だと勘違いしていたのだけれど)。岩魚や季節の野菜のてんぷら、そば、それと山ブドウのジュースをいただいた。岩魚はいままで食べた中でも上位3本の指に入るぐらい美味しかった。山ブドウも味わい深かった。

 おなかいっぱいになり、暗い夜道を、またまた荒井さんにぐいぐい運転してもらって郡山へ戻る。

 気配りの人・八島さんが乗り込みやすい、荷物を置きやすい位置にシートを取ってくださり、さらにはホームまで見送っていただき、お別れ。

 あっという間の4日間だった。

 夫はときどき温泉ライターになりたいという。そんな冗談はよしてくれと、といつも言いかえす。ふたりして不安定な職業になったら我が家は大変だ。それにキミの文章力・筆力でははなはだ無理があるよ。

 けれど、それほど温泉が大好きな夫と一緒に、今度奥会津を旅したいと思った。

 帰宅後、激務続きで目が閉じそうなぐらいくたびれている夫をグワングワンと揺り動かして起こして、奥会津の温泉と風景の話をして、さらには郡山がいかに奥会津に近い場所であるか力説した。

 すると、「移住先のひとつに郡山がいいなんてことは、ずっと前から思っていた。登山やクライミングはともかくとしても、スキーをするにはいい場所だろうし、サーフポイントも遠くない」だと。そんなこと、私に言ったことあったっけ?と思ったけれど、福島は果物もおいしいし、私の親戚もいるし、移住もよいかもしれない。

090926tashiroyama

2009年9月25日 (金)

奥会津Day③ 蒲生岳→深沢温泉→高清水自然公園→桧枝岐

 朝のちょっとした隙間の時間を使って、文伍の親父さんが自分で掘ったという源泉を見に行った。田んぼの真ん中にある。小金色の田んぼの向こうには民家が建っているのどかな風景。宿のすぐ近くを流れる只見川の支流には親父さんがしかけたやなもあり、昨晩はそのやなにかかった鮎を食べさせてもらった。

 今日は只見町の蒲生岳へ。只見のマッターホルン、会津のマッターホルンなどという愛称の通り、とんがった山だ。小蒲生登山口から登ることにした。只見線蒲生駅の脇を通り、上原清水で水を飲んで出発。こういうきれいな湧水、地元の人が飲み水として使い、涸れることのなかった水場、野菜などの共同洗い場になっていたところが、このあたりには多く残っている。水が豊かな土地なのだろう。

 途中までは森のきれいな登山道だったけれど、上部はワンスリップでアウトとなる緊張の連続。本来はロープを出したほうがよいセクションだろう。途中、クサリやフィックスロープもあるけれど、それとこれは別の話。また、頼るのは危険な状態でもあった。

 いろいろ考えたけれど、トラバースを過ぎたあたりで1回だけ、後方の八島さんに声をかけることにした。彼は大学でワンダーフォーゲル部の主将をやっていた方で、現状のリスクはもちろんすぐに把握しているはず。樹林で足元が保護されているように見える場所でもワンスリップアウトのところが多かったし、クサリやロープがない場所でも危険が多かった。最後尾を務めてもらった彼は、かなりの心労だったはず。

 只見川の穏やかにうねった流れや小金色の田んぼがきれいに見下ろせた(写真)。只見線の細い線路も走っている。只見川の向こう岸に見える鷲が倉山について、八島さんが教えてくれたが、きれいな頂稜があり、雪がつくとカッコいい山になるだろう。

 このあたりは雪食地形が多く見られる。

 頂上では、おくふくろで作ってもらった弁当を食べる。名物のチャーシューロールとカツロール。美味しかった。

  下山は、鼻毛通しを経て、久保登山口へ。このルートもいくつか危険個所がある。鼻毛通しは、城が崎のルート、マリオネットを小さくしたような雰囲気? ずっと前に、杉野保さんがロクスノの連載「Old but Gold」に書いていた秀逸な文章を思い出した。

 下山後の湯はむら湯へ。のどかな田園風景を眺めながら入るお湯。きっと昔から地域の人たちの生活と密着したお湯だったのだろう。

 私は毎日、のんきに大好きな山を登って歩いているだけだけれど、カメラマンの荒井さんは常に風景や日の光に気を配りながら、重たい機材を抱えて撮影をしている。おまけに私が、フォトジェニックとは対極に位置するため、かなり苦労していることだろう。申し訳ない。

 籏野さんと八島さんは、取材の進行に気をもめながら(私があちこちのろのろするから、時間が押してばかり)、撮影内容・取材内容にも気を配り、ホント、心労続き。

 だから、下山後の温泉は、忙しい仕事のなかで、唯一ホッとできる瞬間なのだ。 

 温泉を出たら南郷に移動して、高清水自然公園を散策。 

 その後、伊南に入る。このあたりからは、いつも通っている見慣れた風景。屏風岩に立ち寄ったあと、桧枝岐村の吉田屋へ投宿。

 ご主人の平野志津男さんは、尾瀬・桧枝岐案内人の会の会長さんでいらっしゃる。山や川の話を聞かせていただき、キノコや岩魚、山椒魚、それから名産のそばの料理などをいただく。

 今日は、チベットとカトマンズから連絡が入った。イーモバイルは使えないけれど、携帯電話は奥会津全域で通じているので、携帯電話を使ってメールをチェックしていたのだ。今年のヒマラヤは大雪のところが多いのだろうか。インドの山を登っていた方も苦心したときいたけれど、チベットの山も雪のコンディションがずいぶんと悪いようだ。けれどともかく、友人たちの無事の報せに、心からホッとした。

 ずっとずっと気になっていたので、私と同じぐらい彼らを心配している成都のフォンフォンと東京のかなっぷに電話で報告。

From_gamoudake

2009年9月24日 (木)

奥会津Day② 博士山→早戸温泉→沼沢湖→からむし織→小栗山温泉

 黄色く色づいた穂で埋め尽くされた田んぼを通り抜けながら、谷あいに車を走らせ、博士山登山口へ向かう。ところどころに刈田もあり、いくつかのスタイルで稲を干してある。同じ奥会津地方であるけれど、やり方はそれぞれなのかな?

 こんな風景を眺めながら山に向かっていると、まるでブータンにいるような気分になってきた。

 ときどき不思議な既視感におそわれることがある。あるいは、過去の大切な出来事がたくさんしまいこんであるキラキラとした宝石箱から、突然大切な記憶があふれだすような感覚になることがある。いまが、そんな気分。

 それは、ちょっとした風景を眺めたときや、その時の風の肌触りや匂いなどがきっかけになることが多い。

 大切な記憶がこぼれてくるとき、いつも不思議な気分になるし、ちょっとだけ哀しい気持ちになることもある。けれど、それも幸せなことなのかもしれない。

 今日、山を案内してくれるのは、柳津に住み、山岳ガイド・自然ガイドをしている平山栄一さん。博士山の自然や最近の様子、熊のことなどを話しながら歩いてくれた。

 こういう人の歩き方はとても静かでゆっくり、それでいて決して遅くなく、実は早いのだ。そんな穏やかな足取りが、私は大好き。だから、栄一さんの足運びの通り、私も歩いていた。

 頂上で、滝の湯旅館さんに作ってもらった弁当を食べる。おかみさんの茨城県の実家から届いたという新米で作ったおにぎりがふたつ。とっても美味しかった。

 栄一さんに、ブナの木の巨木や明日はヒノキになろというあすなろの巨木を教えてもらったり、つるリンドウやお姫様が頭に飾ったというヒカゲノカズラなど、いろんな草木を見せてもらった。

 つるリンドウはその後も何度も見ることになるが、帰宅後、森林研究者のケイちゃんに教えてもらったところ、ブナの林床に育つ植物だそうで、ブナにくっついて北海道にまでいったそうだ。北海道のブナ林要素にもなっている。

 そう。私は今回の取材で、ぜひとも博士山に登りたかった。ブナの研究者であるケイちゃんを通して知り合った、ノルウェー人の友人、クリスチャンは、日本に駐在していたときに、ジョックンとふたりで早春の博士山にテレマークスキーで登り滑ったことがあるのだ。その話を何度か聞いていたから。まったくわずかな駐在中に滑って山が博士山とは、クリスチャンは渋すぎる。

 さらには、ケイちゃんからも、いかに博士山のブナ林が豊であるか教えてもらっていた。

 下山後、早戸温泉のつるの湯で汗を流す。

 只見川の流れを眺めながら入るお湯は絶品。鉄分を含んだ黄土色の露天風呂につかると、心から極楽気分になった。

 湯あがりに、太郎布高原の名産であるイチゴで作ったシャーベットと会津地鶏の卵で作ったアイスを食べた。

 今日の取材は大忙しでその後は、沼沢湖へ。奥会津カヌー倶楽部の須佐光夫さんに手ほどきを受けた。奥会津カヌー倶楽部はカナディアンカヌーを使って、湖や只見川で遊んでいる人たちのグループのようだ。只見川は今ではダムが多く静水セクションも多いけれど、それでも川は川。「穏やかに見えて、結構流れがあるんですよ」と須佐さん。

 そのとおりだろう。何年も前に、山岳部の先輩夫婦である川村さん・へーちゃんをオハイオに訪ね、その後3人でミシガンの川をカナディアンカヌーを使って旅をしたことを思い出した。この旅のリーダーであった川村さんは、テイクインするポイントに着いたとき、(私から見たらとても穏やかな)流れを見て、「こんな急な流れでこいだことがない」と小声でつぶやいたのだ。その後、流血事件も起きた……。

 須佐さんは、金山町の役場で働く人で、移住者たちのお世話の仕事をしたりもしていたそうだ。「彼(須佐さん)がいなければ、ここには来なかった。ここまでがんばれなかった」と移住者が言うほど。

 移住者のなかには、「ここが一番美しい場所だった」という人がいるけれど、私も、旅をしながら、自分の移住先を常々考えている。奥会津も候補のひとつに加えてもよいかもしれない。

 湖に浮かぶカヌーは私達の一挺だけで、とても静かだった。とよよんや拓也、トムと3週間過ごした、BCのサーモンアームでの日々を思い出した。私たちも若かったな。カナディアンカヌーを霧の湖に浮かべて漕いだり、夜空の星を仰いだりした。

 次に昭和村に移動して、からむし織の見学と体験。筋がよいといわれたのは最初だけで、調子に乗っていたら、織り方がきつすぎたようだ。性質が出てしまうのか……。

 郷土料理のばんでい餅を食す。

 その後、カメラマンの荒井さんがぐいぐい運転してくれて、金山町に戻り、小栗山温泉の文伍へ投宿。ここにも、郷土や自然への愛情あふれるご主人がいた。そして、キノコってこんなにかおり豊か味わい深いのだと改めて感じさせてくれる料理をたくさんいただいた。すべてご主人が山で採ってきたものだ。 

 夜、先ほど立ち寄ったおふくろのおかみが地酒をもってきてくださった。一緒に露天風呂に入り、まるでこぼれおちてきそうな星たちを眺めて、おしゃべり。

090924hakaseyama

2009年9月23日 (水)

奥会津Day① 柳津→西山温泉

 新幹線に乗って駅弁を食べながら郡山へ。

 数日前届いたこのチケットには、「山側のシートです」と八島さんからのメッセージがついていた。気配りの人。

 イーモバイルを使ってメールボックスを開くと、成都のフォンフォンからのメールが届いていた。物騒な世の中になり、かの国の人たちとの通信もなかなか困難な日もある。まったくつまらないことだ。早速、「今回はちゃんと届いているから安心して」と返信した。

 花泉の四合瓶を持って改札まで迎えに来てくれた八島さんの車に乗り込んで、集合場所へ。カメラマンの荒井さんに初めてお会いして、挨拶。そうこうしていると、先月初めてお会いした今回の企画のディレクターである籏野さんがやってきた。毎週末のように山を歩いている彼女は、先月よりもちょっと日焼けしたような。

 郡山から会津坂下まで高速道路を使ったあと、柳津へ。昔ながらの街並みを歩いたり、大清水を見学したあと、福満虚空蔵尊へ。

写真の通り、岩の上に建つお寺。只見川の橋のたもとから眺めると、まるでブータンにあるタクツァン寺院のよう。タクツァン寺院もまた、川岸の岩の上に建っている寺。パドマサンババが虎の背中にのって飛んできたといういわれがあるそうだが、福満虚空蔵尊には、赤べこ伝説がある。

 どこへいっても、社寺というのは、建つべくところに建立されていると思う。神が舞い降りるべくところがあり、信仰が開かれるべくところがあるのではないだろうか。

 夕方、西山温泉の滝の湯旅館に投宿。なんと、いいお湯だろう。こんないいお湯はめったにない(と思っていたのだけれど、その後の今回の取材旅行では毎日何度もいいお湯に巡り合えることになった。奥会津の魅力のひとつ)。

 食事は、郷土の料理や旅館の裏手にある畑で作った野菜を使ったもの。

 また、若い夫婦が受け継いでいるこの宿では、30代の女将さんが滝の湯の原泉のほか、ハーブや蜂蜜などを使って作ったせっけん(400円)が売られている。

090923fukumankokuzoson

2009年9月22日 (火)

机仕事Day②

 机仕事2日目。

 ほか明日からの奥会津取材のパッキング。日帰り登山で3つの山を登るほか、山麓での取材もあるので、ダッフルバックにパッキング。その中に日帰り用デイパックを入れた。内容は着替えと温泉セットとノートパソコンや取材ノート、取材のための資料など。紙類もあるので、意外に重たい。

 事前に読んでおこうと思った本は、古本屋を中心に取り寄せたが、8割程度しか読み終わっていない。

 明日の新幹線で、地形図を広げながら、アタマの中を整理しよう。

2009年9月21日 (月)

机仕事Day①

 今日と明日はがっつりと机仕事をしなければならない。

 学生が送ってきた山の計画にダメ出し。内容はダメ出し以前の問題なので、指導者に問題があるのだろう。写し鏡だ。

 しかし、このようなことも卒業後すぐに始めてかれこれ20年もやっていると、煮詰まってくる。

 写真は17日の北尾根。学生のころに立山で働いていたオンちゃんは、仕事が終わったときに穂高まで縦走したそうだ。そのときはガスっていて視界もなく、穂高も涸沢も何にも印象がなかったという。今回初めて、北尾根や滝谷、屏風岩、明神を見て、いいところだと思いなおしてくれた様子。

 彼のように若くてまじめに実直に山登りやクライミングをしている人に会ったのは、本当に久しぶりだった。

 実は、私は、本当に山が好きな人と本当に酒が好きな人を見分けることに関しては、かなり高い能力を持っていると自負している。これは職業的にいっても非常に有利な能力だ。

本当に山が好きな若者に会い嬉しくなった中年女子(←私)は、ちゃんと着いていこうとペースをあげて元気を出して登ってみた。けれど、アスタキサンチンとアミノ酸とスキンズのおかげか、ダメージはかなり食い止めることができ、筋肉痛もなかった。

 少しずつ山に復活していきたい。それはそんなに簡単なことではないけれど。  

 

 ところで、本当に酒が好きな人というのは、必ずしも酒が強い人ではないことは当たり前なのだが。「お酒、お強いですか?」と聞かれて、人々は、なんと答えるのだろう? 

弱い人は、「いいえ、弱くて」と言えるけれど、客観的にどうみても決して弱くはない私は、言葉を濁しながら「けれど(前文がないままいきなり接続詞)、歳とってずいぶん弱くなりました」と、最近は答えている。強いとは言いたくなくても、「弱くて……」と答えるのは、事実と異なるので、ためらうのだ。

 「強いんです」という返答には、ものすごい抵抗がある。あけっぴろげ過ぎるというか、はしたなさすら感じるのだ。絶対に、そんな風には答えられない。

 とくに若い女性が「強いんですー」などと返答していると、中年女子はとっても恥ずかしくなる。

 なんてことを感じているのは、私だけだろうか?

 これまで、数々の失敗を繰り返してきたから、こんなことを考えているのかもしれない。

 こと酒のこと、美学。「好きですけれどね」と控えめに答えるのが美しいのか。

 「お酒、お好きですか?」と聞いてもらえたほうが、助かる。よろしくお願いいたします。

090916kitaone

2009年9月20日 (日)

バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバル・イン・ジャパン2009

 プロパーチェスでお世話になっているパタゴニア からご招待いただき、バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバル・イン・ジャパン2009 を観てきた。昨年は都合が付けられなかったので、2年ぶりか?

  カナダのバンフで毎年開かれる、アウトドアスポーツや環境問題をテーマにしたフィルムフェスティバルが日本にやってくるようになって、今年で5年だという。年々規模が大きくなってきた。

 東京では昨日から4日間開催され(昨日は満席だったそうだ)、その後各地をツアーする。

 午後2時から始まり、途中2時間弱の休憩があったけれど、最後の1本が終わったのは8時。6分の短編から1時間弱の作品まで合計10本観た。

 期待していたのは、『The Sharp End』。ドイツと東欧の岩場のシーンは面白かったけれど、最後の方はちょっと白けちゃうシーンもあったか。

 けれど、亡きクライマーを偲ぶような気持ちになる映像もあったり、やっぱり今日の10本のなかでは完成度が高いものだったのではないか。

 今年四川省で遭難死したジョニー・コップはフィルム作りにも傾倒していたクライマーだったのだ。

 ほか、『Seasons』のマウンテンバイクのシーン、『Mountain Town:The Cowboy and the Park Goddess』の前半、『The Last Frontier-Papua New Guinea』のカヤックシーン、『The Fine Line』のコンセプトが印象的だった。

 フィルム1本すべてを通して、観客をひきつけるというのは、難しいのかもしれない。本も記事も同じか。

  終了後、DIVA仲間のクミちゃん+ジャック夫妻と一緒に食事。すでに2時間休憩でワインを飲んで食べていた私たちだけれど、またもや飲んで食べて。

  冬の山登りの約束をして、お別れ。

Poster_japan

2009年9月19日 (土)

ヨガレッスン→チベット料理教室

先日、出版社の人から紹介してもらって知り合うことができた、シヅちゃんのヨガレッスンへ。ガイド会社で働く彼女のことも、彼女のヨガレッスンのことも知ってはいたのだけれど(けんけんのパーティでお見かけもしていたし)、レッスンを受けるのは初めて。

ヨガのレッスンは数年前に2週間ほど成都に滞在しなければならなくなったときに受けていた以来。

3人の講師の方がそれぞれのカラーを出しながら、バトンタッチしながらレッスンを進めていく。

屍のポーズで寝てしまうことをよしとしない考えの人もいるそうだけれど、私はいつも爆睡。今日も爆睡して、もう一生コッチの世界には戻ってこられないかもしれないと思ったのだけれど、なぜか自然にショウさんに導かれて、心も体も目を覚ました。

この爆睡は、単なる爆睡ではなく、ものすごく深い闇の中に落ちていくような、不思議な感覚。

レッスン後に、ショウさんがどんな風にこの月1回のレッスンを続けてきたか、また最近シヅちゃんと一緒にどうやって進めているか、を聞いて、なんだか納得。大切なヒントをもらった。

MJリンクはスタートしたばかりで、ショウさんのように、この先1年(ひょっとしたらMJリンクの場合は2年か)は、無我夢中で進めていかなければならないだろうけれど、その先は私ももっと大きな広がりがもてるよう、力を抜いていきたいとも思っている。んが、そんなことを考えるのは早すぎる時期ではあるのだけれど。

夕方、雲南省のチベット文化圏から日本に留学中のチベット人の友人Pちゃんと待ち合わせ。チベット料理教室へ。

ツァンパのスープを作って待っていてくれたのは、日本で料理の仕事をしているチベット人男性ふたり。彼らが今日の先生だ。ほか、チベット人のスタッフが数人。参加者はチベット人が数人と日本人が大半。

モモの作り方を教わった。

写真を見ればわかるとおり、みんなそれぞれいろんな形になったけれど、だんだんと上手になっていった。

 ダラムサラで育ったあるカムの女性が言った一言が印象的だった。「私はチベット人だけれどチベットを知らないから、モモの味もどちらかというとインド的ね。ガラムマサラを入れるし」と。

 最後に、モモの皮を丸めてゆでたものに、チーズとバター砂糖をまぶしたデザートもいただいた。

 今日は、ふたりのチベット人にチベット語で話しかけられた。1回目が「名前はなあに?」2回目は「どこの出身なの?」。ふたりとも私をチベット人と間違えたようだ。

 Pちゃんも「初めて会ったときは驚いたよ。チベット人かと思った」という。確かに現地でもよく間違えられるけれど、それは日焼けをしているかだと勝手に思っていた。そんなに似ているだろうか。

090919momo

2009年9月18日 (金)

どうやら本も雑誌も読んでもらえていないようだ

  午後からN出版で打ち合わせ。

  登山中のミスや最近の登山者の話になり、山で見かけた登山者たちのことを思い出した。出版社側が喉から手が出るほど欲しい、安全ではない登山者たち(の例)が、正直、山にはたくさんいる。「ああ、そういう人でしたら一昨日見かけました」とかすぐに答えられる。

つくづく、事故が起こるのは氷山の一角であて、隠れたところには危ない予備軍がたくさんいるのだなあと思う。けれど、事故は起きるときは起きるべくして起きるのである。起きてしまってからでは遅い。後悔先に立たず。

仕事柄、私自身もよくよく考えたほうがよいのは、なぜ彼らがそんな危険なことを平気で気づかずにやっているのか、ということだ。誰にも教わってこなかったのだろうけれど、中にはじっくり考えればわかるだろうこともある。下界でも共通する一般常識的なこともある。

またなかには、学ぶ機会、知る機会はあっただろうと思われる人たちもいる。

私は山のことを書く仕事をしているが、どうやら私たちがせっせこせっせこ書いていることを、登山者たちは読んでいないようだ。あるいはあまりに文章が下手で伝わっていないのかもしれない。またあるいはあんまりに面白くない文章なので、途中で投げ出されているか手に取ってもらえないでいるのかもしれない。ひょっとしたら、そんな雑誌や本があることを全く知らないのかもしれない。

  いずれにしても、仕事柄真剣に考えるべきことのようだ。

この夏は3度北アルプスに登ったが、ともかく毎日、驚くことばかりだった。

その後、代官山の細川さんのところへ。

夜、恵比寿のバールでかなっぷと合流して夕ご飯。

写真は昨日の朝。

090916morgen

2009年9月17日 (木)

北穂高岳へ

 下弦の月と星がきれいな朝。常念岳のあたりから日が登り始め、空が白んでくると、穂高が朝日で輝く。何度も何度も数えきれないほど見てきたこの光景。

 南稜を30分余り上がったところで、ヘルメットとハーネスをつけて東稜取り付きへ。しばらくフリーで登ってゴジラの背へ。

 真中を行く私は、ロープマン使用。

 現在、ジャンダルム付近は現場検証と残された機体が回収できるまで登山自粛を呼びかけている。今日は県警ヘリ、防災ヘリが4機、現場付近を飛んでいた。

 あとで聞いた話では、数日前には他県の防災ヘリや報道ヘリも混じって7機も飛んでいたという。

 連休までには作業が終わるのだろうか? 見通しについてのアナウンスはなかった。

 懸垂下降をしてから、40分ほど登ると、北穂高小屋。ちょうど、足立さんが洗いものをしているときだった。主人の義秀さんと私が北穂高小屋に通って取材をしていたころからずっと働いている早川さんは休暇で下りているとのこと。

 冷たい野菜ジュースをいただきながら、足立さんとおしゃべり。

「東稜だけじゃ物足りないでしょ。滝谷登っていけば」と。今日中に東京に帰らなくてもよいのならば、登りたいぐらい。今日は滝谷には珍しく、風もなく岩も乾いていた。そういえば、足立さんと登ったのもこんな空の日だった。

 テラスでゆっくり休んでから、滝谷横丁に寄って、南稜を下山。

 テントを撤収して、あとはかけ下るように横尾まで。

 いつもの定点撮影の石の上で、最後の北穂高岳を拝み、撮影……していると、あっという間にオンちゃんにおいていかれた。コンパスの長さも違うしこれは走らないと追いつかないと思い、横尾まで小走りを続けるが、とうとう追いつかず。彼は、ノルディックウォーキング方式でストックを積極的に使って歩行スピードをあげていたという。

 徳沢でソフトクリームを食べて、上高地へ。

 竜島温泉に入って、諏訪のサービスエリアで夕ご飯を食べて、東京へ。

090916toryo

2009年9月16日 (水)

涸沢へ

  熟睡後、朝、目を覚ます。ロープを1本減らして、上高地へ。

  明神岳や屏風岩を眺めながら涸沢へ。

  15歳ほど年下の男性、オンちゃんのいいペースに引き上げられながら、快調に歩いた。

  昨日のアプローチに比べれば、完全なる下界、全くのプレッシャーがないのが涸沢入りだ。

  今日は荷揚げの日らしく、ヘリがあちらこちらの山小屋を往復していた。シルバーウィークに備えてのことだろう。

  午後の涸沢は、あいにく、稜線はガスがかかり、ほんの少しだけ前穂が見えただけだった。

090915karaswagoya

2009年9月15日 (火)

マルトウの吸血虫→沢渡の足湯

 深夜運転で扇沢まで。仮眠してから出発の準備をしていると、見慣れたクルマがやってきた。やっぱりクリが来た。大町在住の友人。クリに見送られて、トロリーバスで黒部湖へ。

 八ツ峰(剱岳)Ⅵ峰の岩登りに、かなっぷとオンちゃんと3人で出かけるのだ。オンちゃんと登るのは初めてだけれど、彼は玄人的クライマー。ボルダーがとくに好きなようだけれど、ロープクライミングもするし、最近はマルチピッチも登っているそうだ。

 黒部湖から真砂沢にアプローチするのは初めて。黒部川沿いの道(写真)はさほど悪路でもなかった。本流を離れて内蔵助谷に入ったあたりから、少し荒れてきたけれど、何ら問題はなく、楽しく歩いていた。

 黒部には独特の雰囲気がある。下界との隔絶感だろうか、原始性だろうか。

 ホント心躍っていたのだけれど、急な斜面に残されたフィックスロープを伝っているとき、下のほうでオンちゃんの声がした。

 「靴底がはがれています」

 オンちゃんの目線の先にかなっぷの足もとが来たことで気づいたようだ。

 足場が安定するところまで移動して、観察。経年劣化による加水分解だ。これではこれ以上先に進むわけにはいかない。靴が壊れれば全く歩けなくなるのだ。

 念のために両足とも針金で修理して、あえなく下山。

 私は、変な虫に顔中刺されて、かゆくて仕方がない。靴を修理しているときに白くて小さな虫がたくさん飛んでいたのだ。丸山壁には変な吸血虫がいると読んだことがあるけれど、それだろうか?

 扇沢で真砂小屋の成司さんに、行けなくなったことを電話。「テントに泊まるの? 小屋に泊まればいいのに」と何度も言って、私達の来訪を楽しみにしていてくれたのに、申し訳ない。

 私は体中がかゆくて仕方がないし、みんな汗と雨でびっしょり。薬師の湯でリセット後、わびのしるしにかなっぷにそばをごちそうしてもらい、腹ごしらえ。

 クリにも電話。仕事中だけれど抜け出してきてくれ、クリ宅へ。かなっぷは、ヒロコちゃんの登山靴を借りることになった。

 その後、モンベル豊科店に寄ってから、沢渡へ移動。持っているギアでは、錫丈岳は登れないし、12日で多少岩っぽことをするとなると、穂高ぐらいか……という結論。

 駐車場の足湯に感動して、体中が温まって、就寝。

090914kurobegawa

2009年9月14日 (月)

ふたたびパッキング

 日曜日の山は、体力的にはなんら問題がなかったのだけれど、今日になって日頃の疲労がたったのか、ぐったり。

  霧ヶ峰の写真を見ると、空が大きくて、チベットが恋しくなった。

12日夜に、NHKBSのドキュメンタリー番組「ダライ・ラマ亡命への21日間」を見た。当時のチベット、中国とアメリカの関係、CIAとの関係も当事者たちへのインタビューを交えて、丁寧に取材していた。もちろん、ソ連との関係も。

ダライ・ラマ側にもはかりごとや筋書きがあった。それは、振り返ると神算だったのか?

なぜ、愛する母国を去らなければならなかったのか、彼に悲しい決断をさせたものが何だったのか、もっとじっくり考えたいと思うような番組だった。

 朝から洗濯物、それと部屋の掃除。

 午前中は机仕事。スポーツジムはお休み。

 夕方からパッキング。一路、秋の北アルプスへ。

090913yasimagaharashitsugen

2009年9月13日 (日)

霧ヶ峰、秋の始まり

 F山岳会の月例山行で霧ヶ峰へ。

 先月にひとり小走り状態で下見に行ったときは晩夏という空気感だったけれど、今日は秋の始まり。花は少なかったけれど、草木は色づき始めていた。

 広々としていて、ちょっと日本離れしたような景色で、けれど実は景観には多様性もあって、とってもいいところ。

 コース内容から見ても、私達にぴったりだったと思う。

 ただひとつ残念だった+反省点は、往復の移動に時間がかかり滞在時間が短かったこと、ゆえにどうもセカセカしてしまい、のんびりくつろげなかったこと。せっかくのいい場所だっただけにもったいなかった。

 リーダーの回だった私自身がいちばんセカセカしていたかもしれない。反省。

090913kirigamine

2009年9月11日 (金)

机仕事→サーフィン→ジンパ

今日も午前中は机仕事。

再来週の会津取材のための下調べ。必要になる地形図の手配。関連図書や資料の取り寄せ、その読み込みなど。

  昼にミナミスポーツへ行き、吊るしの3ミリフルスーツを驚くべき安い価格で購入。3ミリフルを持っていなかったなんて、いかにサーフィンをしていないかバレバレ。来月のトリップ前に準備したかったのだ。

  トリップ企画者のトモコさんは、「寒いより暖かい方がよいのだから、3ミリロンスプと5ミリフルでもいいのでは」と言っていたのだけれど、5ミリフルも超古く、オニのように重たいので、3ミリフルを買った。

かなっぷの仕事の取引先でもあるカヤック売場の男性とも話をする。

我が家の近くのカヤックのポイントを教えてもらった。カヤックをやることはほとんどないけれど、結構おもしろい自然が残っているのだなあと感心した。

今日の御宿は3ミリロンスプで入ったけれど、ひょっとしたらジャケット+サーフパンツでもいけたかもしれない。

本当に気持ちがよい秋の海だった。私は、何度かうねりから立ち、岸までつないでライディングでき、うれしかった。

 アパートに戻り、温泉に入ろうとすると、管理人さんが、『そとぼう新聞』を作っているライターさんを紹介してくれた。今月22日に開かれる御宿オーシャンスイムを前にして、新しい新聞ができたので持ってきたようだ。「今まではショートの人ばかりインタビューしているんで」というので、早速ふたりほどインタビューしてほしい女性ロングボーダーをリクエストしておいた。

夜、家の近くで湾岸スキー族のイシバシくんと、かなっぷと3人でジンパ(ジンギスカン・パーティ)。ここのジンギスカン屋はひょっとしたら日本一かもしれない。

話題は、仕事のことばかり。この世代になると、人を育てることは企業人として重要なファクターとなってくる。私は企業人ではないけれど、同じようなことを感じることが多いのだ。

2009年9月10日 (木)

MTG→会食

 朝イチは自宅仕事。

 昼前から、MJリンクのミーティング。2-3時間で終えるつもりが6時間以上かかった。

 いつもはほとんど男性のなかで仕事をしているけれど、MJリンクのサポーターは女性ばかり。女性だけのミーティングは、男性のそれと明らかに、よくも悪くも進み方が違う。思考回路が違うのだろうか。

 夜の約束の前にやるべき仕事が山のようにあったのだけれど、ミーティングが伸びたことによっていくつかは明日送り。いくつかはなんとか片付けられた。

 DIVA仲間のがっちゃんと待ち合わせ。同じくDIVA仲間であり山の業界の人気プレスNO.1のゆっこちゃんはどーしても来られず。どこへ行っても引っ張りだこの彼女は、「火曜・水曜に誘って。当分それ以外は東京にいないから」と。最近、私たちの集まりは、ゆっこが来られないことが多く、ちょっとさみしい。

 今日の店は、がっちゃんのオフィス近くの小さな小さなビストロ。

 「すっごい思い白い店だから。お兄さんがひとりでやっているんだけれど(ランチのときは奥さんも手伝っているらしい)、いっちゃているから」という言葉の通り……面白かった。お兄さん、料理に一生懸命、利益の計算ができているのかとても心配。どれもこれもおいしかったし、お兄さんの職人技、料理へののめり込み度がわかって、面白い。

2009年9月 9日 (水)

友人と夕ご飯

 お友達で登山ガイドのJちゃんと夕ご飯。 いやはや勉強になる。

 当時はロープを使ったクライミングや積雪期の登山の経験が少なく、しかも会社員である彼女がガイドのライセンスを取ったのだから、その努力は本当にすごい。某社人気ナンバー1のガイドさんだと私は思う。

 その理由は、裏付けされた技術と経験だけでなくて、顧客を楽しませようというホスピタリティ、そのために努力を惜しまないこと、工夫を続けることにあると思う。

 昨晩放映されたTV番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の話題になる。救急医の松本尚さん。番組を見て感じたことが、Jちゃんと同じようなことだったため、盛り上がる。

 医師も登山ガイドも、人の命を預かる点は同じ。そして現場で何ができるか、そのときに何ができるかが重要。

 私は、最後の問いかけ「プロフェッショナルとは?」の回答に深くうなずいた。予想したとおり、松本さんは至極当然の具体的なことを言った。いわく、プロフェッショナルとは、①絶対的リーダーシップ ②仲間を大事にできること ③新しいことに挑戦していける人、と。

 Jちゃんは、修羅場でこそ冷静である姿勢、決して不安な様子を同僚たちにも見せない、同僚も患者も、みんなを安心させて、修羅場に対応する、その様子に深くうなずいたようだ。ガイドも同じ。

 今度は一緒に山に行くことを約束して、お別れ。

2009年9月 7日 (月)

小川山

 昼前に小川山着。かなっぷの同僚たちに挨拶してから、ガマルートへ。マルチピッチの入門ルート。

 超久しぶりなので、これぐらいでよいだろうと始めたが、ロープワークは遅いし、正直怖い。それでも久しぶりに登ってみて、改めて入門にはいいルート、いろんな要素が入っているルートだなあと実感。

 川の流れを聞きながら、緑を見下ろし、向こう岸の花崗岩の岩峰を眺めながら登るのは、小川山ならでは。

 ほか、ショートルートを登って、終わり。

 帰路、増富の湯に立ち寄ると、ジャックさんに遭遇。

 増富の湯では、かなりの確率で友人・知人クライマーに会う。もし会わなくても、ガタイのよいお姉さん(=クライマー)が必ずといってよいほど、お風呂にいる(ガタイのよいお兄さんは、男湯にいるだろうから、女湯に入る私は目撃しないのだけれど)。

 ここのお湯はものすごく温まるし、治癒力もあると思うが、しばらくいかないうちに、額にお湯をあてる寝風呂ができていた(寝て入る風呂はこれまでもあったけれど)。

 試しにやってみると、ひんやりとした源泉が額にあたるだけで、案内通り「究極の瞑想」に入れ、意識が落ちそうになった。不思議と体全体が温まり、意識がオープンになっていくような、ときどきヨガで得られるような快感。

 通勤割引時間帯のうちに、中央道に乗って帰京。

 韮崎ICを使うので都心から100キロ圏内。週末の1000円制度を使わずとも、たいして変わらない金額で行ける。岩も高速も比較にならないほど空いているからやっぱり平日のお出かけはやめられない。

090907gamatop

2009年9月 5日 (土)

『ヤマケイJOY』2009秋号

 午前はいつものカイロプラクティック。

  先日、ドクターさんがボランティア参加したというエクステラの様子を聞いた。彼は、カイロプラクティックのブースを出して、選手たちに施術をしたのだという。

  丸沼で行われたエクステラとは、沼をスイムして、森の中をマウンテンバイクで走り、そしてトレランというスタイルのトライアスロン。

午後はスポーツジム。このジムは、整形外科が併設しているもので、5年ほど前にふくらはぎに筋断裂をおったときにリハビリに通ったところだ。ギプスをしていても、周りに浮くことなくトレーニングできる貴重な場だった。

当時のトレーナーさんは、いまも健在。先日、入会のための検査(負荷心電図とか筋力やバランス、体力を見るテスト)のために訪問したとき、私のことを覚えていてくれて、びっくり。

 帰宅後、アイシング。ドクター・オブ・カイロプラクティックさんに、運動したら必ずアイシング、しなくても1日の終わりにアイシングをするよう、言われた。

  ちゃんと言いつけは守る方なので(そうでなければ、通っている意味がない)、早速実行。

 自宅に『ヤマケイ JOY2009秋号』 が届いていた。

  第二特集が「入門・ソロテント山行」だそうで、それぞれがお気に入りのテン場を紹介するというコーナーに登場したのだ。対象は南・北アルプスと八ヶ岳。

 私が推薦したのは、もっともたくさん宿泊したかもしれないテン場である剱澤野営場(雑誌での表記は「剱沢キャンプ場」)。

  ほかにも何人かの山岳ガイドやアウトドアショップスタッフ、カメラマン、ライター達がお気に入りのテン場を紹介していて、そのなかにはいくつか私のお気に入りもあった(北岳肩ノ小屋、百閒洞山の家、涸沢野営場など)。

51az6yixw8l__sl500_aa240_

2009年9月 4日 (金)

秋の海

午前中は仕事。

早めの昼食を済ませ、海へ。

午前中のラウンドで入ったかなっぷいわく、「寒いよ。シーガルかスプリングだね」とのことだったけれど、長袖のタッパーにサーフパンツで出かけた(それしか選択肢がなかった)。

最初は水が冷たいと思ったけれど、思ったほどでもない。

夏と比べると断然人の数が減った。

乾いた風と、生暖かい海水、秋色の澄んだ空。初秋の海は気持ちがよい。

 一ノ宮・太東は風が合わないようで、今日はそのあたりのサーファーたちは片貝か御宿に流れているのだろう。 

 ものすごく上手な、いったい何者なの?というようなロングボーダーがふたり、それから激しいセッションを繰り返すショートボーダーの集団がいて、御宿も激戦区になっていた。

 むろん私はそんなところでは波待ちすらできないので、片隅で静かに、楽しんだ。

ものすごく上手なロングボーダーのおふたりは、見ていて本当にため息。スピードが落ちないまま、いろんな技を繰り返しながら、ロングライドして、浜辺まで乗り継ぐ。そしてまたあっという間に沖へ出ていく。

2週間後の御宿オーシャンスイムや月末の学生のライフセーバーの大会を目指してか、トレーニングで海に入っている人たちも多かった。

2009年9月 3日 (木)

ボルダリングジム

  仕事をした後、100万年ぶりにボルダー専用のクライミングジムへ。ひたすら片っ端から簡単なルートを次々登っていく。最初はてっぺんまで行くと高さが怖かったけれど、慣れた。体が重たくて、かぶったルートはてきめんにやられる。

 ジムの方に「久しぶりだから疲れたでしょう」と声をかけられたが、疲れるまで追い込めなかった。

 そして、私にとっては待ちに待ったグッドニュースを教えてもらう。

 夜、車を走らせて御宿へ。

 すっかり人出もなくなり、いつもの姿に戻っていた。夏は一瞬の出来事だった。涼しくなり、もう秋がやってきた。

 ひと仕事をして、就寝。

2009年9月 2日 (水)

業界懇親会?

 業界懇親会? ウソです。もっとフランクでフレンドリーな飲み会。会場は、S出版社の地下にある洋食屋さんだったので、神保町付近に集合という約束。仕事が押してほんの少し前に到着。本当はもっと早くに着いて、本屋めぐりをしようと思っていたのに、これでは時間がない。

 ということで、さかいやへ。登山道具の店に来るのは久しぶり。展示会やカタログでそれなりに新商品をチェックしていても、こうやって店に来るのはやっぱり勉強になる。その理由は。

    いろんなメーカーの商品を一度に見ることができ、比較ができる。

    客足、消費者の動向をうかがうことができる。

    展示会に行っていないメーカーのものも見ることができる。

 間もなく、待ち合わせ相手であるT出版社の広告営業担当、Sさんから携帯メール。あちらは、ICI石井スポーツにいるとのこと。あちらだったか。

 今宵Sさんが私に紹介してくれたのは、ヨガインストラクターやテールガイドの仕事をしているSちゃん。ダブルS

 富士山での仕事を終え、駆けつけてくれた。

 一生懸命で、華があり輝いている。私が彼女の歳のころ(10年ほど前)は、彼女ほど将来のことを考えていなかったな、とここでも自分のアホさ加減に気づかされる。

 ちょうど私が悩み考え込んでいるあることに、彼女はすでに取り組んでいたので、いろいろ教えてもらう。

 今後、一緒に仕事ができたら、とても楽しく刺激的だろう。

 帰りがけ、Sちゃんからのプレゼントは、山岳ガイドの謙司さんへの電話だった。

 「Sに会うの初めてなの?」と謙司さん。宝物は隠して、私に紹介してくれなかったんでしょう。

 エベレストから帰ったあと、いつものようにすぐにスイスへ行ってしまったので、久しぶりに話をした。久しぶりなのに、来週にはチョ・オユーだそうだ。

 本当に、山岳ガイドという人たちは頑強だ。

 出発前に、声が聞けてよかった。

2009年9月 1日 (火)

机仕事の1日

 日曜日、MJリンクの山から帰って来て……その日のうちにすべての残務仕事をやればよかったのだけれど、疲れて寝てしまった。これがいけなかった。やっぱりレポート類や会計処理などはその日のうちに済ませるべき。

 それが月曜日に流れ込み、そして一部今日までズルズルと引きずった。

 次回からその日のうちに片付けよう。

 ほか、10月にオープンするwebサイトの監修をする件について、仕事。

 ゲラを2ページ、チェック。

 夜になってから慌てて、明日出発のイチハシさんに写真(下記)を送信。グリンデルのユミジョへの伝言を頼む。

060822yungmarth

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

Information

  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。2019年6~11月のガイドカレンダーをお送りします。ほか、オーダーメイドも承っておりますので行き先や内容など、ご相談ください。

Magazines