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2009年8月

2009年8月31日 (月)

macpac from NZ

 クリエイティブな仕事ぶりと、サーフ&クライム&テレマークスキーの日常が素敵な、尊敬する山仲間、モリピカさんから届いたマックパックトーレス25

 30リットルぐらいのザックで気に入ったものがなく、モヤモヤしていた時期なので、うれしい。

 早速、来月のF山岳会登山と奥会津取材4日間山旅から使うことにしよう。日帰りハイキングでも30リットルぐらい必要になる登山が最近は多いので、重宝する!

 マックパックは一度使ってみたいと思っていた。写真よりも実際の方がずっとシンプルで、雨ぶたのサイズもワタシ好み(テルモスと行動食が入るサイズだと嬉しいのだ)。

 色もきれいなグリーン。ウエアもギアも色は大切だけれど、とくにザックは表面積が大きいから色は重要ではないだろうか。

 「ザックの色でコーディネイトがガタガタになっている人が多すぎる!」という苦言を呈したのは、昨年一緒に北穂高岳に登ったガーデンデザイナーの友人がっちゃん。彼女は多くの登山者が行き交う涸沢で、横尾で、上高地でため息をついていた。 

 ちなみにがっちゃんのザックはオスプレーのバリアント28。あの赤色もなかなか素敵。残念ながら形がワタシ好みではないのだけれど。

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2009年8月30日 (日)

第2回MJリンク Day2

 第2回MJリンク本番当日。日帰り参加の方々と合流して、天神尾根から谷川岳へ。編集者とおなじみの山岳カメラマンアラカズさんも同行。

 登りはずっとガスっていた。

 こういうのを「ミルクスープ」というのだそうだ。ガスっているため、初めての人にはどれぐらい登ったか実感がわきにくく、登っても登っても同じような風景だったかも。けれど、確実に高度を上げていった。

 クミちゃんと私のA班が先行し、結構いいペースで山頂に。

 その後ゆっくりしていると、田部井淳子さんとまさみんのB班が到着。下山は、ABのスタッフを入れ替えるので、引き継ぎ連絡をしたあとは、A班担当のおふたりはすぐに出発。まさみんは山頂でザックすら下ろさなかっただろう。

 しばらくして私たちB班も出発。

 尾根を下り始めると、どんどん天気が回復してきた。大きな笹の原っぱが見えたことや、西黒尾根を眺めたことが、参加者のみんなは嬉しかった様子。

 緊張する岩場を終え、熊穴沢避難小屋で休憩したのち、緩やかな登山道を歩くころには、日がさしてきて、本当によかった。最後にご褒美をもらった気分(写真:これを見ると、やっぱり夏はもう終わってしまい、秋の日の光だと実感)。

 日頃スポーツに親しんでいる方も多く、足取りも体力もばっちりだった。

 遠くは福島県、奈良県からの参加もあり、その熱意にはいつも励まされる。

 かわいらしいウエアを着ている方も多く、質問魔の私は、メーカーやら素材やら質問攻め。ボーダーのタイツ、コットンライクだけれど化繊のTシャツ、バーグハウスのパックを持っている方も発見。

 あるひとりの参加者の方は、なんと旦那さんも天神尾根を登っていたのだ。偶然すれ違った。素知らぬ顔で通り過ぎようと思っていたのかどうかわからないけれど、なんとなーく私は気になって、その男性をじーっと見てしまった。そして、旦那さんだと発覚。

 いつか「もうひとつのMJリンク」もできるかもしれない。そのときはウチの旦那もいれてもらうか。

 解散後は、北アルプス5日間縦走へ出かけるハシゴ組や温泉に入ると速攻にバスで帰っていった方(その方とは、のちのちお風呂で再会!)、グループになって和気あいあい帰っていく組などそれぞれ。

 私たちは、土砂降りの関越を走った。もうこれ以上の雨はないだろうというバケツをひっくり返したような降りのなか、まさみんとクミちゃんを目白駅で下した。あれはひどかった。ふたりはずぶぬれになって駅に入ったはず。

 帰宅後、今日の後片付けと事務仕事。

 登山中には辛く悲しい山のニュースを携帯メールで受け取っていたので、やりきれない気持ちになっていたけれど、自宅で開いたメールボックスには、ある山岳ガイドの方から温かく力強い便りが入っていて、勇気をもらった。

 そして、1日が終わった。就寝。

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2009年8月29日 (土)

第2回MJリンク Day1

 第2回MJリンクへ出発。 

 朝、都内の駅でたまりんとDIVA仲間のクミちゃんと待ち合わせ。クミちゃんは、今回の強力助っ人なのだ。

 トロトロ走る関越で水上まで。車中では、先日23歳になったばかりのたまりんの食欲について、40代オンナのふたりは開いた口がふさがらないというか、なんというか。「そんなに食べて大丈夫なのは、あと数年だよ」と言いながらも、やっぱり誕生日ケーキを持ってくるべきだったなと思った。

 

 本日のお宿、ルグートン へ。

 このお宿は偶然見つけたもので、7月の下見のときにたまりんとふたりで寄って、オーナーさんたちと話をさせてもらって、即決したもの。

 ある老舗紙屋さん勤務だった方とデザイナーさんのふたりが、都内での仕事を辞め、この冬、ここくるみ村に引っ越してきて、この宿を始めたのだという。古いペンションを買い取り、丁寧に改装したそうだ。

  宿を始めたばかりだけれど、丁寧に温かみのあるおもてなしをしていて、スタートしたばかりのMJリンクにもぴったりの宿だったと思い、何かの縁を感じるような宿。

 16時にオーナーさんと一緒に、JR上毛高原駅へ参加者+もうひとりの強力助っ人まさみんを迎えに行く。

 その後、参加者の方々にはお風呂に入ってもらったりしてくつろいだあと、夕食。とても美味しかった。のちのち聞くと、これを作ったオーナーさん、何と料理の勉強はしておらず、独学なのだとか。すばらしい。

 夕食後、みんなで団欒したり、今後のMJリンクについて意見を述べ合ったりした。夜遅い列車で、最後のふたりが到着。なんとそのうちのおひとりは、奈良県から!

   写真は、翌日の谷川岳登山のためにルグートンさんが作ってくださったランチ・ボックス。食べかけの写真になってしまったが……おにぎり2ケに焼き鮭、ミニハンバーグ2ケ、プチトマト、お漬け物。ミニハンバーグの見た目は淡白なのだけれど、しっかりと味がつい

ていて、登山で汗をかいた体にぴったり。いろんな気遣いのあるランチ・ボックスだった。

  食べかけでないランチ・ボックスは、私たちの宿泊風景と一緒に、ルグートンさんのブログ宿記に掲載中。

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2009年8月28日 (金)

『山登りはじめました』

 夕方まで原稿書き。そこそこまとめてあったものの、字数を大幅に減らさなければならず、少々時間がかかった。

 日が落ちてからジョギングをしながら不在者投票へ。朝夕涼しくなったので、走りやすい。

 コミックエッセイという分野がある。これぞ玉石混合と思っていて、なかなか手を出さずにいたのだけれど(失敗したこともあるし)、『山登りはじめました めざせ!富士山編』 は、とても面白かったし、何よりも読みごたえがあった。

 実は、この本を手に取ったきっかけは、アウトドアギアショップ勤務のかなっぷが、「この本を片手にやってきたお客さんがいたよ。本に載っている装備がほしいんだと。おもしろそうな本だったよ」と言ったことにある。

 登山とは縁がなくインドア派だった著者の鈴木ともこさんが、友人と高尾山に行ったときから、山に目覚める……というストーリー。初心者の人や、これから山を始めてみようかと考えている人が読んでももちろんよいのだけれど、長年山登りを続けてきた人が読んでも、初心のころを思い出したり、いろんな点で共感できると思う。 

 彼女は文章と画の両方の表現力があり、そして山についてちゃんと考えて、感じているい人なんだと思った。自然の描写も素晴らしいし、登山についてしっかりと書きこんでいる(描きこんでいる)ところもある。

 素敵な宝石に巡り合えた。

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2009年8月27日 (木)

仕事の評価、合わせ鏡

 最近何人かと「仕事を断ること」について話をした。

 ひとりは、書き手である私の独断で記事掲載を断ったことにより、私に協力してくれていたのに、それが実を結ばなかったという迷惑を、私がかけてしまった相手。

 納得できる仕事を作っていきたいといつも考えている彼は、私の判断を理解してくれた。

 彼らは、目先の利益を追うことなく、仕事の質を高めることを重要視し、山岳ガイドを続けている。けれどそれは決して、商売にならなくてもよいとか、ボランティア精神とか、商売を度外視したこと、というのではないと私は思う。

 もっとバランスが取れている。自分たちのスキルや経験値をアップさせるだけでなく、自分が仕事をしている社会全体(もっといえば、全社会全体)のことを考えているし、長い目で見れば、彼らの仕事ぶりが、日本の登山社会が成熟されたものになる一助だと思う。

 そして、クライアントとガイドは合わせ鏡。質の高いガイドのところには、一生懸命で真面目なクライアントが集まる。

 これはどの仕事も同じだろう。

 もうひとつは同世代の友人がとても大きな仕事を断ったという話。大企業の社屋すべてを任せられたのだから、それはやりがいのある規模であることは確か。しかし話を進めていくうちに、クリエーターである彼女のクレジットを全く無視したような契約内容になり、断ったと話していた。彼女の仕事の規模がもっと小さかった駆け出しの時代の、自分の原点を思い出すきっかけともなったと話していた。

 私達のように、形のないものを売っているものとしては、自分たちのアイディアや作品に対して、どのように仕事相手が尊重してくれるか、これは仕事のモチベーションにも大きく関わる。原稿料ももちろんだけれど、結局それが、自分自身に対する評価のひとつなんだろう。

  昨日デザインが上がった分について、今日原稿を書きあげ、夕方編集者に送信した。すぐに電話がかかってきた。こういうときの電話にはビクビクするけれど(感違いにより字数が大幅に違ったとか、原稿の出来が全くなっとらんとか言われるのではないかと)、Iさんは感想を述べて、作業を先に進める旨を報告してくれた。

 このようにすぐに電話をくれる人は、実は珍しく、いったい私の原稿はどうなっちゃたの?っていう頃、ゲラがペローっとFAXで届く(いま時はpdfファイル)ことも少なくない。

 編集者は、書き手にとって最初の読者であり、編集者に頼るしかないことばかりなので、すぐに返信をくれる人は、本当にありがたい。

 その後、2本目の原稿へ。

写真は8/22の室堂。チングルマがすっかり……山は秋。 

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2009年8月26日 (水)

原稿書き→O山岳会

 原稿締め切りが2本重なったことがイタイ。

 1本はほぼ書きあげてあったので、午前中のうちに字数の調整。あとは、デザインが上がってから調整することにしよう。

 2本目の原稿に速攻取りかかりたいものの、雑仕事や週末の準備があって、なかなかはかどらず。

 夜、この春に仲間うちで作ったO山岳会(といってもその前まで仲間うちで作っていた会の延長線上にあるようなもの、仕切り直したもの)の集まりへ。

 すでに加入済みの労山の新特別基金(遭難対策基金)について内容の確認、計画書や留守本部に関するルール決めなど。

 

 そのあとは互いの仕事の話など。

 剱岳や上の廊下での撮影のことや、この夏の富士山のこと、ORのこと、テントが売れている話や山岳雑誌(老舗の2誌というよりもそれ以外の)のことなど。

 巷のアウトドアファッションの流行は、来年はウェストポーチがきそうだとか(もちろん斜めがけ)、デイパックは今年で終わりとか。

2009年8月25日 (火)

ライセンスとモラル

いつものカイロプラクティックへ。

カイロプラクティックドクターについては、日本では法制化されていないし、カイロプラクティックドクターのライセンスを修得できる大学は日本にはない。けれど、ライセンスなしで施術しているところは山ほどあり(そのほうが多いか……)、それらについて書いてあることは、大概ちょっと複雑というか(わざとわかりにくくに書いているのか? と思えるような紹介文があったり)、言葉っつらだけだったりして、真実や実際のことがよくわからない。

 それで、今日、施術のあとに、ドクターさんにいくつか質問してみた。

 なるほど、ひょっとしたらこういうことかもしれない、ということを思い出した。

 ブラジルでカイロプラクティックに関する法整備が進んでいることについて、あるカイロプラクティックの学生が書いた文章がwebに載っていたのを、以前読んだことがあったのだ。

 彼が書いていたのは、このようなこと。

 ブラジルのカイロプラクティック連盟が「カイロプラクティックはプロフェッションであり、テクニックではない」と宣言したのだそうだ。

 この言葉の意味は深く、ボキボキと鳴らして矯正することがカイロプラクティックであるのではなく、診断をし、医学的考察をし、患者にアプローチしていくそのプロフェッションこそが、カイロプラクティックであり、ゆえにカイロプラクティックは手技ではなく、医学のジャンルのひとつである、と。

 山岳ガイドも同様だろう。山岳ガイドには、登山の技術だけでなくガイディングの技術も必要となる。これは非常に専門的な技術だ。しかしその技術を指して、山岳ガイドというのではない。クライアントを山に安全に登らせ、下山させる。それは大前提であり、そのなかでクライアントに感動を与える職業なのだ(byガストン・レビュファ)。

 私が先日、結構苦労して書いた山岳ガイドに関する原稿を、3人のガイドの方々が読んでくださった。語句を訂正してくれた人もいたし、「こんな風に山岳ガイドの仕事を評価してくれてうれしい」と言ってくれた人もいた。

 優秀なそして尊敬できる山岳ガイドたちは、常に自分をプッシュしている。ガイディングや山のスキルアップ、体力の向上、体調管理、さらには自分自身の登山の世界も持っている人は本当に魅力的だ。

 フランスでは、山岳ガイドは社会で本当に尊敬される職業だと、ENSA出身の山岳ガイドに聞いたことがあるが、私も心から尊敬する。

 ある山岳ガイドは、資格制度によって技術はある程度統一できても(日本では山岳ガイドに関して法制化されていないけれど、社団法人日本山岳ガイド協会による資格制度はある)、モラルに関して(これが実際に安全性を左右することがある)は、手つかずだというようなことを話していた。

 自分を常にプッシュすること、モラルをもった仕事をすることは、どんな職業にも必要なことだけれど、誰もがちょっとさぼってしまうことはあるだろう。しかし、山岳ガイドの場合、そんなちょっとした気の緩みが、顧客の生死に直結するのだ。そのプレッシャーたるやどれほどのものか。

 そして、私の書いた山岳ガイドに関する原稿(ある一般誌向け)は、編集部に連絡して、破棄してもらった。

 理由は、編集部があまりに不誠実だったからだ。書き手をどのように考えているのか、単なる情報源と思っているのかもしれない。さらには、私の原稿はほかの人の原稿といっしょくたにされ、私が書いた部分以外には事実誤認や不適切な表現が多かったからだ。

署名原稿でないことは、あとで聞かされたが、たとえ署名がなかろうと、このようなところに自分の原稿(しかも私が尊敬する山岳ガイドたちの実名を挙げて紹介した文章)を混ぜるわけにはいかない。

 2日間かけて、最後の日は徹夜して書いた原稿は、それなりのものに仕上げたつもりだけれど、日の目を見ず。近いうちにwebにアップしようか。

 ところで、職人的テレマークスキーヤーであるすーさんの日記で知ったトニー・ザイラーの訃報。

 あのスタイリッシュな滑りは、目に焼きついて忘れられない。

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2009年8月24日 (月)

Day3 室堂から帰宅

 私達はアルペンルートの団体チケットは持っていたけれど、時刻をブッキングしていなかったので、Yさんと一緒に皆さんより一足早く出発。地獄谷を通って、みくりが池に上がる(写真)。左端にほんの少し見える剱岳ともこれでお別れ。

 扇沢に出て、高速を走って、帰宅。

 夫が出張中で留守のため、ひとりでのんびりテレビを見ていると、おもしろい人が出てきた。若い女性で、秘湯があればどこまでもひとりで行って、お湯につかるんだとか。

 高瀬ダムから出発して湯川沿いにさかのぼっていった先の温泉について放映されていたが、温泉(というか、川っぺりにわいている湯というワイルド+オープンな温泉)の手前の橋が壊れていて向こう岸に渡れなかったのだ。

 彼女は、無謀な人間ではなく、装備もちゃんと持っていて、ここでは激流を渡るためにロープを出して、何度か徒渉を試みた。低体温症にならないよう釣り用のパンツも履いている。

 けれどとうとう渡れず。番組スタッフが「残念でしたね」と聞くと、涙を流していたけれど、「こんなこともあります。また来ればいいんですから。沢登りのスキルを磨きます」と笑顔になった。

 予想していなかったところで、ミョーに共感。

 そうそのとおり。自分の実力が及ばなかったら、スキルアップしてからまた来ればよい。天候に恵まれなければ、また来ればよい。自然相手の場合、そうそう自分に都合のよいことが起きるわけがないんだ。登れないことの方が多いかもしれないし、再訪することなんて数えきれないほどある。天候待ちでうんざりするほどテントにこもることだってある。そういうことにストレスを感じず、上手に自然と付き合っていける人は、やっぱり強い。

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2009年8月23日 (日)

Day2 立山ラウンド

 今日は立山三山をラウンドして、雷鳥坂を下りるという計画。

 朝からずっと風が強くて、思いのほか寒かった。こんなに寒いことはないだろうと、半袖TシャツにマックパックのロングT(ウールと化繊のダブルフェイス)を着て、さらに雨具のジャケットを着込んだのに、結構寒かった。

  山はすっかり秋なのだ。空に浮かぶ雲も、実となったチングルマも、山の緑の色も(少し黄色みがかってきていて)、それから風も空気感も、みんな秋だった。夏山は終わっていた。

  雄山の山頂では雄山神社が開いていて、神主さんが神事をしていた。無雪期に来るのはホント久しぶりなので、こんな風景も懐かしい。

 大学2年の夏合宿で、剱沢での定着を終えたあと、私達は縦走に出た。立山三山から五色ヶ原に回り、その後、平ノ渡しで黒4ダムを渡って、針の木谷から針ノ木岳に登り返し、そこからずっと日本海まで縦走した。

 その途次で通った雄山の山頂で、忘れもしない、クリの唇が日焼けで腫れていたのだ。優しい先輩であった私は、ちゃんとリップクリームを貸してあげた。でも、もう手遅れだったな、あれは。

 なんてことも思い出しながら(というかそれ以外、立山三山については何も思い出せず)、歩いた。

 やがて日本一かっこいい山剱岳がでーんと姿を現わす。

 先週剱岳に登りに行って、今週もまた来るというKちゃんから情報をもらっていた通り、雪渓が薄い……。あと少しすればズタズタになってしまいそうだ。

 雷鳥坂を降りて、雷鳥沢ヒュッテへ。GWの取材の時以来、またおじゃますることになった。

 積雪期には味わえない露天風呂へ行くと、ラッキーなことに私ひとり。ゆっくりとお湯につかって山を眺めた。

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2009年8月22日 (土)

Day1 室堂→一ノ越山荘

 朝、バスで新宿駅を発ち、延々高速を走って富山へ。何度も歩いた栂海新道の終点を横目で見て、立山ICから室堂へ一直線。

 一ノ越山荘までは、立派な舗装された登山道があってびっくり。ここを無雪期に登るのは初めて。無雪期の一ノ越は、大学2年以来。つまり20年以上前か。

 同室の方々と、いろんなお話をして、登山の知恵袋を聞いて、装備の工夫を聞いて、ときにはその知恵のあまりの奥深さや意外性に驚いたり。楽しかった。

 化粧品ポーチは私のものがまぎれもなく一番貧相だった(つうか、化粧品が入っていなかったので、失格か)。

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2009年8月21日 (金)

打ち合わせの日

 編集の仕事、原稿の仕事を並行。

 午後、MJリンクの件でたまりんとタリーズミーティング。その足で、岳人へ。広告営業のSさんと編集長と面談。ほか何人かと話したあと、引き続きMJリンクの打ち合わせへ。

 夜帰宅。11時から原稿を書き始め、脱稿が明け方。

 横になって目を閉じて、少しでも睡眠。

 明日から、F山岳会で立山へ行くので、寝坊は言語道断、早起き必須なのだ。

2009年8月20日 (木)

涼しげな打ち合わせ

 高層ビルから東京の街を見下ろしながら、打ち合わせ。

 わざわざ遠くからおいでくださったおふたりにお会いした。あとでわかったことだけれど、このおふたり、私の祖母の実家のすぐ近くにお住まい。とくにひとりの女性とは町名も一緒だった。

 母の疎開先でもあるので、近いうちに、老いた母を一度連れて親戚の方々に会いに行かなければならない。すっかりご無沙汰しているのだ。

 この仕事は、私の大好きな山と酒と温泉の神様がいっぺんに降りてきてくれたような、お話。ちゃんと魅力を伝えられるよう、がんばりましょう。

 担当のおふたりのプロファイルはあまり聞かなかったけれど、察するに、おひとりは学生時代からのかなりの山ヤさん、もうひとりは最近山に凝っていてたくさん歩いている方。

 楽しい取材になりそうで、うれしい。

 帰宅後雑仕事をやり続けていると、一本の電話。

 先月留守が続いて仕事を断ってしまった編集部から。これまで一度も一緒に仕事をしたことがないのだけれど、まだ覚えていてくださった様子。

 明日締め切りの原稿は、分量こそそれほど長くないけれど、とても難しいテーマ。

 ひょっとしたら、一般の人が聞けば、「どこが難しいの?」と思うかもしれないけれど、実はこのテーマはとても難しいんです。それは、山岳ガイドについて。

 参りました。

 あれこれ書き連ね、字数だけ重ねたけれど、全くダメ。

 明日書き直し。

2009年8月18日 (火)

朝日新聞朝刊「山歩き女子 増えています」

 夕べ遅くまでテレビを見たため(って11時半ですが)、今朝は寝坊。ゆっくりと海へ。

 昨日とは全く違って乗れない。波の選び方はわかってきたので、そう悪くないと思うけれど、いる位置やパドリングのタイミングが合ってないのかも。立つ瞬間がいつであるのか、トミーさんにわかりやすく教わったので、それも理解しているつもりなのだけれど、実行できない。

 昼前に慌てて海から上がり、朝日新聞朝刊を買いに行く。 

 先日のMJリンク那須岳(第1回)に同行した熊井洋美記者が、「山歩き女子増えています」という記事を書いたからだ。記事のなかでは、MJリンクについても触れてある。

 MJリンクは田部井淳子さんが呼びかけ人となって、20-40代女性を対象に作った山歩きのネットワークだ。スタッフは20代前半の安岡と、40代前半の私。ほかに強力助っ人で脇をかためている。

  ご興味のある方は、MJリンクのブログにアクセスください。

 サーフィンをするとどうしても昼寝がしたくなるのだけれど、なんとか我慢して仕事。

 夕方は昨日トミーさんと入った岩和田の方へ行ってみた(朝はいつもの中央へ)。

 やっぱりいろんなタイミングが合わないけれど、合わない理由がわかっているから、レッスンの成果があったと思う。それに波を見る目は急激に向上(?) あれは乗っちゃダメ、まかれるよ……と思っていると、となりでかなっぷが巻かれている。

 昨日はレッスン中のライディングをたくさんかなっぷに撮影してもらったので(動画含む)、今日は私が撮影することになった。

 動画のほかに連続写真もほしいというので、ちゃんと岸まで連続で撮ったら、最後の1枚は誰もいなかった(写真下)。

 

帰宅後、「ガイアの夜明け」 を見る。猪熊隆之さんが、山岳地域の気象予報のプロとして紹介されていた。わかりやすい番組で、猪熊さんの仕事の内容や重要性がよくわかり、よい番組だったと思う。

 彼がこのような仕事を始めことは、感動的。

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2009年8月17日 (月)

トミーさんのレッスン

 昨晩のうちに移動。我が家から御宿へ行くには、茂原を通過して農道を通りながら入っていくのと、九十九里の波乗り道路をずーっと行き、南下していく方法がある。茂原経由は里山チーズや新鮮千葉野菜・米の販売店、とっても美味しいパン屋さん、なぜかとっても美味しい餃子を売っている酒屋さんがあるグルメ街道なので、外せないのだけれど、深夜移動のときは、九十九里経由にしている。そのほうが早いし。

 朝乗りたかったけれど、仕事がたまっているのでがまん。

 昼にあまからやへ行き、パイルーメン。報道を見てやってきたのか、いつもとは全く違う混み具合が続いている。

 夕方、トミーさんのレッスンを受けることにした。

 私のボードはトミーさんのおさがりなので、ボードを購入したときに少しだけ一緒に海に入ってもらい、教えてもらったこともあった。けれど、ほとんど誰にも教わらず今まで来て、かなっぷにはあれこれ忠告を受けるけれど、素直に聞く気になれないときもあるし、ハナから疑っている点もあるので、ここはちゃんとした方に教わろうと思ったのだ。

 技術も知りたいけれど、安全に海にいる方法とか、やってはいけないこととかをもう一度確認したかった。

 沖に出ていく方法のいくつかは、省エネになるものを教えてもらい、一気に楽になった。方向転換のコツも教わり、少し早くなった。このよな身のこなしがよくなると、周囲を見渡す余裕も増え、チャンスもつかみやすい。

 パドリングの最初のひとかきのこと、手の作り方も教わった。

 岸まで波を乗り継いでいったときの降り方も。これには私は悪い癖があることがわかった。安全面にも関わる重要なこと。

 波の選び方、パドリングのタイミングなども教わった。

 パドリングは早くちゃんとできていて、ライディングもきれいだとほめてもらった。サーフィンでほめられたことなんてないので、まだまだだとしても嬉しい。

 今日は、トミーさんが私のすぐ脇にいてくれて、一緒に波を選び、彼女に言われる通り、板を向けて、パドリングを開始し、私のスピードが追いつかないときは押してもらうので、たくさんの数えきれないほどの波に乗ることができた。

 普段は数回しか乗れないので、面を滑る感覚もすっかり忘れていた。彼女と一緒だからできたことだけれど、こうやっていろんな感覚をつかむのはとても有効だと思う。

 周囲には、トミーさんの娘さんがふたりなどクラブメンバーたちもいて、和気あいあいとした雰囲気。

 夜、テレビ東京で放映されたカンブリア宮殿を見る。モンベルが取り上げられた から。

 辰野勇会長の「想像力をもて」がよかった。経営も登山も冒険もすべて想像力。これが欠如すると、いろんな歯車が狂い出すのだ。

 写真は御宿の浜辺のようす。ここにも海ガメがやってきたようだ。

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2009年8月15日 (土)

『山と溪谷』9月号

『山と渓谷 』9月号『冒険の蟲たち―登った!漕いだ!走った!アメリカ大陸5万キロ』 の図書紹介を書いた(『岳人』8月号には写真家の三宅岳さんが長い書評を書いていた)。

たった400字で書籍の内容がわかるような紹介文を書かなければならないので、この原稿、実は結構ハードルが高い。いつもありきたりになってしまう。

サブタイトルにした「33年前の日記から リアルで甘い南米大陸の旅と登攀の記録」の、「甘い」というのには、実はいろーんな意味を込めたのだけれど、原稿を読んでもらった数人の誰からも質問がこなかったので(普段原稿を編集者以外に読んでもらうことはあまりないのだけれど)、読者にも伝わらないだろうか……。

グラ兄に原稿を見てもらった時に、もらったヒントからつけた。

本書の内容については、過去にこの日記のココに書いた。

原稿依頼をいただきながら、こんなことをいうのはどうかとも思うが、私が編集者だったら、この本の紹介文は若い(つまり書き手の3人の当時の年齢ぐらいである20代後半)のシリアスクライマー、あるいはとんがったことをやっている若者(旅人とか)に書いてもらうなあ。

ところで、13日に書いた日記について訂正。

四川で坦々麺は食べたことないし、食べている人も見たことない、と書いたけれど、どうやら違うようだ。私よりはるかに多く四川省を歩いている先輩写真家さんから、教えてもらった。

彼曰く、「僕は四川省で、坦坦面をよく食べます」と。そう、坦々麺は中国語では坦々面。ツアー客が訪れるようなレストランではなく、麺類や餃子を出す専門店では、中国人もよく食べているそうだ。

私もツアー客が行くレストランはめったに行かず、地元民が使う庶民的店か、あるいは反対に地元民が使う比較的高級な店(いずれも団体観光客には味がなじまないだろう)ばかり行くのだけれど、見た記憶がなかった。

今度、探してみよう。

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2009年8月14日 (金)

森へ帰ったマサト

 朝、風は収まったけれど、波は少なかった。それでも気持ちがよい。

 お盆の時期は御宿のローカルと呼ばれている人たちは、旅行中であることが多いし、サーファーも増えるので、いつもと海の雰囲気が違う。

 サーフィンは「ローカル色が強い」といわれているけれど、それはいい意味でもあたっていると思う。そのポイントで一番上手な人というのは、明らかにわかるのだけれど、そういった人たちがどれだけ平和的であるか、それによって海の雰囲気ががらっと変わるのだ。

 本来の御宿は平和な海だと思う。

 ある高校生プロサーファーの方がブログに、ひどい環境の海(ゴミが散乱していて、危険区域で遊んでいる海水浴客が多く、川も汚れている)を目の前にして、「ローカルの人がいないんでしょう ぜんぜん秩序がないみたい」と書いていた。

 彼女にとって、ローカルとは、その海の秩序を作り、文化を作る人たちなのかなと思うと、なるほどローカルの意味や重要性がわかった。

 時間が経つと風が出てきたので、海水浴客たちのいろんな浮輪がどんどん沖に流されていく。人が一緒でないのだけが救いか、それでも浮輪は単なる海のゴミになっている。

 以前、ライフセーバーである友人が、「シャチとか大きい浮輪があるでしょう。あれなんて格好のモノですよ。風を受けて、どんどん流されていくんですから」と言っていたけれど、ホントそのとおり。

 ある大きなシャチの浮輪については、スタンドアップパドルをしていた男性が、何とブイのずっと向こうの沖の沖までパドリングしていき、回収してきた。かなりの距離だったと思う。

 海から上がって、マサトを森に帰すことにした。マサトは海からやってきたのだけれど、本来の住処は、そりゃ森だろう。岩和田の上の方の森も考えたけれど、クヌギの森が見つからず、近所にある寺の裏山に連れて行った。

 部屋から出る前に記念写真を撮ろうとすると、マサトは異変を察知したのか大暴れしだした。もともと大海原を泳いでいたくらいなのだから、アクティブなのだ。

 マル1日スイカを食べ続けた結果、顔には赤い汁がついたまま(写真をよく見るとわかります)。

 記念撮影後、かなっぷのTシャツにつけて外に出たのだけれど、それでも大暴れ。Tシャツの中に入ろうとする。

 けれど、寺の裏の石段を上がって山に入っていき、桜の木に乗せたら(桜の木ぐらいしか樹液が出ているものが見当たらなかった)、静かになって、野性味も帯びた表情になった。

 もう私達がいくら話しかけても、振り向きもしない。

 バイバイ、マサト。

 駅前の土産物屋で、地元のRさんお勧めのタンメン(500円)と氷あずきミルク(450円)を食べて、帰宅。

 ひと仕事して、その後、夕方のセッションへ。

 波数は少ないし、サイズも小さく、楽しんでいたのだけれど、一度パドルアウトしているときに、いちゃいけないときに、いちゃいけない場所にいて、さらにはどうにも問題解決ができず(かわすことができず)、大波をくらって、板ごと飛ばされた。

 "洗濯機もまれ"には慣れているとしても(嫌いだけれど)、フィンで腕を切ったのは痛かった。出血が止まらないので、あえなく退散。

 浜辺で圧迫止血をして、落ち着いたころに、板をもってひとりとぼとぼアパートへ。

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2009年8月13日 (木)

大海原からやってきたマサト

 昨晩のうちに御宿に移動。

 カワグチくん到着の電話で目を覚ます。朝食後、朝のラウンドへ。

 風があって波はグチャグチャ。けれど、ほんの数本だけは波に乗ることができた。

 11時近くになりお腹が空いて空いて、浜辺に上がって休んでいると、カワグチくんが何かを持って、海からやってきた。

 先ほど別のサーファーは、海に浮かんでいた材木を、危険だからと回収してやってきたけれど、カワグチくんが持っているものはもっと小さい。

 「なんだろ?」と思って、海に入っていくと、カブトムシだった!

 大海原をさまよっていたのだという。

 カワグチくんのウエットにつけると、そのまま離れようとしないので、一緒にアパートに帰ることにした。

 私がシャワーを浴びている間に、かなっぷがティッシュに砂糖水を湿らせて、マサトにあげていた。名前はマサトになったそうだ。

 その後、3人で(最近、困ったことで話題沸騰となり混みあっている)勝浦へ。

 あまからやで昼ごはん。陣中見舞いも兼ねていた。

 坦々麺というのは、中国の内陸部(四川省あたり)の農村で生まれた麺だといわれているが、勝浦の坦々麺は写真のようなもの。漁師や海女さんの町であるここでは、このような汁物の麺が体を温めるということで、誕生したのだそうだ。 

 辛口の汁に(四川省とは比べられないほどマイルドですが)、玉ねぎとシイタケとひき肉が入っている。

 ところで、私は四川省で地元の人が坦々麺(いわゆる日本人が言うところの「汁なし坦々麺)を食べているのを見たことがない。地元の友人たちもほとんど食べない。メニューにはあるけれど。

 夏の四川料理といえば、カエルがニョキニョキと赤い汁(ラー油味)から足を出している一品がすぐに思い浮かぶ。あきるほど食べた。これは、四川一般に言えることというよりも、私の友人の嗜好だろう。

 私が一番好きな四川料理は、水煮牛肉。これまた真っ赤な汁で牛肉を煮込んだものなのだけれど、スパイスが豊富に使われていて、野菜も一緒に煮込んでいるのだ味わい深いのだ。

 あまからやのあと、おおたや(御宿のスーパーマーケット)に寄って、夕ごはんの食材と、マサトへのお土産でスイカを買う。

 マサトは、とても喜んでいた(たぶん)。

 夕方のセッションもまたまた風が入って波がグチャグチャ。

 何度も洗濯機のように巻かれて、意気消沈。私が一番最初に海から上がった。

 カワグチくんは、巻かれてもくじけずに海に出ていくので、乗れる回数もどんどん増えてきた。

 遊泳時間が終わり、注意されても沖のブイのあたりで遊びふざけ続けていた海水浴客が、いよいよピンチになったのか、ライフセーバーが出動して救助していた。

 海水浴シーンを見ていると、海水浴客は本当にライフセーバーに管理されながら、海で遊んでいる「お客さん」なのだと思う。カレントが発生すれば、安全な場所に誘導されるし、ピンチになれば出動してもらえる。

  サーファーは、板を持っているというだけで、たとえ超初心者であろうが、マナー知らずであろうが、「お客さん」ではなくなり、管理外に置かれる。

 もちろん有事の際には、ライフセーバー達のお世話になることが多く、海の安全を守ってもらっていることに感謝しているが、基本的には管理外の場所と時間で何をしようとも、何も言われない。

 板を持っている私は、実力は伴わなくても、自立した人間とみなされるのだから、安全面とマナーについて、肝に銘じなければと思う。

 板をもっているか持っていないかというのは一目でわかるけれど、登山の場合はそうはいかない。

 登山の場合の「お客さん」については、服部文祥さんが近著『サバイバル!―人はズルなしで生きられるのか 』(ちくま新書) で書いている。

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2009年8月11日 (火)

友人とのおしゃべりふたつ

根詰めて原稿書きのあと、夜、SNOWDIVAのメンバーと飲み会。ケイちゃんが東京に出張に来ているからだ。個々で会うことは時々あるけれど、今日のように大人数が集まる回数は少ない。

 帰宅後、中国の友人と電話でおしゃべり。

 彼のお兄さんがちょうど、青海省のラフトトリップから帰ってきたのだ。私もこれにかつて2度参加したことがあるけれど、今年はいつも以上のハプニングだったようだ。

 今年の中国は大雨が多く、トリップに使っている揚子江上流も水量増加がはなはだしく、ラフトをスタートさせる地点すら見いだせなかったと言っていた。

 私が最初に参加した2005年も水量が大幅に増え、2便目のツアーはキャンセルになったけれど、その時以上のようだ。

 同じように友人も大雨に苦しみ、他にもいろんな異文化の摩擦などに苦しんで、忙しい仕事が一層忙しくなり、「過労死しそうだよ」と言っている。ここ数年同じようなセリフばかりだ。

 なんだか、国内でも聞いたことのある話のようだし、本来的な部分でないところで仕事上の悩みや問題が発生することには、いろんな歪みを感じ、やるせない。

2009年8月10日 (月)

今日の都内移動はサンダル

 まっとうな社会人であるグラ兄から(このような知り合いがいないと、私の人生は大幅に狂いそう)、「カイロプラクティックに行く途中に遭難したらシャレにならないので、車移動は勧められん。公共交通機関に一票」と携帯メール。

 確かに風雨が強いし、道路が冠水したらよくないし、仕方なく、雨具を着こんで駅へ。いつもは自転車で通っているので近く感じるけれど、電車を使うと、遠い。

 グラ兄はソレルの長靴で通勤したというが、私はキーンのサンダル。クリニックに上がる前に足を拭けばよいと考えたのだ。

 それにしても、すごい雨。雨具のジャケットを着たので上半身は助かったけれど、スカートと足元はびしょぬれで帰宅。

 そして、仕事。

 夜、義兄から届いた日本酒を、親しい友人が誕生日プレゼントにと贈ってくれたものすごくお気に入りのお猪口(ガラスでできているのに、おもてに漆が施されていて、内側は鱗模様。大人の雰囲気)で飲む。 

 大原麗子さん主演のCMが、死亡後よく流れるけれど、サントリー・レッドのリュック編。大原さんが蹴るリュックというのは、キスリング。横にはマルキルかどうかわからないけれどアルミ製の水筒や、シャフトがながーい木製ピッケルもある。

 グラ兄の突っ込みどころは「ウィスキーを瓶ごともっていくヤツなんていないよな」と、「水筒、大きすぎ!」だった。

 私としては、「”この次はふたりで平らな所へ行こうよ”なんていうけれど、平らなところが面白いわけ、ないじゃん、オトコっていい加減」である。

 友人からのお猪口はとても色気があるけれど、私の飲み方は大原麗子さんのようにかわいくはない。

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2009年8月 9日 (日)

タケサコ帰る

 朝、夫がシャルレの自転車(シャルレのステッカーが貼ってある6500円のママチャリ)で出勤するのを、タケサコとふたりで見送り、その後、お茶を飲みながらおしゃべり。

 これもいつもの光景。

 最近の山登りの話と、共通の山の友人の話と、今年のスキーマラソンの計画と、マラソンの計画のことなど。

 その後、羽田行きのリムジンバスの乗り場まで車で送っていく。

 帰宅後は、ひとり静かに仕事。

 今日はどうしても在宅して受けなければならない電話インタビューもあった。

2009年8月 8日 (土)

友人来る

 職場の同僚たちと富士山に登りにきたというタケサコ(北海道在住)が、我が家にやってきた。いつもの通りだ。きっと、我が家に泊まった日数ではダントツ1位だろう。

 真っ赤に日に焼けて「痛い、痛い」と言いながら風呂に入り、出てきたところに、マツウラ一家がやってきた。

 マツウラくんは高校時代からの私の友人だけれど、タケサコが学生だったころ(山岳部員だったころ)、ずいぶんとマツウラくんと一緒に山に登ったり、スキーをしたり、クライミングをしてもらったのだ。

 部員がほとんどいない時代だったから(いまもそうだけれど)、彼にとってはありがたいことだったはずだ。

 息子のシンちゃんはなかなかの役者であり、先日マツウラ邸を訪問したときはミッキーマウスとイルカの真似をしてくれたけれど、今日はずっと電車の真似をしていた。

 こちらから誘っておきながら、たいして食事の準備をしておらず、酒とつまみが合わないという事態を引き起こしていたけれど、マツウラくんが持ってきてくれた鯛(写真)を刺身にしてくれて、おいしくいただいた。

 すっかり酔っ払ったダンナと眠たくなった息子をクルマに押し込んで、カオリさんはハンドルを握って帰っていった。

 それからまたタケサコと飲み続け、2時に就寝。 

 いい加減歳を考えて、このような飲み方はひかえようと思うが、K2登頂後に大病をしたタケサコとこんなにまた酒が飲める日がやってくるとは思ってもいなかったので、ヨシとしよう。

 ところで6-7日に登った富士山は、山小屋も登山道も駐車場も人であふれかえっていたそうだが、7日の山頂は無風快晴でちっとも寒さも感じず、よかったそうだ。

 きっと職場の方々は、普段から準備をしたうえ、ベテラン・タケサコのサポートもあったので、楽しく登れたことでしょう。

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photo=Tomoya TAKESAKO

2009年8月 7日 (金)

『平成熊あらし』

 夕方から、『平成熊あらし』 というドキュメンタリー・フィルムを見に行った。

 いろんなことの先輩である明石太郎さんがカメラマンとして参加したもの。2006年に里に降りてくるツキノワグマの数が急激に増え、捕獲、補殺された数も急増したことが、このフィルムを作るきっかけだったようだ。1年間で殺された数4000頭以上。

 軽井沢町での取り組みやほか、以前作ったマタギのフィルムなどもつなぎ合わせながら、昔から日本人がどうやって熊とかかわってきたか、また現在どんな問題を抱えているかが映し出されていた。

 軽井沢町に設置されたカメラに写っている熊たち。夜な夜な街に降りて来て残飯を食い漁ったり、排水溝のマンホールを開けて油まみれの水をすくって飲んだり、その姿を、とても痛々しく感じた。

 登山中に至近距離で熊と遭遇したことが2度ある。

 残雪の光岳のときはひとりだったこともあり心臓がバクバクしたが、15mほど離れていて、熊はおそらく私よりも早く気づき、そっと別の方向へ姿を消していった。それから急ぎ足でテントに戻ったけれど、歌を歌おうとすると♪森のくまさんしか出てこず、困った。

 奥鬼怒の温泉沢を登っていたときは、けもの道に入ってしまい、尾根に乗っ越すように上がった時、すぐ脇の木の枝にいた熊が大慌てで転げ落ちるように枝から谷へと逃げていった。どうやら驚かせてしまったようだ。

 友人も熊を驚かせてしまい大けがしたけれど、登山をする身としてはなるべく穏やかな方法で早くに、相手にこちらの存在を知らせることが重要なのだろうか。

 『平成熊あらし』というタイトルは、1915年に起きた三毛別熊事件を題材に吉村昭が書いた小説『熊嵐』からきている。このフィルムは平成の熊あらしだということだ。

 8時過ぎに上映が終わり、その足でたまりんと待ち合わせ。

 MJリンクのミーティングと互いの近況を話しながら夕ご飯。

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2009年8月 6日 (木)

『山で死んではいけない。』

 山と溪谷社の編集者であるKさんから届いた本『山で死んではいけない 。』

 あとがきに、Kさんがこの正月に友人の亡骸をスノーボードの乗せておろしたことが書かれているが、本当に山の事故は惨くてつらくて、悲しく、行き場のない悔しい気持ちになる。

 Kさんがこの本を作るのは、2度目だ。正直、ギョッとするタイトルで、4年前の1冊目の時に一緒に仕事をさせてもらって、少々驚いた。こんなタイトルで買ってくれる人はいるのだろうか、と。

 けれどこれは率直な言葉なんだと思うし、これ以上強い気持ちもないと思う。

 登山に内在するリスクには生死にかかわるものがあり、それは決してゼロにはできず、誤解を恐れずに言えば、それが登山なのだと思う。

 しかし遭難事故、死亡事故には統計だけではわかりえない、内容や質の違いがある。むごいけれど、どうしようもない死に方もある。けれど、どうしようもないものであっても、そこには経緯がある。

 先日、久しぶりに夏の北アルプスを縦走して驚いたのは、みんな山を怖がらないことだ。ちっとも怖がってもいなければ、不安に思っている様子もなく、こちらが心配するような足取りでもドンドン進んでいくし、びっくりするようなミス(一歩間違えれば致命的なミス)もする。けれど、当人はその危険に気づいていないことが多いようで、もっと驚かされる。

 つまり減らせる事故はたくさんあるのだと思う。

 リスクを自分にも関係あることとして、真剣に身近に考えたほうがよいのではないか。死んでしまったら、おしまいなのだから。

 ところで、別の記事。

 728日から3日間、日経新聞夕刊の「駆ける魂」という連載で、竹内洋岳さんが取り上げられた。買い損ねたりした日もあったのだけれど、実家に行った際に切り抜いてきて、全部読むことができた。

 記者さんの力量だと思うが、とてもいい記事だったと思う。

 私なんて、何度彼にインタビューしたか知れないのに、書けなかったことも書いてあった。こういういい書き手の人がどんどん山のことを書いてくれたら、本当にいいなあと思うし、私も襟を正してがんばろうと思う。

  以前、日経に何度か記事を書いたことがあるけれど、その時の編集と校閲の質の高さには驚かされ、勉強させられた。とくに校閲は専門職だと私は思うので、専門性の高い人がついていてくれるのは、書き手にとってはとてもありがたい。

 写真は蝶々深山。友人が「霧ヶ峰って、いいところだね」と言ってくれたので、3日間連続霧ヶ峰の写真を掲載。

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2009年8月 5日 (水)

千葉から遠く山形へ

 9月中になんとか着地させたい編集仕事。

 夜、先月出版になった本のお疲れ様会というか、お世話になった山に登るドクターさんを囲んでお礼の会、ということで酒の席へ。

 大学生の時、ナンガパルバットから帰ってきたばかりというHさんの報告を聞く機会があった。たぶん日山協主催の海外登山の研究会にようなものだったと思う。

 初めてお会いしたHさんを見て、仲間を喪った直後の人間がみせる壮絶な表情を垣間見た気がした。そして山に登る人間というのは、たとえ仲間が死んでも登り続けるんだな、とも思った。

 その後Hさんとの縁はあまりなく、何度かお会いする程度だったけれど、私にとっては強烈な個性であり、彼が北アルプスで死亡したことは、大きな衝撃だった。

 その彼の実家がやっている宿坊がある山形の霊山。その山と(いまでいう)千葉県には、遥か昔から深いつながりがあることを、今宵、山に登るドクターさんに教えていただいた。不思議な気がした。

 千葉生まれの私としては、ぜひとも近いうちに登ってみなければならない。

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2009年8月 4日 (火)

高原の風、さわやか

 早朝に家を出て、高速バスで茅野へ。やっぱり乗り継ぎが間に合わず、駅で1時間つぶしてから、車山へ。おかげで、車山肩に到着したのは13時半近く。ノルェージャン・スタイルのように遅い出発となってしまった。

 いくつかの用事があってやってきたのだけれど、コースタイムの半分以下で移動できるだろうと踏んだけれど、用事もこなさなければならないので、小走り気味に進む。

 蝶々深山を越えて物見石でひと組のご夫婦に会ったのが最後、それから八島ヶ原湿原まで誰にも会わなかった。車山周辺と八島ヶ原湿原には観光客がいるけれど、その間はとっても静か。

 小川が流れていたり、鬱蒼とした森を歩いたり、獣の足跡が残っていたり、いい雰囲気。

 霧ヶ峰周辺に来たのは、初めて。

 たくさんの人が訪れるだけあっていいところなんだなあと思った。

 「登山」「トレッキング」「ハイキング」などいろんな言葉があり、その違いを一般の人に尋ねられることがあるけれど(日本の山岳環境で言葉を使い分けていくのは難しい点もあるけれど)、今日のコースは「ザ・ピクニック」、これぞピクニックという雰囲気。

 「丘を越え行こうよ、口笛ふきつつ、空は澄み青空~♪」と口ずさみたくなる。

 夕方のバスで茅野へ下り、再び高速バスで帰京。

 写真は八島ヶ原湿原から見た車山。

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2009年8月 3日 (月)

御宿に、やっと夏がやってきた

 朝、御宿の海に入ったときはまだ寒そうで、3ミリのウエット(長袖半ズボン)を着たけれど、昼から入った2ラウンド目(って1ラウンドが短すぎるんですが)、袖ナシベストにサーフパンツだった。この夏初めて! これならばラッシュガードでもいけたかもしれない。

 海水浴客も出てきていて、やっと夏がきたという感じ。朝6時から浜辺でBBQしているのにはびっくり。波待ちしていると焦げたにおいがして来て、今朝焦がしたトーストを思い出した。

 水温も上がってきている。このことは、昼に寄った勝浦のあまからやで漁師さんたちもしきりに言っていた。

 岩和田のほうできれいに波が割れていて、そこにはとってもうまい人たちがたくさんいた。「パワーがある波が割れていて、乗れるからおいでよ」とかなっぷに言われたけれど、私にとっては人が多すぎる。かなっぷは「みんな御宿の上手な人たちだし大丈夫だよ」と言ったけれど。

 ものすごくきれいなライディングをする女性いてあとで聞いたところ、御宿在住のトップ・プロサーファーの奥様であることを知った。ものすごくきれいだった。

 私は浦中のあたりにいて、時々やってくるいい波で遊んでいた。

 夕方、近所に住むイシバシくん邸へ。奥さまには初めてお会いするけれどカイロ仲間でもあるのだ。

 ひとしきり用事を済ませたあと、みんなで近所の焼き肉屋へ。イシバシ家の1歳に満たない息子がサイコーの笑顔を見せてくれた。

2009年8月 2日 (日)

昨日の庭仕事が

 昨日、実家の庭で素人のくせにテキトーに本で読んだ通りに枝を切ったり、草取りをしたり、いろんな仕事をした。年老いた母は、庭いじりが大好きで、行くと両腕が蚊に刺されてボコボコになっていたが(あんな腕、なかなか見たことがない)、平気なようだ。私も長そで長ズボン、蚊取り線香の完全防備で始めたのだけれど、顔は結構刺された。

  庭いじりが好きと言っても、テキトーに雑草取りをして、テキトーにやっているだけなので、夏はジャングル化。

 私がやったのは、アジサイの花を全部落とすことと(時期が遅すぎたのだけれど)、雑草取りと、名前を知らない花だけれど繁茂しすぎて、ミント畑を脅かしているので、その調整。それから、これまで母が取り除いて干してあった雑草を燃やすこと。

 残念だったのは、家のむかいにある駐車場にあった2本の大きなケヤキの枝が、無残にも裁たれていたこと。枝が大きく伸びていて雰囲気があり、落葉は我が家の庭にまでやってくるし、アスファルトの道路にも落ちるから、秋は大変なのだけれど、私は大好きだった。

 特別見通しが悪いわけでもなかったのに、なぜ枝が大きく落とされたのかわからない。育てるというよりも、邪魔な部分は全部落とすというかんじで、今の姿は無残。

 暑いなか結構動いたためか、今日はその疲れが出て、机仕事が進まない。

 編集中の書籍の作業と、先日のインタビューの整理など。

2009年8月 1日 (土)

『樹木観察ハンドブック』

 仕事の先輩ふたりと遊びの先輩ひとり、私にとっては縁のある3人組が作った本『葉・花・実・樹皮で見分ける! 樹木観察ハンドブック 山歩き編 』 が、先月、JTBパブリッシングから発売になった。

「るるぶDO!ハンディ」というシリーズで(拙著もここから出したことがあるけれど)、持ち歩きやすいハンディサイズであり、表紙が耐久性のあるビニールでできている便利な本なのだ。このビニール表紙をつけること、さらにはこの表紙に文字を載せることは、手間と暇(つまりお金も)かかることで、なかなかやってくれる出版社はない。似たような表紙の本はほかにもいくらでもあるけれど、JTBさんのはホンモノなのだ。

著者は松倉一夫さん。これまでも森や樹木に関する本を書いてきた。彼のこれまでの経験と仕事の蓄積から生まれた本。研究者でもない山や森が好きな(山や森をテーマにした)編集者でありライターである松倉さんが図鑑のような本を作ってしまうのだから、彼の蓄積されたものの質量には本当に驚く。しかし、図鑑のようなものと言っても、ハンディサイズにわかりやすくまとめてあり、見分けるポイント(書名の通り、葉・花・実・樹皮)も明瞭で、樹木に興味が出てきたときには、いつでも誰でも使いやすいような仕組みで作られている。

リアルなイラストを描いたのは、阿部亮樹さん。拙著のときも、草木や生き物(山の中や海の中)のリアルなイラストを、私が考えてもいなかったようなデザインで描いてくれて、感激だった。そのときも4色(カラー)で色をつけてくれたのに、本が2色だったために、鮮やかな色合いは紹介できず。今度の本、編集者から「松倉さんとアベちゃんの力作よ」と送られてきたけれど、「いったいどこにイラストが?」と思うほど、さらにリアルなもの。さすが。

監修をしたのが北村系子さん。森の研究者。フィールドをこよなく愛し、歩きまわっている彼女だけれど、「出版」については、いつもは研究書や専門書の編集、論文の執筆という世界にいるので、一般書の速いペースに驚いたようだ。彼女のスキーは速いし、頭の回転も速いのに。

これからの山歩きには、必ずこの本を持っていこうと決心。樹木のことをもっと知ろうと思う。

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