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2009年7月

2009年7月31日 (金)

打ち合わせと山道具屋めぐり

 午後から次の本の打ち合わせでN出版へ。同じ出版社であっても前回とは部署が違うので、いろんな事情も違う。今日はざっくばらんに全体的な話。

 その後、渋谷原宿界隈の登山道具専門店をいくつもハシゴ。店作りを見るのは、新商品チェックだけではなく勉強になる。

 いつも思うことだけれど、店作りと雑誌作りは似ているのだ。

 本屋に立ち寄って、大好きな作家の新著を購入。買うことが決まっている本については、アマゾンで買うことが多いけれど、こればかりは本屋で平積みになっているなかから一冊取り上げて買いたかった。

 長編ばかりだったカズオイシグロの初(ではないけれど、初のようなもの)の短編集。楽しめるか?

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2009年7月30日 (木)

グラスにぽっかり浮かぶ白雲

 午後からザ・ノース・フェイスの展示会へ。来年の春夏新作がそろっていた。 

 会場への入口に、ノースらしいおしゃれな工夫があった。

 最近とみに注目している(私個人が)、帽子について入念にチェック。夏山縦走に適した帽子というのはどういうものか、考えているが、ベストなものに出会えずにいるのだ。  

 ノースでも気になった商品があるので、今度使ってみようと思う。

 夜、神楽坂へ。会いに行ったのは、ともに山を愛する仲間であるだけでなく、ともに神楽坂を愛する仲間のまさみん。

 彼女が予約してくれた懐石の店は、われわれが愛する○せ○のすぐ近くだった。 

 カウンターに座って、料理を食べていると、私達の椅子の間においておいた本に注目した若い女性スタッフが、「この本見せてもらってもよいですか?」と。

 書名はおなじみの『冒険の蟲たち―登った!漕いだ!走った!アメリカ大陸5万キロ』 。南米好きのまさみんに貸すために持ってきたのだ。

 若い女性スタッフはハーフドームに登ったことがあるそうで(クライミングではなく)、表紙の写真を見て感動し、冒険の蟲たち4人の井出達や雰囲気に感動し、ページをめくっては南米の旅に興味津津。

 女将さんは、「私と同世代ね」と、蟲たちに親近感を覚えていたようだ。

 ここの若い女性スタッフおふたりは、登山をするそうだ。

 こんなところで、山登りをする女性たちに会えるとは思っていなかったし、『冒険の蟲たち』にこんなに興味を示す人たちがいるとも思っていなかったので、驚き。

 ビールのあとに頼んだ冷酒「新政」用にと、女将さんが出してくれたブルーやグリーンの色の入った涼しげなガラスの器は、外国製なのだそうだ。酒をつぐと、白いまあるい模様が三つ浮かび上がってくる。まるで青空に浮かんでいる雲のようだ。

 今日のまさみんとの話題のひとつは「夏山」なので、ぴったりのグラス。

 それにしても、まさみんの俊足には、(以前からわかっていたことだけれど)脱帽。私ももう少し体を動かしてから、「ラウンドゲーム@北アルプス」をやってみたい。

 それからバーへハシゴし、終電猛ダッシュ時刻まで飲んでお話。

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2009年7月29日 (水)

クリスチャンと夏の夜

 北海道の楽しい旅を終えて帰京したクリスチャン。あと数日で母国ノルウェーに帰ってしまうので、その前に一緒に食事。

 これほど日本食を愛している外国人も珍しいのではないかといつも思う。そして、彼は、自分の知らない味への興味が強く、自身も言っていることだけれど、新しい味に対して壁を作らず、食べてみようとするのだ、いつでも。

 異文化を理解するひとつの方法でもある。

 今回初めて味わったのは、くらげの刺身、煮ダコ、タコの刺身、そして最後に感動していたのが、エイヒレ。

 だって、「日本酒は熱燗がいちばん」とか言って(私は冷酒や常温が好きなのだけれど)、熱燗をオーダーするので、「だったらエイヒレも食べようよ」ということになったのだ。

 テレマークスキーヤーのクリスチャンは、登山も好きで、そしてかなりの登山オタク。先日も谷川岳山麓にある谷川岳山岳資料館で、長谷川恒男の功績(の写真展示)を見ながら、アイガーの歴史、マッターホルンの歴史を語り始めた。

 「先日、クリス・ボニントンをインタビューしたときに、ノルウェーの話もしたよ」というと、かなり喜んだ。「彼は本当にノルウェー好きだ」と。彼自身がエベレストに登頂したとき、ノルウェーチームにいただけでなく、その後もノルウェー人と登ることが多かったことや、時々ノルウェーを好んで訪問していることなど。クリスがいかにノルウェーが好きか、ノルウェーの自然のどんな点が好きか聞き出した話を報告すると、ホント喜んでいた。これらのことは、私自身も知りたかったけれど、聞いたら絶対にクリスチャンに報告しようと思っていたことなのだ。

 クリスチャンが先日、ケイちゃんとの登山で見せたノルウェー人の知恵についても尋ねると、ノルウェー人のウール信仰というか、ウールがいかに体を冷やさない優秀な素材であるかを話してくれた。「こういう配慮をすれば、登山中のハイポサミア(低体温症)も防げるだろうに」と悲しげだった。

 滞在中の筑波にバスで帰るというクリスチャンを東京駅八重洲口まで送って、お別れ。

 夏のノルウェーでのあれやこれや、クルージングのあれやこれや、それから雪山滑りのあれやこれやでの再会を約束して。

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2009年7月28日 (火)

『ガンと一緒に山登り』 庵幸雄さん

 拙著『山歩きはなぜ体にいいのか』 (ヤマケイ山学選書) にご登場いただいた、庵幸雄さんが『ガンと一緒に山登り―60代からの登山体験記』 (白山書房)を出版した。

 定年間近に胃ガンを発見し、全摘出手術を受け、そののち、登山に目覚めたという人生を本にまとめたのだ。彼の父と兄は登山愛好者であったけれど、彼自身は山とは無縁だった。

 昨年秋インタビューをしたとき、すでに庵さんは本一冊にするに十分すぎるほどの量の原稿を書いていた。自分自身のことをレイトビギナーと呼んでいた。歳を重ねてから登山を始めた、ちょっと遅い時期のビギナーというような意味。

 つまり、彼の原稿(著作)は、がんの闘病記ではない。がんを患ったものが、登山を始めて、その喜びに目覚めていく過程を記録したものだ。

 書店販売は紀伊国屋書店、三省堂、有隣堂などの大型書店に限られ、ほかアマゾンで購入できる。

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2009年7月27日 (月)

パタゴニアへ イボンさんの話

 夜、パタゴニアの神田ストアへ。来シーズンの秋冬モノ新作のお披露目と、いくつかのフィルムの紹介が、プレス向けにあった。

 フィルムはすでにプレス向け試写が終了しているバンフフィルムフェスティバルの作品と、イボン・ショイナードが友人と1968年に南米を訪れたときに見たことからストーリーが始まる,180°SOUTH』、それと『Signatures』について。

Signatures』は、Sweetgrass Productions(コロラドをベースにしたフィルムメーカーの会社)が昨年12月からことしの6月までニセコに滞在し、ニセコの自然やそこに暮らす滑り手たちのライフスタイル、そしてライディングを撮ったもの。トレーラーやサンプルDVDで見せてもらったところ、季節の移り変わりを丁寧に表現していたり、また玉井太朗さんの芸術的な、非常に美しいラインを見ることができて、感動だった。このような性質のフィルムは珍しいかもしれない。

 10月に発売になり、各地で上映会も予定しているそうだ。

 また、来日中のイボン・ショイナードの話もあった。米国のウォールマートが、パタゴニアの経営理念に影響を受けて、現在進めているプロジェクト、グリーンな経営の実践などについてだ。これについては、今回の来日でほかの席でも話をしているようなので、聞いた人は多いだろう。

 ウォールマートほどの大企業を突き動かすようなことが、パタゴニアという小さな会社にあったのだと思うと、感慨深い。本当に時代は変わっていくのかもしれないし、その傍観者ではいたくない、実践する人でありたいと思う。

 イボンに会ったのは10年ぶりぐらいになり、今回は直接話すことはなかったが、昔からと変わらない雰囲気があった。

 直接本人の口から、本人の言葉を聞けるのは、とても貴重なことだと思う。つまり、たとえ短時間になろうと、時間のやりくりをして、こうやってメーカーの創業者が直接プレス相手に話しかけるというのは、重要なことであり、こういう機会を惜しまずに作る社の姿勢に共感する。また、話を聞いた私達にとってもありがたいことだと思う。

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2009年7月26日 (日)

熊鈴のつもりが

 晴天の東京。洗濯日和。山で使ったウエアをすべて洗濯し、雨具を干す。マットと某理由により臭さが抜けないテントは洗ってから干す。 

 同じく昨日下山したしげぴさんは、ウチと同じくマンション1階在住だけれど、上手にテントを組み立てて干している写真を見せてくれた。私は同じようにはできず、ただ広げて干すだけ。

 部屋に転がっている装備の中から、鈴を見て夫が、「これ、持っていったの?」と。アンタが出発前に、「熊鈴、持っていったほうがいいよ」って言ったのでしょう。効果のほどはかねてより疑っているけれど、気休めというか、やっぱりあってよかったよ、と内心思っていると、「これ熊鈴じゃなくて、カウベルだよ」と。

 確かに……。装備箱の引き出しに、数種類の鈴が入っていて、もうひとつが熊鈴だったのはわかったけれど、大きい方がよいだろうと、写真の鈴を持っていったのだ。

 「これじゃ、牛に間違えられるね」と。確かに……ほかの登山者の鈴とは音も違った。

 結構マヌケ。

 午後から仕事。

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2009年7月25日 (土)

雨のブナ林は青々と

 強風のなかテントをたたんで、下山。数日間天気回復が見込めないからだ。下りる人たちがほとんどだけれど、中には西鎌尾根を上がっていく人たちもいた。

 太郎平から一緒のおじさんも、笠ヶ岳を経由することは止めてそのまま小池新道を降りるという。同じ頃、出発。

 この道は雪の季節に上がったことしかなく、そのときは肩の荷が重いこともあってえらく長く感じたけれど、今日はあっという間に標高を下げてしまった。

 途中から土砂降りになり、笠ヶ岳から派生している尾根や中埼尾根が雨にぬれて一層青々としていた。

 わさび平まで降りてくると、土砂降り。残念ながら錫丈岳は望めない。

 蒲田川の流れはとてもきれいだった。

 新穂高温泉からバスで平湯へ行き、バスターミナル3階の風呂に入ったあと、昼食。レストランには初日から何度も顔を合わせている3人組がいた。食べ終わってのんびりしていると、くだんのおじさんも降りてきたようで、とうとう新宿行きのバスまで一緒になった。

 帰宅後、夫と近所の焼鳥屋で食事。

 後日、友人が日曜日に雨のなか穂高をラウンドした話を聞いた。私が根性出して、雨の中粘れば会えたのにと思うと、つくづく自分が根性ナシだと思った。

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今日のライブ 携帯より

 親しい友人のマーチンことタカギマサシさんが、今晩、私の42回目の誕生日を祝って歌を歌い、ギターを奏でてくれるのだ。
というのはウソで、マーチンとタケシさんのバンド、オプティマの月例ライブ。今月は、小伝馬町のライブバー、poodel(www.poodel-live.com)で、スタートは19:00だそうだ。

 私的意見で言わせていただけば、マーチンは和製クラプトン。昔、タカギさんと武道館にクラプトンを聴きに行ったとき、このふたり、似ている、と思ったのだ。
ご興味のある方、ぜひオプティマのライブへ。
私の好きな「♪黒部の山、黒部の谷」も歌ってくれるかな。黒部の流れ、すさまじく美しかったよ。
ということで、私はまだ家に着かないので今月のライブには行けない。

2009年7月24日 (金)

初めての鷲羽岳

 今日も定刻の5時前に出発。

 黒部源流に降り立ちたいと最後まで考えていたのだけれど、分岐点の看板に「スノーブリッジの状況によっては渡れません。危険を判断でき、対処できる方のみ行ってください」というようなことが書いてあった。危険は判断できるだろうけれど、ひとりで高巻いたり、危なげなリッジを渡りたくはないなと思った(けれど、その後、ほとんどのハイカーたちが物怖じせずにこのルートを行ったことを知り、ちょっとぴっくり)。

 それと、鷲羽岳に登ったことがなかったのも理由だった。北アルプスの主稜線のなかで、鷲羽岳と三俣山荘の間だけ歩いたことがないのだ。

 ということで、少々遠回りだったが、鷲羽岳経由にすることにした。主稜線までは、本当に誰にも会わない日で、静かだった。

 風向きと空模様は昨日とは明らかに変わり、天気は下り坂。時々霧雨もあり、また稜線は風が強くて冷え込んでいた。

 三俣山荘で小屋の主人である伊藤正一さんの著作『黒部の山賊―アルプスの怪』 を購入。

 三俣蓮華岳と双六岳を越えて、双六池へ。このあたりの山や谷は何本かテレマークスキーで滑ったことがある。たおやかな山姿をしており、とてもいいところだ。

 小屋でテントの手続きをしているとき、気づいた。牛丼は800円のままだ。確か、合宿中にイソカワ先輩が上級生に隠れて牛丼を食べ、リーダーのナオユキさんにこっぴどく叱られていたのだ。

 しかも、このテン場にはよくない思い出もある。雷が鳴り響いて怖かったことや、天気が回復せず何晩か停滞したのだ。なんだか、今回も天気がよくないような予感。

 案の定、昨日別れたおじさんがいたので挨拶をした。

 風が強くテントを張るのが大変だろうと、手伝いに来てくれた。そして、稜線で受信したという天気図も見せてくれた。下り坂どころか、当面回復は見込めない。

 まあ、何か奇跡が起きて明日天気がよくなったときのために(そのようなことがあれば、北穂もしくは横尾まで一気に歩いちゃおうというつもりで)、早めに寝ることにした。

 あんまりに早くに寝たので、1時にはしっかり目が覚め、眠れなくなった。もってきた小説は読み終わってしまったので伊藤さんの本に手を出した。

 まえがきを書いているのが竹節作太さん。毎日新聞の記者(運動部長)であり、いくつものヒマラヤ登山に同行し、自らも山に登っていた方だ。時代が違うといえばそれまでなのだけれど、昔はこんなにユニークな新聞記者さんがいたのだなあと、時々思うことがある。

 それにしても、この本、雲ノ平で読まなくてよかった。雲ノ平山荘でも販売していたのだけれど、もし読んでいたら、怖くて眠れなかったかもしれない(←雲ノ平付近での怪談について)。

 全体的には、のびのびした雰囲気のとてもいい時代の、自由闊達な本。

 けれど、鷲羽から三俣への稜線で本当に多くの人が、低体温症になり、それを山小屋で面倒を見ていた、、、という話も出てきて、読み過ごすことはできなかった。確かに風が強い稜線だった。昔よりも衣類がずっとよくなった今でも、夏山で低体温症に陥る人が少なくない。ちょっとした注意で防げることなのだけれど、絶対に甘く見てはならないこと。

 写真は、三俣蓮華岳の登りで見つけた、ミドリハクサンイチゲ。通常のハクサンイチゲと同じ形だけれど、縁が緑色。

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2009年7月23日 (木)

クリとアライのまぼろし

 朝5時前に、薬師峠のテン場を出ることにする。出発間際に、同じようにひとりでテントを張っていたおじさんと話をする。「あんな大きなテント、よく担ぐね」「いや……これしか持っていなくて」。食糧が少々ながら減ったものの、昨日の夕立ちでびっしょりと濡れたテントは重たくなっており、総重量はプラスだ。

 どこへ行くのか聞かれたので、「雲ノ平だ」と答えると、「小屋泊まりの人たちが何人か行くって言っていたよ」と教えてくれた。ちょっとホッとした。これで途中、熊に食われてしまっても、誰かに発見してもらえるかもしれない。

 おじさんは、「五郎へ行くんだ」と言っていた。クロゴこと黒部五郎のことだろう。その次は「笠に抜ける」と言っていたので、きっと明日また双六で会うな、と思いながらも口には出さず、別れた。

 朝陽を浴びながら稜線の道を歩いていると、どこからか小さな(もとい、20年前当時の若い)クリとアライが出てきそうだった。2人は山岳部の1年後輩だ。

 久しぶりに夏山を味わいたくて出てきたのだけれど、やっぱり夏山といえば、私にとってはほかならぬ北アルプスなのだ。大学時代の夏合宿はすべて北アルプスだったからだ。後日、その話を別の大学山岳部出身の友人に話すと(彼女とは卒業後出会ったのだけれど)、全く同感のようだったし、山岳部ということだけでそれを共有できるのは貴重だと言っていた。

 だからこうやって夏の北アルプスを歩いていると、どうしてもあの当時を思い出すのだ。他のメンバーではなくクリとアライが最初に幻のように出てきたのは、クリといちばん多く山に登っていたからであり、アライとはいつもテントが一緒だったからだろう。おまけに、1年生のときのアライはちょこまかしていて、あっという間にどこかに行ってしまうので、よく私は先輩に、「カシワ、見張っていろ」と言われた。マジメにロープに結んで動けないようにしていた時もあった(←ある厳冬期の山や岩のテラスでのこと)。

 懐かしがっている暇はあっという間になくなった。薬師沢と黒部川の出合に降りていく道は意外にワイルド。それに人影もなく(先行した人はいるはずなのだけれど)、今更ながら熊鈴を持ってきて、本当によかったと思った。どう考えても、ここは彼らの住処であり、とても居心地よさそうなところである。

 薬師沢と黒部川が出合うところに薬師沢小屋が建っているわけだけれど、ここはものすごくいいところだった。こんなにいいところがあるとは知らなかった。もっと長く滞在して、川の流れを眺めていたかったけれど、休みすぎるぐらい休んだし、小屋の人に聞きたいことも聞いちゃったし、出発することにした。

 この下りで登山者を数人抜かしたし、みんな当分出かけそうにないので、また一人旅。熊の恐怖さえなければ、一人はとても気持ちがよい。

 ちょっとした急登だったけれど、それもあまり続かず、ツライ目にあう手前で雲ノ平に上がった。

 雲ノ平の魅力は、名前の通り雲の上に広がる平原というだけではなく、その広き草原から北アルプスの名だたる山々が望めることなのだろう。振り返れば薬師岳に立山連峰。向こうには後立の山並み。そして正面には黒部五郎岳に三俣蓮華岳。山の合間から槍ヶ岳が北鎌尾根を従えて顔を出している。また右手の方には笠ヶ岳。大きな山だ。

 小屋で手続きをしてからテン場へ。びっしょりと濡れてずっしりと重たくなったテントも、張れば、あっという間に乾いた。水を汲んで、日焼け防止のために長そでを着て、コンロとマットと本と日記帳を持って、テントの近くでゴロンとなる。

 今日も黒部五郎岳が見える。昨日とは角度を変えている。

 山を眺めながら、飽きるほどお茶を飲んで、読書と日記書き。

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2009年7月22日 (水)

覚えていたのは、水場だけ

 昨晩は、もう若くないんだから無理はしないようにと、寝台特急「北陸」に乗った。これまでだったら富山に行くのはもちろん急行「能登」なんだけれど。北陸のベッドの寝心地があまりによくて(B寝台)、富山着15分前の車内放送にてやっと目が覚め、慌てて支度をした。

 富山地鉄からの車窓。青々とした田んぼの向こうに大日や剱岳がまるで墨汁で描いた水墨画のように浮かんでいる。こういう風景が、日本の本当にいい風景なんだと思う。

 立山曼陀羅は別の場所から眺めたものであるけれど、こんな山々を眺めていると、神々しいものを感じるし、古来から人々が山を崇めてきた理由も、また神が存在する理由もわかるような気がしてしまう。

 大学時代、何度この列車に揺られて山に向かったか。けれどいつもちょっとだけ憂鬱な気分で、こんな美しい景色のことをこれっぽっちも覚えていない。山に向かうのは期待半分、不安半分だったので(おまけに重たい荷物やこれからの合宿を思うとやっぱり憂鬱気分も半分はある)、車窓からの風景は記憶の底に眠ってはいるけれど、こんな気分で眺めたことがなかった。なんて、もったいないことをしたのだろう。

 有峰口から路線バスで折立へ。そこから太郎平へ。ガイドブックにあるコースタイムは5時間とあるけれど、標高差と地図上から読み取る距離を考えれば、4時間かからずに着くだろう、なんて考えながら歩き始めた。

 この登山道も、大学1年の夏合宿で登っているのだけれど、何も覚えていないのだ。唯一覚えているのは、上部になるとなだらかな広い地形が広がり、そこを歩いているときに、5年生のカワムラさんが私にあることを話しかけた、ということだけだ。5年生というのは、大学に入って5年目ということで、山岳部には5年生とか6年生とかいう大先輩がいつの時代もいた。最長期限である8年生も輩出しているし、これは別段驚くことでもないのだ(?)

 途中、運よく部分日食を見ることができた。

 太陽は、ゆっくり時間をかけて、三日月のようになった。

 ヨミ通り、3時間ちょっとで小屋に到着。テント場使用の手続きを済ませてから、薬師峠へ。

 テントを張って、水場に行って、ハッと気づいた。この水場、覚えている! 入山日の登りのことはほとんど覚えていないけれど、水場だけは覚えていたのだ。なんたって、長い合宿中、水場は1年生のたまり場だからな(けれど、帰宅後、同期のかなっぷにこの話をしたら、「薬師峠の水場なんて、ちっとも覚えていない」と言っていた)。

 ひとりテント生活は、超快適。ほかに3張りあるので、なんとなく夜も怖くない。

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2009年7月21日 (火)

夜行列車に乗って

 数日前から首から肩にかけて痛くて痛くて、手の先までしびれるほどだった。これを四十肩と呼ぶのだろうかと思っていたところ、夫の証言によると、17日の夜、私は実に奇妙な格好でソファに寝ていたそうで、それで首を寝違えたのではないか、ということになった。

 出発を遅らせたのは、このひどい首の捻挫のためではなく、天候が理由。無理すれば入れたかもしれないけれど、入山日早々雨では気がめいってしまうし、それが2日も続くとなるとやる気がうせてしまう。しかし、つくづく思う。単独行の最初の核心は、出発だ。

 これ以上ダラダラしても仕方がないので、今晩から出かけることにした。

 昔のロクスノで登山家達の装備を見せる企画があった。そのときの山野井さんの装備はおそろしく簡素だった。冬富士に登るというものだったけれど。シンプルであることができるのは、装備を削ることができるのは、それだけ実力があるから。

 私は結局、教科書通り、標準的な装備となった。23人用のテントしか持っていないことが痛いけれど、総重量は20キロを下回るので、何とかなるだろう。

 5-6日ほど北アルプスへ。

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2009年7月19日 (日)

NHK趣味悠々『山で元気に!田部井淳子の登山入門』

 22日に発売になる『山で元気に!田部井淳子の登山入門』(NHK出版、1050円税込)。これはNHK教育テレビ「趣味悠々」のテキストだ。

私もこのテキスト制作に参加させてもらい、4月から今月初めまで、ふたりの編集者とデザインチームの皆さん、それからカメラマンの方々、そして先生役の田部井淳子さんと一緒に仕事をした。

TV番組は、29日から水曜午後10001025(午後0:00~午後0:25 翌週に再放送)に放映される。

 田部井さんが生徒役のルー大柴さんと一緒に、高尾山からスタートし、道具を揃えるために登山道具の専門店に行き、そして金時山、谷川岳、木曽駒ヶ岳、燕岳と登り、“卒業の山”として最後に富士山に登るという設定になっている。

 テキストには、ハウツーだけでなくエッセイ的読み物もある。

 テキスト作成にあたって、何度も何度も田部井さんにインタビューした。オフィスに伺ったり、ご自宅におじゃまして道具を見せてもらったり、それから高尾山と金時山は一緒に登り撮影もした。さらには彼女の個人山行であったGWの登山にまで押しかけて、山のなかで一緒に過ごさせてもらった。

 彼女のこれまでの人生、登山を始めたきっかけ、続けてきたこと、日常生活のこと、家族のこと、登山に対する考え方など、本当に貴重な話をたくさん聞いた。

 そのなかでわかりやすかったことのひとつは、富士山に登りたいと思うのだったら、その前に5つぐらいの山に登ってほしい(←もちろん無雪期、夏富士の意味)、ということ。早春の低山から始めて毎月1つつづ登っていく。徐々に行動時間を増やし、標高差のある山にしていくと、8月のハイシーズンには富士山に登るための(本当に最低限の)からだと経験がついてくるだろう、ということだ。

 もちろんこれは、それぞれの登山の内容次第(行先だけでなく、登山そのものの内容次第)なので、一概にはいえない話で、ひとつのたとえ話だと考えればよい。

 誰もかれもが「富士山に登ってみたい」というけれど、結構な標高差があり、そして3776mという標高は決して低くない。気温が下がり、雨も風も強くなるし、高山病の影響だって出るのだ。

 それを考えれば、いきなり富士山がどれほど無謀かわかってもらえるかもしれない。ほとんどの人が多少の辛い思いをしながらも無事に登り帰ってくるけれど、実は登山ってそんなもの。偶然登れちゃうことの方が多いのだ。けれど偶然は続かないし、これほど危ういことはない。

 悲惨な事故があった。ある人から電話があり、「この遭難の問題点を浮き彫りにするような取材をしてほしい」と言われた。新聞が書くことなんて知れているし、黙っていれば山岳雑誌だって大した取材をしないのだ。刑事責任が問われようだけれど、問題はそこだけにあるのではない。だからこそ、というのが電話の主の思いだったようだ。私も、よく理解した。

 また、ある山の先輩は、「遭難の悲惨さをリアルに伝える本を書いてくれ」とメールしてきた。山岳遭難は本当に悲惨であり、悲しいことに無残で悔やまれるものがほとんどだ

登山は本来、とても楽しく豊かな行為であるけれど、リスクもある。自然のなかで遊ぶのだから当然だ。このテキストが登山を楽しむ術、リスクを認識し、回避する術を知る一助になりますように。

今回の作成チームのなかで、ある女性の編集者は、彼女にとってのこの時期に田部井さんと仕事ができたことがとっても幸せだった、得るものが大きかったと話していた。私は、その編集者の方にもまた田部井さんにもまだまだ追いつけない人生のステージにいるけれど、バイタリティあふれる彼女と一緒に仕事をしたことは、編集者同様私も得ることが多かった。

自分の好きな登山を続けること、そして長年にわたって登山と社会を結びつける活動に労を惜しまず精力的であること、どれも見習いたいことばかりだった。

撮影や写真提供などでお世話になったのは、山岳カメラマンとしてはおなじみの新井和也さんと、川﨑博さん、渡辺幸雄さん、そして編集者・作家でありながらプロ級の実力の松倉一夫さん。さらに田部井さんの自宅で撮影をしてくださったのは河井邦彦さんだった。

編集者の大矢琢磨さん、阿部芳子さん(Y編集室)、デザインオフィスのOAKさんも含めて、作成チームの皆さんからも学ぶことの多い仕事だった。

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2009年7月18日 (土)

チコちゃんの結婚式

 従妹のチコちゃんの結婚式に、夫と一緒に参列。すっかり大きくなり、立派な女性になったチコちゃんは、彼女の母であり私にとっては叔母であるヨシコおばさんの顔立ちとそっくりになった。

 式のあとは披露宴。私の隣は花嫁の父であるヒロマサおじさん。

 おじちゃんに「スミちゃんは、お父さんの仕事に全く興味がなかったの? ヨシミツさん(←父)はスミちゃんに仕事を譲りたかっただろうに」という問いに、「はい。全く興味がなかったですね」と答えるしかなかった。ほかにも、私が小さいときの話や、チコちゃんのいろんな話をするにつけ、花嫁の父の心境を考えたり、私が結婚した日の亡父の様子を思い出したりして、なんだか切ない気持ちだった。

 チコちゃんのお色直しのドレスが何色か当てるクイズがあった。夫は「ピンク」に投票し、「そんなワケ絶対にないだろ」と言い放った私は自信を持って「黄色」に投票。しかしふたを開けると「深紅」だった。私達親族のテーブルからは、妹のレイコちゃんと、祖母にあたるマリコおばさまが正解し、シンガポールスリングをゲットしてきた(写真。結局、私が飲ませていただいたのだけれど)。

 チコちゃんは、来月からは、旦那さんの仕事の都合でシンガポールに住むのだ。シンガポールスリングを生んだラッフルズ・ホテルも近い場所だという。遊びに行く機会がもてるかな。

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2009年7月17日 (金)

MJリンク 谷川岳下見

 登山家の田部井淳子さんが呼びかけ人となって始めたMJリンク。若い女性たちを山登りに誘い出そうという企画だ。今日はスタッフのたまりんとふたりで谷川岳に下見に行った。

 朝6時前の都内駅にてたまりんをピックアップ。眠くて仕方がないようだ。関越を走ると大雨になり、こりゃ大丈夫か?と思ったけれど、水上ICを降りる頃には予報通り青空になった。

 ちょうど当日と同じような時間帯になり、天神平までロープウェイで上がった。

 花を見たり、コースの状況を確認し合ったりしながら先に進む。風がなく太陽の日差しは強く、とっても暑い。

 私自身はこのコースは何度も歩いたことがあるし、つい3週間ほど前に往復したばかりだけれど、こうやってスタッフと一緒に登って、情報を共有し、確認し合うことは重要。互いが考えていることや、感じていることも理解しあえる。

 山頂からは西黒尾根を経由して巌剛新道を降りてみた。当日は天神尾根を往復するのだけれど、雨天の場合、巌剛新道の下部を歩くことができるかどうか検討するため。しかし、入山数が少ないためか歩きにくく、岩も滑りやすい。これじゃ雨だとストレスがたまりそう。上部は岩場が連続するので、もちろんダメ。雨天の場合は、別の散策を考えることにした。

 下山後、山麓にある谷川岳山岳資料館に寄って、館長の八木原さんと話をする。ここは谷川岳やヒマラヤに関する展示が多数ある。とくに群馬県人であった矢島保治郎に関する展示はここでしか見られないものばかり。古い本や雑誌もたくさんそろっていて、ついつい長居。

 その後、温泉郷やペンション村を車で回って、いくつかの宿のオーナーと話をする。今回は前夜泊オプションがあるため、泊まる宿を探しているのだ。

 高速のSAで夕ご飯を食べながらミーティングし、帰宅は11時過ぎ。

 今日も日に焼けて真黒になってしまった。明日は従妹のチコちゃんの結婚式なのに大丈夫だろうか。たまりんからは「日焼けに似合うメイクをすればよい」と言われたのだけれど……。

 写真は稜線に咲いていた花。このような形の花のことを「バター・カップ」と呼ぶことがあるそうだ。Mt.レイニアNPでボランティア経験のあるたまりんが教えてくれた。アメリカでは植物の正式名称だけではなく、このように特徴をとらえた俗称を登山者たちに伝えることが多いそう。「モンキー・オン・ザ・スティック」というのもあったそうだ。覚えやすくておもしろい。

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2009年7月16日 (木)

モンベル展示会へ

 午後、モンベルの展示会へ。10SS。つまり2010年の春夏モノについて、取扱店舗やマスコミなどを対象に開かれた。

 詳細は、来期発売になるときのことをご期待いただきたいが、素材や機能デザインの向上やコスト面での努力など、目をみはる点が多かった。

 3児の母でありながらもう15年以上モンベル勤務のベテラン社員クロミホちゃんに案内していただいた。月日が経つのは早い……とつくづく思う。

 ほかに企画や広報、営業、店舗勤務の方々などなかなか普段会えない人たちに大勢会って、少しずつだけれど立ち話をしたり。ホントはもっとたくさん色々な話をしたいけれど、それでは日が暮れてしまう。

 ボストンに本社のあるLife is goodの経営理念について、先日本社に出張された方に教えてもらったりもした。

 帰りしな、何人かの社員の方と一緒に駅まで。その後浜松町から東京駅へは、東北新幹線に乗って仙台へ帰るミシマくんと。 東京は暑い暑いと言っていた。

 写真は旭山動物園で泳ぐペンギン。

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2009年7月15日 (水)

夏の海

 昨晩のうちに御宿に移動。

 いよいよ御宿の夏が始まったと実感するのは、空模様や風や気温や人出だけではなく、カワグチくんがやってくるということもある。東京西部に住む彼は、なぜか湘南の海にはいかず、夏になると私達のところにやってくる。まあ5人しかいないパフパフメンバーのひとりだから、気心が知れているのかもしれないけれど。それに彼は、Ryujiの板に乗っているし、ライノチェーサーのウエットもSHOOTSで買ったのだから、御宿で海に入るしかないのだ?

 今回は、彼の同僚だというHさんも一緒だ。

 今日の千葉は風が強くて海はグチャグチャ。白波が立ち、サーファーたちは、ボードを車の屋根に積んだまま北へ南へとアチコチ移動しているばかり。

 私は素人直観で、「けれど御宿が案外いいんじゃないの」と思ったけれど、千倉まで南下することになった。風もさることながら、波がないじゃん。

 けれど、途中で潮の流れが変化するのを感じ、その直後からいい波がちょっとだけやってきた。そのうちのいくつかに乗って、いくつかは巻かれて、終わり。

 かなっぷは、イチゴちゃんに会えたと喜んでいた。高校生でありながらロングボードのプロである彼女、お父さんの車で海を眺めにやってきた。

 午後、かなっぷはニュー・ボードを取りにSHOOTSへ。

 私も行きたかったけれど、部屋に漏電があり送電が止められるなどの騒ぎがあったので、部屋に残った。結局東京電力や地元の電器屋に相談して、今後の対策を練る。ああ、またまた大金が飛んでいきそう。

 そのような騒ぎで、新しいボードをじっくりと見たのは夕方になってから。

Ryujiさんいわく、40-50代に大変評判のいい色合いだそう。夕暮れの光を受けると、写真よりももっときれいになった。

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 私の方は、昔のRyujiさんの作品でありTommyさんのおさがりに愛着があり、この板とともに練習して、バハを目指す予定。

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2009年7月14日 (火)

関西電力 『Withぱぴe』

 終日自宅仕事。

 関西電力が発行している冊子『Withぱぴe』夏号の特集「山に登る」の記事作成に協力させてもらった。これは、関西電力でオール電化を契約している世帯に配布されるもので、発行部数を聞いたら、あまりに多くて驚いた。

 毎号の特集は、生活にうるおいをもらたすようなちょっとした楽しみ、誰もが取り組める趣味のようなものを紹介している。夏号は、私と好日山荘神戸三宮店のスタッフの方がアドバイスしながら、山登りの始め方、はじめての山登りを成功させるポイント、六甲山ガイドなどを掲載している。

 ちょっとした専門誌よりもずっと充実した丁寧なつくりで、編集者の方々には頭が下がった。

 ところで、最近は登山の世界の歴史を作った方々の訃報が続いた。

 7月4日のゴー・ミスン。5日のジョン・バーカー。8日の川喜田二郎さん。

 ゴー・ミスンはかつてコンペクライマーであったが、近年の8000m14座への取り組みについては、その内部事情を聴くにつれ、本人の本心はわからないが、危うさやもろさを感じずにはいられなかった。

 ジョン・バーカーといえば、『岩と雪』72号の表紙。ミッドナイトライトニングを登るその姿は、私達日本人にとっては象徴的だった。間違いなくフリークライミングの限界をプッシュし歴史を作った人だろう。フリーソロ中の墜落死だった。

 川喜田二郎さん。数年前、インタビューできそうな機会を得て、研究所に電話したことがあったけれど、こちらの事情もあって見送った。またいつかぜひ、と思っていたけれど、そんな機会はないままだった。以前、頻繁にカトマンズに行っていたころ、彼の教え子たちが、国際協力や援助の場で活躍している姿を目の当たりにした。

 私も以前同じような業種の仕事をしていたとき、KJ法もどきのようなやり方でプロジェクトについて考えたり、会議をもったことがあるけれど、彼の弟子といわれているある作家の方は、「伝え聞いた方法では、とても実践できる性質のものではない。きちんとトレーニングを受けて身につけなければならない」と話していた。

 登山や哲学だけでなく、日本とネパールの関係を作り上げたその行動力にも学ぶ点がたくさんあった。

 写真は、旭山動物園のホッキョクグマ。

 先日知人から「なぜ、旭山動物園は人気があるのか?」と聞かれた。日本中の数えきれないほどの人が質問し、数えきれないほどの人が答えたであろう問いだ。

 飼育方法や住処の作り方、えさのやり方などを通じて、動物の本来の姿に近い状態のものを見ることができる、それぞれの特性を生かした育て方をしているというのが、旭山動物園の魅力につながっているのだろうか。

 いずれにしても、あんなに近い距離で動物を見ることができるのは、そしてあんなに動き回っている動物たちを見ることができるのは、そうないことだと思う。

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2009年7月13日 (月)

『PEAKS』に剱岳の思い出を書きました

  エイ出版が出版する山旅の雑誌『PEAKS(ピークス) 2 に、剱岳にまつわる思い出を書いた。文字数がとても少なくて、書けることはごくごく限られたことだったので、少々補足を。

 夫と義兄と3人(その時すでに結婚していたかどうかは、忘れた)で夏に訪れた時の思い出話。義兄には奥大日岳などのハイキングを勝手に勧め(「あっちにいい山があるから、行ってこい」というような調子)、私達は岩登りへ。「1泊ぐらいできる用意はあるから(ツェルトや非常食)、夜帰れなくなっても心配無用。2日帰ってこなかったら何かあったと思って山小屋に連絡してくれ」などと勝手なことを言い残した。いくつかのルートを継続して日帰りする予定だったのだけれど、私が最後バテバテになり、帰幕は確か8時過ぎ。義兄はさぞかし心配しているかと思いながら、テントのチャックを開けると、シュラフのなかで寝ていた。そしてちゃんと夕ご飯まで作ってあった。私達に気づいてモゾモゾと起き上がると、「1泊ぐらい平気言うから、何も言っていない」と。本心がどうだったのかは、わからない。

 2枚掲載した写真について。

 山頂のものは、私が初めて剱岳山頂に登ったときのもの。大学2年の夏合宿だ(1年のときは涸沢だった)。この日は源治郎尾根から登って、八ツ峰からのパーティと山頂で合流した。写真中央に写っているのは登山家であり、当時の監督だった村井葵さん。当時私はまだ、彼がどれほどの登山をしてきた人だか理解していなかった。源治郎尾根の取付の青々としたハイマツや、Ⅱ峰からコルに向けて懸垂下降したのち、村井さんがますの押し寿司をくださったことが懐かしい。酸っぱくて美味しかった。

 写真を撮ってくださったのは、確か文登研の先生。

 その後も、無雪期の源治郎尾根は岩登りの帰りとか、三ノ窓での定着に向かうのに荷物を持って登ったりとか、繰り返した。考えてみたら、いちばんメジャーとされているノーマルルートの別山尾根は下降にしか使ったことがなく、登ったことがない……けれど、こういう山ヤって多いよな。たぶん。

 もう1枚の裏剱がバックの写真は、その場に居合わせた山岳写真家の方が撮ってくださった。どなただったのか、わからない。一緒に写っているのはいまの夫でもなければ元彼でもなく、ジャスト・フレンドのクリ。山岳部で一番一緒に山に登った仲間だ。9月、毎日ラジオからは竹内まりやの『September』が流れていて、私達3人は剱沢や三ノ窓にテントを張って岩登りをしていた。かなっぷは就職試験を受けるとか言って下山していき、私とクリはそのまま裏剱へ廻り、黒部川に降り立ち、清水尾根から白馬岳に抜けた。

 そういえば、仕事でも剱岳にまつわる思い出があった。この仕事を始めて2回目にいただいた仕事が剱岳・立山・黒部に関係する何人かにインタビューし、記事にまとめるものだった。掲載誌は『山と溪谷』。忘れもしない担当編集者は、その後最もお世話になったひとりであるKさん。

登山家の和田誠志さん、写真家の高橋敬市さん、山岳ガイドであり写真家の志水哲也さん、富山県警の山岳救助隊の方など。レンタカーを借りてそれぞれを訪ね、インタビューしたことが懐かしい。

 これは私が勝手に思っていることだけれど、剱岳は、間違いなく日本でいちばん“でっかい山”だと思う。そして、私にとってはいちばんカッコいい山でもある。

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2009年7月12日 (日)

水ノ塔山・篭ノ登山

  F山岳会の月例山行で長野県の水ノ塔山・篭ノ登山へ。湯ノ丸の近くにあるそこそこ標高のある山。初めて登った。樹林帯の緑は濃く、稜線では高山らしい風が吹き、ものすごく気持ちがよかった。行動不可能なほどの突風は困るけれど、こういう高山らしい荒々しさのある風が、私は大好き。

 ここでも笹の花を見た。今回はとてもたくさん、広範囲に渡って。

 笹の花が咲くのは60-100年に一度の凶作の年、なんていう言い伝えもあるけれど、笹の開花と凶作にはどんな関係があるのだろう。調べてみよう。

 写真は樹林のなかでたくさんみたゴゼンタチバナ。黄昏色のシャクナゲやイワカガミ、アヤメなどたくさんの花が咲いていた。

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2009年7月11日 (土)

麦秋の景色

霧ははれないけれど、旭岳ロープウェイに乗って上に向かう。今年は残雪が多く、気温も上がらないようで、高山植物の開花は遅れ気味のようだ。まだまだこれから。

結局、旭岳の雄姿や噴煙を眺めることはできなかった。

その後、富良野でいちばん古いというラベンダーのファーム、「ファーム富田」へ。驚いたのは創業が1897年、長い歴史があるということ。このようなファームは、見学すると考えることがたくさんある。できれば上野ファームも見学したかった。

この時期の富良野や美瑛の美しさは、作られたガーデンの色鮮やかな花々ではなく、ジャガイモの白い花と黄金色の麦の穂に彩られた、うねるような丘だと思う。これぞ、麦秋の風景。もう少ししたら、これがそばの花に変わるのだろう。

大雪窯の光太郎さんとの会話の中で出てきたふとした言葉だけれど、「昔ながらの美瑛」というのがあった。彼があるレストランを教えてくれ、その道順を示すときに使った言葉なのだけれど、国道よりも山側の部分のことを指していたように思う。

残念ながら彼が勧めてくれたレストランには行けなかったのだけれど、別の機会のこの付近を走っていると、誰もいない麦秋の畑の向こうに雲の中の十勝連峰を眺められるところがあった。○○の木とか□□の丘とかは、観光客が多くて大型バスも寄っているけれど、ここは本当に誰もいなかった。できれば、車を停めてゆっくりと眺めたい場所。また、いつか通ってみようと思う。

 夜、東京に戻り、4人で自宅近くのいつもの中華屋へ。

 写真は旭岳ロープウェイ駅周辺で撮ったもの。小人視線にすると、背の低い高山植物やハイマツも大きな森のよう。

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2009年7月10日 (金)

後藤純男が描く自然

 大雨のなか向かったのは、後藤純男美術館(写真)。いつも看板だけ見て通り過ぎていたところだけれど、山岳部の先輩の孝弘さんに勧めてもらった。

 圧巻だったのは「雲海黄山雨晴」。

 文章を書く仕事をしていて、一番難しいと思うのは、自然を描写することだけれど、後藤純男さんは、見事に自然を表現している。

 リアルであり、そして後藤さんの表現として昇華されたものである。

 興味深かったのは、展示された絵であってもその後も筆を加え続けるということ。だから、時を経て同じ絵を見ても、前回と違う場合もあるそうだ。

 その後、富良野の典型的観光地を回ったあと、岳がガブリエルと出会った庭へ。人出が多くてびっくりしたが、庭はきれいだった。

 「孫娘を嫁に出す日」や「逝ってしまった冴子の記憶」、「花園の小人の禿隠しの帽子」、「大天使ガブリエルの飼い猫」、「小学生の淡い初恋」、「早熟な乙女は割とすぐ老ける」(貞三の花ことばによる)などが咲いていた。

それにしても嬉しいのは、冬の来ると雪の下で入れない露天風呂に入れること。ものすごくワイルド。これぞ「野趣あふれる」というのだろう。ものすごく気持ちがいいし、湯船から眺める森がとてもいい。

宿のオーナーであるハルナさんに会ったらすぐに話したかったのは、昨年冬、ハルナさんに道具を借りてクロカンをやってみて、面白くて面白くてたまらなかったこと、そしてそれがきっかけとなって札幌国際に出走したこと、だ(すでに昨晩のうちに興奮気味に話した)。

ハルナさんは、旭岳山麓のクロカンコースの整備をしている人であり、またワールドロペットのマスターでもあるのだ。

 ワールドロペットとは、日本を含む14カ国で構成されているクロスカントリースキー大会のこと。この14カ国のレースすべてを完走した人を、ワールドロペットのマスターという(当時は10カ国だったので、10のレース)。

札幌国際もワールドロペットのひとつであるけれど、私は25キロに出ているので来年50キロに出てからワールドロペットの旅に出ることになる(ホントか?)。

アメリカ・ビルケバイナーと本家ノルウェーのビルケバイナーのコースについて話をしてくれた。

こんなにも冬の旭岳に通うようになったのは、旭岳そのものの魅力だけでなくて、ハルナさんご夫妻の存在あってのこと。

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2009年7月 9日 (木)

旭山動物園のおおかみ

今日から夫の両親と一緒に家族旅行。いつも冬にテレマークスキーを持って訪問する旭岳温泉をベースにした。

夫の強いリクエストにより、観光は旭山動物園からスタート。まったく期待もしていなければ関心のなかった私であるが、夫よりもずっと熱心に見学したと思う。とてもおもしろかった。これまで動物園をおもしろいと思ったことなどなかったのに。

いちばん興味をもったのはおおかみ。

かつて何度かインタビューする機会に恵まれた西丸震哉さんは、おおかみはとても平和的な動物だと話していた。動物について「平和的」という表現を使う人に、私はほかにも会ったことがある。ゴリラの研究者である山際寿一さんだ。お二人とも、人間よりもずっと賢くて、平和的な生き物であり、学ぶ点がたくさんあると話していたはずだ。 

 さらに西丸さんは、ご自身の経験を踏まえて、おおかみと人間は本来コミュニケーションがとれ、共存できるのだとも述べていた。彼がおおかみとコンタクトした時の話を覚えていたので、私も檻の外から(いいや、檻の中だったりして)、おおかみをじっと見つめてみた。 

目が合ったような気がした。

男山酒造でうますぎる試飲をして、成都のフォンフォン(彼は男山が大好き)に写メール。

その後の北方植物園では大雨にあい、見学ができなかった。2度訪れて、2度ともチシマザクラの樹形が見られないまま。帰りに大雪窯で坂東さんに会ってから、旭岳温泉の大好きな宿へ。

いい湯とおいしい食事をいただく。

*写真は旭山動物園の展示。山岳スキーヤーだったら、必ず触っちゃうだろうホンモノのSeal(あざらし)。

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2009年7月 8日 (水)

大学の健康診断

 母校大学山岳部の指導責任者であるため、大学からの指示で健康診断を受けに行った。今年からのことだけれど、これは福利厚生というよりも(この責務を専業でやっている人などいないだろうから)、指導者が運動中に突然死されちゃ困るし、メタボなんぞにならずにちゃんと健康管理をしてくれ、こっちもその状況を把握させてもらうよ、ということだろう。

 朝イチで行って、1時間余りで終了。至極簡単なものだったので、やっぱり後日、区の検診に行かねばならない。

 その後、ひたすら仕事。

 夜、富士宮焼きそばをたくさん抱えた義理の両親がやってきた。富士宮市生まれの夫は、小さいころから慣れ親しんだ富士宮焼きそばが大好きで、我が家の冷凍庫にはほとんど常時ストックされているのだ。お土産物屋で買うのは高いから、もちろんスーパーで買う。我が家では麺はマルモと決まっている。このうちのいくつかは、数日後に、グラ兄のところに送られていく。

2009年7月 7日 (火)

思いやりある仕事ぶりに深謝

 今日も5時起き。集合場所の都内ホテルへ早めに到着。朝食を食べながら、今日の仕事についてアタマを整理させようとしたけれど、なかなか朝食を食べるところが見つからず。やっと見つけてテーブルについたが、取材ノートよりも、置いてあった新聞に見入ってしまう。まったくひどい。ひどいのはウイグルで起きていることの内容とそして報道の内容の両方だ。こんな記事に騙されない。

 その後、メーカー側のスタッフSさんとMさん、それにご本人と一緒に某クラッグへ。現地で写真家の星野さんと合流。彼との仕事も久しぶり。

 この暑い日にひと組のクライマーがいた。私たちもいくつかの場所で撮影後、山頂に向けてハイキング。みんな大汗をかいて登った。

 下山後、近くの日本食レストランでインタビュー。

 最後に、手元にあった著作にサインをいただく。

 昨晩我が家では、緊急家族会議がもたれた。我が家にあるのは『Mountaineer』『Great Climbs』『The Climbers』の3冊。いずれもカトマンズで買ったものだ。そのどれにサインをいただくか会議したのだけれど、結論が出ず、全部持ってきてしまった。

 それぞれの内容に関係させながら、素敵なメッセージを書いていただいて、心から感謝。偉大な登山家の言葉には、山への深い深い愛がある。

 今日の仕事は、皆さんのおかげでとってもいい雰囲気に進んだ。それぞれの方々からたくさん思いやりとをもらい、プロフェッショナルな姿勢で接していただいた。とてもありがたく、幸せなこと。

 クライミングには適さないシーズンだけれど、青々としたグリーンは何となくエキゾチック(写真)。

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2009年7月 6日 (月)

青い芝生→クリス・ボニントンさんスライドショー

 開園前の庭園美術館でインタビューの仕事。

 私よりも一回り以上若い写真家さん―松尾芭蕉が旅の途次で出会った小さな女性(と同じ名前)―と初めて仕事をご一緒。これだけ歳をくってくると、自分よりもずっと若い方との仕事が増えてくるのだろう(というか、増えてきてほしい)。

 雨がポツリポツリときた西洋式庭園の芝生はとっても青かった。

 その後、美術館の軒下でインタビューをし、カフェが開店してからコーヒーを飲んで、解散。

 夕刻まで時間があるのでスタバで先ほどのインタビューのメモを整理した。取材のあと、なるべく早く整理したほうが、原稿を書く段階になってスムーズにコトが運ぶ。

 その後、原稿書き。たった400字の原稿だけれど、なかなか仕上がらない。

 夜は、クリス・ボニントン卿のスライドショーへ。トレイルランニングのレーサーである宮内佐季子さんや着付け師の四角友里さんの話は、間に合わずほとんど聞けず。

 第二部のクリス・ボニントンさんの話から。オーガの写真がとてもきれいだった。

 終了後、バーグハウスの方々と簡単な打ち合わせをしたあと、写真家や編集者の方と交互に電話で打ち合わせをしていたら、帰宅が遅くなった。

 明朝も早いけれど、仕事が残っているので机に向かう。

 ゲラを1ページ読んで、明日のインタビューの準備。

写真は、庭園美術館の庭で撮影している様子。

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2009年7月 5日 (日)

酸っぱい梅ジャム

 来週は2日連続でインタビューの仕事だ。こうなると体力勝負になってくるので、そのための準備。

 来週締め切りの原稿を前倒しで書かなければならないのだけれど、いろいろ考えることばかり。調べ物ばかりして、今日も一文字も書けなかった。

 仕事の合間に、昨日拾った梅でジャムを作った。砂糖と蜂蜜を入れたけれど、ものすごく酸っぱくなった。

 ふた瓶できた。パンにつけたり、さらに蜂蜜と合わせてお湯に溶いてジュースにするか。疲れはとれそう。

 写真は男体神社に咲いていた花。花びらの質感が面白い。

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2009年7月 4日 (土)

奥久慈男体山

F山岳会の下見山行ということで、会員のお二人と一緒に奥久慈男体山へ。

奥久慈男体山は初めてだけれど、ガイド山行で使っているという話を時々聞くので登ってみた。のんびりした山里から登るのはいい雰囲気だった。

 稜線上と下り始めの上部3分の1は、ワンスリップがアウトになる緊張を強いられるルートだった。

梅雨の晴れ間というか、湿度ありありでまるで風呂のなかで登山しているような感覚で、大汗をかいた。

降りてきたら、大きな梅の木があり、持ち主のおじさんが落ちている梅も枝の梅もいくらでも採っていいと言ってくださった。

枝の梅を採るにはかなり苦労がいるので(手が届かない)、落ちている梅を拾った。同行の方の話では、この程度のものはジャムにぴったりだという。

 先日、別の会員の方から梅干しの作り方を教わった。私を遠隔操作してくれるほどの丁寧なレシピをいただいたのだけれど、私にできるか不安で手つかずのままだった。梅酒も梅ジュースも作るけれど、梅干しは特別……。

 帰りの車から久慈川を眺めると、アユ釣りをしている人たちがいた。

 

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2009年7月 3日 (金)

山仲間たちが集うお宅へ

 夕方山の先輩のTRさんの家へ。

 先月長い入院生活を終えることができた別の山の先輩TKさんは、退院後、そのままTRさんの家にいるのだ。まだまだ無理はできないし、一人暮らしに戻るのは心配事も多いから。

 毎年、パキスタンやインドの山に通っていた彼らなので、ここでの暮らしも、さながら合宿のような感じ? 長年一緒に山に登って、まるで家族のような付き合いをしているもの同士たちの暮らしなので、外から見ると違和感はない。

 私も自分の山仲間を思い出し、何か互いに困ったことがあったら、こんな生活ができるのだろうか? と考えた。

 確かに、兄弟姉妹のいない私が、通常の友達とはまた違う感覚のもっと近しい大学山岳部時代の仲間を持っていることについて、双子の兄や弟のいる夫は、「弟に近い関係の人たちはいるから、兄弟姉妹がいるのと似たようなことは味わっているのでは」と言うことはある。

 今日は、八戸からもうひとり山のお仲間もやってきた。

 東北のヒマラヤ登山愛好者たちの話を聞いたり、その集まりになんとも刺激的な東北ならではの人が加わっていた経緯を聞いたり。

 TKさんがいただいたというアルピニズムについて書かれた、スペイン語の本を眺めたり。これはため息と感嘆の叫びの連続のような本だった。

 ついでに今調べている最中の1976年前後の南米でのクライミングについて、古い『岩と雪』を何冊か読ませてもらった。残りは、日本山岳会の資料室に行くしかない。

 八戸の美味しい魚をたらふくいただいて、明日が早い私は、10時ごろおいとま。

2009年7月 2日 (木)

体力勝負の校了作業

 7月中旬に出版予定の本1冊。昨晩、校了紙が出た。朝から、渋谷の出版社へ。

 ふたりの編集者と一緒に読み込んでいく。やっぱり私が読むのが遅い。全部で8折あるのだけれど(1折は16ページ)、その前半4折を編集者に渡し、後半4折を私が読み始めた。私が2折も読まないうちに、彼女は4折を読み終えた。時間にして1時間ちょっとか。

 ただ字面を追うだけでなく、誤字脱字、事実誤認、表現不適切な点がないか最終的な確認をしながら文章を読み、全体のデザインに気を配り、ノンブル(ページ数が書いてある数字)が落ちていないかチェックし、写真が裏焼きでないか目を配り、そんなこんないろんなことを確認しながら、文章も読み込んでいくというのは、なかなか大変。

 いつも思うことだけれど、編集者も書き手も、筆力だけでなく、読書力、読解力が要求される。

 私は遅いだけでなく、体力もない。

 そんなゲラ読みを続けて、3時間ぐらい経つと、疲れてきたのかさらにスピードと質が落ちてきているのが、自分でもわかった。

 実力不足。

 夕方、ゲラ一式を持って、四谷のデザイナーさんのオフィスへ。 

 地図の訂正について出力してもらい、確認するなどの作業をした。

 明日、校了。夜、帰宅。

写真は、谷川岳の稜線で見た笹の花。

笹の花は珍しい、珍しいといわれているけれど、実はそれほど珍しくないようなことを、ブナとササ研究者の友人が言っていたように記憶している。彼女には写真を送ってあるので、帰国したら、いろんなことを教えてもらうことになっている。

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2009年7月 1日 (水)

ダイエット情報誌『FYTTE』

 今日出稿される予定だった校了紙が夜にならないと出てこないということで、ぽっかりと予定が空いた。

 今日日本を発つザービーのフライトスケジュールは聞いていたので、成田に行こうかちょっと迷ったけれど、「来なくていいんだよ」と何度も念を押されていたので、止めた。この間、駅でしっかりお別れしたのだから。

 もうすぐ成田に着くかなと思うころ携帯にメールしたら、「Thank you. Wave at the sky at 5pm さようなら」と返信が来た。約束通り、5時に空に向かってお別れ。

 いなくなっちゃってから気づくのだけれど、もうなかなか会えないのだなあと思うととってもさみしい。

 ダイエット情報誌の『FYTTE』8月号「美ぢからUPの山登り入門」の記事作りのお手伝いをした。発売は先月23日。いま書店に並んでいる号だ。

 記事の後半に装備やウエアについてのカタログがある。実際のものは編集部とライターさんが選んだものだけれど、私もいくつかコメントしている。

 先日、ある登山家さんと話していて気付いたことがある。最近流行っている山スカ=山スカートについてだ。私は、スキンズやバイオテックス(ザ・ノース・フェイス)、cx-wなどのタイツと組み合わせれば、いいのではと考えていた。山スカは、伸縮性のある生地を使っているから足さばきも悪くないし、吸汗速乾性もあるから山には向いているし。

  けれど、今更ながらこれは条件付きだったことに気づいた。というか、当たり前のことと思っていて、それを説明しないとならないということが、すっぽりとアタマから抜けていた。

 というのは、山スカが不向きなルートもあるということだ。

 トレランやハイキングなどあくまで“歩く登山で使ってほしい。岩場が出てくると(歩く登山の範囲でも)、不向きなこともある。ちょっとした動作のときにスカートが引っ掛かりかねない。伸縮性のある生地は動きやすい反面、こういうときに引っ掛かりやすくもあるのだ。

  そんな場面に遭遇したと、ある人から話を聞き、なるほどと思ったのだ。

 すっごく上手なサーファーはビキニでサーフィンしてもちっとも平気というかんじで(これはサイジングの問題も大きいと思うが)、上手な身のこなしのできるプロフェッショナルであればスカートだってなんだって山に登れるのだろうけれど(昔の女性も登っていたし)

 今日は、来週のインタビューの準備と、来週締め切りの原稿の下調べ。この段階の仕事をいかに充実させるかで、仕上がりが違ってくる。

 インタビューについては、何度もインタビューしたことのある方で、何をどう聞くか、あれこれ考えてみた。資料を整理し、読みなおしてもアイディアが出てこないときは、散歩なんかするといい考えが浮かんだりする。

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